はてなキーワード: シンクロニシティとは
素敵な夢を見た。
最初、自分は廃屋に囚われていて、錆びた鋸とかチェーンソーとかいろいろ廃退的なものを使って脱出するんだけど、
そこは薄暗い森の中にある集落で、自分が逃げ出した廃屋と似たような建物がそこかしこに建っていて、ところどころ、内部から音がしている。
自分と同じように逃げようとしている音なんだろうなって想像しながら、それでも助けることはせず、取り敢えず薄暗い山道を下っていくのだけれど、
道中何人か自転車かバイクかわからないけど、乗り物に乗った人が廃屋のあった方へと向かっていくんだよね。
誰かに連れられてってわけでもなかったから、きっと自由意志に則って向かっているんだと思う。物好きもいるものだよね。
たぶん、捕まってる人を助けようとなんてしないはずなのにさ。進んで囚われに行くのだものさ。
まあ自分はというと、そんな人たちとすれ違いながら、山道を下って行くんだ。
唐突に視界が開けると同時に、大きな山の姿が目に飛び込んできた。朝霧なのかわからないけれど、霞がかっていて、頂付近は太陽に照らされてた。
山道の入り口に、大きな家があって、その家の犬小屋に怯えた様子の女の子が隠れていた。
不憫だなあって思いながらも、取り敢えずは気分が良かったからまた道を歩いて行こうと思ったわけだ。
そこで目覚めた。そしたら多少なりとも気分が良かった。ここ数日にしてみたら珍しいことだったので、嬉しかった。同時に、夢の内容とシンクロニシティしているから面白かった。
それだけ。
彼女とのことを詳細に記すことは難しい。
今はそれだけにとどめておこう。
彼のことを記すのはもっともっと難しいだろう。
理解できない。僕自身の過去と同じ過ちを犯しているからこそ、殴り倒してやりたい気持ちはあるのだが、そもそも何故そういう行動に出るのか分からないことが多々ある。
といっても、伝聞の限りだけれど。
彼女が悩みを抱えていた原因ではあるけれど、皮肉なことに、その悩みが僕と彼女を結びつけたのだ。
少なくとも、悪く言わないようにはしていたつもり。
ただ、僕は彼と仲良くはできないだろうなぁ、とも思っていた。
それは今のような関係のせいと言うよりも、人格的な相性の問題だと思う。
実は、僕は彼の名前を知らない。
わざと聞かないようにしていた。
調べようと思ったら、どこまででも調べてしまえるから、絶対に僕には言わないようにと彼女にお願いしていた。
それでよかったのだと思う。知ってしまっていたら、僕は今頃どうなっていたか分からない、かもしれない。たぶん。
僕と何もかもそっくりな彼女。僕と何もかも正反対な彼。僕は彼の詳細を聞き、彼は僕の存在だけを知っている。
非対称だ。
元増田だけど、いまさら気付いたよ。
書いてから10日も経ってるのにtamtam3のブコメと同じ日付で同じ趣旨だね、同一人物じゃないとしたら大したシンクロニシティだ。
残念ながら全く違うよ。
ていうか粘着もしてないし、晒しもしてないことからそういうのじゃないって分からないものかね。
「申し訳ありませんが絵描きさん以外の申請はお断りさせていただきます」 って「描けない奴は来るな」じゃなくて「絵を描く努力も苦労も楽しみも知らない知ろうとしない奴は来るな」ってこと
こういう趣旨の発言に怒りを感じただけで、なんで依頼してとかそういう妄想になるの?
「申し訳ありませんが絵描きさん以外の申請はお断りさせていただきます」自体に切れたんじゃないよ?それを叩いてるんじゃないよ?
>「絵を描く努力も苦労も楽しみも知らない知ろうとしない奴は来るな」ってこと
こういう物言いに一方的に腹がたっただけだよ。
そもそも拒否されたとかそういうわけでもないって書いてあるじゃん。絵師とほぼ交流ないし、即売会でスケブすら頼んだことないよ。
それともあんた(ら)にとって絵師叩きは依頼を断ったら逆切れする人間がやるもんだと解釈しないとやっていけないのか?
「依頼を断られたのか?」という予想それ自体はまだしも、特にtamtam3のブコメの方の後半は反論に全くなっていないし、俺の論への批判として全く成り立っていないわけだが。
ていうか、もしあんた(ら)の考えるような理由でキレてるならもっと違うこと書いてるから。そういう想像もできないのかね。
それこそ晒しもするだろうし、そいつらの粘着もしまくってるだろうよ。
逆だ、俺の方が嫌になって、もともと一方的にお気に入り登録してたのを解除しただけで、もうそいつらの絵は見てない。
ちゃんと俺は本文でも補足のトラバでも自分の意見を書いてるし、それを読んだら流石にこういう妄想には至らないはずなのに、全く読まずにタイトルだけ読んで妄想したのか?って思いたくなるくらい酷い妄想だな。
それちょっとズレてないか?
