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2014-06-28

http://anond.hatelabo.jp/20140628152439

増田に書いてしまう程にはご自身のことを理解されたいと思っているのであれば、一番身近な人にもそれを伝えようと努力してみる価値はあるのでは。きっと理解されるはずもないというのはあなた主観であって事実ではありません。ご自身がまず甘えられる場所として、夫に理解を求めるのは悪いことではないはずです。

部活の話、ほかの人が当たり前にやっていたことが自分にはできなかった、というお気持ちには共感します。その欠落感がおそらくはほかの人よりも多く、長かったであろうことも。ただだれしもそういう欠落した気持ちを抱えて生きていて、その苦しみはその人固有のもので、客観的にみてどっちのほうが苦しい、というようなものでもないだろう、と私は思います

旦那さんは旦那さんなりにその欠落の感情に、一般的感覚として共感しようとしてくれたのでしょう。あなたからみれば真っ当な人生を歩んできた人がなにをその程度のことで、と思われたかもしれません。しかしながら旦那さんはエスパーではないであうから、ご自身からその欠落について理解してほしいと伝えてほしいなと個人的には思います。もしなにかがつっかえていて話しづらいのであれば、最初プロに聞いてもらうのもありだと思います

あなたが昇進したのは仕事での実績が評価されてのことで、みてくれている人があなた仕事ぶりをみていたからこそ昇進されたのでしょう。年下から学べるというのもひとつの才能で、謙虚努力である証拠だと思います。もう十分がんばっておられるようですから、手を抜くほうに、自分を甘やかすほうに、がんばっていくべきだと思います。いつからでも人生はやり直せると誰かがいっていましたので。どうかお幸せに。

2013-11-12

http://anond.hatelabo.jp/20131112122218

地球温暖化していることは客観的事実

でもそれが100年1000年単位で見たときに異常状態かどうかは断定されていない

またCO2が増えたか温暖化したのか、温暖化しているかCO2が増えているのか

だだれも確証を取れていない

2013-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20130613154103

産むかどうかではない。産まれるかどうかだ。

親は子を選べないというのは知覚概念で「産まれている」ことが前提だ。

産む産まないもそうだ。

既に産まれている。

子は親を選んで産まれてこれるかといえば否だろう。

気がついたら産まれているわけだ。

生まれなかったら気付くことはない。





皆気がついたときには地獄に落ちてきているわけだ。前世や他の惑星では知らんがこの地獄でどう生活するかその価値観は知らない。




ここに産まれて来たと認識できた時点がスタートだ。

これから地獄の住人を増やして寂しくないようにしよう。そんな風に考える生活もあるだろう。


生まれた子供のことはどうたらこうたら考えたり親がするものなのか。

自分地獄に引き釣り込んだだれかというのは子供のことなのか。


そんなことは知らん。地獄の淵で這い上がろうともがいてつかんだら人の足だったって話だ。


産まれて来た子供だって自分と同じ処遇なわけだろう。どこからともなく地獄におちてきた。


親のせいとしたいところだが、何千年何万年と前からつながる連鎖の結果で自分が発生したという地獄の淵で足首のつかみ合いの結果自分も巻き込まれたって話だろ。


自分の親一代が何億年とつながる生命連鎖反応を起こしたわけじゃないだろう。

親の親の親が産まなければ結果自分は生まれてこなかったわけだ。



産むかどうか考えて結果産んだり産まなかったりしてもいい。産まなければまた産まれなければ産まれてこないだけ。




地獄が終わるときには地獄に投下される人口ストップするだろう。それはせいぜい100年足らずしか生きられない人間コントロールできるところではないだろう。

何億年と続いた地獄の釜の口が塞がりますとなったら産まれてこないだろう。



産むことが幸せ子供が愛らしいといった感情も自ら規制して「子供をまもるため」という理由で制限していっている。地獄の釜の口も狭まってきているのかもしれない。




なにをどう考えても産まれるときには産まれる。親が考えた考えてないとかいう人ひとりの抵抗で地球という地獄に抗ってもその勇気を称えられたり結果がでたりするものではないだろう。






