2009-08-19

旗を愛すること、国を愛すること

旗を愛するということ

私は、自分愛国者であると思っている。

といった事を今の日本で書くと、正月には皇居に向けて万歳を三唱し、休日ごとに家の前に国旗を並べ、小学校で「君が代」を教えないなんてとんでもない!と叫ぶようなイメージがあると解されるのだろうが、正直言って私はこのどれにも当てはまらない。

最近も、民主党日本国旗を切断し、民主党の党旗を作ったことに対して一部の人が憤懣やるかたない様子だが、愛国者である私自身はあのニュースによって何の感慨も受けなかった。

何故か。私にとって、天皇制国旗国家のどれもが日本国にとって欠くべからざる要素では無いからである。平たく言えばどうでもいいからである。どうでもいいのだが、これによって旗を愛する人たちから「非国民(この言葉は大嫌いなのだが)」と言われるのは心外だと思ったので、この駄文を書くことにした。

国とは何か

ここで、国家国家として存在するための大事な要素とは何なのか考えてみたい。Wikipedia.jpにて「国家」を検索してみると、以下の3つが「国家の3要素」として挙げられている。

(以下引用)

国家の三要素

  • 領域(Staatsgebiet:領土、領水、領空)- 一定に区画されている。
  • 人民(Staatsvolk:国民、住民)- 恒久的に属し、一時の好悪で脱したり復したりはしない。
  • 権力(Staatsgewalt)ないし主権- 正統な物理的実力のことである。この実力は、対外的・対内的に排他的に行使できなければならない、つまり、主権的(souverän)でなければならない。

(引用終わり)

もちろん人によっていろいろ異なる見解はあると思うし、個々人の見方の違いも大きいとは思うが、私にとっては、この法学的見地からの「国家の3要素」が、国家国家としてあるために最も大事な要素であると思える。

日本に当てはめてみるならば、

領域=日本国領土、人民日本国籍を所有する(外国国籍を所有せず、その事により明確に日本に恒久的に帰属している)人たち、権力日本国政府ということになるだろうか。

国を愛するということ

だから、極端な話で言えば、もし明日に日本国国家がラップミュージックに変わったとしても、私の愛国心には何の影響ももたらさないし、特に腹を立てることもないだろう。

一方で、明日にアメリカさんの上知令によって日本国領土がメキシコと取り替えられたり、私以外の日本人が何故かフィリピン人と交換されたり、革命が起こって日本国政府転覆した場合には私の愛国心は大打撃を受けるだろう。

大打撃を受けた後にまた日本を愛せるかどうかは、変化した要素が他二者を愛してくれるかどうかだと思うが、これはまた別の話であるので置いておく。

すなわち、私にとって大事なのは、小さいながらも四季の彩りに恵まれたこの日本の領土であり、総じて教育水準が高くて内気な日本国籍を所有する人であり、いろいろ間違いも多いが民主主義の原則に固執してくれている日本国政府なのだ。これらを愛することによって私の愛国は完結し、その他の旗や歌などにはほとんど向かう余地は無いのである。

私の考え方は間違っており、旗や歌を愛さない私は、愛国者ではないのだろうか?

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