はてなキーワード: 公序良俗とは
増田では概ね有意義な反応が尽きたようなので、戦闘的でも粘っこくもなさそうな方に試しにトラバ。
http://d.hatena.ne.jp/sk-44/20080814/1218670547
さて不謹慎な表現など多々あるかと思うけど、以下に私的な疑問・論点をまとめます。
時間掛けて経営学や医学や倫理学や歴史学を学んでたら、軽くクリアーできる論点・誤解もあるかも知れないけど、その他も含めてご容赦を。
●論点1 トリアージを「極限状態」と呼んで忌避するが、何を以て「極限」と呼ぶのかが恣意的だと思う。
●論点2 「極限状態」という一種のフィクションを前提としなければ、ナチスはホロコーストを行わなかったのだろうか?
●論点3 「資源の有限性を前提にするな」と言うけれど、実はこの世界ではあらゆる物が有限だったりする。
●論点4 経営学はそもそも社会全体について語る学問なんだろうか?
●論点5 トリアージに関連して「他者性がない」選択と言うけど、その「他者」の扱いも恣意性を含んでいるのでは?
●論点6 トリアージを「全体主義的な決定」「悪しき決断」と言うけど、平等な個人の自由な契約という所からも基礎付けられないだろーか。
●論点7 むしろ平時に「かわいそう」の論理を追求する方が、長期的には「かわいそう」な人を増やすのではないか。
●論点1
トリアージを「極限状態」と呼んで忌避するが、何を以て「極限」と呼ぶのかが恣意的だと思う。
たとえば、短い時間で選択を迫られるという意味でなら、(汚い例で恐縮だけど)映画館で上映開始数分前に便意を催し、
そこで素早くトイレを済ませるか、そのまま2時間前後我慢するかなど分単位で決断を迫られたりとか、
あるいは語源となる(らしい)コーヒーの選別作業など秒単位で決断を迫られる行為が、実は日常でもよくある。
もちろん時間以外の資源をモノサシにする場合も同様に議論を進められるはず。
つまり、時間等の量的な制約をその条件とするのであれば、いわゆるトリアージ以上に「極限状態」とみなせる
選択はいくらでも存在することになり、なぜトリアージだけを取り上げて「極限状態」と呼ぶのかがわからない。
そして呼ぶだけならいいとして、そこに殊更特別な意味を見いだそうとする行為には恣意性が入って来ないか?
明確な基準がなくはっきりしないせいで、そうした疑問が浮かんでしまう。
もし資源制約等々を最初から全部取っ払って、人の命を「切り捨て」るプロセスを指し「極限」と呼ぶのであれば、
蘇生行為の中断や、人工呼吸器の取り外し、あるいは脳死判定?など、(当事者にとっては非日常ではあるものの)
平時の医療行為の中にもそれらは存在する。これらはいずれも倫理学的検討に値する問題ではあるんだろうけど、
今回の問題意識とはずれているのではないかという気がする。なぜなら、経営学講義中の「資源制約下の選択」
というトピックで取り上げる事は難しいと思えるから。よってこれも不適。
ここからはさらに妄想。そこで「資源」の意味をもう少し拡張し、技術水準まで含めるとしたら?
現代医療で人工呼吸や蘇生や脳死判定が要請される重態の患者でも、実は簡単に救えるほどの医療技術が
遠い将来いずれ誕生する事を想定すれば、それらの現場を「極限状態」と呼ぶ事も可能かも知れない。
けれど何事も有限なこの世界で、資源の有無は所詮相対的な問題でしかないから、逆に心臓マッサージも知らない
ような時代まで遡れば、現代医療は「極限」でも何でもなく、相対的にかなり恵まれた状態だとさえ言えるかも知れない。
だからこの妄想理論も、当然すぎるほど当然ながら、使えないよね多分。
●論点2
「極限状態」という一種のフィクションを前提としなければ、ナチスはホロコーストを行わなかったのだろうか?
トリアージの現場では、住所氏名年齢性別人種思想信条宗教経済状態等ではなく、たとえばSTART法に
代表されるように、あくまで症例とその喫緊性を判断材料にして、医療資源の配分が決定されて行く。
そこでの個人は、生存者の最大化という観点から、同じ人間同士限りなく対等に扱われると見ていいはず。
他方、ナチスはアーリア人種なんかにとって、異民族共産主義知的身体的障害者等の存在が有害だと
訴えてたわけで、その排除は平時であると有事であると問わず、進行していたんじゃなかろーか。
不謹慎な言い方をすれば、対等ならざる「異分子」の排除は、保健所の動物駆除のように、
生存権や私有財産権その他の人権を持たざる者と扱った上で、粛々と進められたんじゃないかなと。
また日本や北欧等でも障害者・社会的弱者の断種手術が進められたけれど、これらも特に有事であるからと
行われていたわけではないはず。社会ダーウィニズムや通俗的な理解によって「市場原理主義」など(あるいは
「原理主義的資本主義」?)と呼ばれる淘汰のプロセスは、ある緊急時の必要に応じて進む(進められる)
と言うよりは、むしろ長期的に徐々に着実に進行していくモデルだと考えるのが妥当だと思う。
そして比喩としての「極限」的危機のアピール自体は、かつてのワイマール共和国を含む(民主主義・非民主主義問わず)
あらゆる国家で行われる、支持者獲得の為の常套戦略で、たとえば、核戦争や原発メルトダウンの恐怖を時に過剰に煽るのも、
類似の行為と言えるのでは?ナチスに特徴的な行動として取り上げるのは些か困難じゃないかと感じる。
