「天皇」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 天皇とは

2008-11-19

http://anond.hatelabo.jp/20081119224937

いいとこ引用したなあ。

その最初の文と最後の文に答えが出てる。「繰り返し繰り返し」と「私と同じ」のとこ。

最近批評の主流だけど、「こころ」は「反復のテキスト」なんだよ。

先生と私」の反転反復が「両親と私」で、その二つを合わせた物の反復が「先生遺書」で。

この文章の中は類似、模倣、反復、正反対の一対で満ちている。キャラクターの行為は心理的な物ではなく、テキスト上の要請によって動いている。

先生の模倣をする私。父親の正反対をしようとする私。「私はその人を常に先生と言っていました。だからここでも先生とだけ書きます」の冒頭に対し、遺書の冒頭で「私はその未亡人を奥さんと言っていたからここでも奥さんとだけ書きます」。

親類にだまされる自分親友をだます自分自殺する親友自殺する自分(しかも死に対して死で報いるという方法論が乃木大将の模倣)。

死にかけている天皇、死にかけている父親。等々、注意して読めば、とにかく至る所に反復模倣正反対の一対(1と−1みたいな)満載で、そういう構造上の要請に従ってキャラクターが行動してるのがわかる。

2008-11-16

2008年 国籍法改正施行施行と同時に

50 :名無しさん@九周年:2008/11/15(土) 23:16:45

■今さらジタバタしても無駄です■

ここまでは、既定路線

2008年 国籍法改正施行施行と同時に毎日数10万人単位認知

     父親と名乗るホームレス多重債務者が区役所に押しかける。意思主義のため取締り断念

     中国人満載のフェリーでぞ続々来日。乗員全員が「19歳11か月」という(自称)。新日本人となる

2009年 解散総選挙。この時点で「新日本人」は戸籍上20歳なので、まだ立候補はできないが

     新日本人の投票率高く、親中派の候補が大勝。

2013年 総選挙新日本人25歳。ほぼすべての選挙区新日本人(元中国人)の候補者が立つ

     この時点で、新日本人6000万人。日本有権者の約40%が新日本

     従前からの日本人投票率が低いため及び小選挙区は1票でも上回れば全取りなので、

     新日本圧勝衆議院の2/3は新日本人となる。首班指名で、首相以下、全閣僚が

     元中国人となる

     首班指名の翌日、首相訪中日本国首相中国主席、「日中併合条約」調印

     直ちに衆議院で、批准。審議なし強行採決。その後、参議院で否決されるも、

     憲法61条により、条約は批准

     首相国連日本国民の自由意思で日本という国家は消滅した旨、通知した後

     内閣総辞職。日中併合条約に基づき、日本列島、正式に中国領土となる。

     中国政府日本列島を「大和民族自治区」として、東京総督府を設置、国家中央

     委員会で指名された者が総督として配置される。日本の各省庁は、東京総督府

     下部組織となる

警察及び自衛隊は全員解雇大和民族自治区の治安は中国軍担当する

天皇英国王室を頼って、欧州亡命

2008-11-08

http://anond.hatelabo.jp/20081107234548

これは絶対に、東條英機のことじゃない。

少なくとも東條英機「のみ」を指す言葉じゃない。


前者なら「東条英機は米人の感覚独裁者なんかじゃない 」は成り立つけど、後者なら成り立たない。あと前者後者矛盾している。

それからWhenのあとに“the bombs fell on our harbor” and “tyranny threatened the world”と併記されているのだから両者が

同じ時期だというのも明らかなのでは。そこに「フセインとか」が入ってくる余地は無いのではないか。

ただし、東條英機「のみ」ではないというのはそれほど外した意見でも無いかも。元のエントリーにもある通り、天皇も含まれるはず。

2008-11-06

名前ファイルシステム

はてなでこんな質問があった

天皇家は何ていう名字だったんでしょうか?

むかしは曽我氏や物部みたいな名字があって、戦争に勝って日本君主天皇)になったから名字がなくなったと予想しますが、もとは何ていう名字だったんでしょうか?

http://q.hatena.ne.jp/1225630643

要するに現在ルートディレクトリはいつ仕様になったのかという解釈になるんだろうかと。

違うファイルシステム統合するためには戦争による再フォーマットが不可欠?

