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はてなキーワード: 一部の人とは

2009-10-07

http://anond.hatelabo.jp/20091007152155

目に見えないデメリットの方ばかり気にしてるようだけど目に見えるデメリットとして「現状だと、法律婚夫婦同姓は職業によっては仕事上で大きな不利益がある」というのを認めてるのなら、それだけで理由としては充分だと思うけれど。

そんなの一部の人だから一部の人は我慢しなさいってことかな。

GIDの人が戸籍の性別を変更できることになったのだって、関係あるのはごく一部の人だけどちゃんと改正されてる。

なるべくマイノリティの人でも不利がないようにっていう公共の福祉を目指してるだけでは。

2009-10-05

http://anond.hatelabo.jp/20091005150449

禿同。


数学って暗記しても意味無いんだよな。

思考法に意味があるから。

おいらはハードに限りなく近いソフト屋だが、マジで後悔してる。

偽札の識別方法とか、ある一部の人間を除いて完全にブラックボックスだぜ。

ソースが見れるのに・・・

2009-10-02

http://anond.hatelabo.jp/20091002004917

あいつらは一部の人間に過ぎないんだけど、

困ったことに行動が目立つとそれが多くの人の総意であるかのように感じてしまう。

我々も彼らに反対の意思を明確にする行動を起こすべきだ。

2009-10-01

http://d.hatena.ne.jp/font-da/20090930/1254325516

一部の人々は自分の行動を分析しない。

彼らは自分たちが道を歩いている理由を知らない。

2009-09-29

民営化とは

民営化とは、端的に言って、国民税金で作ってきたインフラサービスを、バーゲン価格で民間に差し上げることだ。たいていの場合、その交渉は秘密裏に行われ、安値で手放す上に買い手側(投資家)に有利な条件がつく。

たとえばアリゾナ州予算不足をまかなうために、州が所有する刑務所や州議会などを含む約30の建物を売却した。売却代金として、州は7億3,500万ドルを手にする一方、建物を使い続けるための賃貸料として毎年6,000万から7,000万ドルを払い続けていかなければならない。

シカゴでは昨年、市のパーキングメーターが民営化された。ある報道では実際の価値の半額で売却されたともいわれている。この民営化による市民への大きな影響は、パーキング料金が2倍から4倍に値上がりすることだ。

さらにはペンシルバニア州では、2人の判事民営化された少年刑務所から賄賂をもらい、少年を投獄するという事件もおきた。保護監察官の反対にもかかわらず、この判事によって2002年からおよそ5千人の未成年者たちが刑務所に送り込まれたという。

民営化といえば忘れてはならないのがアメリカイラク戦争だ。イラクに駐留する米軍の次に大きな駐留部隊は民間企業に雇われた傭兵である。これまで米軍がやっていた、兵舎の建設、食事の供給など、そのほとんどを今では民間企業が行なっている。またロジスティック面だけでなく、ブラックウォーターUSAといった傭兵派遣会社は、戦術訓練を受けた人材イラクに送っている。そしてこうした民間企業は膨大な請求書をアメリカ政府に送りつけ、結局それは国民の負担となるのである。

民営化本質は、国民の負担が増え、一部の人が富を手にするということだ。日本でも今になってようやく、郵政民営化で誰が富を手にしたのかが衆目にさらされ始めた。もし国民が、国の資産一部の人々の利権すり替えられるのが「郵政民営化」の本質だと認識していれば、多くの人が郵政民営化に反対したことだろう。

2009-09-27

不幸の平等化でなく不幸の最大化が悪いのでは?

http://d.hatena.ne.jp/qushanxin/20090923

http://d.hatena.ne.jp/qushanxin/20090926

ここでは「不幸の平等化」が悪いことであるかのように書いてるが、再配分政策だって貧乏という不幸を平等化する行為なわけで書いてる人自身が足の引っ張り合いに加担してるように見える。

世の中に不幸がなくならないなら、なるべく平等に不幸なほうがいいだろう。

失業倒産とか一部の人に不幸が集中するような世の中が本当にすばらしいんだろうか。

というか不幸の不平等化をやったのが小泉改革なんじゃなかろうか。

格差を広げる構造改革を批判しておきながら不幸の平等化を批判するのが理解不明

じゃあ不幸の不平等化をやりたいのかとこ一時間問い詰めたい。

失業倒産とかに遭いにくい比較的恵まれたほうの人により多く負担してもらうのがあるべき再配分のはず。再配分の財源を貧乏人から取るような福祉じゃだめだろう。その意味では脱官僚無駄遣い減らして直接給付にまわす事だって別に悪いことではない。

2009-09-26

http://anond.hatelabo.jp/20090926123338

山形浩生経済成長意味http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20061103 から引用

人はGDPとか経済成長とかいうことばだけ覚えて、なんかわかったつもりでいるけれど、それを実感として理解している人はおどろくほど少ない。でも、それは抽象的な数字なんかじゃない。明日はもう少し能率よく仕事を片付けて、あまった時間で新しい何かをやろうと思う。いまは捨てているこのピーマンのへたを、新しい料理に使ってみようと思う。そうした各種の無数の努力が積み重なっていく様子を想像してみなきゃいけない。

[...中略...]

