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はてなキーワード: 住宅地とは

2008-09-23

涼しくなって子供がわいて出てくるようになった

この時間、決まって近所の子供達が家の前の狭い路地で興奮して絶叫しながら走り回っている。阿鼻叫喚。100m先に公園があるのにそこで遊んでいるのを見たことがない。とにかく、子供のせいで住宅地阿鼻叫喚

私道が坂になっていて、そこから繰り返しおもちゃの車や自転車で降りてって路地に突っ込んでいく。車がくるたびに親が絶叫してまた阿鼻叫喚。誰か死ぬまで変わらないんだろうなぁ。

2008-09-12

橋下ですね、わかります

試験の成績が下位になるなら、責を負うべきは教育者であるはず

教育者能力が無いから、同じ日本人である大阪の児童の試験での成績が悪いって以外の理由があるなら言ってみろ

http://anond.hatelabo.jp/20080912053641

子どもをじゃんじゃん塾に通わせたり家庭教師つけたりしてる高級住宅地小学校と、親共働き学歴低め低所得者層向けアパートの建ち並ぶ地区の小学校では、前者に厚く後者に薄く予算配分すべきということですね。つまり公的予算を使って家庭の塾代など教育支出を更に煽るべきである、と。

でもって前者学校の教師は良い教師で後者学校の教師は悪い教師なのですね。後者学校から逃げ出して前者学校に行く教師は良い教師とみなされて、後者学校にとどまり教育し続ける教師はダメ教師とレッテルを貼られるわけですね。

そして、試験の結果はじゃんじゃん公表して、後者学校子どもに「お前らは馬鹿だ」と言うのが高い教育効果をあげるというわけですね。

逆に何の評価も無く教育って物の達成度を調べる手法は無いって主張するなら

大阪の35人学級を維持する意味も無い、意味の無い金は削るべき

試験結果の悪かった大阪で、低いからこそ教師をもっと増やして手厚い教育をするべきと主張するのでなく学力だからもっと教育予算を削るべきと主張するわけですね。

……

いや、あなたが変だと言いたいわけではありません。あなたが橋下さん本人なら別だけど。

あなたの言ってることは橋下さんと同じことなんですから。

ただ、あえてここはあなたに真剣に聞いてみたいんです。

あなた実際自分の言ってることのおかしさが本当に分からないんですか?

教育競争原理はなじまない、教育にはもっとお金をかけるべきだという主張の意義が本当に分からないんですか?

そこを説明して貰えたら初めて、うるさいくらい「学力低下」を言いOECD学力調査の結果をヒステリック報道するこの国で、同じOECDの調査で「対GDP比で見れば日本教育世界一金を出さない国」と言われ、文部科学省教員増員計画を蹴って40年前に定められた「発展途上国クラス生徒数」(=平均約30人はOECD諸国最低レベル。ほとんどの国の平均は約20人。データは下のリンク参照)を頑なに守り続け、人件費のみならず先進国の多くが教育予算を日々増額している流れの中であえて全体としての教育予算を減額し続け、そんな状況の中で真面目な顔で「学力向上のためにどうしたら……」「そうだ、祖国と郷土を愛する心が足りないのでは!」とか言う人々が教育政策を決めているという現状がどうして起こるのか分かる気がするので。

参考データhttp://www.gamenews.ne.jp/archives/2008/09/_oecd.html

2008-08-28

http://anond.hatelabo.jp/20080828153316

Googleの信頼性の問題もあるけど、サービスの利用者が信用できないっていうのが大きいからなあ。渋谷スクランブル交差点や有名寺院の門前都下の観光地ならともかく、別に有名でも何でもない住宅地を見たい奴なんか、近所の人か変態犯罪者しかいないと思うし。

2008-08-19

http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080812/p1

横須賀地図だけど、どう考えてもどうでもいい逗子市内の住宅地をなめるように撮影しているのに、どう考えても需要の高そうな国道16号沿いが全く撮影されていない。一体、どういう順序で撮影場所を選んでいるのだ。

どうでも良い逗子市内の住宅地の件だが。ここは披露山庭園住宅というエリア芸能人が多くすむことで有名な高級住宅地なんであって、ようするに「お前ら大好きな、有名人のご自宅ご拝見」とぐーぐる様はおっしゃっている、と。

2008-08-13

http://anond.hatelabo.jp/20080813174647

まさか駐車場代が払えるから大丈夫とかそういう話ではないよな。

そりゃ駐車場代だけが自動車の保有コストじゃないのは当たり前の話なんだけどさ。

山手線沿線」と「山手線沿線」以外で、保有コストに差が出るのは駐車場代だけじゃないの?

確かに超高級住宅地繁華街の近くの駐車場だと下手すりゃ6万円超/月だが、山手線沿線でも、

普通住宅街や駅から少し離れた場所なら2~3万円/月の場所も普通にある。

駐車場代がタダ同然の地方からみたら、これだって高いのかもしれないけれど、それでも年間36万円。

駐車場以外の年間保有コストを30万/年(車検等15万、保険10万、税金5万と仮定)とすると、余裕を見ても年間で80万円ってところだ。

で、年間80万円のコストっていうのは、普通サラリーマンにとって「払う気になるか、ならないか」っていうレベルの話であって、

「払えるか払えないか」という金額じゃないだろ?

そもそも、山手線沿線の一戸建てに住んでる人(←親の代から東京ならこれだって特殊なケースじゃない)なら、駐車場代はかからないんだし。

この辺を踏まえて、「山手線沿線自動車保有=金持ち」というロジックがおかしいと言っているのだよ。

ちなみに、俺自身は馬鹿馬鹿しくて車なんて持ってないけれどな。

2008-07-09

勝ち組専業主婦の憂鬱

都心から急行で30分ほどの、典型的郊外住宅地で生まれ育った。

小中は地元の公立で、都心の私立女子校お嬢様学校でも進学校でもない。念のため。)経由で、短大卒業後は幼稚園の教員に。

その間に付き合った彼は3人いる。

最初は、短大1年生の時に同じサークル多摩地区の某私大主催テニスサークル)の同級生と。福岡出身の彼の飾らない誠実さ(見方によっては垢抜けない田舎っぽさとも言う)になんとなく好感を抱いていたところ、友人達に「なら言っちゃいなよ。応援するよ!」と背中を押され、勢いで告白してめでたく付き合うことになった次第。けれど、秋からはなかなか時間が取れなくなって(短大って結構忙しいんです)、自然フェードアウトしてしまった。

