はてなキーワード: 平行線とは
あまりインライン的引用は避けたいんですが、ちょっとやむを得ないかと思いますので失礼しますよ。
では、私が知らなかったそういう経緯があったとしましょう。しかしあれに反応した一般の人の中には、私並みに無知な人も大勢いたのでは?
あなたは七生事件をご存じであった、それどころか増田で書かれていたという記事を読みましたが、「知らなかった経緯」と書かれるのはなぜでしょう?
また、これはもっとアピールすべきだという問いですか?七生事件でググれば山ほどアピールの痕跡が出てくると思います。
繰り返し私は書いていますが、18歳未満のセックスを禁ずることで、コンドームやピルを手に入れられなくなる事の弊害は、どのように考えますか?
禁じれば手に入らなくなるという理屈がわかりません。未成年者に対してポルノの販売は今でも「建前上」禁止・自主規制されているはずですよ。
酒・タバコ・ポルノ、なんでしたらドラッグなどは、それ自体が目的ですので、みんながんばって入手します。
しかし、例えばコンドームはなくてもセックスできます。わざわざ身分証明書を借りてきたり偽造したりしてまで(現状で高校生が酒を買う方法です)、コンドームを買うかというと疑問です。がんばらないと入手できない状況を作ることは危険です。できれば、未成年には無料で配布したいくらいですが、禁止されていれば無理ですね。
特にピルは処方薬ですので現状でも医師の診察が必要であり、入手は困難です。法的に禁止されれば入手は今以上に困難になります。
で、建前として18歳未満はセックスを禁ずるべきと言う論ですか。
たぶんここはどこまで行っても平行線でしょうね。
1.出来る限り人間の自由は制限されるべきではない
2.避妊手段へのアプローチが困難になる法整備をすべきではない
の2点から、私は「禁止」には反対します。
ところが、出典は失念してしまいましたが、自分の裸を撮ったことで、本人が「児童ポルノ製造」の罪で逮捕されたという話がありましたよ。
ソースは確認しましょうよ。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090924/crm0909240201001-n1.htm
確かにこれは私も疑問に思いましたが、私が「13歳以上を性的対象にすることは虐待ではありません。」と書いた反論としてこれを持ち出す意味が分からないのですが。
販売目的で自分の裸を撮っちゃいけないと、それがキリスト教原理主義まで出てくる話ですか。
その後の論ですが、法はどうしても黒白はっきりしたものにならざるを得ませんので、そのために「児童の性愛全部禁止」と書かず、いろいろ細かく規定しているのだと思います。恣意的に解釈される条文を設けることは、刑事法としては恐ろしい結果を招くこともあります。現実に、児童ポルノ法が曖昧であるが故に、被害者であり加害者であるという謎の女子高生が生まれてしまったわけです。
また、あなたは世論はこうであると決めつけるようですが、私もあなたも世の中の代表ではありませんし、なにか統計を取ったわけでもありません。全てはあなたが感じているだけのものです。それをベースになにか語るのであれば、もっと具体的な根拠が必要だと思いますよ。
あなたが児童ポルノの単純所持や二次元の規制に進むのではないかと危惧されるのは分かりますし、私もその危惧はしています。しかし、それを世間に訴えるためにはしっかりした根拠が必要です。
元増田?が書いた主旨や文脈から、全く逸脱した書き込みをしているのは認めます。
脱線してるというやつですね。まぁ知ってて聞きたくなったので、あえて今回は脱線しました。
それに付き合っていただき、感謝しています。(いつもこんなことしているわけではないですよ。)
前の書き込みでもすこし話しましたが、
感情的攻撃をしない方が良いという一連の流れに対しては、もう議論がすんだつもりでいます。
不特定多数の前で言ったから・・・とか
表現の仕方・・・とか
そういうところを証明したりしようにも、個人の主観的な話や基準や人間観にしかなりえず、
合意を形成できないのが目に見えているからです。おそらく時間をかけても平行線のままでしょう。
そもそもいろいろ互いにズレてるからね。そういうこと言うヤツは懲らしめてやろう的な態度でいるみたいだけど
懲らしめること=本当の問題解決か? と自分は思ってしまうから。
あなたは、それで自分もすっきり。相手の間違いも指摘できてすっきり=問題解決なのだろうけれど。
問題解決ってじゃあどんなことを指すんだよってところがズレてるし。いちいち問題解決で接しなくても良いとかでも
ずれるんだろうし。その他にもそれに付随して色々ねーー。
まぁそんなこんなで短い間ですが、お付き合いいただき勉強になりました。
今回の件、まず個人の立場を述べておきたい。
この3点
1. 看護師の業務で、ミスも含め、看護師→患者への感染が起こるようなことはきわめて考えにくい
「針刺し事故」というのはありますが、これは患者に刺した針を誤って医療従事者に刺すことです。何百回、何千回も採血をやっていれば、稀にはそういうこともあります。しかし、医療従事者→患者へ感染させるには、一度、医療従事者に針を刺すという事故があった後に、さらにその針を患者に刺すという、稀なミスが二度続けて起きなければなりません。そのような事故が起きたことなんて、聞いたことがありません。
2. これまでの報告で、医療従事者から患者へのHIVの感染はきわめて稀で、しかも看護師の業務よりも感染リスクの高い医療行為によるものだった
医療従事者から患者への感染事故の報告をまとめた論文があるのですが、HIVについては、2003年の段階で、全世界で3例のみです。こんにゃくゼリーのほうがずっと危ないです。しかも、その3例は、看護師業務だけではなく、心臓外科手術などを行う医師も含めての話です。執刀医がHIVキャリアだったら、執刀中に誤ってメスを自分の指に刺しただけで感染の可能性がありますから、「HIVキャリアの医師は外科手術はダメ」というのは合理的で差別ではないでしょう。この場合、稀なミスが二度ではなく、一度で感染の可能性が生じます。
3. HIVより感染力の強いB型肝炎ウイルスも、看護師の業務によって感染していないという事実がある
B型肝炎ウイルスはHIVより感染力が強く、しかもキャリアの数も多いです。日本人集団の1~2%がキャリアです。B型肝炎ウイルスキャリアの看護師は多くいます。もしHIVが看護師業務でそれほどたやすく感染するとしたら、B型肝炎ウイルスの感染がもっと多く観察されてもいいでしょう。しかし、看護師業務によるB型肝炎の感染は、私の知る限りではありません。
で間違いないんだろうと思います。
でもそれがわかっても「なんとなくやだ」というのは消えないだろうし、ほかに病院があるなら多分多くの人は多分そっちに行っちゃうだろうなぁと
さて?
