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はてなキーワード: 異端とは

2008-11-06

オバマ小泉

オバマ氏が大統領になるまでの経緯は、かつて小泉氏が辿ってきた経緯を思い起こさせる。

史上最低のトップの政治に、国民の閉塞感と不満が爆発寸前。

そこに外見も言動も異端政治家が現れる。

わかりやすい言葉で変革と希望を説き、予備選を通じて弱小候補が劇的な勝利を遂げるまでに支持を広げ、権力の座に迎えられる。

全く同じパターンではないか。

かつて反自民左派ブロガー達は小泉氏を支持する日本国民を散々批判してきたが、今回オバマ氏を支持したアメリカ国民を彼らは一体どう思っているのだろうか。

2008-10-25

純粋であることは異端である

君はすこし読心術が過ぎるのだ

人の心に本当のもの(笑)なぞ求めるな

あらゆる人間関係にはすべて

茶番の要素が含まれている

他人にはこうだろうと思う通りを思わせよ

こうあれよと願う通りにあらしめよ

それで大体うまくいく

本当のもの(笑)なぞどうでもいい

本当のもの(笑)なぞ誰も求めていやしない

純粋であることは異端なのだ

街角で街頭で交差点で駅でオフィス工場会議室

今日も盛んに異端審問が催されている

指摘され慌てて否定するのは純粋

指摘され考え込むのは良く訓練された純粋

指摘され頷くものは腰の据わった純粋

純粋は撲滅されねばならぬ

なぜなら《本当》こそ人類の敵であるからだ

いつからか我々は《本当》を敵に回してしまったのだ

《本当》を解体し分解し還元し分析し計量し

消毒し漂白し連結し縫合し編集し投稿し複写しなければならぬ

さもなくば死だ

本当の自分(笑)

本当の気持ち(笑)

どれも人を殺す凶器なのだ

それらもやはり解体し分解し還元し分析し計量し

消毒し漂白し連結し縫合し編集し投稿し複写しなければならぬ

本当の自分(笑)それを押し付けられたとき

人間は圧死する

本当の気持ち(笑)それが伝染を始めれば

コミュニティは虐殺される

本当の自分(笑)

本当の気持ち(笑)

そんなものは排泄物のように

君自身がこっそりと始末をつけるべきものなのだ

それらを人に押し付けようとするものは

撲滅すべき純粋

本当のもの(笑)

本当のもの(笑)はいつだって心の内側にしか

ありえなかった

君が行動し君が打ち立てる

決して完成しない何ものかの内側にしか

ありえなかった

心と心の間には本当のもの(笑)なぞどこにも見当たらぬ

それでも本当のもの(笑)を見たと思う瞬間が稀に訪れる

もし君がそこで立ち止まってしまうなら

君はやはり撲滅すべき純粋だと言わざるを得ない

恐れるがいい撲滅を

異端審問を

解体を分解を還元を分析を計量を

消毒を漂白を連結を縫合を編集を投稿を複写を

恐れるがいい

《本当》を見てしまった純粋な者よ

世界が君の前に立ちはだかるのだ

世界を滅ぼしてみせろ!

君の《本当》で

2008-10-19

かくあるべきリア充とはなんだ

僕はリア充が嫌いです。それも半端無く嫌いです。

言葉定義、「ネットではなく現実の生活が充実している人」の定義はともかく、にわかニコ厨スイーツ(笑)的な意味も含め、頭が止まってる人が嫌いなんです。で、俗にリア充と呼ばれている人達はその比率がいやに高い。

僕はネットリア充disりまくってて、オフやら行ってもそんな調子で。「お前リア充になんかなりたくないんだろ」といろんな人に言われました。そう、だいたいその通りです。いくら見た目リア充っぽいと言われても、僕の精神性は一般から逸脱したリア貧そのものです。悲しい事にね。

彼らの脳味噌のスキマっぷりは筆舌に尽くしがたく、mixi日記なんか読むと、吐き気がして死にそうになるんですね。ニュース関連日記はもっと酷い。その程度の表現力で何を言ってるんだ?と。それ面白そうに見えるように書いてるんだろうけど、全然面白くないよ、と。ケータイ小説から釣り成分を抜いたような、質が悪いエントリにくだらないコメントをつける烏合の衆キーワードに反応して脊髄反射的に媚びを押し付けあうノータリンのバカども。

そういう人達に合わせないといけないのかな、と思った時期もあるけど、そうじゃない。言いたい事も言えないのなら、何も言わない方がマシです。僕は最近mixi日記を書かなくなりました。

レベルが低い空間でお互いの無知を許容するようなコミュニケーションを続けて、一体何の益になるやら。それを心地よく感じる事がリア充たる条件なら、僕はリア充じゃなくてもいい。

リア充、じゃないですね。今の時代はそれが「普通の人」であって、僕みたいな精神を病んだような日記書くアホは異端なんですよね。それに批判するぐらい僕が面白い文章を書いてるわけでもなし。あーばからしい。何を言ってるんだ僕は。

最初の2、3年前は、期待してたんですよ。mixiに。

みんなが自己表現できる空間として、リテラシーの底上げになって、僕みたいな小学生から公開日記ブログ書いてた人が許容される世の中にならないかなって。

ある意味ではその世界は実現されました。

ただし、著しい劣化を伴って。

「何かを考えている」ということをアピールした日記は、mixi的にはコメントがつかない。基本的に興味を持たれない。最近は自分の無知を曝け出すのが流行らしいけど、そんな流行にのるのは頂けない。「わからない」で思考停止する人を僕は見下しているし、存在する価値がないとさえ思う。死ねばいいのに

2chや他のメディアの方がね、遥かに洗練された文字コミュニケーションを持っているんです。だから僕は2chギークの文化が好きだし、彼らに敬意を払っている。Twitterではなんとなく居場所を見つけた感もある。

殺人予告犯罪の温床として批判するお偉い方もいるけど、2ちゃんねらーはそんな人より遥かに優れたリテラシーを持ってます。こなした場数が違うんです。荒らしにどう対処するかのノウハウ豊富だし、ある程度の自浄作用もある。

僕は毎日2〜3時間ニュースを漁るので、ある程度は情報強者である自覚があるし、ちゃんとそれなりに考えてる方だと思っている。それについて誰かと会話したいと思っている。ただ身近にそんな人は少ない。いないわけじゃないけど、悲惨な状況です。

僕は都内の大学一年です。大学に来たのは尊敬する人を見つけたかったからで、今の大学ならそれが見つかるんじゃないかと漠然と思ってました。ただ探さないと結局見つからないんです結局は。そして、僕が彼らに取って価値がある、対話するに値する人間かというと微妙なところで。だからそ勉強しないといけないと思ってるし向上心もある。いまのところは向上心を買ってもらうしかないですね。卑怯だけど。

