その苦しさには訳がある。
私は性格的に暗くはないけど、何だかいつも固定の友達って出来ている確信が無かった。
友達とカラオケも行く、いじめはない、学祭で派手なこともしてたし馬鹿なこともやってた。でも何処かで何か人とは違う頼りなさみたいなものを薄々感じてた。
高校入学当初クラスに誰1人知り合いがおらず1ヶ月ぐらい普通に人と話せなかった。
ある時パーンと普通に戻れたけれど今思えばこれが一番最初だったんだと思う。
大学4年の時就職が恐いのと卒論の不安とで初めて鬱々と3ヶ月くらい引きこもりうずくまって泣いていた。
当時友達は訳を聞かずに代わるがわるアパートに来てくれた。
その後5月入社で他県へ出て大学から同棲してた彼とまた同棲しながら働き半年ぐらいは会社でも酷かったがある時また普通に戻れた。
人も環境も慣れた2年目の秋に5年越しのその相手と別れと同時に会社が自主廃業し、縁あってとても大きな会社へ上司同僚と一つの部署として転職した。
だがその絡みで派遣先に独りで行くことになり、そこで一番酷く苦しく潰れそうな日々が続いた。
何とか期間が終わった後初めて精神科に診療し鬱で退職して実家に戻った。
環境のせいだとその当時は考えられていた。
更に半年後地元で再就職したが始めから鬱になり再び退職しその後はバイトも恐くて出来なかった。
一時親戚のところに勉強名目で行くことになったが、そこでインターネットで自分で探したある大学院生の心理学関連のレポートを持って自分の状態を初めて人に訴えた。その頃からやっと「原因」というものを自分で漠然と探り初めた。
それから更に半年後の友達の一言で以前の精神科のカウンセリングを始めることになる。
引き受けてくれる心理療法士が居てくれたことが幸運だった。以前希望して自立訓練法を指導してもらったのが良かったのだろう。そうでなければ私の判断材料はその人に前情報として無かったから。それからは親とのバトルが酷くなった。
喋らない、接触しない、繰り返される侵入と言い合い。噛み合わない平行線。ある時は母親を思いきり平手打ちしたこともある。
体が痛くなるくらい只々眠った時期もあった。
具体的病名の解釈と仕組み、症例論文を求めて探し自問自答を繰り返しカウンセリングを続け、ある公園をよく独りぽつぽつ歩いていた。それから2年半後ようやく今のような状態が訪れた。
親の会に母が私に黙って行っていたことを知った時こういう現実が他の人にもある事を初めてまのあたりにし真剣に受け止めはじめた。
その時やっと分かってもらえた気がした。するとその数日後の夕方、バッと現実感が急に戻ってきた。 私の場合は突然の変化だった。
驚いたことにキーボードを打つ手が早くなり車の運転がスムーズになり、やる事がやたらと早くなって自分が「倍速」で動いているような気がした。
周りは恐くなくなっていき母親の話が非難に聞こえず、自分でさっさと考えられ、興奮した。
カウンセラーは躁状態かと心配したが今ではこれが私の普通になっている。
自分でも元に戻るのではと心配したが。そうなれた日に初めて斎藤環さんの本を手にし例の公園で一気に読んだ。
今振り返ると「ああ、私って頑張ったんだなあ」と本当に言える。
これが「元々一つのこと」と繋がったのは変われた最近の話。
人や働くことが恐かったり目の前の些細なことの動きが遅かったり身につくのが遅いようなのも、全部自分のせいじゃなかった。
変われた私だから言える、それはあなたのせいじゃなくてちゃんと訳があること。
なんか似たような状況に陥ってるので参考までに、そのレポートやら訓練法の概要だけでも紹介していただけるとありがたいです。
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