二人目は21歳の時に合コンで知り合った信金の人。半年ほど付き合ったあと一方的に振られた。遊ばれたわけじゃないと思いたいけれど、どうなんだろう。

三人目の彼は幼稚園に出入りしていた業者の人でこれは三年続いた。身長が180くらいあって趣味サーフィン。見た目も性格も文句なしだったんだけど、生活能力が皆無だったので、悩んだ末に別れた。

そして26歳のとき、友人の紹介で今の夫と出会った。

私より9歳上で、最初は特になんとも思わなかった(いい印象もない反面、取り立てて目に付く難点もない)のだけれども、どういうわけか物凄く気に入られてしまい、そうなるとつい情に流されてしまい、おまけに結構高収入(親が経営している会社常務で、ゆくゆくは継ぐ予定)の上、家事全般もそつなくこなせる。

結局一年付き合って、去年結婚した。

そして今。

客観的に自分を見ると、幸せなんだろうなと思う。

そこそこリッチ生活水準な上、義父母とは別居。

子供もまだいないので、正直、昼間はやることがない。

週に二回、英語とお花を習いにいって、それ以外は専業主婦の友人とお茶をしたり買い物したりと気ままな生活を送っている。

どちらかというと平凡なサラリーマン子供として平凡に育ってきた私が、なんでこんな生活をしているのか不思議なくらいだ。

ただ、結婚して一年。なんだか物足りない。夫は優しい。義父母も私によくしてくれている。だけど、なんだか心がドキドキすることがない。

正直に言えば、彼氏が欲しいんだと思う。セフレのような遊びじゃなくて、誠実な人とちゃんと付き合いたい。でも、今の生活は壊したくないので、ちゃんとそこはわきまえてくれる人がいい。そういう人ってどこにいるのかな。

Yahooエキサイトの紹介サービスも試してみたけれど、結局はヤリ目的の人か、思い込みが激しすぎる人しかいないような気がする。

私はどうしたらいいんだろう?



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なんて話を、数年前にされたことがある。

白金ブルーポイントで、話を一通り聞かされたあと、

・「遊びじゃない誠実」だけど「わきまえてくれる人」という前提条件が矛盾している。

・条件を満たすように見える人はいるかもしれない。ただ、同じ男性として言わせて貰えば、そんな虫のいい条件を守る奴なんていない。

・それでも探すというなら好きにすればいいけれど、期待を裏切られる可能性の方が大きいのを覚悟したほうがいいよ。

という趣旨のことを、親身そう且つ穏やかな表現で、でもストレートに説明したうえで、家に送って行った。

結果?

一週間後の深夜に、俺の部屋に押しかけてきましたよ。ありがたく喰わせて頂きました。

<追記>

http://anond.hatelabo.jp/20080709084045

・全て元増田創作

・誰かがどこかで創作した文章を無断転載

・前半部分は誰かがどこかで書いた事実だが、後半が元増田創作

のどれかかと。

という御指摘がありましたが、一応全て俺の体験した実話です。確かに途中の彼氏云々は多少記憶に頼ってる部分はあるけれど、少なくとも結婚のあたりからは、ほぼこの通り。

ちなみに、この後も何度か会ったけれど、次第に相手がメンヘラになっていったので、距離を置くようにしていつのまにかFOした。

親切にしたかと思えば突き放したりを繰り返していた俺の対応もメンヘラの原因の一つだと思うので、「ああ俺って酷い奴だなぁ」と自己分析はするものの、なぜか罪悪感は全くないです。

2008-06-18

宮崎勤死刑に思い出すこと。

幼少時、私は宮崎勤死刑囚に遭遇している。

これまでこのことについて他人に話したことはほとんどなかったけれど、死刑執行された今後、もう話題に上ることもないだろうと思うとふいに記憶が惜しくなった。

=====

21年前、小学2年生の時だ。幼なじみと近くの林で遊んでいた。道路のすぐ横が斜面になっていて、そこの土は他と違って粘土質で土遊びにもってこいだったため、私たちの格好の遊び場だった。

斜面は道路を隔てて中学校住宅に面していた。とはいえ繁華街からは遠く離れており、人通りは多くない。住民以外は滅多に見かけない土地柄だった。当然、知らない人にはついて行かないようにと教えられていた。

見知らぬお兄さんが、道に迷ったといって私たちに声をかけてきた。小さな白い車に乗ってきたらしく、地図を広げて「○○公園って知ってる?」と聞いてきたのだった。

お兄さんが探している公園は私たちの通う小学校に隣接していて、この住宅地の中では一番大きな公園だった。家からは子供の足で20分はかかる。よく知っている公園なので、私たちはすぐにお兄さんに道を教えることができた。

「やっぱりよくわからないから、車で一緒に乗って行ってくれない?」

「でも知らない人の車に乗っちゃ行けないって言われてるから」

私たちは断り、もう一度道を説明した。だがお兄さんはその場から離れようとはしなかった。

「まだ時間があるから、一緒に遊ぼうよ」

「何時まで?」

「4時に仕事があるから、それまで」

私も幼なじみ時計を持っておらず、5時に消防署サイレンが鳴ったら帰ってきなさいと言いつけられていた。知らないお兄さんと遊ぶのに警戒心がなかったわけではないはずだが、4時までと時間を区切られたことに安心したのだと思う。

「じゃあいいよ、一緒に遊ぼう」

私たちは彼を受け入れた。

しばらく3人でしゃがみ込んで土をいじっていたが、お兄さんが「この崖の奥はどうなってるの?」と立ち上がった。粘土質の斜面を上がると木が生い茂り、ちょっとした探検気分が味わえる林になっていた。

「ちょっと見てみたいから、一緒に行こうよ」

誘われて、林の中に入っていった。

大人の足は、子供の踏み入れたことのない場所まで分け入ってしまう。

「この先は行ったことがないから怖いよ」

「今何時? 公園に行かなくていいの?」

という私に、彼は

「大丈夫だよ」

と気にせずどんどん林の深くに進んでいく。私は不安だった。大人の目の届くところで遊ぶつもりが、知らないところで知らない人と遊んでは母の言いつけを破ることになる。知らない人と遊ぶことがどうしていけないのかきちんと考えもせず、ただ言いつけにそむく後ろめたさが不安の理由だった。

