はてなキーワード: 痴呆とは
ずっと疑問に思ってるのだけど、本当にずっと。純粋に。
みんな生きてることが楽しいですか?
22年生きてて、
恵まれてる方だし、世界基準でみたら宝くじ並みにラッキーなんだろうな、とも思うけど。
人生を肯定しようとすることに疲れてしまった。
なんにもない平凡な日を幸せに過ごせない。
生きてることが辛い。悲しい。不幸せに感じる。
ずーっと、ずーーっとそうだった。
幸せじゃない日のふつうの瞬間に、生きてることが嫌になったりしない?
わたしは辛い、ずーっとずっと辛い、幸せじゃない瞬間が悲しくてしょうがない。
生きてることが嫌になる、眠ったまま目覚めたくない。
いつかきっとましになるって小学生の頃からそう念じ続けてがんばってきたけど、
もう何も変わらない気がして、もうほとほと嫌になってしまった。
こんな人はやっぱり少数派なのかな?
もしも同じような人がいるなら、どうやって日々生きていくのか教えて欲しい。
**追記
だれかの返信にも書かせてもらったことなんだけど
『うまく説明できるか分からないけど、
幸せなとき、ふつうのとき、不幸せなときあると思うんだけど、この「ふつう」のときが悲しくて辛い。
幸せならプラスで、ふつうならゼロ、不幸せならマイナス。そういう風に普通の人は気持ちが上下するのかな?って考えてるんだけど、
自分の場合、「ふつう」の状態がすでにマイナスなんだよね。で悲しいと絶望感さえ感じる。』
って感じるのは私だけですか?ってことを聞きたかった。
日々を良くする努力はずーっとしてきたけど、
努力した結果、できることは増えたし、日常の中の幸せな瞬間は確かに増えたけど、
逆にだからこそ、この感じ方が変わらないことが根本の問題なんじゃないかなって気づいて、聞きたくなったんです。
(ついでに毎日を幸せな瞬間だけで構成するのも無理だってことにも気付いたわけで)
**追記2
「甘ったれてる」「恵まれてるから出る、甘言だ」という指摘について。
もっともな指摘で、甘ったれていて傲慢なことを言ってると思います。自分でも。
でも恵まれてたら幸せなんでしょうか?(生意気でごめんなさい)
親がガンを発病して恐怖したり、祖母の痴呆で家族が崩壊しそうになって心細かったり、
学校でうまくいかなくなって修学旅行が一人きりになって悲しかったこともあるけれど、
幸せの感じ方は今とあんまり変わりませんでした。
恵まれてることを幸せに感じられるかな、と思って
色々努力して、アフリカの村へ行って働いたこともあるのですが、
幸せの感じ方は今とあんまり変わりませんでした。
要は感受性の問題なのかな、と思います。
でもこうやってここにいるのは、たくさんの人に助けられてるからで、
辛いけど生きたいなぁと思ってるので書いてみました。
若いうちの特有の妄言なんだろうな、と楽観的に構えつつ、
悲観的な感受性を変えていく努力をして、生きていきたいと思います。
いい歳でニートになった。
何年か都内で働いていて、当時働いてた会社でちょっと体の具合が悪くなって、
ちょうど実家では祖母が痴呆で介護が必要ってこともあり、酷い状態だとは聞いてたけど、予想以上で。
毎日毎日様子が変わっていく祖母に悲しくなった。
いよいよ施設に入れるなりしないと無理だろって話になり、無職が家にいるとそれだけで施設入居待ちの順番がおそくなるので(面倒みれるやつがいると順番おそくなる)、どうにか働きに出ないと駄目ってことになった。家に帰って半年たったくらいのことだった。
ハロワで見つけた求人に応募したら、すぐに電話があり、面接を受け、採用された。
入社してしばらくして、祖母が死んだ。
社長と経理の嫁が1ヶ月旅行に行く直前で、仕事の指示を出したいから、とかなんとかで。
出社すると、社長の第一声、「忌引きで休んでるのに、なに髪切ってんの?公休だろ?公休のときに遊んでて首になったやつの話とかしらねーの?」
葬式にでるため身なりを整えたのが、気に食わなかったらしい。
経理の嫁からは、「元気だしてね!」とピンク色の花束を渡された。
ほかの社員からはお悔やみの言葉も一切無く、また、ある社員にはニヤニヤと薄ら笑いを浮かべながら「おばあちゃん大丈夫なんですか?w」と話しかけられる。
大丈夫もなにも、死んでるんです。
辞めようと思った。
1年後辞めた。←いまここ
辞める際に、「社会人としてありえない」と社長に言われたけど、
人間としてありえないやつに言われたくねーよと思った。
地方の零細ITが全部こんな感じだとは思わないけど、二度と働きたくない。
凄く辛かったし何も無いところを指して「ちょうちょが飛んでる」とか言う祖父は見たくなかったね
ちがうよ。
本当の大人のラブプラスは、社会福祉法人とわのホームが舞台だ。
主人公: 89歳の微妙なお年頃(いつ死んでもおかしくない)。
高嶺愛花: 同世代の女性と違い、女学校へ行ってた。彼氏いない暦=年齢。
小早川凛子: ホームに来ているヘルパー。 ホームに入居している夫を世話しに来る(老老介護)。
あえてエロはなしで。
ちょっと興奮しただけで死ぬかもしれないなんて、すげードキドキじゃん?