地平線まで自分の国だと思ったら地球は丸くて何百もの王国がひしめいていたから俺が仕様を統一してやるよ、とか。

2008-11-05

アメリカ裁判所

アメリカ大統領選に関する新聞の記事を読んでいてふと思った。

アメリカ政治体制というのはダイナミックであり、国民主権なのだなと。

かえって日本というのは裁判所に限ればスタティックなのかもしれない。

その記事によると大統領が変わると、

アメリカ原理原則と憲法解釈は脅威にさらされるとのCMがあったとのことだ。

最高裁判事大統領が指名し、上院が認証することとなっている。

そのため、最高裁大統領思想がある程度反映されるということになる。

国家国民の権利・義務関係はこの判事に委ねられている。

たとえば、銃所持の自由、中絶の自由、これらの判断は彼らが握る。

そのためにアメリカの「原理原則」が揺さぶられるということなのだ。

そのことの理解は別としてアメリカ国民は彼らの意思で

国家原理原則を変えることができる。

判事任期は決まっていないためにそのスパンは10-20年となるのだろうが。

日本最高裁判事は総理の指名に基づき、天皇が認証するということとなっている。

判事の出身母体は慣例によっておおむね決まっている。法曹界学会、官界だ。

さらに言うと判事の7割は、裁判官検事官僚の出身者によって占められている。

つまり、官僚機構の出身者ということだ。

首相は誰であれ慣例に従い、7割は官僚機構から選ばれる。

こう考えると、日本アメリカに比べ静的なのかもしれないと思った。

これは職階制と年功序列制の違いに帰するのかもしれない。

また、国民の意思はそう大きくは反映されないだろう。

慣例を変えるには相当な政治的労力を要することは考えるにたやすい。

また最高裁判事の信任投票によって罷免された事例はかつてない。

司法府国民の統治から少し遠いのかもしれない。

裁判員制度はそういった観点からは意味を持ちうるだろう。

個人的には今、考えたような日本の体制であってもよいと思っている。

どう頑張っても過渡な人権論者によって最高裁の席が占められるということがないからだ。

保守。いい響きだ。

2008-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20081101154244

ネットオークションでってんだからただの寸借詐欺とかじゃないの?

それに皇室ゆかりの品とかは日本ほじくり返せばいくらでも出てくる気がするよ。

うちのじーちゃんは職人だったんだけど天皇とか華族に収めてたって聞いた。

東京大空襲で一族の建物はほとんど焼けちゃったし、

債権とかは無価値なっちゃったし、

戦後は商売そのものが贅沢だと禁止されGHQに踏み込まれて逮捕された身内も多数。

それほど高価なしなものじゃなければご謹製品はでてくるんじゃないか?

ばーちゃん方も職人家系なんだけど、たぶんそっちはあるような気がするな。

そっちも職人としては絶滅種になったらしいけどね。

2008-10-24

麻生太郎総理大臣の超豪華ディナー贅沢豪遊三昧

30日 ANAインターコンチネンタルホテル東京日本料理店雲海」、バー「マンハッタンラウンジ

1日 紀尾井町のグランドプリンスホテル赤坂中国料理店「李芳」

2日 六本木飲食店「馬尻」

3日 帝国ホテル、会員制バー「ゴールデンライオン

4日 銀座フランス料理店「ペリニィヨン」

5日 帝国ホテルで食事

6日 皇居着。千賀子夫人とともに天皇皇后陛下と夕食

7日 ホテルニューオータニ日本料理店「藍亭」、「カトーズダイニング&バー」

8日 帝国ホテル、会員制バー「ゴールデンライオン

9日 帝国ホテル、会員制バー「ゴールデンライオン

10日 ホテルオークラ日本料理店山里」、バー「オーキッドバー」

11日 グランドホテル浜松日本料理店「聴涛館」、同ホテル内のラウンジ「サムデー」

12日 オークラアクトシティホテル浜松宴会場「平安の間」

13日 帝国ホテルで食事

14日 六本木飲食店「馬尻」

15日 元赤坂明治記念館日本料理店「花がすみ」、広尾日本料理店京寿々

16日 ANAインターコンチネンタルホテル東京中国料理店「花梨」、ホテルオークラ、バー「バロンオークラ

17日 有楽町フランス料理店「アピシウス」

18日 六本木飲食店「馬尻」

19日 帝国ホテルで食事、バー「インペリアルラウンジ アクア」

20日 ホテルオークラ宴会場「メイプルルーム」、バー「ハイランダー

21日 赤坂ウナギ料理店「重箱」、ANAインターコンチネンタルホテル、フレンチ&イタリアン料理店『イタロプロバンスダイニング』

22日 官邸での夕食会後(高級料理出前)バーには寄らず、私邸に「直帰」

三権長江田五月参議院議長の超豪華ディナー贅沢豪遊三昧

30日 その後、スタッフと「桜なべ中江」で夕食と打ち合わせ。

1日 19時から2時間強、知人と夕食懇談。

2日 17時半には議員宿舎に戻りました。(夕食不明)

