はてなキーワード: グローバル化とは
横だけど。
悲観している態度が正解、ってのに俺も賛成。
そのおかげで、それが是正されて、他の国給料は徐々に向上し、日本の給料は徐々に低下している。貧富の差が広がったのではなくて、貧富の差が無くなってるだけじゃん。日本人は富裕層だからねw世界的に見れば。
「これまで先進国だった日本のような国は、賃金水準は落ち、雇用は減り、全体として生活水準が落ちていく」
ということだろ。グローバル化が止められない以上避けようがないし、誰が悪いわけでもないが、日本のマーケットが縮むのは避けようが無い、っていう悲観が正解じゃないかと。
「現実をちゃんと認めたら、対策の打ちようが無いことが判った」というのは別にいいけど、「対策の打ちようが無い」ことと「だからそこで満足する」のは別問題だよね・・・
悪化していくのに満足しろ、っていうのは無茶な精神論にしか聞こえない。
楽天が英語を公用語化する、という話を聞いて、都内の超高層化を思い出した。
三木谷氏は「日本人を覚醒させるキッカケとして、英語を公用語化する」と
発言しているようだが、
「覚醒なんかしたくない、背伸びしてグローバル化したくない」が
で、なぜここで超高層化が出てくるのかというと、
「東京を国際金融都市にするために、土地利用をもっと超高層化すべし」という意見が、
グローバル化論者からしばし飛び出しているからである。
ソフトバンクの孫氏も
東京が高層化されていない田舎町に見える」旨の発言をしている。
「実際に住んでいる住民」側は、そのような意識は極めて希薄である。
要は、麻布十番の散髪屋のオヤジとか、神保町の喫茶店のオヤジは、
「東京に、多少無理してでも国際都市になって欲しい」と思っているか、と言えば、
答えは「ノー」である。
その証拠に、こういう住民の声がもっともリーチしやすい
「高層化なんかさせたくない。絶対高さ制限で高層化を阻止してやる」として、
東京都の方針に反して「絶対高さ制限の導入」に動いているからである。
最近日経の地方版とかに「都市計画権限を巡って、東京都と特別区が綱引きしている」という
記事が載っていたりするが、その背後には
「背伸びしてグローバル化・高層化させたい都」と「背伸びしたくない特別区」の
対立がある。
実際、3,500万人首都圏住民の中で、
「せいぜい35万人、1%程度」じゃないのか?
残りの「3,465万人は、非グローバルな仕事なので、グローバル化のために背伸びしたくない」のが
本音じゃないか?
まさに「英語をビジネスで使っているのが、せいぜい日本勤労者の中で1%程度」
というのと相似である。
「グローバル都市競争的な仕事にタッチしているのが10%程度いて、
その波及効果を考えると、彼らの望む政策を進めるのが最合理的」であるが、
東京は「グローバル都市競争のためのスペシャル都市に特化するには、
あまりにも巨大化し過ぎていて、「ジェネラル都市」である」。
戦略的
社会実験だと思って見守ることにするしかないが、英語コミュニケーション能力の不足がグローバル化の障害になっているとの認識が広まっているようだ。
しかし2012年とはけっこうショック療法だなと思う。
ついていけない社員がでてきそうだ。
個人的には、英語を含めた語学的なスキルは業務上不可欠な能力なので、もっともっとスキルアップしていきたいし、実際、海外部門に移ってからここ4年間でずいぶん能力が向上したと思う。とはいえ依然として会議をファシリテートしろといわれれば、あたふたしてしまうレベルであり、電話の対応など冷や汗をかいてしまう。NHKワールドやCCTVといったノンネイティブな英語はほぼ理解できるものの、BBCやCNNニュースなどはいいとこ理解半分くらいじゃないかなぁ。情けないとは思うけど。
Writingもときおり報告書やメール文面の添削をしてもらうが、かなりひどい。いまだに冠詞に慣れない。TOEIC800点前半をうろうろしている人間の能力レベルはこんなものだ。
http://anond.hatelabo.jp/20100621194920
Firstly let me congratulate your acquisition of a PhD. You have done something that most of us never can.
Considering how successful you are in academia, I believe some people were jealous and picked on your Japanese accents and unsociable sides. I can't blame them, however, to think how daring your feat seemed to them. Let alone receiving a PhD, a good number of us can't even hope to receive a bachelor's degree, not even in our dreams.
And doing so in a foreign country? In a foreign language? That's beyond our imagination.
You have climbed a peak that many others have failed.
If you are still unsure about your sense of humor and accents, maybe you should spend some time traveling and having fun: Normally dry sober days of studying does not improve your communication skills much.
