2013-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20130613154103

産むかどうかではない。産まれるかどうかだ。

親は子を選べないというのは知覚概念で「産まれている」ことが前提だ。

産む産まないもそうだ。

既に産まれている。

子は親を選んで産まれてこれるかといえば否だろう。

気がついたら産まれているわけだ。

生まれなかったら気付くことはない。





皆気がついたときには地獄に落ちてきているわけだ。前世や他の惑星では知らんがこの地獄でどう生活するかその価値観は知らない。




ここに産まれて来たと認識できた時点がスタートだ。

これから地獄の住人を増やして寂しくないようにしよう。そんな風に考える生活もあるだろう。


生まれた子供のことはどうたらこうたら考えたり親がするものなのか。

自分地獄に引き釣り込んだだれかというのは子供のことなのか。


そんなことは知らん。地獄の淵で這い上がろうともがいてつかんだら人の足だったって話だ。


産まれて来た子供だって自分と同じ処遇なわけだろう。どこからともなく地獄におちてきた。


親のせいとしたいところだが、何千年何万年と前からつながる連鎖の結果で自分が発生したという地獄の淵で足首のつかみ合いの結果自分も巻き込まれたって話だろ。


自分の親一代が何億年とつながる生命連鎖反応を起こしたわけじゃないだろう。

親の親の親が産まなければ結果自分は生まれてこなかったわけだ。



産むかどうか考えて結果産んだり産まなかったりしてもいい。産まなければまた産まれなければ産まれてこないだけ。




地獄が終わるときには地獄に投下される人口ストップするだろう。それはせいぜい100年足らずしか生きられない人間コントロールできるところではないだろう。

何億年と続いた地獄の釜の口が塞がりますとなったら産まれてこないだろう。



産むことが幸せ子供が愛らしいといった感情も自ら規制して「子供をまもるため」という理由で制限していっている。地獄の釜の口も狭まってきているのかもしれない。




なにをどう考えても産まれるときには産まれる。親が考えた考えてないとかいう人ひとりの抵抗で地球という地獄に抗ってもその勇気を称えられたり結果がでたりするものではないだろう。






産むかどうかとか知らん。どうでもいい。殺すかどうかとか盗むかどうかとか勤勉に励むかどうかとか友愛に勤めるとか知らん。どうでもいい。



ただどうでもいいけど結果なぜかしら産まれてきてしまったわけだろ。


同じ地獄に落ちたもの同士でもがき合うだけだろ。

人が人を産むのも人が人を殺すのも出来るわけだが人が人類の発生を停止させたり行動を統一したり人類創造したりすることはできないだろ。


私たち地獄を作っているとかいう大層な世界観ではなしに自分たちの生まれてから死ぬまでの経験すべてはこの地獄で起きてる悲惨な現象ということだけだ。

たまにいいことがあるからとか幸福なことがあるからかいうこともあるだろうけどそれは親がつくってくれたもの人類が作り上げたものなのか。

地獄におちてきた自分がそこで見聞きした風景を語っているにすぎない。






まり幸福で満ちている世界ってのはここじゃないってだけの話だ。自分たちの幸せ子供が生まれるのだとしたらここじゃないってだけの話だ。


自分が生まれてくるのが幸福にあるのだとしたらここではないどこかだって話だ。


地獄法則その1セクロスを執り行って肉を孕むという悪行をなしたものはそこに招き入れられる魂をこの地獄に引き釣り込むって話だ。

ほかにも地獄になんらかの形で落ちてきた魂を搾取すると呪われるため地獄に据付の植物しか食べてはいけないとか会則もあるぞ。

ということで世界は神の世界から鬼畜世界までいくつかに分かれてそれぞれにシフトしたりとかいオカルトとか妄想古代から人間にはあるわけで今しっかり「生きることの不幸」を熟考しても気がついたら「それ先に考えて結果なんかほんのりいい感じに仕上げてるやつがいる」と洞窟を掘っていったら先住民の高度な文明を見つけるみたいなことになるので嵌まるなら先に宗教はどの系統にするか考えておけ。

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