http://togetter.com/li/1028423
このまとめを読んで思ったことを書く。
問題は、このまとめで挙げられている人たちが、法律に規定されていない「犯罪」を持ち出していることである。様々な疑問があるとは言え、日本社会は一応、建前上は法治主義の国家である。よって理想はともかくとして、法治国家としてのあり方に沿うような配慮が、政治的発言にあたっては求められることもあるのが現実である。
だから何かを犯罪と認定するのならば、その根拠法を示さねばならない。しかるにこの件では、特定の性癖「である」というだけで犯罪であるとの呼ばわりがなされている。そういう理由で触法行為であるとみなす法律は存在しないし、実際に「する」ことを伴わずに罰するのは、この件においては内心の自由を侵害するため、憲法違反となって法律ができたとしてもどうせ無効であるし、既存の法律を内心の自由を規制できるように解釈するのも不適切とみなされると思う。
日本国憲法第31条に、「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」とある。これは罪刑法定主義を規定していると解されている。罪刑法定主義を否定するようなやり方による「犯罪者認定」は、この精神に反する。
そして本論であるが、この罪刑法定主義の否定は、為政者による恣意的な投獄などの措置につながるのではないか。法律案の国会による審議を経て必ず成立する法律ならば、勿論それでも様々な問題点はあるとは言え、一応国民の意見が反映された法律と言えよう。この法律に従って犯罪を認定し、取り締まるのは形式上正当である。ここで、法律によらず、「犯罪者認定」することがまかり通る世の中になればどうなるか。法律に問題云々以前に、警察官が個人的な恣意で留置所送りなどを行うことも可能となるのではないか。
もちろん、この言い方は極論であり、実際に罪刑法定主義が無視された取扱が行われるのは、ありえないだろう。しかし、リベラルの立場に立ち、人権を擁護する主張をするものが、このような人権が無視されるディストピアにつながる観念を肯定してしまうというのは、そもそもふさわしいことではないと思う。昨今の日本では、リベラル的な言論が衰退していると考える人もいるらしいが、さもありなん、である。勿論ネトウヨのようにリベラルで無かったとしても、この国の法律を尊重する立場であるというのならば、あのような言いようは許容され難いだろう。というかこの件、「ネトウヨ」(この集団もまたまったくの無問題ではないが)とされている人たちのがよほど罪刑法定主義や内心の自由に言及し、尊重しようとしているように思える。
たしかに犯罪行為は良くないことだ。批判されるべきだ。刑法なりなんなり、なんらかの法律に規定された犯罪を犯した人物は批判されるべきだろう。しかし、「犯罪者は批判されるべき」という常識を悪用して、自分に気に入らない思想や思考の人物を犯罪者認定し、「批判されるべき」としてしまうのは、タイトルに書いたとおり危険な考えなのではないだろうか。
9/25追記
http://anond.hatelabo.jp/20160921171221とhttp://anond.hatelabo.jp/20160924215458に関係する話を書く。なお、後者の増田はhttp://togetter.com/li/1028423 を元にかかれている。「日本国憲法」タグを辿って一番目...
じゃあさじゃあさ イルカとかに気に入ったからって人権をあげちゃうってのはどういうかんじかな
http://anond.hatelabo.jp/20160921171221とhttp://anond.hatelabo.jp/20160924215458とhttp://togetter.com/li/1028423を元にして、http://anond.hatelabo.jp/20160925154605を書いたら、同じまとめ人に派生まとめを作られていた...