僕(東浩紀)と大塚さんは話が合わない
公共性をどう捉えるかというところ
大塚さんはある信念を持って人々を啓蒙する
自分は正しいと思っていることを人に伝わると信じて言う
それが公共的
僕はそうではない
さまざまな意見がぶつかり合う
公共的というのは、ある特定の意見を言うことではない
ある特定の意見がヘゲモニーを握らない
絶対的な真実が無いまま議論が続く
それが公共性
大塚さんはそれはシニシズムだという
自分が正しいと信じることを人に言えないのであれば、
それは公共的でもないし、そんな奴は批評家でも知識人でもない
それが出発点
ぐるぐる回っている