産むかどうかとか知らん。どうでもいい。殺すかどうかとか盗むかどうかとか勤勉に励むかどうかとか友愛に勤めるとか知らん。どうでもいい。



ただどうでもいいけど結果なぜかしら産まれてきてしまったわけだろ。


同じ地獄に落ちたもの同士でもがき合うだけだろ。

人が人を産むのも人が人を殺すのも出来るわけだが人が人類の発生を停止させたり行動を統一したり人類創造したりすることはできないだろ。


私たち地獄を作っているとかいう大層な世界観ではなしに自分たちの生まれてから死ぬまでの経験すべてはこの地獄で起きてる悲惨な現象ということだけだ。

たまにいいことがあるからとか幸福なことがあるからかいうこともあるだろうけどそれは親がつくってくれたもの人類が作り上げたものなのか。

地獄におちてきた自分がそこで見聞きした風景を語っているにすぎない。






まり幸福で満ちている世界ってのはここじゃないってだけの話だ。自分たちの幸せ子供が生まれるのだとしたらここじゃないってだけの話だ。


自分が生まれてくるのが幸福にあるのだとしたらここではないどこかだって話だ。


地獄法則その1セクロスを執り行って肉を孕むという悪行をなしたものはそこに招き入れられる魂をこの地獄に引き釣り込むって話だ。

ほかにも地獄になんらかの形で落ちてきた魂を搾取すると呪われるため地獄に据付の植物しか食べてはいけないとか会則もあるぞ。

ということで世界は神の世界から鬼畜世界までいくつかに分かれてそれぞれにシフトしたりとかいオカルトとか妄想古代から人間にはあるわけで今しっかり「生きることの不幸」を熟考しても気がついたら「それ先に考えて結果なんかほんのりいい感じに仕上げてるやつがいる」と洞窟を掘っていったら先住民の高度な文明を見つけるみたいなことになるので嵌まるなら先に宗教はどの系統にするか考えておけ。

2009-08-10

どうにもこうにも落ち込んで止まらない。

運が悪いなんてもんじゃない下り坂。

年明けからの先は不明瞭だがものごとがぐんぐん動いていく感じ、

が終わって一瞬の停滞、そのスキに鬱に入り込まれた。

止まったらそのまま停滞を腐敗をおびきよせるのはきっとどこかでわかってた。

いやな予感がしながらも私は動くことをサボった 立ち止まってしまった。

動き出すことができない。

ただただだれかに抱きしめて欲しい。

2008-10-07

非モテMAP

http://scarecrowbone.crz.jp/etc/himotemap/himoteMap.html

おれはどこにいるんだろう。

まず非モテであることは間違いない。なにせ年齢=彼女いない歴であり甘酸っぱい経験など皆無なのである。そのくせ嫌経験値だけ異様に高く対人関係に適度な距離を求めてしまうのが積極的行動を取れない原因かと思われるわけだが。ぶっちゃけ人間不信寸前。他人を信じる自分を信じろ的屁理屈によってギリギリのところで踏み止まっているが、これって生命力だけで踏み止まっているようなもんだから非常に危うい状態。実際折れることもあるしな。けっこう折れやすいのかもしれない、と最近思っている。

うっわ、こりゃあ非モテなワケだ。なにこの中二病自意識過剰も大概にしろと。

話を続けよう。ここで落ち込んでいたらしょうがない。でもおれ彼女が欲しいわけだ。おれが「彼女が欲しい」と思っているのは前述の嫌経験値を相殺できる経験を求めているからだと思う。このままだと過去に囚われてろくな未来へ進めないことは明白。具体的には孤独死が待ち受けている。おれに他人を信じさせてくれ。だから「彼女」というのは概念に過ぎず「友達」でも良いはずだが、そこはそれ、やはり男の子彼女が欲しい。おれ女の子が好きなんだ! と、ここで性欲肯定思考停止はたやすいが、もうちょっと踏み込んでみよう。だいたいそれほど切羽詰まった性的欲望は持ち合わせていない。だったら「友達」で満たされるはずだ。どうして「彼女」なのか。

