はてなキーワード: アウトプットとは
多くは関わり合いのためにアウトプットする。正しいか正しくないかは二の次だ。
俺には彼女らが欺瞞的な生きものにしか見えない。
時には魅力的に見えることもあるが、彼女らが、思ってることをアウトプットした途端に反吐が出そうになる。
時に恋愛に関していえば、彼女らが考えていることはただの自己中心的妄想の押し付けでしかない。
自己中心的で独善的な自分のエゴを、「みんな」や「一般」や「愛」や「恋愛」や「トキメキ」や、そんな言葉で巧妙に隠している。
分相応とかいう言葉と同じように、彼女らの使う言葉は、個性を自分からカットしている彼女達だからこそ使う押し付けの言葉だ。
がんばっても彼女達にはそのがんばりは見えない。ただ、曖昧の中に自分を落とし込んで耳をふさいでいるだけだからだ。
バカさ加減を肯定することもなく、自分の動物的本能だけで生きる彼女達。
カッコつけてみても、そのカッコつけさえもどこからかのコピーであって、自分たちの人生なんて望むべくもない。
に、しても、やっぱりAVを見てハァハァしている自分もいるわけで。
思
え
るよ。暇で暇でしょうがない、こんなときになにもせず、ただ増田で書いてる自分が。
書きたいことがいっぱいあるのですが、飽和するので、パロディをやりたいと思います。
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わたくしここに、
理論を打ち出したいと思います。
ながらく紛糾していた文系・理系の『線引き問題』もこれでメデタク終止符が打たれることでしょう!
加えて、インプット脳・アウトプット脳の理論を持ち出すことによって、両者に見事な合が生まれ、
ラブ&ピース!!いえぇぇぇい!!!
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先週、私の後ろの席でジャンプを読みながら、
「女がさぁ、血液型聞いてくる時って、結局小馬鹿にしたいんでしょ?
「「A型?やっぱりぃ」は、暗に「細かい奴だと思ったよ!」って言ってるんだよね。
という会話していた男子諸君!(君たちが読んでいたのは銀魂だね?)君たちは大分正しいよ!!
(女になんら幻想を抱いていないその態度。褒めたいよ。)
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だけど、女子は占いとか大好きで、『タイプ分けという単純化』も(理系男子程でもないけど)好きだけど、
女子のそれは、いつだって自分の内面に向かっている探求だし、可愛いとか思っといてくれたほうが、
男として器が大きいし、男として、「内面など分からん」ぐらいのほうが、単純で素敵だと思うんだ!!←私の好みの話しですが。
世の男どもは、「占いは論理的ではない」みたいな方向でしか論破してこねーなー、って思っていた矢先だったので、
新鮮でびっくりしました!!←偏見ですが。
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というわけで、次代のテーマは、やはり「合」と「拡散」ですね!!
そうとなれば、何と何が「合」しているのか分からないという歴史の無知は嫌いなので、『線引き』もきっちりやって、
で、
(この世の中において、「男とは」とか「女とは」って書くこと自体がナンセンスと受取られるかもしれないけれど、
そういうコトだから許してくれたまえ)
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数学者で著述家なマーチン・ガードナー先生は、「間違った前提からは間違った答えしか出ない」と云いましたが、
わたくし「論理は実用のノウハウです。」な日本の論理にしたがって、「幸せと不幸せをかき混ぜる夢色のスプーン、
それが論理なの!」で行きたいと思います。
ガードナー先生のことだって大好きなので、”間違った前提”だって立てないぜ!!
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ちなみに私は、(ご覧のとおり)、
なので、書き出す『文章』が右脳的・・・。
が世の中で生きていくには、一番生き方上手ではあると思うの!!
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蛇足ですが。
文章というのは、一本の線で出来ている論理であり、それを追いかけて読んでいくことは、筋道を立てて物事を考える
訓練になるって云います!!←左脳的?
「思考速度がどんどん速くなっている」っていうネット社会の体感は、情報のインプット・アウトプットを「一本の線
として落とし込まなくてもイイ」っていう自由だと思います←右脳的?
<略>
私の今年のキーワードは『語継ぐこと』でもあるわけだし、少しは文章を書く訓練もしてみようと思う所存です。
このスレは本当に神スレで翻訳してくださる方も記事を選ぶセンスも本当に素晴らしい訳ですが。
101 :名称未設定 :sage :2008/03/12(水) 21:49:32 ID:w2bU3/gN0
本当に良い人材を雇うときは、ビジネスの一部を任せて、一緒に動かさなくてはいけない。
口を出さないわけじゃない。だけど、その人を雇う理由はすなわち
手綱を与えていこうとすることだ。自分がするよりもっと良い決定をしてほしい。
そうするには理解することだ、ビジネスの一部だけじゃなく全てを。
作った数より需要が大きかった製品、それらを見る。
開発中の全てのものを調査する。毎週やっていることだ。僕が議題を出すー
80%は先週と一緒で、それを週毎に進めていく。
Appleに多くのプロセスはない、だが、全員が同じ状態にあるように
僕らがしている数少ないことのひとつだ。
(p)http://money.cnn.com/galleries/2008/fortune/0803/gallery.jobsqna.fortune/9.html
UCD だなんだってお題だけ掲げて何かを分かった気になっているクズどもはちゃんと身の程をわきまえてほしいものですな。語るのは自分でやって「結果を出してから」にしろと。
この「月曜の長時間会議」を意味のある形で実行するのがどんなに大変か。。もちろんそんなクズどもレベルのアウトプットすら出せていない自分に自戒を込めて書いておく。