Just have some fun with friends and you will pick up their accents eventually. The rest will be easy.
現実問題として語学の習得に掛かる時間は相当なものでしょうね。
大体人間が普段使う単語数は25k前後と聞きましたが、教養のある人はこれが40K以上になる筈です。一単語につき意味は一つではありませんから、一つの言語の完璧な習得に必要な時間は、莫大なものとなります。
私の体感では、才能のない人が大人成ってから始めれば、フルタイムで8年から12年でしょうか(音楽なんかやってる人は早いみたいですよ。あと話し好きの方)?
英語は確かに必要なんですが、習得に必要とされるリソースの量に対して、リターンが微妙なのは事実です。私は勉強しなかった方ですが、それでも「今まで英語に使ったリソースを全て他の分野に投資出来ていたら、人生ここまで酷く成ってないかなぁ~」と思うことは多々有ります。
一部の人達の間に英語学習を万能薬のように扱う傾向があるようですが、現実に十分な量のリソースを学習に使えない(金銭的、時間的、環境的、或いは精神的理由から)私達の様な人間にとって「英語は勉強しても(自分の英語力が)リターンが発生する閾値に到達しないので、時間とお金の無駄」なんですよね・・・。
子供は6歳前後から[b]ある一定以上の時間、品質の良い英語教育[/b]を施せば、おそらくは違和感なくバイリンガルになるでしょうが、現実には費用と人材の欠如が深刻で、日本でその様な教育を受けられる子供は殆どいません。またそのような教育制度の導入に必要な金額、現在教職についておられる方々の抵抗を考えるに、公立の学校でのサービスの提供は不可能でしょう。
グローバル化に適応するためには英語は確かに絶対必要なんですが、「明らかに習得が(諸々の事情から)出来ないであろう人達に英語学習を勧めるのは国の長期戦略としては正しくでも、短期的には彼らをWORKING POOR ならぬ LEARNING TO BE POORしてしまう可能性は十分あるので、もっと英語学習を勧めるだけではなく、リスクの説明がなされるべきなのかもしれません。
http://anond.hatelabo.jp/20100620143255
主観的な意見だけど、TOEIC600-700位ってのは通じる英語の最低レベルだと思うのですよ。
意志決定レベルの人たちがそのレベルにすら到達していないという現状が存在していることを問題にすべきなんじゃないかなーと。
で、ここ数日来の、「日本人は英語ができるようにならんとグローバル化を生き残れない!」という論調はその当たりの事をついているんじゃないのかなー、と思うんです。
私の知人、とある国のプロジェクトに行っているんだけど、良く嘆いているのは、
「日本人の通訳がいないと何も出来ない奴らばっかり。それも所謂『偉い人』に。」
ということです。
何かをExpressionしたくても、
というプロセスを踏んでしまうので、
・人を余計に雇わなくちゃいけないので、全体的なコスト競争力の低下
に陥って、勝負にならない、とのこと。
本人→現地人通訳→相手
となって、随分スマートになるんだけど、こないだ日本に帰ってきたときも嘆いていました。
だから、元増田さんの、
しかし、英語の世界において、言葉を武器に戦うためには、「通じる英語」では全然足りないのである。その意味では、 TOEIC600と900の違いは誤差でしかない。結局勝負を分けるのは「どれだけ優秀なネイティブの参謀を捕まえられるか」なのだ。
というのは確かにそうだと思います。
でも、だからこそ、意志決定レベルの人には、最低限「通じる英語」ぐらいの能力は持っててもらわないと、なのだと思います。
「通じる英語」すら使えないのでは、優秀なネイティブの参謀を捕まえる事なんてとても出来ないのだと思うのですよ。
それが、楽天が「英語使えない役員は馘首する」という話につながっているんだと思うんです。
日本以外の外国って、何も英語がネイティブの所ばかりじゃないですよ?
これからのビジネスチャンスは、むしろ英語の国じゃないところにあるんじゃないでしょうか?
テレビやネットの情報を鵜呑みにして行っているだけで、本当の最前線を見ている訳じゃないですけど、楽天はインドネシアに行くようですし、ひととき前はアフリカの話が随分注目されていましたよね?
外国語をネイティブレベルに扱えるようになるのは、努力だけではない何かが必要なのはわかります。
それに、「通じる英語」レベルの日本人を参謀におくというのは、戦うのに無駄が多すぎます。
だからこそ、ネイティブの参謀が重要になってくるわけですよね?
その参謀を捕まえるにはどうしたらいいのでしょう?やっぱり「通じるレベルの英語」が必要なんじゃないでしょうか?
