はてなキーワード: メンタリティとは
俺は別に営業マンじゃないからどうでもいいけど。
とか言うと「どんな職種だろうと営業センスがない奴は使えない云々」とかいうありきたりなレスがつくわけだけど、そんなことは当然わかりきった上でやっているわけで、まぁでも営業マンはそのくらいの短絡思考っぷりと俺様っぷりが、もちろんそれはお客さんの前で外に出しちゃいけないんだけど、必要かなと思う。でまぁ「デキる営業マンの資質」とかいうものがどのように定義されているかと言うと、過去に実際にデキた営業マンの特徴から経験的に抽出された共通部分としてでなわけで、「短絡思考っぷりと俺様っぷり」が必要、という仮定が正しいなら、そういう傾向を持っている奴がそうでない奴と比べて「大学の勉強をストイックにガリガリやる」ようなメンタリティを持ちやすいかというとそれはあり得ないと思う。
ほっといたけど気にはなっていたので、色々見て回ってみた。
肯定派否定派入り混じって議論してるけど、
やはりどうにもこのサービスについては賛同できない。
肯定派の諸君はこのサービスに来るべき未来を垣間見てGoogleを褒めちぎり
否定派を見ては「感覚が古い」「日本人特有の閉鎖的メンタリティは醜い」とか言ってるけど、
なんだか宗教みたいで気持ち悪いですね!
僕の信じてる神様はこんなにすごいんだぜ!はぁそうですか。侮辱したな教化してやる!!
どこの十字軍だ。
そもそもGoogleって信頼するに足る相手じゃねーだろ。
企業なんだから根っこはマイクロソフトやらライブドアやらと同じ。
便利に使えるものは便利に使わせてもらう、程度の扱いで十分っつーか
そーゆー扱いをしないといかんと思うんだけど。個人としては。
いくらお得意様扱いされてる店に行ったからといって、店員さんにすすめられたからって
何でもかんでも買うわけにはいかないでしょ?
「こいつこのあたりに出没する可能性があるんで、広告だしましょうか?」って売り込むかもしれない。
(頭の悪い僕には良くわからん仕組みをもって)検索結果に反映させたりも出来るだろう。
Googleを使う限りは、だけれども、ストリートビューを使うことでどんどん僕らが得うる情報の幅を
「利便性」の御旗の元に狭められてくってわけだ。
アカウントを使ったときの検索結果を、過去の検索履歴とかで操作とかはもうやってるから、
これは既に実装されているかもしれない。
つまりは、自分自身の情報(名前やらアドレスだけでない、行動履歴)を売り渡してるも同じなわけで。
まーこれまでもそうだったんだけど、
今度のは現実空間を挨拶もしないで激写しまくって公開しまくるっつー
いくらなんでも暴挙だろそれはって感じなわけです。
これまでだと「Google使わなきゃいいじゃん」で済んだ。
これってすごいことよ?稀だけど、自分のことをビックブラザーGoogleが既に知っていて、
自分でお伺いを立てないと削除もしてくれない。自分自身のことなのに。
自意識過剰とか、そういう問題ではない。
最先端の情報を収集してるスマートですばらしい皆さんにとっては当たり前のことなんだろうけど、
Google使ってない人や、GoogleどころかPCもつかってない人(携帯オンリーの子供とか)にとっては
受け入れる下地もなにもあったもんじゃない。
知っていれば、進んでいれば、実験的であればなにをやってもいいのか?
事後承諾、事後承認されればいいのか?できちゃった結婚肯定派か。
よくわからんくなってきたけど結論。金持ってりゃ何やってもいいんだなってのが分かったのは今回得た知見。
あ、でも、ストリートビュー問題のおかげで、いろんな情報がGoogleに集められていることが
より多くの人に身体的感覚を伴って浸透した(しそう)ことは、いいことなのかもしんない。
それはそーとプログラマとかはストリートビューにすごく好意的だけど、
ソースコードの自由さえ担保されてたらなんとも思わんのかな。
http://anond.hatelabo.jp/20080705031304の増田です。
そんな訳で折角の日曜が休みだってのに、また夜更かしして増田かよ!この調子じゃこの後寝ても「噂の東京マガジン」が終わった時間に起きたりするんだろうな…。
なんかそれなりにブクマされてる様なので、追記&補足的に書こうかと思います。
1,ヨドバシに行った際、送料を通販同様に無料にしてもらった(結果的に値切った)事
2,その事を自分のblogで(やや煽る様な書き方で)伝えた事
を分けて考えるべきだと思うんだ。(どうもコメント欄で怒ってる人を見ると混同してる人がいるっぽいんで一応)
で、俺は1の行為は別にOKだと思ってる、
俺が前のエントリで書き方が悪いって言ったのは、
配送が必要な1万円以上の家電をヨドバシで買うときは、とりあえず店員さんに「ネットでも見て来たんですが、」と一言つけましょう!最初に言うのを忘れてたら、商品が決まったときに「ネットで買えば送料無料になりますか?」と(ちょっと図々しいけどw)聞いてみれば「ハイ・・・では、今回店頭でも送料は無料にさせていただきます」と言ってくれます(たぶん)。
という文章がまず最初に出てきている為、最初にチラッと見たとき「多少店員を困らせてでも、皆で送料無料にしてもらっちゃおう!私も普段やってマス(ちょっと図々しいけどw)」ってな内容の煽りエントリかと思ったんですよ、んでもって全部読むと気分悪くなりそうだったんでそのまま読まずに閉じていた訳。
でもプチ炎上後によくよく読んでみたら
