http://samepa.hatenablog.com/entry/2019/09/06/013138
ひどい記事だ。
わだかまりの本質は京アニが犠牲者の名前を出して儲けようとしている売名行為だといいたいからだ。
なんら怒りに正当性がない。
>> 久々に同書を一部読み返し、やはり京アニの件でも被害に遭った一人ひとりの作品への貢献や、人生があったことは忘れてしまいたくないとあらためて感じた。とはいえ今回難しいのは、京アニ側が主体的に被害者の一律匿名化を求めている点だ。 <<
ここでなぜ執拗に京アニが一律匿名化を求めながら名前は出すのか。この矛盾点をきちんと考えていない。非常に愚かで知性がない。にも拘わらず自分が正しいと思い込んでいる。このブログはある意味日本のネット民の支離滅裂さをある程度網羅したという点で価値があり、ネットには価値がないということを語っているという点で価値がある。読み返すべきは報道の流れであって村上ではない。このため事実に即して語っていない。これもダメな点。自分に都合がいい解釈だけやるならだれもでウソが言える。こういうフェイクニュースのやり方が蔓延しており、ネットは救いがたい低劣さを呈している。
結局は、メディアの報道が気に入らないという以上の正当性が全くない。感情で報道の価値を決めているため言いがかりにしかなっていない。最後に挨拶を述べるのも自分が犠牲者を利用して自分の意見を正当化しているという自覚が全く欠落している。
本質的な問題点はマスコミには全くない。問題点はこのようなブログ記事に正当性があると思うネット民にある。京アニのような企業には何の責任もないという思い込みがある。警察の対応にも疑問を抱かないのも視点の欠落がある。なので報道に対する意見として無意味だ。被害者に寄り添う報道などは意味がない。なにをもって寄り添うのか定義がない。
権力に対して中立であること、客観的かつ正確に報道すること、それ以外に価値はない。それを求めたらネット民の意見と完全にバッティングしてもそれが中立な報道だということになる。マスコミはあなたの注文にこたえるレストランではない。
犠牲者に名を借りた匿名IDに阿った報道をしなければならないのか、それで何を隠蔽しているのか。(今回もネット民は明らかに隠蔽に加担している)なぜそれに共感するのか、なぜそのような共感が正しいのか、なんら根拠がない。
それでネット全体としては報道が役に立たないとか報道しない自由とか別のところで言うのだから全体としては矛盾している。また匿名だとウソの名前を流したり、事実ではないことを流通させたりしているではないか。イエロージャーナリズムと同じだ。
もし自分が犠牲者なら何が問題なのか報道してほしい。この記事も書いた人間もそうだろう。でも匿名化に縛られる。だが遺族は犠牲者本人ではない。でもそういう自分が利用ができない犠牲者の声は無視したり攻撃したりする。そういうネットの本質はもう嫌というほど見てきてネットには価値がないとしか言いようがない。むしろ客観的に見てネットの意見は社会問題の本質から目をそらすようになってきており、非常に有害になってきている。
少しは自分はーではなく、ネット全体で何をやっているのか考えた方がいい。日本人のネット民に怒る権利はない。マスコミを責める正当性もない。だがそんなことすら考えもせず役に立たない反応しかできない。文章を読んでいない。なので自分たちの誤りを認識できない。それが今の日本のネット民の問題だ。お前らはきれいじゃない。理性的でも道徳的でもない。非常に失礼で幼稚で無責任だ。