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はてなキーワード: 日本語の乱れとは

2016-06-06

どっかの国も知らん外人に「を」の発音が難しいと言われたが

「お」って俺も言ってるから気にすんなよって言っておいた。

日本語の乱れかくもここにありきかと。

2015-07-11

日本語の乱れ」「言葉は生き物」とかもそうだが、

「既に定着してしまったのならそれを認めよう」と、

「どんどん変えちゃって構わない」は違う。

2014-09-24

人間の成長は20歳ごろには止まるというが

だったら「成長できる職場です」というのは一体全体どういう職場なのか。

別に日本語の乱れをどうこうしたいわけではない。

言葉に付随するイメージを援用するためにあえて比喩的に用いる行為も、うまくやってのけられたなら賞賛に値する。

文句があるとすればその程度の詐術社会丸ごと引っかかる馬鹿さ加減のほうだ。

成長という言葉は発育という言葉ほとんど同義で、組織の不可逆的な大きさの変化、複雑化のことを表している。

人間身長20歳を迎えるころには既に変化しないものだし、したとしてもそれは遺伝的な要因だろう。思春期バスケやったら身長伸びるとかじゃあるまいし、仕事場でどうこうなるものなわけがない。

こういうことを言うと、精神的に成長してるだのなんだのという反論が当然出てくるだろう。

しかしながら脳組織は体よりも成長が早く年齢一桁代で八割方完成しているものだし、経験あくまでも経験である。処理プロセス最適化を成長と言い張られても困る。私のパソコンが毎週金曜の夜に成長していることになる。前よりだいぶ遅くなってるのに。

まあ、新しいことを覚える、というのが成長というなら一部は認める。泳ぎ方とか自転車の乗り方とか、一度習得したら二度と忘れないのに関してはそうかもしれないが、エクセルの使い方なんぞ私自身前に覚えたが、使う機会がなかったのでもう忘れてしまった。

つまるところ要するに、巷で言われている成長というのは、周囲の環境に合わせての可逆的な変化、つまり適応のことを言い換えてるだけなのだろう。

お仕事を通して自身適応できる職場です!」というわけだ。

そりゃあまあ郷に入っては~とは言うし、社会生活を送る以上はあるていどの適応はやむをえない。しか適応するのは大抵その環境が好ましいから、という理由であって、適応するために環境を選ぶなど、よほど実験的な目論見でもない限りやることじゃないのではなかろうか。

適応を前提とするというのは、あなた人間性がこの職場に合っていようが合っていまいが一律に部品として矯正しますね、と宣言しているに等しい。

はっきり言ってそういう不合理で不愉快環境適応する気はさらさらない。

さて、野垂れ死ぬまで後何年?

2014-04-23

文化庁の「ことば食堂」がずる過ぎる

役不足」の正しい使い方は? 文化庁言葉の本来の意味を“提供”する「ことば食堂

http://hatenanews.com/articles/201404/20242


へえ、と思いながら公式サイトを見て目を丸くした。あの言葉がない。

http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/kokugo_sisaku/kotoba_shokudo/index.html


確信犯」。

平成14年度の国語に関する世論調査で「役不足」と並んで誤用が広く知れ渡り

慣れ親しんだ意味で使おうものなら鬼の首を取ったように吊し上げられるようになったこの言葉がない。


役不足」や「流れに棹さす」はあるのに、「確信犯」はない。

いやいや、単に選ばれなかっただけでしょ?と考えるかもしれない。

違う。

ここに「確信犯」がないのは十中八九、悪いと分かっててわざとやる という意味誤用ではなくなったからだ。


そもそも政府がいう正しい日本語とは何か。

確信犯」や「役不足」を誤用と断言した時点で、日常的に十分使われている=正しい日本語 ではなさそうだ。

何をもって正誤を判断したのか。

残念ながら資料を見つけることはできなかったが、フツーに考えて古今東西辞書を根拠にしているのだろう。

他に出典を使う理由がない。もし学者のお偉いさんを連れてきているとしても、結局同じことだ。


で、「確信犯」という言葉広辞苑第六版(2008年)で次のように定義されている。


>(1)道徳的宗教的または政治的確信に基づいて行われる犯罪思想犯・政治犯・国事犯などに見られる。

>(2)俗に、それが悪いことと知りつつ、あえて行う行為


俗に…と濁した言い方はしているものの、(2)の意味として堂々と掲載されている。

同じ第六版の「役不足」であっちの意味がわざわざ誤用と明言されている(>誤って、力不足の意に用いることがある。)以上、

これは広辞苑的にはもはや誤用ではなく、定着した1つの用法と判断したと見て間違いないだろう。

既に広辞苑以外の辞書でも「確信犯」の意味を2つ載せているものは多い。


もう正しい意味で使われているのなら文化庁で取り上げる必要いねめでたしめでたし

で済ませてしまっていいのだろうか。

文化庁の役目は正しい日本語を広めることであって、あれは実は誤用なんだよプププというウザいトリビアを広めることではない。

からこそ、日本中に広まってしまった確信犯のあの意味誤用」という誤用を、文化庁自ら発信して正すべきではないか?


もちろん、文化庁辞書以外のよりどころを持っていて、その信念に従って「確信犯は(未だに)誤用!」と断言するのであればそれでいい。

でもそれだったらなおのこと、ことば食堂に「確信犯」を載せて、正しい意味啓蒙すべきではないか。

現状では、平成14年時点の情報で止まっている人が、最新の辞書定義を知る人を笑っている。

これは文化庁が最も避けたい、日本語の乱れというやつではないだろうか?


まさか、あれだけ大々的に誤用アピールをしたのに今更違うだなんておかしいし辞書が変わったから正しい意味も変わりますなんて何だか言いにくいよ~ とか

そういう背景はないと思っている。ただ、今は誤用じゃないからという理由で取り上げないのだとしたら、やっぱりずるい。正用も言葉の変化も等しく広めるべきだ。



(追記)よく見たら日記が重複してたので削除。失礼しました

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