3日 東京駅で夕食を取り、20時過ぎの新幹線で、帰岡。

4日 孫と夕食。孫が調理した魚は、白身で実に美味でした。セイゴの幼魚でしょうか。

5日 「日韓市民社会フォーラム」の最終セッションに出席しました。その後は夕食懇談で、

6日 17時半に出て、夕食用の買物をして、議員宿舎でひとりで江田鍋を突きました。野菜いっぱいで、満腹、満足!

7日 議員宿舎への帰途、夕食の買物。きりたんぽが目に付き、買い求めました。もう、その季節になったのですね。今夜も、満腹、満足!

8日 19時から2時間強、中華料理で夕食懇談。楽しいひと時でした。

9日 16時過ぎの新幹線で、帰岡。(夕食不明)

10日 湯田温泉中国地方弁護士大会、懇親会

11日 新山口に急ぎ、17時過ぎの新幹線で、帰岡。(夕食不明)

12日 夜は自宅で夕食団欒。

13日 18時に出て、岡山駅付近で夕食を取り、予定通りに19時過ぎの新幹線で、上京。

14日 17時から1時間ほど、サラ・ハイドさんと懇談。英国ケント大学准教授で、現代日本政治研究者です。その後、夕食懇談。

15日 17時半ころ退出して、買物をして議員宿舎へ。

16日 18時過ぎに、世界平和研究所の設立20周年記念パーティーに、

17日 17時前に、買物に出掛けました。このところ私が、議員宿舎で一人で鍋の夕食を取ることが多いので、議長公邸議員会館スタッフの皆さんが、みんなでこの江田鍋を囲もうということになりました。

参加者17人で、食材は16,600円。鳥挽き団子、鯛のアラ、牡蠣のほか、野菜満載で、ジャガイモや人参まで入れます。大根レンコンの薄切りを、しゃぶしゃぶ風にします。

18日 18時から2時間半強、「ボニージャックス結成50周年記念コンサート早稲田の杜の詩人たち」を聞きました。(夕食不明)

19日 13時過ぎに、昼食の中華丼(夕食不明)

20日 18時から2時間強、学生時代の友人らと夕食懇談。

21日 17時半から1時間半ほど、議長公邸で、国立図書館会議の皆さんの歓迎レセプションを行い、私の歓迎挨拶

ブータン公文書館ツェリン館長の答礼挨拶に続き、河野衆議院議長音頭乾杯をして、懇談しました。

22日 18時から、ハンガリー大使館で、ナショナルデーのレセプションに出席

2008-10-13

いつだって男が悪い。

楊貴妃の話で楊貴妃の夫である天皇が悪いという意見が出た。

次は毛沢東を影から操った女の話。

たぶん、これも毛沢東が悪いとなるのだろう。

夫の側が行動し、妻は選ばせただけなのだから。

楊貴妃はすごくかわいそうだけどね・・・

男が悪いという言論には違和感を感じる。

2008-10-12

ネットウヨクによれば日本2000年歴史ある国だが、中国は60年しか歴史のない国らしい

中華人民共和国という国名となったのが60年前だからということらしい。

国名を変えると歴史リセットされるということらしい。

最初はギャグで言ってるのかと思ったがどうやら本気らしい。そういや産経新聞で似たようなことを読んだ気がする。

日本も体制は変わっているが、常に国名は日本で、天皇を頂点に戴いてるから同一の存在認識し得るらしい。

パナソニック歴史の浅い会社ということでいいのかな。

2008-10-01

http://anond.hatelabo.jp/20080930053231

「尻啖え孫市」って知りませんでした。

今度映画でも見てみよう。

日本神聖ローマ帝国のようにかぁ〜

そういや、良く「日本人宗教がないよね」とかいうけど、一向一揆の昔から、天皇教まで宗教にすごい染まりやすい民族ですよねぇ。

まあ本当のことはよく分からないからやっぱり僕もid:finalventさんの解説を聞きたいところ。

ですよね〜

2008-09-29

コードギアス反逆のルルーシュR2ゼロレクイエム後を予想する(1)