一部の人は、経済成長というと何か無理強いされたもののように感じるようだ。経済成長率 3%と言われると、現状で満足している人々を、国や企業が無理矢理ムチでしばいてもっとたくさん生産させる、そんな様子を想像するらしい。むかしの社会主義国の、「鉄の男」式むちゃくちゃ生産ノルマ連想しちゃうのかもしれないね。でも、そうじゃないのだ。去年の自分と今年の自分を比べて、少しは成長したと思わないだろうか。多少は仕事がうまくなった、多少は手際がよくなった、多少は知恵がついた、多少はいろんな面で腕をあげたと思わないだろうか。

資本主義以上のシステムってないの?

http://anond.hatelabo.jp/20081026222134

前回もいろいろ勉強させてもらったけど、まだどうにも納得できないので第二ラウンド。

普通の人」が日常の中で一生懸命稼いだお金を、あわよくば労せずに増やそうとつぎ込んで、ごく一部の人以外は敗者になるあたり、自分から見れば市場はまるっきりパチンコとかの博打と変わらない。

どう見ても生産性のかけらもないただの「賭場」。

賭場の中で勝った負けたやってる分には博打中毒の人を見るような生暖かい目で見守ることもできたのだけど、しまいには破産して、全世界連帯保証しろときたもんだ。

これで怒るなって方が無理だ。

純粋な博打と違うのは、情報や知識によって「実力差」とやらがつくことと、耳にたこができるほど聞いた「市場流動性」とかいう社会的役割があるということだけ。

あえて上場していない大企業もたくさんあるわけで、いまいちその辺もピンとこない。

システム自然現象と違って、新たな仕組みを考案することも改造することも可能な、あくまで人間が構築したものに過ぎないもの。

もっとマシなシステムを考案できないものなのだろうか。

経済学者みたいな「すでにあるシステム」に乗っかるだけの学問じゃなくて、資本主義を超える新しい仕組みそのものを追求する学問ってないのかな。

本当に頭のいい人ってのは、そういう物を考える人じゃないのだろうか。

チャーチルが言ったという「資本主義は不完全だがそれ以上のものは未だこの世に存在しない」という言葉から半世紀以上経ってるというのに・・・。

2009-09-23

http://anond.hatelabo.jp/20090923153050

カツマは結構ノンキに考えてるんだなとしか。

今後のアフリカ経済発展は、女性解放がどれだけ進むか、女性労働力をいかに活用できるかにかかっています。

アフリカの問題をその程度でしか見ていないのがかなり残念。ただの後進国としてしか見ていないのだと思う。

それは置いてといて

「痛い!」という感覚は、宗教伝統文化幸福論、そんなの関係なく、動物として「嫌」というのがデフォルトではないだろうか。

嫌だからしなくていい、させちゃいけない、ってのはわかるけど、それが通るのは自己決定権があるからだよ。それがごく一部の人間だけに握られているというのがアフリカ現実。特に政情不安定な地域では。

http://anond.hatelabo.jp/20090923124021

http://anond.hatelabo.jp/20090923131714

http://anond.hatelabo.jp/20090923134851

彼らが未だにこういう風習を強いられているのも、彼らに(富裕層規準で)賢くなられては困るから。もちろん、強いられているとは感じていないだろうが。

寒気がした光景

昨日ホームで見た光景

5,6歳の子供と若い母親連れ

子供は何があったのかすごい勢いで泣きじゃくり母親の服を掴んで引っ張ってる

母親はガン無視で携帯電話弄ってる(たぶんmixi

周りの人もなんだあれって感じで見てるんだけど、ほんと寒気したわ

携帯脳極まるっていうか

似たような感じで、たまに飲み会とかで携帯弄ってる人いるけど、あれってすげ感じ悪いよな

なんか気に食わないことあったり、つまらなかったら、速攻外部と遮断できるバリアなのかな

まあ、一部の人間なんだろうけど

2009-09-20

http://anond.hatelabo.jp/20090906005610

ネット利用者が増えるにつれて、以前のネット利用者が毛嫌いしてるようなマスコミ洗脳されやすいような連中が違った考えでまた似たように洗脳されてる気がすんだが。

増田twitterの話するのもアレなんだけど、昔のtwitterは一人一人誰だかわかんない感じで発言の価値フラットな気がしたんだけど、今は一部の人が極端に称えられて、他の人はあまり見られないんだろうなって気がする。そして同じ発言でも人によって価値が数倍〜数百倍も違う。

それが駄目ってわけじゃない。有益な情報を得る為に最適な行動を取ってるんだろうな。

ただコレが進むと見られない方の人は面白くないだろうから、結果として匿名に戻るんじゃないかなぁとか思う。匿名なら発言に対して人っていう重みは掛けられないからね。

増田で書いたらブクマが集まるのは、そこが有益なサイト入りしてるってことと、人という重みが掛けられてないからじゃないかなぁ。

2009-09-19

みんな臼井義人に死んでもらいたがってる。

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1303084.html

「お悔やみ申し上げます」

 亡くなった著名人に対してそうウェブ上で弔意を表する人たちに、前々からなんとなしにひっかかりをおぼえていた。

「お悔やみ」は本来的には、故人の遺族などの関係者に対して「申し上げられる」ものだ。社交辞令的な側面を除けば、そこには人の死という最上級の悲しみを他者と共有し、辛さを分かち合うことで、明日への活力を得るための一助とする目的が存在する。なんとか彼の屍を乗り越えていこう。おじいちゃん最期になんていってたの? 生きろ、ってことさ。

 ではウェブ上でお悔やみを述べる人々は「ワールドワイドネットワークディープサドネスシェアすれば、よりサフィシエンシーに富んだアロケイションを実践できるライフハック」でもキめようとしてるのだろうか? おそらく違う。ある種の人々にとってはウェブという葬式には不自由な場で唯一打てるの弔電であるし、別のある種の人々にとってはライフロギングの一環にすぎないだろう。そして、また別のある種の人々にとっては「本気で悲しんでる人」になるための入り口を作り出す儀式でもある。

