2023-12-01

子供を持ちたくないのは「子供を持ちたくないから」じゃないか

早いもので私も20代の後半にさしかかり、恋人が後々結婚と子作りを希望しているためそりゃ~どんなもんかねと将来を思い描いてみた。が、育児をする自分想像するだけで寝込むほど鬱になった。

元々子供特別好きだということはないが嫌いというほどでもないと思っていたので、床に臥す程かと少々自分人間性に自信を喪失した。

ミノムシのように布団にくるまりうーんうーんと思考を巡らせた結果、子供のものではなく、子供育児)に付随するアレコレが嫌なのかもしれない事に思い至った。

思考の整理もかねて下記書き連ねる。

子供好きな人から見たら不快になりそうなことが書いてあると思うので自己責任で読み進めてほしい。


私が子供を持つことに抱くマイナスイメージは下記のようなもの

時間的自由がなくなりやりたいことができない。

・寝られない。

・うるさい。

・好き勝手に動いてコントロールできない。

自己犠牲万歳精神

など。

こうして書き連ねるとわかるが、これは別に主語が「子供」ではなくても普通に不快になることばかりだ。

まり原因は子供ではなく状況にある。

子供のもの不快なわけではない。対処のしようがある。

具体的にはこうだ。

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時間的自由がなくなりやりたいことができない。

辛くなったら適度に他人に協力を仰ぐ。もしくは外的サービスの利用を検討する。(パートナーの協力は前提だけどまだ足りないと想定しうるので)

恋人が「俺の収入だけで生活できる」と言っているので、自分収入サービスに充てることはできそう。

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・寝られない。

上記と同じ解決法で睡眠時間の確保が可能

完全母乳とかの神話を捨てれば母親以外も授乳できるはずなので夜間にまとめて寝ることもできる。

私は完全粉ミルクだった(母親母乳が出ず)らしいけど健康に育ったので大丈夫だろう。

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・うるさい。

よく考えたらそもそも大きい音が苦手なことに気づいた。(クラブ映画館、耳の遠い高齢者も苦手だった)

全く聞こえないのは問題だが、静かにしてもらえないなら騒音の軽減のために音量調節機能のある耳栓使用したい。

子供の声に耳栓なんて、、、子供の声が騒音だと思うなんて、、、という神話は忘れることにする。

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・好き勝手に動いてコントロールできない。

好き勝手動いてコントロールできないのは大人であれ動物であれ同じなのでそこについては諦めるべきだが、ならなぜ子供のことだけコントロールしたくなるかというと、子供が何か問題を起こしたときに親である私の責任になってしまうからということがある。

責任からの罪悪感がキツく精神的に参るであろう想像がつく。

例えば公共の場所で子供が騒いだ時に睨まれるのは親のほうだ。親としては静かにさせたいだろうがそううまくいく時ばかりではない。

解決方法について「公共の子供の粗相はある程度は自然災害のように思って自衛するしかないのだとの共通認識で皆が生き、親が必要以上に自分を責めなくていい雰囲気にする」、、、と言いたいところだが、それは「空き巣に入られたのは鍵をかけなかったほうが悪い」と言っているようなヤバさも感じないではない。難しい。

鳴き声くらい出させてしまっても気にしないタフさも必要かもしれないが、より建設的な解決方法としては、「問題行動が子供本人にとってメリットがない状態」を作るよりほかはないと思われる。

私の幼少期は癇癪がほとんどなかったらしいと母から聞いた。

当時幼心に「泣きわめいてもなんの意味もない」と思っていた記憶があるため、メリットがなければその行動をおこさないのではないだろうか。そんなに簡単問題ではないかもしれないが。

だとして「この行動は本人に何のメリットが?」という問いかけは問題行動の解決に役に立ちそうな気がする。

必要なのはコントロールより寄り添いかもしれない。

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自己犠牲万歳精神

正直これが一番きつい。

好きでやっている趣味や好きな仕事だって気乗りしないときにやるのはつらいのだから、気乗りしようがしまいが毎日こなさなければならない育児がつらくないわけないが、「思ってはいけない、その大変さすら貴ばなければならない」という母性神話に呪われている。

このご時世「身を粉にして働くことが素晴らしい」なんて言おうもんならド・ブラック企業認定されてしまうと思うが、子育てに関しては「親なら自分が飢えてでも子供に食わすもんだ」とか本気で言う人間がいるのだから驚く。

まともに聞いていたら呪い殺されてしまう。

好きで生んだとしても嫌なものは嫌、つらいものはつらいと言っていいのだと自分に言い聞かせるしかない。

時々パートナー共感してもらうとなお、解呪が早まる。

理解していても解呪に大変な労力を要しているので、こんな馬鹿げた神話は金輪際誰も口にしてはいけない。

「好きで生んだんだろう」という言葉ナンセンスさよ。アーメン


ざっと洗い出すとこんな感じになった。

状況的に解決可能なことばかりだし、一部自分思い込みのせいだったりするので「子供という存在」そのもののせいではないことが分かる。

上記問題さえクリアできるなら子供を持つこともいいことだなと素直に思える。愛する人の子、両親の孫は見てみたい。

私は現在未婚小無しなの想像範疇を出ず、経験からしたらつっこみたいことが山ほどあるかもしれないが、そこはご容赦いただきたい。

懸念材料をとっぱらって健全子供が産みたいと思えるようになりたいだけなので。

その一方で、上記に書いたことは「子供のせい」ではないにしろ子供がいると発生いしやすい状況になる」ことは間違いないと思うので、それをふまえてして子供を持たないという選択も全く大アリだと思っている。

解決できても解決のもの価値を見出せないんじゃ意味がない。

どんな価値観、選択も間違いではないので、後悔の無いようにしていけたらいいよね~と思う。

ここまで読んでくれてありがとう

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