この病院を変えた人を、「バカ」だの「残念な人」だの言えるかどうか?今回ちょっと煽っちゃえ的に「行かないよ」なんつっちゃったので煽られちゃった人も出てきてちょっと困っちゃったりしてるわけですが、普通この場合(時期的にまあ想像がつくとしても)理由としてそれは挙げませんよね。だってこうなるから。多分理由なんて問われないだろうし。
そこを無理やり捕まえて「この差別野郎」といっても「うるせぇこのレッテル貼り」で終わる話で平行線。おそらくこの方がいる病院とほぼ条件が変わらなけば他の病院に行くひとが多いだろうと。これ考えすぎですかねぇ。
まあ上記の仮定のもとで経営に影響が出た場合。その怨嗟は当然その人個人に向かうわけで。廃院なんてことになって、特定されてなければなんだかんだ言ってその病院から採用しない→どこからか特定→病気以外の不採用条件を決定→その不採用条件に該当するものは全て不採用(もちろん当人も)→不当と訴えるも不当性の証明が困難みたいなコンボは軽く妄想出来るわけで。あ、妄想ですねすいません。
話が横にそれちゃったので戻すと、言いたいことって言うのは「その病院にはなんとなく行きたくないなあと思う人は多分多いだろうし(おいらもその一人だし)、たぶんそれは事実を知ってもあんま変わんないんじゃないかと思う」ってことです。たぶん個々の人に事実(実際の感染の可能性)を知らせた上で「行く」って聞いたら「行く」って言うと思いますよ。差別主義者だって思われるのやだし。でも実際の行動って違うんだろうなーって。
なんでここまで弄れてるのかっていう話だけど、昔の調査でエコに関するアンケートを取ったところ。殆どの人がエコに関する日常のことはすべきであると回答してた。でも、実際の行動を観察すると殆どしていなかったし、していたとしてもゴミを持っていってもらえないなどの不利益を被るものだったと言う。
人なんてそんなもんで口では正当性を口にするがなんだかんだでベネフィット/コストで動く。つーかほとんど正当性なんかじゃ動かない。で、ここでシャアの登場。つっても「逆シャア」の時のキレたシャア。多分当時の様相だと全ての人類が宇宙に出ることが地球を再生する一番いい方法だったのだろう。でも、動いてくれない。”人類の革新”が待ってるのに動いてくれない。たぶん、ジオニズムってものすごい崇高な理想だしかなり実践的な哲学でもると思うのだけど、多分、みんなそうだよねっていう思想なんだけど。皆乗らない。でシャアはどうするのか「だったら地球にいられなくシテヤンヨ」と言うふうになる。なんか、おいらを非難している人たちからこのシャアの苛立に似た「インテリの上から目線」と「焦燥」を感じるんだよね(妄想かな?)
で、何なんだろうなも思う。貴方達が頭良くて冷静なのは分かった。アクシズをぶつけてこないことも分かった。でもなんか、そうなんか「なんだかなぁ」っていう気分が消えなくてダラダラこんな文を書いてみました。
で言いたくなったわけさ「ならば、今すぐ愚民共すべてに叡智をさずけてみせろ」って。ただそれだけ。
http://anond.hatelabo.jp/20100504021810
やったことを言ったら特定されるって?
うちの子は障害ないけど、幼稚園時代は列に並べたこともないし、先生が話している最中に教室の回りを走り回ったりしていたよ。好奇心が極端に強くて、惹きつけられたことに引き寄せられしまうから。
「みんな違ってみんないい」って幼稚園だから、問題にならなかっただけ。うちの子は何を言われても流してしまって(それも困るんだが)傷つかないから問題にならなかっただけ。
「普通」の前提が元々違っているのだから、この話は平行線だと思うなあ。
「好奇心が強いだけの普通の子」って言い方のほうが角が立たないと言ってるだけで、心の中で思うことまでどうこう言うつもりはないよ。それとも増田での発言なんて、心の中で思っているのと一緒で他人には聞こえないとでも思ってるの?
元増田が「普通じゃない」って言うから、その言い方は止めたほうが他人との付き合いがスムーズにいくよ。と忠告しているだけで、これからもモンペにからまれたいのなら好きにすればいいんじゃないかな。
ゆっくりと衰退の一途を辿っていくのをおもしろいと思うのもおかしいけど。
ここまでファンに嫌われ戸惑われ庇われ続けながら、どんどん自分の世界に没頭していく堂本剛と。
ひたすらにひたむきに技術を身につけ才能を伸ばし、一流のエンターテイナーに登りつめて行く堂本光一。
対局に位置するふたりを内包するKinKi Kidsというグループが、今後、どういう衰退の一途を辿っていくのか。
そして、5年後、10年後、彼らがどうなっているのか。
未来は見えない。
だから、興味深い、と思う。
ネットでのかくある論争(とも言えないほど、ただひたすらに平行線をたどる3つ(ないし2つ)のお互いに話を聞かない、押し付け合いっぱなしの話だけど)。
ネット上でのことなんて、リアルな世界の一部でしかないとも思うし。
実際、そこまで真剣に彼らを応援したり、解散要求を出したりしてるファンがどれほど居るんだろうとも思うけど。
それでも、そういう話がでる自体が異常なことだとも思うし。
ただ単に、どこかの熱狂的なファンが、なんかしらの思惑で煽っているだけなら、こんなに長く、根深いモノにはならなかったと思う。
常に、火種は剛の口から、行動から発信されていて。
それは、たぶん、剛自身が意図してない方向で、次々と自身のアンチを生み出している。
否、少なくともジャニタレでも、特異な行動をしたり、分かりやすいくらいに特別扱いをされていたり、仕事を真面目にやらないタレントは、Jr.、デビュー組に問わずアンチがつきやすく、嫌われるものだけど。
ここまで、本気でかつてファンだった人に嫌われるジャニタレは初めてじゃないかと思う。
と、先入観を抱かせるのもどーかと思うけど。
自分がもう嫌いっていうか、自担にはこういう風にはなってほしくないと思ってるし。
本気で近づかないでくれ、影響受けないでくれ!常に反面教師にしていてくれと願わずにはおれないもんで。
どうしても中立的な立場にはなれないんだな。すでに。
KinKiファンは、大きく3つの立場に分かれている。
KinKi Kidsのファン。
堂本剛のファン。
堂本光一のファン。
同じじゃん、と思われるだろうが、全く違う。
KinKiのファンはグループのファンで、どちらか寄りとかがあったりはするが、少なくともKinKiのふたりとも好きな人たち。
こちらは、剛に心酔し、信者とまで揶揄されるほどのファンが多くを占めていると思われる。
が、ほとんどはKinKiファンになるので、本気で剛オンリーとなっている人は意外と少ないんじゃないかと思う。
たとえば、光一アンチ化するまでの剛オンリーは、そんなに居ないと思う。
こちらは、ほぼ半数以上が剛アンチを兼ね備えたファンだと思う。
剛を受け入れることができなくなって、KinKiファンを辞めざるをえなくなった、KinKiにいる光一を楽しむことができなくなった。
ある意味、病的なまでに剛を嫌い、ときにはそれ完全に思い込みじゃ。。。という持論も捲くし立てるけど。
少なくとも「一番好きな男の横に、常に一番嫌いな男がいる」光景を見続けなければならないことを考えれば。
その時には脊髄反射的な反応もしょうがないと思うし。
逆に、そこまで嫌われる剛って何者だよ、とも思うが。
結局、クオリティがKinKiでの活動<光一のみの活動となっている現状を見ると致し方ないと思う。
そりゃ、剛ファンはKinKiに固執するよ。
かつて光一が作り上げたアイドルKinKi像を、はちゃめちゃにして壊し続ける剛の行動の結果が現状によく出ていると思う。
まあ、剛本人は壊していると思っても居ないし、剛ファンもKinKiファンも、きっとそう思ってるんだろうけど。
簡単に嫌いになれれば、それが一番楽な道筋だ。
でも、光一本人に嫌いになる要素がない。
ただただ、彼が一緒に仕事をしている剛を知れば知るほど、嫌いになっていく。
剛の言動に「どうして?」「なんで?」と疑問を持ち、考えれば考えるほど、嫌になっていく。