以上の点から、トリアージを差別的な(どころか相手を人間扱いしていない)ホロコーストとなぞらえるのは
間違いであるし、また仮にトリアージが「極限状態」の選択であると仮定しても、ナチズムやホロコーストとの
同質性を認定するのは恣意的だと考える。トリアージの普及推進や例示がホロコーストと地続きである、または
そうした考えを広げるというのは、不謹慎である事を除いても有益な議論とは言い難いはず。
そもそもホロコーストの最たる物である絶滅収容所等におけるユダヤ人殺害は、ナチスドイツの
敗色が濃厚になった戦争後半期にかえって加速していたようで、一般的な意味で言う有事への対応や
資源の最適な配分という意図からは、どうも外れた感が強い。元々戦場の論理とは別物なのでは。
●論点3
「資源の有限性を前提にするな」と言うけれど、実はこの世界ではあらゆる物が有限だったりする。
トリアージの現場においては人員物資設備等の制約がボトルネックとなっているけど、そもそも人員物資設備等が
無限であれば、トリアージはもちろん企業経営の探求や経済学的考察など、資源の効率的な配分を研究する
学問・営為は生まれなかったはず。経営学や経済学をはじめ、多くの人間の知的営為はその濫觴において、
現実世界の資源の有限性を前提としており、その有効活用を目的としているわけだから。
たとえば、市場メカニズムの根本を支える価格シグナルは、財やサービスの需要と供給によって決定されるけれど、
供給無限(商品の物量だけでなく運搬供給設備やそれらの生産性等も)であればその価格はゼロとなり、
人は欲望の尽きるまでそれらを蕩尽するはずだが、もちろん現実はそうじゃない。一見価格ゼロに見えても
広告販促込みだったりして誰かが費用を負担しており(そのままでは持続可能ではない)、いずれにしても
「価格」の存在は、資源の有限性がこの世界に付き物だという事実を、端的に示していると言えるわけ。
またたとえば、かつて環境問題が今ほど注目されなかった時期には、社会的制限が存在しない中で
工場は排煙を垂れ流し放題だったけど、現在では空気ですら無限ではないというのが、環境問題を認識する
あらゆる人間の知る所で、その為に各種の環境規制や課税が行われ、少なくとも先進国では、工場経営者も排煙その他の
公害原因の扱いに注意を払うようになっている。逆に各種エネルギーに補助金(それは低い技術水準とワンセットだが)を
与えている中国やインドなどは、その凄まじい蕩尽によって資源の国際価格高騰や各種公害の原因としても台頭している。
以上のように、資源が無限か有限か(≒価格がゼロか否か)は、その資源を効率的に扱うインセンティブを決定している。
そして、およそあらゆる物に価格や税金、規制が付きものなのは、それらが現に有限だからに他ならず、
経営学・経済学・トリアージはもちろんとして、多くの人間の知的活動はその資源制約によって発展・流転を促されてきた。
よって「資源の有限性を前提にするな」という主張は、現実を無視し多くの知的活動を否定する行為に等しく、場違いな指摘だと考えます。
有限性の前提や資源の効率的利用・効用最大化と言った考えがナチズムへとつながるのであれば、必然的にこの世の
学問・営為・制度・生活習慣は、その多くがナチズムの眷属となり、今回の件を特別批判する意味は限りなく薄まるはず。
●論点4
上と関連して。経営学はそもそも社会全体について語る学問なんだろうか?
経営学と経済学は、もちろん共に資源制約の下での効率的利用を目的とするんだけど、後者が主に
社会全体の効用最大化を目指すのに対して、前者は時に社会全体の効用をかえって損なう決定を推奨しかねなかったりする。
既に上で述べた環境問題における企業行動が典型例だし、あるいは独占や寡占の追求、他企業とのカルテル、
最近も相次ぐ情報の非対称性を悪用した偽装問題など、企業は時に利益追求という存在意義に忠実なまま、
社会全体の最適化からは逸脱しちゃう場合がよくある。そうした行為には違法な物からグレーゾーンまで何でもあり。
他に経済学の概念上でだけで考えれば、ブランド構築・製品差別化、特許等の独占的使用販売権の取得等も、
完全競争を避ける狙いから行われる、社会全体の最適化に反した行動とみなせる。もちろんこれらの場合は
消費者や社会の利益となる場合もあるんだけど。ともかく経営が目指すのは本質的に部分最適・部分均衡なわけ。
このように企業はいろいろな経営的実践を通して、市場における競争を避け、超過利潤・独占利潤を得ようとする。
それに対して、各種公害規制や独占禁止政策・不正競争防止、情報の非対称性の排除などを通じて、市場メカニズムの
健全な作用を維持し、また時に所得再分配を考慮し、社会全体の効用最大化を目指すのが、一般的な意味で言う経済学の使命。
つまり、別々の学問として定立している以上当然なんだけど、経営学的実践における「全体」と、
経済学的・政治的・社会的実践における「全体」とは、多くの場合かけ離れているんだね。
よって、(仮に)経営学的営為の例としてトリアージを取り上げる場合でも、それらが一般的な意味で言う「全体」、
社会や国家全体に敷衍されて適用される恐れがあると考えるのは、学問の目標を見誤った、飛躍を含んだ主張じゃなかろーか。
●論点5
トリアージに関連して「他者性がない」選択と言うけど、その「他者」の扱いも恣意性を含んでいるのでは?
