はてなキーワード: 落選とは
公共事業の受注を希望する企業に、議員事務所側から出された金額を記入した政治献金の請求書が証拠として押さえられているという事で、その請求書を出したとされる公設秘書が逮捕されている。議員自身を逮捕した方が早かったのだが、議員には、議会の開催中は不逮捕特権があり、現行犯以外では逮捕ができない為に、秘書の身柄を押さえたのであろう。
日本の民主党は野党であり、いかに党首といえども、公共事業に対して影響力は無いという説明は、表向きの説明である。公共事業といっても、国家事業として行われる物は高速道路や新幹線といった、複数の地域が絡む建設物だけであり、それ以外の、地域だけで完結する事業は、すべて、実務は地方自治体が行っている。
この地方自治体の首長や議会が、事実上、公共事業をどの企業に発注するかを握っている。
衆議院の選挙も、首長や地方議会の選挙も、名目は違うが、同じ有権者を相手にして選挙が行われる。そして、選挙期間は、基本的に違う時期に行われる。つまり、衆議院の選挙の時には、首長や地方議会の議員が"自発的に"衆議院議員の票固めの為に動き、首長や地方議会の議員の選挙の時には、衆議院議員の事務所が"自発的に"票固めに動くのである。
選挙期間中の候補者や事務所には、選挙違反を内偵する捜査官が張り付いているが、選挙とは関係の無い議員の事務所や電話回線は、内偵されていないから、現金のばら撒きや恫喝、公共事業のばら撒きの約束など、やり放題なのである。
国会議員は、与野党どちらに居ても、地盤の首長や議会さえ押さえ込んでいれば、公共事業を請け負いたい土建屋から、賄賂を取り放題である。与党に居れば大臣になれるという余禄があるし、やり方によっては首相にすらなれる。しかし、それもこれも、地盤が磐石、すなわち、首長も議会も自分の息のかかった者で埋めつくしてあってこそである。
衆議院議員において、一年生議員にとって一番重要なことは二年生議員になる事だと言われているが、これは、一年生議員の間に来る地方選挙で、地盤の首長や地方議会に自分の息のかかった者を大量に送り込んで地盤を固めろという事であり、これができない人は、二年生議員になっても、三年生議員になっても、選挙が不安定という事で、公職につけないのである。
地方の財政が赤字なのに、地方議会や首長や各種委員等のポストや報酬が削られないのは、それらの人員は、すべて、衆議院選挙の時に選挙違反にならずに動かせる私兵だからである。そして、衆議院議員のポケットにたっぷりと流れ込んだお金は、地方議会や首長の選挙の時に、有権者にばら撒かれる実弾であり、各種委員等のポストは、票が足りなくて落選してしまった候補者や、汚職の情報を知り尽くした秘書や票のとりまとめをしている人の口を噤ませる為に必要なのである。各種委員等のポストを勤め上げた人に勲章を出すというところまで、システムが出来上がっている。
この構造は日本の宿痾である。公共事業のばら撒きに依存した地方の経済が改まらない理由の一つともなっている。GDP比で2%のばら撒きをやるとか言っている者がいるようだが、どこに財源があるというのであろうか。財政赤字に対する危機感が無いのでは、財政を司る者としていかがなものか。
多選規制の導入は、この問題の解決方法の一つであるし、地方選と衆議院選とを同時に行うようにするというのも、解決方法の一つとなりえる。プライマリーバランスの実現のような財政政策によって公共事業予算を大幅に削減するのは、この問題に揺さぶりを入れる方法の一つである。
個人献金を10万円まで税額控除にしようという話を出している者がいるようであるが、企業献金が従業員の献金に代わるだけで、上限規制のせいで分散して納付した下請け企業のリストが、従業員のリストに代わるだけでしかない。しかも、税額控除方式だと、税収として国庫に入る筈のお金が直接政治献金になるわけで、典型的な焼け太り狙いである。税収よりも自分のポケットに入るお金の方が大切というのは、国政に関わる者としていかがなものだろうか。
なんとか大学に入学したわたしを待ち構えていたのは、ぶあついシラバスだった。高校まで、時間割は与えられるものである。しかし大学では、自分で時間割を作らなければならない。わたしはそんなことも知らなかった。わたしは後期試験にぎりぎりの成績で入学し、大学のことを学ぶ暇などなかったのだ。シラバスには聞いたこともないような学問の講義が無数に掲載されていた。どう手をつければいいのか、まったく手がかりがなかった。わたしは途方に暮れた。
自由に選べるわけではなかった。まず必修科目があり、次に選択必修科目がある。外国語と第二外国語も必要だ。さらに無数のルール。同じ分野では一定数までしか単位にならないもの、とにかく全く単位にならないもの、などなど。二年目以降に取得予定の単位を計算し、卒業に必要な単位数から一年目に必要な教科を逆算しなければならない。それらに従って選んでいくと、今度は同じ時間に面白そうな講義が重なったり、逆に朝と夕方が埋まって昼間が空いてしまったり。時間割の作成作業はパズルゲームそのものであった。おまけにシラバスには誤記があったり、なんの都合か一年間休講になっていたり、ようやく選んだ講義が受講希望者多数のため抽選になって落選したり。もっとも、そのようにして計画的に選んだ講義の多くでわたしは単位取得に失敗し、最終的には留年したから、いま思えば大半の試行錯誤は無駄だった。
