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はてなキーワード: 反社会学講座とは

2024-01-29

逮捕起訴もされてないジャニー喜多川って犯罪者なの?

松本人志さんの罪についての考察提案反社会学講座ブログ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/pmazzarino.blog.fc2.com/blog-entry-451.html

ジャニー喜多川さんは、いい人でした。多くの芸能人を育て、テレビ界に貢献した功労者であり、育てられた芸能人にとっては恩人です。

でも、ジャニーさん犯罪者だったのです。

24時間、つねに犯罪者でいる人などいません。犯罪者としての顔は、個人が持つ多くの顔のうちのひとつにすぎないのです。犯罪をしてるとき以外は、何食わぬ顔で暮らします。それはマジメな職業人の顔であったり、優しい父親母親の顔だったり、情にあつい先輩の顔だったりします。

でも、そういう「いい人」が、犯罪者の顔も持ってたりするんです。

2021-10-09

anond:20211006074701

https://pmazzarino.web.fc2.com/saikin2.html 

スタンダード 反社会学講座

最近の○○・バックナンバー 2(2006年)

より抜粋

自由多様性のある社会を目指そうという主張になら、私も賛成します。しかし残念ながら観念論スローガンを唱えるだけじゃ、弱い。弱すぎる。それだけじゃニート問題はおろか、なんの社会問題教育問題解決にもなりません。それどころか、海千山千ヘリクツボーイたちの手にかかれば、「自由社会なんだろ? だったら、ニート差別するのも自由じゃねえか」と悪用されてしまます。それとどう闘うのですか。やっぱり、リベラルだったら「ニートでもいいじゃねえか」と開き直るべきでしょう。

 

この時代を生きてきたおじさんに言わせると「仕事を愛せよという程度の広告撤去されるわけがない」が常識です。

2019-02-07

反〇〇と非〇〇の越えられない壁

ひきこもり論が華やかなころ反社会性と非社会性の違いということがよく語られていた。

反〇〇(アンチ〇〇)、非〇〇とよく言われるがそれを相互に置き換えるといろいろ違いや構造が見えてくる。

反ファシズム 非ファシズム

反差別 非差別

フェミニズム 非フェミニズム

安倍 非安倍

反出生主義 非出生主

反社会学講座 非社会学講座

非モテ 反モテ

非同盟諸国 反同盟諸国

非科学的 反科学

非合理 反合理

2019-02-03

はてなーインテリ層はもしかしたらただのIT土方の強化版ではないか

マーケティング馬鹿にしてエンジニアを礼賛

その理由はおそらく、マーケティング営業的なオラオライメージがあり、

またコンサルに関しても馬鹿を騙す手段を身に着けたクソというイメージがあるのだろう

なぜそのような考え方になってしまうのか?

先端技術尊重する進歩的素養があるのに、なぜ他分野を認めないのか?

逆に認めている分野は何だろうか

分野で言えば、工学医学文学脳科学アニメクリエーターあたりの人は尊重されている

逆にクソと扱われているのは芸術系学部経済学あたりだろう

この差はどこからまれるのか?

私は経済学出身で今はまさにマーケティングをしている

なのである程度の答えは出ている

その答えの出す方法統計学的有意差が出ているなもの…だったら納得してもらえるのだろうが、

社会学を引き合いにして仮定したものである

社会学の扱いは難しい

統計的事実を基にしたものではなく思い付きではないのか?

という議論は以前からなされてきたらしい

私は30代なので詳しくは知らないが、少なくとも2004年パオロ・マッツァリーノの「反社会学講座」は

当時平積みにされているほど売れていたので、このころにはすでに社会学の怪しさを指摘する声はあったのだと思う

続きは、トラバの反応があったら書きます

2018-01-31

anond:20180131104137

https://anond.hatelabo.jp/20180131104137の続きだ!

4位

日中合製家族中国人嫁が描く日本人夫+3人の娘+日中ハーフの息子2人の日常四コマ漫画です

http://zhuxiaomei213.com/

日本にきた中国人嫁が描く日本人中国人の違いや、作者の幼少期でわかる文革経験者の価値観など非常に興味深い!

反社会学講座ブログ

http://pmazzarino.blog.fc2.com/

イタリア人からみる摩訶不思議日本社会日本人価値観が遠慮なしに書かれてる!

ホッテントリに入ったこともあるし知ってる人いるかもな!

以上、このブログがすごい!2017大発表!でした!