僕にできない事をやれるという意味リア充尊敬する部分は若干あるにしても、それ以外は心の底で見下している。本当につまらない人種だと思っている。

あぁ、僕の性格が悪いのは承知の上です。「おまえら烏合の衆と一緒にするんじゃねぇ」と思ってるし、「普通の人」達を「烏合の衆」だと思ってるわけですからね。もっと面白い日記かけよお前ら、といっても無駄で。一石一鳥で身に付くもんじゃないし、生き方そのものが言葉に出るし、こんな言葉がずらずら出てくる僕はきっとまともな人間じゃないし。全然この日記面白くないし。

何も考えない方がきっと幸せになれるけど、そんな生き方は受け入れられない。受け入れたくない。

それで、必死で考えたつもりになってる僕より、「烏合の衆」だと思ってる人達の方が相対的に幸せだというその現状をどうしようもなく歯がゆく感じるから、こんなどうしようもない日記を書いて、今日も僕はTwitterに逃げます。

mixi用に書いた少し改変して文章を転載しました

2008-10-17

特定政党支持者のための印象操作入門

最近良く見かける言説に「自民党も糞だけど民主党はもっと糞だから仕方なく自民」というものがある。

が、これはあまりよくない。自民最高うっひょーい!みたいな臭いがプンプンする。ゲロ以下。

自民党支持者に限った話ではないんだけども、印象操作はもうちょっとスマートにやるべきだ。

主張をする者の側で「AとBとではどちらかといえばAの方がよい」というのは、あまり説得的(というか操作的)ではない。

主張の受け手の方は、相手の主張に対してはそれなりに警戒する。

より良い印象操作は、受け手があたかも自分の能力によってその結論に至ったかのように錯覚される事だ。

他人には酔いにくいが自分には酔い易い。

具体的には、「Aはここがダメ、Bはここがダメ。結局全部ダメじゃんwww」と書いておく事。ただしこの時、大した知能が無くても合理的に「Aのダメさの方が大した事無い」と判断できるような要素を挙げる事。

読者は「こいつはどっちもダメと言ってるけど、ちょっと考えればAの方がマシなのは明らかじゃん。ばっかでー」と思ってくれる。

この点で感心するのは共産党シンパのやり方だ。いや、あるいは本気で頭が悪いアンチ共産党なのかもしれないけれど。

彼らは政党を批判するにあたり、共産党についての批判では「共産党名前ダメ」「今どき共産主義とかってwww」というようなレッテル貼りをする。

ちょっとメディアリテラシー(笑)に自信のある人は、レッテル貼りだけで批判できたつもりになることが如何に下劣かつ非論理的な行為か知っている。

そういう人は、上のような言説を見た時に、「いや、この批判は違うだろ」と思う。

もちろんレッテルも正当な根拠に基づいていればそれなりの意味はある。そこで彼らはちょっと調べるわけだ。「このレッテルは正当か?」

ちょっと調べればすぐに明らかになる事だけど、上のレッテル日本共産党において否定されている。

そこで、ちょっと調べた人は、上のようなレッテルがたんなるレッドパージ教に基づく宗教的な異端認定に過ぎないと、「自分で」気付く。

して彼らは、共産党アレルギーに対してアレルギーを持つようになる。もっとも彼らの多くはそれをあからさまに言うのは品がないと考えるので、例えば「今日共産党は単なる社会民主主義政党に過ぎない」とか、そういう婉曲的だが印象操作と呼ぶにはあからさま過ぎる方法で、共産党への同情を表明したりする。

読者自身に疑問を抱かせ、読者自身に調べさせ、読者自身に気付かせる。自説をレッテル貼りによって批判するというのはなかなか良くできている。

というわけで、俺もさっそく実践してみるぜ。

公明党池田大作教の犬!

2008-09-25

http://anond.hatelabo.jp/20080924013240

濃いなぁww普通に俺よりどっぷり漬かってるようで・・・

ニコマス民ってなんなんだろう。。。

無条件に「ニコマス(ニコニコ動画内のアイドルマスタータグつき動画)」が好きな人って言うのなら多分自分は入らないんだろうな。

「静止画MADが好きでそれと同じくらい箱マスの技術に興味惹かれて、まぁあとはキャラも当然嫌いじゃない。」程度の人間だしね。

もちろんアイマスアイマスとして好き(という意味では反ニコマス派なのだろうかw)なんだけど、

俺の中ではあくまでそれはアイマス動画を反射的にクリックしちゃう条件の一つであって最大の理由ではないんだよなぁ。

VOC@LOIDM@STER祭りで「キオ式ミクを知ってびっくりするニコマス民も多いことだろう」という感想を見かけた気がするけど

「超個人的な好みを言えば、七葉ミク(あれだよあれ!で感じ取ってくれ)>>アノマロミク(リローデットも悪くないけどこの場合は今のほう)>>>自作エンジンの人(アイマス体型版)>・・・」

とか言えちゃう俺はやっぱり異端なんだと思うw(※俺の中ではボカロなんてメルトが未だに新曲扱い)

そんな感じで異端な身としては

PV系と架空戦記板ばさみになったり統一概念で理解できずに困ってたりするのを見ると

「なんで素材別クラスタごときに縛られなきゃいけないんだろう?」とか思っちゃうわけですが。

別に「表現方法別クラスタに再編成しろ」なんて言わないけど。今のニコマスという状態は大好きだし。

要は別に無理に網羅しようとしなくても、自分の好きな組み合わせのジャンル見れば良いと思うよ。

仲間だと思えば仲間だし、仲間だと思われれば仲間なのだから、そんな見えない敵とか壁とか作る必要はない。

もし見えていても見えないフリができるところがニコマスの強いところだと思う。

補足しとくとニコマスコミュニティ)については、結構好きだったりする。ので自分の中ではこっちの用法で使うことが多い。

とはいっても別に馴れ合いが好きだからとか言うわけでもなく、抽象的に言えばまぁ・・・おっさんパワー?

あの独特の雰囲気はボカロスレ辺りじゃ味わえない。

2008-09-23

http://anond.hatelabo.jp/20080923231515

まあ、出る杭は叩かれるっつーか、異端がみんなの攻撃対象になるのは日本の特徴というか

ういういじめ体質的な事はどうしょうもないので、自分の意見が本当に正しいと思うんなら

どうやって話を持っていくのが良いやり方なのかちゃんと考えることだね。

理解しようとしてない相手には何を話してもウザイ言動としか取られないから。

2chでは知ったかぶりのド素人プロ人間数の論理だけでフルボッコにしてるというのはよくあるんだと思う。

2008-09-19

わざわざ動画を止めてコメントする場所を微調整してる俺は異端なのか?