追記:
元が消されたのでわけのわからないものになってしまった。
備忘的に書いておくと、ラブプラスを20代の職場に移して、不倫的な雰囲気も漂わせつつ、あえてエロはなしでドキドキするのを目的とするゲームが大人のラブプラスなんだそうだ。
追記2:
凛子の設定を変えた。
追記3:
全然関係ない話だが、むかし羽田澄子という映画監督の『痴呆性老人の世界』
http://care-comi.com/benri/books/mvkai/mvkai_07.htm
というドキュメンタリーを見たことがある。けっこう面白い映画だった。
施設には男女ともいるのだけれど、その生態が面白い。
痴呆になっても残る男女の違いだな。
具体的には、女性同士は一緒に作業したりおしゃべりしたりして仲良くしてるんだが、男性は男性同士で仲良くしたりはしない。
かといって、女性の輪に加わるようなこともない。孤立している。
なので、施設内の様子は、いくつかの女性グループと、その周りに孤立した男性が衛星のようにポツポツと存在している、という状態だった。
ときどきふっとやりばのない怒りが静かに湧き上がってきてどうしようもなくなることがあります。
焦点の定まらない分散した怒りで、かつ家庭内のプライベートな問題なので家族以外誰にも打ち明けられません。
文章をまとめるのが大変下手なので、非常に読みにくい長文になることをお許しください。ちょっとした短編小説くらい長いです。もちろん小説の足元にも及ばないほど読みづらくつまらないです。
最初にはっきり言っておくと、私の家族、主に祖母に対する愚痴です。読んでいて気持ちのいい文章ではありません。
ほぼ事実を書いていますが、特定されて困るようなことは変えたりぼかしたりしています。
それでもよければ、聞いてください。
私のうちは父・母・私・妹の4人家族です。
ものすごく仲が良いわけではないし、多少の家庭内事件などもありましたが、おそらく一般的な核家族家庭だと思います。
母方の祖父母と、父方の祖父はすでに他界しています。
父方の祖母は存命ですが、祖父が亡くなったのがもう15年以上前なので、それからずっと父の実家でひとりで生活していました。
父は3人兄弟の次男で、長男と三男はどちらも独身、かつ実家から離れた地域で暮らしています。
うちは父の実家から車で数十分ほど離れたところにあるので、祖父がいた頃からほぼ毎週末車で出かけるのが習慣化していました。
またほかの兄弟が遠方にいるので、墓参りや何かあった時の対処はすべてうちの父がやっていました。(祖父の葬式の際の喪主もうちの父)
幼い頃はそれを特に不思議には思っていませんでした。ただ、少なからず父に負担がかかっていることは薄々感じとっていましたが…
(母方の家族の話は関係ないので書きません)
私が高2の冬か、春になるくらいの頃だったと思います。祖母が転んで足を骨折しました。
その頃祖母はひとり暮らしなので、足を骨折した状態では日常生活に支障が出ます。治るまでうちに一緒に住むことになりました。
一時的なことですが、その間の部屋の割り当てが問題になります。
うちは一見ごく普通の2階建ての一軒家。しかし少し間取りが特殊で部屋数が少なく、ダイニングを兼ねた居間を除くと部屋と呼べるものは5部屋+1部屋しかありません。
2階が父の趣味部屋・父の寝室・母の寝室で、1階が居間と奥座敷、奥座敷と障子で仕切られたフローリングの部屋、その部屋の奥に、後から増築した離れ(物置状態)、となっています。
物置と書きましたが、離れはそれなりに広く、裏口から入るとすぐなので妹が自室として使っていました。
そして、奥座敷とフローリング合わせて12畳ほど?が実質私の居住スペースでした。
