はてなキーワード: 楽器とは
高校入ってからは歌のテストは全部サボるという技を手に入れたので、そこまでのトラウマ経験はなくなった。でも就職すると、カラオケの機会が出てくる。友人に付き合ってもらって、当たり障りのない歌を十曲ほどマスターしてそれで凌ぐ今日この頃。新曲?無理無理無理。一曲それなりにまともに歌えるようになるまでに何十時間必要だと思ってるんですか、て感じ。デュエットとか、誘われると困る。でもまあ周りの年齢も上がって、私も年を取って、少しは音痴なのを笑い物に出来るようにはなったと思う(でも音痴なんですーとか言ってても、本当に音痴だと引かれることが多々ある)。
音程も高低もさっぱり分らないので、とにかく歌を覚える時は反復練習。体に覚えこませる。覚える時はメロディと歌詞を別に覚えるのではなくて、メロディごと歌詞を覚える感じ。同じメロディを別の歌詞で歌うということが出来ないので、一番を歌えたからといって二番も歌えるとは限らないのが音痴クオリティ。
音楽のせいではなくて、ステージフライトに近かったのかもしれませんね。そのあたりを汲んでもらえていたら、方向性も変わっていたかもしれなかったのに残念ですね。しかし、他の方向に資質をのばせたのかもしれないとも言えますよね?
確かに上がっていたんでしょうね。ただ、基本的に人前に出ることが好きな人間なので、あれほどの極度の緊張状態に陥るのは音楽の歌の試験(あるいは楽器の試験)限定でした。どんな厳しいプレゼンでも、ここで発表するくらい、一曲歌うことに比べたら全然楽だ、と思ってしまう人間です。
でもって最後の一文がちょっと分らないです。
この歳になるといろいろな結婚式や結婚披露宴に招かれるけれど、とある披露宴を超える披露宴には出会っていない。
・写真は新聞社に勤める新郎の同僚が担当。(これがさすが報道写真を撮り慣れているだけあって、印象的な撮りかたなんだ)
・ビデオ撮影は金銭的な理由か、なし。
・お色直しもなし。
・新郎がかつて参加していたバンド(メジャー)による生演奏あり、新郎の親族(某交響楽団某楽器第二奏者)によるソロ演奏あり、果ては新郎新婦による協奏あり。
思わず失笑してしまうような臭い大演出もなかったのに、10年以上経っても内容を覚えている、それだけでもすごい披露宴だったなあと思う。
新郎側に普通ではなかなか得がたい人脈があったおかげなのは否めないが、「これ、いくらかけたんだろうねえ」と思うような披露宴に出会うたび、つい、この披露宴と比較してしまう。
金をかけても、中身が伴わなければ、意味がないんだよねえ。次の日には、新郎がどんな生業の人だったかとかなんて、ぽかんと忘れてしまう。
これから結婚する人々よ。特に私が出席しないといけなさそうな同僚たちよ。ぜひ、ウェディング業者に惑わされず、ご自分のやりたいことを心置きなく表現なさり、かつ招待客にも楽しい、思い出深い披露宴にしてください。いやほんとお願いします。今まで、そしてこれからも招待される側でありつづけるだろう人間として、お願いいたしますです。
朝4時に目が覚めた。2度寝した。(笑)
んで、夢を見た。
駐車場近くの陰でほしのあきとキスした後、ほしのあきと別れて、駐車場に行くと前付き合っていた彼女がいた。
なんかロングのストレートだった髪は中くらいの長さで先がパーマ掛かっている感じの髪型に。がっかり。
それで彼女には「やっぱり付き合えない」とか言われるし。付き合いたいのは山々なんだけど、こっちは何にも言ってないけど…。
その後、車で移動したらどこかの楽器店かなぁ、クラリネットがあって吹いてみたら、あんまりにも薄っぺらい音がして悲しくなった。うわーこんなに下手になったんだなー。やらないと。(当たり前か)
試吹室の巨大なところ(体育館みたいなところ)で、また彼女に会った。
今度はオサゲの髪型になっていた。
おわり。落ちない。
ITmedia News:「Web2.0は大嫌い」とひろゆき氏 ニコ動有料版で「もっと面白くしたい」 (1/3)
ひろゆきといえば2ちゃんねる管理人。そして最近ではニコニコ動画。
上の記事でもこの人の食わせ者というか食えない男っぷりが満開に感じます。
「愚にも付かないものにお金を払ってくれる人は、
「無駄の集大成で文化を作りたい」などなど
他のYoutubeなどで有名な無料の動画サービスより灰色がより一層際立つ。
ネットでだいぶ流行ってる「レッツゴー!陰陽師」「おっくせんまん!」
「ハレ晴レユカイ」「もってけ!セーラーふく」などの改変やダンスや楽器演奏の二次創作は一通り目を通したのだけど、これらって著作権で縛りつけたら、盛り上がらずに多くの人にも知られず、誰も元コンテンツにお金なんて落とさなかった可能性が高い。
だけどそれがきっかけで著作者にとってプラスの現象が起こっている。
本気で縛りつけたらすべての盛り上がりや文化や今後につながっていく作る側のモチベーションも全部つぶれてしまう。この矛盾をこれからどうしていくんだろう?