ここでは、ゼロレクイエム(以下ZR)後のコードギアス世界を簡単に考察してみる。

まず、ZR後の主要メンバー配置を整理する。

登場人物その後の中には筆者の推測が入っているものも多いが、

今後の議論の展開はこの推測を元に行うことをまずご理解いただきたい。

合衆国日本(以下日本)、中華連邦(以下中国)及び超合集国(ブ国以外)

・扇:首相

・ヴィレッタ:首相夫人

カレン:アシュフォード学園学生(留年してなければ3年生)

ミレイ女子アナ

・玉城:喫茶店マスター(バーテンダー?)

以下は推測

・藤堂、千葉:おそらく黒の騎士団軍事力の中枢にいると思われる

かぐや天皇のような象徴的な存在にされた?

 少なくとも政治の表舞台は扇がとりしきっている様子。

・リヴァル:学生のまま(これはほぼ確実かと)

杉山一般人に戻っている様子。

・南:ロリコン

ブリッジガールズ:黒の騎士団にいるかもしれないし、一般人に戻ったかもしれない。

天子中国代表のままだろう。

・しんくー:生死不明だがおそらく病のため政治舞台に立つことはないだろう。

・ちゃんりん、ほんぐ:天子の側近か、あるいは騎士団の幹部だろうと予測

・ラクシャータ:騎士団に残っているか、インドに帰ったかと。

神聖ブリタニア帝国(以下ブリタニア)

ナナリーブリタニア代表。

スザク扮するゼロ(以下ゼロスザク):ナナリーの側近。

 おそらく黒の騎士団代表も兼務しているものと思われる。

シュナイゼルゼロの腹心。

・ジェレミア:オレンジ農家

アーニャオレンジ農家

以下は推測

・ジノ:ブリタニアナナリーの元仕えているのではなかろうか。

 ブリタニア代表として黒の騎士団に参加してるかもしれない。

カノンシュナイゼルの下で働いてるだろう。

ロイド、セシル、ニーナ:相変わらず研究三昧。ニーナフレイヤトラウマから

 研究を捨ててるかもしれないし、精神的に成長して平和のための研究を続けてるかも

 しれない。

・さよこさん:ルルへの忠誠心も手伝い、ナナリーゼロスザクの側にいるんじゃなかろうか。

・コーネリア、ギルフォード、クラウディオナナリーに対する信頼とブリタニア再興の思いから

 ナナリー配下として働くと思われる。

・ノネット:おそらくコーネリアの側近となっているだろう。

その他

・C.C.:行方不明。きっとどこかでチーズ君片手にピザをほおばっているのだろう。

ルルーシュ:生死不明。とりあえずここでは死んだものとして扱う。

 生きていればC.C.とともに不老不死を解く旅に出たりとかして3X3EYES的な

 ギアス3期が見れるかもしれないがそういう妄想はここでは扱わない。

(続く)

2008-09-13

http://anond.hatelabo.jp/20080912232349

「象徴天皇」は未だ生きているんだよ!

って話は置いといて、

男:ジェイコブ、マイケル、イーサン、ジョシュア、ダニエルクリストファーアンソニーウィリアムマシュー、アンドリュー

女:エミリーイザベラエマ、アヤ、マディソン、ソフィアオリビア、アビゲイル、ハンナ、エリザベス

アメリカの名前ふつうすぎワロタ

ていうか、キリスト教文化圏の名前か。

あまり耳になじみが無いのは「アヤ」と「アビゲイル」くらいだなあ。

他は日本人でも思いつくような「アメリカ人の名前」じゃの。

2008-09-02

http://anond.hatelabo.jp/20080824072729 とか書いた人ですよ。

http://anond.hatelabo.jp/20080902135236

まあ俺がキモオタなのは仕様だけど、それはいいとして(マテ

公明党は今何やりたいかって言うと単純に勝ちたい、じゃないかな?

目的=勝つ だと思うんだ。まぁそのあたりは創価学会からの仕様だけど。

そういや俺の実家の地方でやる会合ではではおもいっきり公明党disってたな、まあ建設的な議論だったけど。

政策がどうだの言ってたなぁ(懐かしい)

あとな、政教分離の話はグレーじゃなく白だろ?政教分離意味はき違えていないか?

ずぶずぶで言ったら、どの政党利益団体とはずぶずぶだろ?