最も、アフリカなんかだと、現地人側にも「通じるレベルの英語」を出来る人が少なくて、違った苦労がおありだ、とも聞きました。
それにしたって、「通じるレベルの日本語」を話すネイティブよりも、「通じるレベルの英語」を話すネイティブを見つける方がよほど簡単です。
だから、グローバル化を生き残ろうとするのならば、どんな職域であれ、最低限「通じるレベルの英語」が必要なのではないのかな、と思うわけです。
俺は英語学習オタクだ。これまでの人生の中で大量の時間を英語学習に費やしてきた。中学校から始めて、日本にいてできる英語学習法は殆ど試したと思う。高校時代には学習参考書や問題集を二百冊以上終わらせた。ネイティブの個人家庭教師がついていて、さらにマンツーマンの英会話スクールにも通った。大学は迷わず英語学科を選んだ。大学在学中にTOEFLのスコアは640を超えた(厳密には覚えていないが、目標が640でそれを超えたのは間違いない)。
大学を卒業後、アメリカの大学院の博士課程に留学した。ここでも俺の英語は「通用した」。授業に問題なくついて行き、ディスカッションにも十分に参加できる。タームペーパーや授業でのプレゼンの評価はAかA+。学会での口頭発表もすんなりとこなすことができた。
しかし、留学中のいくつかの出来事が、俺の「自分の英語力」に関する認識を変える。
ひとつめ。在学中に指導教官(英語ネイティブ)と共著で論文を書くことになった。俺が最初のドラフトを書き、指導教官がそれをチェックするという形で、共著と言っても実質俺の論文みたいなものだ。しかし、ドラフトを書き上げ、指導教官に送って、それが戻って来たのを見て愕然とした。ほぼ全文、誇張じゃなくほぼ全文に渡って英語表現が訂正されているのだ。論文の主張や論の構成はそのまま、しかし英語の表現は徹底的に変えられているのである。そして、元々俺が書いたドラフトと、指導教官による修正版を並べて見れば、その差は歴然としていた。俺のドラフトの英語表現は拙く、いかにもネイティブじゃない人間が書いたのがはっきりと分かるようなものだった。
ふたつめ。TA(ティーチングアシスタント)としての仕事の一貫として、学部生相手の授業を何コマか受け持つようになった。授業自体は問題なく進んでいた。しかし、学期末の学生による授業評価がかなりきつかった。学生は皆「あいつの英語はおかしい」「アクセントが強くて聴いているのが疲れる」「表現が稚拙で繰り返しが多すぎる」といった不満を述べてきた。「頑張ってるのは分かるけど、英語があれでは尊敬できない」とも書かれた。
ある学問領域における学生の仕事としては、言っていることの内容が通じればそれでよい。評価はその内容の質に基づいて下される。しかし、実は世の中には、「同じ内容をどのように伝えるか」が遥かに重要になる文脈の方が多いのだ。そして、「通じる英語」と、「上手に伝える英語」の間には、ものすごく深くて広い河がある。そこそこ英語のできる日本人、TOEIC900+ぐらいでちょっとした留学経験のある人には、往々にしてこの認識が欠けている。
その後俺はPh.D.を取得し、日本に帰ってきて大学に就職し、今でも仕事の中で日常的に英語を用いている。しかし、自分の英語力は、ネイティブの言語能力には遠く遠く及ばないものだという認識がある。「通じる英語」は問題なく使いこなせる。自分の学問分野においては、俺は英語で実績を上げていて、俺の名前は国際的に認知されている。しかし自分には、英語を用いて「言葉の力」を利用するのは難しい。例えば人を説得したり、納得させたり、なだめすかしたり、楽しませたり。そしてそれは、俺の努力が足りないせいでも、ましてや日本の英語教育が悪いせいでもない。第二言語として英語を学ぶ日本人の限界なのだ。(というか、ネイティブですら、話下手や説明下手は山のようにいるのだから、第二言語学習者については何をかいわんやである)
「言葉の力」は人間が関わるあらゆる局面で重要な役割を果たす。例えばスティーブ・ジョブズの経営者としてのカリスマを支えているのは、まぎれもなく彼の言葉の力だ。しかし仮にジョブズと同レベルの才能を持つ日本人経営者がいたとして、英語を用いてその才能をジョブズ並に発揮するのはまず不可能だ。ジョブズが英語でやってるのと同レベルの仕事を日本語ではできないのと同じように。
「通じる英語」を身に付けたばかりの日本人は、しばしば全能感に浸って事の本質を見誤る。得意げに日本の英語教育にモノ申してみたり、「英語ができない日本人」を問題視する発言をしてみたりする。しかし、英語の世界において、言葉を武器に戦うためには、「通じる英語」では全然足りないのである。その意味では、TOEIC600と900の違いは誤差でしかない。結局勝負を分けるのは「どれだけ優秀なネイティブの参謀を捕まえられるか」なのだ。