ちなみにブログの探し方は特別なことはしてないぞ!主にはてなブックマークカーから

例えばここで紹介されている人たちとかおすすめだ!

htps://anond.hatelabo.jp/20170203205325

2016-04-08

平均寿命縮めたほうがいいよなあ

反社会学講座」あたりから老人は凶暴、みたいなの流行り始めたけど、今の30代〜40代も老人になったらものすごい問題になるだろう。今のうち対策したほうが良いと思う。東浩紀村上隆、その他諸々の人間高齢者になったらやばそう。目立つ人だけじゃなくて、自分たちも顧みればやばいし。ネトウヨネトサヨウェイ系オタク系全部クソ。ネットの使い方も古臭いままだろうから、手動やスクリプトを使った書き込み情報埋め尽くしてノイズ多くしそうだし、現実でも余裕で暴力振るいそうだし。さくっと死ねるよう整備して欲しいですね。

2015-08-29

不条理」を受け入れるのが辛いっす

何度でも言う。地域の絆と犯罪にはなんの関係もない反社会学講座ブログ http://pmazzarino.blog.fc2.com/blog-entry-188.html

寝屋川中学生殺人事件について、「「地域の絆がうんぬん」とかいおためごかしを抜かすんじゃねーぞ、地域は十分に安全配慮していたがそれでもアクシデントはあるんだから」というブログエントリー

はてブを見ると、主に前半が注目されているようだけど、個人的には後半の論旨のほうが気になる。というか、ずっと考えている話。

ゼロリスクがありえないという前提に立てば、必要安全性利便性コストとを天秤にかけて最適の資源配置を実現せよということになる。ただ最適の資源配置であってもアクシデントは起きるわけで、感情的コストを投入すれば資源配置は最適なものではなくなってしまいむしろ安全劣化する。資源配置が最適なものだったかという検証はもちろん必要だが、確認された場合にはアクシデントがあったとしても現状維持、何も間違っていなかったと考えることが正しいわけだ。

だが、正しい選択をしていたのに「不条理」にアクシデントが起きる、人が死ぬということに人間はなかなか耐えられそうにない。いや、それを受け入れるための仕組みとして宗教というのがあり、「人間には計り知れない神の御心なんやで、しゃーない」と納得するようになっていたはずだが、現代のぼくらはいかにして「不条理」を受け入れるのか。まあ受け入れられないから、わかりやす悪人や失敗を見つけることになるのだろう。

とここまで書くと、若い頃に読んだ宮台真司の影響をばりばり受けているのがばればれで恥ずかしいのだが、自分の母の介護をしていてどうにか助かる道がないか考えていた時も、あるいはわかりやす悪人をぶったたいて気勢を上げている活動家ネット民のみなさんを見る時も、やっぱりこのことを考えてしまったり。

2014-08-16

「全ての人間共感できる人がコミュニケーション能力を持ってる人」????????????

コミュ力 コミュニケーション能力 を拡大解釈するのはヤメましょう。 情報伝達以外の意味はありません。

※それ以上付け加えるならばコミュニケーション能力とは別の能力として主張すべき。

コミュニケーション力 拡大解釈

でググってみて下さい。

あと「コミュニケーション能力」でもググって下さい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/コミュニケーション能力

同意することだけがコミュニケーション能力勘違いしてる人」が多いようですが

批判コミュニケーションの一つ」です。

批判コミュニケーションでないならば、「はてな批判をしている人間コミュニケーション能力がない」ことになってしまます

まりイエスマンコミュニケーション能力のある人間」という定義になってしまます

ましてや「どんな人間にも共感することをコミュニケーション能力とする」なんて、この世にそんな人間ますかね?

ちょっと例を挙げるとこの世界の全ての犯罪者共感できる人間がいますか?

この世界の全ての悪意(日常を含む)に共感できる人間コミュニケーション能力があると定義する非実効性。

そもそもの間違いは「コミュニケーション」に「力」という文字を付けたのが間違い。

この世界人間経験多種多様記憶も違う。

1つのベクトルでくくれないのが「コミュニケーション」。

またパオロ・マッツァリーノは、自己啓発書の売り上げを上げるために不安煽り、彼らの都合のよい稼ぎ口として使われていること、も指摘しています

以下は参考のための引用

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パオロ・マッツァリーノの指摘

パオロ・マッツァリーノは『反社会学講座』収録の「ひきこもりのためのビジネスマナー講座」において、浜口恵俊の「日本語にはもともとコミュニケーションにあたる言葉がないため訳せない」という意見を取り上げ、近年、企業等においてコミュニケーション本来の「意味拡大解釈」して用いられているようだと指摘し、問題視している。

マッツァリーノによればコミュニケーションには本来、「情報(知識や感情も含む)をだれかに伝える・交換すること」という技術的な意味しかなく、そのため言葉用法に従えば、上司や目上の人間へのある種の直接的な批判の類も立派なコミュニケーションとして成り立つことになると述べている。続けて「しかし、そうすることが日本企業社会奨励されているかというと、はなはだ疑問です」と言い、「日本人は古来、コミュニケーションなしで社会を成り立たせてきた」という事実を指摘し、安易コミュニケーションという単語を用いる現代の風潮を皮肉混じりに批判している。