それは、オナニーや楽しみのための性行為を断ってしまう、それだけである。
僕は、随分昔から同性愛者にあこがれをもっていた。
彼らは異様に生産的である。母集合の少なさに反して、仕事や、芸術という分野にとてつもないアウトプットを残す。
ミシェル・フーコーなんかもそうだし、ケインズなんかもそうだ。
音楽や芸術の面だとさらに多岐に渡る。最近じゃRufus Wainwrightなんか凄まじい迫力のある曲を残している。
いつだって僕はそれを疑問に思ってきたし、自分もそうありたいと思いながらわずかながらの人生を生きてきた。
しかし、同時に、それは単純な憧憬、もしくは彼らの仕事に対する尊敬であって、決して自分は同性愛に傾くことはないこともわかっていた。
僕はやっぱり同性のハダカを見ても性的に興奮することはできないし、それよりも女性の裸体を愛撫しているほうがよく反応する。
ある意味で幸福でもあったろう、と思えるが、それは同時に喪失でもあった。
自分の才能のなさ、を呪うこととはすこし質の違った喪失感である。(※自分に才能があるとは到底思えないが、それとは違う)
それはたぶん、アメリカの白人が黒人の文化・芸術に抱く憧憬と喪失感によく似たものである。
エミネムやバーバーショップのトロイ・ギャリティのように、同質化することを望むけれど、自分自身を完璧に同質化させることはできない。
また、詳解はしないけども、今のコンシューマゲームに関る人々が、昔のコンソールのゲームをこよなく愛する感情によく似ていると思う。
そうして、ここまで考えたときに、ふと気づくことがあった。
数ヶ月前のことだ。
人間は、どんな状況においても、「子孫を残す」ことを求める傾向があると思う。たぶん、それは生物だからだろう。
人間が歴史上絶えて久しかったことなんてなかったわけだし、広島や長崎にだって木が生えて人も生殖したのだ。文化すらも残ってくれた。
生物だからこそ、危機に陥ったときは性交における子宮定着率が高まるのだろうし、スライムモルドだって特異な形態をとってのりきろうとするわけだ。
そして、同性愛者は生物学的には常に危機に瀕している。あたりまえだが。
だからこそ、彼らは自分の遺伝子を生物学的とは違うベクトルで残してゆく方法を無意識的に模索しているのではないか。
それこそ、ロレンスがいった
ぼくはどうして偉大な人物とされるほとんどすべての人々が、それを認めているか否かに関わらず、同性愛に向かう傾向にあるのか、そしてその結果女性の身体よりも男性の身体をいっそう愛するようになるのか---確かギリシア人がそうだったと思うのですが---、その理由を知りたいのです
の回答なのではないか。
実際そう考えてみると、合点のいくことは結構多い。
偉人ばっかだして恐縮なのだが、宗教的であれ、個人的にであれ、性活動を制限していた偉人というのは多いのである。
カントだって童貞だし、ゲーデルやヒルベルトだってそっちの執着はあまりなかったらしい。
そういえば分裂感違い君もそんなかんじのエントリ書いてた記憶がある。オナニーやめたとかなんか。※切込隊長もそうだったね
また、生物学的な生殖行為への渇望といったものから得られる感情もよく似ているといえば、性行為に貪欲すぎた人とかも挙げればキリがないほどにいる。
ここらへんだったら、専門外だけど歴史上の日本人にもとてもとてもいそうだ。※たぶん宗教的なもんが薄いから制限してた人が少ないんだろう
現代という時代は、恐ろしい時代である。
それほど才能のない僕らが、才能あるマッチョたちと対等に闘って生きていかなければならない。
そうでなければ、グローバリゼーションの中の雁行型経済発展に従って、
インドや第三国の才能ある外国人労働者におまんまを持っていかれてホームレスになってしまいかねない世界である。
僕は、この時代だからこそ、提言したいと思う。
我々は、生まれつきの才能がない僕らは、持てる思考回路をせめて有意義なものに使わねばならぬのでないか。
それを、オナニーや、楽しみのためのセックスや、男女関係の機微に帰着させるのはあまりにも軽率ではないか。
そこに脳がハマりこんでしまえば、たぶんその生殖行為こそが生物的にはあるべき姿だから、思考はそこから抜け出られない。
悪いわけではないんだろうけど、才能がない僕のような人間には、すこし損ではないか。マッチョになってからでもセックスはできる。
僕の提言はこうである。
「そして頭のキャパシティから性行為と男女関係を抜け」
たぶん、これだけで、脳は今与えられている生殖本能に危機があり、と感じるはずである。
そして、脳はそのとき脳内にある違う意味での生殖や、生殖本能につながる能力を伸ばそうとするのではないだろうか。
生まれついての同性愛者ほどの生産性は得られないかもしれないが、少なくとも、脳を使う仕事に従事している人には、少なくとも効果はあるのではないだろうか。
これは余談だが、肉体を酷使する競技に従事している人は、性行為は試合前日には絶対にしないらしい。
友人に才能ある競輪の選手がいるのだが、彼は「試合前にヤったらぜったいあかん。負ける」と言っていた。
試合前にヤったらどうなったか?そのとき、あまりの興奮に生でやったらしく、そのときの一回で子供が授かったのである。
たぶん、これも、ケースひとつだけど、人間の活動は生殖と深く関っている証明になるのではないだろうか。
まるで、イアン・マッケイみたいなハードコアの意見になっちまった。
でも、彼らだって、ありえないくらいプロダクティブだよね。
「やる夫がIT土方になったようです」を見てガクブルしている新人さんのために。
刺身にたんぽぽを載せる仕事と違って「量」ではなく「質」が求められるんだよ。
ひとつの要望に適った美味しいレシピにたどり着く為に、チームの皆が腕を振るって何度かの試行錯誤を経てひとつの結果にたどり着く。それはソフトウェア開発に似ている。
良いレシピを得るためには何が決め手だと思う?
それは投入した時間の「量」ではなく、その時間の「質」だ。専門性や経験の深さといった、知識や知恵が如何に効果的に働いたかという「質」が決め手となる。
素人が集まって1024人月の間 材料をこねくり回すより、知識と経験のあるチームが作って試して改良してのステップを何回か踏んだ方がより美味しいレシピに辿り着けそうじゃない?
