死んで初めて信仰を知るとはよく言ったものである・・・。
片田舎にひっそりと住んでいるから、他に打ち込める趣味もない老人の慰みというか
私が知るところの伯母からは想像もできない程度には活動をしていたようだ。
息子兄弟曰く、痴呆も進行し、やっと施設に入ってやれやれと一息ついた矢先の死であったらしい。
ボケの始まった老人を相手にしたコミュニケーションはやはり親といっても負担は大きく、
親不孝をしたかもしれないと語る息子さんの言葉が印象的であった。
身内だけならせいぜいニ十人程度の所が来るわ来るわで60人ぐらいは居たであろうか。
彼らは挨拶や読経など大勢ありながら律儀にこなし、式が終わると嵐のように去っていった。
私は思った。寺檀家とも縁遠く、社交性を保てる程に心身頑健でもない田舎の老人にとって、
形だけとは言えども大勢の人に送られる葬式の有難味とはどれほどのものなのだろうか。
孤独な老人達の旅団にして、人生最後のサークル活動とはこのようなものかと意識させされたのはこれが初めてだ。
人は死ぬまで共同体の魅力から逃れられないかのような予感を抱いた出来事であった。
いや、田舎の葬式は草価とか関係なく大勢来るもんだよ。 どこからこんなに年寄り湧いたんだと思うくらい来る。60人なんてごく普通だ。 それ本当に学会員だったのか?関係無い人も...
田舎の葬式には近所中から人が来るから60人なら普通だ。 あとよく「村八分」というが、残り二分は火事と葬式のことだというくらいで、日常に付き合いがなくともその2つぐらいは出...