2008-09-10

http://anond.hatelabo.jp/20080910100241

俺も迷ってんだけど、空飛ぶスパゲッチというのと空飛ぶスパゲッティというのは

どちらが異端なの?

2008-09-04

カルト宗教を笑うアンチカルト宗教の人々が…

どっちがオカルトなのかわからなくなるくらいイタい

しまいには異端審問でも始めそうな勢いだ。

普通宗教までカルト扱いするし。

2008-09-01

特定の宗教を持っている人とアンチ宗教の人の間の、その宗教の是非についての議論によくありがちなこと。

anond:20080831160637

ある特定の宗教を持っている人は、自らの信仰の正統性を証明するのに、その宗教聖典と文献資料を論拠とする場合が多い。そして聖典解釈論の是非を問う場合としては、その聖典解釈論との論理整合性を証明することに心血を注ぐ。

同じ宗教をもっている者同士、または違う宗派であっても、同じ宗祖を源とする場合はその宗祖の言葉を正統性の物差しとして議論を進めるのが伝統的な通例だ。

宗祖の言葉に違うならば異端ということになる。

宗教をもつ人同士で議論する場合、文献(一部には統計学や体験)が常に強い力を持っている。

しかし、宗教の証明には、自然科学のように、実験証明によって何度やっても同じ結果を得られるという決定的論拠というものではないので、白か黒という二者択一的な思考ではその結論を出せない。

しかし、アンチ宗教の人にはそれがわからない。

アンチ宗教聖典や文献云々をその論拠に持たないぶん、宗教をしている人の人としての人格云々や自分自身の気分、または自然科学的な白黒思考を論拠にして裁断しようとする。

よって、宗教を持った人はアンチ宗教の人の主張を聖典や文献では論破出来ない。

アンチ宗教には行動や人格形成の基盤となる聖典が無い代わりに、そこにあるのは自分自身の心だけだ。

その自分自身の心というのは、いつも風に吹かれて揺れ動いている。

利害が絡めば利のある方向にすぐ動き、特に根拠は無くてもウザイと思えばそっぷを向く。

よって、宗教をする者はアンチ宗教の者を根無し草と思う。

そして、宗教をする者は聖典を自分の根っことしている。

ところで、自然科学の思考と人文科学の思考は相反するものだろうか?

いや、それはどちらも科学であり、本来は互いに補完しあう関係だ。

科学なき宗教迷信であり、宗教性無き科学は(精神倫理性が無いという意味では)地球破壊する暴君となる。

ゲーム人間失格

今までは「趣味ゲーム」を地で行く狭い世界を生きる人間だったけど

そろそろそれも終わりなのかもしれない。

ゲームがつまんないw

楽しめてないというのが正しいかもしれない。

理由は三つ。

ひとつはゲームが少しも上手くならないこと。

自分はゲームセンターにあるストリートファイターIIみたいな格闘ゲームとか

グラディウスみたいなシューティングゲームを主にやってる人で、

特に一年前、目標なし進路なし未来なしで高校卒業したあとに予備校行って浪人してる傍ら

高校時代までは田舎に住んでた土地柄で全然行けなかったゲームセンター

勉強そっちのけてゲームセンターとか何考えてるの?馬鹿なの?死ぬの?」と思いつつも

それこそ予備校の授業以外はゲーセンと言っていいぐらい熱心に100円を繰り返しゲーム型賽銭箱に入れていた。

でも少しも上手くならなかった。

下手なうちからもうこれ以上強くなれないという思いが出てしまったというか。

「そんなこと思ってるから勝てない」とかいうありがちな精神論は別にしても、

読み合いにはこれ以上読み勝てる気がしないし、その割には強い相手には何やっても先読みされたように処理されて負けてしまうし

シューティングゲームにしても同じように弾避けなどの基本的スキルを伸ばせる気がしない。

腕前としては

格闘ゲームはある程度歴史の長いゲームとはいえ

キャラを手足のように動かせるようになっても一年以上も一方的に負ける側で連勝することはできなかった。

ゲームセンター行く前もPC上でネット対戦とかちょろっとやったりゲーセンに行けなくなった後に別の家庭用のゲームネット対戦をやったりしたけど、

ほとんど同じ、勝った回数が指で数えられるぐらいの結果だった。

シューティングゲームも、2ちゃんねらーが口を揃えて「一日そこらでクリアできる」「超簡単」みたいな評価してるゲームに半年以上かかった。

(追記:ゲーム名は伏せる必要なかった?自分が主にやってたのはGGXX虫姫さまふたり、スマブラXタイマン。)