だから、エンジニアは質を磨く事が大事なんだよ。
よく「体力勝負」やそれを揶揄して「土方」なんて言葉が舞っているけど、それが量を指す言葉なら違和感を感じて違うなぁと思えるのが普通のエンジニアだと思うよ。
もうひとつ量と質について。
ソフトウェア開発には「work 40 hours per week」というプラクティスがある。
人間の集中持続時間には限界があるし、質の良い知識労働を提供するには仕事以外の時間 - 大切な人と過ごしたり、感性に刺激を与えたり、興味の赴くままに技術で遊ぶ時間 - が必要だ。
だから長期的に見て週 40 時間を仕事に投入するのがちょうど効率がよいと言われている。
どう?納得出来そうじゃない?
勿論、残業もあるし40時間以上を求められる環境に放り込まれるかも知れない。
でも肝心なのは、自分がどうするかだと思うんだ。
「仕事をこなす」事を考えるに当たって、量でなく質のアプローチを取ろう。
例えば、8時間の密度を高める事を考える。
フレックスで働ける職場を選ぼう。自分でハンドルを握れる環境を選ぶ。そして不平を言い合う仲間に参加するのを止める。
生活のサイクルを整え、仕事中のインタラプトを減らし、如何に集中力を高めて8時間を過ごすか、それに心を砕こう。
努力目標のようなアバウトなものでなく、測定出来る問いかけを作ろう。
「今日は集中出来たか?」
を自分に投げかけてみよう。
「何故、そう言えるか?」
を考え、測定可能な指標を持とう。例えばアウトプットを数えたり、繰り返し使う幾つかの質問を作ったり。
毎日、そして1週間や1ヶ月ごとに振り返り、自分の「8時間の密度」を確認し改善していこう。
人事考課を四半期に一度くらい行うような会社なら振り返りのちょうど良いタイミングにもなるね。
個人で上手くいったのなら仲間に広げ、会社に広げ、周囲に影響を与える事を考えてみよう。
そうやって、プロフェッショナルを目指そう。
そう、「プロフェッショナル」だ。
今の世の中、プログラムなんて誰でも組めるんだよ。日曜日に趣味でコードを書いている人が普段仕事としてそれをこなす人より優秀だなんて今は普通にある話だ。
やる夫の話でも何の知識も無い人たちが放り込まれて動いてたよね。
でもそれを見てどう思った?
自分がお客さんだとして、この人たちに安心して仕事を任そうと思う?
尊敬出来る?
あの話を見てそんな気持ちが湧いてこないのは、それは彼らがプロではないからだと僕は思っている。
プロって何だろう?
先に書いたように、プログラミングは特別なスキルじゃないし、特別な道具もいらない。
そういったスキルの有無や道具が専門性を隔てる時代は色んな場所でとうに終わっている。
例えば、料理は昔からそうだったよね。誰でも作れる。今はレシピも道具も材料も普通に手に入るようになり、ますます「料理」は普通になった。
でも、プロは消えてないよね。それどころか、一般層が料理へのスキルや知識を蓄えるにつれ、ますますプロは存在感を増したように思える。
優れた一皿に出会ったとき、それで幸せな時間を過ごせたとき、また来たい、またこの時間を持ちたいと自然と思わない?それを提供してくれた人たちへの畏敬の念を感じない?
それがプロフェッショナルだと思うんだ。
もう少しソフトウェア業界に近い話をしよう。デザイン業界がそうだ。
紙媒体のデザインは DTP によって、またデザイン分野自体も web デザインが入ったり、コンピュータの普及によって道具の壁が無くなり、スキルの壁が下がり(ロットリングって何?)誰もがデザインに携われるプロアマ不可分の世界に晒された。
でも彼らはその中でデザインの本質を問い、プロフェッショナル性を追求し、デザイナがデザイナである故の理由を手に入れて質によって生き延びてきた。
生き延びるというと失礼だ。優れたデザイナの仕事は一目でそれと分かるくらい強烈に違うし、大きな価値をもたらしている。彼らは競争に晒されてより大きく進化したのだと思う。
スキルや道具が最早壁でなくなり誰もがこの業界に流れ込んでくる今だからこそ、僕らはプロフェッショナル性について考えなければならない。
そうする事で自分に関わる人たち - 仲間やお客さん、お客さんの向こうにある社会全体 - により大きな価値をもたらす事が出来る。
ちょうど魂のこもった一皿に出会ったときのように、鳥肌が立つくらいのデザインに触れたときのように、大きな価値ある仕事を生む事が出来るようになる。
プロフェッショナルになろう。
プロフェッショナルとはどういう事か、考え、学び、改善を重ね、楽しもう。
環境に不平を言うのではなく、自分の行動を変えよう(そのために環境選択の自由を行使したっていいんだよ)。
「エンジニアでよかった!」とか「コードで世界を変える!」とか、ちょっと探せば気概と希望に満ちた言葉も先輩達も直ぐに見つかるよ。
勉強会に顔を出せばそんな人たちと直に出会えるし、いっぱい刺激を貰えるよ。
オープンソースコミュニティや PHP、Perl、Python、Ruby といった Lightweight 言語のコミュニティがお勧めだよ。まずは weblog を辿ってみよう。楽しそうと思ったら試してみよう。
今はどこにいても「学び続ける」ことが問われて行く時代だ。
コードを書く楽しさだけでなく、学び続けたり考えるために必要なスキルが最も身に付く職業だ。
この春からエンジニアになるあなたはとても素敵なポジションにいると思う。
エンジニア職でプロになろうと頑張る中で手に入るものはとても多いよ。凄い事じゃない?
今の世の中は楽しんだもの勝ち。
「楽する」の楽しいではなく、夢中にさせちゃう「楽しさ」ね。
だから悲観的な話や自嘲の声でお茶を濁すのは適当なところで止めて、別の方向を追ってみようよ。
楽しさが見えてくるハズだよ。
どこかで会う機会があれば僕もそれを伝えたいと思うし、何より日々の行動の中で示して行きたいと思っている。
あなたの会社に幸せそうに仕事をして未来を語り「コード楽しいぜぃ」と語るお酒好きの先輩がいればそれは僕かも知れない。
楽しくするのもしないのも、すべて自分次第。せっかくなら、楽しい方を選んでみない?そっちに耳を傾け、そっちを一緒に考えようよ。
即時に行うことが可能になれば、誰かが知識を得たら人類の全体の知識となる。
同期が取れていれば問題点は明確。まだわかっていない部分も明確。
誰かが調査に着手している部分はやらなければ良いし、自分以外の人も知識を持っているから
...
