はてなキーワード: 花嫁とは
小さい頃、母から多く言われた言葉だ。
母は自分の中で流行っている言葉があると、特に何も考えずに人に向ける事が多い。
人、と言うか家族に、かな。
「友達は他人だけど家族は血縁だから、多少の失礼は大丈夫」みたいな感覚で使ってくる。
それが無害な言葉なら問題ないのだけども、明らかに相手の気分を害する言葉をバンバン使う時がある。
子供心ながらに「そういう言葉はやめてほしい」という旨の注意などをしたものだが、彼女が子供の言う言葉など聞き入れる訳も無かった。
「被害妄想」は、自分が幼稚園~小学校低学年辺りの、まだ幼い頃に母の中で流行った言葉らしかった。
その頃の母は、何かと「そんなものは被害妄想だ」と言ってこちらの訴えを聞いてくれない事が多かった。
当時の自分が、母にどんな内容の事を訴えていたかは忘れた。
多分、「弟だけジュース飲んでてずるい」とか、そういう些細な事だったと思う。
すると、「あんたは、被害妄想ばっかりなんだから」と返される。
うるさい子供の相手をするのが面倒なのか、自分の中で流行っている言葉を口にするのが面白いのか、その両方なのか。
被害妄想被害妄想被害妄想被害妄想被害妄想被害妄想被害妄想、御前は被害妄想ばっかりだ、と、言われ続けた。
……先日、友人の結婚式に参加した。
苦心し、悩み、くじけている時に、支え、応援してくれて有難う、
といった、まぁよくある内容だった。
それを聞きながら、もらい涙をしながら、
ふと、「こんな場面で私は母に感謝する事が出来るだろうか」と考えてしまった。
母との思い出は、どちらかというと失望することばかり思い浮かんでしまう。
ブリッジの体勢から立ち上がる、というのを母と二人で(何故か)チャレンジしていた時、
起き上がるのに失敗して、したたかにフローリングに背中を打ち付けて一瞬動けなくなった事がある。
母は、その様子がおかしくてたまらなかったようで、ずっと笑っていた。こちらの心配はしていない様だった。
会社の仕事が忙しく、残業が長期間続いて、毎日くたくたになって帰る事があった。
ある日、母は、「あんた、本当に残業で遅く帰って来てるの?」と怪訝そうな顔で訊ねてきた。
私は涙もろい方で、テレビで感動秘話などを見ていると耐えきれずに泣いてしまう事が多い。
泣いている私を見て、母は、「あんた、泣いてるのぉ?」とにやにやしながら面白そうに笑っていた。
口論が聞こえ始めると、自分の部屋の電気を消して布団に潜り込む様にしていたが、
喧嘩が終わると私の部屋に来て、「起きてるんでしょ」とノックも無く入ってきて、
鬱憤晴らしとばかりに学校の成績が悪い、弟と御前は仲が悪すぎる、仲良くしろ、と小言を始める事も多かった。
弟と喧嘩をしていると、決まって間に割って入ってきて、「喧嘩を止めろ」とブチ切れる。
その後はなし崩し的に全てがうやむやになる。
「仲直り」というプロセスを私は未だに上手く出来ない。
また、記憶がかなりおぼろげだが、母は私が小さい頃、自殺をしようとした。4歳か5歳ぐらいだったと思う。
母が泣きわめいて、父が冷静に諭していた。母は、ベランダから飛び下りようとしていたらしかった。
当時の自分には母が何をしようとしていて、その結果どうなるか、というのを全く理解していなかった。
だから、というか、後日、母に「どうしてあんなことしたの?」と聞いた。
母は、「あんたの所為よ!」とわめいて返した。
全く心当たりは無いのに、何故私の所為になるのだろう、と不思議に思った記憶がある。
今でも全く心当たりは無い。
だが、私の所為だ、と彼女が言うのであれば、無条件で私が悪いのだろう、と思っている。
私にとって母に関する思い出は嫌な事ばかりだが、思い出す度に思うのは、
「それでも、愛が無いというわけじゃない」ということだ。
彼女は彼女なりに、私を愛している。愛しい子供だと思っている。
感情が率直過ぎるだけで、彼女は我が子を間違いなく愛している。
私の求める愛情の形と、母が与える愛情の形が、食い違う事が多過ぎるのが問題なだけだ。
分かっている。ただ、すれ違っているだけで、悪いことなど何一つ無い。
私の中の、母にまつわる悪しき思い出は、全て被害妄想による産物に過ぎないのだろうか。
彼女が自殺しようとした原因が私の所為だった様に、全て私が悪いのだろうか。
私が間違っているのだろうか。
私は、あの花嫁の様に涙を流しながら母に感謝をするなど、到底出来そうに無い。
母が私に面と向かって、
「出来ることならあんたを育て直したいと思ってるのよ…」と呟いた時の、
彼女の顔はどんなだったか、もう覚えていない。
ここに至るまでに色々な人の結婚ブログとか結婚準備のサイトとか
掲示板とかいっぱい見てきた。
■私:若干貯金(世間一般からしたらゴミみたいな金額)ある。そんかわり夢はあんまない。いい歳
■旦那(予定):貯金がない。少しとかじゃなくてゼロ。そんかわり夢はすごいある。いい歳
俗に言う夢を追う人ってわけじゃないよ。ミュージシャン目指してるとかそういう。
別にお金使う趣味もないしギャンブルもしないし何に使ってんだろうと思って観察してたら
食費がすごかった。一日に5000円くらいつかっとる!食い過ぎ!!体にも悪い。
だから毎月2万くらいしか貯金できないと言い切られたんだ。
それなりに言い合いになって「もうちょいなんとかなんだろ!自分の腹の虫くらい制御しろ!」と詰め寄ってみたが無理だった。
まぁもう言ってもしょうがないならしょうがないので、毎月それだけ徴収して貯金に回してるけど。雀の涙。
なんで2万しか無理なのか。食いたいものが腹いっぱい食えないからってことだろう。
じゃあ結婚して私が節約レシピとか考えてごはんを作るようにしたら解決すんのかな?