やがて少し開けたところに出、花か草かを摘むためだったか、私たちはまたしゃがんで遊び始めた。

3人で車座になり、そこで私たちはお兄さんに名前を聞いた。お兄さんと私と幼馴染の苗字には共通点があった。3人とも「宮」の字がつくのだ。

「一緒だね」

「おそろいだね」

そう言い合った。それで私は彼に親近感を覚え、不安は薄れた。

お兄さんは特に何をするでもなく私たちが遊ぶのを見ていた。そのうち私は、妙にお尻がくすぐったくなってきた。木の枝でも当たっているのかと見てみても、それらしきものはない。変だな、変だな、と何度か思ううち、それがお兄さんの手のせいだと気づいた。スカートの下に手をもぐらせて、ブルマーの上からおしりを撫でているのだった。

子どものおしりを触る大人というものが私には不可解だった。大人の男の人は大人の女の人のおしりを触るもので、それがエッチなことであると知ってはいた。そのはずが、なぜ子どもを触るのか、お兄さんの行為が不思議だった。

私は触られるのがいやだと思った。変な触り方をするからだ。くすぐるようにこそこそと撫でるのでむずがゆかった。だが抗議をするのに少しためらった。大人の女の人は大人の男の人におしりを触られたら怒るものだ。クラス男子スカートめくりをされたら、女子は怒るのが当然だ。だが、大人が子どもに触るのも同じように怒っていいのだろうか。

このあたりの葛藤は今でもよく覚えている。このころはまだ、ペドフィリアというものの存在が今ほど広く認知されていなかったせいだろう。子どもにいたずらする大人はいるにはいたし、母親たちもそれを警戒していただろうが、私たち子どもには「知らない大人についていかないのは誘拐されて身代金を要求する悪い人がいるから」だと教えていた。幼児に性欲を向ける大人の存在子どもたちには隠されていた。その存在が大きく世間を騒がせるのは宮崎勤事件以降のことだ。

ついに私は勇気を出して声を上げた。

「おしり触ったでしょー」

「触ってないよ」

「触った!」

「いいじゃない、ブルマはいてるんだから」

驚いたことに、幼なじみも彼のこの言葉に賛同した。

「そうだよ、ブルマはいてるんだから」

幼なじみは私よりもさらに世知に疎く、幼かった。彼女には年の離れたいとこがたくさんいたから、お兄さんに遊んでもらうのに警戒がなかったのだろう。

今ならそんな言葉に言いくるめられるわけがないが、幼なじみの援護もあって当時の私は納得した。これ以上抗議するのも大人ぶっているようで恥ずかしかった。

何度目かの私の「今何時?」攻撃にお兄さんは重い腰を上げ、3人は林を戻り始めた。私たちは元の斜面に出たところでさよならのつもりだったが、お兄さんは

「まだ遊べるよ」

と言う。

お仕事でしょ? いいの?」

「なくなったんだ」

携帯電話の普及していない時代だ。彼の言い分は不自然だった。父の姿から、大人にとって仕事は何より大事なものだと思っていた私に、また彼への不信感が芽生えた。

「ここじゃなくてもっと広いところに行こうよ」

「どうして?」

ボールがあるから、それで遊ぼう」

彼はゴムボールを持っていた。野球ボールくらいのサイズだったと思う。

「○○公園は?」

彼は最初に尋ねた公園を挙げた。

「そこは遠いよ」

「車に乗っていけばいい」

「知らない人の車に乗っちゃいけないって言われてるから」

「もう知らない人じゃないでしょ」

「でも……5時になったら帰ってきなさいって言われてるから」

私の抵抗に比して、幼なじみはあっさりしたものだった。

「××公園なら近いから、そこに行く?」

と彼に提案し、私もその案に妥協した。彼と遊ぶのが楽しいらしい幼なじみを見ていると自分の警戒が的外れなように思えて、ブルマ言い訳同様彼女に従ってしまった。

車には乗らないと私が強情を張ったので、公園まで3人で歩いた。

公園には時計があった。正確な時間は覚えていないが、4時は回っていた。

しばらくキャッチボールをして遊んでいると、大きなサイレンが鳴った。消防署サイレンだ。

「5時になったから帰らなきゃ。Mちゃんも帰ろうよ」

私は幼なじみに促した。

それなのにお兄さんは、

「まだ明るいから平気だよ。それよりもっと広いところに行こう。やっぱり○○公園に行かない?」

と誘ってくる。

私は刻々と時計の針が5時を過ぎることに落ち着かず、とにかく帰る、と繰り返した。

「Mちゃん、帰ろう」

Mちゃんが誘拐されたらどうしよう、となんとか一緒に帰るよう幼なじみを口説いた。幼なじみは迷っているようだった。同じく門限は5時だったが、お兄さんの誘いも魅力的だったのだろう。私はこれ以上、母の言いつけを破るのはいやだった。

「私、帰る!」

帰ろうとしない幼なじみを置いて、私は走って公園を出た。早く帰らなきゃ、と思う頭の片隅で、幼なじみを置いてきたことが気がかりだった。

家に帰ると、母が夕食を作っていた。

「おかえりー。だれと遊んできたの?」

「Mちゃんと」

知らないお兄さんのことは言わなかった。

何日か後、部屋で遊んでいる私のもとに深刻な顔をして母が入ってきた。

「あんた宮崎さんって知ってる? こんな手紙が入ってたんだけど……」

母の手には、折りたたんだルーズリーフが握られていた。

「あっ! この間、Mちゃんと一緒に遊んだ人だよ」

私はばつの悪い思いをしながら、母に説明した。母は眉を曇らせながら聞いていた。

最近見かけない車がこの辺をうろうろしてたけど、その人だったのかもね。あんた宛にこんな手紙ポストに入ってるから、何があったのかと思った。そういうことはちゃんと言いなさい」

「ごめんなさい、車に乗らなかったし、5時に帰ってきたから大丈夫だと思って」

「それはえらかったね。それにしてもMちゃんも無事でよかった」

そう言って、母は幼なじみの家に電話をかけた。あのあと幼なじみも私の直ぐ後に帰り、同じような手紙が入っていたらしい。

大人たちは真剣な面持ちで何度か話し合いをしていた。家を突き止められた以上また会いに来るかもしれないが、今度こそ大人を呼ぶようにと言い含められ、手紙は母の管理化に置かれた。

ことが大人の手に渡れば、子どもが心配するようなことはないと思った。私はそれきりそのことを忘れた。

2年後、私は4年生になっていた。テレビから連日、幼女誘拐殺人事件の報が流れていたある日のことだ。

風呂上りにテレビを見るともなしに眺めていた。相変わらず、宮崎勤容疑者が映っていた。画面の中から、彼の青白い顔がこちらを向いた。

その瞬間、経験したことのない感覚がぞーっと駆け巡った。冷や水を浴びせられたような、とはあのような感覚を言うのだろう。あのときはそんな言葉もしらず、混乱して呆然と突っ立っていた。