「友達」と「彼女」はどのように違うのかといえば、なにより「関係性」が違うだろう。

「友達」は趣味嗜好など自分自身以外の要素で結びつくことが可能である。それに対し「彼女」は自分自身に魅力なくして結ばれることは不可能な関係性である。つまり自分自身を受け入れて欲しいという願望が「彼女が欲しい」には現れているのではかろうか。あるいは「相手(彼女)の自分自身」を自分に預けて欲しいという「信頼」を求めているという可能性も考えられる。いずれにせよキーワードは「自分自身」だ。この推論に自分の状況を照らし合わせてみると、どっちにも当てはまる気がする。そりゃあ当然「自分自身」を受け入れて欲しいし他人に頼られるのも、めんどくさいけど、なんだかんだで引き受けてしまう性格だ。

となると嫌経験値の相殺とは「自分自身」と「相手(彼女)の自分自身」に対する信用回復を求めていると解釈できる。だから趣味嗜好で結ばれることのできる「友達」では足りなくて自分自身で結ばれる「彼女」が欲しい。ままならない状況でうまく立ち回ることのできない「自分」や自分を苦しめるような「相手(彼女)」ばかりとは限らず、「自分」も「他人(彼女)」も、もっと信じるに足るものだという確証を求めているということではなかろうか。って、おれって結局人間不信なんじゃねえか、どこが人間不信寸前だ。とっくのとうに立派な人間不信患者じゃねーか。踏み止まることができていない。折れてる。ちょっとヘコんだ。

自分が「他人を信じたい」のはわかっていたけど、まさかここまでとは。「友達」じゃなくて「彼女」が欲しいのは相当重症のようだ。せめて「親友」がいれば違ったのかもしれない。けれどもそこまで親しい友達はいない。おれが距離を作っているせいもあるけど。たとえ同性相手だろうとも、おれは滅多に心を許さない。どこかしら予防線を張ってしまっている。もしも「自分自身」が受け入れられなかったり「相手の自分自身」を預けてくれるような信頼を得られなくても傷付かないように「他人を信じる自分を信じろ」なんて言って本当は信じていなかったんだ。

だけど、まだ人間を信じたい。

だから「彼女が欲しい」と思っている。

おっかなびっくり人間を信じたいと思っている日陰者。

いまはまだだれそれが好きというわけじゃなくて漠然と「彼女が欲しい」と思っているけど、いつかだれかを心の底から信じたいと思ったとき、そのときおれは相手(彼女)に惚れるのだろうか。そのときおれは積極的な行動に出ることができるのだろうか。というか、そもそもこんなテキストを書いたのは「非モテMAP」のどこに自分が当てはまるか考えてみようというのがことのきっかけだったのだが、なんだかどこにも当てはまらないようで、ちょっとだけ寂しいです。こんなところでもひとりぼっちなんて! だれかー!

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うわー。

なんか勢いに任せて書いたので書き足りないと思って修正していたらいつのまにかトラックバックが沢山付いている! どうやって返せばいいのかわからないので、とりあえず追記で。すみません。

・追い詰められているのかな。ぶっちゃけ薬服用してますが。

承認欲求をすべて「彼女」に求める気はないです。嫌経験を払拭できる「きっかけ」が欲しいだけなのです。たぶん。

女友達はいるけどそういう雰囲気になることがないんです……

・「彼女」は「友達」の延長線上にあるという考え方はアリだと思います。だけどその延長線上にどうやってステップアップするのでしょうか。

ハムスターを飼っていたのですが死んでしまいました。超泣きました。

おれも「いいひと」終わりです。面と向かって言われました。たぶんエロゲーでたとえると「主人公の友達」的立ち位置です。

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