終いには、観ているだけで虫酸が走ったり、名前を見るだけで悪寒を抱くほど嫌いになるのに。
否が応でも眼に入る。
そして、剛が発言する度、行動する度、怯え傷つき、ますます拒否反応を抱く。
それでも、光一がいる、好きな人がいる、笑っている、歌っている、踊っている。
そんな状況、正直体験したこともないし、想像もつかないけれど。
ある意味で幸いなのは、年数を重ねる度に、KinKiが剛色に染められていったこと。
光一の表情が明らかに違うこと。
(まあ、KinKiファンはそう思ってはないし、それもファンの見方次第なんだろうけど)
KinKiで本気の光一を見ることが出来ないのならば、応援する必要はない。
大切な金銭を消費する理由はない。
そう判断をくだすことができたということ。
KinKiにとって不幸だったのは。
光一ファンが(一部でも)そういう判断を下してしまったこと。
下してしまえるグループに成り下がってしまったということ。
10代の頃に、芸能界で生きることを決意し、音楽に限らず、演出の勉強もした。
今の光一の仕事ぶりをみれば、並々ならぬ努力を10年以上重ねていたんだろうと推察されるほどに。
うまく廻っている時期があった。
それが黄金期だった。
剛があまりその辺に興味がなく。
のちに剛自身が「周りの大人達の言うことを聞いてきた」というようになる時期だ。
光一がメインとなって(しかし、それを必要以上にアピールすることもなく)。
スタッフと相談し、意見を言い切磋琢磨しながらKinKiを創っていた頃。
ファンも当然、剛もそうなのだろうと思っていた。
たとえ、コンサートで剛の顔色を伺いながら、今日のコンサートの出来不出来を伺うことに何の疑問を抱いてなくても。
のちに「おみくじコン」と揶揄されるKinKiコンでは、それが当たり前だった。
ファンは常に剛の顔色を窺う。
今日の剛の機嫌がどうかをまず確認する。
機嫌がよければ、コン中もにこにこしているし、MCでもよく喋る。
しかし、機嫌が悪ければ、ムスッとしたり、MCでは押し黙る。
コンサートが終わって「今日の剛は機嫌がよかったから、よかったねーw」とか「剛、機嫌悪かったね。体調良くなかったのかな」とか。
そういう会話が当たり前だった。
(否少なくとも、今でもそうだと思う)
ちなみに「ドーム規模の公演でもKinKiコンはおもしろい」そう思っていた時期もあった。
毎年行っていたツアーで、「今回はちょっと構成が間延びしてたよね、微妙だったなぁ」と感じるコンサートがあった。
光ちゃんどうしたのかな?と思ったら、雑誌で意気揚々と剛が「今回のコンサートはオレが演出した」と言っていた。
お前かwwwwやっぱりだめなんだな、剛はw
で、当時は済んでいた(自分的に)。
でも、それから先、コンサートがおもしろくなることなくなった。
それから。
剛が「これからは戦っていく」という発言を皮切りに、KinKiに剛が意見を出してくるようになった。
それが、光一を含め、スタッフとお互いに納得するまで、とことん話し合い、意見を出し合い、そうして共通のKinKi像を成立させるために。
最強のグループにするためのものだったらよかった。
というか、普通そうだろうと思ってた。
そもそも、それまで剛が話し合いに参加していなかったのは。
剛曰く「自分は優しいから、周りがやって欲しいことに従ってきたから」で。
それは、光一やスタッフが「剛どう思う?」「こういうのはどう?」と意見を聞いてきたときに、ただ「それでいいと思う」と答えてきただけと推察されるわけで。
そんな剛が意見を言い出したら、ただの暴君だった。
後出しジャンケンのように、全てが終わった後で「自分はそんな風に思ってなかった」「ホントは違うことがやりたかった」という趣旨の発言を繰り返したと思えば。
そのうち「周りの大人が自分の意見を聞いてくれない」「僕は常に戦っている」と言い出す。
結局、自分の思うようにならなかったら機嫌を損ね、事後にメディアを使ってスタッフ批判、相方批判を繰り返す。
コンサートで口を開けば愛を語り、自分は優しく傷つきやすい人間で、しまいにはパニック障害や過呼吸症候群も持っていると病気まで持ち出す。
病気を持ち出されたら、何も言えない。
どうすることもできない。
ステージ上で薬を飲んでも、笑って踊らなくなっても、MCでダンマリを決め込んだり、光一を置いてその場から離れても。
ファンは心配することしか出来ない。
そして、ふと我に返る。
コンサートって、ファンを楽しませるためにあるんじゃないの?
なんで、剛の体調を常に気遣う必要があるの?
なんで、剛の機嫌を伺う必要があるの?
なんで、楽しむために来ているコンサートで、剛の心配をしなきゃいけないの?
気付いたファンは、疑問を抱く。
そうしてモヤモヤした気持ちを抱える日々が始まる。
光一がきている公演で「僕は長い間人間不信だった。バンドのメンバーに逢って救われた」と言ったこと。
光一の数々の音楽活動を知っているはずなのに、新聞で「光一は音楽に興味がない」と発言したこと。
自身のソロ活動でコンサートをする度、名前を変える度に、それまでやっていたことを完全否定すること。
ジャニーズ事務所を否定し、アイドルを否定し、それでも、ジャニーズ事務所やアイドルに固執していること。
年齢を重ね、社会人となりそういうファンの前に、いつまでも成長しない剛があり続けた。
10代後半、20代前半なら笑って「若いからね」と赦される言動も、ファン自身が幼いために見過ごされる言動も。
どうしても引っかかってしまうファンが増えた。
31にもなって、未だに「大人は汚い」「自分の気持ちを理解してくれない」と言う剛。
若い頃から自分の未熟さを認め、多くのスタッフにぶつかり、若さゆえに否定され、それでも食らいついて努力を重ね続けた光一とは、すでに雲泥の差がついている。
それは傍から見ていても判るほどに、顕著だ。
彼が携わった作品に、全てが顕れている。
本人がどれだけ努力をしたか、どれだけの勉強をしたかを語ることがなくても。
出来上がったものが、全てを証明している。
私自身にとっても、エンタメを享受する人間として、理想とする「ショービズに活きる人間」の理想像は光一だったりする。
観客のために、ショーのために、最大限の敬意払い、努力をし、楽しんでいる人。
どんどん要求が高くなる観客を相手に、その要求、理想を満たすものを自ら生み出し提供し続けていけていること。
歌って踊って、自分のみならずステージに上がっている人たちを輝かせることができる人。
口先だけの言葉はすぐにバレる。
全部、作品に出るから。
しない、のではない、できないのだ。
剛が観客を巻き込む。
スタッフを巻き込む。
妄想かもしれない。
でも、結局、剛は自分を否定する人たちを残していかなかった。
誰でも見れる雑誌で、友達を否定し。
真剣に剛を想ってくれている人たちが、どれだけ周りに残っているんだろうかと思う。
仕事として、真剣な議論がどう想像しても成り立っているとは思えない。
そういう風にしか生きられない彼を可哀想とも思うし。
そんな彼と15年以上2人きりのグループとして仕事をし続けてきた光一を単純にすごいと思う。
(どう想像しても、私は絶対、剛とは一緒に働きたくない)
KinKiは衰退して行く。
KinKiファンが異常に、ふたりが接近することに歓喜することも。
ふたりが仲がいいことを望み、渇望し、そういうふたりを見せておけば納得するほどまでに、レベルが堕ちてしまったことも。
少しでも剛の批判をすればファンによる集中攻撃を受け、批判ではなく「愛あるダメ出し」や単なる批評であっても。
剛を否定することは許されないネット上の状況も。
光一ファンが異常なまでに剛を拒絶し、KinKiの解散を望んでいることも。
剛を心から愛し、ファンとタレントとして共に切磋琢磨しながら成長しようというファンがいないということも。
結局、剛も、剛ファンも、KinKiファンも、光一ファンも、みんなが光一を望んでいるということも。
剛やファンから、光一はたくさんの責任を背負わされ、それらによって批判も賞賛も得るけど。
剛はみんなが甘やかして、ちやほやして、いいよいいよーと褒め称えられるだけ。