既出のようにこの世界のあらゆる物は有限であり、ある選択は必然的に他者の選択を制限してしまうのが世の常。
だからたとえば、日常の買い物で財布の中身と照らし合わせながら商品を決める(予算制約下の最適化行動)裏には、
売り上げ好調で繁栄する勝ち組企業と同時に、売れない商品を作って経営不振に陥り、場合によっては
倒産する「かわいそうな」負け組企業の存在があったりする。ひょっとしたら「切り捨て」られたその経営者は
自ら命を絶ってしまうかも知れない。その他日常ありふれた選択が、当然のように多くの他者の運命を決定している。
政治上の決定で見ればもっとわかりやすい、再分配は必ず財源を必要とする。
たとえば公共事業を削ればどうしても倒産は増えてしまう。増税だって薄く広いだけで景気を落ち込ませずには居られない。
以上のように考えれば、無視出来ない他者の範囲は空間的・時間的に際限なく広げる事が可能であり、
トリアージだけを取り上げ、その「他者性がない」側面を強調する行為には、恣意性が含まれているのではないかと。
●論点6
トリアージを「全体主義的な決定」「悪しき決断」と言うけど、平等な個人の自由な契約という所からも基礎付けられないだろーか。
仮に「災害時に被災・負傷し、物的人的制約のある災害医療の拠点に搬送された場合にどのような治療戦略を望むか」
という契約をあらかじめ(被災時に意識を失えば意思の確認が出来ず不公平なので)交わすとすれば、
そして公序良俗に反するという立場から、金銭などの代償を対価とした優遇や、自己犠牲を禁じ手とすれば、
自由かつ平等な個人は、期待生存率を最大にする為=自分自身の為にトリアージを選択する権利を行使するはず。
これが全体主義国家ならマイノリティは放置され、地位や能力のある者の治療を優先させられるかも知れない。
よってトリアージは「みんながひとりのために」でも「ひとりがみんなのために」でもなく、
「ひとりがひとりのために」という個人主義をベースとした選択と考える事も十分可能だと思う。
また自分の命が常に他者の命と可換であるという強い認識が働くから、他者認識がないという批判も的外れとなるはず。
(ちなみに治療従事者自体はロボットだって構わないわけで、その他者性認識を問題にする意義は仮想の話の上では薄いと思われ)。
以上はリベラリズムの基本である無知のヴェールのアイデアを多少拝借した物。
無知のヴェールとはリベラリズム上の社会正義のあり方を考える思考実験で、それを被された者は他人はもちろん
自分も含めたあらゆる属性・・・住所氏名年齢性別人種主義主張経済状態等々・・・がわからなくなってしまう。
その状態で、各個人は自身の利益も含めもっとも望ましく公正な社会の条件を考えてみよ、というのが実験の中身。
で、リベラリズム上の議論においては、その条件の下で「格差は最も弱い立場の人々の効用を最大化する目的でのみ正当化される」
という「格差原理」が導出される事になっている。では、トリアージの現場において、それがどのような人々に当たり、
かつその条件の下で選択要請される治療戦略とはどのような物になるだろうか、ちょっくらこれを考えてみる。
まず被災患者を症例・緊急度により以下のように分ける。
A.所与の医療資源・技術では、どれだけ治療を施しても亡くなってしまうとされるグループ(START法では黒いタグを付けられる)
そして以下のように選択可能な治療戦略が提示されているとする。
1.治療を受けられない人は「かわいそう」だから「公平に」症状は無視し、医療資源を人数分で割って全員に割り当てる「平等戦略」
2.治療を受けられない人は「かわいそう」だから「公平に」症状は無視し、各人へのくじ引きで割り当てを決める「機会均等戦略」
これら5つの内であれば、各人は全体最適など考えずとも(それを考えるのが完全な悪というのもおかしいんだけど)、
個人の利害に触発されて、自由かつ平等な権利の下に、最も自らの期待生存率の高い4のトリアージ戦略を選ぶはず。
ではその場合の「最も弱い」人はどの患者グループなのか、その効用はどうなるのかを不謹慎な表現も交えるかもだが次に検討。
もし医療資源を注ぎ込んでも「ほぼ」助からない黒いタグ、この場合グループAの患者だとすれば、どのような治療戦略においても
「ほぼ」死亡という結果に終わり、効用は「ほぼ」不変=「ほぼ」常に最大だからトリアージを選ぶ事は「ほぼ」許容される。
次に死亡状態とみなされる人ではなく、助かる可能性はあるが治療を必要とする赤や黄色のタグ、グループBに含まれる患者を
「最も弱い立場」とするならば、トリアージによって最も手厚く医療資源を配分される事になるから、やはり許容範囲となるはず。
問題はもちろんグループAについての「ほぼ」の取り扱い。技術水準の問題として閑却する事も話の上では出来るんだけど、
(前にネタのした時は確実に生存率を判定出来ると仮定したので簡単だった)、現実のトリアージではそうは行かない。
ただ、いずれにしても確率的な選択を強いられるのであれば、やっぱり4のトリアージ戦略しかないと思うんだけどね。
あと検討の順序が逆だったり、戦略や条件の設定の重複・恣意性等あるけど、まあ素人なんで大目に見てくださいな、と。
基本的には無知のヴェールまで降りて議論するまでもなく、最初の期待生存率+公序良俗の「治療戦略選択契約」の話で
大体OKと思うし、そこで「全体主義的」なる批判はシャットアウト可能だと考えてます。よってここらでこの論点終了。
字数制限でhttp://anond.hatelabo.jp/20080817193711へと続きます。目障りでごめんなさい。
ちょっと前の記事ですけど…
おもしろさは誰のものか:“同人出身”ガイナックスが語る、同人誌のグレーゾーン (1/2) - ITmedia News
これに対する同人作家側の意見があんまり見当たらなかったので、自分で書いてみようと思います。
ファンの勢いをそいでしまってはつまらないじゃないですか。これは、良い悪いという判断ではなくて、それではつまんないでしょうという感覚です。
まあ、やっぱり同人誌の中には、つくり手側にとってカチンとくるような表現だってないわけじゃないですけれども、まあ、それはそれで作品の楽しみ方のひとつではある。
こういう風に版元側の人から「見てみないふりしててやっから、まあせいぜい面白いもん作れや」って言ってもらえるのは本当にありがたい話です。
自分の押さえ切れない妄想を形にし、「自分はこう思うんだけど、みんなはどう思うかなっ?」と問いかけるのが同人誌の「あり方」だと思っています。
だからこそ、版元にできる限り迷惑が掛からないように配慮し、「自分のケツは自分で拭く」精神を持つべきで、たとえ押さえきれない妄想を形にしたものだとしても、連絡先メールアドレスも印刷所の名前も書いてない本を(サークル規模の大小問わず)売り逃げるような人達を心底軽蔑します。
(※「メールアドレスを書くとネットストーカーが…」とか「印刷所名から本の原価を割り出されて、もっと安くしろと言われる」とか言いますが、そんなのただの言い訳です。昔のように住所氏名まできっちり書くのは流石に危ないと思いますけど)
あと、同人誌でやるよりネットの隠しサイトでやった方が版元にばれないor迷惑が掛からないと思っている人は、即刻考えを改めるべき。