...いや、何だろうね、どうも最近の「日本人は英語ができるようにならんとグローバル化を生き残れない!」って風潮にイラっとくるものがあったので書いてみた。俺に言わせれば、「日本人は英語ができないことを前提にして、それを補うシステムを設計しないと生き残れない」ということになるね。英語以外の言語についてはごく自然にそういうスタンスを取るのに、何故か英語についてだけは個人の努力に責任を負わせようとする傾向があるんだよね。俺はそれは間違いだし、無い物ねだりだし、中途半端に英語ができる人間の勘違いを助長して結果として不利益を生むだけだと思っている。
長文失礼
元増田の文を纏めたものと、それに対しての意見を書かせてもらう。
結論を先にいうと、一回の文章で色々話したいことがたくさんあるのはわかるが
増田にはそんな文章力無いから、要点をひとつに纏めて考えて書け。
以下詳細。
元増田まとめ・・・間違ってたら言ってね。
って言ってるにも関わらず現状の話はすっとばして、自身の感想のみ。
終身雇用が前提とはいえ、あくまで建前だから安泰ではないよね。
だからビクビクして暮らしちゃうしかないのかな。
4段落目・・・僕が働く理由
お金稼ぐため、だから食いっぱぐれないように、
なんかよくわかんないけど、なんか付加価値つけたいんだ。
自己分析して、伸ばせそうな能力は伸ばせるよう試してみたいと思ってる。
で、一通り試したら振り返りを行って次に繋げたい。
6段落目・・・具体例1:ぼくは話下手
今まで人と話す際、物事を理解した上で議論する経験が少なく。
人生なぁなぁですごしてきたため、語彙もすくない。
そのため、相手にうまく話を伝えることが難しい。
6センテンス目の具体例を受けて、ぼくは日記を書くことにした。
とりあえずここから始めたい。
これからの付加価値について=コミュニケーション能力だ!
締め
やっぱり文章を相手に伝えるのって大変ですね。
---
そりゃあ、この文章じゃわからんよ。
そのために何ができるか。というのを書こうとしたと思われる。
そうなると、この文章に2段落目、3段落目セットであろうこの文章は不要。
働く場所は、日本だけじゃない。グローバル化が進んだからこそ選択肢もある。
また、地方中小を例に上げた事も意図不明だが内定という椅子取りゲームに勝っても
結局その椅子がいつとられるか怯えなければいけないのは、どの企業であるだろう。
だから、何?って話。
で、4段落目と5段落目は話がバッチリつながってるから纏めて要約しなさいな。
ここで自己分析して伸ばせる能力や、社会的に必要と思われている能力を云々って
書いているのだから、まずは自分が思い描いてる社会的に必要とされている人物像
(実在、不在でも構わない)を思い描き、その人物が有してる能力を想像してみたらいい。
ただし、その時にコミュニケーション能力なんてアバウトなもので一括りにしないように。
細かく、考えて書きだせばいいと思う。
次に、上記で書き出した件について習得するには
どのような方法が考えられるかを思いつく限り書き出す。
これを繰り返し、挨拶だけはしっかりできる、字が綺麗、
相手の話に真剣に耳を傾ける(フリでもいい)・・・など色々挙げられると思うが
まずはできることから始めると良いとおもうよ。
で、具体的に6、7段落目で出ていた話を用いると
元増田は、話下手。
じゃあ、話上手になりたい。まずは話し上手ってどんな人の事を指すのか、
話し上手な人に挙げられる条件を書き出す。
・相手を不安がらせない話し方ができる。
・相手の現在置かれている状況を考慮して話をする ・・・などなど
じゃあ、相手にとってわかりやすい言葉、言い回し、語順で話すには・・・
・まずは言葉を覚える。ただし難しい言葉をそのまま覚えてはいけない。
噛み砕いて簡単に説明できるようにする。
・言い回しを学ぶ・・・本を読む、ブログをよむ、ニュースを読む
・最後に溜め込んだ情報を実際に使う・・・会話する
・・・などなど
ニュースやブログを書くこともひとつの手だが、機転を利かす機会が少ない。
そのため、実践は会話で行った方が有効と思われる。
で、この元増田の文章なんだけど、
しっかり語るなら、2,3段目でひとまとめ、4,5段目でひとまとめ
6,7段目でひとまとめにして、それぞれ独立させて文章を書くべきだと思う。
会話でもそうだけど、多くのテーマを全部一箇所に纏めて話そうとしても