それともこのまま灰色に染め上げていくのだろうか?
もっと締め付けを緩くしたり・きちんとしたルールを作り上げれば、余計楽しくて著作者も儲かるハッピーな制度ができそうな気がするのだけど、これからも日本の長老さんは現状維持をするのでしょうか?
例えば現状では違法と呼ばれる行為が元で生まれた、ユーザーが作った良質のコンテンツをのちにきちんとした形で著作者が商品に組み込むとかすれば、私なんかはドラムやピアノのスーパープレイ動画の特典なら即買いしてしまうそうなんですけどね。
なんか高校あたりの年齢の学校のオーケストラかなんかで何故かクラリネット系の名前の楽器のものを自分が選んでそれを演奏する事に。
しかしそれはクラリネットなんかじゃなく、サンなんとかという名前だったろうか、サンクラリネット?まぁ形状は筒形でチェスの駒のクイーンやキングみたいな形状だった。
それを吹くととりあえず失敗、その後中学生時代の同じ部活だった比較的聡明な友達がその楽器の扱いを何故か本能的にある程度はわかっている設定で、トゥーという形で吹くと上手く音が出るよということだった。
なのでトゥーと吹いてみる。そうすると、その楽器は比較的低い音でドゥーーーーーーと響いた。吹くのをやめてもそれは止まらず、指で押さえていてやっと止まった。指を離すとまた反響が続いて音が鳴っているため、かなりうるさい。
そこでよくわからないけどかなり偉いっぽい外人の先生のところに自分なんかがいくべきではないが、この謎の楽器を止めるためにどうしたらいいのか?と聞きにいったが他の生徒に話しかけられているので諦め、他の手段でとめ方を調べる事に。何故かスポーツ新聞ちっくなものでさっきの聡明そうな男子がこの記事にその楽器の事が載ってるよ的なかんじで持ってきた。どうやら物凄く音が出る楽器らしく、音が出すぎて奏者は大変だったようなことが書いてあるブログのエントリだった。そしたら他の先生がやってきて、おー、君はその楽器を選んだのかねとにこにこしていた。アドバイスはあったろうか、それ以降は覚えていない。
場面一とどちらが先立ったか覚えていないが、最初は一番最初に住んでいた家周辺のようなコースを、次に現在の実家の周辺のようなコースを女子マラソン大会のような感じでマラソン中のようだった。最初のコースでお、何故か女子マラソン大会やっとると思った自分はエロ心でマラソンコースを逆走し始め、おぉ、あの人格好いいと思われるために走る。自分の前か後ろには普通にマラソン好きそうな眼鏡かけたおじさんが日課のマラソンちっくな走りをしていた。
ある程度走ると、線路があって、踏切が丁度下りていたので止まる事に(別段自分はマラソン大会に参加しているわけでも無いので無理する必要も無いし)。それで電車が来るのかなと思ったら、前の道路を車が通り過ぎた。一度踏切が上がった後、すぐにまた踏切が下がってきて、もう一度車が通り過ぎた。{その前後で子供とのかけあいか、おばあさんのあたりに視線が向いていた気がする)
それ以降は覚えていない。
オシムのような印象という漠然としたイメージだけで形成されたようなはっきりとした外見がないまま夢が始まり、夢が継続し、夢が終わった人物と、比較的大規模な木工のような作業をする場面。
場面一でその人物のような印象の人物との繋がりがあった気がする、指導者的役割という意味で、場面一の最後の先生のような役割の人だろうか。
場面三ではその人物と木工のようなことをした、メンバーは場面一の高校メンバーから男子を抜いた感じだったろうか、前面に出てきたのは男子で、自分の中にはクラスのような印象もある。
そこでは最後のところだけ覚えていて、最初にその指導者のパートナーに選ばれた自分は、最後に結局バーナーを指導者である彼の切った木にかけ乾かすということを指示された。
最初に指導者は特殊な形状のバーナーで木を乾かすことを実演、木は大体8平方メートルほどで木の周りに置いてあるクラスメイトの持ち物(靴や荷物など)をかるく燃やしながら木を乾かした。
その後自分がそれをやることに、クラスメイトからはおいおい、それやっちゃうのかよ、やらせちゃうのかよといった感じで揶揄される。
自分が何か言ったのを、オシムは18時30分には帰らなくちゃいけないのか?と問いかける。いや、そうではないと返答。
その後バーナー作業に入った。
それ以降は覚えていない。
昨日寝起きに屁をこいたら3発でた。
ブッ、ブッ、ブッ。
とにかくすべてが完璧だった。
なにか楽器が鳴ってるのかと思った。
しかもその曲が
アーーアッアッアッアッアッアッアッアッアーー
アーーアッアッアッアッアッアッアッアッアーー
の、イントロ4音のうちの3音だった。
頭の中で天使あたりが光臨してきた。
バッハだかモーツァルトだかヴェルディだか知らないがこんな風にして曲をつくったのかと思った。
たぶんこれから一生こんなこともないだろう。
そんなことを昨日増田で書いてから寝ようと思ったら増田が落ちていた。
書いて忘れるつもりだったのに、おかげさまで長期記憶に入ってしまった。
これは一生忘れられないかもしれない。
徹夜の時間潰しに生まれてからの四半世紀を覚えている範囲で振り返ってみました。
一部あんまり意味の無い記述とかありますがあんま突っ込まないでくれれば幸いです。
1981年生まれの25歳。
■保育園時代
今考えるとこの時から周り(他の園児)と馴染めず一人遊びが多かった。
■小学校低学年
外で遊ぶ事が多かった。
ただ、同級生らと遊んでる最中に気が付くと置いてけぼり食らって一人だったとか。
何かに気が行くと周りが見えなくなるタイプだったという事か?