そういうわけで忙しい一年生たちは、新しい友達や居心地のよいサークルと同じくらいかそれ以上に、講義の情報を求めていた。つまり、どの講義が簡単に単位を取得できるかという情報を。単位取得が簡単な講義は「楽勝」科目と言われた。新入生歓迎会や、同級生がサークルの先輩から手に入れてきた資料には、どの講義がどれくらいの難易度が記してあった。毎週出席が必要で、おまけにテストがあるようなものは「難関」と見なされた。出席は不要、期に一度のテストで六十点さえ取ればいいものは「普通」。「楽勝」に分類されるのは、テストの問題が毎年変わらず、過去問さえ暗記すれば何一つ理解していなくても単位が得られるようなものだった。あるいは、教科書持ち込み可で試験は教科書から出題されるようなもの、四百点満点で六十点とれば可になるようなもの、試験に答えられなくても独創的なカレーのレシピを書けば単位を得られるようなもの、禁煙したことを証明すれば単位を得られるようなもの。
大学で聞いた逸話。ある哲学系の講義では、試験問題が毎年「プラトンについて書け」の一問だけだった。そういうわけで例年、学生たちは講義に出席せず、プラトンについて一夜漬けするだけで試験に挑んでいた。しかしある年、問題が「ソクラテスについて」に変わった。困った学生は「ソクラテスはさておき、プラトンは……」とプラトンについて書いた。
わたしの通った大学は、他の大学に比べて単位がとても取得しやすいことで有名だった。近隣府県の大学では、単位は木に登って得るもの、土を掘って探すもの、と言われていた。一方でわたしの通った大学では、単位は空から降ってくると言われていた。わたしは他の大学に通ったことがないから、実際にどれくらい難易度に差があったのか分からない。周囲と自分を見る限り、むしろ留年する人は他の大学より多いようだ。おそらく空から単位が降っていても、家から出ない人が多いからだろう。あまりに留年生が多いので五年制大学と揶揄されることもあった。十一年いる! と言われるような人もいた。
教育学基礎論のことを誰から教えてもらったのかは覚えていない。とにかくそれは「楽勝」科目なのだという話だった。講義は半年ではなく一年続き、そのぶん単位も倍。出席はもちろん不要で、試験も一年に一度だけ。教科書がわりの参考図書があるので、それさえ目を通せば試験には合格する、とのことだった。悪くなかった。わたしは選んだ。一度か二度は出席したと思う。同じ噂を聞きつけて、大勢が受講希望を出したのだろう。講義が行われていたのはとても広い部屋だった。実際の講義では数名の学生が点在するだけだった。
冬になり、試験期間がやってきた。わたしはひどい金欠だったので、参考図書は手に入れていないままだった。友人がどこからかコピーを入手してくれたが、読む気力はすでになかった。わたしは何の準備もないまま試験に向かった。
試験問題は一問だけだった。「教育における『かまえ』について書け」わたしはそれがどういう意味なのか分からなかった。春以来はじめていっぱいになった教室で、早くも何人かが回答を諦めて帰り支度をしていた。わたしはとにかく、なにかを書くことにした。なにを書いたのかは覚えていない。いまの教育はよくないとか、そういうことを書いたのだと思う。回答用紙はA3だった。わたしは表面いっぱいに思いついたままの教育論を書くと、裏面にまで回って八割を埋めた。あんな勢いで文章を書いたことは他になかった。
成績表が渡されたのは、年度のほんとうに終わりぎわだった。わたしはまっさきに教育学基礎論の結果を見た。「可」だった。わたしは、お情けをもらったのだ、とすぐに理解した。中には「可」なんていらないという人達もいる。専攻を決めるときや、将来、大学院や企業に成績表を提出するとき、単位をただ集めただけだなと見透かされたくないからだ。「可」をくれるくらいなら「不可」にしてくれ、という人もいる。わたしはそうじゃなかった。ガッツポーズくらいはした。飛び上がって喜びもしたかもしれない。散々な成績表のなかで、そこだけが明るい材料だったのだ。間もなく新しいシラバスが配られ、わたしはまた一から時間割を組んだ。わたしはその面倒な作業を、五年間繰り返した。たぶん、わたしは大学が好きだったに違いない。
学部3年、就職活動中です。
エントリーシートを提出した企業は3社、あとはまだ説明会待ちの状況です。(私の志望業界は少し遅めな気がします。)
朝からそわそわしながら結果を待ちましたが、一向にメールは来ない。お祈りメールすら来ない。
24時を迎えて、落ちたということを受け止めました。