すると私の(´□`)?!にすぐに気づいた店員さんは、こちらが何かを言う前に少し小さな声で「いや、送料は結構です・・・」と言ってきてくれました。「ヨドバシドットコムで買えば、送料が無料なんですよね」とダメ出しも自ら。「あ・・・どうもありがとうございます」と深々と頭を下げてから私たちはレジへと向ったのであります。
値引きを切り出したのは店員の方で、値引きしてもらった事に対しては「深々と頭を下げて」る訳だから、まぁ別に良いんじゃねーの?と思った次第、この程度じゃ別に「不当な要求」レベルの事はしてないだろ。
但し、対応した店員が「少し小さな声で」送料無料を伝えた辺りから考えると、女性が商品ページをプリントアウトした紙を見て(´□`)?!な顔になって、なおかつその紙を確認しようとしていたのに気がつき「揉めそうになる前に送料分ぐらいは引いておけ」って心理が働いたんだとは思う。俺はその場にいないのであくまで想像だけど。
で、2の「その事を自分のblogで(やや煽る様な書き方で)伝えた事」なんだけど、多分id:fellfieldが怒ってるのはこっちの方なんだよな。
これに関しては俺も気分はかなり悪い、商品の適正価格云々とかそういった事ではなく、生理的に気分が悪くなった。
理由としては多分、「価格交渉」のレベルではなく端から「値引く気満々」で店員に話を切り出す奴が多少なりとも増えてしまうんだろうなぁ、店員経験のある身からすると、(俺が勝手に同士だと思っている)接客業に従事する連中を困らせる原因をわざわざ作りやがって!、こいつちょっとうぜぇなぁ、とかそんな感じで。
勿論、送料の扱いに関してルール不備を作ったのはヨドバシ側なので、原因がid:asami81に無いのは解っている、でも店側が想定していない(触れて欲しくない)ポイントを見つけた時に、そこを突く事を声高に多数に話す姿は見ていてあまり気分の良い物では無いと俺は思う。
まぁ、それを下品、あるいはみっともない姿だと思うのか、お得情報をみんなに知らせる素敵人と感じるかは、各個人の性格、関東と関西、男と女のメンタリティの違いとかそんなのも大きいとは思うけどね。
で、ネットで調べた人は「1万円以上は送料無料になるんだー」と、思ったままお店に行くのは普通の感覚だと思います*1。だって●万円以上は送料無料!とかって、今やいろんなお店で普通に行われてることですもの。で、店員さんに「インターネットで見てきたんですけどね」と何も考えず告げると、自動的に店員さんが「ネットは送料無料なんで、今回は店頭でも無料にさせていただきますねー」という流れになる。これはヨドバシでも想定NAI!なことですよねー。
と書いてるが、まぁ店側としては普通に送料貰ったほうが有難いんで、そういうお客が来ることは想定内かもしれないが、各店舗に勤める側からすれば、できればそっとしておいて欲しい所だったんじゃないかな。
小売業に従事している人間からすると、こういった抜け道的な箇所を見つけた事を大喜びする奴は正直うざい、または浅ましいと感じる事は多い。見つけてもらって感謝な指摘も時にはあるが、その他大多数の有難いご指摘は、下らない注意書きをバカみたいに増やすか、顧客へのサービス追加となり働く側の負担が増える事にしかならないからだ。
店側としては、クレーム、要望を受けた場合に「その業種においての常識の範囲」での対応をしても「でも、どこにも書いてありませんよね!その常識ってだれが決めたんですか!」とか言われる事を防ぐため、レジでの説明を増やしたり注意書きを貼ったりするわけだ。
秋葉原等に複数の店舗を出してる様なショップでパーツを買った人なら解ると思うけど、商品を渡す時に保証に関しての注意を長々と述べたりする様になってるし、PCパーツ買わない人でも、携帯電話新規で買ったり機種変した際、登録前に端末を渡されて傷、汚れのチェックとかさせられる事があると思うけど、ああいった事って徐々にエスカレートしていってると感じてるけど、どうなんだろう。
あと結構重要だと思うのは、サービスを行う側では無く、受ける側であるid:asami81が率先して「配送料はタダになる」って書き方をしてる事。
勿論、実際には商品代金に含まれているって事は解ってる。俺が感じてしまうのはそういった事では無くて、サービスを受ける側がそんな言い方をしたら、提供する側への感謝とかそういった物が無くなって(表せなくなって)しまうように感じる。
配送係がヨドバシの社員でも外部の業者だとしても、配送のサービスを行ってるのは人間であって、霞食って生きてる訳じゃないんだしさぁ…、サービスを受ける側が「タダ」って言い方したら、彼らの労働(サービス)への対価って(気持ち的な物も含めて)無しなの?とか思えてしまう。
やっぱそれって俺の考えすぎかなぁ、でもなぁ、それってお客の側が言うことでは無いと思うんだよ…。
おまけも書いてみたんで、よかったらどうぞ。
おたくが言うところの「一般人」が、「おたく」を気持ちわるく思う理由を考えてみた。
「おたく」の定義はおたく本人達によって常々論議されているが、ここではあくまでも一般人の視点からのステレオタイプ、いわばメディアの描くおたく像を差す。はてなダイアリー/キーワードの「オタク」における「4」の項目
4. 元々ロリコン漫画誌から発せられた造語の為、本来は(性的表現も含む)コアな漫画・アニメマニア(特に男性)を指す蔑称。
おたくの不快な点として、外見的な特徴の特殊さが良く上げられるが、必ずしも非ファッショナブル性が気持ち悪さに繋がらるとは限らない。ただし、非ファッショナブルであることは、自らの性的魅力をアピールする意志に欠けており、恋愛への消極さを暗示しているとも言える。