どちらが不幸で、どちらが幸せなのか。
たかがジャニヲタの。
たかがいちアイドルグループの。
本当の実情なんて、メディアに出ている以外には知らない人間の戯言ですが。
すでにKinKiファンの間から光一ファンが立ち上がり、剛アンチが声を上げ始めてから4年ほど経つ。
これから先、彼らがどういった経緯を辿って、どんな未来に落ち着くのか。
こんなに興味深い観察対象はない。
ちなみに光一ファンを剛アンチ化した顕著な一例を付記しておく。
T「今回は曲が持ってるパワーを大事に考えて、どういう歌割りや構成がいいか考えながらやりたいっていう話をスタッフの方にして」
K「ふ~ん、そうなんや」
T「知らんかった?歌割りも、サビをユニゾンにして二色(二人の声)が一つになることで曲の要素を壊すようなら、いさぎよくやめようっていう話もした。で、今回は主旋律とハモになって」
K「そうなんやぁ~。いつもはレコーディングのときにいろいろ試して、この組み合わせがいいかなとかってやってるやん?でも今回は“光一全部ハモ”って言われた。だから俺、『夏模様』のサビの主旋律、知らないもん、…って言うとだいぶウソだけど(笑)」
T「ウソなんや(笑)」
K「知らなくはない(笑)。しかしこの曲、歌うと難しいな」
これがなんなの?と思っても、これでKinKiを捨てた光一ファンが確かにいる。
自分が好きなグループは、提供される曲をどうこうしてるということは全くないし、コンサートDVDの編集に自ら口を出すこともないけど。
こういう風にはなんないでね、と、勝手に思っている。(ホントに関係ないんだけど)
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/doujin/1248458614/750-
750:ナマ [sage] 2010/04/20(火) 01:22:17 ID:Z5yKhs880
私はツイッターって使ってないんだけど
ツイッターのまとめサイトっぽいとこで生腐女子をピク支部や世間一般にアピールすべきだってやってる馬鹿がいて
今回の騒動もアドレス付きで書かれてる
一般の目にばんばん触れてるもうオワタ
751:ナマ [sage] 2010/04/20(火) 01:30:07 ID:PYUvbOzb0
えー…
この世界に身を置いてる者として、一般の目に触れる行為は一番やっちゃいかんだろ…
「腐女子」っていう存在が世間的に知られるようになってきて、最低限のマナーというかモラルというか
そういうものが分かってない人が多くなってる気がする
特にナマモノなんて黒に限りなく近いグレーゾーンだって言われ続けてるわけで、一回でもナマにはまった人なら
その事は知ってる(というか知らなきゃいけない)はずなのに
一体どうなるんだこれ
752:ナマ [sage] 2010/04/20(火) 01:35:23 ID:Z5yKhs880
ツイッター行って検索窓にナ.マ.モ.ノ.腐ってキーワード入れるとリンク見つかるよ
若くもなく昔からナマやってる人らしいんだけど意味わかんない泣きたい
アカウント取ろうかと思ったけど見たら他の人の忠告全然聞いてなくて…
753:ナマ [sage] 2010/04/20(火) 01:41:43 ID:nLxFv0x7O
私もみた
論点途中ですりかわってたね
何で駄目かっていう基本がすっぽぬけてた。
755:ナマ [sage] 2010/04/20(火) 06:43:08 ID:JSfA+k+X0
元々は単にご本尊が見る可能性が高くなったから
注意しようねみたいな感じだったけど
逆方向に暴走してる人がいるみたい
それで騒ぎすぎないようにみたいになってる
>勇気を持ってください。あなたたちの趣向はノーマルではないかもしれないけど
>アブノーマルでもありません。マジョリティに近いマイノリティなのです。
↑こんな感じの人
ttp://togetter.com/li/15157
emifuwaさんの「腐女子を「考察」したがる男性への苛立ち」
ttp://togetter.com/li/14837 y_arimさんのまとめ ttp://togetter.com/li/7757
をうけて、ナマモノ(実在の人物(芸能人など))を対象にやおい活動をしてる腐女子の独り言です。
756:ナマ [sage] 2010/04/20(火) 06:53:12 ID:5V0Dvro50
こういう話になると必ず出てくるような気がする
一般の人が見るような場所(ツイッターや支部)では
少し配慮しましょうみたいな話が出ると
腐同士がたたき合って、つぶし合いになるとか
そうやって配慮配慮言う事がジャンルを駄目にするとか
物言いつけてくる人
それも一つの事実なのかもしれんが
何かずれてんだよね
757:生 [sage] 2010/04/20(火) 07:18:26 ID:uXKd8tQz0
ズレてるよねーなんであいだが取れないのっていつも思う
警戒や配慮や言うひとも違う方向に猛ダッシュだし、
もっと自信を持ってくださいとか言うのも違うだろって(言うならまだ覚悟の方が)
758:生 [sage] 2010/04/20(火) 10:49:22 ID:YKdB8pKM0
ツイッター垢もってるし思うところはあるけど
ナマ腐女子で実際に活動してる身としては
あのトゥギャッターで発言すること自体躊躇われる…
自衛状況を確認しておこうと思うorz
759:ナマ [sage] 2010/04/20(火) 11:48:23 ID:R7Y0MRqJ0
つ言ったーもぴ駆使部もて風呂も
ナマ取り扱うならやらないのが一番だと思うけどな
怖くて同人方面で検索とかかけないけどミクシでもやってる人いるよね
閲覧制限かけてても自衛してるという事にはなりゃせんと思うのだけど
760:なま [sage] 2010/04/20(火) 13:48:31 ID:gi05q+rP0
Uncle Sam Wants Your Tweets
ttp://newsweekjapan.jp/stories/us/2010/04/post-1202.php
762:ナマ [sage] 2010/04/20(火) 18:39:17 ID:AdQAs+e30
同人作家捕獲して、書き下ろしやおいで再現ドラマをしたことを思い出したよ
作家の人は顔まで晒して、二人で絡んでくださーいとか言いながらデッサンしてたから、
ああいうのが今はついったや支部でおっぴろげるんだろうね……
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/doujin/1232454301/849-851
849:半生 [sage] 2010/04/19(月) 00:01:37 ID:4swEx+4tP
すげえのが出てきたなおい…
850:半生 [sage] 2010/04/19(月) 12:33:50 ID:I7k+cIeW0
これだからババアは…腐ってそのまま墓から出てくんなってカンジ
90年代と今とじゃ状況が違うって事いい加減わかってほしいわ
ご本尊が簡単に自分ネタにした二次創作を見れちゃう可能性だってあんのに
そんなに自信あるなら自分がネタにしてる本尊のホモ絵なりホモ本なりを
直接本人に渡してやればいいのにね
851:半生 [sage] 2010/04/19(月) 12:47:44 ID:His2LXaP0
同意してる人ほとんど居ない上にフルボッコだけどな
同意してるやつに限って半生好きいるのはきつい
AもBも面倒だなw
「A:そろそろ平行線だからやめませんか」
って時点で、お互いイライラしてるから、相手も「B:話を持ち出したのはそっちじゃないか」とキレるわけだ。
後半を読むとAこと増田のコミュニケーションに対する考えはもっともなので、
B:いや、「こういう場合」って僕の言っている××の場合とは全然違うわけで
A:そろそろ平行線だからやめませんか
の一行の間が「会話」じゃなくて「議論」になってるから、
何が何でも自分のしたい話をしようと意地になってるように思える。
その話題を振る相手を選んだほうがいんじゃね?