それぞれの密度が薄くなってしまって結局相手の心に何も残らないことがある。
まあ、要するに増田にはそんなに文章力無いから、要点をひとつに纏めて考えて書け。
って、こった。
以上。
駅弁大学の信金内々定もらっている者。就活を終えたわけではないけど内々定をもらってるとこの返事の期限が近いので、振り返りがてら自分が今後どうすべきか考えをまとめる。
まず日本の現状から。日本経済が停滞して20年、毎年首相が変わるなど政治がリーダーシップをとって国を導く見込みはないので、今後も低迷は続くだろう。海外に目を向けると中国やインドがめざましい発展を遂げていて、次はベトナムやタイがくるのではと言われている。こうした背景から将来グローバル化、ITによる国を超えた繋がりが緊密になり続けている世界で、日本の競争力が相対的に低くなるのは確実だ。
就活でわかったけど、地方の中小企業はいまも建前上は終身雇用が前提となっているので、就活っていうのは退職者によって空いた席を奪い合う現象。崩れゆく国の社会に生まれる限りある新たな席を奪い合っているのが就活。いくら建前で終身雇用を目指していても、現実に目を向けるとその競争に勝ったところで将来が保証されたわけではない。何故なら倒産もあり得るし、その席は雇用規制によって守られているだけなので企業が本当に耐えられなくなりリストラに向かう、あるいは国が規制を外したらすぐになくなる。そんなことを考えたら、自分で変化を起こせるほどの「チカラ・情熱」のある人以外の現実は就活で内定を得ても、いつ職を失うかビクビクしながら働くしかないのだ。
ところで、ぼくにとって就職っていうのはあくまで収入を得る手段のひとつであって、他に収入を得る手段があるなら必要ない。やりがいなんかはボランティアでも満たせる。最低限生きていく上で大切なのは収入を得る手段があるということ。その能力があるということ。やっぱり「チカラ・情熱」がないと何もできないんだ。ぼくは頭がいい方ではないから、よく考えないといけない。そして人に負けない社会にとっての価値を生み出せる能力を身につけたい。
具体的にどんな方法か見つかっていないけど、ここまではわかっている。そんな風に考えてる。
具体的にどんな方法で能力を身につけるか見当を付けていることを書く。やるべきは自分の内面を見つめ周りからの評価を参考に自分の適性と志向性から、鍛える能力に見当をつけて具体的なアクションプランを作り行動する。試し続ける。自分のできること、できないこと。やれること、やれないこと。社会で必要とされていること、必要とされていないこと。明確にわかれば誰も苦労しないけど、キチンと考えを積み上げて言語化できるくらい明確に把握する。そして試した結果を振り返る。反省を通して次に活かす。
たとえば、僕は自分にできないことと社会での必要性に焦点を当てて、まず言語化能力で発展的に会話力を鍛えたいと考えている。
僕は自分の考えを相手にうまく伝えることが出来ない。それは考えを詰めることなく曖昧にごまかしてきたために厳密に言葉を使う必要がなかった、というよりもあえて曖昧に言葉を使って相手の都合のいいように解釈できるように仕組み、相手の反応に合わせることで本当に理解できてなくても自分が理解できているように振舞っていたから。賢い人にはバレバレだったと思うけど、僕はそうやって無知な自分を隠し誤魔化せるとおもっていた。その結果、気づいたら汎用性の高い簡単な言葉しか身につかず、微妙なニュアンスの違いを伝える形容詞や動詞は漠然と理解できるだけ。文法もままならず、ボキャブラリーも貧弱。当然自分で使うには至らず自分の想い・考えを伝えようとしても、文章をうまく組み立てることができない。
だからアクションプランとして日記を始めた。この場も、そうした文章能力を鍛えるための訓練の場だ。ぼくは社会人にとって大切な能力はコミュニケーション能力だと考えている。言語化能力や会話力はコミュニケーションの基礎だ。この先どうなるかわからない。でも今のぼくにできるのはこれだと思っている。
やっぱり考えを文章に起こすのは大変だ。相手にどれだけ伝わるのかもわからない。
どっちみち、経済のグローバル化によって、あと10年から20年は、年収30万の国と、年収300万の国の格差がなくなるまで、年収300万の国はデフレ進行していくよ。
デフレが続いてるのは日本だけ。先進国と途上国の実質賃金の格差縮小が起こるからといって名目価格が下がるとはいえない。実際に起こるのは為替レートと購買力平価の格差縮小だろう。
そもそも、消費を勘違いしないか?