「あのときの人だ!」

宮崎勤の顔を見たのはこれが初めてではなく、何度もテレビで目にしていたのに、なぜ今まで気づかなかったのか。

受けた衝撃は言葉にならず、私は黙って自分の部屋へ引っ込んだ。

1人で2年前のお兄さんの顔を思い出そうとしてみるが、はっきりと思い描けない。色の白い、穏やかそうな印象しか覚えていない。

ただ似ているだけの人だろうか。だが私はさっきの戦慄で確信していた。あれは宮崎勤だったのだ。

それから、母に一度、幼なじみに一度、話したことがある。人に言っても信じてもらえないだろうと思っていたから、打ち明けるのに慎重を要した。

「2年生のときに会ったお兄さんを覚えてる?」

母は、

「あのときの手紙、どこかにまだあるはずだけど。あれが宮崎勤だとしたら、殺されてたのはあんただったかもしれない」

と言って恐怖を分かち合ってくれた。

幼なじみは、

「そうだった? あのお兄さん、山口さんって言ってなかった?」

と反論した。

いずれも、2度は話題にしなかった。

私の勘違いならそれでかまわないのだ。小さかった私に起こった奇妙な出来事と、例の凶悪犯と、接点がないならそれに越したことはない。

普段は忘れているが、ふとした折、4年生の私の体を襲った心底からのショックを思い出す。あれはなんだったんだろうかと。あのお兄さんが宮崎勤でないなら、私が受けた感覚はなんだったんだろうかと。

2008-05-09

巨大住宅地に消えた老女

先日、一人の老女が息を引き取った。

私はその報を受け、軽い衝撃を覚えた。

"痴呆気味の85歳の老女が行方不明になった"

ゴールデンウィーク最中、その第一報を聞いた際私は、"困ったものだな"程度に考えていた。

"すぐ見つかるのではないか?"、"きっと大丈夫だろう"と、無責任に大して重要視して受け止めてはいなかったからだ。

老女が行方不明になった場所は、関西では指折りの巨大ベッドタウンで、一戸建て住宅は当然多数存在し、4階建て以上の団地郡だけでも近隣には5つ存在しており、巨大なショッピングモールに駅・バスターミナルまである。

決して子供が少ないなんて事もなく、周囲をGoogleMapで適当に確認するだけで小中高学校を5つばかり確認できる。

軽くみつもって、数千人もの人間が行きかい生活する場において、老女はなんと4日もの間彷徨い、発見時には危篤状態だったのだそうだ。

行方不明になった老女が発見された場所は、行方不明になった自宅から直線距離にして4km弱の場所だったようだ。(GoogleMapにて適当に目測するにだが)

4日もの行方不明期間を考えると、そんなに劇的に移動しているわけでは無い。

にも拘らず、老女はその間発見されることは無かった。

"何でなんだ?"

理由を後付しようと思えば幾らでも浮かんでくる。

だが、どうしてもどんな理由さへ釈然としない。

家族が悪いなんて事を私は断じて思わない。

コレはイノベーションがあれば救えたのか?

本当か?

それは机上の空論では無いのか?

例えばGPS機能付き携帯電話を持っていたらと言う事を短絡的に発想するが、それを老人が必ず携帯する保障が何処に在るんだろうか?

私だって携帯電話携帯し忘れることが稀にある。

それが痴呆気味で、突然居なくなった老女に、GPS携帯を持たせるというロジックはなりたつのか?

色々と考えて見ると、様々な事柄への認識の甘さを痛感し愕然としてしまった。


上記出来事は、残念ながらフィクションでは無い。

特定されないようにあえて色々と情報をぼかしてはいるが、実際に上記に該当する場所にお住まいの方なら検討がつくかもしれない。

現在ニュースサイトにて記事になっているのを確認はできないので、記事にもならないようなありふれた事柄のようだ。

TVメディアの伝える事が全てではないが、ニュースサイトが伝える事も全てでは無い。

遅くなったが、御冥福をお祈りしたいと思います。

家族の心情を勝手に推し量ると、このゴールデンウィーク悪夢だったのだろう・・・。

2008-04-16

Sound of Silence

「ねえお父さん、新しい足音ダウンロードしていい?」

「ん?去年変えたばかりだろう」

「もうあきちゃったよう」

「お母さんに聞きなさい」

小学校4年に上がったばかりの美奈子にねだられると、宇崎はなかなかダメだと言えない。厳しかった父が見たらせせら笑うだろう。自分で子供を厳しく育てるのがこれほど難しいとは思わなかった。

一昨年他界した父のことを思っているうちに、予想に反して、妻のよう子はダウンロードを許可してしまった。2万円もするサウンド・コラージュスキンをだ。父が「お母さんに聞きなさい」と言うのは暗黙のNoであり、母はそんな場合決して首を縦に振らなかったが、宇崎の家庭ではまだそこまで阿吽の呼吸ができていない。結婚して13年になるのに。

美奈子は妻が返事を終えるか終えないかの内にコンピュータに飛びついて、スキンの最終選定に入った。プリウス・サウンド・コラージュスキン。しかし日本ではもっぱら足音と呼ばれている。2010年カリフォルニア州議会での歩行者保護のための法案可決を受けて各社がハイブリッド車用の「仮想エンジン音」を実装した。同時に、一部車種でクラッキングが成功するとカスタムスキンが爆発的な流行を呼ぶことになった。メーカーは公式プラグイン以外の存在を認めていないが、それはそれ、解析できないはずのエンジンコントローラですら、ガレージハウスに解析してもらえるよう、分かりやすい実装がなされているのだ。一般層の売り上げに直結するスキンに厳重なプロテクトなどかけるはずがない。著作権無視の勝手スキンから、ポルノまがいのどこに持っていっても堂々たるアングラで通用しそうなスキンまで、探せばなんでもそろう。

昨年のスキン購入時に美奈子には公式スキンしか買わないときつく言ってある。今もPCの前で迷いに迷っている長女は結局2017年版の「野鳥の声」あたりを選んでくるのだろう。前回2016年版の野鳥の声を美奈子が選んできたときには暗い気持ちになった。上京したとき、人で溢れかえるJRのホームで聞いた、場違いな鳥のさえずりを思い出した。あのときの苦い気分は、忘れるどころか最近は思い返す一方だ。