A:○○って○○だよな
B:いや、××でもあるよ
A:そうはいうけど、こういう場合は○○だよ
B:いや、「こういう場合」って僕の言っている××の場合とは全然違うわけで
A:そろそろ平行線だからやめませんか
B:話を持ち出したのはそっちじゃないか
Aは自分です。最近こういう意味不明の会話の展開で被害にあうことが多い。
俺が話を持ちかけたら、話を終わらせてはいけないのか?
そもそも話す意義がなかったら話に乗るんじゃねーよ。
話に乗ったのはそっちで、平行線にたどり着いたのは我々ではないか。
こういう「どんな話題でも僕は対応可能よ」という八方美人は困るのだ。
「僕はバランス取れている」と思っていて話に当事者性がないことが多いし、
「この話は自分は興味がないからしない」という態度をとることが、なぜか「傲慢」だと勘違いしている。
「バランスが取れていて、しかも自分はきちんと話がしたい」と思っているタイプは本当に厄介だ。
何の話にでも乗っかり、最後まで筋を通そうとする。その努力、なんの意味があるの?
***
もしかして相手にも問題があって当事者意識があるのかもしれん。しかしね、それを共有するのは無理なんだよ。
そうしたら会話なんて意味が無いことかというと、そうでもない。とりあえず話を聞いて、とりあえず話す。
一々齟齬に気にしない。興味がなくなったら会話を終える。会話がなくなったら無言でいるか、席をはずす。
会話なんて齟齬だらけ。歌と同じで、声を出していればまず楽しい。
その中で事実の伝達ができたら単純に嬉しい。考え方が万に一つでもあえば嬉しい。
あとで、その言葉を取り出して反芻することもあれば、なおラッキーってなぐらいの軽さが必要。
あまりこういう愚痴を書きたくないのだけど、今この類の会話のせいで鬱モード。
奴らをビシャっとただすマニュアルを構築中。
はてこはだいたい家にいる「感情を重んじる」
http://d.hatena.ne.jp/kutabirehateko/20100321/Heart
どうにも平行線という感じがあり、思うところがあるので書いてみる。
例の規制関連で有る程度の措置は必要に感じて、賛成派・反対派両方をを読んでいた中で見かけたブログ。
過去数日分を読んでみて思った事は、悪意憎悪を感じて気持ち悪かった。彼女の過去に関しては同情するし、その体験から規制を賛成し二次ポルノが無くなる事を望んでいる事も理解出来る。ざっくり書くとこうなる。
性犯罪はあってはならない。>その通りです。
ポルノなんて全て規制しましょう>全てを規制すれば性犯罪が無くなるとは限りませんよ?
男性は凶器です。理解して下さい>ええっ!?いや違うでしょう。
私が言うことを理解してくれない>それは貴方が相手を理解しようとしないからですよ。←いまこのへん
出来るだけ理解するよう心がけたけど、滲みでる何かに当てられて曲解盛り沢山だけどこうに感じた。disりながらも読みに来る理由は、自分にも何らかの非があるかもしれないからその非を理解しようとして再訪問する人が多いと思うんだ。特に男性はね。そんな人たちにとっては、ここ数日の記事はあまりにも敵意で書かれていて逆効果もいいところに思う。喧嘩売ってるだけ。
女性は、自分が言っている事は正しいと考えた上で、論議する。」
あくまでも統計的な物だけどね。兄弟が女だらけの中で育ったから、かなり合ってると思うよ。
女性は同意コミュニケーションの中で生きてくるから「うんうん、そうだよねー」って同調だけを求める傾向が強い。「こうすれば改善できるんじゃないかな?」といった男性的考えだと否定されたと感じるらしくヒステリックに怒り出したりね。
本当に極一部の犯罪者がいたとして、それと趣向が同じ人間は中傷し犯罪者予備軍として語る事がどうしても理解してあげられない。お互いが納得出来るよう模索しようと歩み寄っても、「私は正しい。貴方たちは悪である。」ではまとまるはずも無いよ。
性犯罪はいけない事だが、無実の人を中傷するのもいけない事なんだよ。
コメント欄に書こうかと思ったけど、臆病になったのでこっちで書いた。
余談)
ポルノにおける性犯罪の増加と抑制について。ポルノを見たことによって、確かに犯罪を行ってしまう人間は存在すると思う。でも増加数よりも減少数の方が大きい気がします。
理由は簡単で、下世話だが男性は出しちゃえば満足出来るわけですよ。回数は人それぞれだろうけど。男性は、種の保存の法則により否応なく性欲が沸く。つーか精子が精製されていく。溜まり続けるとムラムラとして攻撃的な思考になりやすい。この状態で犯罪を犯す者が出てくるわけです。全部じゃないだろうけど。
全員が彼氏彼女がいて溜まらないって状態なら起きないけど、男女人口差やら好みやらで絶対ありえないし。だからムラムラとした感情をぬぐい去る為に、ポルノという存在はあった方が性犯罪は減少すると考えます。若い人だと一回出して一週間ぐらいで、中年層だと3週間ぐらいでムラムラとしてきちゃうんじゃないかな?
「俺はそんなひまじゃない。」と強めに言ってみた。すると彼女は
「大丈夫、私も暇じゃないから。」と笑いながら言った。 何が大丈夫なのかさっぱり分からなく、思わず笑ってしまった。
僕は学校に友達がいない。自分で言うのも何だが、僕はすべてにおいて完璧らしく(人から噂される)、何をやってもうまく行ってしまうので、周りからは尊敬を超えて妬みの視線しか送られないので、僕は教室の角でひっそりと音楽を聞いているだけ。笑うなんてほとんどない。彼女が発見と言うのも頷ける。
「あっ、それは置いといて、いいじゃん付き合ってよぉ~。」甘えた感じにいってくる。
これでは平行線だと思い 「なぜ俺なんだ、その理由によっては付き合ってやるよ。」と、どうせ大した理由もないに決まってる、そう思ってた。 すると
「うーん、そうだなぁ、、、、」
「実はですね、私の一つのキャリアになってほしいの。」
「、、、、はぁ?」
「キャリアになってほしいのよ。学年一位同士のカップルだなんてさぞかし噂されることでしょうよ。あぁ、考えただけでもぞくぞくするわぁ。というわけ、早い話が利用させてってこと。」
「、、、、」
「あれ、もしもーし」
「、、、、」
「、、、、怒った?」
「アハハハハハ、なんて面白いやつだ、お前みたいなやつ初めてだよ。なるほど、人から尊敬の眼差しでみられたいのか、俺とは真逆だな。おまけにその計画、ろくに友達もいない俺の方がやりやすそうだもんな、よく考えてるな。いいだろう、その位なら構わないよ、名前を貸すくらい。」
「ホント?やったぁ、ありがとう、本音言ったら断られると思ったけど、了解してもらえるとは、、、、。」
「いや、こちらも久々に笑わせて貰ったよ。」
「あっ、私これからピアノなんだ。」時刻は六時半、日が少し暗くなったくらいだった。彼女は走って行く前に
「そういえば、明日日曜じゃん?暇?」
「予定はないけど」
「じゃあ、遊びましょう。あっ、決めたいけど時間がない。携帯の番号教えてよ、連絡するから」
こっちの意見は無視か、と思いつつもさからえず、番号を教えると彼女は走って行った。
しかし、途中で振り向いて
「車に気を付けてかえってねぇ」と手をふりまた走って行った。
仲の良い友人と喫茶店で喋っていて、知り合いが「水は答えを知っている」のことを目をキラキラさせながら喋っていたという話をした。
自分としは笑い話をしたつもりだったのだが、彼は真顔で「え?俺もあの本好きだよ」と言う。
彼とは読書が趣味という共通点があるので、お互い文学の話やたまに政治の話もしていたのだが、まさか彼があのエセ科学本を無批判に信じ込んでいるとは
思わずショックを受けた。