この頃から家庭訪問では毎回"やればできる子"と言われる。
それが真実だったかどうかはさておき、特に何もやらずに過ごす。
ファミコンに代表される家庭用ゲーム機が本格的に普及し始めたのもこの頃。
ファミコンを親に激しくせがんだ末に買って貰ったのはメガドライブ。
当然の如く、これはファミコンじゃない!と抗議。
父親の実家から祖母がやってくる。
■小学生高学年
母親の入院が長期化。5年生の一年間を父親の実家がある沖縄で過ごす。
それまで特に何の説明も受けず、こちらからも聞こうとしなかった故に、
あまりの唐突すぎる状況に全くついていけず通夜の晩は普通に就寝。
翌日の告別式でも涙が出ない。火葬場で棺が納められた炉の扉が閉まって、
ようやく思考が現実に追いつく。泣く。父親にしがみ付いていた記憶がある。
何度か棺の中を見た記憶はあるのだが死に顔は全く思い出せない。
その後沖縄に戻る。
春になり東京に戻ることになったが、父親の横には見知らぬ女性が。
幼児までいるし。告別式の晩に泊まった、父親の部屋には誰かと一緒に生活
している気配があった為、特に大きなショックも無く。
今考えると驚くほど違和感無く打ち解ける。弟の世話もなかなか新鮮な体験だった。
将来の夢は弟の影響で保父(保育士)だったが楽器演奏が壊滅的だったので諦める。
■中学生
入学当初がピークで成績は下がりっぱなし。ただ、非行に走ったとかいうわけでもなく
周りが進んでいく中で取り残されただけだった。
集団の中での規律というかルールを守るタイプの人間でもなかったのでいじめられる事も
しばしば。とはいっても極端に酷い状況に追い詰められる事はなかった。
文芸部の活動で歌舞伎座に行った時は、東銀座にも関わらず物凄く遠くに来たような気がした。
(生活していたのは練馬区)
■高校生
この頃から、ようやく世間(外の世界)を意識するように。
ただ、将来の夢は無し。周りが就職するっていうから流されて就職。
■社会人(19??
1年目
2年目
(印刷機から製版機へ)
自分を含めサポート人員が全国で3人しか居ないという状況で出張範囲が
一気に関東から九州まで広がる。でも、営業部だから手当は雀の涙。
3年目
業務内容は変わらず名古屋に転勤。
MMORPGを憶える。
4年目
大阪に転勤。業務変わらず。
が、そこの所長とウマが合わず転勤後2ヶ月で退職。
■NEET?生活(22??
1年目
ネトゲやってるか寝てるかの生活。外出は基本的にコンビニ行くときのみ。
バイトも試みるものの長続きせず、この頃は殆ど変化のない生活だった為、あまり記憶に残っていない。
2年目
前半はネトゲ生活。部屋から物が無くなる。(お察し下さい
夏に、会社員時代の同僚からmixiのお誘いがかかる。それほど時間も経たないうちにコミュのOFF会に
出てみたりするなど生活に変化が。OFF会である人物と仲良くなる。
その頃からネトゲの幻から目が覚める。でも仕事はしたくない・・・したくないというか、やりたい仕事とは
あまりにもかけ離れていた為、やる気が出なかった。
やりたかった仕事というのは、IT系のハードウェアに近いところ。
NEET生活も3年目に挿しかかろうという頃、住所不定に転落の危機。
藁をも掴む思いで前述の人物に相談。「東京じゃなないところで生活する事になるけど行く?」と
聞かれ、即答。今の職場を紹介してもらう。
■社会復帰(24??
