はてなキーワード: 花嫁とは
競技人口の少ないゲームというのは、まぁ、水準が下がっちゃうんだ。
「女子が大学に行くこと」それ自体について否定的な親が多かった時代というのは長かったし、
最近は廃れたが「女子が共学の大学に行くこと」を否定的に考え、女子大がいいとされていた時代も長かった。
また、いずれにせよ、大学で学んだ専門性を社会で活かす、ということを女子がやるということについて否定的な親が多かった時代も長い。
中流の上以上の家庭における花嫁修行の一環としての大学、というやつだ。
この時代のその層の女子の親のゲームのゴールは「官僚や一流企業社員と結婚させる」だったから、
そういう面において有利だったといえない東大に娘を入れるという中間目標を立てる親もそんなに多くなかった。
そんな時代が長かった。
「子どもを東大に入れて官僚にするぞ」というゲームに参加する女の子の親が増加したとしても、それはごく最近の話だし、
まだまだ男子ほどの競技人口ではない。さらに、「東大に入れて官僚にするぞ」が子どもの人生のゴール設定として適切かどうか、
疑う親も増えている。これは性別関係ないが。
こういうゲームって、ものすごいヒステリシスが存在するから、現状、数で女性の比率が少なくなるのは、それはそれで致し方ない。
去年から学生時代の友人の結婚ラッシュで、この2年だけで8回結婚式に出た。
その幸せそうな顔を見るのは、こちらとしても、とても嬉しかった。
他人と所帯を持ち家族になるという新郎新婦の決意に対するエールなんだと思ってた。
その一方で、自分自身はまったく結婚に興味がない。
自分は貧乏院生で、研究にせいを出し、論文書いたり、発表したり、教えたりするのが楽しい。
付き合っている人はいるが、結婚の必要を感じないし、したいとも全く思わない。
それでいいと思ってきたし、今も思っている。
未婚の友人たちでさえ「結婚してこそ、ちゃんとした幸せな人生」と思っているらしい。
この年末年始には、既婚未婚の友人たちに
「研究もいいけど、自分の幸せをちゃんと追求しなよ。いいよ、結婚!」と勧められまくった。
彼女らにとって、研究はあまり「幸せ」には結びつかないらしい。
私にとってはかなりの幸せなのだけど、まあそれはいい。ただ、
「綺麗なウェディングドレス着て、一生分の『おめでとう』を言われて、祝福されるんだよ」
といわれるに至って、私は釈然としなくなってしまったのだ。
結婚式に招待されたら、私は心から新郎新婦の幸せを祈るけれど、
でも結婚はいわば単なる節目なのであって、それ自体が「幸せ」であるわけじゃあないのでは?
それに、結婚式は、皆に祝福されるために開催するものじゃないんじゃないの?
そう言うと、友人は「違う」と一蹴。
「結婚式は、皆に祝福されるためのものだよ。
花嫁は、花嫁姿になって皆にいっぱい祝福されて花嫁になるんだよ。
そのための結婚式だよ。そうでなきゃ、なぜ結婚式の主役が花嫁で、
ドレスや打ち掛けで着飾るの。それに、そもそも結婚は幸せなもんなんだよ。
そう思えないないなんて、ちょっと不幸だよ」
友人はそう言った。
そう言われると、そんな気がしてくる。けど、でも本当にそうなのかな?とも思ったのだった。
結婚式が、おめでとう、と言われる為のものなのだとする。では、なぜ結婚はめでたいのだろう?