海外にモノを売る>国内にお金が入る>国内でお金を使う>国内のサービスがうるおう
っていうのが、いままでの好景気の流れで
海外にモノが売れなくなった>国内にお金が入らない>国内でお金が使われない>国内のサービスがうるおわない。
っていうのが今の不況。
そもそも消費が加速すればいいだけだったら、大規模公共事業で大量に消費すれば景気が上がるはずだが、そんな事にはなってない。
それがBIになったところで、土建業が食品業と衣類にうつるだけで、大差はないよ。
どっちみち、経済のグローバル化によって、あと10年から20年は、年収30万の国と、年収300万の国の格差がなくなるまで、年収300万の国はデフレ進行していくよ。
BIには、景気対策ではなく、失業対策とリストラの促進を求めた方が良くて、そして、そういった社会インフラが整備されて
初めて、実力のある会社が伸びて行って、実業が伴って、国が豊かになるというのが本筋。
元増田です。
グローバル化して、全体が少しだけ豊かになって、その代わりに街を外人が覆い尽くして、
少しビクビクしながら暮らすのって本当にいいことなのかなあ
繁華街はそらそうだろ。
住宅街もあるし、高級住宅街wや旧家の家が多いところもあるし、でかい公園なんかもいろいろあるし、
ごっちゃに色いろあるよ東京は。
個人的には、新宿よりも渋谷が笑う。うらが松濤で政治家・芸能人・資産家達の巣窟で、私設警備員とかwチョーウケルー感じwww
普段でも警察の巡回が多い、でもすこしあるくと渋谷の駅前で、若者がタムロしてる。もちろん黒人さんとか外国人さんとか
あの、ラインの混沌ぶりはわらう。
まぁ、そんな感じで、東京も地区によっていろいろあるよ。
少し高い店なら、基本 日本人だな。
そういえば、わらったのは、六本木で飯食うときに、おねーさんに、挨拶したら
Hi って聞こえたらしく、以後英語で話しかけられたな
あ、話がそれた。いろいろあるけど、いんじゃね?子ども手当の外国人給付はどうみても、人気取りのナンセンスだけど
グローバル化するのはいいことだよ。
農業はもともと諸外国は異常に安く、国内は異常に高い(そして関税というか税法処理が入ってる)状況なので、円安になっても輸出有利にはならないし、物価高にはなる。
農業の場合は輸出有利というより輸入品との競合で有利という面が大きい。輸入品のほうが安くても国産品のほうがいいという人が多いから多少高くても大丈夫だろうが、値段差が小さいほうが国産品のほうが買われやすくなるということに変わりはない。
債務の額が小さいだけで、債務を抱えていないわけじゃないし、電力会社や国鉄の株主の多くが海外ファンドというのでわかるように、債務だけではなく、株主や預金主というファクターが外資。
外資が持っていようが、基本的に円建てなので円で返すという契約。通貨危機の国のように外貨で返すという契約が不履行になるのと、契約は履行されるが、円の価値が下がってるという場合では意味が全然違う。
これが、投資上あたりまえのリスクとして下落したのなら誰も起こらないし、インフレとして当然言われている10%程度の上昇率・希釈率なら誰も起こらない。
英米とかの他の先進国では数倍に希釈したが別に二桁以上のインフレにもなってないし、投資家が怒ってるわけでもない。
借金、じゃなくて、投資の話と、国内の投資比率における海外の投資比率の問題な。円安に無れば、同じ額でもいっぱいもらえたことになるが、そもそも、投資が減っている、日本は魅力的な投資先ではないといわれかけている、今それをやるか?という事。
円安なら海外から見て安値で買えるようになるので海外からの投資はすすみやすい。実際外国人投資家が増えてたのも数年前までの円安の時。通貨が高く評価されすぎてて投資が減ってるからこそ値段を下げて調節する必要があるという事。
談合あったんじゃん。是正された?あんだけ、ダム削減叫ばれる名かで、一定の政治家のダムはのうのうと工事が進んでいるというのが公に周知されても何も起こらない状況で談合がなくなっている。というのは無理がある。
談合が皆無になってるといってるわけではなくて、談合万歳みたいに談合を肯定する風潮はないということ。何もおこらないなんてことはなくてダムが中止されたりゼネコンが摘発されたりしてるし、世論も批判的。警察が取り締まったり多くの国民が悪いこととみなしてても一部で殺人が起こってるから日本は殺人万歳の社会というのは変だろう?