1年目
職場のエースと自分とのあまりの実力差に価値観というか自尊心がものの見事にぶっ壊される。
多少判るとはいっても結局のところ、自分は初心者に毛が生えた程度だと思い知らされました。
やりたい仕事ってなんだったんだっけ?といった具合に立ち位置を見失う。
この頃からOFF会で出会った人物の事を先生と呼ぶようになる。
2年目
相変わらず彷徨っていた。のだが、なんとなく自分の立ち位置(出来る事)が見えてきたような気が
してくる。同時に、この頃から自分の性格というか志向で思い悩むように。いい加減遊んでいられる
年齢でもなくなって来た焦りもある。気が付けば四半世紀。
3年目(今年
職人にはなれない事をようやく自覚。ただ、自分が社会に対して出来る事が何なのかは未だ不明。
まだまだ当分もがく事になりそうです。
#気が付けば実母との付き合いより養母との付き合いの方が長いのか・・・
#ちなみに4人兄妹(俺妹弟妹)ですが、妹たちのお話はまた別の機会にでも。(あるかどうか判らないけど。
彼女に何かを期待するのはやめないと、どんどん離れていくよ。
自分が彼女にいい気分にしてもらうんじゃなくて、
自分が彼女をいい気分にするつもりじゃないと。
いつもはそうしているつもりだし、これからも(これからがあれば)そう接するだろうけど、あまりにもリターンが無いと感じるとたまに「ドカーン!」って何かが押し寄せてくるよ。
寂しがり屋な性格で損をしているなぁ・・・。
…でも、今のとこは何もしない方がいいような気がするけどね
会話が成り立たないから何もしようが無くなった。
ゴタゴタ続きで昨日もまともに眠れてないよ。
諦めたほうがいいのかなー。
約2年ぶりの恋だからダメージきついよーーーーーー。
日頃から思ってるコトを書いてみる。
自分はフツーの会社員です。
カタカナの洒落た職業じゃありません。植木等の歌に出てきそうな典型的な会社員です。
フォトショ使えません。
イラレ使えません。
キャンパス使いません。
楽器弾きたいけど下手です。
絵描くのは好きですが下手です。
でも、いろんなデザインを眺めたり自分で考えてみるのは好き。
アーティストとデザイナーを一緒にするつもりはないんだけど、ああいう人たちは一般人を排他するような目で見るのだろう。
間口が狭いというか、オープンでないというか。
あるクリエイター系SNSに入ってみたく招待状を下さいと親しい人にお願いしてみたが。
「君は一般人だし、そういう職業に就いてない人は招待できないよ」
と言われた経験がある。
そういう職業てなんだ?
そういう職業って。
クリエイター系って偉いのか?
貴族か?
そういう職業の人に限って一緒に飲むと「デザインがさー」、「あ、デザイナーの方ですか、お互いコラボできませんか?」、「アーティトって・・」「イラレで加工して・・」「モリサワが・・」「SOHOで・・」「XOOPSが・・」「CSSが・」「セッションしません?」「いや、あのサウンドはね・・」「Macで・・」って話が出てきて。蚊帳の外にされててしまう。
特にこういう人等(自分が会ってきた中では)はMacの話に目がない。Macを使ってるから会社員の君とは住む次元が違う・・ってな顔をされる。
いや、Macぐらい知ってますよ。
Macぐらい。
普段はWindowsで仕事柄、自宅でMacはUNIX系OSサーバとしてTerminalからしか使ってないけど・・。
SmallOfficeHomeOfficeって。
そこで「普通の会社員ですけど、そういうのも興味ありますよー。」って答えたらなんだか会話が止まって蔑まされた目で見られる。
「●●(陶芸、作曲、小説、建築・・)家です」「●●デザイナーです」「アーティストです」「ライターです」とか最初に言うと目の輝きがお互いに違うのに、「会社員です」って言うと「はぁ・・そうですか・・」という目で、その後の会話が弾まない。
こちらか話を振っても「はぁ・・」「そうなんですか・・」とか興味なし。
勿論、アートとデザインって、それぞれ根本的な部分で違うのだろうけど。
共通するコトは「自分たちは、会社で働いていてもSOHOでも、肩書きは会社員とは違う」という見えないフィールドを張っているというコト。
彼等が叫ぶ中でそうも聴こえる。
デザインを色々見たり自分でも作ってみたいと思っていたりはするのだけど、デザイナーは嫌い。
アートを見たり参加したりするのは好きだけどアーティストは嫌い。
なんか自分がこういう態度じゃ余計ダメなのかも知れないけど・・・。
なんで、ああいう人たちは間口が狭い考え方をするんだろう。
昨日、前橋市内に大型ショッピングセンターの「けやきウォーク」が開店した。
テナントに県内初出店となる「紀伊国屋書店」が入っていて、どれどれと見て来たんだがなかなか良さそう。
という事で、県内の大型書店の雑感を書いてみる。
確かに前橋ばっかりですね。県央以外の人ごめんなさい。
前橋市内の中心部にある老舗の書店。楽器も売ってたりする。高校生の時は良く通ったな。最近は新しい書店に割と押され気味。やっぱり駐車場が無いと厳しいか。コンピュータ関連の本は弱い。何気にコミックが強い気がする。
地味だけど品揃え良い。でも地味。
漫画を置かない(といいつつ漫画雑誌と漫画文庫は置いてある)書店。その分充実の品揃え。特に専門書強し。欲しい本があったらとりあえずここ(無かったらamazonでポチる)。オライリーの本がちゃんと置いてあるのが非常にありがたい。
去年出来たイオン高崎ショッピングセンター内のテナントとして入っている書店。結構広い売り場なんだけど、コンピュータ関連の本は微妙に弱い気がする。あと書棚の背が妙に高いところがちょっと萌える。
そして、けやきウォークに入っている「紀伊国屋書店」。売り場広い。コンピュータ関連書籍も結構充実。これは、他の書店は結構脅威かも。微妙に明かりが暗かったような気がするのは気のせい?