僕はドーキンスの話を引用して、検証不可能なことは科学ではないと何度も言ったのだが、彼は認識の相違という逃げ場に逃げ込んで話は平行線となった。
それまではお互いに楽しい時間を過ごしていたのだが、それで一気に空気が悪くなった。
あまり仲の良くない女の子なら、俺は笑って流せたのだが、同じ価値観で離せると思っていた男の友人が無批判にあの本を信じ込んでいて、しかも
「道徳と科学と分けることに何の意味がある?」と発言したのには驚きを通り越して失望した。
なんとなくやるせない。
岡田外相、普天間「移設白紙」に懸念 宜野湾市長と会談
岡田克也外相は5日、沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場の移設問題をめぐり、同市の伊波洋一市長と那覇市で会談した。岡田氏は「このままいくと、普天間飛行場の危険がなくならないという最も懸念するような事態になりかねない」と語り、同県名護市辺野古へ2014年までに移設する現行計画が白紙に戻りかねないとの懸念を示した。
移設問題をめぐって日米両国は4日、東京で閣僚級作業部会を開いた。岡田氏は、この場で米側が普天間飛行場を辺野古沿岸部へ移設する現行案の履行を強く求めたことを紹介。「昨日も米国と話したが、状況は厳しく、(米側にとっては)現時点で辺野古沿岸部以外の選択肢はない」と説明した。
鳩山内閣は、連立政権を組む社民党や国民新党が辺野古への移設に抵抗していることから、政権の安定を重視して年内決着を断念。辺野古移設の現行案の履行は難しい状況だ。岡田氏は伊波氏との会談で、このまま日米間で平行線が続けば、海兵隊8千人のグアム移転を含めた米軍再編の日米合意が破綻(はたん)しかねないとの見方を示した。
岡田氏は、住宅密集地にある普天間飛行場を早期に移設し、住民への危険を取り除くことが重要との立場を取ってきた。再交渉が必要となり、時間がかかる県外や国外への移設ではなく、現行計画か嘉手納基地への統合に絞って可能性を探っていた。
一方で伊波氏は、現行案の見直しを岡田氏に要望。「危険性除去のために辺野古に(飛行場を)つくるといういまの議論は納得できない」と訴えた。これに対し岡田氏は、「普天間の危険性を除去するために努力する中で、地元の市長が(現行計画に)合わないことを言うのはいかがか」と不快感を示した。
その苦しさには訳がある。
私は性格的に暗くはないけど、何だかいつも固定の友達って出来ている確信が無かった。
友達とカラオケも行く、いじめはない、学祭で派手なこともしてたし馬鹿なこともやってた。でも何処かで何か人とは違う頼りなさみたいなものを薄々感じてた。
高校入学当初クラスに誰1人知り合いがおらず1ヶ月ぐらい普通に人と話せなかった。
ある時パーンと普通に戻れたけれど今思えばこれが一番最初だったんだと思う。
大学4年の時就職が恐いのと卒論の不安とで初めて鬱々と3ヶ月くらい引きこもりうずくまって泣いていた。
当時友達は訳を聞かずに代わるがわるアパートに来てくれた。
その後5月入社で他県へ出て大学から同棲してた彼とまた同棲しながら働き半年ぐらいは会社でも酷かったがある時また普通に戻れた。
人も環境も慣れた2年目の秋に5年越しのその相手と別れと同時に会社が自主廃業し、縁あってとても大きな会社へ上司同僚と一つの部署として転職した。
だがその絡みで派遣先に独りで行くことになり、そこで一番酷く苦しく潰れそうな日々が続いた。
何とか期間が終わった後初めて精神科に診療し鬱で退職して実家に戻った。
環境のせいだとその当時は考えられていた。
更に半年後地元で再就職したが始めから鬱になり再び退職しその後はバイトも恐くて出来なかった。
一時親戚のところに勉強名目で行くことになったが、そこでインターネットで自分で探したある大学院生の心理学関連のレポートを持って自分の状態を初めて人に訴えた。その頃からやっと「原因」というものを自分で漠然と探り初めた。
それから更に半年後の友達の一言で以前の精神科のカウンセリングを始めることになる。
引き受けてくれる心理療法士が居てくれたことが幸運だった。以前希望して自立訓練法を指導してもらったのが良かったのだろう。そうでなければ私の判断材料はその人に前情報として無かったから。それからは親とのバトルが酷くなった。
喋らない、接触しない、繰り返される侵入と言い合い。噛み合わない平行線。ある時は母親を思いきり平手打ちしたこともある。
体が痛くなるくらい只々眠った時期もあった。
具体的病名の解釈と仕組み、症例論文を求めて探し自問自答を繰り返しカウンセリングを続け、ある公園をよく独りぽつぽつ歩いていた。それから2年半後ようやく今のような状態が訪れた。
親の会に母が私に黙って行っていたことを知った時こういう現実が他の人にもある事を初めてまのあたりにし真剣に受け止めはじめた。
その時やっと分かってもらえた気がした。するとその数日後の夕方、バッと現実感が急に戻ってきた。 私の場合は突然の変化だった。
驚いたことにキーボードを打つ手が早くなり車の運転がスムーズになり、やる事がやたらと早くなって自分が「倍速」で動いているような気がした。
周りは恐くなくなっていき母親の話が非難に聞こえず、自分でさっさと考えられ、興奮した。
カウンセラーは躁状態かと心配したが今ではこれが私の普通になっている。
自分でも元に戻るのではと心配したが。そうなれた日に初めて斎藤環さんの本を手にし例の公園で一気に読んだ。
今振り返ると「ああ、私って頑張ったんだなあ」と本当に言える。
これが「元々一つのこと」と繋がったのは変われた最近の話。
人や働くことが恐かったり目の前の些細なことの動きが遅かったり身につくのが遅いようなのも、全部自分のせいじゃなかった。
変われた私だから言える、それはあなたのせいじゃなくてちゃんと訳があること。
でもお互い無視だと平行線なんだよね~。
http://anond.hatelabo.jp/20091024145924
「お互いに立場が違うので議論も平行線」
確かにそうなのかも、と思った。
もともと会社員をやっていたのを親の引退を機に地元に戻って今のところを継いだのだが、立場の変化によって考え方も変わることを実感している。会社員をやっていた時代は、こういう話を「許せない」と感じていた。
しかし経営者になると守るものが格段に増える。自分の生活と社員の生活を守るために、顧客との関係も守らなければならない。文字通り、死守しなければならない。生産性を上げると同時に会社としてのリスクをいかにして発見・回避していくかを考えるのが日々の生活の中で大きな部分を占めている。
「社名を晒せ」
わたしは実際にこの彼の面接を行ったわけではない。
社名を晒す義務は特に感じていない。
晒せ、との論拠を沿えた上で自分の氏名や勤務先を同時に述べる覚悟があるのかをこちらからも問いかけたい。
「同じ理屈で職業差別とか部落差別とか外国人差別ができるライフハック。オブラートに包んでる分、こちらの方がより醜悪」
その通りだと思っている。こういう判断をする経営者がいるからよくならないのだということはわかる。
では職場で、あなたの隣の席に座っているあの人が、ある特定の宗教を信仰しており、困惑するあなたに執拗な勧誘を続け、選挙で特定の候補者に投票するよう周囲の選択に干渉するようなことがあっても、なお同じことが言えるのかを問いたい。
「勧誘するかどうかは人それぞれ」
「創価という組織に対する差別と学会員個人に対する差別はまったくの別物」
その通り。
だからこそ、あえて考えうる最悪のケースを問うているのだ。