他人と所帯を持つことにしました、ということ以上の「めでたさ」を、結婚式は演出してる気がする。
私は、「結婚するのがなぜめでたいのか」について、これまで何も考えずに
「おめでとう!」と言ってきたんじゃないだろうか。
そう思うと、なんだか心の中がもやもやしてたまらない。
記事で問題になっているのは著作権だが、それには触れない。
但し、プロレタリア革命はブルジョワ革命が完遂した後に起こる、或いは現在の自由主義が歴史の終焉であると言った話題は、手に余る。
同じ20世紀で、しかも大衆芸能について、一定レベル以上の成熟と大衆性を獲得した(だから、純文学や前衛藝術を除く)ジャンルでは似たような進化を辿るのではないか、という話。
>>最後に取り上げる例は、ジョージ・スティーブンスの古典的西部劇『シェーン』である。周知のごとく、西部劇というジャンルは四〇年代の終わりに最初の深刻な危機を迎えた。純粋で単純な西部劇は、いかにも作り物で単純な繰り返しだ、という印象を与えるようになった。西部劇の公式は使い尽くされたようにみえた。作家たちは、他のジャンルの要素を西部劇に盛り込むことによって、この危機に対処した。かくして出来上がったのが、フィルム・ノワール的西部劇(ラオール・ウォルシュ『追跡』。この映画は、フィルム・ノワールの暗い世界を西部劇に移植するというほとんど不可能な仕事をなしとげた)、ミュージカル・コメディ的西部劇(『略奪された七人の花嫁』)、心理的西部劇(グレゴリー・ペックの『ガン・ファイター』)、歴史叙事的西部劇(『シマロン』のリメイク)などである。一九五〇年代に、アンドレ・バザンはこの新しい「反省的」ジャンルをメタ西部劇と命名した。
この「メタ西部劇」は『西部劇』自身のパラドックスであり、その「メタ」の部分は/西部劇そのもの/である。いいかえると、この映画は、西部劇の世界にたいする一種のノスタルジーにみちた距離を含んだ西部劇である。『シェーン』が生み出す効果を説明するには、ふたたび視界の機能に言及しなければならない。つまり、常識的なレベルに留まっているかぎり、すなわち視線という次元を導入しないかぎり、単純で理解できる問いが生じる──もしこの西部劇の「メタ」の次元が西部劇だとしたら、二つのレベルの間の距離はどう説明されるのか。どうしてメタ西部劇は西部劇そのものとぴったり重ならないのか。どうして純粋で単純な西部劇はできないのか。答えはこうだ──構造的必然性によって、『シェーン』はメタ西部劇のコンテクストに属している。<<
(スラヴォイ・ジジェク著 鈴木晶訳 斜めから見る。青土社 P121
猫も杓子もジジュクを使いまわしている昨近、またか!と思われる方も多いだろう。またか、である。
アンドレ・バザンの≪超西部劇≫(sur-western)は、時間=歴史的な対象、一九四〇年前後の古典主義に対する一九四四年以後の「進化した」西部劇を指し示す。対して、ジジュク≪メタ西部劇≫は、空間=図式的な観念である。それは「メタ」の次元とそれ以外の次元からなる「二段の棚」であり、話を進める上で好都合だったので、持ってきた。
日本の場合、過去の例で思い当たるのは、時代劇だが、最近では、何といっても、ロボット・アニメかな、と。(時代劇については、ここでは触れない)
名前はいちいち挙げないが、歴史叙事的ロボット・アニメ(西部劇では実際の過去の出来事だが、ロボットがポピュラーな時代は未だ来ないので、未来、或いは仮想世界が舞台になる戦記物)、コメディ的ロボット・アニメ、(破綻も含む)教養小説的ロボット・アニメ、ファンタジー的ロボット・アニメ、ラブストリー的ロボット・アニメ、その他、いろいろ。
では、”その「ロボット・アニメ」は『ロボット・アニメ』自身のパラドックスであり、その「メタ」の部分は/ロボット・アニメそのもの/であるような作品、ロボット・アニメの世界にたいする一種のノスタルジーにみちた距離を含んだロボット・アニメ”、西部劇で言えば「シェーン」に該当するロボット・アニメは存在するだろうか?
女はクリスマスケーキだとか言われる時代に20代を生きてとっくに適齢期とやらを通り過ぎて今も生きている私だが、自分は人の幸福に打ちのめされたりもしないし、それほど自分の生き様を惨めに感じていないと思っていた。
思っていた、が、ある日、猫の写真を目当てに通っていたサイトの主が、猫の写真ではなく、とても美しい奥様の花嫁写真を載せられた。
まるでモデルのように美しい花嫁。でもモデルではなく、猫が大好きな、そしてとんでもなくボランティア精神にあふれているらしい、でもただの普通の女性。
CMの美女モデルのウェディング姿などにはまったく動じなかった心が、その普通の女性の美しい花嫁写真に、唐突に崩れ落ちた。
死にたいと思った。自分は惨めだと思った。なぜ私はこう生まれられなかったのだろうと思った。
