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はてなキーワード: ペソアとは

2019-07-14

金があったら

30から34まで15歳から貯めた貯金暮らしてた。

毎日近くのスーパー行って、色んなレシピ試して。

料理がうまければ嫁にもらってもらえるかもという期待もあってのことだったけど

ただ料理するということ自体も楽しかった。

図書館にいって、色んな本を読んだ。

ベオグラード日誌、ペソア石牟礼道子

社会復帰の時のための数学の本も読んだ。

友達も時々遊びに来てくれた。

出したパスタを「うまっ」と言ってくれた時が一番嬉しかった。

気ままな暮らしだったけど、いつか社会復帰しなくてはならないという不安がいつもあった。

もし一生生きていけるだけの金があったらアイスランドに行って家を買いたい。

車で海辺まで行って氷山を眺めたい。

2018-10-05

あったかもしれない恋愛

よく本当にご縁があれば必ずまた巡り合えると昔は言われていたけど、今なんかはネット検索すれば、昔好きだった人の近況がなんとなくわかってしまって、ご縁とか運命自分で強引に引き寄せることが可能になってしまったと思う。

mixi全盛期、都内大学生をしていた私は、mixi京大文学部学生と知り合って、1年くらい文通していた。

文学系のコミュでの書き込みから辿って私を見つけたのがきっかけだったらしい。

文通内容は主に最近読んだ小説とか好きな詩人とか映画についてで、本当に話が尽きなくて楽しかった。

私も文学部学生だったが、同学のリアル知人と文学談義をするとなんだかマウンティング合戦みたいになってしまって、ちっとも楽しくなかった。

そんな中で、見知らぬ彼との文通はすごく新鮮で、渇いた人にとっての水のように貴重なものだった。

私が、本当に欲しがっていたものを初めて与えてくれた人だった。

ポルトガル詩人ペソアの好きな詩を引用して教えてくれて、うれしかった。

私が、すすめた澁澤龍彦の本を読んで、感想を言ってくれたのがうれしかった。

彼とは一度だけ、東京デートしたことがある。私に会いたいと言ってくれて会うことになったのだ。

その時に着ていたふりるのガーリーワンピースを今でも大切に持っている。もうあのデザインの服が似合うような年齢じゃないし、袖を通すことはもうないけれども、大切すぎて捨てられない。

初めてオフで会ったとき、緊張していてあんまり話せなくてごめん。あの時、京都に遊びに行く約束をしたのに行かなくてごめんなさい。

あの時は、本当自分ルックスに自信がなくて、あなたをガッカリさせてしまったんじゃないかとずっと思っていて、その後、コメント無視したりとか色々失礼な態度をとってしまってごめんなさい。

言葉は悪いけど、あなたの前に誰かどうでもいい男と練習をしておけば、うまく女の子役を演じることができて、お付き合いすることができたんじゃないかと今でも後悔しています

恋愛の始まりには、女は「女の子」役をやらなければならないことの重要性は、おばさんになった今深く実感しています

お付き合いしたところで、私はもともと「女の子」をやるのがうまくないから、化けの皮が剥がれておそらくは短命な恋愛になったとは思う。あなた文学が好きな「女の子」を求めていて、私はそれにあてはまらなかったと思うから

あなたが、知的じゃないけれどもふんわりした女の子とご結婚なさっていることを突き止めたときはやっぱりねと思いました。あなたにとっては、相手文学が好きであるということよりも「女の子であるということの方がプライオリティが高かったんですよね。

第三者的な目で見たら、mixiで引っ掛けた女と会ってみたけど、あんま好みじゃなかったからやめといたという身も蓋もない話だけど、私にとっては一生で最も輝かしい体験でしたってことで書き捨てます

2018-05-13

踊ってばかりの国というバンドについて

全く好意的なことは書いていないので、ご留意のうえお読み下さい。

今日たまたま入った飲食店で、変わった音楽が流れていた。

Shazamで調べると、「踊ってばかり国」というバンド「東京」という曲だった。

(以下引用)

政治家ジジイが決めたことで また子ども死ぬ

難攻不落の民の声 お上には届かないよ

東京

1 2 3と歩幅を 皆合わせて

フォーマルスーツ着込んだ この街の働き蟻

肉を食って進む 花を踏んで生きる

命の尊さ気付かず 哀れな働き蟻

富を得たジジイ立場守り また若者死ぬ

首切りの恐怖とストレスで 父は妻子を殴るよ

(引用終了)

(詞ということを考慮して、多少の意味の通じなさに目を瞑ったとしても、)

「東京」政治家」「子供」等々どれも、パッケージ化された単語で、実在を感じない。

そこに浮かぶものは、まるで、90年代ティーンエイジャー向けドラマの亡霊のようだ。

本当に真剣対象と向き合って、それを自分の中で咀嚼して世界に吐き出した結果がこれなんだろうか。

アイドルやポップグループのように、一種工業的な音楽ならいざ知らず、こういったスタンスバンドで、ステレオタイプ文字の羅列しかアウトプットできないのは、致命的じゃないだろうか。

感じたものをそのまま表現することは、一部の特別な才能を持った人々以外には、

とても困難なことだ。

ペソア言葉を借りれば、

「二流の詩人自分が感じようと思ったことを言い、三流の詩人自分が感じねばならぬと思い込んでいることを言う。」

ということになるだろう。

東日本大震災から雨後の筍のように現れたこの手の音楽や言説には、もういい加減うんざりだ。

どこかで聞いたメロディーリズムに、どこかで聞いた単語韻律を組み合わせた音楽ではなく、血肉のある音楽が聞きたい。

踊っているのか、踊らされているのかよく分からないバンドの曲を聴きながら、そんなとりとめの無いことを考えました。

 
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