2021-07-09

ゲームに「批評」は存在しないし、これから存在しないだろう。

バカが考えもせずに「ゲーム批評なんて必要ない!」ってキレてる姿がよくネット散見される。

録画してカウチポテト爆笑しながら鑑賞したいくらおもしろバカなんだけど、バカ心配せずとも、批評はどんな分野にも必要で、にもかかわらずゲーム批評は今も昔もこれから存在しないので大丈夫です。


ゲーム批評が成立しない理由はとてもカンタン

「あらゆるゲーム網羅しているフリができる人がいないから」。


批評っていうのはつきつめればおもしろいつまらない価値があるこれはゴミだみたいな判断を下すことなんだけど、

じゃあなんのために価値をつけるのか、っていえば、歴史にその作品位置づけるためです。ここでいう歴史っていうのは何年にスーパーファミコンが発売されて何年にファイナルファンタジー6が出ました、とかそういうカタログの話ではありません。いやまあ、カタログの話と関係ないわけではないんだけど。


で、その歴史が何でなりたっているかというと、網羅性と「名作」への共同幻想なわけですよ。

これがゲームでは大変むずかしい。


網羅性とは最初に言った「あらゆるゲーム網羅しているフリ」です。

そのとき発売されたすべてのゲームを一個人プレイする。

まあ不可能ですよね。どっかのエレクトロミュージシャンファミコンで発売されたソフトをすべて買って遊んでいたと語っていた記憶がありますが、それが可能だったのはせいぜいファミコンまでだったでしょう。

現在は主要なコンソールだけでも三つもプラットフォームがありますし、PCインディーゲームにまで手を伸ばしたらキリがない。

プレイ時間だって今どきの大作となれば、クリアまで100時間超えなんてのは普通です。一日一時間〜二時間ずつ進めたとしても一つのタイトルに二ヶ月もかかりっきりになってしまう。そのあいだに、映画なら50本も観られるのに。

さらに、プレイヤーの技術的にクリアできないことがある。

JRPG基本的レベル上げにさえ時間さえかければクリアできますが、一部のアクションゲームシューティングパズルゲームなどはプレイヤーのスキル依存するため、下手くそクリアできないという事態普通に発生する。映画小説はとりあえず読めば、内容を理解できているかどうかに関わらず、エンディングまでいけますゲームはそれすら許さない。そして、ゲームジャンルの得意不得意は人によって異なる。

すべてのジャンルが得意、というひとはあまりいません。

映画だってホラー専門の批評家や、SF専門の評論家もいるじゃないか、それと同じでJRPGしかできない人がJRPG範囲批評をやる分にはかまわないのでは? と反論される方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、○○専門の批評が成り立つのメインストリーム批評存在するからこそであり、そうした足場をそもそも持たないゲーム批評では専門批評もまたありえないのです。攻撃してくる相手がいないことにはカウンターパンチを打てないのといっしょです。


じゃあ、映画批評家とかは映画ぜんぶ観ているのか。もちろん、そんなわけはない。他の芸術文学分野でも供給はとっく過多に成り果てている。

でも、かれらは「すべて観ている・読んでいるフリ」ができるわけです。

あああの作家のあの作品ね。こんな感じなんでしょ。と観なくてもいえる。

なぜそんなことが可能なのかといえば、軸となる歴史的名作についての共通了解があるから


批評が成立するジャンルって古典に対する意識が高いんですよ。

暇さえあれば「20世紀の名作ベスト100!」とかオールタイム・ベスト投票企画しょっちゅうやっている。

そんな五年とか十年とかの間隔で投票してもメンツ変わらんやろ、と思うし実際にかわりばえしない。しかし、とにかく議論ベースとなる古典を決めておいて、ノるにしろアンチするにしろ、その上でバトりあう。

ゲームにはそれがない。

どの年代にも名作とされているゲームはある。

けれども、なぜそれが画期であり古典なのかを説明できる人はそんなにいない。

ものによったら「その世代にたくさんの人が遊んだから名前が残っているだけ」というのもある。別にそれで残って悪いことはないんだけど、歴史に対する位置付けはやっぱりできていない。

それ以上に最悪なのが、古典に関するアーカイブの欠如。

映画小説だって簡単アクセスできる古典とできない古典の差がはげしいんだけど、ゲームほどじゃない。

今でこそニンテンドーソニーアーカイブスを持ってはいるんだけど、新機種に切り替わるごとにゼロからまたスクラップビルドしているかんじで、ぜんぜん蓄積になってない。どうせ、昔を懐かしんでる年寄りしかやんねえだろ、みたいなナメた意識がありありと伺える。

出している側がそんなんだから、受け取る側の意識が育つわけない。

かくして、「ゲーム批評なんて必要ない!」ってキレるバカ今日も元気に量産されるのです。

めでたしめでたし

  • ナカイド案件、いつも楽しみにみてたんだけどなぁ・・

  • 日本だとあれだけど外人はよく批評やってるよ Youtube論壇がゲーム史を語ったりしてる

  • いやゲームも古典化してるし。 例えばマリオの文脈は今でも続いてて、それがクラッシュバンディクーになろうが(これも古いけど)やることは大きく変わってない。RPGなんて最たるも...

  • ゲーム批評で語られてることってだいたいシナリオや演出面ばかりで映画批評、文学批評の延長線上にしかないやね 実際に筆者は映画や文学批評を参考に固い文章書いてゲーム批評をし...

  • ということは「批評なんて必要ない!」って人は批評じゃない何かを批評と誤解して必要ないって言ってるってことなのかな それとも今現在存在しない批評に関して今後行われるかもし...

  • おもしろいつまらないの判断を下すことが批評だと思ってる時点で大間違い。 批評というのは芸術的価値を問うものでおもしろさに価値はないわけです。歴史的な位置づけは芸術的価値...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん