はてなキーワード: 光市母子殺害事件とは
被告人の死刑が確定したわけだが、この事件、幸せな家庭の母子が殺害され
残された遺族の悲劇が報道され、事件の残忍さも相まって死刑になるのは
やむを得なかった思う。
ただし同じ母子殺害、一家惨殺レベルですら死刑になっていないケースがかなりある。
それが納得できない部分だ。
多くは無理心中と身内の殺害だ
それら事件に対し厳罰を求める声は小さい。
今回の事件の残された遺族の夫と自分を重ね合わせて死刑は当たり前と
してる人はどこで線引きしてるのだろうか。
非親族間の殺しなら厳罰になるのか。親族間の殺しなら寛容になるのか。
・中津川一家6人殺傷事件
有名なのはこのあたりかな。事件内容は光市のそれと同等かそれ以上だと思うが、死刑は
回避している。奇妙なのは被告人関係者が罪一等を減ずる陳情をする事が多い事だ。
橋本徹氏がテレビで光市事件の弁護団を批判して「世間の常識であんなのが通用するのか」
とキレてたが、殺人を犯しても世間は減刑を求める嘆願書を出す。
被害者が障害児や乳児の場合、殺害した親には執行猶予が付く場合すらある。
まあそれでいいならいいんだけどね。なんだかねぇ
youtubeで動画をだらだら見ていたら、秋葉原事件に関する当時の報道の映像に当たった。
そのコメントで「死刑にしてやりたい(3年前)」というのがあった。
この手の言動って(特にネットでは)ありふれたものなんだけど、わたしにはよくわからない。
どうしてみんなそんなに赤の他人のことで感情的に慣れるんだろう。
いや、共感をそもそもしないとかそういうことではない。
あるいは、光市母子殺害事件の被害者遺族の男性の立場を考えるとゾッとするが、共感はしない。
なぜなら、わたしには妻も彼女もいないし子どももいないからだ。
もうひとつ。
たとえ共感しても「死刑にしたい」というような強い感情は生まれない。
死刑存置派のひとがしばしば揶揄する、死刑反対派の検察だか弁護士だかの男性が身内が殺された途端に死刑存置派になった事例なんかはこの話(想像と経験)だと思う。
わたしも自分の大事なひと(そんなものいない)が被害に遭ったら「死刑にしてやりたい(というか、殺してやりたい)」と考えるだろうが、まだわたしの大事なひとは被害に遭っていない(そもそも存在しない)。
今被害に遭ってるひとたちはわたしの大事なひとたちではない。
わたしはおかしいのだろうか。
一体どっちが本来のありかたなのでしょうか?
というか、そもそも「罪」と言う概念がない。
そこに社会契約が発展、「所有物」や「権利」という考え方が発生する。
その時点で、他者の「所有物」や「権利」を犯した場合、「罪」になるという考えに至る。
生まれた時から社会契約に縛られる現代日本においては、教育によって「罪」という概念が教えられるはず。…なんだが。
まぁ、現在の教育がどのようになってしまっているかは察しの通りなわけで。
そういった人間は、
である訳だ。
一方、親のしつけや教育の甲斐もあって、きちんと「罪」という概念を持った人間は、
罪は軽くも本人の心身はズタボロ。
となる。
今の日本の裁判制度、社会保護制度は、前者である「罪の意識の希薄な存在」を無視しているシステムな訳で。
だから、「光市母子殺害事件」が問題化されたり、「生活保護」が悪用されたりするわけだ。
システム上、「罪の意識の希薄な存在」は存在しえないと言う訳。
なので、社会的には前者であればあるほど「悪」というよりは「得体の知れないモノ」「存在するはずの無いモノ」となる。
後者は後者であるほど、社会契約が保護し損ねた人となる。後者は大概社会が保護し損ねた結果として犯罪に走る。
まぁ、前者も大元を正せば、ネグレクト等が原因で後者であった可能性も否定は出来ない(永山則夫 等)が…。
本人の心身を最優先にしたら前者の方が心身の健康上には良いのかな。
前者の場合、本人に「罪」の意識が希薄なので、無理やり捕えられ裁かれるという状況であり、トラウマになりうる。
例えば、スピード違反。