そこらへんは自民民主社民共産もかわらん。というか海外も変わらん。

戦前靖国(と言うか”天皇教”と言うべきか)みたいに国が信仰を強制しているんならわかるけど、

別にそう言う訳じゃないのに何言っているんだか。

とりあえず政教分離意味調べてからおいで。

http://anond.hatelabo.jp/20080902141035

中東あたりのイスラム国家など、宗教国家スルーですね、わかります


==========追記============

http://anond.hatelabo.jp/20080902185644

今日びそんなこと考えてる奴はほとんどいないと思うけど。→信徒以外を敵

ぜひタイトルエントリからばぁちゃんの話見てくれるとうれしいな。

あと衆愚結晶とかいうけどそんなに愚かかね?

むしろ学歴が高いとか聞いた記憶があるけど。

そうじゃない意味で愚かだ、という意味なら、

俺とは見解ずっと平行線になりそうだしどうしようもないけどね。

公明党創価学会基礎知識2008

日本第3の政党であり自公連立政権を8年以上続けてきた公明党。そしてそれを支える創価学会。決してタブーではないはずなのに、この両者の歴史を語った本やサイトは少数。しかし有権者ならしっておくべき、必要最小限の知識をまとめてみました。

1ページ目 【創価学会の成立と発展】

創価学会の成立と迫害

創価学会は、昭和初期に教育者であった牧口常三郎が「創価教育学会」として創設したものが母体になっています。つまり、創価学会は当初、教育団体だったわけで、なんだか宗教ぽくない名前になっているのは、そのためです。

しかし牧口はその後、日蓮宗のなかの一宗派・日蓮正宗(しょうしゅう)と出会い感化され、その後次第に組織宗教化をすすめていきます(後述しますが、現在日蓮正宗創価学会関係はありません)。

そして牧口は「創価学会」の初代会長として、宗教団体としての創価学会の活動をはじめるわけですが、戦時中はこうした新興宗教などは徹底的に弾圧された時期で、創価学会もその例外ではありませんでした。

戦時中宗教弾圧は単に天皇制に背くものだけが対象ではありませんでした。むしろ天皇制原理主義のような宗教危険視されていました。宗教ではありませんが、やはり日蓮宗信者で、極端な天皇主義(天皇の他は万人平等)などを唱えた北一輝は、「2・26事件」の精神指導者として処刑されてしまうわけです。

いずれにせよ、政治実験を握り社会をすみずみまで統制しようとする軍部にとって「新興宗教」は邪魔存在以外の何者でもなく、強力な弾圧対象となったのでした。

このような世情のなか1943年に牧口ら学会幹部は逮捕起訴され、牧口は翌年に獄死します。この弾圧が、結果的に[天皇制ファシズム軍国主義反対→平和主義]という創価学会の主張を作ったと言っていいでしょう。このことは、今の創価学会公明党を知るうえでも重要なことです(新テロ対策特措法再可決に消極的なところなど)。

創価学会の発展

戦後民主化にともない、創価学会は復活します。その会長となったのが、牧口とともに捕らえられていた、戦前学会ナンバー2、戸田城聖でした。そして、彼のもとで、学会は飛躍的に発展することになります。

戸田は敗戦後学会組織の再建に努め1951年に2代会長に就任します。そのとき彼が呼び掛けたのが、「折伏(しゃくぶく)大行進」でした。

折伏というのはもともと日蓮宗の教義で、他宗派を攻撃し、人々を法華経に帰依させることをいいます。戸田は、まだまだ数百人しかいない学会を大きくするため、「75万世折伏」を実行するよう呼び掛けます。

とほうもないように見えた計画でしたが、戸田1958年に死去したときにはすでに百万世帯が学会に入っていました。東京五輪の年には公称5百万世帯です。

強引で悪評もたった(その後、学会自身も公的に反省することになる)「折伏」の姿勢が、学会拡大の1つの要因ではあるでしょう。しかしもう1つの要因は、高度成長につれて起こった日本人口構造の転換に求めることができます。

農村から若者たちが働くためにやってきて、都市が一気に過密化していったのが高度成長時代の、特に前半期の人口構造変化の特徴です。もっとも現代のように大学に入るために上京してくる若者たちと違って、就職のために上京してきた彼らには大学のような受け皿になるコミュニティがありません。