コンピュータ関連の本についてしか語ってない気がしますが、まあいっか。この他にフジタコーポレーション系の店とか文真堂とかあるけど、本メインっていう感じじゃないしあまり行かないのでパス。
あと、本屋じゃないけど、ヤマダ電機 PC&マルチメディア館 前橋本店はちょっとした本屋並の品揃えで結構使う。溜まったポイントで文庫とか漫画とか良く買います。
見た。
これは、JASRACの使用料規定を見れば分かる。
http://www.jasrac.or.jp/profile/covenant/pdf/royalty/royalty.pdf
このpdfファイルを「75時間」という語で検索すると、第11頁がヒットし、それ以外の頁はヒットしない。
この頁は、演奏会以外の催物における演奏であって、楽器店、レコード店、百貨店、スーパーマーケット等での宣伝のための催物における演奏について、入場料の無い場合の規定である。
プロモーションのための演奏などのことでしょう。
プロモーションのための演奏が月額68,000円というのが妥当なのか分かりかねます。
ちなみに、プロモーションのための演奏について、著作物1 曲1 回ごとの使用料の規定もあり、入場料のない場合で利用時間が5 分までの場合の使用料は、150 円。
客寄せのために音楽使っているのに、使用料は踏み倒した。
これは、http://d.hatena.ne.jp/DayTripper/20050201/1107221520のこと。
要するに、幼稚園のクリスマス演奏会のために子供向けバンドを呼んで入場料を取って出演料をバンドに払った演奏会のこと。
誤解している人もいると思うが、幼稚園児が演奏したのではない。
元ネタ→ http://blog.livedoor.jp/jasrac1/archives/4245076.html
登録手続きの不備を悪意で突かれたんで、登録申請した奴が悪い。
オーケンが歌詞をJASRACに信託契約したのなら、歌詞の著作権はすべてJASRACに移転していて、オーケンは著作権を持っていない。
つまり、オーケンが著作権上で認められていく引用範囲を超えて歌詞を使ったのなら、権利者であるJASRACに支払う必要がある。
製作者に分配されている例を見聞きしています。
たけくまめも(http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_795a.html)のエントリーで長谷邦夫氏曰く、
会社をたちあげたとき、管理をさせて下さいと
おっしゃるのでOKしましたが、ホリプロが
OKしなっかた??という報告を受けました。
計算が報告されてきます。
ですね。25%くらいだろうと、計算書もろくに
これってやはりヘンですね。
ホリプロは何もやっていない。
ですよ。原版制作に金を出したわけでもないし。
やはり、業界の中抜き構造があるのは
間違いありませんね。
ちなみに『桜三月??』は『井上陽水全曲集』にも
収録されています。
JASRACは、今では音楽著作権の完全的な独占管理はしていない。
それは、仲介業務法が廃止され、著作権等管理事業法が新設され、これによりe-Licenseのようなライバル会社ができたから。
ググったらすぐ出てきたよ
http://www5b.biglobe.ne.jp/~aiida/gimon12.html#5
Q
英語の、奏者や職業を表す"-ist"と"-er"はどのように決まる? 楽器のプレイヤーや、職を表すのに pianist,typistと、-istを使う場合と、drummer,farmerと、-erを使う場合がありますが、これには、どちらを使うのか、法則があったように思うのですが、いかがでしょうか?(香緒琳さんからのご質問)
A
まず、"-er"が付く場合は、動詞が基本になっている語の場合です。例えば、"teach-er", "walk-er", "paint-er", "speak-er"といったものがそれに当たります。
一方、"-ist"が付く場合は、名詞が基本となり、大きく分けると以下の3つがあります。
(1)信念・主義 communist, feminist, pessimist, optimist等
(2)職業・立場 artist, novelist, scientist, tourist等
(3)楽器奏者 violinist, saxophonist, pianist, clarinettist等
ちなみに"drum"や"trumpet"には「太鼓を叩く」「トランペットを吹く」といった動詞の意味があり、奏者の場合は"drummer", "trumpeter"と言うのが一般的なようです。Collins Coubuild English Guides 2: Word Formationに詳しい説明がありますので更にお調べになる場合にはご参照下さい。