路上喫煙禁止条例施行の頃に逆切れする女性の映像が流れていたりしたのもこういった類。
後者の場合は、本人に「罪」の意識があり、裁かれたのだから後は社会が庇護して行くべき。
というか、本当に後者しか居ない社会であるなら、フィンランドのような刑罰システムへ移行することも可能。
この場合は、ズタボロにはなるまいて。
この本の作者である増田美智子が、心底嫌いになりました。
知らないし、聞いたこともないし、会ったこともありませんが。
大嫌い。
この本は、光市母子殺害事件の加害者である人物と、その家族や関わりを持つ人物を取材したもの。
本を読んで、ここまで嫌悪感を持ったのは初めて。
それくらい不快でした。
小学校4年生の何も知らない子に、「お前の義兄は殺人者だ」と気付かせるような行動を起こし、それを非難する父親(小4の父でもあり、加害者の父でもある)を上から目線で眺める行為。
高次脳機能障害を患っていると知りつつ、A君(加害者の拘置所仲間)の心を顧みることのない取材。
君は取材を受けたことにより、病気を悪化させ、奇行を起こした。
その奇行についても詳しく書いている。彼の名誉など、考えないだろうか。
そして、奇行を起こした原因となった最悪の取材であるにも関わらず。
この行為を「反省している」と書きながらも、症状を悪化させる原因となった取材や手紙の全てを書籍化し、公に晒すという行為。
この作者、おかしい。
言いたいことは、いっぱいあります。
今訴えられているような、元少年の実名を出すことが悪いとは思いませんし、正直読みたくてたまりませんでした。
光市殺害について取材を繰り返し、ここまでのものに仕上げた。それは素晴らしいと思います。
しかし作者は、人の気持ちを考えてなさすぎます。
増田美智子という人物は、人の気持ちを汲むことが出来ないのでしょうか。
そう思ってしまうほど、配慮のない取材や偏りのある記述が多く、
彼女が「悪人」として扱っている人物に同情すら覚えることが、いくつもありました。
彼女が「悪人」として扱っている人物、という部分については、書籍を読むとわかるかと思います。
作者は作者自身の思い込みから、登場人物をすべて「善悪」で振り分けている。
確定していないことや、又聞き程度の話題も多いだろうに、、
それにも関わらず自身の感覚だけで、人を「善悪」で振り分けるとは。どこまで傲慢なのだろう。
そして、それを恥ずかしげもなく書く。質問内容も、回答も。
最初は驚きました。
誤植、あるいは表現方法を誤ったのかな、なんて思っていました。
最後まで読み終えましたが、違ったようです。
作者の神経を、疑います。
自分のブログではあれだけ自信たっぷりに自分の法解釈がいかに正しいかをアピールして
返す刀で原告の弁護士らを口汚く罵ってたのに、判決が出たとたん、
って、「潔い」というよりも、しっくりこないわ。
橋下にとって、頭を下げるということの重みってどんなもんなんだ?
それから、結局、被告になったのは橋下一人だったから良かったものの、
ことによると懲戒請求を出した2000人余りの命運がかかったかもしれない事件だったんだが。
あんなに「大船に乗った気でいてください」的なノリでいたのに
あっさり負けを認めるのな(完敗を認めながら控訴はするってのも不可解)。
橋下にのった懲戒請求者は裏切られた気持ちなのでは?
ネットの有象無象から本当に有意義な意見を集めるというのは至難の業だと思う。
掲示板やらブログやらに自分の意見を書いてる連中は、マスコミに流されていないつもりでいるだろうけど本当はものすごい流されてる。公務員叩きや女叩きがいい例。反中嫌韓だってマスコミがあそこまで中国韓国大好きじゃなかったらここまで激しくなかったと思う。そういうところも流されまくり。あとチベット問題や光市母子殺害事件のように、パッと盛り上がってパッと消えてしまうことが多すぎる。
結局、ネット上でちゃんとした意見を流されずに表に出せる人間はわずかだし、そういう人間はネットに頼らずとも表に出て行ってるのではないかと思うが、どうか。