「我々のところにも『同人誌出してもいいですか』といった問い合わせは、時々きますよ。でもこれについては『OKを出すことはない』としか答えられませんね。これはもう暗黙の了解みたいなものを読み取ってもらうしかない。
許諾を出すということは、できあがった作品について、我々にも責任が生じるということなんです。ですから作品について監修を行う義務も生じます。公序良俗の問題も含めて。
前にいたジャンルで、そのジャンルは版元が自ら公式アンソロジーを出すようなところだったんですが、どうもその公式アンソロジーが今ひとつ面白くなかったんです。
普段よく買っているそのジャンルの作家さん達が参加していたのと、あとは原作ファンのたしなみとして買っていたんですが、いつもは超面白いネタを描く作家さん達の公式アンソロでのネタは、それなりに面白いのだけれども、どうも勢いを感じられなくて。
そうこうしているうち、何故かその公式アンソロの執筆依頼が増田のもとにもきました。
大変光栄なことですので、二つ返事で依頼を受けたのですが、いつものノリで描いたネームがことごとく修正の嵐でした。(セリフを丸々変更するよう言われたページも…)
結果、自分でも「これ面白いのかなあ?」というようなものになってしまったのですが、今改めて考えると「公式」アンソロなんですから、増田がノリで描いた漫画にすら版元の「責任」が生まれてしまうのですから、当然のことですよね。
同人誌であれば、ごく一部の人だけが「これは特に面白い!」と感じられる漫画が正解ですが、公式アンソロでは100人が100人「それなりに面白い」と感じられなければいけませんから。
同人誌に興味を抱いて日が浅い人や、ネットや報道だけの知識で同人を知っている人には誤解されてると思いますが、実は同人活動って原作者や版元とすごく距離が近くなることがままあるのです。(原作者とお友達になれるとか、そういうことではないので、夢を持っては駄目です)
原作者が自ら補完同人誌を出すことはもとより、某アニメのキャラクターデザイナーがファンの作った同人誌に参加していたり、某アニメシリーズの公式漫画を描いている方がファンと一緒に同人誌を作っていたり、某小説の原作者が自分で音頭をとって同人アンソロジーを企画したり、某漫画の作画担当の方がコミケで嬉しそうにそのジャンルの同人誌を購入している姿が目撃されたり、某ゲームのスタッフがお忍びでオンリーイベントに来て(でも濃いファンにはバレている)嬉々として同人誌を買い漁ったり、某ゲームのスタッフがオンリーイベントの終了後、主催者に「開催してくれてありがとう!」とねぎらいの言葉をかけてくれたり。(全て増田とその周囲で実際にあった事・実際に見た事です)
公式な場で容認の立場を見せることはありませんが、同人出身であろうとなかろうと、同人誌に寛容、むしろ楽しみにしている原作者・版元は多いです。
勿論それと同じくらい、同人誌を忌み嫌い、許せないと思っている原作者・版元もいて、それは当然のことだと思います。
そして、容認の立場をとっていても、内心面白くないと思っている原作者もいれば、禁止の立場をとっていても(こちらが一般的ですね)、こっそりやっているならいいよという版元もあります。
原作を手掛けた人々が実際にどう思っているのかは、当人達しか分からない事で、我々消費者が「同人は悪」「原作者がどう思っているか聞いてみるべき」と勝手に騒ぐのは、ナンセンスではないかと思います。(原作者や版元の気持ちは考えるべきだと思いますが…)
同人界に関わる人達は、すべてファン活動なのだから悪ではないのか、というと、それは勿論違います。
ただ1000冊単位で買い取って、それを販売するといった状況ですと、それはもうファン活動ではない。ビジネスだろうと思うんです。だから、株式会社の会社がね。お金を出して同人誌を買い上げて、それを第三者に販売しているような場合だと、その同人誌の中身にあなたはちゃんと責任を持てますか、と聞いてはみたいですね。ビジネスになった瞬間に、そうした責任は発生してくるだろうと思うんですよ。そこのところをどうお考えなのか。
地方の方にとっては非常に便利なものだと思いますし、増田も大手サークルの列に並ぶのは確かに面倒なので時々利用しますが、やはり新刊同人誌専門書店って、何かおかしいと思います。(増田のところにも時々取り扱いのお誘いがありますが、お断りしています)
ところで、増田の思う「ワルモノ」順は↓です。(※二次創作のみで考えて)
新刊同人誌専門書店 > 同人転売ヤー > ビジネス同人サークル > 大手志向の買い手 > その他、原作・版元ありきなことを分かっていないサークル
それを踏まえて思い出したのが、だいぶ前にあった↓のスレまとめ記事です。
同人活動だけで貯金が1700万も溜まったんだけど何か質問ある?|2chテラワロス
たまたま売れてしまったものは仕方ないですし、だからこそ同人誌を生計を立てる道具にしてしまった気持ちも分かるのですが、それで楽しいかどうかは>>1本人が一番分かっているようなのが、もの哀しいスレだったと記憶しています。
よく、今は専門書店もあるし、同人誌が世間に知られてきたこともあり、頒布数は昔に比べ格段に増えたと思われがちですが、実は個々のサークルの1冊あたりの頒布数は、10年ほど前と比べると減少しています。(ソースは増田の経験)
「趣味が細分化したからだ」とか「ネットがあるから」とか色々言われますが、最大の原因は、専門書店などでなんとなく気軽に買えてしまうから、「価値」が下がり、書き手もなんとなく書いたものがなんとなく売れてしまうことにより、「パワー」が落ちた、そういう負のスパイラルではないかと思います。
だからこそ、なんとなく売れてしまったサークルに対し、「もっと楽に、もっと稼げますよ」という甘い言葉で近づいてくる専門書店こそ、害悪でしょう。
裁判リテラシー講座を書いてる者ですが、ちょっと気になるニュースが飛び込んできたので言及。
http://blog.piapro.jp/2008/01/post-15.html
これによると、ニコニコ動画に、初音ミクに猥歌を歌わせていたものをうpしていたら、初音ミクの制作者サイドが削除を申し入れた、ということらしいです。
しかもうp主はデッドボールP氏。個人的にお気に入りな同人音楽家さんの別名義じゃないですか(あんまり知られてないみたいですが)。
あれこれ言説が飛び交っていますが、「ニコニコ、ひいてはCGMの萌芽をつむことになる」といった論調のものが多いように思われます。
ですが、あまり法律論からのアプローチがなかったので検討してみたいと思います。
Fランクの法学部生が試験期間中に現実逃避しながらろくに推敲せず書いてる駄文なので、おかしい点があったらどしどし指摘してください><
さらば明日の民事訴訟法。
クリプトン社は、「VOCALOIDライブラリ使用許諾契約書」で禁止されている
「公序良俗に反する歌詞を含む合成音声」の「公開」をしていたので、これを削除したと主張しています。
そもそも、この「VOCALOIDライブラリ使用許諾契約」(以下、本件契約という)ってどうなんでしょうか。
これってみなさんもご存じの表現の自由を犯していませんか?