安い肉でモリモリおかず作って食ってもらう感じで。
結婚したら私に家計を管理してほしいって言うからほんとに自分じゃお金に頓着してないだけなんだろう。
書いたとおりの話。
こういうとこって男は一世一代見栄はるもんでないの?って聞くと
見栄張ってまで買ってそのあとの生活困窮したら馬鹿らしくないの?って返されたからなんか納得した。
でも困窮しても張る見栄はお前には無いの?って聞きたかったけど納得した。たぶん無いんだろう。
それを聞いた義母がそんなことなら私のを使いなさい(涙)と彼氏の生き方じゃ一生買えないようなでっけーダイヤが私のとこにきた。
結果オーライかも。でも実母に嫁に指輪さえ買ってやれない甲斐性なしなんて(涙)ってなって私困り中。
いや私は欲しいんだが。と言い合いになった。そしたら「でも買う金がないぞ?」
デター伝家の宝刀。まぁ金がないのに高級ブランドの指輪でもあるまいと納得しかけ(保留中)
人並みにゼクシィとか買ってきたら「げぇ高ぇこんなにかかるの?」と変な顔で笑う彼氏。
まぁ私も挙式は親の為だけに挙げるのと自分的記念にドレスだけ着れたらいい。多くを望まない。
お金があれば友人を呼んだ披露宴もいいなと思ったけど無い場合はここはあきらめるしかあるまい。
友達の数もお互い狭く深くだし個別にちんまり飲みに行くので良い。
すげええええ甘い。甘過ぎて失神しそうよ私って言うのをこらえた。
「今の家賃が8万くらいで家を買う場合毎月10万位の返済でもいける。」
そのほか諸費用やら生活してく金はどうしますかアンタ。私も諸事情で一旦退職するけどすぐ仕事探しますが
それまではあんたのそのふにゃふにゃの腕にかかってるんですよ!
とまくし立てそうになるのをこらえた。夢にきらきらの目が無理だった。
けど賃貸で高い家賃払うよりその方がいいんだろうか。ドリーマーに惑わされる自分が怖い。
ある日突然彼氏の顔がすげえぶっさいくだなと思った。
あれなんだっけこの顔のどこが好きだったっけ?と思うくらい。
だけどここはたぶんお互い様だよね。お前ぶっさいくな顔すんなよーと言われたことあったし。
あの時はムカついたが気持ちがわかってニヤニヤした。
今。
結婚するのか、しないのか。この人と別れるのか別れないのか。
こういうのがマリッジブルー?でもマリッジブルーってのは何もかも決まってる花嫁がなるもんなんでしょ?
私なーーーーーんにも決まってない。
わかってるのは金がないということだけだ。
ただ、金は無いけどこの人と生きるのは楽しそうだ。
苦労は死ぬほどしそうだけど、愛はありそうだ。
食欲浪費だから自分がしっかりすればなんとかなりそうだ。
けどやっぱ何かあったときに金がほとんど無いってどこまで危険なんだ!?
という感じで毎日悶々する。
貯金1000万ある人と結婚する場合こういう悩みは無いってことだろうかね?
楽ちんでうらやましい。
西川史子先生はすげえでかいダイヤして「女性はみんな私を見習いなさい(ニコッ)」なんて笑ってたけど
いつもの意地悪そうな顔じゃなくてシワワセそうな良い顔だった。
あ。彼女の場合はどちらもあるのか。
とりあえずサマージャンボ当たる予定だから買いに行きます。
増田で全レスってどこに書いたかわけわからんくなってくるのな。まあいいや。
オナ禁より、主目的としてはエロ断ちをして有意義な時間を過ごしたいってのがあるんだが、日頃染みついたエロ習慣はなかなか取れず、昨日はAV女優のブログを眺めてた。
我ながら中途半端だと思う。
アイドルのブログはもっぱらゴーストライターが書いているってまことしやかに言われてるけど、どうなんだろうな、さすがにAV女優にそんなん雇う金なんかなさそうだけど、特に企画単体メインの娘たちだと。そいや「名前のない女たち」って企画単体女優のインタビュー本は面白かったな、てか泣けた。
そのうち素人強姦面接3を見ながら、余命一ヶ月の花嫁を読んで、涙と精液を絞りだそうと思ってるんだが、ってダメだ。すぐエロいことばっか考えちまうな。
それにしても、景気の浮き沈みで女の価値ってのは大きく変わるよな。
バブルの頃は飯島愛レベルでもてはやされてたし、オレは買ったことないけど、きったないおばちゃんの無修正マンコの裏本が万ガネで取引されてたらしいんだよな。そいや裏本サイトから落としまくったあの辺は探せば残ってるのかな。焼いたDVDが読めなくなってたりしてな。懐かしいけど、まあ消えててもいいや。
それが今じゃ企画単体でも、マジかよってくらい可愛い娘多いし、探してみると風俗とかけもちしてる娘も多くて、金さえあればビデオのあの娘とするのもそんなに難しくないわけだ。にわかに信じられないぜ。美人安すぎだ。ブサイクでもパンツみせればお立ち台で崇められてた頃から20年も経ってないよな。
デリヘルって言うと、ごっつで浜田がデリヘル呼んだら松本扮するいつものババアが来てチェンジすると、サラリーマンの今田がアッーを迫ってくるコントくらいのイメージしかないよ。
例えば、50名で披露宴を実施しようとしたら、下記の表が必要経費になるはず。
総計158万円
その他細かいもの 10万
が少なくとも抜けている。式場は後からバンバン追加料金を出してくるから覚悟する必要がある。
花嫁だけでも一回お色直ししたら+20万
普通にご祝儀貰うの披露宴で料理1万は会場のレベルにもよるが客に対して失礼の領域
酒も3000円だと乾杯のシャンパンと居酒屋ワインしか出てこないぞ
最低レベルで質素に済ませたいのならば会費制(15000円程度)にするべき。
以上を勘定すれば100万の持ち出しは覚悟するべき。
右手をかばいながら転ぶことが出来る漫画家志望です。漫画は恋人。Gペンとベロチューとかしてます(単につばをつけて拭き取って油を取ろうとしてるだけなんだけど)
賞は取ったことがありませんがあと1、2歩らしいです。そろそろ上京しようと思ってるのですがお金がないので1年間フリーターをしようと思ってます。
だけど
祖母は言います「女の子なんだから彼氏の一人でも見つけて早く結婚しなさい親孝行しなさい」
祖父は言います「死ぬ前に花嫁姿を見たい」
母は言います「夢を追いたい気持ちは分かるけど就職しなさい。漫画家も不安定な職業でしょう」
父は言います「高大と私立に行かせてやってんのにフリーターとかふざけんなよブラックでいいから就職しろ」
妹は言います「私は東京にいるから、お姉ちゃんは地元で就職した方がいいよ。いつか介護とか必要になるし。私は東京で彼氏と同棲するから無理。大卒で就職しないとかお姉ちゃん何の為に生きてるの?」
弟は言います「昔の絵見ても分かるけど才能ないからニートにでもなればwwwwww」
金があれば今すぐにでも出て行きたいんですが、金がない。そしてフリーターしようとするとこんな冷たい反応。
田舎で創作活動してる人の家族ってだいたいこうなんですかね?稼げば文句言わなくなるのかな。
それともうちの家族がやたらクリエーター系に否定的なだけなんでしょうか。
こんなご時世だからこそ何かトキワ荘的な物があると助かるんじゃないかなと思ったりしてます。
まあそれは別のお話。
ボカロオリジナルを歌ってくれない(http://anond.hatelabo.jp/20090608225441)を書いた増田です。