逃げずに、真摯に考えてほしい。
部落差別について言及するコメントがいくつかあったが、部落出身者への就業における差別にはこのような構図があったことを今理解しているところだ(だからと言って許されるものではないこともわかっている)。わたしは部落出身者にも同様の考えを適用させるのかと言うと、たぶんしない。時代が変わったからだ。現代における部落差別の問題とこの問題は、似てはいるが背景が違う。
では外国人なら?これは悩む。国籍によるところも大きい。場合によっては宗教と同じく「差別」することも出てくるように思う。
こう考えると「文化・価値観」の異同がひとつの判断基準になっているようだ。
だいたいおしなべて既存の社員とも客先とも「うまくやっていける」と確信できる人ならば、そこまで心配はしない。
そこに出自は関係ない、というのはきれいごとではなくそう思う。
問題は採用までの間に、その「確信」をつかむチャンスが少ないということだ。
トラバにもあったが、面接の段階でこれを見極めるのは非常に困難だ。
「だいたい、こういう人なのだろう」と推測することしかできない。
人と人との有機的な付き合いというのはいつだってそういう側面を持っている。
あえて「有機的」と書いたが、職場での人間関係というものは非常に有機的なものだ。
家族や古くからの友人とはまた違うが、確かに人と人との関係が形成される場だ。
互いに互いを無機物の部品や道具のように扱いながらうまくことを進めてゆくことは不可能であると思う。
「ビジネスの場で宗教の話を持ち出すな、と言えばいいだけのこと」
では経営者に許された線引きはどこまでとお考えだろうか。
すなわちこの論理で「仕事がらみの人間にはその手の話をするな」と言うならば、プライベートの領域にまで足を踏み込まなければならなくなる可能性が出てくる。
それこそ真正面から「パワハラだ」「宗教差別だ」と糾弾されるべき行為である。
(蛇足だが、最近「飲み二ケーション」についてのエントリが賑わっているようだが、わたしは会社員時代にこれで何度も面倒な思いをしてきたので自分はやらないことにしている。)
その人の価値観や信条を完全に理解できるような面接試験のやりかたがあるのならば、ぜひ教えていただきたいと思っている。
圧迫面接は確かにその人の資質を試すひとつのやり方ではあるが、では宗教や文化、価値観、信条といった、本来ならば雇用者が踏み込んではならない領域を見ることのできる圧迫の仕方が果たしてあるのだろうか。そもそもあったとして、そのような面接が許されてよいのだろうか。
重ねて言うが、わたし個人は創価に対して何の恨みもないし、友人が「実は学会員でした」と言ってきても、そのこと自体で友人に対する印象を変えたりすることはないと思う。幸福の科学に一家で入っている知り合いもいる。そことは家族ぐるみの付き合いで、おうちの都合でお子さんを一時的に預かることもある。わたしにとってその時間はとても楽しみな時間だ。彼らがうちの家族を勧誘したことは一度もない。お互いに「そういうものだ」という認識で付き合っている。
申し訳ないが、反論する方々のレスからは「所詮、他人事なんだな」という印象を受けるに留まっている。
追記:
「差別反対は建前でしかない印象」
とのコメントについても。
わたし個人は上に書いたとおり宗教で人を差別するような生き方はしていないが、その人間性すら否定されたようでこれには残念な気持ちになった。
何らトラブルの心配がないのであれば、採用時に思想信条には関わらない、というかこだわってはいけない。
にもかかわらず経営者としてこのような選択をする理由はなぜなのか、について今書いているところだ。
断片的に拾い上げればそれはさまざまな解釈ができるだろうけれども、全体を通じて「マイノリティは排除すべし」という意味のことは書いていないし考えてもいない。マイノリティであろうがマジョリティであろうが仕事に影響がなければ一向に構わない。今回の内容は職場の秩序維持の観点から不安材料があるので看過できないということを先ほどから言っている。「マイノリティ」という大雑把なくくりで話を広げすぎないでいただきたい。
http://anond.hatelabo.jp/20091022194239
30分かそこらのことなんだから、我慢しとけばいいでしょ。とも言えるわけだ。いや、私は、それは可哀相だと思うけどね。式だけは厳粛にやりたいから、妹さんにも協力してもらって、って、何が悪いの? と思うよ。
だけど、元増田は自分の家族に「赤ん坊に我慢させろ」って要望は出来ないって言ってるわけでしょ。この平行線は交わらないよ。曲がる場所がないもの。
僕には少し前に入籍を済ませた妻がいて、結婚式を計画している。
妹は僕の結婚をとても喜んでくれていて、旦那さんと赤ちゃんと3人で行くからね、式を楽しみにしているよ、と言ってくれた。
これに妻が難色を示している。
ずっと、厳粛で静謐な式を挙げたいという夢があった。
赤ちゃんは突如泣き始めたりするので、それで式の厳粛で静謐な雰囲気が損なわれるのが耐えられない。
なので式の間だけは、ベビーシッターを雇って式場に待機してもらうので、シッターに預けてもらいたい。
もしくは、入り口付近とか、泣いたらすぐに出られる所に座ってもらいたい。
以上を、僕から(僕の)妹に伝えてもらえないだろうか。
もちろん披露宴は、お客様に結婚を披露し我々がおもてなしする場なので、赤ちゃん含めゲスト全員に出席していただいて構わない。
ただ、神の前に誓いをたてる、一生に一度の式は、二人のためのものだと思っている。
だから私のこの希望を反映させてほしい。
(ちなみに妻は、赤ちゃん自体は好きだし、妹の赤ちゃんも可愛がってくれている。)
厳粛な式というコンセプト自体はわかるけど、
ゲストに釘を刺したり注文をつけたりするということはゲストを信用していないということだし、失礼だ。
来てくださったゲストを「あなたは出席OK、あなたは外にいて」と、主催者側が選別するのは傲慢だ。
傲慢な選別をした上で見かけ上「厳粛」な式を挙げて、何になるのか。
挙式中どこに座るか、赤ちゃんが泣いたらどうするかは、あくまでゲストを信頼してゲストに委ねるべきだ。
もし本当に泣いてしまって、(現実的には考えにくいが)妹がそれを放置する様なことがあれば、
当然式場の担当者に外に誘導してもらう。
それでさえも「厳粛な式が損なわれる」と考える様であれば、ついていけない。
二人の式にお祝いに駆けつけてくれているゲストを選別したり注文をつけるような事はできない。
歩み寄りの余地は無い。
(ちなみに僕は 1.二人だけで挙式、2.結婚式をやらない という代替案を出したけど、どちらも却下された。)
ということで話は平行線です。
彼女は、「あなたは自分の価値観を守ることばかり重要視して、私の気持ちを理解しようともしない、希望を叶えるにはどうすれば良いか考えてくれさえしない。」と言って失望している様子。
僕は僕で、彼女の考え方は傲慢で失礼だという思いから逃れられない。
で、対立が対立を呼び、ついには離婚も視野に入ってきてしまっている状況。
小町あたりで書いたら僕が吊るし上げられるネタだと思うんだけど、ここの皆さんはこの対立をどう思われますか。
解決案、お叱り、励まし、なんでも結構です。
ちなみに、妻と僕の実家は、僕たち夫婦にまったく口出しをしてこないでいてくれる。
なので、家どうしの対立という要素は皆無で、あくまで妻と僕の間の対立です。
妹に、妻の希望を伝えるぐらいはしてもいいのではというご意見いただきましたが、