二次元コンプレックスは性的嗜好だ。性的嗜好は多かれ少なかれ誰しもが持っている傾向で、「胸が大きい」「背が高い」と言った、ちょっとした外見的な好みの類いから、一般的に異常な趣味と思われる変態性欲まで幅が広い。二次元コンプレックスは万人が簡単に理解し得る趣味ではないので、性的倒錯の一種と言えるだろう。
変態性欲や性的倒錯を自覚する者は、その趣味を公の場では隠す。それは日陰者としての卑屈な心理ではなく、時と場を選ぶことで社会的バランスを保っているのだ。しかし、おたくはその性的倒錯を体現しているような印象を受ける(それが故にKYと思われる傾向もある)。自分がどんなオカズでマスターベーションするのが好きなのか、「一般人」はそうそう公表しない。それに対し、おたくは陰湿どころか、自分のセクシュアリティに非常にオープンである。創作力のあるおたくは、自分の妄想/ズリネタを図案化し、「コミケ」や「ネット」など、誰もがアクセス可能な「公の場」で堂々と発表する。創作出来ないおたくは、ヌケる作品を購買し、嬉々として公表する。
この性的倒錯の革命的とも言える開けっぴろげさが、一般人を困惑させ、気持ち悪がらせるのでは無いか。おたくは現実の恋愛からドロップアウトしているのに、異常に性欲が強い生き物なのか、と。ヘテロセクシャルの人間が、同性愛者に対して差別感を抱くのは、(生物学的に)異常なセクシュアリティな部分をクローズアップして見てしまうからだろう。正常とは言えない二次元コンプレックスを堂々と晒す「おたく」は、「一般人」から見れば同性愛者同様「クィア」すなわち、「セクシュアル・マイノリティ」である。
「一般人」のおたく差別はホモ・フォビアと同じメンタリティーで行われているのではないか。
ちなみに「一般人」というレッテルは、「一般人」を差別化する側が作った認識で、「一般人」は自分たちが「一般人」であるという自覚は全く無い。
http://anond.hatelabo.jp/20080703203447
あくまで私的な話
1.基本一人で済ましているので分からない。で、する暇が無かったとしても「あ、やってなかったなぁ」というくらいで切実さの欠片も無い。
2.基本というか全然行かない。ただ、興味本位で行ってみたいと思う時は有る。性欲の発散・解消を目的とはしない。
3.衝動が起こる事を否定しない。衝動を抑えられない事に同情の余地は一切無い。
4.それはそれ。これはこれ。何かに打ち込んでいると性的な事を考えないだけ。昇華されてない。性欲が湧かないとしたら疲れてるだけ。
5.37歳児なので区別がつかないとダメでしょ。で、区別したとして態度がどう変わるのかよく分からん。ので、変わらないんでしょうな。
6.エスパーですか!!
7.エロ武勇伝なぁ。これって中坊&体育会的メンタリティの発露だから、求められれば出来る程度に。as you like it.
8.それは数カ月以上の単位でレスな我ら夫婦に対する挑戦状か(笑)。したいなぁ、とは思うけど双方の合意に基づかないとやってもしゃあないなぁ、とも思うので。
さもひどく悪いことをしたかのように糾弾して社会的に追い込んだのは新聞をはじめとするマスコミ
落書きという次元の問題じゃなくしたうえにマスコミはイタリアの報道を他人事のように見物ですか - 瑠璃青(LuLiAzur)の日記
岐阜市の市立女子短大(松田之利学長)は(中略)したと発表した。
(中略)
どう考えても大学に連絡したのはブン屋のメンタリティではない。むしろねらーだ。
で、それ忘れてブン屋攻撃というのでは平仄が合わないと思いますが。
そう思いません?>http://d.hatena.ne.jp/sunafukin99/20080702/1214951739 , http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20080704/1215127240 , http://d.hatena.ne.jp/cell2005/20080701
母親が厳しいと、こういうタイプの彼女を求めて女の人に負担をかけるのかなあ。
違う、違うんだよ。
そういう彼女と出会うには(この手のメンタリティを持つ人間にとって)絶望的なまでの自己主張を
繰り返した挙句、それでも「それは分かった。でも認めない。」という人間の理不尽に数多く、そう、
数多く繰り返し遭遇して、それでもなおいろんな人を求めてようやくたどりつけるもんなんだ。
もちろん、たどりつけないことも多かろう。
たどりつけなくても、人間関係をより広く構築していけば、ある程度の吸収はなされる。勝ち組負け組の
違いはどこかといえば、おそらくこの「人間関係の構築」をする余裕があるか否か、なのだろう。
それは自己投資をする余裕、とも言い換えることができる。金銭だけではなく時間的な意味で。
もう派遣労働者は1日4時間以上働かせちゃダメってことにしようぜ。残業も許さずにさ。
それにしても母親が厳しすぎて歪んだ男は孤独に走るが、父親が厳しすぎて歪んだ女は不倫に走る、
ってのはどういうことなんだろう。
誰かの役に立つことが価値なのだ。せめて引き立て役になるとか、練習台になるとか、不細工であることを利用してくれるという役立ち方でも、出来たらいいのに。
丸きり一緒のメンタリティだ。
誰かの役に立たない自分なんかいないほうがいい。
性欲処理でも他人様のお役に立てればいいか、