憲法の保障する「表現の自由」を前提とすれば、公序良俗に反しようがなんだろうが、
何を作ってどう公開しようと自由なはずです。
ここで問題となるのが、憲法は国による国民に対する人権侵害を予防するためのものなので、
クリプトン社と一般人のような、私人の間で憲法に由来する原理を根拠にどうこうできるかということです。
これについては、誰がしても人権侵害は人権侵害だし、大会社なら国に比肩すべき権力を有しますから、認めるべきです。
しかしながら、なんでもかんでも憲法が出てくるのでは、規則にがんじがらめになり、私人は自由な経済活動が出来なくなります。
このような考えを私的自治といいますが、これにも配慮する必要があります。
したがって、ある法律行為、ここでは本件契約ですが、が憲法に違反するかどうかを論ずるには、
憲法の精神を、法律行為を律する法律に読み込むという解釈がされるべきです。
これを間接適用説といい、最高裁の取るところとなっています。
難しい話になってしまったので、簡単な例をあげましょう。
S役の人とM役の人との間で、「MはSに隷属します」という契約が結ばれたとする。
この場合、憲法では奴隷的拘束は禁じられている(18条)ので、このような酷い契約には憲法を適用すべきだ。
うるせーよ、俺たちの合意づくのSM関係に、他人や憲法が口を出すな(私的自治)。
どちらも一理あるので、両者のバランスを取って、法律に憲法の精神を読み込もうというわけです。
本件では、この契約が有効かどうかは、契約の有効性を律する民法90条の解釈に委ねられることになります。
つまり民法90条のいう「公序良俗に反する」かどうかを判断するのに、憲法の精神を読み込めばいいわけです。
では、本件契約が憲法に違反して民法90条の「公序良俗に反する」かどうかについて簡単に考えてみましょう。
確かに、表現の自由は、表現を通じて人格を成長させる点、それから、憲法自体を支える民主制の根底をなすという点からすると、
非常に価値の高いものです。
しかし、外部行為を伴うものなので他者の人権との衝突は避けられず、「公共の福祉」に、厳格に判断されますが、服することになります。
(たとえばわいせつ文書)。
また本件では、私人対国家ではなく、私人同士ですので私的自治が働き、その保障もいくぶん弱体化すると考えます。
たとえば、一般的に表現を禁止するという文言では、弱体化するとはいえ、憲法違反の問題になると思います。
しかしここではクリプトン社の製品を買うのに、その製品をエロなどに悪用しないで、というものだというのです。
これは、ボーカロイドのブランドイメージの低下を防止するため、
また、表現の持つ影響力の大きさから社会への悪影響を防止するためという目的です。
特に、ボーカロイドは新しい技術であり、キャラなのかツールなのかわかりにくく、議論も詰まっていません。
そんな中でエロ禁止という手段を講ずるのは、企業の取る戦略として十分に合理性があると思われます。
ボーカロイドの技術を持っているのがクリプトン社だけという点も見過ごせません。
そうだとすれば、本件契約は90条の「公序良俗に反する」とはとうてい言えないと思われます。
以上より、本件契約は有効であるといえます。
よって、当事者は合意して本件契約を結んでいる以上、クリプトン社の措置には道義的な問題はさておき、なんらの法的問題点は存しません。
また、どこかに話題に上っていた、
一方で公序良俗違反の表現を禁止し、他方で訴訟などの責任は負わないという免責規定については、
法律上、ふつうに私的自治の範囲内なので特に問題ありません。
これが賃貸借とか瑕疵担保責任とかだと、圧倒的に有利になってしまうので問題になるんですが、
この場合、訴訟になったら歌を作った奴こそが悪いですから、問題になりようがありません。
常識的に考えて、エロ歌作っておいて「こんなボーカロイドがあるから悪いんだ」なんていう弁解は通りませんよね。
この免責規定はそれを明文化したまででしょう。
こう見てくると、この問題で見捨てられている視点が、クリプトン社の利益という視点です。
クリプトン社は、今までも初音ミクに関係して何度か制限を掛けてきました。そういった意味では制限する側です。
表現を制限する奴は悪い奴と思うのは当然かも知れません。
ですが、新たな表現の手段を生み出すクリプトン社もある意味で、表現者といえるのではないでしょうか。
そうするとクリプトン社の立場も、表現する人同様に尊重されるべきではないでしょうか。
そうでないと、先進的な技術を持つ他の会社を萎縮させかねませんしね。
本人のコメントやサイトを見るとひたすら平謝りしているようだし、
そもそも他人がとやかく言うことではないかも知れませんね。
彼は同人活動をやっているので、公式サイドからの圧力には慣れっこだと思います。
なのでこれくらいのことでは彼はへこたれないと思います。今後ともがんばって欲しいです。
それは、初音ミク開発元のクリプトンの依頼によるものであったと言う。
.