ブコメでid:sky-graph、id:alshine5、id:kadotanimitsuruから「歌い手に人気がある動画を調べるなら歌ってみたの投稿数を見なきゃだめなんじゃないの?」と指摘があって、まったくその通りだと思った。前回調査をした時はなぜかそれを思いつかなかった(難しそうな気がしていた?)けど、やってみたら、思ったより簡単だったので、調べ直してみた。
再生数順位 | 曲名 | 作者 | 本体 | 歌ってみた | 歌われ指数 | 本体投稿日 |
---|---|---|---|---|---|---|
12 | ロミオとシンデレラ | doriko | 862,385 | 677 | 0.7850 | 2009/4/6 |
14 | 初めての恋が終わる時 | supercell | 825,981 | 631 | 0.7639 | 2008/12/12 |
30 | Dear | 19's Sound Factory | 390,855 | 286 | 0.7317 | 2008/3/15 |
4 | ブラック★ロックシューター | supercell | 2,013,457 | 1261 | 0.6263 | 2008/6/13 |
2 | メルト | supercell | 4,475,848 | 2794 | 0.6242 | 2007/12/7 |
17 | コンビニ | cokeshi | 711,368 | 411 | 0.5778 | 2007/12/30 |
22 | magnet | 流星P | 515,147 | 281 | 0.5455 | 2009/5/1 |
29 | サンドリヨン | ゆのみP | 407,386 | 208 | 0.5106 | 2008/8/25 |
3 | ワールドイズマイン | supercell | 2,673,191 | 1316 | 0.4923 | 2008/5/31 |
28 | 夕日坂 | doriko | 412,927 | 192 | 0.4650 | 2008/3/22 |
11 | 歌に形はないけれど | doriko | 893,237 | 403 | 0.4512 | 2008/1/20 |
9 | サイハテ | 小林オニキス | 1,155,966 | 514 | 0.4446 | 2008/1/16 |
27 | celluloid | baker | 425,774 | 172 | 0.4040 | 2007/10/5 |
31 | Soar | 流星P | 373,889 | 136 | 0.3637 | 2008/3/19 |
6 | 恋は戦争 | supercell | 1,518,029 | 410 | 0.2701 | 2008/2/22 |
15 | 初音ミクの暴走 | cosMo | 752,162 | 199 | 0.2646 | 2007/10/22 |
23 | 夢みることり | はややP | 507,903 | 105 | 0.2067 | 2008/2/5 |
33 | ぶちぬけ!2008! | doriko | 348,274 | 55 | 0.1579 | 2007/12/24 |
24 | 永久に続く五線譜 | デッドボールP | 466,195 | 63 | 0.1351 | 2007/11/29 |
21 | ハト | 秦野P | 552,116 | 69 | 0.1250 | 2007/12/20 |
20 | 桜の季節 | ゆうゆP | 587,547 | 69 | 0.1174 | 2007/11/2 |
7 | ハジメテノオト | malo | 1,398,334 | 158 | 0.1130 | 2007/10/14 |
5 | 初音ミクの消失 | cosMo | 1,682,390 | 189 | 0.1123 | 2008/4/8 |
26 | 白の季節 | ゆうゆP | 443,349 | 43 | 0.0970 | 2007/11/29 |
13 | ミラクルペイント | OSTER project | 834,541 | 70 | 0.0839 | 2007/11/22 |
19 | えれくとりっく・えんじぇぅ | ヤスオP | 617,862 | 48 | 0.0777 | 2007/10/10 |
1 | みくみくにしてあげる♪ | ika | 6,397,403 | 469 | 0.0733 | 2007/9/20 |
18 | あなたの歌姫 | ボクP | 665,444 | 43 | 0.0646 | 2007/9/18 |
32 | Melody… | mikuru396 | 349,250 | 15 | 0.0429 | 2007/10/27 |
8 | 恋スルVOC@LOID | OSTER project | 1,200,621 | 41 | 0.0341 | 2007/9/13 |
10 | Packaged | kz | 1,046,254 | 25 | 0.0239 | 2007/9/25 |
25 | ファインダー | kz | 457,683 | 9 | 0.0197 | 2008/1/5 |
16 | 私の時間 | くちばしP | 728,054 | 6 | 0.0082 | 2007/10/22 |
予想通りだけど、投稿数のみでいえば「メルト」圧勝。「WIM」と「B★RS」が1000超えで、あとそれ以外、という感じ。
正直、これじゃあなんにも面白くないので、「歌われ指数」というのを導入してみた。算出手順は「調査方法」の通り。
「歌われ指数」でいうと、これはあまり意味のある数字ではないのでどれが多い少ないを言ってもしょうがないと思うけれど、0.3以上(つまり「Soar」以上)を上位と見なせば、やはりdoriko、supercell、流星Pが強いなという印象は受ける。
さて、この結果を友人に見せてみた。友人は、「ゆうゆP、歌われてないなあ……」とぼやいていた(ゆうゆP歌ってみた動画を熱望しているらしい)。
そういう意味では、元増田もOSTER project歌ってみた動画を熱望している。しかし、表中では下位である。
二人とも、表中の曲が、まだ歌ってみたが流行ってない時期(そんな時期があるのか分からないが)のものだから不利なのだろうか、最近は歌ってみたも結構増えてたりするのだろうか。
そんなことを思ったので、ついでにゆうゆP、OSTER projectの一連のオリジナル曲についても取ってみた。
そうすると、興味深いことが分かった。
投稿日順 | 曲名 | 作者 | 本体 | 歌ってみた | 歌われ指数 | 本体投稿日 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 桜の季節 | ゆうゆP | 589,653 | 69 | 0.1170 | 2007/11/2 |
2 | 白の季節 | ゆうゆP | 444,803 | 42 | 0.0944 | 2007/11/29 |
3 | クローバークラブ | ゆうゆP | 222,634 | 11 | 0.0494 | 2008/1/3 |