つまりその時代の話なんだよ。
何も戦前まで遡っているわけでもない。当時の彼らの周りでは、
音楽に青春を仮託していた人が大多数を占めていた、それだけの話。
もし彼らの周り”だけ”小説にそれを仮託していたのならば、小説の話になってたんじゃないかな。
確かに自分を含めて、大多数が音楽に青春を仮託していた時代があると思う。
僕より一回り以上上のおじさん達なんか正に、フォークソングにどっぷりつかっちゃったりとか、
ヒッピーだの学生運動だの、それぞれがモヤモヤっとした下半身の思いを、
その時代の潮流に乗って仮託していたのだと思う。
流行に乗るってのは全然悪い事じゃなくて、むしろシンクロニシティとかナノかなぁとか思っちゃうんだけど。
ただその時代毎に台頭してくる、仮託する為のツールってのは違うのよ。
例えば今だと、それこそ分岐してきてるよね。インターネットで随分分れちゃった。
ある人達はSNSにハマって、ある人達はニコニコにハマって…。ある人達は音楽だし、またコミケでもあるし。
そういうわけで今は恵まれている時代なんじゃないのかな。
じゃあ戦前の若者は何に青春を仮託していたのかって話になると、
僕は戦前の人の生活なんて殆ど知らないので何とも言えないけど、
ある人は小説だったのかもしれないね。
いや、あれはかなり危ない。多分弁当さんは確率論のことがろくにわかってないと思う。全体として、無難な言葉を使って書こうとすれば書けるはずなんだけど(そうすると単なる面白くもないオッサンの説教になるんだけど)、危ない言葉をかなり使って書いてしまっているね。逆に、どうしてそういう危ない言葉を使わないといけないのか、そこが問題だ。
あと、シンクロニシティってユングだろう。あれが「哲学」かあ?ユングってそもそもかなりオカルトなのであって、「文学的表現」でなければちょっと許容できないようなもんだぜ。
それにあんたひどいわ。まともに読み取れてないって書いただけでトンデモ認定されるんですか。
落ち着け。俺が書いたのは
批判されると「まともに読み取れてない」って逃げるのはトンデモの特徴でもあるけどね。
だ。「でもある」だ。要するに「まともに読み取れてない」と言うだけでは反論としては説得力ないから具体例を出せ、ということだ。
例は出したよ。たとえば弁当爺のシンクロニシティ話。あれ、はてブで誤解してるのがいるのもそれだろう、ようするに。
それにあんたひどいわ。まともに読み取れてないって書いただけでトンデモ認定されるんですか。その決めつけのどこが科学的な態度なの? そういう態度こそ、エセ科学がやりそうな手口じゃないか。だいたい、まともに読み取れてないってそれ反論を意図してるんじゃないし。そのトンデモ認定の決めつけで議論を有利に運べると思ったら大間違いだ。
でなくて、自然科学はあなたが思ってるほど立派でないし限界はあるじゃないかと。分かってるつもりかもしれないけど、分かってない人、結構いそうだよ。
と、そういう一見ごもっともそうな(しかし誰でもいえる)一般論を言っておきながら、思い切りその「限界」の範囲内で話を始める連中が大勢いるから批判されてるわけなんだが。はてなだとどっちかというと「似非科学批判批判」(笑)ではなく反経済学的な方に行くんだけどね。「全体最適はナチ」(爆笑)とか。
話が逸れたが、「シンクロニシティ」とかそういう文学的表現を文学的表現とわかった上で使うのはそりゃ勝手だよ。でも、もしそれが「文学的表現」の領域を踏み越えたらそりゃ叩かれて当然だぜ?例の「日本語が亡びるとき」と同じ話で、あれも「私小説」なら「それなりに面白い本」と言ってもらえるものを、言語論であり教育論であるとか言ってしまうからトンデモ扱いされてしまうんだよ。そういうことだ。
新宿の本屋で『御緩漫玉日記』の3巻を買った帰り、地下鉄でとなりにすわった女の子が『アク・アク(上)』という文庫本を読んでいるのがちらっと目に入った。
まったく知らないタイトルで、なんだか妙に気になったので、その場でググって調べた(「気持ち悪い」とつっこまれそうなので先にフォローしておくけど、25年間生きてきて、こんなぷちストーカー染みたことしたの初めてです)。
で、さっき帰宅して『御緩漫玉日記』を開いたら、玉吉先生が「で、トール・ヘイエルダールって誰だっけ?」と描いてらっしゃる。ドびっくり。
あの女の子はこれを読んで『アク・アク』を手にとったのかなあ。いやまさかそんな。とにかく驚いた。こんなことってあるもんなんだねえ。
どうでもいい追記。