何事も上手になるのに必要なのはトライアンドエラーだと思う。

基本的なこと、それができたら応用的なことを覚えるのも重要だけど

負けた場合に負けた理由をよく考えて、それに対処して負けの可能性を減らしていくのが特に重要

自分は基本操作はそれなりにはできたけど

「そこ、引っかかるとこじゃなくね?」って所が悪い癖がついて躓いてた自覚が強く

応用操作はわからなかったので手をつけてなかった。

「次第に慣れていく」と思い込みすぎてほとんど思考放棄でプレイしてたので

どうして負けたのか全くわからなかった。相手の一定した動きを見つけられなかった。

何が何に強いのかわからなかった。キャラ対策を考える材料が無かった。

最近は何でもインターネット情報交換される時代だけど、時間が無かったし

学問みたいに長年をかけて培われてきたことじゃないことから

上手い人なら勝手に自分で考えるだろという思い込みも強かった。

勉強でも同じようにして常に考えるということをしてこなかったんじゃないかと思ってる。

ふたつは、

以前はRTSやFPSみたいなコア向けのゲームはやってないまでも

RPGとかシミュレーションゲームとかスパロボとか、ゲーオタの好きそうなゲームを好んでやってたけど

そういうゲームはどうやってもクリアできてしまう(ように親切に設計されてる)から、

確かに楽しいし楽しめるけど、挑戦しないからかえって時間無駄と思うようになってしまったこと。

いわゆる江川達也的発想。

三つめは

ゲームに関連したコミュニティに全く入れなかったこと。

スパロボ』のコミュニティには熱心に参加してたけど

ロボットアニメを見てないままスパロボにハマった異端者だったことが会話のネックになったことや

コミュニティオフ会に参加したときの周りのオタク臭さにまるでついて行けなかった。

オタク的な会話にすごく熱を入れて華を咲かせることもできなかった。

元々会話下手で友達いない人だった。

ゲームセンターに関しても

シューティングゲームでは周囲に同じくシューティングゲームに熱を入れてる人はいなかったし

いたとしても得てしてすごく上手い人だった。話しかけるなんて畏れ多い。

格闘ゲームも毎回ボコボコに負けてるような人に誰も話しかけてくれるわけもないし

こっちからもそんなの恥ずかしすぎて話しかけられるわけがない。

ゲームってのは元々コミュニティも楽しむものだったと認識するようになってからは

自分をすごく疎ましく思うようになってきた。

(追記:言われて思い出したけど「相手が楽しいと思ってくれてるか?」を意識するとますます思いをややこしいことにしてた。

「対戦後感想」を書かれても褒め言葉の大体が嘘を吐いてるように思うしかなかったし、

逆に正直に「弱いねお前」なんて感想は名前つきでくれるわけもなかったけど、

その「弱い、見るところなし、死ね」と思われていると自分で思い込んでしまったことでいろいろと邪魔したように思える)

特に「趣味ゲーム」にとってゲームの上手さは人生の一大事だと思ってた。

別に全国一位になりたかったわけでもないけど、時間さえかければそのぐらい行けそうみたいな感じがあれば十分だったけど

自分はピラミッドの最下層近くに位置する下手糞以外の何者でもないし、その一方でゲームを単なる遊びと捉えてる人が自分の実力を簡単に上回っていく。

ゲームを必死にやった者としてそんな現状を正視できなかった。かといって素直な心でゲームを楽しむことも、ゲームを通じてほかの人間と楽しむこともできない。

他人が上手くなっていくゲームは上手くならないし、一方でゲームを楽しめない、コミュ力も不足してるで、ゲームを心底から楽しめてない自分がいる。

だったらもう、ゲーム世界に参加せずに身を引いちゃったほうが善いのではないかと思ってる。

別にゲームがつまらない・悪いわけでなく、自分がすぐ上手くなってしかも奥が深くて楽しめるみたいな俺好みゲームを出してほしいわけでもなく。

ただ、一生懸命やった自覚も下手なりにあったし、たかかゲームという思いもあったから、今の自分には「たかがゲームもできないならもう何もできない」って考えしか無い。

(追記:「ゲームも真剣にできない奴が他なことを真剣にできるのか?」と真顔で追求してるのには半分同意半分苦笑。

他なことを真面目にやってそれなりにできてる人は、ゲームも興味さえあればそれなりにできると思ってます。)

自分の時間を大抵ゲームに費やしてきたこともあって、趣味からゲームが消え去ることでもう自分のすべてが消え去ってしまうという気分。

2008-08-30

http://anond.hatelabo.jp/20080830000621

自分の不満にはいくつもの要因がある。

  • 自分はそんなにパワフルな人間ではない。 →遅くまで働けば、帰っても疲れていて有効に時間を使えていない。
  • 仕事にそれほどの時間を費やしても、仕事で有能感を得られるほどの才能はない。 →人生仕事だけに費やしたくない。
  • (新入社員ということもあり)仕事にそれほど価値を見いだせない。 →労働は割にあわない。
  • それでいて、仕事をすることが献身的行為とも思えないし、献身的行為自体にもそれほど興味がない。→自分の為に裂く時間が欲しい。
  • 団体行動が苦手で、会社という組織の中で居心地が良くない。 →平日の大部分を会社で過ごしたくない。

で結論として、

「今の仕事は、面白いけれど、十分ではない。一番欲しいのは自分の時間

結局は、最後の理由が一番大きいのだろうから、その意味では逃避かなあ。

換言すれば、「こんな、異端で平凡な自分でも楽しい生活をおくりたい。」ということかな。

仕事にはそれなりの楽しさはあるし、忙しくあっという間にすぎてしまうのだけど。

ただ、仕事が終わってから、

夕食を作って食べたいのに、疲れているからと(スーパーも閉まっているし)おいしくもないコンビニ弁当を買うのが嫌で、

読みたい本があるのに寝てしまうし、趣味の腕を上げたいのに集中できないし。

で、「なんだか会社のために生きているみたい」と。

もちろん、他人の働きを否定するつもりはない。

ただ、不思議だと思ってしまうだけ。

2008-08-23

言外の意

はてなブックマーク - 知的障害者ねらい暴行、恐喝…少年グループ逮捕 - MSN産経ニュース

ブクマの反応に目が点になってしまった。

少年の、

身体障害者)をいじめて何が悪い」

という言葉を素で受け止めてる人が多くてビックリした。

これって、「障害者はいたわるべき」っていう社会的な合意やモラルを前提にして、あえてそれに反抗してみせるって思春期反抗期の心理の典型的な反応じゃん。

少年事件があると、普通中高生感想を聞くメディアもあるが、中に必ず「なんで人を殺しちゃいけないんですか?」なんていう奴もいる。これも、大人に歯向かってやろう、困らせてやろうとして言ってるんだろうけど、まさかこれを本気で「今の少年たちは人を殺してもいいと思ってる」なんて戦慄する人はいないだろう(90年代後半には大の大人が、こんな発言を受けて真剣に論争を繰り広げていた。滑稽だ)

少年らは木の棒をマイク見立て暴行の様子を実況中継。殴られた男性に「痛いですか?」などと“インタビュー”していた。

こういう行動からも、彼らの「幼さ」がわかる。

だから、「こんな奴でも更生するのか?」なんて危惧してる人も多いようだけど、こういう奴だからこそ、ちゃんとした教育をへて、「大人」になっていくんだと思うぞ。

つーか、被害者には気の毒だけど、俺は加害者たちの子供っぽさに思わず吹き出しそうになったよ。

逆にみんながやたら加害少年異端視してるのが不思議。そんなに騒ぐような事件か?