(小さい頃は2階の現父の寝室が子供部屋で現母の寝室が父母の寝室だったのだが諸事情によりこのようになってしまいました。別に父母の不和によるものではないはず…)
子供部屋ではベッドを使用していましたが、部屋と一緒に父のものと化してしまったので、私は普段座敷に布団を敷いて寝ていました。
祖母が座敷を使うことになるので、その間私は座敷ではなくフローリングの方で寝ることにしました。
薄情だと思われるかもしれませんが、私は祖母と本当にそりが合わないので一緒の部屋に寝ることなど考えられませんでした。
障子で仕切られただけの物音も明かりもダダ漏れの空間に一緒にいることすら嫌でした。
しかも奥の離れや座敷へ行くために通らなくてはならないところなので、部屋というよりは広い廊下のような空間です。プライベートなどとてもじゃないですがありません。
しかし何か月間かの辛抱だと思い我慢することにしました。
前置きが長くなってしまいましたが本題に入ります。
先にも書いたとおり、祖母が骨折したのは私が「高2の冬~春頃」の話です。
祖母はおよそ1年弱うちに滞在しました。
私が高3の冬までです。
高3の冬と言えば一番大事な時期。いくらマイペースな私といえど焦りには勝てず、根を詰めて勉強していました。
何もなくても、受験が近づいてくるだけでストレスが溜まる不安定な時期です。
そんなとき、先述の理由のために、私が自分ひとりだけになれる空間は家にはありませんでした。
妹が離れに行くたびに私の部屋を通ります。
座敷に行くために祖母が私の部屋を通ります。
私に用があるわけではないから、ノックなんてしません。
それは仕方ないのだと思おうとしました。
しかし、私にとって一番ストレスになっていたことは、祖母の存在それ自体でした。
祖母を邪険に思うなんて最低な人間だと思う方が多いと思います。
でも私は我慢できなかったんです。
夜中にぶつぶつと独り言のようにいろいろなこと(後述)を私に話しかけ続け、私が「もう寝たいから静かにして」と頼んでもやめてくれません。
むしゃくしゃすること(たいてい母との確執)があると、奇声を発し、ものにあたる(ベルトで何かを叩いたり)。
私に対し、母を鬼嫁と言い、またものを盗まれた、この家はとんでもない家だ、早く帰りたい、などとまくし立てます。(後述)
あまりの言い草に、私も少々かっとなりやすいところがあるので勢いで言い返してしまうと、
・あんなに『かわいがってやった』のに恩をあだで返すつもりか
・あの鬼嫁に似たのか。情けない。
・さては何か言われたのか。だから私にそんな口をきくのか。
しまいには
・孫にこんなことを言われるなんて、もう死んでしまいたい
こうです。
私も言い過ぎたなと思うことはありましたが、祖母の方が明らかに暴言を吐いているのです。
聴きたくないから黙ってほしいだけなのに、そう言うと「なぜ被害者の私が黙らなければならないのか」「言いたいことを言って何が悪い」と、聴く側の私の気持ちなど考えてくれません。
ちなみに、母の悪口は私が小学生のころからずっと愚痴られ続けてきました。
また、祖母が私に言ってくることは、母の悪口以外だと大体
・東京の大学になど行くものではない。地元の大学に進学して家から通うのが一番 ←私の意見(行きたい学部など)は考えていない
・私の就職について(公務員か銀行員、もしくは祖母御用達のデパートでなければ認めない) ←私が希望する職業など無視
・父が就職する際、祖父が反対して、採用されていたのに泣く泣く違う職についたという話 ←父をかわいそうだったという割には私をコントロールしようとしている。矛盾しないの?