と思っていた時期が私にもありました。
たぶんどこかで言い尽くされている話のような気がするが、うまく見つけられなかったので書いてみる。
ちなみに僕は漫画、アニメは大好きでそれほどの量ではないですが普段からよく鑑賞します。ここでいう「萌え絵」は狭義のもの、エロゲやオタ向け深夜アニメなどに出てくるような女の子の萌えアニメ絵、とざっくり十把一絡げにさせて下さい。
僕が感じるそれらの萌え絵の嫌な所は女の子の服装や髪型のダサい事です。度々話題になっているリアルでのダサいオタクファッションには僕は嫌悪感を感じません。そして萌え絵の描き手がファッションセンスが無いためにあのようなダサさになっているとも思えません。あのダサさは(もしかすると意識的にではないにしろ)描き手が積極的に行っている事であると思います。
自分の彼女が自分と会うとき以外にミニスカートをはくと怒るという気持ち悪い男がたまにいますよね。この勘違いが重度になると化粧嫌いになる男もいます。自分には素顔を見せているんだから化粧の必要は無いじゃないか、化粧をするってことは自分以外の誰かにきれいに見られようとするからではないか、という理屈らしいです。
大げさに言えば「女の子のおしゃれ = 自分以外の男に色目を使う事」なのでそれは許さんというメンタリティです。僕が狭義の萌え絵に嫌悪感を抱くのは、その気持ち悪いメンタリティのもと、女の子にダサさを強要しているように見える貞操帯的な気持ち悪さからです。
(追記)漫画が大好きなどと言っておきながらなんだか了見の狭い意見になってしまった…。
最近ちょこちょこ見かける「専門家の著書を読み込まないバカは発言するな」という罵倒に呼び起こされた俺の妄想だ。だからもちろんソースは出せない。問い合わせられてもなにも答えられない。
故小渕氏が半紙を持って記者会見に臨んだ時期の前後数年間、俺はとある非営利法人に勤務していた。まだNPO法人制度が整備される以前のことで、それ自体は自治体の認可と出資を受けた社団法人だ。行政からは初期出資以外の補助金も主に人件費名目でかなり支出されており、俺も名目は非常勤の自治体職員としてその法人に出向していることになっていた(はずだ)。当時は今ほど公務員叩きも行われず、時間外手当こそ出ないものの、業績も成果も無関係にそれなりの月給が社会保障込みで保証され、しかも仕事内容は「バイトでもできる」レベル、有り体に行っておいしい仕事ではあった。(当該自治体が今日破綻の危機にあるのが、俺のせいかどうかは知らね。)
しかしこの社団法人、実態はとある市民団体の外郭団体というか数あるダミーのひとつというか、むしろその市民団体の下僕ってのがもっともふさわしい表現だろう。そんなところへ俺みたいな性格と趣味性向の持ち主がなんで雇われることになったのかについては割愛する。というか迂闊なことを書くと正体を特定されそうだ。
正体を特定されると何がまずいかって、なにしろその市民団体がこれまでやってきた行いが尋常じゃない。なにしろ彼らの意に染まぬ発言をし謝罪と妥協を拒否したとある御仁にいたっては、自宅の周囲を街宣車で数週間にわたって取り囲まれ大音量で彼らの主張を繰り返され、ご子息は彼らの意を受けた教師らにより学校で吊し上げられたそうだ。家族や近隣住民を巻き込んでの実力行使をしでかす連中相手に立ち向かう根性は俺にはない。
ちなみに彼らはその行為を現在に至っても反省していない。法廷で有罪を喰らったこと自体は反省してるようだが、「もっと上手くやれば良かった」という戦術級の反省でしかない。そういや部下の発言を根に持っていびり自殺に追い込んだ上司も、一人や二人じゃ済まなかったっけ。
あと、一番多かったのは、こじつけで組織責任を問うパターンだな。中でも印象に残ってるのは、駅のトイレの落書きを根拠に鉄道会社の人権に関する姿勢を糾弾した事件。(そろそろ何という団体か分かってきた人もいると思うが、もちろんこれは俺の妄想だ。)不特定多数の乗客が利用するトイレの落書きを鉄道会社の責任に帰して、社内研修の予算を確保させやがった。もちろん形式的にはそれが直接市民団体に流れるわけじゃないんだが、そこで生きてくるのが俺が勤めてた法人。研修会の主催も使用テキストの発行元も派遣する講師の所属もその法人で、研修予算のほとんどが法人に入ってくる。そして法人は毎年上納金を市民団体に納めるってからくりだ。
それなりの大手の企業/団体の社員/職員研修となると年間数百万なんですぐだし、そういう成果が数百は存在する。もちろん窓口となるダミー団体も複数あって、結局年間数十??数百億が無税で(おっと、テキスト代の消費税は払ってたっけ。)市民団体に流れ込む。
手口は微妙に異なっても、右翼団体や総会屋のやってることと本質的に大きな違いはない。俺たちノンポリの下っ端は、「えせ○○じゃなく本○○だな、俺たち」とか自嘲してたもんだ。もちろん以下に述べるような構成人員の資質や組織のあり方も、右も左も保守も革新も反動も進歩も、そんなに大きくは変わりはせんだろうと思う。ベクトルの方向は違ってても、その先でやってることは五十歩百歩なんじゃねえの、とは思う。
さてまぁ脱線した。その市民団体の主たる主張はある種の人権擁護なんだが、他の様々な正義と平和と人道を標榜する団体と友好関係にあり、互いにしばしば主催する集会等への動員要請が行われていた。で、そういう要請は基本的には下っ端にしわ寄せが来るようになっている。8月6日のヒロシマを筆頭に、ずいぶんといろんなところの員数合わせに駆り出されたものだ。(従軍慰安婦とか南京事件とか○○の人権を求める市民集会とか××を糾弾する市民の会とか、アベレージで年に5??6件は出席した。もちろん俺の所属する法人orその上部団体が直接主催するもの以外でだ。)業務の一環として出張扱いになった上で交通費も現地行動費も出してくれるんだから、断る理由も特にない。