高校、大学受験は第一志望はもちろん滑り止めも全て受かったし、自動車免許の試験や英検、グレードテストや昇段試験、バイトの面接に至るまで、ただの一度も落ちた事がなかったんです。
落ちるような試験は受けてこなかったといわれればそうなのかもしれませんが、実際に落ちるということがこんなに悲しいものだとは知りませんでした。
今回は書類選考の段階で、2社目に出したエントリーシートだったこともあり、あっさり受け止めようと思えば出来ない事もないように思います。
でもこれから、一次試験、二次試験、最終試験と進めたとして、そこで落選したら気持ちを切り替えられる気がしません。
これからの就活にもっと身を入れなければと思いつつも、脱力してしまってどうしたらいいのかわかりません。
こんなことで挫折と言っていてはぬるいのでしょうか。
自分もそのことは知っていたし、その題材…というか元ネタ?は好きなので、会うとその話で盛り上がることが多々あった。
でも深入りはしていなかったのです。
ある日、何だか話が盛り上がって一緒に同人誌を作ろう、ということになった。
執筆活動なんて全然したこと無かったし、自分が描いたものを人様に見せるなんて無理だと最初は思っていたけど
なんだか作業しているうちに楽しくなってきてしまって、最終的には仕事と作業を何とか両立させて完成。
話はどんどん進んで、気がつけば去年の夏コミにサークル参加(よく当選したよなぁと思う)。自分は勿論初めてだけど友人も初めてだったらしい。
部数は少なかったけど完売出来て、その時は万々歳!だったのですが…。
自分の創作意欲?が冷めてしまったんです。その元ネタ自体は今でも好きなんだけど、それを二次創作に持っていけない。
性格的に熱しやすく冷めやすいってのもあるし、何より仕事との両立が大変で、体調も崩しかけた。
(毎回サークル参加で新作を出してくる人って凄いね…)
あと…描くのは楽しいけど、締切を設定されるとダメなんだと気付いた。
友人は「冬コミも出たい!新作作りたい!」と意気込んでたけど、落選。
残念だねーと声かけつつ、内心は安心していた。すると、
「じゃあ来年(2009年)の夏だねー」と。おいおいこっちの話を聞かずにかよ…。
…どうしよう…
文学賞とか賞金狙いであれこれでお小遣いを稼いでたことがある。
100万単位の賞金ももらったことがあるが100万を超すと正直煩わしいだけだよ。
予想はしてたけど変なひとがわらわらわらって寄ってくるの。
たいしたことない額なのにね。
だからその後の人生を考えれば貰わないという選択肢もありだとおもう。
賞そのもので箔はつくのでもらっておくのは悪くないかもしれないけどね。
権利関係放棄してないなら別出版社に持ち込むのもありだとおもうよ。
もっとも落選して賞金ももらってないのにまんま出版されたこともあって、
地元の図書館で偶然見つけて驚愕したこともある。恥ずかしいので驚いて終わりだけど。
ま、あまり変なところに絡むと大変だからのんびりやるといいよ。
俺なんかのんびりしすぎて今、どこの銀行口座にも100万以上入ってないんだ。
どうしよう・・・。
一年で200万ためた君はすごいよ。
君の人生これからだー
昔、八年くらい前、自分のことだまでお金を貰ってみたいって憧れがあって、公募がたくさん載ってる雑誌を買った。何かの賞に応募しようと思って買った。はずなんだけど、何故か懸賞ものだけ応募して(ジュース)、しかも当たっちゃって(ジュース一箱)、それで満足して終わってしまった。ジュースは飲み切れなかったからご近所さんに配った。
その数年後、色々あって、ちょっと雑誌の記事書いてみませんかっておひゃーがあったんだけど、たまたま超絶どん底フィーリング期だったもんでやむなく音信不通にしちゃって、当然お流れちゃんちゃんになった。
去年くらいに知り合いの人が小説書いてあっさりデビューしてたの見て、じゃあおらもやるだー的な軽いノリで何か書くことを決意して、そういうの募集してるとこ探すのはそのうちやろうと思って、そして現在に至る。今こそそのそのうちだ!みたいな気持ちになったからぐぐってそのそのしてる。
でもやっぱ実際にお金の表記あると怖気づくね。今増田に書いてるこの文も、読んでくれる人がいるならむしろこっちがお金払わないかんような気になってくる。八年前もそんな気持ちでジュースに走ったんだろうなあ。決してジュースたっぷり飲み放題に惹かれた訳じゃなく。断じて。
ちなみに長めの小説は書くどころか読んだことすらないので、さすがに本気で入賞する気は無い。チャレンジ精神の先走り自体を楽しむ感じ。いいだけ楽しんだら、適当に落選って現実を自分に見せておしまいにしようかなとか、そんなアバウトな未来予想図殴り書き。でも怖気づいちゃ世話ねー。ちゃん。
とりあえず応募するしないは置いといて何か書こう。たぶん書くだけで満足して寝られる。子守書き。