かなしくなるしくみ。

 訃報が大きなニュースとして扱われるのは各種著名人の中でも俳優歌手芸人などなどアーティストの場合が一番多い。ニュー速はてなの場合はオタ寄りの人間が多いためか、漫画家声優も比較的反響がデカい。こういった人々はアウトプットしたものが他に比べて我々の生活に入り込みやすい。あるいは、能動的に手に入れる場合の(精神的・物理的)コストが非常に安く上がる。だから、ファンならずとも「思い出してみれば、(作品を)見たこと、聞いたことがあるよね……」という気分に陥る。 仮想的な個人関係が構築される。そうなるともう「知人」だ。知ってる人が死ねば悲しい。当然の感情だ。だから、お悔やみを申し上げる。当然の論理だ。

 これは「悲しんでるフリ」なのか? 否だろう。少なくとも、結果的には「本気で悲しむ」ことになるのだ。そういう結果に行き着いてしまうシステムができあがっている。そう、悲しみを指数関数的に増幅させるプロセスが。

 著名人の死には思い出補正のほかにもうひとつ、故人の個人情報(しゃれじゃないよ!)、即ち通常の葬式における「彼/彼女とのおもひで パブリック版」がメディアによって無償提供される。追悼記事の体裁をとった故人の交友関係、裏事情、履歴学歴出身出自家柄家族構成年収バイオグラフィーその他諸々が暴露される。作品が繰り返し繰り返し某のりピーバキバキDJプレイ動画並にテレビリピート再生される。掲示板まことしやかに故人の美談が語られる。雑誌で特集が組まれ、いかに素晴らしい足跡、業績を残したかが取りざたされる。そして、ブログで「○○に関する個人的な思いデ」なる記事がアップされてエントリ執筆者に<わたし&gt;の代入がはかられる。かくして公人としての彼/彼女情報私人としての彼/彼女情報を手に入れることで、それぞれの中で実際と感情的にはさほど変わらない擬似友人関係が手に入る。リアルと違うのは<わたし&gt;と故人をそれぞれとりま人間たちがまるごと欠落してることだ。まぁなんて十年前に流行ったライトノベルみたいなんでしょう。君はそれで十分なんだろう。電波はどこからでも届く時代なのだし。

 だから、画面上の「お悔やみ申し上げます」はいびつに響くのだ。単に遺族を知らないのあれば、自分の周囲から作者を知る人物を探し出して共有すればいい。それこそネットでは腐るほど見つかる。が、それではダメなのだ。上記のプロセスを経て構築された太くて強固な一本のみから成る関係は非常に閉鎖的で、誰の干渉もゆるさない。その上、線でつながれた二人のうち一人はもの言わぬ屍なのだから、もうほとんど俺 is world.だ。

先生のばあい

 臼井義人のような行方不明の場合は、この故人情報の提供が前倒しで行われている。(世間一般的には)一部の人にしか知られてなかった「まつざか先生恋人爆死エピソード」やら、新宗教に関連した家庭内不和の噂やらがばらまかられ、『クレヨンしんちゃん』がベースとなった映画ピックアップされる。作品について語ったインタビューやら本やらが紹介される。そもそもがアニメのお陰で幼児~30代に絶大な知名度を誇る漫画の作者だけに、人々は自分の中の『クレしん』体験を持っている。我々はその記憶をつぶさに思い出の中から発掘し、あたためるだけの時間時間を与えられる。今までまったく知りもしなかった作者をよき隣人よき友人として捉える様になり、ついにはこうのたまいだす。

「私の人生において『クレしん』はドラえもんとならんで人格形成に強烈に作用したいわばバイブルです。ええ、今でも大ファンですとも。ワシは臼井義人が育てた! しかし今の子供はかわいそうですね。ドラえもんしんちゃんを同じ曜日に楽しめないとは!」(楽しめる)

 

 

既に世間は膨れあがっちまった悲しみではちきれんばかりになっている。今日に至り、「遺体発見!……か?」というニュースダメを押した。今更後戻りはできない。「なんかの間違いであってほしい」「俺は信じないぞ」。これらは通常、死者に用いられる言葉だ。

 人は自分本位ないきものだ。いわんや、(推定)死体と<わたし&gt;としかいない閉じた、花火すらない部屋の中にあっては。死体の前についた(推定)が外れた時、ようやく理想的な関係が得られる。なぜ理想的なのか。安心できるからだ。なぜ安心できるのか。安定しているのだ。構成要素が自分しかいないから。ということは必然的に訃報からはじまる一連のシークエンス主人公はその人自身、ということなる。主人公は人の死を嘆き悲しむのだから人生という本のワンシーンとして、美しくならないはずがない。

 画面越しに行われる弔いはその人の体内で循環し続けて決して放散されないのであって、つまるところ内面の問題なのだ。そこに臼井義人の親族関係者が介在する余地などまったくない。だからこそ、人はどこまでも残酷になれる。決して、自覚することなく。

 あなたは悲しむ準備はできましたか? 悼む用意は充分ですか?

