最近いろいろあってキリスト教でも勉強してみようかと思っていろいろ読んでるんだけど、越えないといけないハードルがめちゃくちゃ高い。
というのも、教えの全体像が『聖書』っていう誰でも理解できる一冊に示されてしまっているからだ。これを読んでいると素人でも、「愛の神って割に神様人殺しまくってね?」とか「処女受胎とか無理じゃね?」などなどの疑問が噴出する。
んでこの辺を納得しないととてもじゃないが信仰なんてできないわけだが、この納得のいく説明を得ようとすると、神学に関する本(A.E.マクグラスをはじめとする)を色々読み込まないといけなくなる。そして神学の本ってのは売れないもんだからえてして高額になりがちである。1冊5千円なんてザラ。絶版本になると1万円を越えることもしばしば。俺のように田舎で生活していると、図書館や大学図書館にも頼れない。
んであれもこれもと買って読んでいったら、結局初期投資は10万円を超えてしまった。今では立派なキリスト教信者だが、かかった金と時間を考えると、そうそう人が真似できるものとは思えない。
この点、仏教や神道ってのは良くできている。まず仏教については、経典が大量にあって、その1つ1つがめちゃくちゃ難解、どの経典を正当とするかどうかについて各宗派で議論がある(キリスト教でもあるけど仏教の比ではない)。そうなると、素人が読んですぐ議論ができないし、逃げ道もいっぱいあるもんだから、聖書について抱く上記のような疑問が湧き出てこないのだ。
次に神道については、教えっていうものがあるのかどうかすらよく分からないという代物だ。
このことをもって、「だから日本人にはキリスト教は普及しないのだ」とか言うつもりはない。けど普及を阻害する一要因になってるんではないかな?とは思う。
「愛の神って割に神様人殺しまくってね?」と「処女受胎とか無理じゃね?」については、 あなたはどういう理解をして納得したのか差支えない範囲で教えてもらえると嬉しいです。 ...
「愛の神って割に神様人殺しまくってね?」 「処女受胎とか無理じゃね?」 具体的にこれらの例にはどのような納得を得たのかを聞いてみたい。