1984年、高校2年生の時、A子さんは「友人の家に行きたいのだけど、道が分からなくなって」と米兵に話しかけられた。気の毒にと思って車に近づいたところ、後に隠れていた別の米兵が出てきて首にナイフを突きつけ「殺すぞ」と脅した。恐怖に震えている内に近くの公園に連れていかれ、3人に代わる代わるレイプされた。
>>「女性を強姦するのは紳士として恥ずべきだが、強姦する体力が無いのは男として恥ずかしい」などと、文化庁!長官として「紳士」にあるまじき暴言を吐いているし、自民党議員の太田誠一も「集団レイプする人は元気があって正常に近い」と発言して落選(その後バブル選挙で復活当選)した。
<<
女性諸君!ゆめゆめ同情したり親切にしたりしてはいけませんよ。世間ではそれを「しつけがなってない」と言って、あなた方を非難(バッシング)するのですから・
http://blogs.yahoo.co.jp/pen_tsuyoshi/15998782.html
少し前、「女性が目の前で転んだのにだれも手を貸さなかった」と男性記者が書いたものにたいして、何故か意味のよくわからない女性バッシング「助けたら痴漢扱いされるだろビッチ!!」「女は痴漢冤罪ばっかしてるんだから誰ももう助けねーよ」がかなりの数あったけど、もうそれ以前に女性の方が親切にしたくないよ。コンクリ事件だって親切にしたら…ってやつだった。本当、この記事の通り(最後のは厭味だろうけど)、助けたらこんなことされた上「女も悪い」とされる世の中。嫌になる。っていうと「イスラムよりマシだからいいじゃん」とか、男は無責任に言うんだよ(実際言ってた奴がいた)。呆れて物も言えないとはまさにこのこと。
こんな事に遭いかねないってだけで女性に生まれてきて本当嫌になる。
っていうと大袈裟だと同性からも笑われるけど。
笑ってるのって、単に現実を軽視してるだけなんじゃないの?見てみぬフリしてるだけなんじゃないの?
全員がそんなことする人ではないなんてこた分かってるが、そういう犯罪者だけ見抜けるのかっていったら見抜けないんだから、全員がそうじゃないといわれた所で正直あまり意味はない。だから何だという話で。こっちからしてみれば多くの男性の誰が危険人物か分からないのだから。
本気で嫌になる。こんな心配しなきゃいけないのも嫌になるよ。自衛しなきゃいけないのも。男だったらそんな事せずに済むのに。
気持ちが悪い。
性犯罪の刑はなんだかんだ全然軽いし。
反吐が出る。
別に生理とかはたいした問題じゃない。
女に生まれて一番何が嫌になるかって結局は性犯罪だよ。
その割にまーだ議員やら文化庁長官やらがバカ言っていたり犯人はすぐ出所するわ
こういうのを見る度生きるのが嫌になって仕方ない。
小沢一郎 総理大臣 (外国人参政権推進、秘書の韓国人が反日デモに参加)
鳩山由紀夫 国務大臣 (外国人参政権推進、日韓海底トンネル、日朝友好議員連盟)
中川正春 財務大臣 (外国人参政権推進、民潭の集会に参加、日朝友好議員連盟)
増子輝彦 経済産業大臣 (外国人参政権推進、パチンコ利権、民潭の集会に参加)
神本美恵子 子供担当大臣 (外国人参政権推進、元社会党、日教組、マイク・ホンダ関係者)
岡崎トミ子 環境大臣 (外国人参政権推進、元社会党、慰安婦問題、反日「水曜デモ」に参加)
藤田幸久 防衛副大臣 (外国人参政権推進、日朝友好議員連盟、民潭の集会に賛同)
http://senkyomae.com/naikaku-minsyu.htm
民主党に政権を取ってもらい、参政権を実現しようではないか! 【民団新聞】
>長い年月を費やして民団は、地方参政権運動を展開してきたが、いまだに実現していない。
>地方参政権獲得運動の一環として、民主党を総力をあげて応援しようではないか。
http://www.mindan.org/search_view.php?mode=news&id=3146
何様のつもりだ。
速やかに落選しろ
党員の息子です。
元増田のエントリと順序を変えてしまいますがまずは以下からお答えします。
あと先のトラックバックではちょっと文体が失礼だったように思えましたので、今回は改めました。真剣にご批判頂けているのが伝わってきますので。
「『共産党性善説』に依りすぎ」については、やはり共産党サイドからの視点なので客観性に疑問を持たれて当然かもしれません。これは今回の僕のエントリすべてに言えることだと思います。僕のエントリには甘目に見ても「主観的で共産党的な」客観性しかないのです。そして補足のこの説明にも疑問を持たれてしまうかもしれません。それが元増田をはじめとする世間と共産党の差なのだと思います。
弁解がましく申し訳ないのですが、以上を前置きとさせてください。
そうかも知れないし、トヨタ特有の問題かも知れない。これが個人ブログの論戦なら「一件だけ取り上げて一般化するなよ統計資料とかソースも付けろソースを」というレベルだよな。
ソースに関しては内部告発ですのではっきりとは出ないかと思います。内部告発に関連して公益通報者保護法というものがあります。