 私は……臼井さんが五体満足これ無事にお戻りになることを祈ってます。

 

2009-09-13

http://anond.hatelabo.jp/20090913125842

今回の選挙ですごくよかった点は

ネットでなんか言っている人たちなんてごく一部なんだ」ってことがはっきりしたことだ。

ネット使いはごく一部の人々の言動を真に受けているのかもしれない、

という疑いを常に持つ必要があると思う。

2009-09-11

Re: 人は情報受け手として2つのタイプに分かれる

http://anond.hatelabo.jp/20090902110236 の記事を書いた者です。

思うがままに推敲もせずに一気に書き上げたのですが、多くの方に読んでもらって大変ありがたく思います。

たくさんの意見ありがとうございます。全部目を通させて頂きました。

=====

元記事は一般化して書いてありますが、この記事を書くことになった具体例というのは次のようなものです。

筆者はあるネットゲームズバリMHFです)をプレイしていて、ネット上(ゲーム上)で知り合った仲間が数多くいます。

主にmixiで知り合った仲間が多いです。その仲間プラス、各々のリアル友達といったところです。

MHFは4人で1つのパーティを組んでモンスターを倒すというプレイスタイルなのですが、

アクション性が強いので、どうしてもその場その場で声を掛け合ってプレイする必要があります。

そのために、プレイする全員が(同一パーティか否かに関わらず)Skypeを使って通話をしています。

多いときには10人を越えて通話をすることがあります。

その場において、雑談を始めたり、別の(MHF以外の)話題を提示したりすると、とたんに怒る人がおられるのです(いわゆる「後者」)。

「ここはゲームをしに来ている人が集まっているのだから、ゲームの話をしよう」、と。

自分は、お互いの理解をより深めるために、雑談はむしろ積極的に行っていいと考えているのですが(いわゆる「前者」)、

そうでない方もおられるということで、元記事につながります。

人によっては、所属するコミュニティ目的指向としてのみとらえていて、それ以外は余計なもの、と考える人もいるのだな、と。

以上のような実例があって元記事を書かせて頂きました。

=====

以下、トラックバックのみですが、頂いたコメントに対して簡単に返信いたします。

1.

前者後者を批難する形で問題が起きると思う

そうですね、そういう場合も十分に考えられると思います。ただ、みんなの性格を考えるに、上記コミュニティでは、

後者の人たちが前者の人たちを戒めて、それに従っている、という感じです。「ここはゲームの場なのだから~」と。

それにより、今はみんなかなりギクシャクしている状態です。

2.

> 共有する情報レベルコミュニティレイヤわけで対処をするのが一番

確かにその通りだと思います。それがトラブルを少なくするという点では最良の選択かもしれませんね。

ただ、自分を含む「前者」の人たちは、とにかく情報オープンにして皆が同じレベル情報を等しく共有する、

ということを望んでいるという点があります。だってその方が楽しいじゃないですか。親密度が増すじゃないですか。

誰々が今日会社でこんな失敗をした、とか、誰々の趣味ゲーム以外にこんなものもある、なんていう些細な情報を、

みんなで共有してコミュニティ活性化につなげたいと思っているのです。

こういう考えは「後者」の考えとは相容れないものですね。

3.

> わざわざ系統分けして「適する」「適さない」としたり顔で差別を行う元増田のようなタイプが、数少ない崩壊要因ではないだろうか

これについて、事態が進んでいろいろ考える機会が出てきたときにそのようにも思うようになりました。

前述の「前者」の人たちの例は、「後者」の人たちをまどろっこしく思っているかもしれませんが、

後者」の人たちにとっても「前者」の人たちの行動は受け入れ難い点があるのだと思いました。

自分の平日日中の仕事に関しての考え方がそうでした。

仕事以外のことで雑談ネタを振ってくる周囲の人たちについて、あまり干渉して欲しくないと思っています。

それと似たようなことだと考えると、「後者」の人たちを安易に非難するのはとても恥ずかしいことだと気づきました。

みんながいる場でオフ会のときの話(出席していない人がいる中で)や、一部の人にだけ伝わる濃い話などをされるということは、

確かにそう考えるとストレスになり得ます。そういう配慮がなされていないというのは自分としては過失でした。

=====

結局、コミュニケーションはお互いのことを思いやってなされなければならないという当然の結論に行き着きました。

人それぞれ性格や考え方は違うわけですし、情報というものへの接し方も違うのは当たり前です。

環境によっては、特定の情報しか受け付けないというのは、全てをオープンにしている場合よりもある意味で決意が強い考え方なのですね。

そして、それは、どれが優れているとか優れていないとかではなく、どれも尊重されるべきものなのだと思いました。

=====

最後に繰り返しになりますが、多くのコメント・ご意見本当にありがとうございました

2009-09-09

鬱の人に向かってキツく言う人

鬱の人には優しく接しないといけないのに、鬱だと知るやいなやヒステリックに叩く人がいる。

なぜ鬱の人にそんな恨みを持っているかのような態度をとるのかがよく分からないが、

ともかくそういう人が鬱の人に大きなダメージを与えている事は確かであり、実害を受けている

なら、侮辱罪などの罪に問うことも出来るはずである。アメリカなら裁判が起きるレベルだ。

普通の人相手なら何でも無い暴言であっても、鬱の人にとっては大きなダメージになる。

従って、相手が鬱だと知りながら暴言を吐くのは、通常よりも重い罪になるらしい。

そんな酷いことをする人がネットではたくさんいて、鬱の人にとってネットは利用しにくい

ものになっている。なぜそんな酷いことをするのだろう。普通の人よりも鬱の人のほうが

一部の人にとって怒りを買いやすいのはなぜなのか。べつだん鬱の人が何か悪いことを

したわけでもないケースであっても、ただ鬱だと知っただけでキツい言葉を浴びせるのを

よく見かける。彼らは何を考えて、そういう暴言を吐いているのだろう。

2009-09-02

あるBAR常連の間で起きたショボい出来事

A=私。28歳。恋人なし。一応女性

B=24男性

C=28歳男性。Aと同い年で友達。いいヤツ。Bの先輩。

D=22歳男性。和ませキャラだが、若干笑われキャラも入っている。

E=22歳女性

年齢は便宜的に。全員あるBAR常連

AとB:Cを介して知り合い、店で隣席になれば話しをするようになり、2回ほど2人で晩ご飯を食べに行ったことがあるという関係

ある時、DくんがEちゃんに告白してフラれた。

EちゃんはそれまでDくんに思わせぶりな態度をとっていたため、この顛末を知っている関係者は「あーあ…(可哀想…)」「相手が悪かったね」「全力でDくんをはげまそう」という反応だった。

ところが、その直後くらいから、BARの店内でちょくちょくEちゃんがBくんにしなだれかかったり、ソファー席で膝枕したり、いちゃつくようになる。しかもDくんがいてもおかまいなし。

この件を知っている一部の人はEちゃんに対して好意的な見方をしなくなったし、Eちゃんは他のコミュニティでもいわゆるサークルクラッシャー的な行動をしてて「あの子には気をつけた方がいいよ」と言われているというような噂が流れた。

しかし私が驚いたのは、Bくんが、DくんとEちゃんの間の顛末を知りつつ、Eちゃんがいちゃいちゃしてくるのを受け入れていたということ。

そこである日、Bくんと帰り道が一緒になった時に「2人はつきあってるの?」と聞いた。

そしてBくんが「友達だよー」と言うので、「せめてDくんがいるところでは控えたほうがいいんじゃない?」とつい言ってしまった(これがお節介)。

これに対してBくんは「うーん、でもEちゃんも寂しいんだよねー、きっと。僕もわかるからさー」と言った。

勝手な話だが、このひとことはBくんへの私の評価を暴落させるに十分だった。

その後、私はBくんと距離をとり、疎遠になった。

それから約1年経ったこの間、人づてに「BはA(=私)にフラれてからチャラくなった」とCさんが言ってたのを聞いた。

そういえば、Cさんは上の顛末を全然知らないからなー。

Bくんとはつきあってもいないし、Bくんに好きだ、とか、つきあって欲しい、とか、それらしきことは一度も言われたことがなかった。

しかし、よりによって私に振られたからチャラくなったとは…。

かなり心外。

その前からチャラかったじゃん!というのもあるし、もう今となっては弁解することもできない。

弁解するためには、上の事情を全部言わなければならない。

お節介なんてするもんじゃないし、人間関係って難しいなー。

それにしても心外だ!!!

組織票批判のパラドクス その2

http://anond.hatelabo.jp/20090829221840

選挙の度に出てくる棄権者批判の典型例として「組織票を持つ候補が有利になるから棄権するな」というものがある。

組織票を持つ候補が有利になるのは悪い事である」と言う前提に立てば主要政党はどこでも組織票を持ってるから、どこに入れようが組織票を持つ候補を有利にしてしまうのでどこに投票するのも悪になる。投票行けと言う人もそこまで愚かではないだろうから組織票のより少ない候補に入れるべきってことだろうというところまで前回書き、結局ニートへの揶揄で終わってしまい肝心の結論を書き忘れた。

組織票を多く持つ候補が有利になるのは悪い事である」と言う前提に立てば候補者が持つ組織票が多ければ多いほどその候補に入れる事がより悪い行為となる。逆に固定的な支持者が少なければ少ないほどその候補に入れることはより良い行為となる。有権者の圧倒的多数が毎回投票するような多数の固定票を持つ候補とごく一部の人たまにしか入れない小数の浮動票をとる候補がいれば、前者に入れるのは悪い行為と言うことになる。その差が大きければ大きいほど前者に入れるのはより悪い行為ということになる。しかし議会選挙と言うのは多数決が基本でありより多くの票を集めたほうが当選することが良いことであり、より多くの議員から賛成される政策ほど実現しやすくなるのが良いことだと言うのが前提のはずである。もしこれを認めないのであればそもそも議会選挙自体するべきでない。

一見民主主義の味方であるかのように見える組織票批判者は実は民主主義の敵だったということ。これが結論。

2009-08-23

ロリコン嫌悪感を持つ人へ、じゃあお前らは子猫好きじゃないの?

嫌悪感」はあくまで感覚だから、理屈でいくら正論を述べても理解してもらえない。相手が馬鹿であることが多いし。

ところで世の中の人々は子猫子犬が大好きだ。真の猫好きは成猫を好むが、一般的には子猫の人気が高い。書店に並ぶカレンダー写真集を見ても、子猫ばっかりだ。これは何故か。子猫の方がちっちゃくて可愛いと多くの人を惹き付けるからだろう。これと同じように、幼女の方が可愛いと思う人々がいてもなんら不思議はない。

そしてそういう子猫好きの人は、子猫虐待したいと思っているだろうか。そんなことは全くないはずだ。保護したいと思うに決まっている。それと同じように、世の中のロリコンの多くは幼女に優しくしたいと思っており、犯罪行為に及ぶのはそもそもロリコンである前に頭のおかしい極一部の人間である。

ロリコン子猫好きと一緒。それだけで犯罪者扱いされたり迫害されるのは理不尽きわまりない。わかったか。

2009-08-20

http://anond.hatelabo.jp/20090820115024

加害者が「みしらぬ人」であるケースは12.3%にすぎず、

家族や教師を含む知人が87.7%であったという

まず、捕まる(通報される)様な奴は一部の人間ってことだろ。

その上で、隠れている案件考慮すると顔見知りが圧倒的に多い。

3-1 性暴力の動機

成人対象  :怒りや支配、優越(雰囲気は、マッチョで強面か社交的でそつがない人がおおい)

子ども対象 :不安依存、接触欲求(おとなしく、気弱な感じ、不安が全面に)

輪姦    :加害者間の男性集団での立場の強化や優越

子ども対象以外の犯行者は、いわゆる体育会系人間に思える、子ども対象が非モテ系だ。

一番多いタイプ加害者は、比較的勉強ができ、「普通の」家族がいて、特に問題がないとおもわれてきた。

被害者はいやがっていなかった」と本気で考えている。

親のいうことを聞く「よい子」であり、親も子も「無理に勉強させてきた」とも「させられてきた」とも感じていない。

生活経験の幅がせまく「頭でっかち

自己評価は「僕はすごい」と「まったくダメ」の間で反転。

さて、この項に、なんか矛盾を感じないかい?