そんな彼らの孤独の中に入っていったのが創価学会と、もう1つは共産党でした。この両者が今でも都市を中心にした基盤を持っているのはこういった側面からも理解できます。いずれにせよ、こうして学会はそういった人々の「都市砂漠のなかのオアシス」となり、都会に流入していった人々をしっかり取り込んでいったのでした。

学会の国政進出はじまる

こうして創価学会に多数の会員が集まると、会長戸田はまず1955年統一地方選挙に候補を擁立、選挙活動を始めます。これで一定の成果をあげると、翌年の参院選にも参戦、学会推薦議員を3名当選させます。59年の参院選では当選は倍の6名へと急進しました。

これが後の公明党になるわけですが、なぜ戸田政治に活動の場をもとめたのでしょうか。1つの背景として、日蓮宗開祖日蓮もまた、政治に対する主張をしていった、そういう歴史的なものがあるでしょう。しかし、いくつもある日蓮宗諸団体のなかで、国会議員を自力で擁立したのは創価学会だけです。

2ページ目 【公明党の結党と田中派への接近】

社会的地位向上を狙った国政進出?

1955 年からの高度経済成長は、学会員たちにもとうぜん恩恵をもたらしました。豊かになった彼らとしては、次に社会的地位がほしいと思うわけです。学会員社会的地位の向上、それを示す手っ取り早い方法が「学会議員」を作ることだったのではないかとガイドは考えています。

折しも創価学会は特に左翼革新勢力から「折伏(しゃくぶく)大行進」に対する非難を浴びていた時期でもあります。左翼革新勢力が大きな力を持っていた時代、学会学会員社会的地位を向上させることは、そういう意味でも大きな目標だったのかもしれません。

いろいろ言われているように、戸田国立戒壇、要するに僧侶日蓮正宗の戒律を授ける場所を国に設けようとか、あるいは日蓮正宗の国教化とか、ここまでのことをどこまで「本気で」思っていたかどうかはわかりません(国立戒壇設置はしばらく主張するのですが)。

公明党誕生池田会長の就任

しかし戸田学会の政界進出がはじまった矢先に死去します。しかし、学会の政界進出はさらに続きます。1961年には公明政治連盟が設立され、さらに 1964年には公明党が結成されました。そして1967年衆院総選挙で25議席を獲得して第4政党としての勢力を誇るまでにいたるのです。

この間、会長池田大作に変わりました(1960年)。池田は、57年の参院選公職選挙法違反にあたる戸別訪問をするように学会員に指示したとされ、逮捕されていますが、下された司法判断は無罪判決でした。

この一連の出来事、特に投獄→信念を曲げず無罪獲得、というストーリーによって彼のカリスマ性が高まったことは否定できません。そのためなのか、彼はかなりの若さ頭角を現わすことになったのです。池田会長就任は実に32歳の時です。

そして公明党と学会はさらに勢いを増し、69年の総選挙では衆院議席を47議席にまで増やし、さらには雑誌『潮』『第三文明』を立ち上げたり、「民音民主音楽協会)」をつくってここを拠点に多数の芸能人を送りだしました。学校法人も作り、大学まで設立します。

こうして創価学会公明党は、その社会的地位の向上という目標を十二分に実現するのでした。

言論弾圧事件」と自民への接近

公明党の利害は自民党の、特に主要派閥である田中派との利害と一致し、連携が始まった。

しかし1969年公明党は1つの岐路を迎えます。それは、明治大学教授(当時)・藤原弘達が書いた『創価学会を斬る』の刊行を、公明党が妨害しようとして、逆に藤原に暴露された、いわゆる「言論弾圧事件」です。

このとき活躍したのが、当時自民党幹事長だった田中角栄です。このことは、その後のNHKの討論番組でも「よけいなおせっかいをしました」と事実上本当であることを認めています。

自民党は、1960年代を通じて絶対安定多数の議席を維持していましたが、実のところ得票率はゆるやかに低下していました(1960 年:41.9%→1969年:32.3%)。なかでも所得の高くない都市労働者市民たちの支持獲得はうまくいっていませんでした。彼らは、公明党共産党の強力な支持層でした(社会党の支持者は移ろいやすい「無党派層」のさきがけ的な人たちが多かったのです)。

さて、田中角栄は地方への「利益誘導政治を形作った人です。つまり、農村を基盤とした地方に、中央から予算などをつけることによって、地方を豊かにしていく。地方はその見返りに、田中派などの自民党議員に票を集める。今でも批判されているこの図式を確立したのが田中です。