美奈子、もう9時だぞ。寝なさい」

「はーい」

購入許可と言う勝利をもぎ取ったせいか、今夜は馬鹿に素直だ。長女がシャットダウンしたコンピュータを見つめながら、宇崎は嫌な気分を振り払えないでいる。床に就くまでウィスキーをもう二杯呑まなければならなかった。

………

「…おいしい、おいしい、焼き芋だよ…」

家を出た宇崎の横を、三軒となりの佐藤さんの車が小声でつぶやきながら追い越していく。佐藤さん本人は「分をわきまえた」人だったが、子供教育はそれほどでもなかった。大学生になった長男に古い車を譲った途端、安全音がさおだけ売りの珍妙な声に変わった。今聞いたのは通算三つ目だ。運転している本人は「笑える」とでも言っているのだろう。

「…ワンワンワンワンワンワン…」

「…舎利子 是諸法空相 不生不滅…」

「…おほん、うぉっほん、うぉっほん…」

ニュースによれば、ほとんどの人はまともな安全音にしている。本当だろうか。そもそも「まとも」とはなんだろうか。ほぼ無音で走ることのできる車に、閑静な住宅街でわざわざエンジン音を鳴らさせるのがまともだろうか。後ろからぴちゃぴちゃと足音が近づいてきて、ハイブリッドクラウンが追い越していった。

住宅地の外の道路に出る。幹線道路との合流まで続くハイブリッド車の列は、思い思いのつぶやき声を上げている。

あるものは小声で歌い、あるものはキャタピラの音を立て、あるものは鼻歌、ひづめの音、単車のエンジン音、ヘリコプタージェット機、口笛…

(俺が子供のとき夢見た21世紀がこれか)

21世紀は、白昼から百鬼がうろついている。

2008-03-18

消えかけの信号 後日談

消えかけの信号を書いた増田である。覚えていらっしゃるだろうか?

昨日今日とやはり所用があって実家に帰り、そして今朝、小学生子供たちと同じバスに乗り合わせた。前回の記事のこともあったので気になって数えてみたら、11人だった。帰りのバスに乗りそびれる子はいても行きのバスではみんな一緒だろうから、今この住宅地小学生はこれだけしかいないと考えていいだろう。今回はたいした話はない。話しかけるきっかけがつかめず、子供たちとは全く言葉を交わさずにきてしまったからだ。

しかし今日子供たちの中に、中学校制服を着た子供が3人いた。卒業式だ。私の地元のあたりの小学校卒業式には、なぜか卒業生一同中学校制服で出席するとの習わしがある。私が卒業して10年以上経つが、未だにこの習わしは健在らしい。制服を着ているのは男の子が一人、女の子は二人。男の子はまだぶかぶかな制服を着ていて、女の子リボンが曲がってるとか襟が出てないとかお互いに服の最終チェックをしていた。

そして確かに小学校には遅刻するのであろう、8時をちょっと過ぎた頃に、ありがとうございました!と元気な声で運転手さんに挨拶をしながら、小学校前のバス停を降りていった。

それだけの話だけど、後日談として。

2008-02-19

http://anond.hatelabo.jp/20080219044210

うちの実家もこんな感じ。私の現年齢も住宅地の規模も現状の子供の数もほとんど一緒。田舎の中でも新興住宅地に移り住んだのは家業のないサラリーマンであり、サラリーマン子供大学進学でみんな街を去った。かつて小学校時代に遊んだ仲間は、たいてい新幹線で1駅隣の政令指定都市か、東名阪仕事してる。

http://anond.hatelabo.jp/20080219132329

勿論出て行った若者もいるだろうけど、残っている若者もいる筈だ。

残った若者がいないとは言っていない。しかし、少ないだろう。

住宅地なんだから、家建てる為の空き地が無いだろ。

ほう。家建てる為の空き地が無いから、小学生が激減しているのか。

首都圏周辺の田舎とはそんなに土地がないのか。

よく高騰しないものだな。

消えかけの信号

私の実家千葉の片田舎にある。もっと言ってしまうと、田舎イメージしたCMによく出てくる小湊鉄道沿線だ。その沿線(と呼ぶのも躊躇われるような僻地だが)にバブル最末期に出来た新興住宅地に私の実家は建っている。

今日は所用があってこの実家に帰ってきた。

駅に着きバスを待つこと20分。やっとやって来たバスに乗り込むと、乗客は私を入れて3人。本当に素敵な田舎だ。

実はこれでも便利になった方だ。去年まではバスも通らず、駅から家までは歩くかタクシーぐらいしか交通手段がなかった。歩けば相当速く歩いてやっと家まで一時間タクシーだと1500円はとられる距離。まあこれがうすのろのろとしたバスに乗って200円になったのだから、桁違いに便利になったと言ってもバチは当たんないと思う。

さて、そんな素敵なバスに乗ってしばらくすると他の二人の乗客は降りてしまって、バスは私の貸し切りになった。この調子だとバスは長続きしないだろうと思っていると、急に10人くらい客が乗ってきた。みんな小柄でランドセルを背負っている。小学生たちだ。そこは、小学校にほど近いバス停だった。

この小学校も私の実家のある新興住宅地から遠かった。距離にして3.5キロ。子供の足で歩いて45分から50分くらいの距離だ。今さっき乗ってきた子供たちも、大方は私の実家のある住宅地子供たちだろう。あの距離を歩かないですむようになったのだから、この子たちも嬉しがっているだろう。

さて、子供たちとバスに揺られて10分弱。目的地である住宅地が次のバス停になった頃だ。子供たちは誰が降車ボタンを押すか、みんなで相談し始めた。そんな子供たちを後目に、私は降車ボタンを押す。え、今の誰が押したよ?!と子供たちが騒ぎ始めるなか、私は黙って手を挙げた。

最初は私が何故手を挙げているのかわからない様子だった子供たちも、ちょっとするとなぁんだというような顔をした。けれども、あなたが押したのか、という意味合いのことは一言も言わなかった。きっと私のことをオバサンと呼んだらいいのかお姉さんと呼んだらいいのか分からなかったからだろう。賢い子供たちだ。

そしてそれをきっかけに、バス停までの短い間子供たちと話した。バスが出来てから通学が便利になったと子供たちは口を揃えて言っていた。けれども朝はバス時間が上手く合わなくて、バスに乗っていると遅刻するとも。