僕としては、お招きしたゲスト(妹)が、夫と子供を連れてくると(好意で)言っている以上、それを歓迎すべきだと考えました。
それに対して妻の希望を伝えるということは、赤ちゃんは連れてこないでねという暗黙のプレッシャーを掛けることになると思っています。
お招きするゲストにそういった「連れてくるなよオーラ」みたいなものを示唆することは、ホスト側として失礼で傲慢だと、どうしても思ってしまいます。
たくさんのTBありがとうございます。
嫁も「自分の価値観を守ることばかり重要視して、夫の気持ちを理解しようともしない」ように見えるのだが。嫁が譲歩しているのはどの点だ。
しかし議論の末、披露宴は譲る、という事になりました。
また、式中は本当は外にいてほしいがそこは譲歩して、泣いたら出て行きやすい席に座ってもらうだけでもいい、
とにかく厳粛な式がやりたくて赤ちゃんが泣いたらぶち壊しになると思っている事を、妹に伝えてほしい、
あとは伝えられた側に任せる、というスタンスです。
で、結局僕が引っかかっているのは、妻が赤ちゃんを少しでもNGと思っていることそのものな気がしてきました。
という僕の考え方が根底にあり、赤ちゃんNGというのが、凄く偏狭な考え方に思えてしまいます。
当然赤ちゃんが嫌いな他のゲストもいるとは思いますが、妹・その子供・夫については、友達とかではなく、僕の家族なんですよね。
だから、すみませんが家族は寛大に受けれてほしい、拒否しないでほしい、という思いがあります。
また、妹夫婦は非常に遠方に住んでおり年に一、ニ度会えるか会えないかで、相当な手間をかけて来てくれるので、こちらからの注文は極力つけたくない、という気持ちもあります。
それが疑問だ。
結婚式には何回も出席しました。
子供や赤ちゃんがいる式も何度もあったし、泣き始めたら必ず母親がすぐ外に連れ出していたし、それで場の空気が悪くなるという場面も見たことがありません。
むしろ、神父さんが誓いの言葉を読んでいる時に赤ちゃんがフギャーとなって、皆がクスクス笑ってほほえましいムードにつつまれる、という様なシチュエーションしか経験したことが無いんですよね。
だから妻から参加NGと言われるまでは、式で赤ちゃんが泣いて眉をひそめるとか、そういう人がホントにいるの?という感じでした。
さらに多くのTBありがとうございます。
シッターに預けるよう妹に伝えても妹は失礼と思わないのでは?というご指摘をいくつかいただいてますが、その通りです。
妹は無理に赤ちゃんを連れてこようとしているわけではなく、僕が断ったり、式の時は外にいてと頼んだ場合は、その通りにしてくれます。
単純に、遠方で泊まりの旅になるので、置いていきにくいという理由と、兄である僕に赤ちゃんを見せたいという理由で、一緒に行くと言ってきた様です。
なお、僕自身にもし赤ちゃんがいたら、止むを得ない理由が無い限り、人の式には連れて行かないと思います。自分も大変ですしね。
この件は、妻が式への赤ちゃん参加をNGと考えている事自体を僕が認めることができない、という話だという気がします。
僕はこの件だけに限定すれば、譲歩はしていません。
彼女の譲歩案は根底が「赤ちゃんはNG。厳粛じゃなくなる。」というこだわりに貫かれており、いっぽう僕は、妻のその考え自体に引っかかっているので、譲歩の余地がないんです。
かなりどうしたらいいのかわかりません。
この先、子供が生まれて、赤ん坊が泣くたびに「なんで、こんなにギャーギャー泣くのよ」ってヒステリー起こすの目に見えてるもの。暗い家庭になりそうだ。
僕も同じことを妻に指摘したんですが、赤ちゃんそのものが嫌なわけではないとのこと。
あくまでも、厳粛な式という夢があり、その理想を叶えたいがために大人だけで式を行いたいとのことです。
僕は、夢見た一生に一度の式だからといって、自分の家族を、例え赤ちゃんでも、入場お断り扱いにする/もしくは泣いたらいなくなってとあらかじめ釘を刺す、ということができません。(泣いたら/泣きそうになったら出て行くのは当然だとは思います)
厳粛な式が夢だったことはわかるし、だからそれなりの会場を見つけた。
だからといって、家族(の一部)の出席を断るのはやりすぎなんじゃないかと思うんです。
家族を一部締め出してまで行う「厳粛な式」がナンボのもんじゃい!と思ってしまいます。
ちなみに今回、僕の妹の赤ちゃんの話なので僕の家族びいきに見えるかもしれませんが、彼女側の家族の赤ちゃんが相手でも、僕は全く同じように感じ反応します。
これまでに書いてきた話は、ほぼ全て妻には伝えました。
でも結局「なぜ私の夢を無視するの、ゲストのことばっかり言うの。」という話になってしまいます。
夢を無視してるんではなく、夢を実現するには、家族を式から締め出すという(僕にとっては)傲慢な事をやらないといけなくて、それがどうしてもできないんですが、話はまったくまとまりません。
「神の前」「厳粛」ってんなら普段の信仰心はどうなの? 日曜に教会行ってるとか、そういうところまで含めてつっこんでみたら?
これがまさに僕がとらわれている考え方だと思います。
子供閉め出し=悪。で、この悪を行いながら、神に誓いをたてるとか、はりぼての誓いじゃんか。そんなうそ臭い茶番絶対できるかー。。てな風に考えています。(ちなみに二人とも特定の信仰はありません)
自分の善悪基準を人に押し付けようとしている(正確に言えば、自分の善悪基準のために、人の要望を聞き入れられない)わけだから、僕の方が傲慢じゃないかというご意見は、確かにごもっともだと思います。
ただ僕がこの様な善悪基準を持っている事自体は、しかたないというか、自分ではどうしようもありません。
問題は、妻が、僕の善悪基準でみたら悪に属することを切望している。この時僕は妻の願いをかなえてあげらるのか、という事ですね。
それが今の僕にはできていません。
それを叶えてあげるのが、愛なんでしょうか。
なんだかよくわからなくなってきました。
たくさんのTB、コメントにびっくりしてます。ありがとうございます。
一点補足です。
上で、神が。。とか地獄が。。とかという話を書いたので、少し誤解を招いた部分があるかもなんですが、
僕自身は、神とか地獄とかいうことを考えているわけではないし、宗教的な素養や意識は、全くないです。
式はキリスト教式でも神前式でも人前式でもなんでもいい、とにかく真剣にこれから一生一緒にいるために宣誓するわけです。
その場を嘘くさいものにしたくないという気持ちが強いんだと思います。
(あくまで僕の価値感ですが、)「子供締め出し=悪いこと」であって、そういう悪いことを裏でやりながら、真面目な顔して「誓います」とか言うのがどうしても、嘘くせー、ウケるわその茶番、あほか、という風に感じられてしまう。
映画「アンタッチャブル」に、デ・ニーロ演じるアル・カポネが、人を暗殺しながら、同時にオペラを感動して泣きながら観てる場面があるんだけど、それと同じような「なんだそれ感」というか。。
そういう「嘘くさい」事を「厳粛」と認識し積極的に望む妻に、がっかりしてしまっていました。期待と現実のギャップへの失望。
客観的には、潔癖すぎ、頑なすぎだし、自分の価値観を妻に押し付けるな、というご意見も、ごもっともだと思います。
ただ、こういう式を「嘘くせー」と感る自分の価値観自体は、これまでの人生で身についてしまっているもので、どうにもならない。
要は
・「嘘くせー茶番」とどこかで感じながらも、「でも妻が幸せならいいや」と思って妻の譲歩案を飲めるかどうか
・かつ、自分が「嘘くせー茶番」と感じるものを「厳粛で静謐」と感じる価値観の妻を、僕が受け入れられるかどうか
だと思います。