もともと、学会員たちの多くは地方出身なわけで、彼らの生まれ故郷を豊かにしてくれる自民党田中派と、自身の都会での生活を豊かにしてくれる公明党とは結びつく存在になる。……こうして、いつのまにか田中派公明党学会関係が補完関係になり、親密さを増していた。それを明らかにすることになったのも田中が介入した「言論弾圧事件」だったといえるでしょう。

また1972年には、竹入義勝・公明党委員長首相となった田中の依頼を受けて訪中田中訪中日中国交正常化の地ならしを行っています。

学会公明党の「政教分離

さて、「事件」でバッシングされた公明党創価学会は、大きなショックを受けます。池田会長は「お詫び」をし、学会公明党のいわゆる「政経分離」を宣言・実行しますが、それでも公明党は72年総選挙議席を半数近くまで落とします。

もちろん公明党創価学会は「国立戒壇設置」なる政策を降ろさざるを得なくなり、池田の政界入りも閉ざされ、池田創価学会はこれ以降ひたすら、外部に対してはとにかく低姿勢で臨むようになります。実際、今日池田大作という人は雑誌などを見る限りでは極めて穏やかな宗教家です。

また、どういうわけか創価学会はライバルであった共産党との結びつきを強めます。いわゆる「創共10年協定」というもので、これは公明党幹部にとっても実に寝耳に水の話でした。

学会共産党支持基盤を奪い合うライバルであったわけですが、戦時中ファシズムの中でともに弾圧され構成員が獄中にあったという共通する過去も持っていたわけです。これに目をつけたのが作家松本清張で、彼は池田宮本顕治共産党委員長を引き合わせ、この学会共産党の「同盟」を実現させたのでした。

もっとも、自民接近を行っていた公明党はこれに反発。ここに「政教分離」をし自立しようとする公明党の姿があります。しかし、結局は学会の意向を無視することができませんでした。公明党学会なしには存在し得なかったからかもしれません。

また70年代は「革新の時代」といわれるほど革新勢力の力が強かった時代。公明党ではむしろ自分たちの軸足を「保守中道」から「革新中道」に移した方が得策、との考えが広がり、結局はこの協定を許すことになるのです。

結局、これで公明党イメージ向上に成功したのか、76年総選挙で失った議席をとりもどします。反面、共産党には余り効果がなかったらしく議席を落としています。

結局、この共闘は公明党には効果があったものの、共産党には特に利がなく、結局公明党顧問弁護士宮本委員長宅を盗聴した事件があり、もともと共産党が早くからこの協定を反故にしようとしたこともあったため、この協定は終わりを告げます。以後は現在に至るまで、公明党共産党は、逆に犬猿の仲になってしまっています。

3ページ目 【自公連立への道と創価学会

公明党与党

新進党を挟んでの公明党の分解と合流の流れ。実際には公明党新進党の前に短期間だけ「公明新党」が存在する。

1970年代末から1980年代初頭にかけて、社会党を中心とする、あるいは公明党を軸とする連合政権構想が浮上するようになりました。しかし、それが実現することはありませんでした。

1992 年、公明党民社党社会党議員総辞職願いまで出して反対したPKO協力法を支持、自民党への接近を図ります。平和主義をうたっていた公明党がこれに協力したのは、当時の自民党田中派の系譜を継ぐ竹下派であったからでしょうか(もっとも公明党がPKF(平和維持軍)参加に消極的だったため、2001年まで自衛隊のPKF参加はできないようになっていました)。

また1980年代から地方議会でも公明党都市部を中心に勢力を広げ、地方政治与党の一員として存在感を増すようにもなっていきます。こうして公明党連立政権は作らなかったものの、与党的な存在になっていったのです。

公明党与党化は、1988年に2人の公明党国会議員が受託収賄罪で逮捕起訴されたことにも現れています。与党的な位置にいるからこそ、このように収賄逮捕される国会議員も出てしまったといえます。

もっともこの不祥事には創価学会学会員もそうとう反発をしたようで、それが響いたのか、公明党国会勢力は1989年参院選では前回比1議席減、1990年衆院選では11議席減となっています。

公明党の連立参加と「新進党参加」

1993 年、総選挙自民党過半数割れすると、公明党は非自民・非共産連立政権である細川内閣に加わります。しかし、創価学会がこのあたりをどう考えていたか、詳しいことはわかりませんし、考える暇もなかったのかもしれません。それくらいこの連立政権は短期間で崩壊してしまいました。