もちろんこれをもって「沖縄の11万人」がどうこうとか言い出す気はない。俺という異分子が1人紛れ込んだ集会がかつて存在した、というだけのことでしかない。がまぁ必ずしも俺一人が際だって異質だったってわけでもなかった。ある時は集会で眠気をこらえある時はデモで熱射病に用心してるうちに、似たタイプの人と親しくなったりするんだ。熱意なんぞ欠片もないがしがらみと人間関係とその他もろもろに絡め取られて動員されてる人たちと、同病相憐れみ、互いに愚痴りながら、所属団体に関して話し合ったりもする。
で、結局愚痴の行き着くところはいつも似たようなもんで、「人だねぇ」。どこでも運動のトップとか指導者は似たタイプだし、運動に理論的正当性を与えてる学者や研究者ってのもまたどのジャンルでも似たり寄ったり、もちろん下っ端で熱狂してるのも、はたまた利害づくで参加してる人たちも、これまた似たようなもんだ。利害づくってのは一番分かりやすい。運動から甘い汁(主に行政からの個人給付……おっと。)を吸えるなら参加するし、吸えなくなれば離れる。別に一般の勤め人とメンタリティが異なるわけじゃない。俺たち「最初は純粋だが今は冷めちゃった」連中より多少は熱意のあるふりが上手いだけだ。
真面目な下っ端ってのはほとんどが主観的に純粋な正義への熱意に基づいてるだけで、なんということはない。言ってしまえばカルト信者と異なるところはない。頭を叩きつぶすか、個別に一本釣りして脱洗脳を施すか、運良く何かの偶然で組織から離れるか、だ。ちなみに俺は三つ目の「運良く偶然組織を離れ得た」口だが、これまた詳細は秘密。
トップにも二パターンあって、ひとつは純粋な下っ端がそのままのし上がった口。もっともこういうのは大概、「敬して遠ざけられる口」ではある。なにしろ清濁併せ呑むことができないから。で、もちろんそういうのは少数派。残りはもちろん下衆野郎。893の頭目やら汚職議員がゾロゾロ。(特に西日本……)
俺の勤め先だと、理事長は前者のタイプかな。お飾りでお神輿なとっちゃん坊やにして便利な宣伝灯。一番勢力の大きい部門の部長は後者、分かりやすい俗物。昼間は数千人を前に人権尊重を講演し夜はセクハラ大王、セクハラとパワハラの合わせ技を連発しつつ部下の若い女性を片っ端から喰いまくるエロ親父。で、一番タチが悪いのが事務局長かな。表では大学講師の肩書きを背に正義と平和と人道を説きつつ、事務所に戻れば部下を交換可能使い捨て消耗パーツとしていびりぬくことに楽しみを見いだしてるとしか思えん。いやいや、こいつの直属でなかった俺は幸せでしたよ。5年間で3人が潰された。
さて、また話がそれた。ようやく本題に近づいてきたな。残る学者や研究者だが、もちろん運動に正当性やお墨付きを与えてくれる先生方だけが、こういう連中と独立に存在してるわけもない。
俺は上記のような講演・研修のテキストとしての必要もあって、年間二桁単位でISBNナンバー付きの本を作ってきた。もっともほとんどが予算化している企業/団体への割り当てと組織内部の学習用で捌けてしまうんで、一般の書店にはそれほど出回っちゃいなかったが。俺の主たる任務もその一部の校閲・編集だった。
で、そういう出版物の著者が、市民団体と仲の良い学者・研究者の先生方だ。もちろん彼/彼女らの動機は俺は知らん。崇高な真理への欲求に基づく純粋なものかもしれんし、市民団体に利をもたらしそのおこぼれをもらうためかもしれん。書いて出版される内容は学術的に妥当なのかもしれんしデマゴーグなのかもしれん。読んだらためになるのかもしれんし洗脳されるのかもしれん。
ただしその校閲・編集をわずかなりとも担当した個人の感想として、「こんなもん出版して金取っていいのかよ」といいたくなる代物がそれなりの割合で含まれてたことは確かだ。上記のような市民団体幹部との対談をテープ起こしして「てにおは」を整えただけとか、(整えたのも俺だ。)出典とか引用元とかの調査を全部編集担当の俺に丸投げされて、インターネットの普及してないあの当時に泣きながら縮刷版とか復刻資料集(もちろん、本物の原典にあたるスキルは担当者たる俺にはない。そのことは学者先生も承知の上だ。)をひっくり返しまくり、どうしても見つからないものは必死で出典に対するツッコミが入らないように原稿を書き換えたとか。もちろん「こんなんやっちゃっていいんですか」と上司にお伺いをたて、OKをもらった上で印刷所に渡し、ゲラは学者先生のチェックも受けましたがね。
要は俺の脳内妄想レベル+αの代物が、ISBNナンバーがついて書店でもわずかながら売られて運動内部では「正典」扱いされる「歴史書」になっちまった。しかも対立団体からですら、その団体との分裂の前後以前の記述については特に誤りとまではされてないし、発行側と対立団体側の双方ともに大枠を認めてる代物を批判する学者さんも、少なくとも俺の目には入ったことはなかった。つまり外形的には「専門家間でもほぼコンセンサスのとれてる通説」になっちゃったんだ。