公序良俗に反する歌詞を含む楽曲について-ピアプロ開発者ブログ
http://blog.piapro.jp/2008/01/post-15.html
公序良俗に反する歌詞を含む楽曲について
VOCALOIDを用いて楽曲を制作する場合、「VOCALOIDライブラリ使用許諾契約書」に記載されております通り、公序良俗に反する歌詞を含む合成音声を公開または配布することを禁じております(※)。
特にVOCALOIDそのものや、VOCALOID製品のタイトル/キャラクター(「初音ミク」「鏡音リン」「鏡音レン」等)、バーチャルシンガーなどとクレジットされた作品において、それそのものが、いわゆるエロティックな表現や、バイオレンス、グロテスクな表現を、自ら発言/自己表現しているような見え方と捉えることが可能な場合、または視聴者がVOCALOIDやキャラクターのイメージを誤解し、困惑、嫌悪の感じをいだく可能性がある場合、 VOCALOIDやキャラクターのイメージに悪影響があると判断させていただく事がございます。
今回、公序良俗に反する歌詞を伴う作品がニコニコ動画に連続的に投稿されているとの通告を一般視聴者の方より受け取りました。弊社で調べましたところ、確かに公序良俗に反すると認められました。また初音ミクのイメージを損なう恐れがあると見受けられ、それらが同一人物と思われる作者による投稿ということもあり、誠に残念ではございますが、黙認のレベルを超えていると判断せざるを得ませんでした。何卒ご理解いただけますようお願いいたします。
※"公序良俗"の判断基準については弊社では「TV放送できるか否か」をひとつの判断基準としています。例えば性的表現に関しては視聴者に困惑・嫌悪の感じを抱かせないように注意しています。家族がそろって視聴した場合、露骨な表現描写をすることによって困惑・嫌悪の感じを抱かせないように注意をしています。(民放連の放送基準より一部参照)
そして、この件に関しては批判的な意見が多いようだ。
クリプトンは「やっちゃった」と思う
.
しかし、今回の削除は仕方ないと思う。
クリプトンは初音ミクのイメージを守るということ以上に、藤田咲さんのイメージを守らなくてはいけないのだ。
「初音ミクに歌わせる」ということは「藤田咲さんに歌ってもらっている」ということに他ならない、ということは忘れてはならないと思う。
.
ここからは妄想だが、もしかしたら今回の件は彼女の所属事務所からの依頼なのかもしれない。
しかし「事務所からの依頼で、中の人のイメージを損ねるから」としてしまうと、間違いなく彼女のブログや所属事務所のサイトは炎上する。
だから「一般の人からの削除以来で、初音ミクのイメージを損ねるから」としたのではないか、と思う。
.
最後に、個人的にだが、俺はこういうのは削除によってネタとして完成すると思っている。
だからむしろ積極的に削除すべきだと思う。
思えば、今回の件で初音ミクが歌えなくなった歌など実は存在しない。
初音ミクはすでに僕らの手の中、パソコンの中にあって、どんなことを歌わせることも自由なのである。
ということは、もはや初音ミクはクリプトンのものではない。僕らのものである。
いくらクリプトンが削除しようが関係ない。もう僕らの好きにできるのである。
ならば、クリプトンは、もはや僕らの味方である必要はない。
むしろ、クリプトンはかわいい娘を守ろうとする雷親父で、「初音ミクを妖しくたぶらかす僕ら」の敵であってもいいのではないかと思う。
だって、最近のアニメって男性向けで、女性のHな描写が多いんだもん。
って感じで頭の中で理論ができあがっちゃってる。
アキバ系オタクに嫌悪感を持つのもこの延長。同人にしろ、アニメやゲームにしろ卑猥な作品ばかりが目立ってしまったものだから、秋葉=エロ=公序良俗に反するというイメージを外部の人間は想起せざるを得ないのではないかと仮定してみる。
上記の仮定のもとでは、世間一般が抱く嫌悪感はほとんど、「エロ」に起因するものであると説明できる。Youtubeやニコニコ動画が非難されるのも、インターネットが非難されるのも、オタクが非難されるのも、そこに「エロ」が在るからである。これは18禁描写という意味ではなく、異性を強調するような描写という意味であり、その判断は曖昧で、誰か一人でも「これはエロい」と言えば、おそらくそれはエロなのだ。そして、少しでもエロが含まれていれば、その部分だけが強調され、「○○はエロいので、公序良俗に反する」とすぐにレッテルを貼られてしまう。
その点、エロ成分を含まない軍事マニアや鉄道オタクはアニメオタクほどバッシングが話題にならない。(が、オタクやマニアといった言葉が既にエロと関連づけられている上に、分類が非常に繁雑である。そのため、いろいろとまとめて「○○マニア/○○オタクはキモい」と誰かが言ってしまうことが多々ある。そのたびにオタクの分類についてもめる事件が後を絶たない。(仏教でもいろいろ宗派があるように、オタクにもいろいろと分類がある。))
ただし例外もいくつかあって、文化や伝統に裏付けされるような物事はエロが含まれていても許容される場合が多い。例えばスポーツマンである。スポーツや伝統という蓑に巧妙に隠されているのか、なぜかあまりエロい部分が話題にならない。フィギュアスケートや新体操で女子選手が着用するレオタードなどの衣装や、一部の技(イナバウアー等)は明らかに性を強調している。にも関わらず、これらの競技に対する非難を目にしない。(自分が興味ないだけなのかもしれないが。)