2008-08-15

童貞卒業論文考察

現在14歳の合田くんが2016年に書く予定の卒業論文電脳社会性を営む上で個性と協調性のどちらを尊重するか――プロデューサーとしての立ち位置からの英雄論』

内容:今の社会構造では、電脳が個の消失と共に無意識下での協調性を望む傾向にある事を示唆。それを応用して、大衆無意識意識的にコントロールするリーダーシステムの一部として創造する

「個の消失と共に無意識下での協調性を望む」とは、正に現代過剰に広がり若者の間では特に重要視される思想社会構造たる「KY」である。

空気」なる曖昧な場の流れを重視し無意識下でそれに準じ、異端となる個を極小に止める事が望まれている。

多感な中学生時代をこの様な思想を重視する環境で育った合田君。論文において示唆している社会構造は、彼の実体験をヒントにして書かれた物だったのでしょう。

「これを応用し、無意識意図的にコントロールするリーダー

学校クラス職場ムードリーダー

ネットにおいてはコピペブログはてな界隈における痛いニュースの様な存在がそれである。

痛いニュース構造

何かのニュースが流され、2chに様々な書き込みがされる。これは突発的に集まる個の集合体なのでKY現象が強く発現することは無く、個が消失されないままそこに残りやすい。

痛いニュースではそこに残された個を選別し、一部を強調する等して記事にする。

ある程度以上に意思を持って情報を選別している者に対しての効果は無いが、

そうでない者に対してはKY現象を利用し「無意識意図的にコントロール」する事が可能となる。

厨房の合田君はクラス負け組ヒキオタやってる間にこういう現象についても実感して行ったんでしょう。

論文の中ではこれをシステムの一部として創造する所まで書かれているらしいが、そこは現代における具体例が思い浮かばない。個人がそんなモンをプロデュースすることは可能なんだろうか

2008-08-09

都会生まれ

都会生まれって世間から見ると異端なんだなー。

私の事なんだけど。生まれも育ちも東京で、引っ越したのだって都内の区から区への1回のみ。

両親の実家千葉東京(今住んでる)で、いわゆる田舎のじーちゃんばーちゃんちっていうのを体験した事がない。

親戚付き合いって言うのも希薄だ。お正月お盆にはお線香あげに行くけどそれくらい。

 

大学に入って、いろんな地方の子と友達になったけど、

○○ちゃんの里帰りに便乗して一週間くらい観光してきます^^とか日記に書いてあってすごく違和感を覚えてしまう。

まず人の里帰りに便乗するっていうのがあんまりわからない。普通なの?たまに帰るんだから水入らずで過ごしたいとかそういうのないの?

よく親もいいって言うなー一週間も他人を家に泊めるなんて。ご飯代とか心配するのはあれなんだけど、他人の目がある分手抜き料理が出来なさそう。

とかこういうふうに感じてしまう。普通なの?世間では。

 

あと□□におじさんの家があるから遊びに来ない?というのもなんだか解らない。

え、おじさんの家はおじさんの家で君の家じゃないじゃん。なんで自分の家みたいに気軽に誘えるの?

と思ってしまう。…普通なの?

2008-07-21

http://anond.hatelabo.jp/20080630192904

このビラが見つけたかったんだが、こんなとこにあったのか。

参考: http://anond.hatelabo.jp/20080630041351

毎日の問題は、ネット軽視の体制にあると思うので、そこを改めれば、よくなるんじゃなかろうか。

ネット君臨」とか云ってたバッシングも、自社のネット部門/デジタルメディア局の軽視を背景に、「うちはこうだから、ほかもこうでしょ」って云ってたんだろうと思うんだけど、マイコミジャーナルの記事は、新聞社系のIT系ニュースとしては、すばらしい水準だったと思う。

waiwaiとか、一部のデジタルメディア局の一部の人ダメだっただけで、そうでない(ダメでない)人見異端じゃないかと。

2008-07-10

日本を支配しているステルス複合体

中川秀直・元自民党幹事長って面白いことをおっしゃる。

官僚国家の崩壊」っていう最近出した本の中にも、官僚機構などにネットワークをはる複合体の人脈を「ステルス複合体」と呼び、その「本尊」は学歴による優越意識に基づく大学同窓などの見えざるネットワークであり、たとえば、東京大学法学部出身者を核とするエリート人脈である、と書いている。

http://d.hatena.ne.jp/yumyum2/20080529/p5

官僚国家>を牛耳る<ステルス複合体>の得意ワザはズル、ウソゴマカシ。<医療>改革を<健保>問題にスリカエた。元財務大臣塩川正十郎が「財政の都合ばかりを優先、人間味に欠ける」と批判、元総務会長堀内光雄が「年寄り死ねというのか」と「文藝春秋」6月号に寄稿。当然だ。

自民党幹事長中川秀直、近著「官僚国家の崩壊」(講談社)で「(ステルス複合体は)学歴東大法)に基づく自らの身分に誇りを共有する。官僚機構日銀経済界、学界、マスコミなど、あらゆるところに巨大なネットワークを張る。この同質的人脈が『空気』をつくり、政策の『相場感』をつくっていく。彼らの醸し出す空気相場感に反するものは『異端』扱いされるか、無視され、あらゆるエリート層に、予定調和的な言動を強いて、同質化圧力を加えていく」(23頁)と書く。日本を牛耳り、食いモノにしている。

「『ステルス複合体』に政策を任せると、日本は必ずや『日沈む国』となる」(中川・24頁)。

小泉内閣以来、自民党が進めてきた改革の本質は何か。基本的な図式はよく言われるように、『霞ヶ関永田町』である。官僚によって、役人天国が形成され、今や、官僚が国政を操り、国を私物化しているという批判は、ある意味で正しい。官僚主導を本来の政治主導に戻し、国民のための政治に戻さなければならない」(舛添要一霞ヶ関VS永田町講談社・2頁)。参院政審会長2007年5月の刊行。正論だ。中川秀直火山も同意見

http://blogs.yahoo.co.jp/kome_1937/54679415.html

 その中川氏は日本東大法学部を中心とするエリート官僚たちに巧妙に支配されており、政治官僚コントロールできていないことが、日本の改革が進まない最大の要因であると主張し、改革に反対するエリート官僚たちを厳しく批判する。選挙の洗礼を受ける政治家は、政策の失敗に対して責任を追及されるが、官僚たちは、匿名のまま、政策を作成し、それが失敗に終わっても、結果責任をとることもない。政治家がいくら改革の旗を振ろうが、最大の既得権益者であるステルス複合体が改革を許すはずがない。彼らは官界を越えて、産業界、学界、マスコミまでを網羅した東大法学部人脈を通じて、相互に補完し合いながら、自分たちの力の保全を図っている。これが中川氏が日本の最大のガンになっていると断罪するステルス複合体の実態だ。

http://www.videonews.com/on-demand/371380/001321.php

 ステルス複合体とは

東大法学部を中心とするエリート官僚たちが、官界を越えて、産業界、学界、マスコミまでを網羅した東大法学部人脈を通じて、相互に補完し合いながら、自分たちの力の保全を図っている集団」

の事を差すようです。

 私見ではそのようなゆるやかな連携存在すると思います。しかし、本当に「ステルス複合体」が「抵抗勢力」なのでしょうか?そもそも、「新自由主義の導入=改革」に抵抗するのは国民国家利益を考えると穏当な場合もあり得るわけです。

