最近ツイッターを眺めるとやれ抱き枕だなんだが槍玉に上がっているのを見かける。
もう一つ見かけたのがこれ→ ( https://t.co/x2y94dcoUn?amp=1 )
内容は読者各位が各々読んで確かめてほしい。
この2つの事柄を並べてまず何が言いたいかというと「こういう出来事には得てして『被害感』や『トラウマ』がひっついて回ってくる」ということだ。
これが悪いことだとは全く思わない、感情が起因の諸々はしょうがないことが多い。だからこそソレを根拠に物事の批判や要求をするのは控えるべきだ…とは思う。狡猾な手段を用いるならば「子供が〜」などと主語をすり替えることもある。
長い前置きとはなったがここで僕の個人的なトラウマと被害感を聞いてほしい。
まず単刀直入に言うと僕は「腐女子」が大嫌いだ。彼女らに対してトラウマを持っている。
もっと言うならば抱き枕に対して抗議の声をあげ市場から無くそうとしている人々と同じロジックで僕は腐女子達がこの世からいなくなってほしいと思っている。
キッカケとなったのは2011年3月の大震災、当時福島県に住んでいた中学生の僕はモロに被害を受けたのである。その時に「原発デマ」というものが悪い意味で流行ってしまった。
その時にネット(主にツイッター)を活用し、半ば福島県在住なのを公開していた僕は主にプロフィール欄に「腐女子」「腐」と書かれている人たちから猛烈な誹謗中傷を含んだバッシングを受けた。
さらに最悪なのがその後彼女たちの「オタク的被害妄想、被害感」を見てしまったことだ。人を誹謗中傷した口で被害を語るのがどうしてもダメだった。
何故彼女たちが中心になって僕を叩いたかはわからない。雑に党派性を持ってこうだから、と言うことも出来るのだろうがそれはしたくない。
それ以来僕はこの「腐女子」と言うのが苦手だ。Twitterでタグを付けて発信するならば「#meetoo」となるのだろうか。
でも僕は実際にこの「腐女子」そのものに対するバッシングはしたことはない。いなくなってほしいとは思うがその旨を含む発言をしたことはない。
少なくともそこで攻撃したら「終わり」だし超えてはいけない一線ではある。
まあ、いざ僕がこの嫌悪感を表明したところで賛同及び共感してくれる人たちは少ないだろうというのもある。
「#meetoo」の文脈に乗せて言ったところで「一緒にするな」と怒られて終わりだろう。もしくは「そもそも叩かれるような言動をとっていたに違いない」と言われるかもしれない。
だがそれを踏まえるならば、何故彼女たちの主張は(是非はともかくとして)さも正当性のあるように語られるのか。
フェミニズムの文脈に乗っているからなのか、その辺りはよくわからない。
最近ではこのBL趣向を政治的正しさやLGBTへの理解と結びつけて自分たちの趣向を正当化しようとしている腐女子もいると聞く。
先ほどの「一緒にするな」「そもそも叩かれるような言動をとっていたに違いない」と言われるであろう言葉に僕が「セカンドレイプ」だと批判しても正当性はあるはずだ。
何が「正しい」のか、何が「間違っている」のかよくわからない。
今でも彼女たちはまだTwitterを続けているかはわからない。
だが今更名指しで批判するつもりもない。少なくとも彼女たちにも今の生活があるだろうし多分覚えていない。……まあ、自分の加害性を鑑みてないという点からは覚えていないのであればそれはそれで怒りが湧くが……
イーストウッドはかつての大統領選で「今は軟弱な時代だ」と言いトランプ大統領支持を(消極的なニュアンスではあるが)表明した。
今思えば、彼がその時に語った話は全くその通りだと思う。
腐女子の正体なんてタカが知れている。 イケメンを性的消費したくて、そのためにフェミ思想の都合のいいところを取り上げて無理矢理正当性があると主張しているだけ。