公益通報者保護法は、労働者である告発者を守る法律です。どこから得たソースかは漏洩すると守秘義務違反になります。守秘義務違反についての罰則は僕にはちょっとわかりませんが。
ソースらしきものといえるのは赤旗のWeb版くらいしかないですね。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-09-15/2006091503_01_0.html
共産党のこの手の調査力については否定する気は無いが、この件で共産党が党利党略のために恣意的な調査をしていないという保証がどこにも無い。
という批判をまま繰り返し頂いてしまいそうで恐縮しています。国土交通省調べと愛知労働局調べからある種の仮説、もしくは補説を立てているのだとは思います。ただ、"恣意的"でない調査は存在しないとも思うのですがいかがでしょうか。党利党略のため調査をしない政党は無いのではと思います。
これは受け取る側、あなたをはじめとした<国民>の問題であります。<国民>それぞれの主観的な問題なのです。そこで考えるべきは、共産党の党利党略をここから読み取ることなのではないでしょうか。僕はここから、弱者である労働者サイドの視点で対大企業の姿勢、という読み取り方をしました。
ですので僕自身が弱者である一労働者である間は、ツールとしてこの政党を利用しようと思っているのです。もちろん元増田には不満があると思います。これについては先述しました、「元増田をはじめとする世間と共産党の差」なのだと思います。
上記とは別の角度からお話しさせていただきますと、単純に「恣意的な調査」というのは、あり得る話ではあります。だけれども「恣意的」と自覚しながらも出したのだとしたら反駁を待つために質問したのだと思います。そしてその反駁こそ共産党の望むところなのではないかと思います。この反駁が与党なり、他の政党からでてくるでしょうか。おそらく出てこないでしょう。トヨタはアンタッチャブルなんです。下手に刺激して証人喚問等々は避けたいのではないでしょうか。
それに「そこはとらせなきゃ」と言っても、他の政党同様、共産党にだって取るべき責任から逃げてきた前科はあるわけで、特定の政党にシンパシーを持ってない俺には「きっと○○議員は責任を取ってくれる」という希望的観測は持てない。世論が強制的に志位に責任を取らせる具体的な方法があるなら話は別だが。
「前科」とはおそらく、
の等々かと想像します。他にもありますでしょうか。
共産党側の反駁をhttp://www.jcp.or.jp/faq_box/index.htmlで探してみました。
以下の該当無しというのは、先に挙げた記事に関連するものが無かった、という意味です。
この検索結果を受けて思うのは、この体質というのは変えていくべき重大な問題なのだと思います。
代々木側(あえてこう言わせて頂きます)にも、トヨタにふれられて困る与党自民党と同じ部分がある、ということです。
宮本顕治リンチ殺人事件の審議についておそらく代々木側はこういうでしょう。「この件に関しては解決したこと」「共産党と敵対する団体のデマゴーグ」と。しかし、これらがまだ話題として上がり続けていることをどれだけ重大にとらえ、いつまでも反駁し続けなければ意味がありません。
この点は僕が積極的に共産党を支援できない理由の二つ目と言えそうです。
そして、「(責任を)とらせなきゃ」の真意ですが、一番効果的なのはやはり選挙なのです。国民がこの大嘘つきめ、と選挙で落選させないといけないわけです。1952年5月1日に起きた血のメーデー事件発生から5ヵ月後に行われた総選挙では、事件のあおりをもろに受け共産党は全議席を失ったそうです。当時は分裂気味であった共産党にとってはよい薬だったのではないでしょうか。「世論の強制力」に該当するものは選挙以外残念ながらありません。不逮捕特権というものもありますから。
発端になってるトヨタやらキヤノンの事案が曖昧なまま事実認定されてる点が釈然としないな。自民党を倒すための手段くらいはきっちり選ばないと、結局自分たちに跳ね返ってくるだけな気が。
や、
実際、過去に拉致問題をいち早く取り上げていながら、いざ北の将軍様が拉致を認めたら社民党とセットで共産党は落ちぶれたわけだし。昭和時代の共産党の議席数とか今見返すと信じられんよ。
などは、マスコミとの関連性も考えられそうです。今でこそ露出は増えはしましたが、結局赤旗や、党員や民青によるビラまきでしか広報活動ができないのが問題なのかもしれません。常に共産党側からのフィルタを通してでしかものが言えないのですよね。信用されていない人の言説を誰が信じるでしょうか。たとえそれらが真実であったとしても、その真実が皆の真実になるとは限りません。共産党側の人間にはマイノリティである自覚が無いのかもしれませんね。
これもまさにその通りです。あくまでも共産党の肩を持つ身としましては、選挙のための選挙運動を彼らはしていない、ということくらいでしょうか。しかし、これはこれで全然政党の役割を果たしていないような気もします。