うっかりそんなものを世に出す手助けをしちまったショックが強すぎてな、今更「正義と平和と人道に関する歴史の通説」なんてもんを読む気にゃならんのだわ。いまだに書評やらその団体の内部評価を見ると、俺のでっち上げた代物が参考資料扱いされててな、正直、おぞましくてかなわんのだよ。とまあ、これが「俺はいかにして『まず学者先生の御本を読め』という言説にアレルギーを抱くようになったか」という妄想なわけだ。
おばはんに「どんな女が好みなの?」と聞かれたので
「めんどくさくない人。こっちに余裕がなくても分かってくれる人。」と言ったら、
「そりゃ一生独りのほうがいいわw」と笑われた。
こないだ見た結婚関係のブログの記事で「相手に興味を持ち続けるのが結婚生活円満の鍵」みたいなの見たけど、どうやったらこのクソ忙しい環境でそんな余裕が持てるのか。きっとお前らの嫁とか旦那は神なんだぜ。なんの神かは知らん。おっぱい神だったらいいな。
ロスジェネとか言われてる年代のなかでは、正社員だし車も持ってるし会社も回し回されてる類の男だけど、俺がロストしてんのは多分、他人に形通り以外の興味を振り分けるだけの余裕だ。余裕がなくても他人のことを考えることが出来るだけのメンタリティ、あるいはその源泉だ、と、過去の自分を振り返って思った。俺よりもう少し下の連中は、これが『自己チュー』という形になってるんだと思う。そして俺よりもうちょっと上の世代は、偉くなったが故にとらわれる『自己チュー』に酔いしれてる感じで、正直辟易してる。
つーかロスジェネって何かを失ってる世代なんじゃなくて、満たされているか否かを客観的に判断するようたたき込まれた世代なんじゃねーの? 言い方変えると、減点主義が極まった世代の人間、っていうか。だから失っていることに目が行きすぎる。そっちのほうがピンと来るんだけどな。
まあ、脱線した。多分、どっか病んでるんだと思う。極端に治そうとすると酷い反動が来るから少しづつなんとかしていこうと思ったんで、憂さ晴らしも兼ねて文章に起こしておく。これを読んだ所帯持ちの皆様におかれましては、パートナーに余裕がなさそうなときは、そっと一歩引くとかなんとか、いい感じのことをしてあげて下さい。自信を持って引けるのも愛じゃね?
と、ここまで書いて、何より俺が一番面倒くさい奴だということに思い至ったんでコメントつけられる前に突っ込んどく。
02年8月24日から29日にかけて横浜市で開かれた、第12回世界精神医学会(WPA)の推計によると、世界で日本が実質自殺率1位でした。
マスコミは同年、「自殺4年連続3万人超」「昨年 目立つ経済苦」などと報じました。遺書から動機や原因を分析したところ、「健康問題」が統計のある78年から連続してトップ。次いで2番目に多かったのが「経済・生活問題」で、内訳は多い順に「負債」「事業不振」「生活苦」「失業」「就職失敗」「倒産」でした。
年次別自殺者の推移を見てみると、1978年(昭和53年)から1997(平成9年)までの自殺者数は年2万人台でしたが、1998年には3万2862人に急増します。1997年からの増加率は50歳代男性54%、同40歳代男性33%で、以後この傾向に変化はなく、20003年の自殺者数は3万4427人に達しています。このことから1998年は、自殺者が3万人台に定着した「自殺境界年」、また自殺理由の中で「経済・生活問題」が一気に上昇した「自殺理由境界年」に、当たります。
同年以降、同一グラフ上に完全失業率曲線と自殺率曲線を描くと、両曲線の推移は見事に一致します。また、東京都立衛生研究所は「日本における自殺の精密分析」において、「自殺の増減は景気の動向と密接に関連しているといえよう」と記しています。以上から、自殺誘引の大きい要素の1つに、失業増加があることが分かります。同時にこの動向は、日本男性がマネーを生死の判断基準にさえしているという悲しき真相を、如実に語っています。
命あってこそ!
人の願望の極致は、マネーにではなく幸福にあります。マネーは単なる幸福になるためのひとつの、しかもニュートラルな手段に過ぎません。東京・上野公園に小屋掛けするホームレスにも幸福な人はいます。マイクロソフトの創始者で、世界有数の資産家ビル・ゲイツが幸福とは限らないのですから。
人は自殺するとき、うつ状態になるといわれています。しかし中には死ぬ前に生命保険に加入するなど冷静に計画を立てていた事例もありました。たとえ多額の生命保険金を受け取っても、遺族は悲しく悔しい思いに苛まれ、屈辱感・無気力感に襲われます。しかも、それらを生涯抱えて生きていかねばならず、いつまで経っても、遺族に春はやって来ないのです。
「自殺する勇気があれば、人生やり直せる」などと、よく人口に膾炙されている警句は正しいのです。仕事の失敗、失業・不治の病などに遭遇したとき、死を考える気持ちは痛いほど私にも理解できます。しかしその試練はあなたにとって、人生に一度の、最高の学びのチャンスでもあるはずです。その苦しみを成長の機会に転じることができたなら、それは人生最高の歓びであり、財宝であり、自信として結実します――。
スポーツでも「ピンチの裏にチャンスあり」と言うではないですか。事実、ノーアウト満塁、絶体絶命のピンチを凌いで、逆転勝利する場面を私たちはたびたび観戦させられます。また命あってこそ、逆転満塁ホームランを打つ至福の瞬間を味得することが可能だし、打たなくても、その希望を常に持ち続けていくことができるのです。
ニッポン人の劣化