・学生の男に引っかかってはいけない。働くようになってから結婚できる男を探せ。 ←話はわかるがまだ未成年なのにそんなに生々しいことを言われて気持ち悪い(19まで男女交際経験なしでした)
・お隣の国(お察しください)の悪口 ←昔(戦時中?)一緒に働いていたときよくない人が多かったらしい
・ご近所さんの悪口(わたしの家と、父の実家のご近所さんの悪口。庭の花を盗まれた、服を盗まれた、など)
でした。
私は人の悪口などを言うのも聞かされるのも好きではないので、このようなことを延々と話しかけてこられて精神的になかば参ってしまい、祖母が本当に嫌いになってしまいました。
言い返すと祖母が逆上するだけなので、無視をして布団にもぐりこんでも、布団を剥がしてまで話しかけ、それでも無言で抵抗していると孫にこんな風に扱われるとはなんてひどいあんまりだ、私は死にたくなった、の無限ループです。
しかも高3の冬です。ほぼ毎日それが続いたので、今思うとノイローゼになりかけていた気がします。
私は再三、祖母と隣の部屋で寝るのはいやだと言ったのですが、家族と言えど(母ですら)わかってくれる人はおらず、部屋はそのままでした。
年が明けると足が治っていた祖母はとりあえず家に戻っていったので、祖母が原因かはわかりませんが、センター試験の日に私は謎の胃腸炎を発症し、毎休憩のたびににお手洗いに駆け込んで戻しながらも(汚い話ですみません)受験はしましたが結果は散々でした。
幸いなことに、志望は私立だったのでなんとかなりました。
それにしてもよく発狂しなかったと自分をほめてやりたいくらいです。
しかし、祖母との関係が、今の私の厭世的な性格を作り上げた原因となっていることは間違いありません。
すみません。まだ終わりじゃないんです。
長い飽きたという方はこれ以上お読みにならなくて結構です。
祖母についてもう少し詳しく書きます。重複してしまうところもありますがご容赦下さい。
先に、私が祖母を嫌いになったと述べましたが、受験前のこのできごとが原因で嫌いになったわけではありません。
これも先述しましたが、私が小学生の時から、母の悪口や近所の方の悪口を聞かされ続け、また親切の押し売りをされたためです。
祖母は私の母ともそりが合わず、お互いに毛嫌いしていました。
父と母はお見合い結婚、しかも晩婚です。家庭環境が違いすぎたこともありますが、祖母は母を育ちの悪い、性格の悪い鬼嫁と見下している節がありました。
母が結婚後も家庭に入らなかったことも原因の一つかもしれません。専業主婦だった祖母からしてみれば、父よりも帰りが遅く、夕飯を父に作らせている(実際には父は喜んで料理しています)母には不満がたくさんあったのでしょう。
一方の母も、いい大人の父をいつまでも子供のように過剰にかまう祖母の愚痴をいつも言っていました。
私から見ても少し異常なほど祖母は息子たちに過保護なのです。(40、50の大人に対してです…。)
それで、お互い相手のことをよく思っていないことは明白なのですが、表だっては言い合わず、二人とも私に対して互いの愚痴を言ってくるのです。
おそらく妹も同じだったはずです。しかし妹は要領がいいのか、淡白なところがあるためか、性格がいいのか、あしらい方がうまいのです。
私であればつい言い返してしまうところを、実にうまく受け流していました。
なんというか、正義漢ぶるつもりはないのですが、性格がきついとか、私自身を悪く言われるだけならばまだ抑えようもあるのですが、そんなときは必ず母のことも悪く言うのです。
祖母は痴呆とまではいかないのですが、結構昔から忘れっぽいというか、すぐにものをなくしたりしていました。
大体祖母が自分で置いた場所を忘れるからなのですが、祖母はそれを母のせいにするのです。
母が盗んだと言うのです。
私はマザコンではありませんしむしろ反抗期は母によくつっかかっていましたが、こればかりは母側に同情してしまいます。
これが母に対する集中攻撃であれば(実質そうなのは変わりありませんが)まだ問題は小さい範囲で済んでいたかもしれませんが。
祖母は祖母の家の近所の人との関係も最悪なものにしてしまっていたのです。