派遣会社の派遣先からの取り分は、日本は40%な、つまり40%中抜きされている。ヨーロッパなんかは10%な? そんだけ抜いていて、赤字というのは、利益構造が悪いんじゃなくて、会社の体質の問題。
会社の体質に問題があるとしても派遣業界の多くの会社が低利益か赤字なんだから、欧米はどうであれ日本では儲かるビジネスと言えないという点に変わりはない。
この先、円安ではどうにもならない規模の経済のグローバル化による物価安がやってくるが、その時にインフレだと、どうにもならなくなる。
経済のグローバル化は前から進んでるが日本以外の国はほとんどインフレを続けてるわけでインフレだとどうにもならなくなるとは言えない。
輸出・輸出と言うが、今の家電・車の輸出は海外勢におされて、為替以前に競争力が厳しい。今は、ヒュンダイ・サムスンの時代で、これに円安だけで戦うのはどうか?
農業はもともと諸外国は異常に安く、国内は異常に高い(そして関税というか税法処理が入ってる)状況なので、円安になっても輸出有利にはならないし、物価高にはなる。
円安の影響が出るには、国産の物価高を超えるくらい、海外製品が割高になる必要があるが、原材料高を受けて、国産品も値上がりするし、その格差が是正されるくらい円安になったとすると
債務の額が小さいだけで、債務を抱えていないわけじゃないし、電力会社や国鉄の株主の多くが海外ファンドというのでわかるように、債務だけではなく、株主や預金主というファクターが外資。
これが、投資上あたりまえのリスクとして下落したのなら誰も起こらないし、インフレとして当然言われている10%程度の上昇率・希釈率なら誰も起こらない。
ただし、金銭価値を下落させるもくてきで、はなから大量のインフレを起こした場合は、投資先として不適切と身られて、投げ売りが怒る可能性は否定できない。
借金、じゃなくて、投資の話と、国内の投資比率における海外の投資比率の問題な。円安に無れば、同じ額でもいっぱいもらえたことになるが、そもそも、投資が減っている、日本は魅力的な投資先ではないといわれかけている、今それをやるか?という事。
談合あったんじゃん。是正された?あんだけ、ダム削減叫ばれる名かで、一定の政治家のダムはのうのうと工事が進んでいるというのが公に周知されても何も起こらない状況で談合がなくなっている。というのは無理がある。
派遣会社の派遣先からの取り分は、日本は40%な、つまり40%中抜きされている。ヨーロッパなんかは10%な? そんだけ抜いていて、赤字というのは、利益構造が悪いんじゃなくて、会社の体質の問題。
>景気
景気を良くするのは賛成だが、バブルのツケで失われた10年を含む今の状況がある。という事をまっとうに考えれば、景気だけ良くしてもどうにもならない。どころか、20年後にはもっと悪くなる可能性が高すぎる。
よって、名目成長による、景気の向上ではなく、実質成長による軽景気の向上が必要。
最後に、まとめると。円安基調、インフレ傾向が有利なのは認めるが、バブルは認められない。
この先、円安ではどうにもならない規模の経済のグローバル化による物価安がやってくるが、その時にインフレだと、どうにもならなくなる。
輸出・輸出と言うが、今の家電・車の輸出は海外勢におされて、為替以前に競争力が厳しい。今は、ヒュンダイ・サムスンの時代で、これに円安だけで戦うのはどうか?
こういうときの税収はもちろんへっている。
徴兵するということは、それだけの給料を支給しなければいけない。
つまり、福祉や教育に回すお金を軍事に回すことになる可能性があるわけだ。
その需要は、生まれる可能性が著しく低いというのが現状だろう。
これらのことから考えると、日本が徴兵を行うことは、ただ税金を使うのみで大きなメリットはないといえる。
ありきたりではあるが、農林業などの第一次産業に安定した賃金で従事させることだろう。
ただ、従来とは異なる方法でこれを行うべきだ。
日本国内の農地ではなく、外国の農地を買収し、現地の農民とともに大規模な農業をするというのはどうだろう。
国内の農地は、面積の割には価格が高く耕作地は多くあれどそれを利用するのは困難だ。
ならば、東欧やロシアなど広大な土地を持つ国の農地を借りればいい。
この政策の最大のメリットは若いうちに海外を知れるということだ。
それも、その地域の人と一緒にビジネスを出来るという点で、得られるものも大きい。
コミュニケーション能力の向上という意味でもただ外国で生活するよりも効果は大きいだろう。
グローバル化する社会の中で、この経験は他の仕事にも必ず生きてくると考えられる。
デフレと貨幣価値が独立事象じゃなくて、デフレと実質賃金が独立事象の間違いでは?