これはさ、捕まっちまうような、つまりは相手も含めた自分の属する集団に影響力の薄い人間のことだべ?

そうじゃなくて、影響力の強い人間、狡猾で上手くやる人間は「マッチョで強面か社交的でそつがない人」なんでないの?

それなりに多い加害者は「家族などの身内」なんじゃないかと思うけれども、それに勝るとも劣らないのは、「マッチョで強面か社交的でそつがない人」だと思うんだがなぁ。


こういっちゃなんだが、捕まって「一番多い加害者」なんて分析対象になっちまう奴は、そりゃ非モテ系だろうよ。

2009-08-19

旗を愛すること、国を愛すること

旗を愛するということ

私は、自分愛国者であると思っている。

といった事を今の日本で書くと、正月には皇居に向けて万歳を三唱し、休日ごとに家の前に国旗を並べ、小学校で「君が代」を教えないなんてとんでもない!と叫ぶようなイメージがあると解されるのだろうが、正直言って私はこのどれにも当てはまらない。

最近も、民主党日本国旗を切断し、民主党の党旗を作ったことに対して一部の人が憤懣やるかたない様子だが、愛国者である私自身はあのニュースによって何の感慨も受けなかった。

何故か。私にとって、天皇制国旗国家のどれもが日本国にとって欠くべからざる要素では無いからである。平たく言えばどうでもいいからである。どうでもいいのだが、これによって旗を愛する人たちから「非国民(この言葉は大嫌いなのだが)」と言われるのは心外だと思ったので、この駄文を書くことにした。

国とは何か

ここで、国家国家として存在するための大事な要素とは何なのか考えてみたい。Wikipedia.jpにて「国家」を検索してみると、以下の3つが「国家の3要素」として挙げられている。

(以下引用)

国家の三要素

  • 領域(Staatsgebiet:領土、領水、領空)- 一定に区画されている。
  • 人民(Staatsvolk:国民、住民)- 恒久的に属し、一時の好悪で脱したり復したりはしない。
  • 権力(Staatsgewalt)ないし主権- 正統な物理的実力のことである。この実力は、対外的・対内的に排他的に行使できなければならない、つまり、主権的(souverän)でなければならない。

(引用終わり)

もちろん人によっていろいろ異なる見解はあると思うし、個々人の見方の違いも大きいとは思うが、私にとっては、この法学的見地からの「国家の3要素」が、国家国家としてあるために最も大事な要素であると思える。

日本に当てはめてみるならば、

領域=日本国領土、人民日本国籍を所有する(外国国籍を所有せず、その事により明確に日本に恒久的に帰属している)人たち、権力日本国政府ということになるだろうか。

国を愛するということ

だから、極端な話で言えば、もし明日に日本国国家がラップミュージックに変わったとしても、私の愛国心には何の影響ももたらさないし、特に腹を立てることもないだろう。

一方で、明日にアメリカさんの上知令によって日本国領土がメキシコと取り替えられたり、私以外の日本人が何故かフィリピン人と交換されたり、革命が起こって日本国政府転覆した場合には私の愛国心は大打撃を受けるだろう。

大打撃を受けた後にまた日本を愛せるかどうかは、変化した要素が他二者を愛してくれるかどうかだと思うが、これはまた別の話であるので置いておく。

すなわち、私にとって大事なのは、小さいながらも四季の彩りに恵まれたこの日本の領土であり、総じて教育水準が高くて内気な日本国籍を所有する人であり、いろいろ間違いも多いが民主主義の原則に固執してくれている日本国政府なのだ。これらを愛することによって私の愛国は完結し、その他の旗や歌などにはほとんど向かう余地は無いのである。

私の考え方は間違っており、旗や歌を愛さない私は、愛国者ではないのだろうか?

2009-08-16

意志が弱い人間は・・・

少し前、これまでに会ったことのないタイプの人と知り合った。ぶっちゃけ自分はその人のことが大嫌いな気がしている。その人は、人当たりは悪くないし、見た目だってそこそこいい方だ。他人に気を遣うこともできるし、下品ではないし素行も悪くない。だが、


教養はなく、

感情的で、

語るべき何物をも持たず、

努力をせず、

自分を磨かず、

危機感を持たず、

成し遂げた事も何もなく、

当事者意識も問題意識も持たず、

モラルも乏しく、

目の前にある快楽を追い求め、

テレビの話を鵜呑みにしている、

典型的な「従順消費者」ってやつみたいに見える。


毎日ダラダラしつつも「○○しないとな~、そうだ、一緒にやろーよー」と他力本願で何一つ実行に移さずに、ただひたすら自分を甘やかし続けている。この人を私の中では、意志が弱い人だと認識している。私は内心その人をとんでもなく見下しているというのが本当のところだ。その人は一応は高卒よりも高い学歴を持っているのだが、一体どういう教育を受けたらこんな思考回路になるのかと本気で理解に苦しんでいる。学生時代があったのなら、少しぐらいは何かものを考えたこともあるんじゃないのか。