4 | experimental-001 | ゆうゆP | 37,299 | 0 | 0.0000 | 2008/1/18 |
5 | experimental-002 | ゆうゆP | 33,727 | 0 | 0.0000 | 2008/1/21 |
6 | 夕音 | ゆうゆP | 96,402 | 5 | 0.0519 | 2008/6/22 |
7 | 渦と階段 | ゆうゆP | 33,962 | 1 | 0.0294 | 2008/7/13 |
8 | エレクトロエレジー | ゆうゆP | 54,330 | 0 | 0.0000 | 2008/8/30 |
9 | 極楽鳥 -bird of paradise- | ゆうゆP | 144,756 | 211 | 1.4576 | 2008/10/6 |
10 | UltraHardAttacks of OddMusiK | ゆうゆP | 68,313 | 3 | 0.0439 | 2008/10/20 |
11 | ハイウェイノート | ゆうゆP | 56,533 | 10 | 0.1769 | 2009/3/11 |
12 | カタパルトネーション | ゆうゆP | 53,865 | 9 | 0.1671 | 2009/4/21 |
投稿日順 | 曲名 | 作者 | 本体 | 歌ってみた | 歌われ指数 | 本体投稿日 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 恋スルVOC@LOID | OSTER project | 1,207,038 | 41 | 0.0340 | 2007/9/13 |
2 | Dreaming Leaf -ユメミルコトノハ- | OSTER project | 192,627 | 29 | 0.1506 | 2007/10/8 |
3 | おやすみのうた | OSTER project | 97,414 | 15 | 0.1540 | 2007/11/1 |
4 | ミラクルペイント | OSTER project | 841,479 | 70 | 0.0832 | 2007/11/22 |
5 | ちょこまじ☆ろんぐ | OSTER project | 184,857 | 17 | 0.0920 | 2008/2/13 |
6 | RING×RING×RING | OSTER project | 181,411 | 8 | 0.0441 | 2008/3/9 |
7 | フキゲンワルツ | OSTER project | 134,407 | 13 | 0.0967 | 2008/4/29 |
8 | つきうさぎ | OSTER project | 154,708 | 78 | 0.5042 | 2008/6/20 |
9 | 8月の花嫁 | OSTER project | 146,680 | 4 | 0.0273 | 2008/8/30 |
10 | trick and treat | OSTER project | 346,775 | 69 | 0.1990 | 2008/10/30 |
11 | プリンセス・カウガール・ショー | OSTER project | 50,360 | 5 | 0.0993 | 2008/12/1 |
12 | マージナル | OSTER project | 84,794 | 13 | 0.1533 | 2008/12/15 |
13 | ピアノ×フォルテ×スキャンダル | OSTER project | 73,201 | 150 | 2.0492 | 2008/12/20 |
14 | Around the World | OSTER project | 181,486 | 2 | 0.0110 | 2009/1/31 |
15 | one more kiss | OSTER project | 77,437 | 28 | 0.3616 | 2009/5/29 |
16 | ゆきうさぎ | OSTER project | 23,138 | 5 | 0.2161 | 2009/6/11 |
17 | 恋色病棟 | OSTER project | 90,300 | 13 | 0.1440 | 2009/6/16 |
ゆうゆPに関しては、予想通りだけど、「experimental」シリーズは1曲も歌われてないよね……その代わりというわけではないけれど、「極楽鳥 -bird of paradise- 」が突出して歌われている。
一方、OSTER projectはというと、「ピアノ×フォルテ×スキャンダル」が再生数の比して突出して歌われている。あとは「つきうさぎ」と「one more kiss」が多いか。
再生数上位群でいくと、やはりdoriko、supercell、流星Pが強い。ただ、これは作者依存というより、これらの作者が歌い手に好かれる楽曲をより多く作っているからに過ぎない。
というのも、再生数上位群の中ではあまり歌われていないゆうゆPとOSTER projectだが、彼らの楽曲の中にもすごくよく歌われている歌も存在するからだ。
作者という要素はまったく無視できないにせよ(人気作者の曲はやはり歌い手もその存在を認知しやすいだろう)、歌い手に好かれる要素の大部分は個別の楽曲の中に現れているといえる。
知人は、結婚式に命を懸けたような人だった。
式場の予約をしてからの、ドレスや料理の選定、引き出物…etcetc
ほぼ一年間、その日の為に土日を費やした(旦那談)
結婚式当日、手伝いに呼ばれて花嫁実家にいったら、花嫁が部屋から出てこない。
時間ぎりぎりに出てきた顔は蒼白&超不機嫌。
その理由が「ブーケ」だった。
生花だから持たない為、前日花を仕入れてきて、夜を徹して制作。
白&色ドレス&お色直しのそれぞれに合わせて3つも。
糖分不足なのか、式場までずーーーっと眉間にしわよせたままの花嫁。
何時もは多弁なのに、ほとんど喋らない。
が、式場で、担当のおねーさんと最終調整の打ち合わせをしていた時、急に怒号が。
「ブーケトスはやらないって言ってあったじゃないですか!
このブーケを私がどれだけ苦労して作ったと思ってるんですか!」
早い時間だから、ほぼ身内+手伝い陣営しかいなかったけど妙な空気が。
花嫁の身内がこそっと耳打ちしてくれた。
ブーケに合わせてドレスを変更したほどの入れ込み様だそうだ。
式が始まった途端、何時もの完璧笑顔でそつなくこなす花嫁に脱帽。
さすが一年間費やしただけある。
司会のお姉さんがブーケを三回とも褒めまくっていた姿が妙に必死だった。
ブーケトスが盛込まれるべき箇所では
「”大変”苦労して作った”大切”なブーケですので、
ブーケトスはせず、ブリーズフラワーにして記念にするそうです」
とアナウンス。
当初はなんか凄すぎな感がなかった訳でもないけれど、
ポイっと投げられては賛否両論なブーケよりも、なんか好感が持てるかもしれない。
※一応追記
結婚式って本人の自己満足のためだけにやるもんじゃないと思うけど…。
あの式典には親戚友人へのお披露目と、若輩ものですが2人で頑張りますのでこれからよろしくお願いしますっていう意味があるよ。