元増田とのエントリを通して思ったことは、やはり共産党をはじめとする政党はツールでしかない、ということです。国会は議員が勝手に運営しているように見えますが、僕らはそれに期待し実行させる権利も、ふざけるなと抑止する権利も持ち合わせているのです。元増田も他の皆さんも選挙権を小さな権利だと思わないでください。一党のみを支持する考えはもはや危険なのかもしれません。時勢ごとに支持政党は変えてもかまわないし、それが国会に反映するよう、僕らは僕らの持っている選挙権の強さを被選挙権を行使する者達へ知らしめなければなりません。
非常に長くなってしまいました。レイアウトに難があり読みづらいかもしれません。申し訳ありません。
美しい人しか参加できない「beautiful people」というふざけたSNSがあったので冷やかしで登録してみた。そしたら「お前の顔写真をうpしろ。それを異性(女性)が認めたら入会を許可してやる」だと。なんつー恥さらし。仕方ないので顔写真をうpしたが、スイートどもの審査は厳しく10段階中2の評価で余裕で落選した。
審査されてる最中は、他の審査中の男の顔写真も見れるので傾向を調べてみた。
俺が確認した限りでは、全員に参加許可された男はいなかった。最高で8くらい。3と7が一番多かったかな。
写真からオーラが出てる人はこのあたりの点数取れる。一目みてランクが違う感じ。
イケメンには違いないけど、写真写りがよかったりで強化されてる感じ。3,4あたりのランクでもフォトショで加工すればこのあたりの点数は取れる。
普通の人が普通の写真で審査受けるとここらへんに落ち着く感じ。
どうやらBeautifulPeopleの女子は上流階級で金持ってる風の男を好むらしく、芸人風/ホスト風/スポーツマンの評価は下がるらしい。スポーツで汗かいたあとの写真とか、写真写りが悪かったりとか、鼻に指突っ込んでるおふざけ写真とかはここに分類。
7や8にはなれないフツメンがBeautifulPeopleに入るには、4,5あたりの人の写真を研究すればいい。あとフォトショで紙の色を変えてみるとか。なーに、どうせ入会したってリアルで会う事ないんだから、せいぜい加工してみるとか。
雑誌に載ってるイケメンの切抜きをうpする。んで入会したら、スイートどもを全員落として、文化系女子だけ許可してやると決めた。
半生というには人生短く見積もりすぎか。しかし「四半生」なんて単語もないだろうからこのタイトルで行こう。
基本的にはとてもparticularな話ではあるんだけど、この世代がみな避けられなかった共通体験的なものも入っているはずだから、そこは誰かのなんかの役に立つかもと期待して筆を進める。
幼稚園時代、声が大きかったという理由で劇の主役に抜擢され、市民会館のホールで大声で叫んでたことが真っ先に思い出される。
(親から言わせると元気さだけがとりえで役者としては・・・だったらしい)
家から歩いて3分のその幼稚園は仏教系だったので、春になるとお釈迦様の誕生日を盛大に祝ったりしてたが、そもそも「お釈迦様」が誰なのかその頃はわからなかったし、ほとんど毎日あった正座がつらかった。
年長の最後の頃に、天皇が死んだということで園児全員を集めて黙祷だかなんだかやっていたけれど、その意味もあまりわからなかった。
小学校に入ると、学区の端だったので、40分近く歩くことになり、慣れるのに苦労した。そもそも通学路が遠回りのルートだったので、よく「通学路破り(つうやぶと呼んでいた)」をしたものだった。
その小学校はクラス替えが2年ごとだった。最初の2年間一緒のクラスだったSは問題児で、いつも喧嘩を仕掛け、何度か巻き込まれたし、ある時には彫刻刀を向けてきたりもした。漏れ聞くところによると彼の家庭状況は悲惨だったらしい。ただ担任の女性教師は毎回教室全体に響き渡るような声で彼を叱りつけていた。ある時彼女が「これがストレス発散の方法なの」と漏らしたとき、小学生にありがちな先生への絶対的な信仰を打ち捨てるに至った。結局彼は3年の途中でいなくなり、その後の消息は知らない。
ドラクエ4は初めてリアルタイムの発売日に買えたドラクエで、喜びのあまりお腹が痛くなって、市民病院に担ぎ込まれるほどだった。
だけどやってみると「3のがおもしろかったかな」とか思った。
3,4年の頃の記憶はあまりない。そもそもその頃年子の妹ができて、母の代わりに家事やらなにやらを手伝わなければならず、てんてこ舞いだったことくらいしか覚えていない。
小学校最終学年、それも年が明けてから。夜中に大きい地震があった。部屋に飾っていたガンプラが何体か自殺した。当初は兵庫県淡路地震とか呼ばれていた気がする。朝テレビを家族で注視していたが、「箪笥が倒れてきて老人が怪我をした」とか微笑ましい(と言っては不謹慎か)レベルの被害しか聞こえてこなかったので、それほどひどくなかったのだと安心していた。しかし時間が経つに連れて死者数は増え、瓦礫の映像や崩れた高速道路の映像を見るにつけ、その深刻さに目を覆うしかなかった。