かなり前から、近所の誰々さんに何々を盗まれたとか、あげく留守中に家に入られてお気に入りの服を盗まれたとか言っていました。
そして、あまりうるさいので父は祖母の家の玄関と勝手口に監視カメラをつけました。
泥棒が映ったことはありません。
祖母は、私たち家族(というのも嫌ですが)に対してそう喚くだけではなく、夜中に窓を開けて泥棒ー!と叫んで警察沙汰になったり、近所の方の家へ行って、おたくの息子は泥棒だ、というようなことを言っていたらしいのです。
実は私はよく知らないのですが、他にもその地域にいられなくなるようなことをしたそうです。
いろいろなことが積み重なり、骨折が治ってまた一人で暮らしていた祖母は、再びうちにくることになりました。
今度は、前とは違います。半永久的にいることになります。
そしてあいかわらず以前と同じように母(酷い時にはついに父まで)を盗人扱いし、近所の人の悪口をわざと外で言ったりしているそうです。
私はすでに進学した時点で家を出ましたが、そのおかげで帰省するのが大嫌いになってしまいました。
『親切の押し売り』についてですが、
両親が共働きなため、手がかからなくなってくると私と妹は割とほったらかされて育ちました。
もっとも、幼い頃は祖母が毎日うちに来て面倒を見てくれており、それは感謝しているのですが、とにかく祖母は異常に過保護というか、かまってくるのです。
小さい頃から、なにか行事のたびに服を買ってきてはそれを着せてくれたり(それ以外の選択肢はない)していたのですが、物心つくようになってくると私は自分で選んだものしか着たくないと思うようになりました。
しかし祖母が(こう言っては悪いですが)勝手に購入してきた服を、このような言い方はしたくありませんが押し付けてくるのです。
祖母からしてみれば親切というか孫をかまいたいだけなのかもしれませんが、はっきりいって迷惑です。
祖母は買い物依存症といってもよく、服だけではなくバッグと帽子、それに靴は数えきれないほど持っていました。
祖父がそれなりに地位のある人間だったため、祖父が亡くなってからも年金があるので高級品も簡単に買えるらしいのです。
そして、何を勘違いしているのか、自分が着ようと思って買った服などを、自分には派手だから、などという理由で私に着させようとしたりします。
ミセス用の服を着られるわけはありませんし、着たくもありません。ですがいらないと言うと「なんで」なのです。
それ以上にひどいことに、洗ってはありますが明らかに着用後の下着類を送ってきたりするのです。
自分が何歳だと思っているのでしょうか。自分が着用した下着を、孫ならば身に着けると思っているのでしょうか。
また祖母は買い付けの百貨店以外は「安物だからよくない」と決めつけ、私に服を買ってやるというときはそこでしか買いません。
年2回ほど、セール?のようなものがあって、そのときに必ず私や妹に「服を買ってやる」というのです。
それはとてもありがたいのですが、いつも大量に購入した服を送りつけてくるのです。
服って自分のセンスと、サイズってものがあるじゃないですか…。合わなかったら着たくないですよね?
それが昔からずっとなのです。さすがに毎年口をすっぱくして言い続けてきたので、最近では「一緒に行って買ってやる」に変わったのですが…
それでもその時期に帰省できるとは限りませんし、まず大体にして一緒にいるのが苦痛です。
祖母は店員の前で簡単に「安物」「品が悪い」などと言うのです。(ちなみに少し話がそれますが、祖母は今まで自分が買ったものの値段をほぼすべて覚えており、このバッグはいつどこで○万円で買った、このスカートはいくら…というようにいちいち教えてきます。私はそれが本当に不気味です。私が安物のコートなんかを着ていると、ものすごい目で見られるんです。)
祖母に、いらない、と言うと、なんでと言われ逆上されます。
なぜと言われても、服くらい自分で自由に選びたいのだといっても通じません。
そしていい加減に頭にきて私が切れると、また「あんなに可愛がってやったのに」です。
そんな風に恩を着せられるような、そんな愛はいりません。
すぐに「私はお前のためを思って」「私は世界で一番お前を大事に思ってるからこう言うんだ、だから言うことを聞け」と言います。
