ある作家の話だ。作家の親は痴呆を患った。親は脳を病んで、"魂"を失っていったのだ。
脳を病む前、"魂"は健やかであった。脳を病んだのち、"魂"は失われていった。"魂"を壊したのは魔物や悪霊ではない。脳を冒す、ただの病だ。
作家は、脳という肉体を離れた"魂"を信じなくなった。
「肉体は入れ物でしかない。魂はどこへ消えるのか?」それは考えるべきではない。"魂"は肉体が生む「状態」でしかないからだ。障子に映る影絵のように。
「父という魂」の消えた先を問うても答えはない。障子を焼いたら、指を解いたら、影絵の狐はどこへ行くのか、と問うても仕方ないのと同じだ。
それよりは、影絵の狐を見てなにを思ったのか、なにをするのか、こそを問うべきだろう。
肉体を、命を継いだことを寿ぐのも、それはそれでよい。しかし"魂"はどうするのだ。"魂"は継がないのか。
父のことを思い起こさなくても、父の記憶を追わなくても、命を継いだら自動で"魂"も継げるのだ、というなら構わない。"魂"は継がぬ、というなら構わない。
が、そうでないならやるべきことはあるはずだろう。生涯や生とはなにか、と問うまえに。
いわゆる死生観の話。( 死生観 - Wikipedia ) ずっと昔から多くの人が考えてきた。いまだに答えは出ない。 http://anond.hatelabo.jp/20100523025636 が秀逸だったので 自分なりの解釈を書いてみよ...