...
...
これであれば多少時間はかかるが知識をある程度共有できた。
"多少"?"ある程度"?
小さいグループでそんなこと言ってるのに大きい集団になったらこんなに上手くはいかないはず。
それに前述の通り言語とかの問題があるでしょ。
小さい集団での作業を自動的に...
検索。ソーシャルブックマーク...
書いてて飽きたので増田に投下。あんま大層なこと言えるだけ知識がなさそうだったのでもう書かん。
とりゃ( ・Д・)ノ
誰か識者な人が素晴らしくまとめてくれると良いなっ。
何が言いたいかっちゅーとみんなどんどん中途半端な状態で日記書いちゃおうぜ、を結論に持ってきたかった。
あとデベロッパ諸氏もどんどんコード書いちゃおうぜとか(自分 CMS、フレームワーク、言語とか書いてる場合じゃないぜ、と)。
┌─────┐ ┌→ twitter →┐ ↓ │ │ ├→─ ブログ、Wiki →┬┘ ├→ SBM →┘ │ │ │ └──────何かを思う────────┘
みたいなサイクルを活発にすればするほど良くなる、とか。
下記を読んでて思いついた。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0803/14/news046.html
ビジネス的なものがほど良く知識の共有化を抑制してるし、促進もしてるし。
つまり今がベストな状態?ほんとか?
推敲なんてシラネーヨ( ´ー`)
周りにモテる男が多い俺がやってきましたよ
とりあえず、モテ男が周囲にウジャウジャいるので、近くから見ている者として分析した3点を。
(男性向けです)
これ意外とできることじゃない。できてたらモテになってるか。
距離を詰める能力が高い。
機会さえあれば女の子と会話をしようとする。
これね、文章にすると馬鹿っぽく感じるかもしれないけど、実際にやっていると悪いように感じる人は少ないよ。マジで。
でも、やろうと思っても、なかなかできねえけどな。
これ意外とできることじゃない。できてたらモテになってる。
「今度ゴハンいこーよー★」みたいなことがサラッと言える。
重たくなく言うのがムズいけど、モテの人はサラっと言うね。
これ意外とできることじゃ(ry
先に書いた2つは、これに集約できるから、実はこれだけでいい。
「女の子すきー★」って健康的にアウトプットできるやつは、顔がアレでもモテる。
本当に顔かんけーなく、すげーモテるよ。
これ本当。中途半端に気を使うやつとか、ムッツリはモテない。って俺のことか。
そういうことできるモテ男って、男友達も多いんだよねw
正確もサッパリしてるから、ふつうにイイやつだし。
モテ男と話すのを躊躇しちゃう女の子とだけは相性良くないかな。
女の子の方が(本当は話したくても)避けちゃうからなんだけど。
とはいえ、モテ男の方が慣れてるから、モテ男が話したいって思えば上手くやるし、まあいいやって思えば避けられたまま放置するみたい。
だから恩返で、オイラがネットに公開している物は自由に使ってもらっても構わないと思ってる
ギブアンドテイクって感じかな
web上のものは皆のもの
そう思ってる人ってweb上では結構おおいんだよね
オイラはボランティアで草むしりとか空き缶広いだとかそんなことはしたこと無いのね
金にもならないし、自分の株を上げるためでもないのに
これは俺の物って主張しないで、皆の物だよって
増田たちのように匿名でwebに情報をアウトプットしてくれる人が沢山いるんだよね
tumblrってのはそのwebの物は皆の物って考えを最大限に利用したツールで
共有財産のwebの中から"これはいいね"を皆で探して質の高い情報を皆で共有する
それがtumblrなんだ
皆の物を自分の物にするのはいけないよね
朝、他人が焼いた目玉焼きを、勝手に食べちゃうなんてひどいことはしてない
昨日、目玉焼を焼いてくれたから、今日はオイラが焼いてあげるよって
webとか増田とかtumblrってのはそういいう互助の心で出来てるんだよね
tumblrが問題になっているのは
「自分の物は皆の物」って考えの人はtumblrには賛成だけど
「自分の物は自分の物」って考えの人はtumblrは嫌いだってわけ
どちらの考え方が正しいとか正しくないとかは無くて
「自分の物は皆の物」って考えの人と
まー、オレは男だから本音の本音はわからんけど、例えば僕の周りにも出産のリスクを抱えたまま妊婦さんになってる女性は奥さんの友人とかでいーっぱいいるわけですよ。
東京郊外だと35の妊婦なんて、それこそうじゃうじゃいますよ。
それは別に2人目とか3人目とかじゃなくて、普通に1人目として。
彼女たちは、まあ、普通にできたってパターンも多いけど、一方で望んでも望んでも子供ができなくて、それこそ20代終わりくらいから不妊治療とか受け続けて、7年とか8年とか待ってようやとできたってパターンが少なくないわけです。
35過ぎちゃっていわゆるマルコウってやつだし、ダウンとかの可能性だって高いのは重々承知しているけど、それでも自分たちが、一生をかけても大切にしたい人を作りたいと思って、待ち望んで妊娠してるわけです、彼女たちは。
そんな彼女たちに「35すぎたら羊水腐る」ってせりふがどれだけむごいかってこと。
そのむごさはきっと、30過ぎの非モテに対して「30までに彼女できないやつは、ち○こ腐ってるから」なんていわれるのより、はるかに大きいのだろう。
それくらい、女性の子供を生むってことに対する本能の部分は痛切なんだと思う。
痛いニュースで掲載されたRAG FAIRのおっくんのブログ内の2ch批判により、ものすごい数のトラックバックをされていた。
その中で、2chを匿名じゃないと何も言えない小さい人の集まりと批判しているブログがあった。
私は情報収集程度であるが2chを利用し、マスコミが隠している事も一般人のホンネも中には誹謗中傷も含まれているがとても重要な場所だと思っている。
なのでその批判したブログのコメント欄に、ウェブによって聞くことの出来なかった権力を持たない一般人の意見を共有できることを可能にしたと、2chを支持する旨のコメントを残した。
しかし、次の日の朝コメントは消され、「ブログとは関係の無い意味不明なコメントがあり今後は承認制にすることにしました」と書かれていた。
確かに長文であったし、馴れ合いコメントが並ぶ中で堅苦しいものだったのかもしれない。
だが、ブログをトラックバックすることも、公開することも他人と情報をシェアして意見を書き込む事がブログの楽しみと思っているので、真剣に書いたコメントを意味不明とみなして被害者面するのがどうも気分が悪い。
ブログの管理者は女性の様で、それにかわいそうだと励ます男のコメントが並ぶ。
2chの批判をした後に、「自分の発言に責任をもて」と書いた投稿者が無責任ではないか。
私は2chを一括りに気持ちの悪い集団と見なすこの人に、2chだからこそ可能になったことを伝えたかったのだ。
権力によって無視をされてきた弱小者に武器を与えて、政治はともかく企業に十分の圧力を与える事ができたこと。
仮に2chを実名制にしてみよう。それはウェブを殺したも同然である。
実名にすれば、いいたい事は現実社会と同じで言えず、現実社会がモニター画面にうつっているだけでまったく魅力がない。
全レスと謳いつついくつか除外してます。
はてなブックマーク - MORI LOG ACADEMY: 本当に考えたの?