一生懸命体全体を使ってコミュニケーションしてくる子供たちと話すことは楽しかった。しかしそろそろバス停に着いてしまう。私は簡単に降りる準備をした。夕日が眩しくて外していた眼鏡をかけ直しただけだが。そうしたら、子供たちは口々にこう言ってくれた。その眼鏡、カッコいい!と。大切な方から贈ってもらった思い入れのある眼鏡だったので、その子供たちの感想が余計に嬉しかった。

そして、田舎道に沿って突如現れる、総計200戸ほどの住宅地の中心にバスは着き、みんなで揃ってバスを降りた。そこからは散り散りで、みんな手を振って別れた。

私は心地よい余韻に浸りながら実家までの短い道のりを歩いた。10人くらいの子供たち。みんな仲良そうにしていた。

10人くらいの子供たち。

私はようやく気づいた。この住宅地にはもう10人ほどしか子供が居ないのかと。

この住宅地バブルの最末期ほどに売り出されたものだ。その時三十代の戸主を持った核家族が移り住んできて二十年。彼らは五十代になり、その子供たちは二十代で自立のときだ。ここに建っている家々は皆核家族用のもので、複数世代が住めるものじゃない。私だってちょうどその世代だ。私が子供の頃はこの住宅地はもっと賑やかで、小学生だけでも百人近くはいたではないか。それこそ、あんな小さなバスでは乗り切れないくらいに。

この住宅地は、確実に斜陽の中にある。分かっていたはずだ。考えればすぐに分かることだ。そんなことだが、実際に子供たちの姿を見なければ、何も分からなかった。

この住宅地はこれから、ゆっくりと老いてゆくのだ。その事実に愕然としながら、私は実家の扉を開けた。そこには、もう随分と白髪の混じった母が、小学生だった私を迎えてくれるのと同じようにして待っていてくれていた。

2008-02-14

http://anond.hatelabo.jp/20080214145423

他の国ってのがどこを注しているか知らんが、俺が知る限りでは:

都市の後ろにある緑地の活用法しだいだと思う。日本都市部平野が隙間なく住宅になってしまっていて、憩いの場はまったくない。アメリカCommon(共有地)として残している。日本地方都市は百姓が売り惜しみするので駅周辺にごみごみと人が住んでいるだけで、農地住宅地にする感覚がない。しかも道路が狭いのでパチンコ屋だの車屋だのが狭い道にびっちり並んでいる。

2008-02-01

http://anond.hatelabo.jp/20080201221443

そういえば何年か前の冬の朝、住宅地の中で自転車のチェーンが外れたので道端に停めて直そうとしたんだけど

普通シティサイクルだったのでチェーンが剥き出しになってなくてカバーみたいなのに隠れてて(これ、伝わるよね?)ものすごく苦戦してて、

ああどうしよう、このままだったら遅刻するし手は真っ黒だし最悪だ・・・、とか思ってたら、

目の前を素通りしていく自転車とか自動車のうち、1台の車が止まって、中から綺麗な妙齢の女の人が出てきて

「あの・・・大丈夫ですか?これよかったら使ってください」ってハンカチを一枚くれて、ビックリしながらもそれを戴いて礼を言ったらそのまま女の人は車に乗って、どこかに行った。

ぶっちゃけハンカチを一枚貰っても事態はそんな好転しないし、遅刻で怒られるのは確定してるし油で真っ黒の手もそんな綺麗にはならない。

でも、ただただ物凄く嬉しかった。自分もスレたような事を知ったように言って何もしないより、何かしようと思った。そしてそれは今も続けている(それが何かはともかく)。

嘘みたいだけど本当の話。そしてこれをトラックバックしてどうするって話。

追記:ああそうそう、思い出したw

だから増田の人も何も出来なかったと思わなくても、案外「だっ大丈夫です」の人は「誰かが気にしてくれた」だけでも少し幸せだったかもよ、っていう。

それだけでもしないのとしたのとで大きな違いだと思うですよ。

2007-12-30

違うんだ - 熟女本が多い理由

http://anond.hatelabo.jp/20071230175412

コンビニ熟女本が多いのはそれ=インターネットしない層狙い

も少しはあるんだけど、都市配本じゃないわけよ。

都市部コンビニ若者狙い。

若い層はネットもあるが、携帯に出費が行ってる関係上、

可処分所得が少ないのでコンビニで本を買わないのさ。

だから一時期客寄せのために重宝されたコンビニ本棚都市部では縮小される一方。

でも地方ではむしろコンビニ本棚は拡大傾向で書籍まで置いてある。

そのへんのコンビニは客層が大人なのさ。

大人は地方に書店が減ったせいもあって、コンビ二でも本を買うのさ。

街道筋店とかの客筋はおのずとわかるよね。周囲は住宅地道路トラック類&ドライブする人だから

ニューファミリーブルーカラー系になる。

しかもヤンキーがたむろしてるイメージがあるかもしれないけど

実際のところ少子化で、地方にそれらの姿は減っている。

面白いデータがあってさ。

業界ベスト5に入るコンビニの仕入れが女性になったことがあって

そのとき本人の強い意向もあったんだけどエロ本を全部はずしてみたんだ。

そしたら、弁当の売れ行きがものすごく下がった。総売れ行きも下がった。

つまり、弁当を買う主力って男性、しかもブルーカラーとかだよね。

男性客を無視した構成をしたら、駄目だと。明白にPOSデータがそう言っていた。

だからその後、その業界ベスト5くらいのところはそれらエロ本をそれなりには

重宝するようになった。

多分熟女本のニーズも、かつての劇画誌の代わりとして存在しているんだろうけど

それらのニーズ弁当買う層)に合致しているわけよ。

日ごろやれシールだ包装しろだとうとましがられているエロ本だけど、

コンビニエンスの総売上と、弁当産業には貢献してたわけさ。

エロ本ちょっといい話って結構あるんだよ。

2007-12-18

「クマのプーさん」にみる発達障害入門

100エーカーの森の病理:A.A.ミルン作品にみる発達障害

100エーカーの森のどこかで少年とクマが遊んでいる。表面的には純粋無垢な世界であるが、我々専門家グループが詳細に観察すると、この森には発達上の問題や心理社会的な問題が気づかれず未治療放置されている。表面的には純粋無垢な世界である:クリストファー・ロビンは忠実な動物の友達に囲まれて美しい森に住んでいる。何世代もの読者がA.A.ミルンの「クマのプーさん」の話を優しくあたたかい物語として楽しんできた。しかし、時とともにとらえ方は変わり、現代の発達障害専門家である我々のグループから見ると、これはDSM-IVの診断基準を満たす重大な問題を持つ動物たちの物語であることが明白である。我々はA.A.ミルンの作品を徹底的に読み、100エーカーの森の住人たちの診断を行ったのでそれを紹介する。医療関係者にこの物語には暗い裏側があることを理解してもらえたら幸いである。

