はてなキーワード: シニシズムとは
確かに黒寄りのグレーだけどさ、それがわかってる人なんて(教師でそれを強調して教えられる人も)ごくごく一部だと思うよ。
リンク:教師「虚数をiと表します。」俺「ほう」教師「i^2は-1になります」俺「…」 - 発声練習 http://d.hatena.ne.jp/next49/20130809/p1
そもそもこの人も過去そうであったように、「数学は人間のおいた仮定(公理という)から人間のつくりだした論理的集積物(定理のあつまり)であって、数学が真理を体現しているかはわからない」ということがわかってないのよ。多くの人は。
発声練習の人も確か工学の大学教員でしょ?そんな人ですら「私は高校~大学にかけて「定義」、「公理」、「定理」の区別がついていなかった。」というくらいだから、この問題は相当根深いのよね。
複素数を理解するのに何が難しいかって「虚数って本当に存在するの?」っていう疑問を(数学教師も含めて)真剣に考えたことのない人が大半だからで、むしろ今の日本の学校教育はそういった素朴で根本的で(世界がひっくり返ってしまう可能性を持つという意味で)ラディカルな質問を封じ込めているんだよね。そういった疑問を抱かずにお上の言うことに盲従する人間が再生産され、そういった人間が教師になるという不幸な再生産システムがあるのよね。だから教育は難しいんだけど。
あと、この疑問を徹底的に考えると「じゃあ、数学なんて現実世界となんの関係もない、記号遊びにをやっているだけだな。だから、僕には必要ないな」というように、シニシズムに陥いりがちでそういった方向に思考させないことも必要だし、それに陥った人をうまく掬い上げなきゃいけない。
この増田のエントリーも含めて、「虚数って本当に存在するの?」っていう疑問から目をそむけずに考え続ける人が増えてほしいと切に思う。
大して違わないんだけどねー。さて
後藤によれば、ある世代に生まれたことによってすべてが決まってしまうという考え方は「宿命論」であり、シニシズムやニヒリズムに通じる。
世代論そのものがもはや用済みなのだ、とかれはいう。その代わり後藤が持ち出すものは、古くて新しい文明の利器、科学である。統計と学術的分析をもちい、客観的かつ実証的に事実を導き出すこと。
『おまえが若者を語るな!』がいろいろとすごい。 - Something Orange http://d.hatena.ne.jp/kaien/20080914/p1
ですが、色々勘違いしてるよね、という。そもそも「時代」というのはアプリオリに存在する客観対象ではなく『論じるという行為によって生み出されるもの』であることは、その本で批判されてるような人らの間では大前提なわけで、「時代なんて幻想です」という批判は彼等からすれば全く痛くないどころか冷笑の対象でしかないと思う。彼等が痛いのは「自分の切り口がもはや有効ではない現象の前で立ち止まっている自分たちに気づいた瞬間」くらいだよね。東浩紀が(あれほど賞めていた)村上隆批判をしていたときは結構痛々しくて気の毒だった。
まあ理系的発想で社会学ぽい言説をぶった切りしたい欲望は分からないでもないけど、それって一歩間違うと単に「物事の繋がりや文脈」が理解できない人=アスペルガー的症状にしか見えないんだよね。自閉症スペクトラムには入らない程度でアスペルガーな人って、ある種の超理系的人間=モヒカン族に多いと思うし、自分も幾分その気があるから分からないでも無いんだけど。また社会学が大概いかがわしいという言説も、もはや使い古されているわけで今更そんな話したくもないんだけど、もしそういう話を全然聞いたことがないなら「反社会学講座」(パオロ・マッツァリーノ、ちくま文庫)でも読むといいと思うよ。