日本とアメリカは20世紀後半から21世紀初頭に、絶頂期を迎えた近代科学文明の優等生でした。特に、日本はこの文明の熱心な教徒であり、保守も革新も哲学者もみな、その礼賛者でした。その執念が実って日本は今日の経済大国・技術大国になったのです。ところが、いまわが国は長期不況の下にあり、労働者は失業や賃率の低下・長時間勤務・サービス残業に直面し、またフリーターやニートも増えています。それに加えて、年金受給額の引き下げと負担増、近い将来に予想される消費税率引き上げが追い討ちをかけます。労働者にとって茨の道は長く、さらに厳しくなっていきますが、この程度ならまだいいのです。
亡国の兆候ともいえる事件が日本社会の隅々にまで広がり、それは明示的にあるいはメタンガスの気泡のように、不気味にぶつぶつと隠れて噴出し始めています。たとえば、最近のマスコミ紙面を見てみましょう。「世帯所得、4年連続減」「個人自己破産 24万人」「雇用悪化が家計圧迫」「週50時間以上労働日本人4人に1人」「離婚率上昇中」「世帯の所得格差最大に」「働かない若者、年28万人に急増」「ニート急増、社会の機能不全映す」「不登校10年で倍増」「増える若者のひきこもり」「小学生1割強抑うつ傾向」「日本の高校生 自分は駄目」「検挙率 少年、成人の8倍」「10年で治安悪化86%」などの見出しが踊っています。
さらに憂慮すべきことは、東京都衛生局のアンケートに対し、18歳から24歳の層が「仕事の疲れがとれない」「生活に張り合いを感じない」と答えたことです。他の調査では「授業中じっとしていない」が小学校で8割、中学校で6割、高校で5割、「首、肩のこり」「不登校」「腰痛」「腹痛」が中学校、高校とも8割でした。これはいわば一昔前の老人に特有な症候群でした。日本の若者は、精神的にも肉体的にも確実に老化に向かっているのです。
ともあれ実質世界一豊かな日本なのに、皮肉にもその豊かさ指標マネーを苦にして自ら命を絶つ同胞が後を絶ちません。しかもこの数の陰にはその10倍??20倍もの自殺候補者がいると推定され、日の出の来ない日没を見送るような、なんともやるせない心境にさせられます。
だが、《自殺大国》になったのは不思議でもなければ偶然でもありません。
芝伸太郎は、「日本人」、「鬱病者」という言葉を同意語的に用いています。つまり内向性・律義・几帳面・苦労性・馬鹿正直・融通がきかないなど日本人一般の人格構造を極端にしたのが鬱病者の人格構造だからです。この風土の中で培われてきた繊細な日本人のメンタリティーが、価値観をマネーに置く文明、人間疎外の文明に拒否反応を起こしているからのです。
空気よめとか、空気よめてないとかいまいちその言葉自体がピンときてなかったんだけど、この間「もしかしてこれがKYってやつか?」て場面にぶちあたった。
サークルでのことだったんだけど。その場には一人先輩がいて、そのほかは俺含めて皆同い年だった。
それで先輩が、得意げに「そーいや最近のニュースでさ」とあるニュースの事について語り始めた。
「ほんと間違ってるよな世の中!」的な感じでヒートアップしてきて、ま、これはいつもの事なんで、俺含めほとんどのやつは「はは」「まーそうっすねー」と適当に流していたんだが、そこで俺の友達がなんか急に対抗して語り始めたのよ。
「いや、それは違うんじゃないっすか」って立ち上がって、先輩に負けじと熱弁奮いだした。
先輩とそいつ以外の皆、全員「え…?」って感じの顔してたけど、そいつは全くおかまいなしで続けた。
「そういうのは違う」「いやでもこうだから」と先輩とそいつは言い争い始めた。もともと先輩の言い分は酔っ払ったオッサンぽい感じで、たいした内容でもなければ論理もあんまり通っていない、ありがちな論だったため、ガチに議論し始めた俺の友達に押され始め明らかに不機嫌になってきた。うわ、これヤバいわ、と思って結局俺たち他の人間が「まあ色々その辺はあるよな」「なんでも一長一短ってあるし」的に誤魔化し、次の話題へ移行させて事なきを得たんだが……
正直、その友達に俺は少々呆れていた。
なんでそこでガチに議論をし始めるのか?
先の予測がつかないのか?と。
大体、ガチ議論をして、一体何をする気だったのか?
そこでガチに言い返したところで、先輩は不機嫌になるだけで、「そうだなお前の論もありかもな」なんて収まるわけがないし、第一、その友達自身やや思い込みが激しいタイプだから、自分の論を曲げるはずもなく、議論を始める前からお互いに和解する気は100パーない、相手を口で倒すことのみが目的の議論になるというのは分かりきっていたことだ。
若いくせして団塊のオッサンメンタリティを持つ先輩にそんな事を言えば、不機嫌になってサークルのミーティングもgdgdになりと散々な目になるということは安易に予測できる事だ。そして、議論をしたところで先輩の考えが変わるわけないことも。
その上で、なぜ、言い返してしまうのか?
俺は正直呆れた。
そんなもの、適当に流しておけばいいのだ。どうせ言い返したところでまともな議論が実る相手ではないのだから。(というと先輩はうだつのあがらん最低男のようだが、別にそういうわけでもない。他の面ではしっかりしてるしそこそこいい人だ)
そこでなぜわざわざ言い返す?言い返して、誰が何を得るというんだ?先輩は勿論不機嫌になるし、友達だって不機嫌になるし、俺らは俺らでそんなピリピリしたムードの中それでもサークルの話し合いを進めていくためにフォローせねばならない。一体それで誰が何を得するっていうんだよ。何も得られないのに、言う必要もないのに、何故言い返すのか?本当に分からない。言い返して、一体、何がしたかったのか?先輩を黙らせたかったのか?先輩に「お前の論が正しかった」と反省させたかったのかよ?お前が正しいって、皆に認めて欲しかったのか?
