そのどれもに感心させられ、理解を深めた。
応援といっても、ファンクラブに入会し年一回のコンサートに応募したり、出演する歌番組を録画したり、DVDを購入したり、そのグループの番組をたまに見たりするだけで、活動の全てを把握し追っている人に比べれば緩いものだったと思う。
過去、自身がそのような熱狂的な応援の仕方をしていたこともあったが、上記のような状況に落ち着いた。
応援の仕方が落ち着いたといってもグループに対する熱が冷めたわけではなく、そのグループのことが大好きだった。
よく、ジャニオタには「相方」という存在がいるが、私にとってそれは母だった。
母もジャニーズが好きで、一緒にコンサートに行ったりDVDを見たりした。
親子なので気を使わず、言いたいことを言えるのはとても心地が良かった。
しかしある時、いつものようにコンサートの案内が来て母と申し込もうとしていたら、プライベートで仲の良い友達から、急に私が応援しているグループの一人を好きになったので、コンサートに連れて行って欲しいというお願いをされた。以降、その友達が好きなジャニーズを仮にAと表記する。
Aは所謂、私の「担当」であった。その友達は、今までジャニーズを好きになったことはなく、ジャニーズのコンサートに行ったこともなかったが、遊ぶ時に度々Aの話が多くなるのは感じていた。その度に私はAの性格や、昔の情報を教えてあげた。
友達は喜んで、更にAに入れ込んでいった。
そんな状況での頼みだったので、特に何も思うことなく快諾し、コンサートに申し込んだ。
無事当選し、チケットが届いたが、席は非常にメインステージから遠い場所であった。
それを友達に伝えると、とてもショックを受け、お金を出してでもいい席に入りたかったと私に伝えた。
いい席をお金を積んで買ったりする人がいるのは把握していた。
グレーゾーンの行為ではあるし、行為に対する個人的な考えはあるがここでは割愛する。
その行為に手を出すつもりはさらさらなかったので、友達がそのようなことを言い出すのは驚いた。
結局その友達は口にしただけのようで、その席に入ることを選んだ。
ここで少し違和感を感じたが、友達ということもあり大目に見ていた。
友達は度々Aが好きだ好きだと言った。
初期のうちは応援に熱が入るのは自身も分かっていたので、友達のAに対する思いを黙って聞いていた。
しかし、次第にAと付き合いたい、Aと出会いたいと言い出すようになった。「リア恋」「ガチ恋」というやつだ。
実際に自分もAに対して「リア恋」「ガチ恋」のような感情を抱いたことはある。もしかしたら今も自覚はないだけで、それと同じような感情を持っているのかもしれない。
だが、私はアイドルであるAを応援しているので、プライベートを貰いたいという思いは初期の熱があった頃を過ぎた今、落ち着いていた。ふざけてAと結婚したいと母に言うことはあったが、どこか夢心地での発言であって本気でそうなるとは考えていなかった。
しかし、友達は本気でそう発言していた。付き合いたい、出会いたい、結婚したい。自分がいかにAを好きかという話をされる度、苛つきが増した。
また、友達の応援の仕方にも疑問を感じた。Aが出る番組は録画するが、DVDやCDは一向に購入せず、ネット上で映像を見ていた。
Aについて、色々なことを語るが、その全てが最近の状況を参照したものだった。長年Aを応援している私にとっては賛同し難いことばかりであった。
極め付けに、友達はAを私と同じ呼び方で呼んでいた。Aには大勢のファンが呼ぶニックネームがあったが、私は少し異なる(といってもごく一般的で普通の呼び方)で呼んでいた。
くだらないが、これらのことで友達に嫌気がさしていた。自分の器の小ささを感じたが、どうしても苦痛であった。母と応援していた頃の気楽で楽しい気持ちが薄れていた。
そして気付いた。これが「同担拒否」をする理由であると。以前、同担拒否をする意味を語っていた素晴らしい文章を読んだが、それに当てはまっていたのだ。
応援の仕方は、自由だ。だけど、私の応援と友達の応援の仕方は種類が違う。担当Aの好きな部分も、好きになり方も、見ている部分も全て違う。そして、Aのことが好きな分、独占欲(呼び方や歴の長さ)が出てきてしまう。そんな自分も嫌だった。
そのような気持ちを抱えて行ったコンサートはあまり楽しくなかった。友達がAの事について話しかける度嫌な気持ちになってしまった。コンサートが終わった後、友達はファンクラブに入会した。そして、私に一緒にコンサートに行こうと誘ってきた。
私は友達と共にAを応援することはしたくない。大きすぎる価値観の違いに疲れてしまうからだ。価値観が似ていたら、何か違っていたのだろうか、「独占欲」はなかったのだろうか。
現在その友達とは疎遠になったが、グループのことは変わらず母と応援している。私は、一人でひっそりと応援をしていくのが向いているのかもしれない。現実では、関わる人は通常程度にいるが、ジャニーズの世界では母しかいないのは、それを証明しているかのようだ。