あと、娘の花嫁姿が見れないご両親はがっかりするんじゃないかな。
それはトカゲが失ったしっぽを再生するごとく、交友関係を全とっかえする知人がいる。
10年以上、端で見ていて気味が悪かった。
年に数回会うだけの関係ゆえだが、彼女は、数年単位で仕事仲間から趣味仲間まで見事なまでに全とっかえ。
誰しも学生時代を過ぎれば、それまで近しかったひとと疎遠になってゆくことはあるが、いくらなんでも、多すぎるのではと
思っているが口には出せない。
結婚式の二次会には花嫁側の知人が7割以上を占め、百人を超えた来客だったが、そのほとんどと、まだ2年しか経っていないのに
疎遠になるなんてよくあることなんだろうか。
先頃、ついに自分が疎遠になる番が来た。
正直、ホッとしている。やっと解放されたというか。
わたし、無理してつき合ってたんだな。ばかだなあ。
春の日射しが穏やかな日は、祖父がにこにこ笑っている顔が目にちらついて、私は少し辛くなる。祖父はアルツハイマー型痴呆症になり、特別養護老人ホームにいる。もう二年くらいになると思う。祖父が施設でにこにこと笑うようになってから、父も母も笑えるようになった。私も弟妹も笑えるようになった。
それまでの日々は、家族にとって、特に父と母にとって、地獄のような日々だった。
祖父は、元々厳しくて頑固なところのある人だった。成人する前に両親を亡くし、大人に混じって農家を切り盛りしていたから、気が強くなってしまったのだろう。祖母と結婚して、父の姉と、父が生まれた。その後、警備員と農家を兼業するようになった。祖父も祖母も厳しい人で、昔の農家気質だったから、母は嫁入りした当初から辛い思いをすることもあったようだ。ただ、祖父も祖母も、孫である私たちには多少甘い部分をみせていた記憶がある。
祖父が定年になる前、私がまだ小学生だった頃、祖母が亡くなった。五十代後半の死は、あまりにも早かった。母には、祖母の役目と母の役目、両方がのしかかった。今から約二十年前で、家事は女の仕事、女は男を立てるもの、という価値観はまだまだ当たり前にあった時代の話。祖母が亡くなってから、祖父の母に対する当たりがきつくなったと父は言う。また、この頃から酒量が増えた、とも。
それから一年経って、私や弟とは歳の離れた妹が生まれた。母は仕事をやめた。祖父は歳の離れた末の孫を溺愛した。しょっちゅうかまうものだから、母は機嫌を悪くして、時々父や私に愚痴を言った。
祖父と母の関係が決定的に悪化したのは、私が高校生になり、妹にある程度手がかからなくなって、母が再び働きに出るようになった後だ。祖父はとっくに定年になっていて、ずっと家にいるようになった。趣味の合う友人と連れだって遊びに出かけたことも時々はあったけれど、家にいることがほとんどで、昼間は自室に籠もっているか、畑で仕事をしているかだった。祖父には、母が五時過ぎに仕事から帰ると同時に台所の自分の席に座ってお酒を飲み始める習慣があった。母が夕食の支度をしている後ろ姿の、その後ろで二時間くらい、じっと座っているのだ。六時になる頃には私も弟妹も家にいたけれど、居間でテレビに釘付けだったから、その状態には気づけなかった。七時も過ぎて父が仕事から帰ってくると、夕食。六人で食卓を囲む。私と弟妹は思い思いにおしゃべりをする。ひとしきり話し終わった頃、祖父が口を開く。ときどき意味の分からないことを言う。話が通じないことに、私たちはイライラし始めて黙ってしまう。父が間に入って話すけれど、お酒の入っている祖父は興奮しやすく、時々興奮しすぎて母に当たった。祖父が母に当たると父も頭に血が上って、怒鳴り合いになる。しまいには祖父が「そんなに邪魔なら殺せ!包丁で刺せ!」などと叫んで、部屋に籠もってしまう。こんな日々が続いた。
今思い出すと、この頃にはまだらボケが始まっていたのかもしれない。それで執拗にいろいろと尋ねたのかもしれない。私も弟妹も、学校がお昼頃で終わった日は居間でテレビを見たり、宿題をしたりしていた。そのとき、祖父がいつも居間にあらわれて話をしようとするのをうっとおしがっていた。なにも分かってない子供なんてワガママなもので、無視して自室に籠もることもあった。食卓を囲んでいるとき、怒鳴って気分をめちゃくちゃにする祖父の理不尽さも大嫌いだった。
学校でもいろいろあるというのに、「殺せ!」と怒号の響く家は気が休まらなくて大嫌いだった。弟は、高校生になると、わざと夜遅く帰ってくるようになった。父が叱ったが聞く耳を持たなかったし、男の子だと言うこともあり、いつしか容認されていった。私にはそんな要領のよさはなかったし、妹はまだ小学生だったから、毎晩のように繰り返される怒鳴り合いをそばで聞いているしかなかった。
私が大学への進学を考えた頃、両親は地元大学を勧めたけれど、私は県外の大学に願書を出した。願書を出す直前までは、後期試験は地元を受けると言っていたくせに、結局後期試験の願書も県外の大学に出した。今思えばふざけた話だが、初めての反抗らしい反抗だった。県外の大学に進学した後は、部活、バイト等、わざと忙しくして下宿にいないようにしていた。家からの電話が憂鬱だったからだ。下宿に居ないのを両親に詮索されるのも嫌だったし、なにより、家族の誰かが別の誰かを殺したという電話がいつか入ることを本気で心配していたのだ。講義がない時期には帰省が憂鬱だった。夏も冬も理由をつけて、一週間くらいしか家に帰らなかった。家に帰るとおなじみの怒鳴り合いの日々だった。帰って一、二日は静かだが、三日目を過ぎると怒鳴り合いが始まる。家から下宿に戻った後はますます電話が怖くなった。酷いときは電話線を抜いた。
一歳下の弟も大学に進学して、家を離れた。家は、祖父と両親と妹だけになった。私たちは両親と妹を犠牲にしたのだと思う。
大学三年の夏、父から電話がかかってきた。この時は不思議と電話を取る気になった。電話の内容は中学生の妹のことだった。食事を全く取らなくなったという。父は毎晩のように妹の訴えを聞いていたけれど、最後には「頑張れ」と言うしかなく、なにもできないまま悪くなったという。妹に対しては罪悪感があった。夏休みはほとんどを家で過ごした。
家に帰ってすぐに父と話した。母にはもう無理だからと言われ、母のお薬手帳を見せられた。そこに並んでいる処方薬の名前を調べると、抗精神病薬ばかりだった。母は頻繁に被害妄想を訴えるようになっていた。最初は、家に祖父と二人でいる間、いつも祖父が後にいるから怖いという訴えだった。それがいつの間にか、家の中で誰かに監視されている、家の中に盗聴器がある、近所ぐるみで監視している、警察に狙われている、と徐々に変化していった。祖父の行動ひとつひとつが、何者かによる母への攻撃であるかのように見えていたようだ。父は祖父に、母を刺激しないように何度も言ったが、祖父はその場では返事をするものの、すぐに忘れてしまうらしく、全く変わらなかった。