見えるものや音や匂いなどが平坦に、平坦な俺に真っ直ぐ降り注ぐ。それは祝福であるなんて脳みそ皺なし。どうにかなって。140センチメートルほどの老女三人が談笑しながら歩いて、向こうからやって、決して俺を見ないのだが、一つだけ言っておきたい。三人はそっくり。俺は、何もかも平坦でつらいというか、しんどいし、だるいなあ。言ってもしょうがないから。音も平坦なのは耳が悪くなったのかなと思いながら、ぼうっときょろきょろばかりしていると急に目がおかしく、ぐわんって明滅し、次第にスケールが狂ってしまう。体も重い。ふにゃふにゃーっと体が背骨ごと折れ曲がって俺は座り込んでしまうともう立ち上げれず。老女はまだ遠くからにやにや歓談しながら近づいて、その所作は極めて小人っぽく、近づくごとに、ああ矢張り小人なんだろ、と確信したくなるほど小人なのだがしかし多分小人じゃないなと心の何かによって思って、落ち着け俺、と呟いたが落ち着かない。そわそわしてしまう。この奇妙さは何なの。あ、今気付いた。なんか俺が小人になっていくようでもあるな。なんでだ、と思っていた。そして、いや、スケールがおかしいのは俺以外のものがどんどん大きくなっているからじゃねえ、と思ったら。寧ろ婆たちはでかくなって、俺が小さくなりだして。あらあら。俺以外がみんな大きくなるのと、俺だけが小さくなるのはどこに区別があるんだ。むずかしいですね。俺以外はどんどん大きく、それか、俺がどんどん小さくなって、ある地点で、婆よりも俺のが確実に小さいと思ったけれどもサダカではない。しょうがないな。俺はガンタンクのように立ち上がってぐんぐんっと逃げたが、小さくなっているので中々前には進まないでその場から遠ざかれない。婆らが、しわがれた声で笑いだした。不穏。気温が下がった。サミー。ひゃーひゃーひゃーと笑う声が、ドーム内のようにくぐもって木霊するのがきもちわるく、むかつく。俺が小さくなるのは止まないし。笑い声も止まないし、耳が聞こえないし、目も見えなくなったよ。今。笑い声だけ聞こえる。何も見える。すべては世界の所為であると僕は直感した。それほど悪辣な、悪魔的な所業。世界の所為にした。私以外のものすべてが世界だろう。私は私のことを省みない婆たちを恨みたいが、しかし、善良幸福そうな彼女らが私利私欲怨恨怨嗟のために或いは意地悪で或いは俺を怒りらせようとしてわざと嫌な風に笑っているのだ、とは思えなかったし、文句を言う気も起きなかった。いづれ止むだろう。と思って我慢した。4秒。しかし、笑い声は止まぬので、俺は益々苛々してくよくよした。それを反復しました。いらいらくよくよしました。疲弊した。もういきていられぬ。婆らは自分がそのような声を出して笑っていることについてどう思っているの、と考えた。知っているのか。受け入れているのか。幾十年前は恐らく婆たちだって花も恥らう乙女だったんだと思うけれど、その時もああやって笑ったのかというと、あんな風には笑わないだろ。少なくともしわがれてはいないんだ。じゃあ今俺をくよくよさせているこの声は何なのか。これが老化か。格好良く言うと老化現象。わからないが。いや。分からないけど、でも、と、私ことあたいは思ったンだ。私たちの住む世界というのは何の断りもなく当人さえ知らぬうちに何もかも変容させるし、それも受け入れないならば死ぬしかないみたいな嫌がらせのようなあくどい世界で、それはまあ何度も何度だっていやになるのだが、しかし死んだからといって願いが叶うとは限らないし、それどころか死んでしまったら自分がその現状さえ維持することも極めて難しくなる。例えば、死んだ自分を自ら死んでない死んでないなどと言ってフォローすることさえ自らが死んでしまっては不可能なんであるからね、というか大体において死んだ身体というものは動かないし死ぬのは怖いし死の先は見えず見えないものというのは大体において恐ろしいものだけどそれが何故恐ろしいかというとそれが何なのか分からないからでまた大体のものというのは分からないものなのでもあるからこそ分かったような気にもなるのな。たぶんだけどね。お前が悪いわけじゃなく、お前が悪いわけでもないんだがお前が嫌い、と思っていた。僕は。そして、気がつくと目が覚めていた。気がつくときはいつも目が覚めていた。ほってんとりを見ていたら、コーヒーをこぼしたらキーボードが壊れた。多くのキーが反応しない、そんななか、kキーだけ自分は押されてると思い込んでkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkってなってる。押してないいよ。キーボードを買いに行く。しかしお腹が、ぐるうん、ぐるうん、ぐるうん、と断続的に、連続的に鳴り続けて止まないのだがどうしたら良いのだろう。お腹の音は本人が思うより周囲には聞こえないものだけれど、聞かれても大人的に知らんふりされるのだろうけどで、さすがに、これは、知らんふりしずらく、見つかったら、奇妙というか珍妙で、恥ずかしい、堪らないなと、僕は舗道をずんずんと早歩いていた。空腹というのは波だから、収まるのを待とう。それまでは、騒音のある郊外にいようとおもったのである。さみーとか思いつつ。考えつつ、ふらふらする。そもそもお腹の音が止まないということはありうるのだろうか。僕は今現に自分で止まないと言っているのにそれを疑っています。疑り深い。ぐるうん、ぐるうん。空腹。自分が楽器になったようだ。或いは虫だな。空洞の胴体が振動している。手はおまけのようにくっついてぶらぶらしているし、足は勝手に歩んでゆくような。頭は余計な下らない装飾のように生えているだけだ。腹が歩いてく。盲目の人を見かける。こんな街中で。赤線の入った白い格好良い杖をもっている。俺のことが見えない人。盲人。意地悪をしたくなる。僕は眼というのが嫌いだなあ。とくに軽蔑の目なんかは胃が痛くなる。敗北感が鳩尾辺りできりきりする。次の朝起きれなくなる。その割りに僕という人は尊敬される人でないし、寧ろ積極的に軽蔑される人だよなー。不思議。世界は絶望で満ちていますか。だって。わらた。いやらしいハッピーエンドいやらしいいやらしいいやらしい。迷惑な命。生まれてきて残念でしたすいませんでしたもうしませんもう生まれてきませんビスケットのすいませんでしたマリーを食べていたら頬がなんだか熱をもってしまい口中は乾いてつばを飲んだら喉が痛うという憂き目である。散々だ。死んだほうが益しだ。菓子ばっか食っている。たまにしか死にたくならない。幸いなことである。なんて幸福なの。なんて幸福なの。自己を規定する際他人というものはとりたててじゅうようで他人なしに自己を形成しようとすると失敗してしまうな。自分とはおそらく社会的なものなんであって他人なしで自己を作っていくと自意識だらけになってしまうのだろ。結果的びに自分の誠実を守るために都合の良いルールを取り入れなければならず、自分中心を後後天的に許容して、独我てきに、あらゆる責任は私に帰するのだとして、私が気持ちよいやうにやる、と言って逃げ回っておるだけで、逆説的に、逃げるのはつらくないから気持ち良いのであって、結局、態度を保留し続けているという極めていやらしい態度で生きている。のうのうと死にもせず、愛されもせずに。おぞましく不愉快な生物がいたものである。ああそうだ。何もしてないのに髪が伸び続けるのは俺へのあてつけで、嫌がらせなのだ。爪が伸びるけど爪きりが見つからない。すぐに物をなくしてしまう。数年前のことなんだけど、2ちゃんねるの書き込みの、思春期に愛されなかった人はもう一生愛を知れない、というような断言には呪われてしまっていた。そこまで言い切る根拠はなんだ、気が狂っているのか、こいつと、おれは全く思わずに、静かにゆったりとした時間の中でぼんやりと発狂するところだった。精神薄弱である。でも実際、そんな阿呆な、とすら思えなかったのでびびりますね。如何に下らない言説であろうともタイミングによっては直撃的なネガティブな信仰・呪いとして無抵抗で受け入れてしまうときもあるものなのだな。少なくとも俺にはそういうところが。俺はそのときは本当に呆然自失して、がびーん、てなってた。もうだめだ。もう。このクソみたいな煽りみたいな2ちゃんのレスに中てられているんだけだとは半ば、知りつつも、悲劇みたいな憂鬱的な心地よさにおちついて、徐々に憂鬱浸しになってゆくしな。しにたいとゆって、決して死にたくないのに。死にたいと言う人にじゃあ死ねというのはひどいね。だれのこととはいわないけども死にたいって言うひとはたしかに気持ち悪い。うぜえ。死ねばいいのに。だめなやつら。時折死にたいと呟くやつがいるが、いけないんだぜ、実にいけない、俺は少なくとも本当は死にたくなんてなかった。死んでしまった以上なんとも言えなけれどもね。俺は、つうか寧ろ、なのであるが、生きていない状態を死んでいると言うから、つまり、それは生きているの対義語なんであって、だから、生きたくない、死んだ状態になってしまいたい、という意味で死にたいと言ってゆるのであって、まじ死のうとしている気狂いと一緒にすべきではなかった。願っていただけだった。おれは。静かに。死ぬという行為をスキップして死んだ状態になりたかっただけだ。歩きたくなければ歩かなければ良かった。