そして卒業式の頃に、地下鉄サリン事件が起こる。鳥山明の似顔絵みたいな人たちがたくさんいるのを見て、逆になんだか現実味を感じなかった。
でもって中学。またも学区の端だったが、今度はさらに遠くて、多分4kmくらいあったと思う。だけど中学は念願のチャリ通で、ヘルメットが蒸れる以外は快適だった。
クラブ活動の上下関係はかなり理不尽で、しかもスポーツが苦手なほうだったから、かなり耐えがたかった。夏暑いし。3年間で褒められたのが「お前はパスがうまい」だけっていうのも今思えばどうかと思う。「○○君ってやさしいよねー」くらいの意味だろう。
中3のとき、サカキバラ事件。犯人は中年の男だとか医師じゃないか(殺害方法から)とか、南京錠の謎だとか、収拾が付かない方向へ向かっていた。
だけど声明文の「SHOOL KILL」のスペルを見て父は「仮にも医学部へ行った奴がこんなミスはしないだろう。中学生か高校生じゃないか」と言ったが、まさか自分と同学年とは思わなかった。同じ年にてるくはのる事件というのもあったんだけど、こちらは警察のヘマで犯人(浪人生)に自殺されてしまったので今では誰も知らない。当時は暗号解読とかで話題になったんだけどね。
高校は学区トップ校へ。加藤君と一緒ですねー。まあでも国際科に落ちてスライドで普通科に通ったから屈折してると言えば屈折してるんだけど。
そういえばこの高校、最近やたら進学実績伸ばしてて、進路指導のN先生はホクホク顔だと思うんだけど、驚いたことに今年のT大合格者十数名全員が国際科だった。
なんつーか、重点的に資源配分してるのかねー。あからさまなのは嫌なんだけど。
最初のテストで下から少し数えたらたどりつく順位をとって、ショックだった。しかも成績上位者を張り出すとかどんな嫌がらせ。
そう言えば毎回1位をとっていたY君は地元の帝大に行ったんだけど、進路指導的には痛恨事だっただろうなあと思う。(だけどそのエピソードに自分の受験校をちゃんと自己決定できるリベラルさが凝縮されてると思う。2番手校以下は結構介入が激しかったらしい)
懲りずに運動部に入るけど、かわいがってくれた先輩がいなくなったら居づらくなって辞めた。友達に誘われて別の部に入るけど、マネージャーが××だったのと手が小さくてボールがつかめないのを気に病んで辞めた。やることないので生徒会長に立候補したけど落選した。
しかし帰宅部ではあまりにもアレすぎるので友人たちと会合を何回か開いてそれを同好会に昇格させた。
会長から一人では手が足りないと請われたので予算委員長代理として予算折衝やイベントの運営に当たった。
次の期で会長になったけどやりたいことはあまりできなかった。むしろ黒幕のときのほうが好き放題できた気がする。
豊川主婦殺人とかネオむぎ茶とかみんな同学年だった。「キレる17歳」と連日言われて、ナイフ事件とかが全国各地で多発してた。
大学受験したけど結局一つも受からなかった。仕方がないので代ゼミに通った。
代ゼミではほとんど友達ができず、言葉をしゃべるのも忘れそうになった。おまけに衛星授業で黒板端の文字見えないし。
唯一できた友達がS価高校出身の子。
「やっぱりS価高校の人って全員S価信じてるの?」
「いや、そういうわけじゃないよ」
どんな会話だ。
そういえば代ゼミで私立中高に通っていた小学校時代の友人に再会したが、彼の言うことが支離滅裂で面白かった。
「俺は株でもうけて大金持ちになるんだ」
「じゃあなんで医学部行くんだよ」
「元手を稼ぐためだよ」
とか、
「そんな大学あったっけ?」
「医科歯科大だよ」
「(お前絶対御茶ノ水行ったことないだろ・・・)」
テレビ見てたらビルに飛行機が突っ込んで、「世界は核の炎に包まれた」ってなるのかと心配した。
で、再度の受験。なんかセンター試験でいい点が取れてしまってセンター利用でおもしろいくらい合格が出た。
話したこともないのにルックスだけでぼんぼこ告白されるようなそんな感じ。
「中身見なくて大丈夫なんですか?」と皮肉の一つも言いたくなる。
続く・・かも。(でもその世代の雰囲気は伝わるでしょ)
このところ日テレが木山裕策という素人の歌い手をやたらと押してるのが気に食わない。知らない人には申し訳無いんだけど、「home」って曲を出してる人。この木山さんという人はきっと一生懸命生きてて苦労も一杯してるんだろうなあと思うし、家族を養うためのチャンスがあればそれに乗るのは至極当然のことで、木山さん個人に対しては何も思わないんだが、これを必死に利用する日テレのやり口にはたまらなく不快感を覚える。反吐が出る。
もともとこの人は深夜にやってる「歌スタ!」という素人オーディション番組に出演して、そこで一度落選してるはずなんだが、なぜか再挑戦させてもらって、そこで「見事」夢のメジャーデビューを勝ち取ってる。ちなみにこの経緯が先ほど特番となって放送されてたので、バッチリ見させてもらった。不快なものは最初から見なければいいという話なんだが、批判するからにはしっかり相手の手の内を把握しないといけないので、イライラしながらも全部見た。