その日会った妹はどこか異様だった。何を聞いても無表情で「うん……」と、けだるそうに返事をするだけ。本当に食事を取らなくなっていた。一口食べて箸を置き、体がだるいのかすぐ居間で横になる。重症だと思った。その日の晩、私が自室でうとうとしかけている頃、妹が枕を抱えて部屋に来て「一緒に寝ていい?」と言った。招き入れると、妹はしばらく黙っていたが、突然堰を切ったように話し始め、もう無理だと訴えた。妹は、いつか家の中で殺し合いが起こるといって怯えていた。母の被害妄想が始まってから、夕方の台所で母と祖父の言い争いが起こるようになった。妹はなるべく早く学校から帰り、食事の準備をしている母のそばにずっといた。妹がいる間は、母は穏やかで、祖父の機嫌もそう悪くはならないから。妹は毎日のように母の愚痴を聞いた。しかし状況は変わらず、母は夜中に突然飛び起きて、怖いと言って泣くようになっていった。妹の部屋は両親の寝室のすぐ隣だったから、母の泣く声で眠れないこともしばしばあったという。学校の人間関係は、妹にとってあまりよくない状態で、妹の気が休まる時間はどこにもなかった。妹は、父には何かしてくれるようには言えないという。父は毎晩のように祖父と戦っていたし、母をなだめるのでいっぱいいっぱいだから、これ以上無理はさせられないと。
父に遠慮している妹には悪いと思ったが、現状を父に伝えた。その上で、父にはしばらく黙っていてもらうことにした。妹の体調があまりよくないこともあり、病院に連れて行った。妹は検査で採血をされ、胃カメラを飲み、点滴を打たれて「病人みたい」と笑った。「検査に異常はないから精神的なものだと思う、食べられないのが続くようなら精神科を紹介するから様子を見て」と言われた。その日からしばらく、妹は私にべったりと甘えていた。何をするにも一緒だった。帰省してきた弟は、帰ってくると真っ先に「おい大丈夫か?」と言った。進学して家を出てから、これだけ長い間弟妹と一緒にいたのは初めてだった。三人でくだらない話ばかりした。「この家、超不幸だ」と言いながら笑った。妹は、プリンやゼリーから始めて、普通の食事も少しずつ摂るようになった。妹が笑うようになった頃、大学の講義が始まって時間切れ。私はわざと忙しくするのを止め、電話を取るようになった。
その後もしばらく膠着状態だった。祖父も母もあいかわらずの調子で、間に立つ父は本当にたいへんな思いをしただろう。
私が大学を卒業した頃、状況がますます悪い方に動きはじめた。昼間のうちに家のあちこちに水たまりができ、家族がしばしばそれを踏んづけるようになった。水たまりの犯人は祖父。時々失禁をするようになったのだ。何度注意しても改善せず、おむつを勧めても頑として受け入れない。以前は熱心に畑に出ていたのに部屋に籠もることが多くなり、同時に食事や入浴を忘れるようになった。部屋に籠もる一方で、ふらっといなくなることもあり、連絡をもらった父が慌てて迎えに行って頭を下げるのだ。時々真夜中に近所の家を訪ねることまであり、消耗した父は何度も祖父に「勘弁してくれ」と土下座したが、状況はまったく変わらなかった。祖父は自分の状況が分かっていなかったか、分かっていてもどうしようもなかったのだろう。他にも、庭先に祖父がどこからか拾ってきた妙なガラクタが増えたりもした。捨てようとすると祖父が怒るので、だんだん量が増えた。祖父は車の免許を持っていたけど、ちょうどこの頃に庭先で車をぶつけたこともあり、危ないので免許証を取り上げて車の鍵を隠した。祖父が車の鍵に執着して家じゅうを探しまわるので、母が影響されて荒れることもあった。
さすがに近所にも親戚にも隠し通せなくなり、父は、隣県に住む伯母に相談した。伯母はその何年か前にヘルパーの資格を取っており、福祉関係の仕事も長いのでしばらく預かることを父に提案した。父も母も限界だったから、一ヶ月程度ということで祖父を伯母に預けた。庭先のガラクタを片づけ、荒れ放題になっていた祖父の部屋を片づけ、少し落ち着いたところで事件が起こった。伯母に預けた後、二週間も経っていないうちの出来事だ。伯母はその日も祖父に声をかけ、パートタイムの仕事に出かけた。伯母が帰ると、祖父がなにも持たずにいなくなっていた。すぐに探しに出かけたが、祖父は見つからなかった。警察やご近所に連絡し、数日経って、祖父が警察に保護されていると連絡があった。伯母宅からはずいぶん離れていた。祖父は警察に、家に帰せと主張していたそうだ。
父はこの時、もう自宅で見るのは無理だと思ったそうだ。病院で検査を受けるように祖父に勧めたが、祖父は昔から親は子よりえらいと思っている人で、このときも言うことを聞かなかった。父は、祖父が唯一頭の上がらない祖父の友人に状況を話し、祖父を説得してもらうことにした。祖父の友人は「もうずっと前からボケておかしくなっていることが分かっていたけど、言われるまで言えなかった」と、父に頭を下げた。祖父は友人の説得でしぶしぶ承諾し、父と友人に付き添われて病院で検査を受けた。
アルツハイマー型痴呆症には、根本的な治療薬がない。当時あったのは進行を抑えるだけの薬で、祖父を「治す」ことはできなかった。介護施設を探すことを医者から提案されたが、老人病院にも介護施設にも空きがなく、どこも順番待ちの状態で、診断がついても状況は変わらなかった。祖父の友人の協力を取りつけられたおかげで、祖父を説得しなければならないときにその人から強く言ってもらうこともできるようになったのはよかったが、祖父が内容を忘れてしまうことが何度もあったため、どれくらい効果があったのかは分からない。
注意して祖父を観察するようになると、物事をしっかり認識できているときと、そうでないときがあることが分かった。普通に過ごしていても、時々どこを見ているのか分からないような様子でいることが、しばらくの間続くのだ。その直後の祖父は決まって難しい顔をした。どこか悲しそうで、戸惑っているような表情。話しているときも、前後の文脈が分からなくなっている様子があった。つい一瞬前に話した内容を忘れてしまうのだ。そして何度も直前の話を聞き返す。説明しなおして話が繋がるときもあれば、辻褄が合わないままのときもある。その時の祖父の表情は、やっぱりどこか悲しそうで、戸惑っているようだった。いわゆるまだらボケと呼ばれる症状だ。頭がしっかりしているときは、その直前まで自分が呆けていたことを分かっていたのかもしれない。
診断がついてから何ヶ月も経って、家からそれなりに近い場所に介護施設が見つかったので、祖父を入居させる手続きをした。これで一件落着のはずだった。ところが、一週間後には「無理なので引き取ってください」と連絡が入った。何度も頼んだが、手に負えないから無理だと断られた。手に負えない原因は、主に精神的な症状だ。場所や状況を認識する能力が低下しているので、そこがどこなのか、なぜそこにいるのか理解できない。家にいたはずがいつの間にか知らない場所に連れてこられたと思いこみ、何度も脱走しようとした。止めようとしても、自分は被害者だと思っているから暴れる。祖父は身体も大きく、農作業で身体を動かしていたこともあり、暴れると抑えるのは難しかった。収集癖の悪化も災いした。他の入居者の部屋に入りこみ、物を自分の場所に持ち帰るのだ。職員が返すように言っても、自分のものだと言い張って返さない。そして他の入居者とトラブルになる。こんなことが入居直後から繰り返されたので、ついには断られたのだ。
それからは施設探し。祖父の身体疾患のこともあり、施設からは精神的に安定するまでは介護施設よりは病院に入った方がいいと言われた。受け入れてくれる病院などそうそうないから、しばらくは再び悪夢の日々。次の病院が見つかるまでに数ヶ月かかった。