まずプーから始めよう。このかわいそうなクマは2つの問題を合併している。もっとも目立つのは注意欠陥多動性障害ADHD)の不注意優勢型である。また、例えばプーが雨雲に変装してハチミツをとろうとするなど愚かな考えを起こしたりすることから、我々はプーに衝動性の問題もあるのではないかと議論した。しかしながら、我々は、この行為はむしろ彼に合併する認知障害によるものであり、ハチミツに対する強迫的執着がそれをますます悪化させていると判断した。ハチミツに対する執着は、当然ながら彼の肥満の原因にもなっている。プーの食べ物に対するこだわりと何度も数を数える行為は強迫性障害(OCD)を疑わせる。ADHDとOCDを合併していることから、プーは将来トゥレット症候群を発症するかもしれない。また、プーは脳味噌がからっぽだと描かれている。しかし、クマの頭の周囲の長さの標準値がわからないのでプーが小頭症なのかどうか診断することはできない。プーの脳の発育が悪いのは物語の中に書かれていることが原因かもしれない。物語の最初のほうで、プーは(クリストファー・ロビンに)階段をひきずられて後頭部を何度も階段にぶつけている。彼のその後の認知障害はクマにおける一種の揺さぶられっこ症候群 によるものなのだうか?

プーには治療が必要である。我々は薬物療法が有効だと考える。プーに少量の中枢刺激薬を飲ませてみたら彼の日常生活がどんなに改善するだろうと考えずにはいられない。メチルフェニデートリタリン)の服用を含む適切なサポートによって、プーは適応性が高くなり、多くの仕事がこなせるようにるであろう。そしてたぶん、もっと多くの詩を作って覚えていられるようになるかもしれない。

 僕は薬をちょっとだけ飲む

 薬は僕をちょっとだけ良くする

 薬は僕をちょっとだけ良くする

 悪くはないね         

ピグレットはどうだろうか? 不安で、顔を赤くし、狼狽する、かわいそうなピグレット。彼は明らかに全般性不安障害である。もし彼が子供の時にきちんと診察と診断をうけたなら、パロキセチンパキシル)のような抗パニック薬を処方され、"ゾゾ"(ゾウ)をつかまえようとした時のような心理的トラウマに悩まされることはなかったかもしれない。

プーとピグレットは、彼らの隣人イーヨーの慢性的な気分変調症により、二次的なセルフエスティームの低下を生じる危険性もある。このロバはなんとかわいそうな毎日を送っているのだろう。イーヨーの気分変調症が遺伝性・内因性のうつ病に由来しているのか、あるいは以前の心理的トラウマが彼の慢性的な否定的考え方、元気のなさ、失感情症の原因になっているのかの十分な情報は得られていない。イーヨーには抗うつ薬と個人精神療法が大いに効果があるであろう。少量のフルオキセチンプロザック)の使用でイーヨーはシッポを失った事件のトラウマから解放されるかもしれない。もし彼が食べるアザミに混じって、セント・ジョーンズ・ワートがちょっとだけ生えていたら、森にはイーヨーの元気な笑い声がひびきわたっていたかもしれない。

かわいそうなオウルについて我々発達障害グループ意見は一致した。彼は非常に頭がいいが、読字障害(ディスレキシア)を持っている。彼が言葉能力欠点を克服しようとする痛々しい努力は、我々が毎日目にする読字障害で悩んでいる人々のそれと同じである。彼の障害がもっと早く気づかれて、徹底的なサポートが受けられていればよかったのに!

我々はルーのことを特に心配している。我々が心配しているのは彼の衝動性や多動ではない。これらの症状は彼の年齢相応である。我々はルーが育っている環境を心配しているのだ。ルーは片親の家庭で育っており、これは彼の将来に問題が生じるリスクを高めている。我々はルーが将来不良少年になって夜中に森の中をうろつき、ウイスキーの割れたボトルアザミ煙草の吸い殻をあたりにまき散らすのではないかと予想している。我々はもう一つの問題からも、それがルーの将来の姿として十分にありうることだと考えている。ルーの親友ティガーだが、彼はルーにとって良いモデルではない。つきあう仲間は将来に大きく影響する。

ティガーは社交的で親密だが、危険な行動を何度も繰り返す。例えば、彼は初めて100エーカーの森に来た時、見たことのない食べ物衝動的に食べてしまっている。ちょっとした挑発にのり、ハチミツドングリ、はてはアザミまで食べてしまった。ティガーは自分の実験が後でどんな結果をもたらすのかをまったく考えていない。後に彼は高い木に登り、他の人の邪魔になるとしかいいようがない行動をとっている。ティガーはルーを危険な目にあわせる。我々のグループティガーにはどんな薬がもっとも効果があるかを議論した。何人かは彼の問題行動は明らかに多動と衝動性によりもたらされており、中枢刺激薬が必要であると主張する。また、何人かはクロニジン(カタプレス)単独、あるいはクロニジンと中枢刺激薬の併用が有効なのではないかという。残念ながら、これらの薬物の効果はヒトでしか試されたことがないので、トラにも有効であるかどうかを科学的に判断することはできない。

たとえ我々がティガーを治療できたとしても、片親のもとで育っているルーの将来には問題が残ると思う。カンガはちょっと過保護すぎる。カンガのルーに対する独占欲は以前に社会保障サービスに逃げ込んだことがあるのと関係しているのだろうか? カンガの将来 はどうなるのだろうか? 彼女は何人かの男性と一時的な関係を持ち、その結果妊娠して生まれた子供達の世話をするのに疲れ、財政的困難に直面して、年老いていく可能性が高いと考える。しかし、我々は悲観的すぎるかもしれない。カンガは立ち直る力のある数少ないシングルマザーの一人かもしれない。 ひょっとしたらカンガは高校の到達度テスト合格し、大学卒業し、さらにはMBA経営学修士)を取得するかもしれない。そして、カンガはいつの日か100エーカーの森を買い取り、1軒50万ドルもする高級住宅地に変えてしまうかもしれない。しかし、教育を評価せず、女性の強いリーダーシップを認めない(100エーカーの森の)社会の中ではそのようなことは実現しそうにない。