 確かに、官製不況なる言葉に表されるように、近年は所轄官庁が所轄官庁であり続けるための政策が実行されて、民業の足をひっぱるような事態も起きています。また、膨大な公債が積み上がり、国家財政事情は悪化しています。公務員給与総額を減らさねば、国家破産は避けがたい状況です。よって、キャリア官僚制度の弊害は存在することは間違いありません。

 しかし、小泉純一郎こそが、財務省族議員であり、なおかつアメリカ利益を代弁する外資族議員です。旧大蔵省理財局は財政投融資を通じて毀損しまくった郵貯簡保総務省(旧郵政省)に返し、なおかつアメリカに売り渡すことにより責任を逃れようとしています。その片棒を担いだのが小泉純一郎竹中平蔵です。後期高齢者医療制度を導入したのは当の小泉純一郎です。後期高齢者医療制度本質竹中平蔵の言うところの「人頭税」の制度導入に他なりません。

 結論から先に申し上げれば、殲滅すべきはステルス複合体ではなくて、清和政策研究会です。「官僚政治にそよぐ葦」であり、昨今の悪政の源泉は売米政治を続ける清和政策研究会にあります。

http://wanwanlapper.seesaa.net/article/99881325.html

新聞業界談合を許すな【再販・特殊指定廃止】

418 :名無しさん@3周年:2008/06/27(金) 02:06:05 ID:FVsDlK8i

http://www.videonews.com/on-demand/371380/001321.php

中川秀直の狙いは政官財のステルス複合体の維持にあり」

ゲスト中川秀直氏(活字文化議員連盟会長

メディアコングロマリットを中心として政官財がなす

ステルス複合体の番犬中川秀直が自分の利権を旨みを語る!

http://money6.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1145095961/418

2008.06.11 とんだ食わせ物!中川秀直著『官僚国家の崩壊』

暴論珍説メモ (38)

田畑光永 (ジャーナリスト

しばらく前、自民党大島理森国会対策委員長テレビで「ねじれの丘」というのを歌って見せた。「今日も昨日もねじれの丘で・・・」と。

 そう、今年の通常国会は初めからお終いまで(まだ終っていないが)、確かにねじれねじれで明け暮れた。自民党は要所で例の「三分の二」条項を使い、それではせっかく昨夏の参院選で大勝した甲斐がないと民主党福田首相への問責決議案を出そうとしつつも、その後の見通しが立たずに逡巡しつつ日を過ごしてきた。いよいよ今日明日中に出すとか言っているが、さて土壇場でどうなるか、あの党のことだからなんともいえない。

  ではあっても、国民からすれば、なんでも自民党の思い通りにはいかなくなったという意味で、去年、自民党を敗北させただけのことはあったのだが、駆け引きばかりが表に出て、国政を論ずるという点では「政治不在」という印象を免れなかった。

  ところが、ここへ来て自民党内にいささか波風が立ってきたらしい。4日、総裁派閥町村派で代表世話人を務める中川秀直幹事長を囲む「中川勉強会(仮称)」が発足したというのである。現職総裁を擁する派閥はなるべく低姿勢を保って、総裁任期を全うさせることに意を用いるというのが常識なのに、その総裁派閥の中で派中に派を作るような動きは異例である。

  だから早速翌5日、同派の最高顧問である森喜朗首相派閥の総会で、「福田さんが今にも代わるのではないかと予測したような動きは、誰もしていないはずだ。我が派がいちばんやっちゃいけないことだ」(6日『朝日』)と苦言を呈したという。もっともである。

  年金の騒ぎが収まらないうちに、後期高齢者医療保険またまた国民を怒らせてしまった自民党は、民主党衆議院解散要求をなんとかしのいで風向きの変わるのを待つしかないというのが現状だが、すくなくとも「福田では選挙は戦えない」というのはコンセンサスになりつつある。といっても今の衆院議員任期来年の9月まで。あと1年ちょっとしかない。それまでに福田総裁の後釜を仕立てるとなると、すでに手を挙げている麻生太郎幹事長がタナボタということになりかねない。

  そんなにやすやすと政権をくれてやるわけにはいかないというのが、現職総裁派閥に身を置きながら、派中派をつくるという異例の行動に出た中川氏の胸中であろう。4日の初会合には同派の議員33人が出席し、そのほか秘書20人の代理主席(雲行きを見て参加しようという議員)があったという。相当な数である。

中川氏といえば、2000年に小渕首相が病に倒れた後に発足した森内閣官房長官に就任したが、女性スキャンダルで無念の辞任に追い込まれたことは記憶に新しい(でしょ?)。それ以来、政府の役職にはつけず、もっぱら党で国対委員長政調会長幹事長を歴任してきたわけだが、謹慎ももういいだろうと表舞台に立つ決意をしたようだ。

  その中川氏、最近官僚国家の崩壊」という新著を出した。政治家が本を出すのは野心がある時が多い。安倍前首相総裁選前に「美しい国へ」を出し、麻生氏が「とてつもない日本」を出した。中川氏のこの本も氏の政権取りへの信号弾なのであろう。

  読んでみた。実は読み通すのが苦痛だった。題名のとおりわが国の官僚政治家を手玉にとって政治を動かし、自分たちの既得権益にしがみつくのを痛罵している。防衛省厚労省国交省財務省などなど、事務次官ゴルフ漬けから職員の居酒屋タクシーまで、お役人たちのすることに腹を立てていない人はいないはずだから、官僚を痛罵するのはいい。しかし、なんとも中身がうすいのである。

日本をウラで操る「ステルス複合体」などという新語を作って売り込んでいるのだが、話はあっちへ飛び、こっちへ飛びで、付き合うのに骨が折れる。しかも論旨はなはだ粗雑である。

  例えば、自民党内には党人派と官僚派というグループ分けがあるが、現在福田赳夫(現福田首相の父)以来の清和会の総理が四代(森、小泉安倍福田)続いているが、著者は「日本の順風の時代を担うのが官僚派であり、逆風の時代を担うのが党人派だ」とのべ、いかにも自分たちが今の日本を背負う党人派だと言いたげである。しかも、それ以前の党人派政権となると20年以上も昔の、1978年に退陣した福田(赳夫)政権までさかのぼらなければ存在しなかったと言い、「2000年の森政権誕生は実に20年ぶりの政権交代であった」とまで言う。

  こんな出鱈目な話はない。福田赳夫という人は大蔵省(当時)の主計局長まで務めた官僚中の官僚であり、その福田内閣の後に登場してきた自民党の歴代首相の大半、すなわち鈴木(善)、中曽根竹下宇野海部橋本(竜)、小渕の各氏はすべて党人である。官僚出身は大平、宮沢の二人しかいない。鈴木から小渕にいたるまでの各氏は、自身は党人でも官僚に牛耳られていたから「官僚政権」だというなら、それはそれできちんと分析して見せるのがモノを書くということである。

  もう一つ挙げよう。著者は道州制の支持者だそうだが、道州制を導入すれば国と地方の公務員が大幅に減るとして、現在国家公務員30万人、都道府県公務員35万人、市町村公務員105万人、合計170万人が、それぞれ10万人、15万人、基礎自治体20万人の合計45万人になるという図表を大きく掲げている(257頁)。公務員がざっと4分の1になるというのだから、国民としては耳寄りな話である。しかし、この図表についての説明は1行もない。見落としたかと思って探してみたが、どこにもない。こんなものが本といえるか!