もう頭がおかしくなりそうです。
今までずっと冗談くさくしか言えませんでしたが、この際父にはっきり言ってやりたいです。
あなたの母親は頭がおかしい。と。
いくら痴呆が進んでいるからといって、自分の母親だからといって、自分の家に引き取って面倒を見ようと思えるのでしょうか。
ある意味尊敬しますが、母や私が受けてきた精神的苦痛は、祖母が家にいる限りずっと続くのです。
父の兄弟はたまに様子を見に来たりしますが、祖母を引き取ろうとはしません。
父はこんなに近くで、こんなに祖母に尽くしているのに、祖母はそんな父を(いつもではありませんが)「親不孝者」呼ばわりしたことさえありますし、たまにきてはまとまったお金を置いていくだけの、父の兄弟の方がかわいいようです。
何年も何年もうちと祖母の家を車で往復し続けてきた父よりもです。
私はそんな父のこともひどく哀れでなりません。
友人がいないわけではありませんが、友人にこんなことは言えません。
自分の祖母の悪口を言うなんて嫌な人間だとしか思われないと思います。
でもまだ実際ここに書いていない(書けない)ことがまだ山のようにあります。
私は故郷が好きなので、帰りたくないわけではないんです。
でも、家には祖母がいると思うと…
そんな風にみんなが苦痛を負いながら、むりしてうちで面倒を見る意味ってあるのでしょうか。
入院させてしまった方がいいんじゃない、という言葉が、何度私の口から出かかったことか。
でも父にそんなことをとても言えませんでした。
もしかしてこんな家庭はよくあるんでしょうか。
私のような思いをしている方は実はたくさんいるんでしょうか。
今はとにかく、帰省するのに気分が重いです…。
このような長文&駄文をもしもここまで読んでくださった方がいましたら、お礼を申し上げます。
ご気分を害された方がいましたらお詫びします。
これだけ書くのに、気づけば3時間も経っていました。
疲れましたが、ほんの少しだけ何か気が楽になったような気もします。ありがとうございました。
新聞・テレビのことを盲信する痴呆中高年よりかはマシだと思うけどね。
酒はおそろしい毒。ドラッグ。犯罪と事故を呼び起こす社会の癌。
年末年始や歓送迎会ではオーバードーズ、いわゆる急性アルコール中毒で毎年3万人が死亡している。
飲み会などにおける上の立場からのパワハラ・アルハラ・飲酒強要での健康被害、死亡事故も問題視されている。
酒を飲むとまず咽頭・食道がやられる。食道静脈瘤や咽頭がんなど。
「酒焼け」とよくいうだろう、あれが出たらもう赤信号。
そして次に当然ながら胃が多大なダメージを受ける。
その先の小腸や大腸も以下同文、消化器系は漏れなく壊滅。
アルコールが運ばれる循環器系はもちろんやられる、血管バキバキで脳血栓できまくりで脳卒中の最大要因。
「休肝日」という言葉があるくらい皆さんご存知の通り、アルコール分解の主役である肝臓はもうボッコボコになる。
最終的な分解を受け持つ筋肉もやられ、深刻な場合は慢性的な震えや痙攣・運動障害をひき起こす。
そしてアルコールで最も甚大な影響を受けるのが、酒の麻痺効果のターゲットである脳・神経系。
飲酒常習者は脳が萎縮し、非飲酒者に比べ痴呆が10年速く進行する。
慢性アル中患者は脳血流やグルコース代謝が低下し判断力などの高次機能が破壊され、反社会的行動を起こしやすくなる。
さらに膵臓のランゲルハンス島もやられて糖尿病になる。膵炎の半数はアルコール性。
もちろん腎臓もやられるし、アルコール性心筋症は心筋梗塞の最大要因。
それだけじゃない、免疫力が著しく低下するためエイズや肝炎などあらゆる感染症にかかりやすくなり、
酒による肥満はありとあらゆる成人病を加速させ、さまざまな合併症をひき起こす。
さらに言えば、酒の上の暴行や傷害や殺人や強姦など、様々な犯罪の間接要因でもあり、
昨今ようやく少し認識が改まりつつある飲酒運転被害ももちろん酒の害のひとつ。
まさに百害あって一利なし。
万病の素。
あらゆる悪の根源。
経済的にも社会的にも、恐ろしく多大な損失を生む、まさに悪魔のドラッグ。
それが酒。
今日もリアルで尊敬のかけらも受けてないだろう増田のようなアルハラ中高年が
ある作家の話だ。作家の親は痴呆を患った。親は脳を病んで、"魂"を失っていったのだ。