動画、静止画、文章、音楽といった著作物にはエロが少なからず存在する。最近、深夜アニメの台頭により、アニメのエロ化がますます進んでいる。それにともない、アニソンのエロ化が進み、初音ミクもTBSの報道によりエロとの関連が強められた。今後、これらのエロの部分が強調されていくようなことがあれば、それらを楽しむ人は全て公序良俗に反する趣味を持った人として扱われることとなるのである。
心理的分野、とくに異常心理学や犯罪心理学においては、そもそもサンプル数がお話にならないほど少ない。統計的な手法が糞の役にも立たないから、科学的手法ははっきり言って信用ならない、と個人的には思ってる。
さらに、重犯罪に限らず、ある著作物がその程度その人物のこころに作用するのか、なんてものは定量的に計れないし、そもそも個人差が大きいので計る意味も無い。
だから、そういうものに頼っていたのでは、結局何も言えず、従って何も規制されない事になる。(何も規制されないという状況が良いか悪いかは置いといて)
「悪影響があるかもしれないというパーセンテージ、またはわずかな可能性」を定量評価すべきだと言うのならばしても良いと思うけど、意味のある数字が得られるとはとても思えない。
一応言っておくが、一般に暴力的な表現が規制される理由は「公序良俗に反するから」であって、「殺人の要因となるから」ではない。言うまでもない事だが、前者はとてもとてもファジーな判断で出来ていて、その基準は複数人の識者が議論して決定する、というとてもアナログな方法に頼っている。ついでに、判断基準はそれを読んだ人とその行状では、勿論ない。
本文投稿者です。一点だけ反論しときましょう。
おっしゃる通りに異常心理学・犯罪心理学においてサンプル数が少ないとすれば、猟奇的な殺人事件のケース自体が希少という訳ですよね。ということは、"国会の時間を割き、官僚を動員して、それに伴う予算を割り当てて少数の異常者を取り締まる/異常者を出さないような新しい規制をひく"ということですか?非常にお金のかかる割に、社会全体へのプロフィットはめちゃめちゃ少ないですよね。"さらに、重犯罪に限らず、ある著作物がその程度その人物のこころに作用するのか、なんてものは定量的に計れないし、そもそも個人差が大きいので計る意味も無い"のであれば、ほっときましょう。立証できないものをもってきて、これを規制しないととんでもないことがおきる、ってそれオウム真理教かノストラダムスぐらいしか言いません。10人の異常者を取り締まるよりも、10000件の犯罪を抑制するインフラ整備のほうが重要だと思います。
あと公序良俗に反する暴力的な表現に対する規制というのはどの法律でしょうか。青少年有害社会環境対策基本法案ですか?たしかこの前廃案になったはずですが。
科学的な立証というときに私が念頭においているのは、主張・証拠・サンプル数(qualifier)・論理などの要素から成り立つ科学的な議論形式のことです。
心理的分野、とくに異常心理学や犯罪心理学においては、そもそもサンプル数がお話にならないほど少ない。統計的な手法が糞の役にも立たないから、科学的手法ははっきり言って信用ならない、と個人的には思ってる。
さらに、重犯罪に限らず、ある著作物がその程度その人物のこころに作用するのか、なんてものは定量的に計れないし、そもそも個人差が大きいので計る意味も無い。
だから、そういうものに頼っていたのでは、結局何も言えず、従って何も規制されない事になる。(何も規制されないという状況が良いか悪いかは置いといて)
「悪影響があるかもしれないというパーセンテージ、またはわずかな可能性」を定量評価すべきだと言うのならばしても良いと思うけど、意味のある数字が得られるとはとても思えない。
一応言っておくが、一般に暴力的な表現が規制される理由は「公序良俗に反するから」であって、「殺人の要因となるから」ではない。言うまでもない事だが、前者はとてもとてもファジーな判断で出来ていて、その基準は複数人の識者が議論して決定する、というとてもアナログな方法に頼っている。ついでに、判断基準はそれを読んだ人とその行状では、勿論ない。
http://anond.hatelabo.jp/20070727084903
実は大手企業に連なる知的財産のBtoB取引では著作権なんか存在しない。
たいてい、業務委託書の中に
甲の提供した情報データ、プログラムその他と乙の最終成果物と作業中のメモや書類も含む中間成果物は甲がすべての権利を有するものとし、期間終了後は速やかにこれらすべてを納品または返却してコピーも廃棄すること
みたいなことが書いてある。
これは公序良俗に反するから無効になるんじゃねえのとも思うんだけど、でかい会社の法務ほどいろんな部署のトラブルを未然に防ぐために最大の権利譲渡を盛り込むのでこうなる。
本来はこれをベースに実情に合わせて交渉してね、と思ってるかもしれないのだが法務が作った文章なんか怖くて誰も手を入れられるわけが無い。
さらに下請けや孫請けにはまともな法務なんか無いから親会社の作った契約書を意味も分からずコピーして使いまわす。
だから「最大限」としての契約条件が良く分からないからと「最低限」から適用されている悪夢がここにあるのだ。
もちろん、大企業がそれを売るときには「貸していてその間は使ってもいいよ」というガチガチの著作使用権ライセンスを売るわけなんだけどね。
果たして大企業様以下の下請け孫請けひ孫請けの知的財産製造のサービス業はレンタルビデオを借りるような小銭で素材テープからマスターテープに至るまで全部取り上げられる仕組みになっているのだ。
それとも正統な対価の無くなった業界が死ぬと思う?