  よく知られているように、中川氏は官僚無駄遣いをやめさせ、なによりも経済を成長させることができれば、それによって消費税は上げなくてもやっていけるという立場である。消費税の値上げは避けて通れないとする「財政再建派」、とりわけその代表格である与謝野馨氏と対立している。前著「上げ潮の時代」以来、消費税値上げ不要論が中川氏の売りである。

  本書でも中川氏は従来の主張を繰り返し、竹中平蔵氏の市場メカニズムによる改革路線を

大いに持ち上げて、その継承を打ち出している。それは考え方であるから、私には異論があるが、それはここでは述べない。私があえてこの本を取り上げたのは、日本指導者たらんとする人間がその主張を書物という形で公にすることは大いに称揚したいのだが、それにしてはあまりにおざなりなものを持ち出してくるその傲慢さが腹に据えかねるからだ。

  街頭演説や反対党との討論やテレビ番組では十分に考えを説明できないから本を書いてとことん説明するというのなら大いに歓迎だが、大衆にはいい加減なことを言っておけばいい、どうせ細かいことはわからないのだから、箔をつけるために本を出すという人をばかにした態度は許せない。そんな御託につきあう暇はないのだ。

  中川氏の本だけを取り上げるのは不公平だから、次回はライバルとされる与謝野氏の新著「堂々たる政治」を紹介することにしよう。

http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-370.html

ステルス(Stealth)とは、軍用機軍艦、戦闘車両等の兵器をレーダー等のセンサー類から探知され難くする為の軍事技術の総称。

単にそれらの技術を取り入れて開発された兵器を指してステルスと呼ぶ事もある。「ステルス性」という言葉は「ある兵器がセンサー類からどの程度探知され難いか」という事を相対的に表す。ステルスの本来の意味は「こっそりとする」「隠れる」である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ステルス_(軍事)

2008-07-06

最近気持ち悪いなぁと思う言葉

人間力

非コミュ

KY

なんていったらいいのか分からないけど、曖昧定義言葉の裏に暴力的な何かが隠されているような気がしてならない。

少数派や異端の排除、それに伴い多数派や権力者の絶対化を推し進めてるように思えるんだよなぁ。

例えば僕が人間力の低い奴だと言われても、結局何が悪いのかわからないよ。

マナーがなってないとか、そういう具体的なことを言われれば対処のしようもあるんだけど……

で、更にこんないい加減な言葉は各人によって定義が異なってくるだろうから、

思想良心の領域にまで踏み込まれて人間力非コミュだと騒がれたらたまったもんじゃないよね。

2008-06-22

http://anond.hatelabo.jp/20080622173740

はいはい。「女が悪い」とは言ってない、女が混じってるのが原因だと言ってるだけ、なんだよね。

原因を女に血迷うDQNじゃなくて「女がいること」の方にしちゃってる認識っておかしいよ、て指摘されてるだけなのに。

そんなDQN、どこにでもいるわけじゃないし、いたとしてもスルーすれば問題にはならん。

つーか、あなたが社会じゃなく中高が問題だというのなら、中高の共学校サークラ問題で大変なことになってるところがそれなりに出てきそうなもんだが、むしろ共学校程そんなの無縁だよ。

男子校にいたら女は異物として排除できるから「女がいるから問題が起こる」という意識が培われやすいんじゃないかという話なわけで、あなたの論理を聞いてるとまさにそのとおりだなという感じだわ。

「金が絡む場」に相当するのは恋人獲得合戦のために集う「合コン」の場ぐらいで、そこで牽制しあいが起こるのは自然。だから金が絡む関係だと友情が成立しにくいに対応するのは合コンの場だと友情が成立しにくいという状況。

それを合コン以外の場所にも無理矢理適用させようとしてるから喩えになってないんだよ。

「女を侍らせて青春エンジョイしたいって欲求が淡泊な俺」を特別視してるみたいだけど、ネタならともかく素で女を「侍らせたい」と思ってるほうが異端だから。

あなたは合コンでしか女と同じ空間にいたことがないのかな。

http://anond.hatelabo.jp/20080622100529

お返事どうも。

本当ですか?「早稲田非モテだが慶応モテだろう」というような話ですね。ブランドイメージの話をしているのではないのです。

いや、ある程度相関はありますよ。俺は非モテ男子校出身ですが、モテ男子校出身のやつは俺の基準ではあり得ないような遊びをしてる人がたくさんいます。底辺は似たようなものかもしれないですが、モテの頂点の高さの桁が違う。語弊のある言い方ですが、向こうは平均も高いし分散も大きい印象です。

そりゃまぁ高学歴志向の女性からみたら、有名進学校出身者はそれだけで恋愛対象候補になるのかもしれませんが

なりません。俺が身をもって保証します。もうすぐ魔法使いです。

おそらく大半の、そうでもない女性から見たら、「あの人ってさすが(某有名進学校)出身よねー」って理由で

女性に対する鈍感さや、性格の特異さの理由付けがなされてしまうのではないか、ということです。

それこそブランドイメージの話だと思いますが、それはあると思いますね。俺は基本的に他人に対する警戒心が強くて、それで初対面の人にはだいたい無愛想だと思われるんですが、「高学歴だからプライド高い」って陰口たたかれてたことが何度かあるみたいで。

違うんだってば。言葉を交わしたことがない相手は誰であっても怖いんだってのに。で、なんで怖いかというと「キモい」と言われるからだってのに。ただ正直、よく知らない相手を「ダサい」「キモい」などと露骨に罵倒しない「政治的な正しさ」については高学歴の人の方が身につけている人が多いような気はするけどね。別に学歴主義って言うんじゃなくて、自分が異端児である人間は、異端である他人を理解しやすいというだけのことだと思いますが。

2008-06-19

卒業式等における国旗掲揚国歌斉唱もんだい

現時点での拙の感想

教育国家から独立して成り立つべしという空想的理想論→アリ

日の丸君が代侵略戦争シンボルだからダメ→ナシ

そもそも○○式などというものは参加者を所属するものへ無条件に従順に従わせ、帰属意識を高めるための儀式的なイベントであり、極めて反動的である。

よって卒業式などという反動的なものを執り行う事に反対しないどころか出席してしまう事がそもそもの間違いなのであるッ!