ちょw みんな変な反応が。
自分のことを女だとあまり思っていないからです。思いたくないのかもしれない。「きれい」とか「可愛い」とか言われるのも苦手。女性らしい服装は、女装している気分になってしまう。ウエディングドレスを着たらきっと、「きれいな花嫁さんね」的なことを言われること確実だし、いっぱい写真残っちゃうし、嫌です。結婚式をそんな嫌な思い出にしたくありません。
あなたが男性だったら「もし自分がウエディングドレスを着なくちゃいけなくて、しかも”きれいねー”とかいわれるとしたら」と想像してみるがよい。彼にこの質問をしたら「なんで俺がウエディングドレス着なくちゃなんないの?!」といってましたが、自分も同じ気持ちです。着物はあまりひらひらしていないし、ぱっと見ての男女の差がそれほどないので、神前にしてもらうと思います。
軍服。なにゆえ。
ウエディングドレスの代わりに、「ふたりとも燕尾服」着たいけど、ゲイの結婚式みたいになるから無理だろうな。さすがにそこまでさせられないな。彼に。
見るに耐えない姿になるから着たくない!というわけではないので、写真技術は関係ないよ。
anond:20071105151436プロポーズされました(元記事)
もともと「いつか結婚しようね」とお互い話していて、プロポーズはそのうち、どちらから言い出してもO.K.ということになっていた。特に特別な日だった訳でも、プレゼントが用意してあった訳でもなく、ふとした雑談がなんだかそういう雰囲気を作ってしまったので、「結婚してください」といわれた。いやー。照れるね。恥ずかしいね。
といっても、いつ頃結婚するのかとか決めていないので、いままでとなんら変わりはない。指輪とかも、くれるつもりらしいけど、まだ。本人は「うーん、どういうところでどんな用意をしてとか、一応考えてたんだけどな。言いたくなっちゃった、っていうか、今がそのときだ、みたいな雰囲気だったからさ」とのこと。「じゃあ、今の取り消して、あとで改めて言う?」ってきいたら、さすがにそれはないと言っていた(笑)。自分は「夜景の見えるホテルで☆」とかいう希望はないので、問題なし。
でもそろそろ、いつ結婚するのか、結婚したらどこに住むのか、仕事はどうするのか、子どもはどうするのか、とか諸々、本腰入れて考えていかないとね。
ちなみにプロポーズは「増田がしたくなったら、増田からいってもいいんだよ」といわれていたが、自分の仕事がけっこう大変な時期なので、「いまケコンしてくれ、とかいったら、向こうはそんな風にとらないだろうけど、俺様のプライドが許さん・・・!!」とか思っていたので、いや、まあ、「やっぱり増田は仕事をやり遂げられなかった」って、一番自分が悔いちゃいそうなので、そうならなくてよかったな、と。結婚しても仕事を続けるかどうかは、未定なんだけどさ。やめる予定がある訳でもないんだけどさ。
披露宴はやらない予定。できれば。ウエディングドレスは花嫁の意向で、着ません。絶対に。絶対に着ません。(ただ、花婿の意向で、写真だけはとるかもしれません)
新編真ク一覧。大体1500円。
新編真ク・リトル・リトル神話大系2巻の折り込み広告に載ってたのを元に作成
後ろの対応はhttp://homepage1.nifty.com/ta/sf1/cthulhu.htmを参考に作成
元彼とは同い年で、二十歳の頃から7年間付き合っていた。
お互いの親にも紹介をして、このままこの人と結婚すると、思っていた。彼もおそらくそう思っていたと思う。
付き合って五年目の時、実家の父が癌だと知らされた。
それまで父に頼りきって生きてきた母は混乱し、とても一人にしておくわけにはいかなかった。
電話口で、いつも彼はすまなそうに、仕事が忙しいことをそれとなく口にする。
私の都合でこうなったのだから、彼が申し訳なく思うことはないのにと私はいつも思っていた。
そんな彼が、逆に私には苦しかった。
彼に余計な心配をかけたくなくて、悪くなる一方の父の容態についてもあまり詳しくは言わず、当たり障りない近況だけを伝えた。
私が彼の前で取り乱し泣いたのは、父が死んだという連絡の電話をしたときだけだった。
彼が来てくれて本当に嬉しかった。
私ひとりでは、すっかり弱り切った母を支えることもできなかったかもしれなかった。
彼からは、三回プロポーズをされた。
一回目は私の父が癌だということがわかったとき。彼は「花嫁姿を見せてあげよう」と言ってくれた。
嬉しかったけれど、私はすぐに頷くことができなかった。
なぜかはわからない。
父の死が妙にリアルに迫ってくるような気がしたのかもしれない。
彼の誠実さをわかっていながら、そんな言葉尻をとらえていちいちひっかかるる自分も嫌だった。
結局、父が「東京に娘はやれない。」と言ったことで、この時は話が終わってしまった。
二回目は、父が亡くなって一年が経った頃。