日本のソフトウェア業界を見るに死んでるんじゃないかなあと思うけどね。
まあ、そんな未来を先取りした世界もここにあるよって事で。
以下ははてなブックマークのホットエントリになっている47NEWSのリンクポリシーである。
47NEWSは原則的に「リンクフリー」です。ただし、リンクをされる場合は、次の点に留意してください。
* 公序良俗に反しないこと
* フレームの一部として表示させないこと
リンク元が「47NEWS」ではない場合は、そんなことを言われても困っちゃうよね。どういうことやねんと問い合わせ先にメールしてみた。
そうしたらば、自動応答メールがきた。どうせ「ありがとうございます、後から返事します」みたいな内容だろうと思ったら、こんなんだったのでびっくり。
あなたはこのメーリングリスト <newsmap-ml@kyodonews.jp> のメンバーではありません。
guide
と書いたメールを
宛に送ると送られてきます。
どうやらメーリングリストに参加しないといけないらしいと解釈して、指示に従った。
このメーリングリスト<newsmap-ml@kyodonews.jp>は
(ここは管理者のあなたが書いて下さい)
について議論するメーリングリストです。
subscribe あなたの名前(ここは管理者のあなたが書いて下さい)
例:
subscribe Sakura Kinomoto
“(ここは管理者のあなたが書いて下さい)”と言われても私は管理者ではない。どうしろというのだろう。よくわからないので、素直に“subscribe あなたの名前(ここは管理者のあなたが書いて下さい)”と書いて送ってみた。
あなたからのメーリングリスト登録意志を確認しました。
登録依頼はメーリングリストの管理者へフォワードされました。
少し待ってみて下さい。
--newsmap-ml@kyodonews.jp, Be Seeing You!
************************************************************
If you have any questions or problems,
please contact newsmap-ml-admin@kyodonews.jp
************************************************************
しかし登録依頼してもすぐには登録できるわけじゃなくて、管理者の承認が必要みたい。ちっ。いつになったら問い合わせができるんだろう。
# dasm 『http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B8%E6%C6%B2%B2%AC%B7%BC%BE%BC?kid=188230&mode=edit#c
早く対処してください。いつまで待たせるのですか?
本当に作業が遅くてスキルが無い、能力が無い、自意識過剰な馬鹿ばかりの会社ですね。はてなとは。
早く dasm の編集権限を返してください。被害が拡大するばかりです。まだですか?』
# dasm 『id:kyoumoe は言っていることがよくわからないので、千葉県警か愛知県警に相談してもらってください。頭がおかしい人はこれだから困る。』
# dasm 『お願いですから dasm を始末しないでください。まだ生きたいのです。
怖い!!! 死ぬ1くぁwせdrftgyふじこlp;@:「」』
# hatenadiary 『コメントに不適切な内容があったため削除しました。』
# dasm 『id:matsunaga はサリン事件という前代未聞のテロ事件の主犯・加害者の一味ですよ? なぜ公人ではないのかきちんと説明してください。
隠れオウムの横行に手を貸さないでください。治安の乱れにつながります。』
# dasm 『はてなバーガーだかケツ毛バーガーだかはどうでもいいので、早く dasm の編集権限を戻してください。まだですか?』
# dasm 『現役オウム信者に本を書かせたり殺人犯やキチガイのキーワード編集を放置するはてなはさすがです。どの会社も怖くて真似できません。懐が深くてもワキが甘すぎです。ワキガです。』
# hatenadiary 『コメントに一部不適切な内容があったため削除しました。ご了承ください。』
# kyoumoe 『昨日のコメント欄もお願いします。』
# dasm 『id:hatenadiary のコメント削除の基準が不適切です。
私は現に「始末する」と脅迫されているのですよ?
http://d.hatena.ne.jp/kyoumoe/
■[はてな]dasmくんがキレた 12:21
そろそろカタつけた方がいいのかねえ。
http://d.hatena.ne.jp/matsunaga/
kyoumoe 『あの子そろそろ始末した方がいいんじゃね?』』
# hatenadiary 『> dasm 様
ご指摘の件はメールにてご連絡させていただいております。ご覧いただけますでしょうか。
また今後本日記でのコメントにつきましては対応できない場合がございますので、メールにてご連絡いただければと思います。』
# dasm 『それは、この id:hatenadiary のコメント欄で行われたことです。
繰り返しますが、警察の証拠保全措置の前に証拠隠滅をしないでください。
警察の許可を取ってください。』
# kyoumoe 『そろそろ本当に退会処分にするなりなんなりしてくださいよ。
やられるたびに削除依頼するの大変なんですよ。』
# dasm 『> ご指摘の件はメールにてご連絡させていただいております。
「いつ」ですか? 何故重要な情報を記載しないのですか? はてなのミスです。これによって dasm にふりかかる如何なる不利益も全てはてなの責任によるものです。まず謝罪してください。』
# hatenadiary 『再度不適切な内容が含まれるコメントを削除いたしました。』
# kyoumoe 『削除するだけじゃ本質的な解決にならないですよ。』
# dasm 『繰り返しますが、証拠隠滅をしないでください。
# dasm 『id:hatenadiary のコメント削除の基準が不適切です。
私は現に「始末する」と脅迫されているのですよ?
http://d.hatena.ne.jp/kyoumoe/
■[はてな]dasmくんがキレた 12:21
そろそろカタつけた方がいいのかねえ。
http://d.hatena.ne.jp/matsunaga/
kyoumoe 『あの子そろそろ始末した方がいいんじゃね?』』
# hatenadiary 『> dasm 様
ご指摘の件はメールにてご連絡させていただいております。ご覧いただけますでしょうか。
また今後本日記でのコメントにつきましては対応できない場合がございますので、メールにてご連絡いただければと思います。』
# dasm 『# kyoumoe 『君の命なんか何の役にも立たないからいりませんよ。
きちっとした場所できちっとした人に解決してもらった方が早いような気がするんだけど。』
警察の証拠保全措置の前に証拠隠滅しないでください。id:kyoumoe (A藤M生) は dasm を脅迫しました。命の危険を感じました。』
# dasm 『それは、この id:hatenadiary のコメント欄で行われたことです。
繰り返しますが、警察の証拠保全措置の前に証拠隠滅をしないでください。
警察の許可を取ってください。』
# dasm 『> ご指摘の件はメールにてご連絡させていただいております。
連絡されていませんでした。キーワード編集権限が説明無しに不当な圧力によって奪われています。重大な権利侵害です。直ちに謝罪してください。まだですか?』
http://www.hatena.ne.jp/rule/rule
第6条(禁止事項)