結論:卒業式等を止めればよい。

さて参加したい反動的な輩だけが参加すればよいという折衷案を提案する愚か者がいるかもしれないが断じてまかりならんぞ。

帰属意識を高めるための儀式はその組織に所属するものが原則全て参加する事に意義があり、参加しない者はあくまでも迫害されるべき異端でなければならない。

普通にサボってる奴?そんなもんいずれ簡単に何かに従属させられるだろう。

結論:自由参加はあり得ん。

2008-06-12

そして出遅れた記事を書く

 秋葉原での殺傷事件の犯人像としての報道の際、容疑者同人誌を所持しており、PCで動作する弾幕シューティングゲームの愛好家である、と報道されました。

 別に本当のところがどうであったか、とかそういうのに興味はありません。

ネット界隈では「捏造じゃん」という声が多く上がりましたが、そもそも捏造であった証拠も出ていない状態であり、かつその情報源は外部人間が知ることのできない部分であるゆえ、捏造があったとしてもそれほど不思議ではないとは思います。が、そこは今回の論旨とは関係ない部分です。今回話したいのは

 報道機関は何故、「アニメゲーム」にこだわるのか。

 結局のところ、一般の視聴者から見て「異端である」と理論付けを行いたいために報道機関はこれらのレッテルを対象に貼り付けた上で、そのレッテル関係ない人々からの視点で対象者を叩く(というと語弊がありそうですが)わけです。

 そのレッテルにあたる部分ができるだけ特異的なものであり、かつ正常とは考えにくいものを作りたい。その行動自体いわゆる「以上性癖」に関係するような、『人間の欲望』レベルにまで昇華させたものを報道機関は欲しているわけですよ。日本に住む大多数の人間とはかけ離れている、と見せたいがために。

 ところで、一般的にテレビのまんが(アニメという単語にすら行き着かない層)は子どもが見るようなもの、と捉えている人から見た場合、まずアニメゲームに熱中するオトナがすでに「ありえない」ものとして見えてしまいます。ここまでは日常的な範疇での異常行動であるとしてそういった層は捉えており、表立って何かするわけではないけれど、ちょっと気味が悪いな、程度の事は考えているのかもしれません。

上記内容を踏まえた上で、ある人物が今回のような何かしらの事件を起こしたとします。そしてその人物は「アニメゲーム」に精通していると報道がなされれば、先ほどの層は途中部分をはしょって「やはりまんが・ゲームばかりしてるような奴は怖い、オカシイ」という短絡的思考を経、更に「アニメマンガ」に対して嫌悪感を抱いていく方向に蓄積していきます。

 卵が先か鶏が先かという話ではないですが、もうそういった「刷り込み」が行われてしまっているのではないでしょうか。

 アニメと異常者行動を結びつけた最初のきっかけは東京埼玉連続幼女誘拐殺人事件における宮崎勤であり、この事件を報道機関報道した瞬間からもうすでにアニメ = オカシイもの、という刷り込みが始まったものであると考えられます。また、この宮崎事件について報道機関はその異常性を極めて高く取り上げ、徹底的に叩きを行ったためにその後の同様の「アニメゲーム」に関係がありそうな事件における報道態度にほぼ必ず「アニメ」の文字が登場するようになったのではないかと稚拙ながら考えるわけです。

 そういった理由を複合して考えていくと、とりあえず事件を起こした容疑者がホンの少しでもアニメ関係が有りそうと報道機関発見した場合、もうどれほど小さな結びつきであっても容疑者アニメ好きという報道体勢をとれば、『アニメ好き = キチガイ』というレッテルをごく簡単に、何の苦労もなく貼ることができるわけです。楽ですよね?

 ちょっと長くなりすぎなのでここで一度とめます。続き → http://anond.hatelabo.jp/20080613230127

2008-06-02

http://anond.hatelabo.jp/20080602201055

「抜いて光らせてヤスタカ」ってもう完成されたモノだからそれを模倣してもなんら新鮮味がなくて結局伸びないと思う。

わかPじゃない「抜いて光らせてヤスタカ」なの最近2つぐらいあったと思うけど、どっちも結構伸びてたと思う。それらに新鮮味が無いと言ってるわけではないよ。

あと、IRCTwitterもやってる俺は異端ですか?

異端じゃないと思う。結構そういう人ばっかりな印象がある。

IRCログインしないと見れないし、基本的にその時その場に居ないと読めないでしょ。

その辺が閉鎖感があって、ちょっと抵抗がある。元増田の言ってる状況の一因もここら辺にあると思う。

その点twitterなら、誰でも昔の発言でも読めるじゃん。IRCの一回の発言の長さもtwitterと変わらないでしょ。

重かったり落ちてたりすることが多いのが問題だけどw

とか書いてるとほんとにぎろかくみたいだなあ。

2chと違って長文が嫌われないのがいいけど。

http://anond.hatelabo.jp/20080602165017

「抜いて光らせてヤスタカ」ってもう完成されたモノだからそれを模倣してもなんら新鮮味がなくて結局伸びないと思う。

やるならもっと新しいことをしないと。

そんな俺はいまだにダンスシンクロノミなんですが。

あと、IRCTwitterもやってる俺は異端ですか?

Twitterは見る側の意見が多い印象。動画の技術的な話はまったくない。

技術的な話をするならIRCかなと思う。

2008-05-22

高卒の僻み

今日のホットエントリに何で博士課程に行かなかったかについて長々と書いてるエントリがあったけど、ああいうのを見るたび、要は実力がないだけなんじゃないですか?って思ってしまう自分て異端かなあ。

いや、まあ、国立の学費を私立並に・・・とか言う試算の話は自分も反対なんだけどさ、お金で諦めました!って言っても実際親に負担かけずとも少なからず給付奨学金もあるし、RAとか実力が抜群なら学振もあるよね?

お金とか適性とか色々それっぽく書いてるけど、結局実力が足りなかったことに対するいいわけじゃないの?って思ってしまう。

ていうか、博士過程1人あたりに税金1億円分かかるっていう話もあるわけで、実力のない人には軽々しく行ってほしくないなあ。

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