鍵のかかった病院に入ってから、祖父はぼうっとしていることが増えた。薬の影響もあったのだろう。週に一度、一時間かけて病院に行き、洗濯物を預かり、祖父と少し話した。最初の頃は、よく歩いていると職員に聞かされた。その後、車いすに座ってぼうっとしていることがだんだんと増え、歩くことも減った。話しかけると「よく来たなあ」と笑った。祖父から話しをすることはあまりなく、もっぱら私たちの話を聞いた。しっかり話を聞いていると思うと、急にぼうっとしてしまうこともあった。もう慣れていたから、そんなものだと思うようになった。祖父の顔は、だんだん穏やかになっていった。
入院から半年ぐらい後のことだと思うが、祖父の状態が落ち着き、特別養護老人ホームに空きが出た。すぐに祖父をそちらに移すことになった。ホームには病院と同じように鍵がついており、入居者が自由になれるエリアは鍵の内側だけだったが、病院に比べると明るく開放的で、入居者が昼間に集まっているロビーの雰囲気も、なんとなく暖かみを感じるものだった。祖父をそちらに移してからも、週に一度、洗濯物を取りに行っている。施設に全部まかせることもできたが、父がその程度の面倒は見たいと言って譲らなかった。祖父は他の入居者とは少し離れた場所、ロビーのそばにある職員詰め所の入り口に、椅子を置いて座っている。職員は「いつもあそこに座ってますよ。よく分かりませんけどお気に入りみたいです」と言う。昔、警備をしていた名残だろうか。守衛として座っている時間も長かっただろうから。祖父に声をかけると「よく来たな」と私の名前を呼んで、にこにこ笑う。私が久々に祖父を見舞ったのは、ちょうどこの時期、少し暖かくなってきた頃だ。
その後も現在まで、父は週に一度は祖父を見舞い、祖父の洗濯を愚痴もこぼさず楽しそうにやっている。母は「お母さん、ノータッチだから楽でいいわ」と、のほほんとお茶をすする。一時期の被害妄想は、ほとんどなくなり、よく笑うようになった。家に寄りつかなかった弟は、遠方で就職したくせに「家の方が落ち着く」と、長期休暇のたびにぎりぎりまで長居する。妹は地元で大学に進み、家の中ではよい意味でワガママな振る舞いをするようになった。弟妹はときどき、父について祖父のところに行く。以前とは違う意味で家の中がやかましくなった。みんな、笑えるようになった。
私は結婚して家を出た。ときどき、父と一緒に祖父のところに出かける。このごろ祖父は私のことがわからなくなった。祖父は私を、祖父の娘の名前で呼び、話しかけてくる。私はにこにこしている祖父のために、にこにこながら受け答えをする。内心はかなり複雑だが、もしそれを表に出せば、また祖父を難しい顔にさせてしまうかもしれないから。同じ時間と場所を共有していても、祖父が見ている景色と、私が見ている景色は多分違う。それを共有できることももうないかもしれないが、いつも難しい顔をしていた祖父がにこにこと笑っているのだから、これでよかったのだと思いたい。
ゼクシーに掲載されてるのは高いよね。
親戚、友達抜きで家族だけでやったよ。
式だけなら10万円代でいけるし、食事会を入れても30万代だったよ。
写真撮影入れても40万ちょいくらい。その他もろもろで50万ちょっと全部でかかったかなー。
それくらいなら頑張って準備できるんじゃないかな。
ちなみに、古い公共の施設で式をあげたんだけど、
見栄えするしそんなに高くないし、おすすめだよ!
式だけでも頑張って挙げてみたらどうかなー。
花嫁さんって凄くきれいで惚れ直した!
何の問題も無く話が進み、二人であーだこーだいいながら色々考えて。
こちら結婚の予定はあるけどお互い貧乏で貯金もないから、結婚式は挙げたいけどいつになるか、挙げられるかどうかも分からない。
挙げるなら数十人くらい、親戚ひととおりと友人たちという目標でいる。
結婚することになってから一応参考にはしてみようと思ってzexy買ってみたけど今の自分から見ると天文学的な費用だ。
彼氏にも情報として読んでおいてほしかったけどページをめくりもせず。
お金がないからと諦めているのか、興味がないからなのか。
件のゼクシィカップルは式を挙げることを前提に話が進んでいるのもうらやましいし、何より彼氏がノリノリなのが非常にうらやましい。
自分としては結婚式に漠然と憧れはあるし、絶対やらなきゃいけないものじゃないけど挙げた方が親も喜ぶだろう、花嫁姿みせたいという気持ちもある。
かといって何でこんなにお金かかるんだろう、もったいないという思いもある。
6年つきあってるせいもあるかもしれないけど、式のことが曖昧なままだと何か気持ちも盛り下がるなあ・・・
みんなの前で結婚宣言してくれて、とっても嬉しかったんだけど。
エクストリームなエロゲー……それはあまりにも「やりすぎた」挙げ句、泣けるとか萌えるとかエロいとかを通り越して、もはや笑うしかないエロゲー。
それは、エロゲーという日本オタク文化の極北においてさえ異端としてしか存在できないもの。
というわけで今年プレイして「こいつぁエクストリームだぜ!」と感じた名作ベスト5を紹介する。
というか、これを紹介したいがためにこのエントリを書いている。
アフリカの一部の部族のように伸ばした乳房で蝶蝶結び、自分の身体より大きくなった乳房に寝そべる、乳首チンコ化、野生化……何を言っているのか分からないと思うが、本編はもっと訳の分からないシチュエーションばっかり(というか、それしか存在しない)なので覚悟するように。
全編獣姦という、動物好きにはたまらないであろう一本。
最初は『犬の花嫁』というタイトルだったが、あまりにも直裁的だったためか、発売未定になった後に現在のタイトルに変更して無事世に出ることとなった。
また、ルート数削減のためなんだろうが、ハードな選択肢とヌルい選択肢が出てきた場合、プレイヤーがヌルい方を選んでも「いやそれじゃ手ヌルいな!」的なことを言って結局ハードな行動をとる主人公の自分勝手っぷりは強く印象に残る。
萌えゲー的なパッケージで、公式サイトで紹介されているCGもとってもソフト。
実際、本編にはエッチシーンが一つもない……が、この作品がその本性を現すのはクリア後。
ここではアナザーストーリーとして各キャラクターのエッチシーンが開放されるんだけど、これがもうエクストリームなまでにハード。
フィストファック・異物挿入程度は当たり前、子宮摘出・内臓破壊などもはや「これはエロいのか?」と不思議に思うレベルにまで達している……が、この作品で真にエクストリームなのはそこではない。
萌えゲーを求めて買った人はショックでブチ切れるだろうし、その逆にハード系好きは「なんだ萌えゲーか」と一見では回避するだろうし、一体何を考えているのかサッパリ分からない制作者が一番エクストリームである。
はっきり言ってこの作品自体は別段大したことがないんだけど(いや全CGが妊娠ver.になるという凄い裏モードはあるけど)、凄いのはこのスワンというメーカーの企業姿勢。
『孕ら☆みん!!』『孕ら☆カノ!!』『人妻お姉さんとツンデレ幼なじみの孕らんだ関係』『姉は教師で新人メイド ラブラブ孕ませ生活!』『孕ら巫女姉妹』と、この1年だけで孕ませテーマのゲームが実に5本!