何もいつなんどきでもあわせてろというんじゃない。ただ敢えて言い返す必要性のないときに、言い返したところで何も得られないどころかマイナスの結果しかもたらさないであろうことが容易に予測できるときに、それをするっていう神経が分からない。
そう思ったとき、俺はこういう友達がいわゆる「KY」と言われているのかと思い当たった。
たとえば、酒が飲めない人が、「おいおい、空気よんで飲めよ」といわれたりした場合にはそんな空気なぞぶち破って言えばいいと思う。それは、必要性もメリットも十二分にあるからだ。そういうことならどんどん言えばいいし空気も破っていけばいいが、今のばあいのような、「で、それをして何になるんだよ?!」って時に敢えてやる奴は確かに俺も「空気読め」と言いたい。空気読めというか、「予測しろ」といいたい。予測したらとても言う気になれないだろ?不毛な言い合いが続いて、皆の気分が悪くなって終わり。それでもするって奴は一体何がしたいんだよと。「言い負かしてやりたい」ってことだろ、結局は?そんなくだらない個人の欲望に振り回されるこっちの身にもなってほしい。そんなことは二人きりのときにやればいいことだろ。
空気読めっていうとすぐ、「周りに迎合しろというのか!!」と憤る奴がいるけど、そもそもコミュニティ、社会ってもんはそういうもんだろ。皆が皆好き勝手やってたら、社会なりたたないだろ。勿論さっきもいったようにどんな時でも読まねばならないわけじゃなくて、言う必要性・メリットがあるなら空気を読むべきじゃないよ。でもそれらがないのに、いたずらに空気をかきまわして終わる奴は「わがまま」なんじゃないのか。自分のことだけ考えてるだけ。自分の権利を主張するだけ。
それでまだ、「空気をかきまわした責任を取る」っていうんならいいよ。でもおおくの「KY」者は、かきまわすだけかきまわして、後は知らん、だ。今回の場合も、友達は言うだけ言って、あとは不機嫌そうにむっつり黙り込んで終わりだ。そんなん、空気かきまわした責任もとれないくらいなら、余計に言うなよ。無責任で自分勝手すぎだろ。周りの被害ってもんを考えろよ。空気読みたくない!っていうなら、読まなかった場合の責任はお前がとれよ。空気読みたくない上、そんなKYな僕を受け入れてなんて勝手すぎる。なんでお前一人だけ自然体で受け入れてやらなくちゃいけないんだよ?KYでいい、ってんなら、「KY」って言われても憤慨するべきじゃないだろ。空気読みたくないけど、それで「KY」って言われるのは嫌だ、なんて、わがまますぎる。どうしてお前一人だけ自然体で迎え入れなきゃなんねーの?社会ってのは誰かしらちょっとずつ我慢して譲り合って成り立つものなんだよ。それが度をこえたときには空気破ったっていいけど、この程度のことでいちいち破るなんてそりゃ「KY」って言われるよ。
……って、友達を見てて思った。思ったっていうか言ったけど。そんでギャーギャー言い合いして今に至る。
(言い合いの内容
友「でも真実を言うべきなんだ!」
友「でもいやなんだよ!なんか黙っていられない!」
俺「お前が黙っていられないせいで俺らがどんだけ苦労したと思ってるんだよ!そのくらい制御しろよ!ガキじゃないんだし適当にあわせるくらいへでもないだろ」
友「でも嫌だ!あわせるってのが嫌だ!」
俺「お前なぁ、合わせることなしに人間生活どうやって成立させる気だよ。皆はお前のカーちゃんじゃねーんだよ。いちいち世話してらんねーんだよ」
俺「哲学書読みすぎだって」
俺「分かった。じゃあ続きはメールで」
)
いないとかマゾだとか言われている「非モテが好み」な女ですが、まあマゾじゃないと思いますが、なんか普通の人はまぶしすぎるというか、却って自分の劣等感を刺激されそうで駄目っていうか、女として自信のない女子に「僕ちゃん安い女大好きー」と群がる男の女版というか、まあそんな感じですよ。あと、めっちゃ照れ性なんで、同じく照れ性な人のがいいと思ってる。
こういうメンタリティの女、一定数はいると思いますけどね。大抵は、自信のない女は強引なヤンキーか、とにかく手の早い男が早い者勝ちで持っていくから見えないですけど。自分は理屈っぽくて、その手の層が駄目なので、なんか変なポジションで余ってますw
きっと奴らは口では憎悪のポーズをとりながらも、スイーツ(笑)な女が大好きなんだろう。好きで好きでたまらないからそういう女ばかり目に入ってしまうんだ。
これは本当に同意。例えば、非モテ(自分で「非モテ」って言うような非モテ)ってアプローチしてみても絶対に受け入れてくれないんですよ。正式に付き合うとかじゃなくて、食事とかデートの時点でまず駄目。スルー。沈黙。あんまり沈黙するからこっちが根負けして、自分から「やっぱ駄目だよね?ごめんね、変なこと聞いちゃって」的に引かざるを得ない。むしろ普通の人の方が、そのくらいなら受け入れてくれる。同情心からかもしれないけどw
ほんっと目に入ってないとゆーか、結局分かりやすい女が好みなだけじゃん、と思います。こじれたプライドのせいで、自分みたいな安い女は許せないってことかもしれないけど、それって贅沢とどう違うの?みたいな。あとこういうところで書くとしても、今回はかなーり露悪的に書いてますけど、割と素直に書いても、やっぱ反応ないですよ。今回はこんだけ露悪的に書いたから、なんか反応あるかもしれませんが。基本的に、自分らが叩かれるコメントには必死に食いつくのに、好意の表明とか応援コメントとかにはスルーですもん。
もうひとつの可能性としては、単に自分以外の存在を叩きたくて、あるいは、自分の悲劇(?)を主張するために、女が叩きやすい(叩いても良心が咎めないような性悪な)存在でいた方が都合がいいのかなーと思います。殻から出れない出れないと主張してるけど、実は出たくない。出る気ない。でも「出れない俺って不幸」とは言いたい。
ま、でも、好きなんですけどね。そのねじれ具合も含めて。