2007年12月19日 pho life 「思いどおりに書けなかった小説を見せて下さい。何作くらいあるんですか?」口先だけで、何もできてないよ。今日何をするか。今何をするか。
森博嗣は「考えましたが、ちょっと良い案を思いつかなくて」「どうしても、思いどおりに小説が書けません。どうしたら、良いでしょうか?」などと言ってないし、考えた成果は小説として世間にアップロードされています。
「口先だけで何もできてないよ」が独白なら失礼。
反語じゃなくてダメ押しかと思われます。
2007年12月19日 Erlkonig 森博嗣, 自戒 ほぼ好意的なコメントばかりで意外。「いくら必死で考えようとしても同じところをぐるぐる回るだけで何の新しい具体案も出てこない者のことも考えろ!」ってあの辺りの人が言いそう。
そこまで考えてないんでしょう。
中間どころか初手すら実行していないのに言い訳しようとするところが取り沙汰されているのです。言い訳を剥いでみれば案の定。
誤読は自由ですが、ダジャレを乱発してもセンスは磨かれないでしょう。
2007年12月19日 kanimaster hoge 「まとまらないものを見せて下さい」はあまりにも無粋。考えるのと出力するのは別の行為でしょう。(文章としては面白いけど。
もちろん別の行為です。
「まとまらないものを〜」は文章化の途上で簡略になっただけで、実際は同じ趣旨で違う表現だったと思われます。何にしろ些事かと。
2007年12月19日 shinpei0213 途中のものを見せると、すごい勢いで叩いてくる上司に悩まされています。ダメなのはわかってる。だから相談してるんじゃん!一気にモチベが下がります。
途中のものを見せなければいいんじゃないでしょうか。見せる相手を選ぶ知恵は欲しいものです。
ついでに指摘しておくと、あなたは反例を示したつもりなのかもしれませんが、それはただの愚痴です。
軽率なあなたとは相性が良さそうです。
2007年12月19日 Ayas 考え方 一理ある。この場合、非現実的な案や、「何か関係有るかな?」と思ったキーワードの羅列を示す。メモ魔万歳。
2007年12月19日 Quadrifogrio 読み物, ビジネス 評価軸の問題じゃないのかな。過程を重視するか結果を重視するか、見せる状況と相手によって変わる
その文脈でいえば過程も結果の一部です。
2007年12月19日 yuu013 たぶん、案はでるけど、ダメだって思ったら、そこで消しちゃうのがだめなんかな。とりあえず、ダメダメを並べてみて、そっからダメじゃないのを考えるのが考えるってことだということかな?
早すぎる見切りは何も産みませんが、ゴミを抱え込んでも身動きが取れなくなります。
あるいはダメだと思う理由を分析するのも一興かと。
ダメなものを見せてみないとわからないと思います。
相手や状況によりますから、一意に定まる事項ではありません。
そろそろ何か得られましたか?
言い訳しているという自覚の欠如の話かと。
2007年12月19日 shigeeru life, think 200も300も考えていられる暇人がうらやましい。最適化しないの?