一体何がこのメーカーをここまで突き動かしているのか分からないが、この異常な愛情は十分エクストリームだ。
2位に引き続きDelta登場。
一体このブランドはどこを目指しているのか。
本作のウリは「全編ふたなり」で、『飼育白書』に比べれば題材的にはやや大人しい。
だがエクストリームなのは主人公(ふたなり)の行動で、電車内で後輩に欲情して痴漢、レイプされる憧れの先輩を見ながらセルフフェラ、その先輩と衝突した挙げ句逆ギレしてレイプなど、そのリミッターのはずれきった行動には大笑いさせられた。
言わずもがなの一本。
クソゲーの新たな領域を創り出したという点において、これも一種のエクストリームゲーと言って良いのではなかろうか。
ここで紹介したものは、お世辞にもシナリオが良いとか、作品としてとても優れているとは言い難い面もある。
ただ、エロゲーというある種のキワモノ文化の特色を最も活かしている作品群であることは確かだろう。
エロゲー規制の話が出ると必ず「いや感動するものもある」「素晴らしく考えさせる作品がある」的な反論をする人がいるけれど(ちょっと違うけど堺市のBL本問題でも似たような論調の人がいた)、ああいう反論は逆にジャンルの幅を自ら狭める結果になるから危険だと思う。
URL:http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/news/1227360560/
不謹慎ではあるが、『余命1ヶ月の花嫁』に関連した話題を取り扱おうと思う。尚。この文章の予備知識は、まとめwikiや2chのスレッドから取得して欲しい。
お亡くなりになられた(?)方の側近のイベコン達がとたんに本やテレビの話をブログでし始めたのよ。それもほぼ同時期に数種類のブログで。中には本の感想を書いてるブログもあったくらいで、今から思い返すとますます怪しい。もしかするとこの話。この業界のタブーなのかも。だからイベコン事務所内でも、「宣伝しろ」とか「この本の内容について振れるな」とか色々あったっぽい気がするな。BBQ開催の是非は別にして、なんか裏で色々ありそうだ。最も。イベコンとして目のあるコほど、こういう火の気の多いネタには食いつかないとは思う。(きちんと言う言わないを使い分けてるので)
ねえ従兄弟どの!どうして私の忙しい時期にかぎって結婚式なんてするのかな?かな?
いや世間的にはかなりいい時期だってわかってるさ!わかってるけれど、この一ヶ月睡眠不足の増田は超自分本位に逆恨みしちゃうんだぜ!ヒャッハー!
ぶっちゃけ結婚式の親戚席くらいそっちの親戚オンリーでいいじゃん!じゅうぶん足りる足りる!こちらへのお呼び出しは不要です。いっそ集落まるごと呼んじゃえ…オーケイオーケイ、分ってるよ親戚ズ。断ったら出席すると言うまで電話攻撃してくるんだろ?もう従姉妹の式で懲りてるさ。
てめーなんか美人の花嫁さんの尻にしかれて幸せな家庭を築いてしまえコノヤロー。
私、これ登録したら故きょ…仕事に戻るんだ…。
式はともかく披露宴の料理は(ほかはおきまりの・・・・)不味いのレベルだし二次会会場までは1時間半もかかったし散々だった。
そんなこと思う自分に嫌気もさすが。
一年経って当時の花嫁のブログから(式場からお食事券が送られてきたらしい)
去年は花嫁だったので一口も食べられず、ようやく(食事に)ありつけました。とのコメントと写真付き。
の一文にカチン。あんな不味いメシはそうそうねえっちゅーねん。ああ、こころ狭いよじぶん・・・・
当日の料理は不味かったし、二次会会場はめちゃくちゃ不便な場所だったし、他人の集まりばっかりでグループはぱっきり別れてるからところどころしか盛り上がらなかったし。
二次会会費が高い割に全体的にしょぼいし(披露宴会場の花を使い回し)、花嫁自ら「黒字かも」とか言うのを聞いちゃったし(二次会で黒字ってどんだけケチ!もとからケチだったけど)、ああなんて最悪。
「結婚1周年です」なんてメールもらったから思い出しちゃったよ。
縁を切らなかった自己責任?
じいさんはもう長いこと寝たきりだ。
脳の血管が詰まって倒れて以来ずっと、ばーさんが身の回りの世話をしている。
先日帰ったときには、もう口からものを食べることができず、身体に穴を開けてそこから流動食を流し入れるようになっていた。
それでもにこにこ笑いながら「長生きしてよ」と話しかけているばーさんを見ていると目から水が流れそうになってなにもしゃべれなくなってしまう。
小さい頃からじいさんっ子だった。らしい。
裏の川でうどんをえさに魚を釣ったり。
じいさんの運転する耕耘機に乗せてもらったり。
小さい頃のじいさんとの思い出もいっぱいある。
嫁に行く前写真を整理していたら、振り袖を着た自分と普段着のじいさんのツーショット写真を見つけた。
照れたようなじいさんの顔がなんだかかわいかった。
あの頃のじいさんはまだ普通に自分の足で立って歩いていた。
寝たきりになっていたじいさんには結婚式に出席してもらえなかった。
ベッドの上でなんだか分からないことばをふがふが言ってるじいさんはとても小さくなった。
たぶんきっと、もうあまり長くないのだろう。
飛行機に乗らないとじいさんに会いに行けないトコロに住んでいる自分は年に1、2回しかじいさんに会えない。
最近は、もしかしたらこれが最後になっちゃうのかなぁと思いながら会いに行く。
ふがふが言ってるじいさんが、自分のことを認識しているのかどうかももう分からない。
それでも。