だがそこで同時に思う。

努力し、自分を磨き、より価値ある存在へと自分を高めてゆける、社会に生きる立派なヒト」

というのはとて右肩上がり至上主義的であって、それは安全な環境で、周囲に味方もいるような、とても幸運な一部の人間だけが持つに至る、ごくごく限られた世界での価値観なのかもしれない。


悲惨で過酷で、自分を粗末に扱うことが異常だとも思わない世界で生きてきた人や、

物質的には恵まれているけれどもそうした価値観を持たない環境に育った人や、

生まれつきそういう思考回路を持たない人たちにとっては、

それは単に説教臭くてうるさくてメンドクサイ戯言でしかないのかもしれない。


五体満足であるにも関わらず労働市場における商品価値が低いままでいるとか、

頑張れば何か活かせる能力が無いとも限らないのに一切何もしないとか、

趣味や打ち込んでいることが何もなくて世間話以外の会話ができない&その自覚がないとか、

それらは罪ではなくて、非難されるようなことでもなくて、本当はそれでも全然OKなのかもしれないと思った。


むしろそれが生き物の普通の姿であって、

人間様だけがトクベツだから犬畜生とは違って右肩上がる素晴らしい俺様たち!

理性!

知性!

教養


という具合に、軍隊とは違うものの、似た形で刷り込まれてしまっていたのかもしれない。そのルールに従わなければ、意志が弱い、使えない、ゴミクズであり、さっさと○ぬべきだとか言われても仕方が無いのだと思っていた。また、これまで自分の周りには自分と似たような経歴や思想倫理観を持った人間かいなかったためにそれに疑問を持つこともなかったのだろう。誰もが頑張るとかやらなくちゃとか自分コントロールするように、非常に強く内面化されているらしい。意志の弱い人を例の人を見るにつけ、私の中で虫唾が走るようなひどい嫌悪感が湧き出てくる。そして逆に、そうした偏見を持ち人を蔑視する自分自身を責めてしまう。いい年なのに、とても厨二病的な葛藤が生まれている。(←この「いい年なのに」も思考停止?)


どうしたらいいのかって、自分が持っている偏見意識し、感情を抑えて向き合ってゆくしかないだろう。相手が変わることなどないのだから。

ああとても苦しい。

フランス外人部隊にいってきます

フランス外人部隊に志願しにパリへ行ってきます。

仕事を辞めて軍隊経験は一切ありませんが自宅で筋力トレーニングしながらフランス語勉強中です。

詳しい事はよくわからないので手当たり次第ネットで調べてあとは現地で何とかします。

行くと決めてから毎日が楽しいです。

緊張感のあるwktkたまりません。

今年29の僕はもう日本社会になじむことが出来ないと悟りました。

最初は違う仕事を探そうかとか、海外で働いてみようと色々考えていたのですが、ある日思ったんです。

なんで職を探す必要があるの?と。

食べてくため?家族を養うため?

あまりにも漠然と、疑いなく思ってた「働かねばならない」というお約束事の意味がよくわからなくなっちゃったんです。

「私はこの仕事に生きがいをもってます」ってどこかの就職情報誌に書いてあったけど、なんだか僕にとっては嘘っぽく聞こえてしまい、

何となく入った会社にずっといたからそうなったんじゃないのとか、働いて賃金を得るっていう括り前提でそういってるんじゃないとか。

そりゃ就職情報誌なんだから突っ込みどころは違うんだけども、僕の友達も同僚も上司もその前提で話しているのが僕には苦痛で、

言いたい事言うとこいつわかってないとかいう目でみられるから、きっとこの先ずっと社会不適合者という烙印を押されて生きていくのだと思ったのです。

僕にとって本当に「生きがい=生きてる実感が得られるモノゴト」なのは、やっぱり生と死に関わってくる事で、

このまま適当に働いて年をとって老衰病気で死んでごく一部の人に悲しまれるよりも、同じような事考えてる世界中社会不適合者達と

命を賭けて闘ってる方がずっと死んだ時に充実感が得られるだろうと。

周りの友人・知人には話してません。

きっと家族に迷惑かけるなよとか、無意味な事はやめて考え直せだとか説教されて、より社会不適合になって外人部隊への思いが強くなっちゃうだけだし。

仕事をしてもつまんない、友人と遊びいってもつまらない、女の子デートしてもつまらない。

テレビをみてもゲームをやっても何してもつまらない。

なんで毎朝電車に乗っていい大人がDSに夢中になれるのか。

なんで仕事ストレス自殺しちゃうのか。

くだらない事に思い悩んで死ぬくらいなら民兵に撃ち殺された方がよっぽど悔いが残りません。

ネットバーチャルだとかいってるけど僕にとっては全部バーチャルに見えちゃう人間なんです。

まだ実情を経験してない僕がネット上でダラダラと話しててもおまえこそがバーチャルだとお叱りを受けそうなんでこの辺にしておきます。

さようなら日本の皆様。

さようならつまらない世の中。

僕は誰にもわかってくれない「生きがい」を求めていってきます!

2009-08-10

http://anond.hatelabo.jp/20090810150313

そもそも警察国民からの税金で働いてるわけだろ。

で、それは国民一人一人が自分に危害が及ぶ可能性を考慮した上で、

全体の総意として警察にそういう権限を与えて雇ってるわけだろ。

とすればこれはそういう総意を一部の人間が抜け駆けして社会自分の好きなように支配しようとしてるのと同じじゃんか。

あなたの言い方にのっとると、

全体の総意である警察逮捕するということは、全体の総意として覚せい剤の使用はを禁止にしているということではないでしょうか?