脳を病む前、"魂"は健やかであった。脳を病んだのち、"魂"は失われていった。"魂"を壊したのは魔物や悪霊ではない。脳を冒す、ただの病だ。
作家は、脳という肉体を離れた"魂"を信じなくなった。
「肉体は入れ物でしかない。魂はどこへ消えるのか?」それは考えるべきではない。"魂"は肉体が生む「状態」でしかないからだ。障子に映る影絵のように。
「父という魂」の消えた先を問うても答えはない。障子を焼いたら、指を解いたら、影絵の狐はどこへ行くのか、と問うても仕方ないのと同じだ。
それよりは、影絵の狐を見てなにを思ったのか、なにをするのか、こそを問うべきだろう。
肉体を、命を継いだことを寿ぐのも、それはそれでよい。しかし"魂"はどうするのだ。"魂"は継がないのか。
父のことを思い起こさなくても、父の記憶を追わなくても、命を継いだら自動で"魂"も継げるのだ、というなら構わない。"魂"は継がぬ、というなら構わない。
が、そうでないならやるべきことはあるはずだろう。生涯や生とはなにか、と問うまえに。
俺が言いたいのは、これまでの常識全てが通用しないのがニートだってこと。だから、これまでの常識(勤労美徳)で脊髄反射的に反応しても全く無意味。意味なし。
偉そうにニートに説教してるその自分の考え方が、旧来の価値観や常識の中に囚われていることにも気づけないような時点でもう完全にただの痴呆。
日本社会では労働は単なる経済活動を超えた、一種の宗教だからねぇ。
残業時間自慢とか、「収入や勤務先のステータスが高い者は人間としての『格』『徳』が高い」という発想は宗教そのもの。
元増田から、なんか想像以上にブクマがあったから二言三言反応しておく。
まず両親をうんたらかんたら言ってる奴は、脊髄反射で反応してるだけだろと言っておく。ニートってキーワードで感情がたかぶったんだろうけどちゃんと読め。
そして、自分の問題だとか社会は関心を持ってないとか平気な顔して書いてる奴には、だったらニートを肯定しろと言っておく。
んで、極論書いていつも良い気になってる奴にはこう言っておく。ニートを問題にして税金投入するから金が無駄にかかってんだよ、と。全部やめちまえばいいだけの話だ。(追記:と思ったが、極論君は別にそれが問題だと書いたわけじゃないのか。むしろそこから問題を導き出してスターつけてるような人間に俺は文句をつけただけなのか。)
俺が言いたいのは、これまでの常識全てが通用しないのがニートだってこと。だから、これまでの常識(勤労美徳)で脊髄反射的に反応しても全く無意味。意味なし。
偉そうにニートに説教してるその自分の考え方が、旧来の価値観や常識の中に囚われていることにも気づけないような時点でもう完全にただの痴呆。
一億総痴呆という言葉が昔あったが、いまは一億総排他症重症患者である。
その最たるものがキリッという言い回しである。
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話を聞いてると、「自分だけ特別と思ってる奴に虫酢が走る」「俺は凄いだろと言わんばかりのレスは叩きたくなる」
というような意見が多い。
お前ら馬鹿だな。そうやって単純に脊髄反射するから、俺ら釣り師は止められないんだよ wwwwwwwwwwwwwwwwww
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それはそうと、キリッという考え方は相当重症である。
日本古来からの歯痛的考えの延長ではなくて、まったくニュータイプの歯痛主義であるからだ。
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自分と同質なものは多少調子に乗った言動であれ許すというところがあった。
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ところが、90年代に入って、「馴れ合いは悪」という思想が導入されたあたりからおかしくなった。
つまり、同質なものどうし馴れ合いするのも悪ということで、日本古来からの共同体の団結力が内破したと言えば分かるだろうか?