スーザン・ケインの指摘

スーザンによれば、すべての人が同じコミュニケーションスタイルにおいて最良のパフォーマンスを発揮するというわけではなく、イントロバート(introvert)と呼ばれる『刺激に敏感で大量の刺激を本能的に避けるタイプ人間』と、エクストロバート(extrovert)と呼ばれる『刺激に鈍感で少量の刺激では必要量を満たせないために大量の刺激を必要とするタイプ人間』、二者それぞれの遺伝子レベル性質を生かした二種類のコミュニケーションスタイルこそ、無理のない持続可能な方法であるとしている。

近代以降、資本を求め商品をいかに買わせるかが社会の関心事となった経緯を紹介し、深い思考は苦手だが口先が巧みなエクストロバートを量産し経済拡大に用いるというシステム教育も含めて現代では日常化してしまっているという。この社会(エクストロバートワールド)では、イントロバートは欠陥品とされ(イデオロギーの定着のため病名まで発明された経緯もある)エクストロバートになることを強制される。しかしその性質遺伝子レベルで50%以上固定されているために、対外的にはエクストロバートを「ふるまう」、無理の結果として心の病を併発したり出社拒否に陥るケースがあるという。

彼女によれば、どちらのタイプも社交的であるという。両方とも自身性質に基づいた異なる社交性を備えており、イントロバートは多数の人間と社交を行うことは刺激が大量すぎる点で本質的に苦手だが、一対一または数人との社交においてエクストロバートを凌ぐ力があり、エクストロバートは刺激に鈍感であるがために多数の人間と社交を行うことができる。その反面、一対一または数人との社交において深い友人関係を築き長期にわたり維持することは苦手であるとされる。このため双方のコミュニケーションスタイル必然的に異なる形となるのが自然であるが、現在資本主義競争社会におけるバイアスのかかった社会においてエクストロバート型を唯一のコミュニケションスタイルと信じて疑わない状況がある。自分の話を聞かせたいエクストロバート、人の話を聞くことができるイントロバート、従来のリーダーの適任とされるのは前者とされてきたが、近年では後者の「引き出す力」に注目が集まり前者を凌ぐリーダーとしても可能性が示唆されている。多様なコミュニケーションスタイル人間多様性を認める社会であることが必須条件として、イントロバート存在と可能性について全人民的に社会的認知を深める必要があるという。

2008-11-24

http://anond.hatelabo.jp/20081123224301

パオロ・マッツァリーノの『反社会学講座』によると欧米には社会人って言葉はないらしいよ。

ぼくは欧米に行ったことないからほんとかどうか知らないけど、よく考えるとへんな言葉だよね、「社会人」。

2008-09-15

モヒカン族アスペルガー

大して違わないんだけどねー。さて

後藤によれば、ある世代に生まれたことによってすべてが決まってしまうという考え方は「宿命論」であり、シニシズムニヒリズムに通じる。

世代論そのものがもはや用済みなのだ、とかれはいう。その代わり後藤が持ち出すものは、古くて新しい文明の利器、科学である。統計と学術的分析をもちい、客観的かつ実証的に事実を導き出すこと。

『おまえが若者を語るな!』がいろいろとすごい。 - Something Orange http://d.hatena.ne.jp/kaien/20080914/p1

ですが、色々勘違いしてるよね、という。そもそも「時代」というのはアプリオリ存在する客観対象ではなく『論じるという行為によって生み出されるもの』であることは、その本で批判されてるような人らの間では大前提なわけで、「時代なんて幻想です」という批判は彼等からすれば全く痛くないどころか冷笑の対象でしかないと思う。彼等が痛いのは「自分の切り口がもはや有効ではない現象の前で立ち止まっている自分たちに気づいた瞬間」くらいだよね。東浩紀が(あれほど賞めていた)村上隆批判をしていたときは結構痛々しくて気の毒だった。

まあ理系的発想で社会学ぽい言説をぶった切りしたい欲望は分からないでもないけど、それって一歩間違うと単に「物事の繋がりや文脈」が理解できない人=アスペルガー的症状にしか見えないんだよね。自閉症スペクトラムには入らない程度でアスペルガーな人って、ある種の超理系人間モヒカン族に多いと思うし、自分も幾分その気があるから分からないでも無いんだけど。また社会学が大概いかがわしいという言説も、もはや使い古されているわけで今更そんな話したくもないんだけど、もしそういう話を全然聞いたことがないなら「反社会学講座」(パオロ・マッツァリーノちくま文庫)でも読むといいと思うよ。

2007-05-07

一人暮らし礼賛は不動産屋の陰謀である。

あるいは一人暮らし者は実家暮らしを称揚すべきである。

反社会学講座の二番煎じではあるものの、少し書いておこう。一人暮らしが(実家暮らしより)社会的にいいイメージを持つと、当然の帰結として賃貸物件の家賃は上昇する。よって、一人暮らし者は自分の生活を守るためにこう言うべきなのだ。「いやぁ、一人暮らしなんて良いものじゃないですよ」

 
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