3ヶ月で300、30日で100、1日で3ですからそんなもんじゃないでしょうか。タイトルであることを考えると、数は少ないとすら思います。
またプログラミングの格言でいうように、早すぎる最適化は悪だとする一派も存在します。
2007年12月19日 hemo-hemoge つまらんものでも最後まで書き上げて数をこなしていけば何か見えてくる。失敗作を晒すのは心が折れるがプライド捨てれば無問題。
数さえ稼げばいいというようなものではないという認識が重要です。何のフィードバックない失敗作は真の意味で失敗です。
2007年12月19日 agx 考察, 言葉, lifehacks, idea アウトプットする途中でだめだと思って嫌になってしまうことがよくある、今は嫌でもとにかく形にしてから修正するように心がけてる
嫌だと感じた理由が直感か気分かを解明できれば克服できそうに思われます。がんばってください。
考えてないからではないでしょうか。思考と、脳への単純な負荷は別物です。
社交的にはそれが最適解だと思われます。
妄想というのも深いものからまどろみのようなものまで様々ですが、自由思考の重要性は理解できます。
2007年12月19日 namikawamisaki 「書いてから悩めば良いではないか。」「採用されなかった案が、その人の将来の持ち駒になるからだ。」ああ、死ぬほど書いたり創作活動やってもいいんだ。きっと。
そもそも良い悪いの決定は本人以外になしえません。
2007年12月19日 natu3kan ネタ 読み手に喜んで小説を読ませる手腕なんて、まさに??したつもりに相手をさせることだったりするじゃないですか。
興味深い指摘です。それを肴に少し考えてみます。
形にすればいいわけではありませんが、形にしようとする意志は重要です。中抜きはいけません。
後で穴埋めする方法を考えてみる、全部捨ててやりなおす、見てみぬ振りをしてやりすごすなどでしょうか。
なぜプロトタイピングで漏れたのか分析し次回に生かすのも重要です。
2007年12月19日 usj12262 philosophy 本当に頑張ったの?本当に時間がないの?本当に無理なの?/どんなにがんばって力を加えても、成果がなければ仕事量は0
自問であれば良いのですが、他人に向けられた言葉ならやや辛辣さを感じます。
力が加わったのなら観測できないだけで0.0000001くらいの仕事量はあるようにも思えます。
2007年12月19日 willnet なるほど 考えるとは、具体例をいくつも出すということ。アウトプットが何もない「考えた」は「考えようとした」にすぎない
違います。本当に考えたのなら蓄積があるはずですから、求められればそれを見せればいいだけのことです。
対偶を取ると「具体例がなければ何も考えていない」になります。ワイルズは何年も考えた末にフェルマーの最終定理を証明しましたが、その間は常にアウトプットしていたのではなく常にインプットしていたのです。証明の執筆というアウトプットは思考の文書化に過ぎません。
2007年12月19日 shibusashi 考え方, 言葉 『多くの人が言う「考えた」というのは、「考えようとした」のことらしい。』森博嗣節全開です。 とにかく、考えがまとまらないなりにどんどん思考の断片を書いていくのは結構有効。
記録的性質の強いノートではなく、テンポラリな作業領域としてのメモという意味でなら同意します。散らかった頭では考えがまとまりません。
2007年12月19日 shunsuk life, work 「多くの人が言う「考えた」というのは、「考えようとした」のことらしい。同様に「悩んだ」も「悩もうとした」である。」 読もうとした。
相似性を期するなら「後で読む」→「後で読もうとしている」でしょうか。
2007年12月19日 sirnight 人生, 生活, 言葉, 創作 「考えましたが??」はやるのを忘れてしまった時の良いわけだろ常考。
まったくです。「本当に考えたかどうか外部からはわからないだろう」という前提が通用するはずありません。
エピグラムもそうですね。
それから何を頑張りましたか?
2007年12月19日 tkugimi life, idea 「考えてもいい案が思いつかなかった」という人に考えたものを見せてといっても見せてもらえない。ほんの一瞬考えようとした、というだけで「考えた」と言うな。何十時間も考えて、案を出すことが大事
「何十時間」という単位が適切かはわかりませんが、極端な短時間があてにならないのは同意します。
2007年12月19日 ext3 「多くの人が言う「考えた」というのは、「考えようとした」のこと」/それが出来るか出来ないかが重要なんだよなぁ/実際書こうとしても何も思いつかない。その内めんどくさくなって書こうとするのをやめる
それくらい何かを考えるのは難しいということだと思います。興味のないことを考えるのは苦痛です。
2007年12月20日 hirayama46 思考しても言語化するのってすごく難しいと思うのだけど……。いいわけとしての「考えた」が嫌いなのはわかるけど。それでも「考え」や「悩み」を否定されてしまうのは、辛い。/うう、なんだか的外れな気が……。
思考そのものと思考を言語や図に符号化するのは別だと思いますが、結論さえ持っていれば案外たやすいのも事実です。
結論途上のものを符号化する能力は思考能力とは別個と捉えないとたしかに問題ですね。
2007年12月20日 marser 創造 これもいい文章。悩むのは、脳味噌絞りきってから。どんどこどんどこアウトプットを繋げて行くべきなんだな。死ぬまで。
夢野久作にとってドグラマグラ以外の作品はすべてドグラマグラへ至るまでの習作だったという話をどこかで読みましたが、習作がすべてガラクタだったわけではありません。
2007年12月20日 Okky 考察, lifehacks アウトプットがなければすべてただの言い訳と判断されても仕方がないよ、という話
飛躍が過ぎます。
2007年12月20日 proust etc 問題の性質によって、案というものがどんどん出てくるものもそうでないものもある気がする
その場合は深化より選別に思考リソースを割くべきです。案がたくさんあっても採用できるのは1つか2つでしょうから。
2007年12月20日 schtark idea >殻に閉じこもって内側にイメージをずーっと溜めている、それが普通の人/http://gitanez.seesaa.net/article/73206541.html
コレクターといわれる人種は、本人以外にとってはただのゴミでも愛着を持って保管します。さて、イメージもコレクションの対象になりうるのでしょうか?