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それはそうと、同質なものどうしの内破をもたらす思想のことを、自傷思想と言ってみるテスト。
その自傷思想の成長した結果が「キリッ」なんだよ。
キリッというのは、同質なものの馴れ合いどころか同質なものが同質なものらしくあることも否定していく。
このまま行くと、もっと深刻な事態になりかねない。
今、日テレで『介護うつ』という本の特集をやっていた。どうやら清水由貴子さんが介護うつで自殺に追い込まれるまでのことを書いた本らしい。ただ、私はこれを最後まで見ることはなかった。見られなかった。同じくテレビの前には、私達家族が介護している母親がいたから。
私の親は数年前から要介護5の状態となり、全く歩けない。動けない。そして喋れない。会話も特殊な道具を使わないと出来ない。ただ、意識ははっきりとしていて痴呆などの症状はないので、食事を食べさせてあげることも出来るし(それも嚥下の都合上苦しくなってきたが)、家族の疎通でだいたいのことがわかる。ただ、本を読む程手を動かすことも出来ないので、一日のうち多くはテレビ、ラジオ、新聞を見る(これはめくってあげる)ということになる。故に夜も寝る前の時間、車椅子の上で私とテレビを見ていた。
その時に流れた『介護うつ』という本の特集。これを見たとき、非常に嫌な気分になった。何故ならそこにいるのは、その介護うつにさせるかもしれない、そしてそれがどうしようもない人なのだから。
だが、放送は始まり、いかにもな感じて話が進んでゆく。ただ、ここで不自然にチャンネルを変えようものなら、本人がもっと気にするのではないかと思い、気まずく話が進んでゆく。私は再現VTRが始まる直前、比較的よく見ている『シルシルミシル』がやっていたのを思い出して、その話を振ってチャンネルを変えた。しゃぶしゃぶの映像が流れていたが、その番組は終わりかけていた。そしてすぽるとにチャンネルを変えた。そして今、親を寝かせたところだが、それまで一度気まずくなったのを落ち着かせるために、いつもより寝る時間を遅らせ、15分程特集を見ることになった。そして今も自分は、最初からチャンネルを変えておけば、と後悔している。
このような経験は今までもある。同じように介護の大変さを語るニュースが流れたとき、親と同じ病気がネガティブな単語(死に至る、大変苦労する等)という言葉と共に流された時などだ。故に最近はテレビ欄を見て、それ系の特集や感動番組が流れそうになると、警戒してチャンネルを変えることが多い。
もちろん、清水さんの家族を責めるものではない。介護の苦しみは相当わかる。本を出されたのもその認識を広めたいというのも理解出来る。ただ、これが『放送』という、無条件に入ってくるものになると、このような状況になり、苦しむ人もいるということだ。昔、親子でテレビを見ていてアダルトなシーンが流れて気まずい思いをしたという人は多いだろう。あれも考えてみれば望まれない情報が入ってくることで、視聴者に対してマイナスの感情を与えているのだ。そしてこれはこのように気まずいレベルではなく、落ち込ませかねないこともあるのだ。
病気で死んだ人のお涙頂戴番組が流れるというのはよくあることだが、思うにその影で同じ病気であり、現在進行中の人はどのように感じるだろうか。
たしかにこれらの放送がなされてプラスになる面もあるだろう。だからそれらをやめろ、とは言えない(内容にもよって、お涙頂戴だったりしたら否定したくなるが)。ただ、何気なく流れているそれは、誰かを傷つける可能性があるということが知って欲しいと思う。それを知って欲しい。特に『放送』という性質上、それが一番強いテレビ、ラジオにおいては。
世の中には、『情報』を望まない人も、それで傷つく人もいる。
死んで初めて信仰を知るとはよく言ったものである・・・。
片田舎にひっそりと住んでいるから、他に打ち込める趣味もない老人の慰みというか
私が知るところの伯母からは想像もできない程度には活動をしていたようだ。
息子兄弟曰く、痴呆も進行し、やっと施設に入ってやれやれと一息ついた矢先の死であったらしい。
ボケの始まった老人を相手にしたコミュニケーションはやはり親といっても負担は大きく、
親不孝をしたかもしれないと語る息子さんの言葉が印象的であった。
身内だけならせいぜいニ十人程度の所が来るわ来るわで60人ぐらいは居たであろうか。
彼らは挨拶や読経など大勢ありながら律儀にこなし、式が終わると嵐のように去っていった。
私は思った。寺檀家とも縁遠く、社交性を保てる程に心身頑健でもない田舎の老人にとって、
形だけとは言えども大勢の人に送られる葬式の有難味とはどれほどのものなのだろうか。
孤独な老人達の旅団にして、人生最後のサークル活動とはこのようなものかと意識させされたのはこれが初めてだ。
人は死ぬまで共同体の魅力から逃れられないかのような予感を抱いた出来事であった。
「ミンス政権になったら、地方公務員の仕事は楽になる。だから地方公務員はミンス支持」とか言っている方がいますが、そんなわけがない。
正直、仕事の楽さだけを考えたら、政権交代なんてしない方がいいに決まっているんですよ。
例えば民主党は
を、訴えてましたが
その前に、概要
老人保健法を改正して生まれたのが、「高齢者の医療の確保に関する法律(高齢者医療法)」
これにより、「75歳以上は市町村単位の老人医療から、県域単位の独自の医療保険にしよう!」とか「メタボ健診をしよう!」となりました。
これが、廃止されるとどうなるか
法律一つが廃止になっただけで、通常業務に加え、これだけ(まだまだありますが)やることがでてきます。考えただけで恐ろしす。
というわけで、大事なことなので2回言います。