覚せい剤やったらなんで捕まるの?

どういう理屈で捕まるの?

例えばノリピーが誰か人に迷惑かけたか?

そりゃ捕まれば周りに迷惑かかるがそれはそういう法律があるからだろ。

とすれば、むしろ法律社会に迷惑をかけているとさえ言える。

覚せい剤所持とか、誰にも具体的な危害が及んでないにもかかわらずタイホするとしたら、極論言えば、単に嫌いな属性を持つ少数者だからという理由である集団を排除するのと同じ事じゃないか?

そもそも警察国民からの税金で働いてるわけだろ。

で、それは国民一人一人が自分に危害が及ぶ可能性を考慮した上で、

全体の総意として警察にそういう権限を与えて雇ってるわけだろ。

とすればこれはそういう総意を一部の人間が抜け駆けして社会自分の好きなように支配しようとしてるのと同じじゃんか。

覚せい剤の知識がダメゼッタイ以外にある人間なんてどれだけいるんだ?

なんで、誰もろくに知識ないくせにやった人間タイホなんて事を「みんなの総意」として正当化できるんだ?

2009-08-09

友だちから学会員カミングアウトを受けた

ちょっと話したいことがあるから会わない?と誘われた先日。頻繁というほどでもないけど、一ヶ月に一度は飲みに集まってる友だちだったので二つ返事でOKした。喫茶店で落ち合い、このところのことなどひとしきり話したところで、「ところであんた、月末何か予定あるの? 実は私、応援してる政党があってね。」と。

出たな学会員!というのが、その瞬間の正直な感想まさかこの発言から、別の政党がくるとは思ってない(あっても幸福実現党か、共産党だろう)。案の定「公明党なんだけど。」と。その子は以前私がファッキン創価学会!と発言した時に「創価にもいい子いるんだよ、友だちにいるけど。」と言ってたので、グレーなのかなとは思っていた。政教分離の原則をガン無視してるとことか、しつこすぎる勧誘、F票集め(以上二点はこれまでに遭遇したことないけれども)、芸能関係にはびこるお遊戯会状態に反感を抱いているので、私は学会嫌いを公言してはばからない。

この時点では完全に彼女の話を聴く気が失せてしまった。というか、これからこの子とどう付き合っていこうかと考えていた。繊細で、思いやりのあるいい子だ。共通の趣味でよく盛り上がるし、年下の私になついてくるのがとても可愛い子だ。距離を離すか、フェードアウトか、カットアウトか。沈黙とともに態度を決めかねていた私に、彼女は熱心に、公明党がどんなことをこれまでに実現させてきたのかを語った。「こんなことを考えている公明党を、私は応援したい。だからあんたにも、投票してくれとは言わないけれど、偏見マスコミ報道だとかに惑わされないで、ただ知ってほしいんだ。」と、続ける。ゴリ押しされると思ってた私は、若干拍子抜けした。「考えてみるわ。」と、曖昧な返事をしてしまったチキンな私に、彼女は嬉しそうだった。

それからしばらく、宗教の話をした。私は宗教神様は、人が幸福になるために人が生み出したものだと思っている。そして神は押しつけられるものではなく、自分で見出すものだ。ので、「布教される」ことに対して私は否定的でいる。もちろん布教活動ってのは、「こんなにも自分幸せにしてくれたこれに参加してもらうことで、あなたにも幸せになってもらいたい!」っていう純粋な願いが根本にあってのものだ、というのは理解しているけれども。だって私は私であり、あなたはあなたなのだ。私はもう、音楽っていう神様を見つけてしまっている(個人的に、音楽というのはたくさんの神様を抱いた多神教だと思っている)。あなたが学会という信仰を持っていることは否定しない。ただ、そうなんだね、と思うだけ。県民の友だちが先日の都議選で、「都民の友だちに公明党に入れてくれるようお願いして」「何区の人が何人いれてくれた?」とお願いメールを山のように受けてうんざりしていた。もしあんたがそんなふうにゴリ押ししてくるようだったら、友だちを止めようと思った。けれども、考えて欲しいとだけ言うのでびっくりした。考えるだけの私をそのまま認めてくれたので嬉しかった。これからも友だち付き合いを続けていきたい。

というようなことを話した私に、彼女は、あんたが受け入れてくれてよかった。本当は今日、こうして話をするのはとても怖かった、と、言った。日本では信仰を持つというのは、それだけで差別を受けかねない。あんた(私)が、そういう考えを話してくれる人でよかった。私は私、あなたはあなたっていうあんたの姿勢を、私も否定しない。考えてくれる、ただそれだけでいい。

きっと彼女の周りには、第三者視点で見ても善良な活動をしている学会員かいないのだろう。ネットでよく語られる、狂信的な人々はいないんだろう。だから、柔らかい姿勢のままでいられる。

私の返答は、正直ではなかったかもしれない。卑怯な部分が多分にあったかもしれない。けれどもなんだか彼女と前より少しわかりあえた気がして、嬉しかったのだ。

しかし彼女は、世間的に思われている学会の姿や、彼女が言う「一部の人たち」(私の言う狂信的な人たち)がどれだけの数いるか知っているんだろうか。何故信仰しているんだろうか。音楽業界で働いていたあなたは、学会ネットワークで決まってしまう仕事がたくさんあることについてどう考えているのか。その辺りを避けて会話してしまったのが心残りなので、いつかまた話し合えたらいいと思う。

デリケートな問題なので、自分blogには書けない話でした。まとまらないが終了。

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