2007年12月20日 gitanez idea, lifehacks ブクマのコメントのやる気レスな感じはいったい何? グダグダ言ってるヒマあったらやったほうが早いってこのエントリは言ってるだけの気がするんですけど。アイデアなんてはじめは手クセです。手を動かせばいいだけ
はてなブックマークにやる気が横溢してたら人は集まらなかったでしょう。
やったほうが早いのは真ですが、エネルギー消費量は比較になりません。
2007年12月20日 platrer think ダメな例を幾つか思いついてたとしても、相談相手(もしくはリーダー)の性格によっては見せたくないのも事実。「まとまらないものを見せて下さい」は相手と自分の間にある程度の信頼関係がないと無理かも。
そもそもが「良い案が思いつかなくて」に対する揚げ足取りなのであまり深く考えるとドツボにはまります。
2007年12月20日 temtan 生活 俺にはレベルの低い人を理解しない文章に見える。本当に本人が考えたかは本人にしか判らない。「考えた」かどうかあくまで主観でしかない。その人の「考えた」がアウトプットで見たらレベルが低いだけ。バカの壁。
本当に本人が考えたかは本人にしかわからないという前提を用いて「考えたんですけど」という言い訳が誕生&定着。本当に考えたのかどうか確認するための問いとその答えの観察。ただの社交的なパワーゲームに思える。
2007年12月20日 t-murachi !はらぺこ, 創作, 開発, 信念, 仕事, 教育 これ、最近のオープンソース界隈で言われていることにも通じるね。中途半端でもいいからまず公開しよう。話はそれから。つか、自身に響かないアイデアはすぐ忘れちゃうのよね。考えるときにはメモを取るといいと思う
コードが一番「何を考えたか」「何をやろうとしてるのか」がわかる符号化方式だからかと思います。コードに比べたら自然言語なんてノイズが酷すぎる。
2007年12月20日 gabari 人生 考えさせられる,と書こうとしてやめた.確かに自分もそうかも.考える段階に入る前に考えようとしていることに飽きてしまうことが多い.>「「考えた」というのは、「考えようとした」のことらしい。」
実践できているのは見るのはいつでも感動的です。これからもがんばってください。
誰がかはわかりかねますが、あなたが典型的な人であることは窺い知れました。
2007年12月20日 penkun ブログ, 教育 「考えようとした」という行為はすでにその人の中で色々な思考が働いているはず・・。それは「考えた」の一つだと思う・・。迷ってはいるが・・。
せいぜい1分2分の結果じゃ大したことないという証左にも思えます。
2007年12月20日 bolivia 読んで落ち込む気持ちも解るが、ここはポジティブに考えよう。「考えました」と言われたときにこう責めれば良いと学んだし、自分が「考えました」という立場のときにどうごまかせば良いかも学んだじゃないか。
その通りだと思いますが本筋とはあまり関係ありませんね。転んでもただでは起きないというか。
反省しようとしたのに気づいたんですね。気づくだけじゃまだ足りません。
ボロが出ないようにするにはどうすればいいか考えてみるのも面白いかもしれません。
特に考えなくとも脳は様々な機能を司っていますよ。
具体的に自分の何が悪かったと思って謝罪しましたか?
そういうことです。
2007年12月20日 s-feng work, lifehack, column, education 汚くてもまとまってなくても、考えてアウトプットを出してから、どこがまとまっていなかったのかを検証するということかな。>> 多くの人が言う「考えた」というのは、「考えようとした」のことらし
アウトプットを出す必要はありませんが、出すことによってまとまることもあります。
2007年12月20日 guri_2 考察 たぶん、瞬間瞬間でいろいろ考えているんだろうけど、すぐに忘れて「考えたような気」だけが残るんだと思う。そういうのも掘り起こすクセをつけたい。
瞬間的な思考は持続的な思考とは別物です。前者は主に勘とか思いつきとか言われます。
2007年12月20日 Borom *lifehack, 文章論, 考え方 耳が痛すぎる指摘。駄文も書かなければ駄文にすらなり得ない。書く癖をつけなきゃ。
「駄文も書かなければ駄文にすらなり得ない」というのはなかなか名言だと思います。同時に、書けば駄文だが秘めていれば名文という側面もあります。
2007年12月20日 obacan フレーズ いいアイデアが浮かばないと言われたら「じゃあいままで浮かんだ悪いアイデアを言って」。われ巧遅より拙速を重んず。最初の段階、まずこれからだ。指導するとき使おう。
拙速より巧遅を採るべき場面もあると思います。小説のタイトルなんかは拙速で決めると後悔の種になりそうです。
2007年12月20日 stealthinu lifehack, 仕事 『沢山の具体案を考えることは、無駄なようでけっして無駄ではない。採用されなかった案が、その人の将来の持ち駒になるからだ。』考えた、とは具体案を複数考えて、やっとそう言える、と。
多角的に対象を見るということかと思います。具体化する必要がなければ抽象のまま扱えばいいだけです。
2007年12月20日 asiamoth 森博嗣, writing, thinking いつものように騙されて(遊ばれて)いる人が多いけど、森博嗣さんがタイトルを考える時間、長くても数日くらいだよ(『ミステリィ工作室』を読もう)。大体、一冊書くのに数ヶ月かけてないし。
あ、たしかにそうだ。騙されてた。考えるべきことを発見するのも大切だと学びました。
2007年12月20日 ihmaiwtd あとで読む, (・∀・)イイ!! 考えることが好きだったはずなんだけど、最近は反射的に逃げている自分がいる。
考えるには体力が要りますから、加齢とともに思考能力も衰えるのでしょうか。その分を蓄積した経験や知見でサポートしているのだとしたら寂しいものです。
想像力がなくなるとかいうじゃん。
活字を読むことで想像力が養われるとか。
昔からよく言われることだけど、でもそれって本当なのか?