何が不愉快かって、日テレのお膳立ての徹底っぷり。この見え見えの特番にしてもそうだし、「行列のできる法律相談所」になぜかゲストで登場し、なぜか家族も隣で見守る中一曲披露してみたり、アルバムのジャケットをなぜかリリー・フランキーがデザインしてみたり、PVをなぜかチュートリアル徳井が撮ってみたり、日テレロゴ入りで早速ホームページまで作られてたり、本当に気持ちが悪い。口コミで広がって話題になっているのを受けて、メディアがそれを紹介するというのなら話は分かるけど、今回みたいにメディアの側が一方的に「いい曲なので、あなたの大好きな家族といっしょに聞いてくださいね」(番組内で、本当にこのように紹介された)と言って宣伝して回るというのは、テレビの傲慢さもついにここまで来たかと恐れ入る次第ですよ。なに通だかなに報堂だかが一枚噛んでるのか知らないけど、本当にもう何でもありだよね。世間で流行ってるように見せて紹介して、それに食いついたミーハー共から銭を搾り取る、という従来のやり方に慣れすぎて、とうとう手段を選ばなくなってきたな。もはやブームを作り出すのに「今巷で流行っている」という前提(建前)すら必要としないらしい。
「行列」あたりはもう法律番組じゃなくなって久しいので別にどうでもいいんだけどさ、とりあえず特番が凄かったですよ。番組のオーディションに応募して合格するまでをドキュメンタリー的に撮ってて、やたらと苦労の様子とか合格までの道のりを煽りつつ見せてるんだけど、結局それってそれを撮ってるてめえのところが主催してるオーディションなわけで、もはや出来レースどころの話じゃない訳じゃないですか。しかも、どこで歌うにせよ、あろうことかオーディション本番までにも、わざわざ嫁と子供4人が出てきて、歌ってるところを隣で見守ってるんですよ。なんか泣いたりしてるし。いや、それはおかしいやろと。歌で人に気持ちを伝えることを生業とする人間が、何でわざわざ家族呼んできて隣に座らせる演出をしないといけんのよ。CDを買ってもらう以上、歌で全てを伝えるのが歌い手だろう。木山さん自身がそれを望んだとも思えないから、間違いなくこれは日テレの歌い手に対する冒涜。もっと言えば、テレビ局がケツ持ってくれさえすればデビューできるという今回の例は、メジャーデビューを目標とする全てのアマチュアシンガーに対する冒涜だ。アマチュアの功名心を利用した、本当に下衆なやり口だ。これと実に良く似た構図を同じ日テレの「エンタの神様」に見ることが出来る訳だが、これについては今更言及するまでも無いだろうからここらで止めておく。
投票に行かない=非民主的ってのがこじつけだろうに。投票しないのも一種の民意。
自分の支持する候補が勝てない=非民主的みたいな思い込みしてるやついるが、自分と違う意見のほうが多ければそれが採用されてしまうのが民主主義。
棄権者は投票に行かないだけで結果は容認してるも同然なんだから別に民主主義体制に敵対してるわけじゃない。
何でそこまでして敵を増やしたがるのかよくわからんが。
あと今選挙に行かないのも次はいくかもしれないんだから投票に行かなかろうが投票に行かなかった層を無視するなんてできるわけないだろうに。
確かに、行かないよりサイコロ転がしの方が数百倍社会的には役に立ちます。「どうせ落選する候補に一票いれてもなー」という人。じゃあたとえば40人のクラスで委員長決める選挙があったときに、『友だち5、6人が押してるA有利だろ常考』みたいな感じで毎回低投票率、
Aくん …7票
Bくん …4票
Cくん …1票
(投票率30%)
…という選挙結果だったらどう思いますか。しかもその結果Aくんが調子こいて「オレはクラス全員に選ばれた代表ぉぉぉウヒヒwwwサーセンwwww」とか言ってたら、大概むかつきませんか。お前、友だち除いたら実質1票しか取ってねえだろ、と。この状況で白票や棄権票をAくんが「自分への批判」と捉えると思いますか。確実に言えることは、Aくんは「白票や棄権票はBやCへの批判もあるんだからオレ関係ねえwwwwwつか棄権増えるほどオレの組織力有利wwww組織票うめぇwwwwwwww」としか思わないだろうってことです。ハッキリ言や現状こんな感じじゃないっすか。
これで投票率が80%にあがり、仮に結果が変わらなかったとしても(残りがサイコロ投票として+16票が6/5/5とばらけるとする)
Aくん …15票
Bくん …10票
Cくん … 7票
(投票率80%)
これなら、Aが調子こいて少し票を減らしたりすると、B・Cが手を組んであっさり失脚の目も出てくるように見えます。Aくんも簡単に調子こけなくなるでしょう。第二、第三候補への投票を「死票」だと思いこむのはAくんの策略にはまってるってことですよ。だから、白票投じるくらいなら「まず当選しねえだろ」という候補に一票を。