貨幣価値は金融引き締めをすれば生産性が上がろうが下がろうが上がる。
生活が豊かになる=貨幣価値が上がるじゃなくて生活が豊かになる=実質賃金が上がる。
グローバル化で安いものが入ってくるというのは実質価格の話で名目価格で安いものということにはならない。つまり、貨幣価値が上がったんじゃなくて輸入国の実質賃金が上がったということ。その不均衡が是正される場合も実質賃金が下がればいいだけで名目賃金が下がる必要はない。実質賃金が下がる場合も金融が十分緩和されてれば名目賃金まで下がらない。
デフレと貨幣価値は独立事象。 デフレしてるし、貨幣価値が下がる事もあれば上がることもある。
実態としては経済がグローバル化して、安いものが大量に入ってきた。つまり、貨幣価値が上がった。ただ、実態と貨幣価値に不均衡が出たので、その不均衡が時間と共に是正される。つまり、所得が下がる。よって見た目デフレになっている。
これが、自国の高い生産性により、貨幣価値が上がったのなら、不均衡は出ないので、所得は維持される。つまり、たとえ給料の額面が変わっていなくても、生活は豊かになる。つまり成長する。そして多分に給料の額面も上がる。このとき、高付加価値化が起こって、物が高くなる。インフレに見えるがインフレとは少しちがう。
逆に、これが、他国の生産性が上がったことにより、副残物的に貨幣価値が上がったのなら、不均衡が時間と共に是正されるので、所得が減少する。正確にはデフレとは現象は同じでもデフレとはちょっとちがう。マイナス成長。
どこぞの0がいっぱい付いた、紙幣を出した国のように、生産性の減少によって、貨幣価値が減少し、それを補うために物が高くなり(外貨ベースでは価値が一緒)、貨幣の0の数が増えていくのがどちらかというと、インフレ。なんじゃなかろうか?
物の値段が相対的に高くなる理由は2つあって。
みんながリッチになったからという理由だけで、払えるから払うということで、高くなっていく。(おなじキャベツやイチゴでも高くなるが品質が上がったり、パックの中のイチゴの向きが全部そろっったりする。)時と
みんながプアーになって、単純に輸入品が買えなくなるから、高くなった。というのは、似てるけどぜんぜんちがう。
相対的に安くなる理由も同じ。
>毎年のようにあらゆる分野で新製品は登場してる。
新製品ではなく、売上になる。つまり、投資が回収できる商品。新しいだけなら、そら出る。問題は投資に対する回収。電池なんかはわりと投資されてるし、回収できる可能性は高いわな。ただ、そう言うのが、投資マネーに対する投資先として少ない。という話。
そんな事は言ってない。
デフレってるのは、どちらかというと、新興国に負けて外貨獲得率が下がってる上に、流通の発達で物が安く入るようになった上に、輸出国だから関税がかけにくいからでしょ。
主理由は、安い外国製品の流入。そして、それを阻止するための、関税もできないから。関税が理由ではない。
ようするにデフレってるんじゃなくて、経済がグローバル化して、貨幣の間の価値の差が無くなっている。そのために、貨幣基準が新興国との間ですり合わせが起きている。
なので、新興国でも貿易に成功し始めている国の、貨幣価値というか、生活水準とかは上がってきている。逆にいままで貨幣価値が高かった国は下がってきている。という話。
更に横増田です。
たぶんこの辺の認識が元とは違うと思います。
元が問題だと思っているのは景気サイクルの波ではなく、国の規模が衰退傾向にあるということに目を背けていることが問題なのでは?
>要するに変化が激しすぎて、適応が追いついていない、という面が多いと思います。
>旧来の安定したインフラやシステムが逆に既得権益としての壁になってしまっているような気がします。
既得権益が新興国の低賃金に関与しますでしょうか?この国は豊かになってしまい簡易な労働でも非常に大きなコストがかかってしまうという事を認識すべきなのでは?
>必要なのは時間であり、ある期間を乗り越えたら、急激に日本はまた復活すると思います。
時間が経つと何が変わり、何が復活するんでしょうか?
>デジタル世代が主導権を握る時代になれば、マスコミが主導する世論形成システムも自動的に崩壊し、
マスコミがこの国の政策の策定及び執行にどの程度影響を及ぼしますか?
>人口が少なくなっても、デジタル世代はITによってうまく生産性を向上させると思います
その他、コンテンツの質の高さ等がありますが、そのコンテンツが将来どのぐらいの価値を生み出すでしょうか?
>経済の中心地(オランダ→イギリス→アメリカみたいな流れ)があって、その中心地が世界経済全体のエンジンになっていたという考え方があるそうです。
>しかしながら、グローバル化し、デジタルネットワーク革命が起こった現在に、中心地は存在しないのではないでしょうか?
各国に分散していく事に対してこの国が寄与できる部分はありますか?