確かに漫画「だけ」じゃだめかもしれない。でも「活字も漫画も読む」奴の方が「活字だけ読む」奴よりは寧ろ想像力とかはつくんじゃないだろうかとふと思った。
想像力っていってもさ。発想とかもそうだけど、そういうのってゼロからふっとわいてくるもんじゃないんだよね。
結局は過去見たもの知ったものの、組み合わせで出てくるんだよ。
想像力だって、本当に何も知らないままだったら何も想像できない。ある程度知識があるから想像できるわけ。ドラゴンとかそういう空想上の生き物もさ。実際の動物を色々見たから生まれてきたものなわけで。無からぽっと生まれてくるもんじゃないわけで。
そう言う意味では、別に漫画は想像力育成の妨げにはならないと思うわけ。
寧ろ現実にはない様々な空想上の産物なんかをインプットできるのは想像力にはプラスに働くのではないかと思うわけ。
でもたしかに、そうやってインプットするだけではいけない気はする。自分で想像をする、というアウトプットも確かに必要だと思う。そういう意味では活字も必要だろうけど(別に活字じゃなくても想像好きな奴ならそれでいいんだろうが)、活字だけだとそれはそれで、寧ろ想像力は狭まってしまうのではないか。結局自分の見聞きしたものだけを手がかりに想像する事になってくる。別に勿論インプットは漫画以外のものでもいいのだから、他でそういうインプットをしてますとかならそれでいいんだけど、でもほとんどの人は日々の生活は変わらないし、体験することも変わらないし、ほとんどルーチンワークだし、意識的に注意してるという人もあまりいなさそうだし、活字だけじゃ寧ろ、例えば豪華な部屋を想像するならいつも同じような豪華な部屋を想像し続けてしまったり、そういう事が起きがちなんじゃないかと思うわけ。
まあそこは今想いついた弱い論だし間違ってそうだからいいんだけど、とにかくいいたいのは、別に漫画(あるいはアニメ、あるいは映画)は想像力を養う弊害になるわけじゃないと思うんだよね。寧ろプラスにすらなると思うんだよ。
あと活字好きな奴が想像力豊富かっていうとさ。ぶっちゃけそんなこともないんだよね別に。まあこれは経験的な単なる感覚だけど。活字と想像力っていつからこんなに関連性豊富に語られ出したんだろうな。活字を読む意味ってそんな、想像力鍛えるためとかそんなチンケなところにあるものじゃなくて、もっと大きいところにあると思うんだけどね。個人的には。
確かに、考える力を鍛えることは必要。
でも大前提として、その考える力を下支えするだけの知識が必要であることを忘れている気がする。
記憶力って大事だと思うんだ。
システマチックに言うと、
(2)次にプロセス(処理)があって
(3)そしてアウトプット(出力)があって
ということになるわけで、そのインプットをすっ飛ばしてプロセスを追い求めても意味ないじゃん、と考えるわけ。
あまつさえ、短絡的にアウトカムだけを求めるのはおかしな話だよね。
しかし、基礎的な情報の蓄積がない子供にプロセスを求めても、それは無理という話。
本を読ませて、計算させて、漢字を書き取らせて、音読させて。
最初は学ぶことを強いて、強制して、詰め込んで。(=勉強)
いろんな情報を収集して、そしてそこから何を導き出すか。
それこそが「学問」じゃないのかな、と思うのです。
学問のためには必ず勉強(情報収集)という仮定を経ないと成立しないんじゃないか、と。
詰め込みといわれようがなんだろうが、その基礎的な内容、インプットの質と量が逆に様々なプロセスを呼び起こす場合もあるわけ。
そこを、プロセスありきのインプットで語ってしまうからおかしなことになる。
確かに、考える力は大事。
でも、そういう机上の空論を繰り返すエライ人たちは忘れてると思うの。
沢山の知識、前提、バックグラウンド、歴史、、、そういった背景が彼らにあって、それが今に息づいているということを。
九九や歴史や漢字や自然現象や、そういった雑多な知識から学んだ様々なことがあっての今の思考体系だということを。
『y=(??b±√b^2-4ac)/2a』
という因数分解の公式が直接役に立つことはほとんどないけど、そこに至る過程で思考方法を学び、それが肥やしとなって生きてくる。
「生かせるようになったときに生きてくるような情報を与えておく」
それが幼少教育なんじゃないかな。
だから、強制し過ぎない範囲で詰め込んであげるのは、必要なんじゃないか、って思う。
まだ上手く考えがまとまってないけど。
今の僕はそう思っている。
・・・そう思いません?
http://ns.jarnal.jp/net/net_005.html
平たく要約すると、「恋愛や癒し」をテーマに「写真や詩」を日記調に綴ることで女たちの心を捉えてしまう。「恋愛や癒し」をテーマにした「写真や詩」は女たちの警戒心を薄らがせるので、Hに持ち込める。
なんか、ふと見たら、MIXIの広告にも「未経験でもなれるクリエイター」なんて広告が掲載されているではないか。
女って本当にアートとかクリエイターに弱いんだな。プロのカメラマンの前では恥じらいもなく裸になるし、ミュージシャンだったら股を開くんだろ?
それが自分を磨いてくれる、別世界に連れて行ってくれるって思うのは、まあ、シンデレラコンプレックスは今に始まった話ではない。
俺がここ1年以内に読んだもっともくだらない小説にこんなのがある。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062758431
天才ゲームクリエイターは、絵に描いたようなクールなクリエイター像で、超金持ちで金に執着がない。芸術のために必要だと口説いて美少女を好き放題着せ替え&露出プレー。他にも恋人がいるけど、どっちも感度良すぎでイカセまくり。才能だけで女や人の無条件な尊敬と金を集めている。
すげー単純にマーケティングしまくったストーリーだ。コアな部分はゴルゴ13と同じ。組織に属さず、個人の才能だけで金も女も自由自在。
なんだかんだ言って、企業はまだまだ男社会だし、組織では個は見え難い。女にとって才能一つで自由自在に生きていく存在というのは憧れであることには違いない。
そこで「アート」だ、アートは明確な評価基準がないというのも彼女らの気持ちにマッチするんだろう。とかく女は評価・比較されることを忌み嫌うじゃん。男が元彼と比較されたりしたら、元彼に嫉妬するとか、ライバル心で超えてやろうとか、矛先は元彼に向かうんだけど、女が元カノと比較されると、比較した男に嫌悪感を持つ。
だからかな、カラーコーディネーターとかインテリアコーディネーターとかそういう職種に対する憧れの話は女どもからよく聞くんだけど、その仕事、給料安いよとかアドバイスしてもあまりピンとこないらしい。
おっと、話がずれた。
俺の仕事も相当にクリエイティブだし、相応の才能をつぎ込んでやっていると自負しているんだが、なにせアウトプットが「恋愛」でも「癒し」でも「アート」でもない。まして完全な組織プレーだしね。
「アート」のほかに女が自分に奉仕してくれるものと思っているのは「金」かな。青年実業家なんてのは、ちょっと落ち目だし、今なら青年投資家が旬なのではないかな。しかし、そっちの仕事は女なんぞにかまけている暇ありませんから。
女とHしようと思ったら、やっぱ個人営業のクリエイターが最強なわけか。さて、どうしよう。。。