生きたくなければ生きなければ良い。それは馬鹿だ。馬鹿な話だ。この世は極楽だ。歩かないことは簡単であるが、生きないことは簡単ではない。我々はもはや生きないためには積極的に死ななければならない。生きないからと言って呼吸運動を停止するのはつらく、ご飯を食べないのもつらい。痛いのはつらい。そして、だからこそ僕は死にたいと言って死ぬ覚悟を得るために生きない理由を思いつこうとするがどれもこれも結局のところ全く致命的ではないのだ。吃驚しますね。いいから死ね。積極性をもって死にたくない。だって俺は生きたくないだけだ。誰が好き好んでつらい思いして死ななきゃならないんだ。馬鹿か。もういみわかんねえ。せかいはいみわかんねえよ。いいから死ね。命に意味がほにゃららと誰かが言い、クソカルトである不謹慎禁止教徒どもが、わめきちらす思想はすべての命を汚辱に浸している。倫理なんか水伝と一緒の癖に。人なんかみんな死ねばいいんだ。つらいのが嫌なだけで、そういった思想の持ち主は生きていてはいけないのだ。俺はただ動物のように生きたいと言うが動物にしては恵まれすぎている、といって、俺から言語を使うな、火を使うな、道具を使うな、公共を使うな、恥じ入っても生きろ、などといえたものか。動物が有利を捨てたりするものか。あらゆる責任を放棄して、迷惑をかけて、死、ん。うんざりだな。死にたくない。今の生きている状態を回避していたい。つまり死にたいのだが。死んでいたい。最初から死んでいたい。それはできない相談だ。死ぬのが怖い。それだけでなく、実は死ぬ先も怖い。びびっている。地獄なんてないのが嫌なんだよ。俺は。地獄なんてないと人は言うのだ。まともな神経の人間はそう言う。地獄なんてないとまともな神経の人間は人は言うのだが、そんなはずはない。僕に地獄が与えられないはずが無い。平等に与えるべきだ。子犬に、子リスに、養鶏に、俺に。平等に。あらゆる生き物の命は平等である。それは正しい。あらゆる命が平等に無価値だ。正しい。たしかに! そうして価値は常に"社会的"にのみ宿るのであった。ウケル。俺は絶対に働かないと言ってやる。そうすれば少なくとも俺から奴隷的価値はなくなるかもしれない、扱いにくいとして少しは減ぜられるかもしれない。もしかしたらだけど。いいから早く死ね。そうして、俺は不健康だし、やせ細って、いる。だが僕には価値がある。マッドサイエンティストの実験用人間としての価値。人間を粉にして作る薬の原料としての価値。まずい人肉としての価値が、俺にはあるぞ。僕が何かの人質になると人道的なんとかと言って誰も俺を望まなくても俺には人質として価値が付与されるのだ。俺は社会的な生き物なのだ。じゃあ鯨も社会的だ。鯨食いてえ。蟻は社会的だ。ライオンは社会的だ。カブトムシは社会的だ。カカオは社会的だ。人間なんてくそだ。って鯨が言ってましたよ。どうなんですか。人間。鯨の命はチキンのより価値があるのだろう。ばい菌やビーフやエチゼンクラゲや保健所の犬とかわいがられてる犬と投げ捨てられる子猫と野良猫と血統書とかペットとか金持ちの子と貧乏人の子。すべての価値を認めたくない。地獄なんてなかったね。行ってきたけど、ありゃあ地獄なんて呼べるようなとこじゃねえ。よって結論はあの世に地獄なし、ということでね、知ってるわ、じゃねえ。しらねえよ。お前。地獄なんて信じないくせに。いや、あるかもしれないし、死んでみないことには、などと、阿呆らし、論壇きどちゃって? はは、こうしたこまっしゃくれた奴らは駄目さ。なんでもメタに構えちゃってね。俺がメタのメタに立って優越感ゲームになっていますね、って、そのレッテル貼りが既に優越感ゲーム、ゆゆゆゆゆって、ですか、阿呆らし、やめよ、どちらにせよ論理的云々などといってはまた保留だよ、永遠に保留し続けますか。まあ、だからと言って地獄の存在を鵜呑みにする連中ってのもどうかと思いますけどね、端的に言って宗教者はきもい。宗教は駄目だ。というのは俺が信じれないからだけど。俺に純真がないからなあ。奇跡がない。啓示が。俺に与えられない。これからも与えられはしないだろう。何かを与えられる事を望んではいけない。どのような状況においても。それは甘えなのだ。つらい事をやめてはいけない。それは怠けなのだ。ナマケー。いいからやれ、と、結局はそれへ収斂するよね。あらゆることがそうなのだよ。俺は仮定で、空想上の人物で、空論以外に、何かを実行することが、不可能なのにな。残念だ。あるひとは俺を指して、言語に支配されてきもい、と言ったのだ。たしかに。だった。そういうしかねえよ。本当正しいぶっていますね。俺なんて、いいから死ね、といわれればそれまでである。死ぬしかない。いいからやればー。うるせーばか(ここで絶命しました)。