100エーカーの森では、小さな1人の少年クリストファー・ロビンが強いリーダーシップを持っている。我々は今のところクリストファー・ロビンには診断しうる問題を認めないが、いくつかの点について心配している。この子が動物と話をすることに時間を費やしていることは言うに及ばず、両親の監督の完全な欠如には明白な問題がある。我々は物語の中で学業困難の初期のサインを見いだしている。また、E.H.シェパードの挿絵を見ると、この少年は将来、性同一性障害に陥る可能性があると思う。我々のグループの中の精神分析に重点をおくメンバーの一人は、彼がクマのぬいぐるみにウイニー・ザ・プーという風変わりな名前をつけたのにはフロイト意味づけがあると言う。

最後にラビットうつろう。彼は非常に尊大にふるまう傾向があり、まわりの者(しかも多くの別の種類の動物たち)と非常に親密な関係で友達がたくさんいると妙に信じ込んでしまうところがある。ラビットはしばしば他の者の意志を無視して彼らを新しいグループ組織し、彼自身はその頂点に君臨しようとする。我々は彼には明らかに病院の上級管理職の適性があると思うのだが、彼はその天職につく機会をのがしている。

森のどこかで少年と熊が遊んでいる。残念ながらこの森は実際には魅力的な場所ではなく、発達上の問題や心理社会学的な問題が診断されず未治療のまま放置されている幻滅するような場所である。彼らが小児発達クリニックに”てぁんけん”(探検)に来なかったのは残念である。

2007-11-21

http://anond.hatelabo.jp/20071121005950

三鷹かな。

ひとりぐらしだと、家賃の相場は6??7万。

家族向け、個建て物件などやや高級住宅、全体的に高め。

ただし駅から3Kmぐらい南に離れると調布三鷹アクセス不便エリア格安の物件がいくつもある。

南側は大学とかいくつかの高校幹線道路があってのどかな感じ。基本農地

商業地区は市内でも5%ぐらいしかない。駅前までぎっしり住宅地

スーパーなどは多いし23時ぐらいまでやっているので暮らす分には不便はない。

大きな買い物は隣の吉祥寺へどうぞ。

駅ひとつぶんだが三鷹駅からはそれほど離れていないのでお散歩がてら歩いたりもする。

井の頭や野川など大規模な公園から児童公園まで多い。

23区と違って自治体としての裁量も予算もあるので高い行政サービスがある。

歴史的に高級住宅地だったところもあるので、

住民の民度も高く治安も住み心地もいいが、最近いままできかなかったような事件を聞くようにもなった。

今日もASAの所長が逮捕されたところだ。

中央特快がとまる。これにのれば新宿まで16分。

しかし三鷹始発の各駅停車にのっても21分なので座れる総武線お勧めする。

別の増田東西線通勤地獄だとかいうけれど、始発から座っていけば何の問題もない。

ただ、日本橋はちょっと遠いかもしれない。大阪日本橋ならなお遠い。

東京の東がわの方が家賃もやすくてひとりものが住むにはいいかもしれない。

根津とかどうだい?

2007-10-24

http://anond.hatelabo.jp/20071024054017

刑務所住宅地の近くにあると出て行けと言われる。

工場住宅地の近くにあると出て行けと言われる。

原発(ry

2007-05-14

http://anond.hatelabo.jp/20070514021512

どーしても調子が悪いとき、自分はとりあえずその環境から逃げるようにしている。

年に1,2二回は土日にも忙しい日がどーしてもあるもので、そんなとき、唐突に「あー。天気がいいなぁ、逃げてえなぁ」と思い立ち、回りに特に連絡もせず、携帯の電源を切り、いく当ても無い自転車のたびへ出る。

気分と行ったことがなさそうなところへと方向を決め、コンビニジュースおにぎりを買って、ぶらぶらと走る。

山を超えたり、田んぼを過ぎ去ったり、住宅地なのに人がぜんぜんいない雰囲気のところを見かけたり、ふと自転車を降りて山の中のわき道へ入っていって、なんだかよくわからない工場地帯へ出て驚いたり。

それは一日限りの小さな旅だけど、帰ってくると「ただいま」と言ってほどよい疲れと空腹感を感じている自分がいる。

2007-03-29

人生の多くをイナカで暮らした自分の実感だけど

http://d.hatena.ne.jp/rajendra/20070328/p1

こういう記事をみるたびに、都会の人が頭の中だけで考えたイナカ論だなぁと思う。そもそも商圏が駅前になきゃいけない理由ってあるのかな?

交通手段がマイカーシフトした都市では、商圏は道路のあるところに生まれるわけで。土地の安いところを買い占めて大規模商業施設でも建てて、住宅地域と結ぶ綺麗で広い道路作って人を呼び込むのと、駅前を再開発して発展させるのと何が違うのかね。

公共交通機関は車を運転できないお年寄りなんかの人たちの足として、最低限の機能を提供していく必要はあるが、必ずしも地方の財源が公共交通機関と連動している必要なんてないのでは。

人生の大半をイナカで暮らしたものの実感としては、駅やら都心やらから何分のとこに住みたいとか、少しでも公共交通機関恩恵にあずかれるところに必死で近づこうとする熱意のほうが異常に感じるんだけどなー。

2007-03-19

空論じみてきた差別論議

当初は売春婦っていう具体的なトピックがあったけど、もういろいろ幅広い事象を含めた差別っていう一般概念にまつわる話になってるので、なんか書かれてることが軽くてしょうがなくね?

ネット上では、「誰が書いたか」よりも「書かれた内容」信者が多いからしょうがないのかね。喩え話ではあるが、同和地区も、外国人労働者も、ゲイレズビアンも、射精産業も、ゴミ処理場も食肉工場も、何にも身の回りにない小奇麗な住宅地で育ったような高校生に「差別はよくないですよ!」とか言われてもな。「(……)あー、そりゃあ差別はよくないよ!」って、大事なのは(……)だろう。

もちろん性別や貧富の差なども差別の対象になるわけだから、まったく差別に無縁で育った人間なんていうのは想像しようがないけど。そういうのも含めて、やっぱりこういう問題って人それぞれがかかえるバックボーンを抜きにすると、本当につまらないんだよなあ。というか、書いてる人たちの論の食い違いを見ると、そういう温度差抜きに差別語り合ってるからじゃんとも思える。

あ、「差別を知ってる俺の書くことは正しい」ということじゃなくて、意見を読み解く際の参考にさせてもらうということだからね。念のため。ちなみに僕は20代後半の関西生まれ育ち、身近な得意分野は同和と在日

あと、どうでもいいけど「売春婦」って政治的にOKなのだろうか。

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