父がいない日々にまだ馴染めない母をひとり置いて、東京に行くことはできないと思った。彼にもそう言った。
彼は「お母さんも東京に呼んで、一緒に三人で暮らそう」と言ってくれた。
でも、今の母が、新しい土地で新しい生活に順応できるとはとても思えなかった。
結局、母が「地元から離れることはできない。」と彼に言った。
そう言われては、彼も引き下がるより他なかったのだろう。話は終わった。
私は二度も、逃げた。母を説得することも、彼にきちんと向き合うことからも。
そのうえ、彼がこの土地へ来て一緒に暮らすと言ってくれれば…などとかすかに期待している。
そんな自分が許せなかった。
これ以上彼を振り回すわけにはいかない。
私が彼との未来を諦めればすむことだった。
私のこれからは、この故郷にあるんだ、そう言い聞かせて彼のことも東京のことも、忘れようと決心した。
私が唯一した決断だった。
三回目、これが最後のプロポーズになった。
彼が突然、話があるからこっちへ来ると電話をくれた。
私は言った。他に付き合っている人がいる、と。
私と彼は、7年目に、終わった。
その後、3年が過ぎた。お互い30歳になっていた。私も彼も、その後新しい恋人と付き合い、同じく別れていた。
彼が言った。「旅行に行こうか?」
私は言った。「Hなしで友達としてね。」
たった一泊、でも本当に楽しい旅行だった。不思議なほど、自然に彼と一緒にいられる自分がいた。
冗談を言い合って、素直に笑って、昔みたいにお酒を飲んで。お互い30歳だねと笑いあった。
彼はそのまま、帰っていった。彼の乗る飛行機をデッキで見送りながら、昨日の夜の言葉が、ぼんやりと思い浮かんだ。
「お互い30歳だね」。
若い頃…彼の隣で無邪気に笑っていた頃は、30歳の自分はもっと大人だろうと想像していた気がする。
実際は、何も変わっていない。
たったひとつ、自分でした決心でさえも、こんなふうに揺らいでしまう。
思わずこぼれた涙を慌てて拭き取って、私は空を見上げるのをやめた。
私はいつでもいくじなしで、二十歳の頃と変わらない子どものままで。
でも仕方がない、それが今の私なんだから。
彼と旅行して、そのことを思い知った。たぶん、そのための旅だったんだと思う。
過ぎた時間は取り戻せない。
あの頃のように振る舞えたのは、私たちが遠く離れてしまったからだ。
彼の乗った飛行機が雲間に消える時、一瞬光ったように見えたのと同じだ。
デッキに吹く強い風が、不意に私の体を強く煽った。
倒れそうになるのは、隣に彼がいないからじゃない。
風に逆らおうとするからだ。
私は出口へと踵を返した。風は背中を押してくれた。
元彼女とは同い年で20から27歳まで付き合ってた。
一応お互いの親に紹介して、このまま結婚すると自分も思っていた。たぶん彼女も思っていたと思う。
25歳の時、彼女の親父さんが癌だということが判明し、彼女は看病のため地元へと帰っていき遠距離恋愛が始まった。
そしてある日彼女の親父さんがなくなった。
朝4時頃に泣きながら電話があった。
電話をきった後すぐ飛行機を予約し、彼女の地元へ向かい通夜と葬式の手伝いをした。
1回目は彼女の父親が癌だと判明した時、花嫁姿を見せてあげようとプロポーズした。
自分がいなくなった後の妻のことを考えたのだろう。
2回目は彼女の父親がなくなって1年たった頃だった。
俺はいった。「お母さんも一緒に東京に呼んで、三人で暮らそう。」
彼女の母親から「地元から離れることはできない。」と断られた。
まだ夫の死から立ち直ってはいなかった。
親の問題は何も解決はしてなかったけど、婚約指輪を買って彼女に話したいことがあるから地元にいくと電話した。
彼女はいった。「もう他に付き合ってる人がいるの。。いえなくてごめんね。。。」
3年が過ぎ、お互い30歳になっていた。
僕はいった。「旅行に行こうか?」
彼女はいった。「Hなしで友達としてね。」
1泊だけど楽しい旅行だった。本当に何も違和感のない旅行だった。
冗談をいいあって、素直に笑って、昔みたいにお酒を酌み交わした。お互い30歳だねと笑いあった。
帰りの飛行機の中、考えたら駄目なことだが、
「彼女の父親が癌にならなかったら、どうなっていたんだろう。」
と僕は考えていた。
こんなこと考えても何もならないし、誰も幸せにならないなんてわかってるけど考えていた。
それとももっと僕がうまくやっていれば他の道があったのだろうかと考えていた。
何かを得たのかもしれないが、どちらかといえば何かをまた失くしたのかもしれない。
これからも色々なものを引きずって僕は生活をしていくと思う。
色々な問題にぶつかって、色々な人と出会い、その中で何かを得て、何かをまた失うのだろう。
それでいいのかもしれない。
我ながら30歳で情けない男だと思う。
でもそれでいいのかもしれない。
とりあえずだ。