その後、公明党小沢一郎らが中心になって設立された新進党に「参加」します(1994年)。カギカッコ付きで述べたのは、公明党の地方議員参議院議員1995年選挙で改選されない議員たちが別に「公明」という政党を作り、新進党に参加しなかったからです。

結果、学会員ら旧公明党支持者は、旧公明党以外の新進党議員を熱心に支持しませんでした。そして旧公明党勢力も自民党と敵対することに躊躇(ちゅうちょ)をしていました。そのため結局「公明」の新進党への合流が不可能になり、新進党は解党しました。

その後、旧公明党衆院議員は「新党平和」を、参院議員は「黎明クラブ」を経て「公明」に合流、やがて「新党平和」も合流し「新公明党」つまり現在公明党誕生することになります。

公明党誕生自公連立

新進党当時の公明勢力はバラバラになったこともあり、一部では路線対立や学会との距離などもできていたようですが、新しい公明党誕生により学会との距離も元通りになり、両者の間で自民との連携が確認されたようです。

こうして小渕内閣(小渕首相田中派を源流)のとき、公明党自民党と本格的に連携地域振興券の実現を成功させます。さらに自民・自由の連立政権に正式参加、自由党が連立離脱すると、(自由党の分派・保守党2003年まで連立政権に参加していましたが)事実上自公連立政権スタートすることになります。

そんななかで小泉政権が発足。公明党小泉ブームに乗りながら一方で社会保障などに力を入れ、特に年金改革ではその中心となり国民政権担当能力を見せつけています。そして今日まで連立与党として8年以上の実績を積み上げてきました。

しかし、公明党としてさらなる勢力拡大という路線をとる気配はありません。あくまでも現状維持。二大政党化していくなかで、公称800万世帯を誇る創価学会母体にして、政界のキャスティングボードを握ることに徹していこうとしているのでしょうか。

また先のページで述べた「地方:自民都心公明」という連携の図式も、大都市の地方出身者割合が減少していくことによって、徐々に変化せざるを得ないでしょう。そのようななか、とりあえずは新テロ対策特措法延長をめぐって、その衆院再可決による通過を「平和主義」の観点から渋る公明党の動きが注目されます。果たしてそれでも自公なのか、それとも離反なのか……。

これからの創価学会公明党

微妙になりはじめた自公連立公明党はどのように動き、創価学会はそれを支持するか……。

この間、創価学会会長だった池田1979年日蓮正宗との紛争の責任をとって辞任し、名誉会長に就任しています(2008年8月現在会長原田稔/日蓮正宗とはその後1990年に決別)。しかし、実際には今でも池田名誉会長創価学会の最高実力者であることは、さまざまな学会系の雑誌新聞などをみても明らかです。

政教分離」をした今、創価学会公明党のあくまで主要な支持母体の1つ。非学会員公明党公明党候補に投票することももちろんあります。言われているように学会、特に池田名誉会長の指示1つで党が動くのかどうか、実際のところそれはわかりません。

ただ言えることは、公明党にとって創価学会は頼みの綱、必要な存在だけれども、創価学会にとっての公明党はどうなのかということです。学会壮年部長読売新聞の取材に対して「公明党を基軸にしながらそれ以外でもいい議員さんは応援するという人物本位」ということを述べている(2006年4月29日号)ことは注目に値します。学会公明党以外の政党とも手を組む可能性を模索しているのかもしれません。

公明党はこれからも創価学会の支持をいかにとりつけるか、個々の国会議員学会員の支持をどのように得るかが課題となっていくのではないかというのがガイドの考えです。創価学会公明党なしでもやっていけるが、公明党創価学会なしにはやっていけないわけですから。

さて2008年池田名誉会長は80歳を迎えました。彼に後継者はいないといわれています。長男の池田博正・創価学会理事長がいますが、池田名誉会長や幹部は世襲に反対しているとも言われています。その一方で待望論もあるようですが……。

いずれにせよ現在創価学会組織力は一見「宗教官僚」ともいわれるほど強固なものとなっていますが、「その後」の創価学会は、そのままなのか、それとも急激に変化していくのでしょうか。その予想は非常に難解だといわざるをえません。

人名について一部敬称略とさせていただきました。

参考書籍サイト

SOKAnet:創価学会公式ホームページ http://www.sokanet.jp/sg/sn/index.html

2008-08-30

http://anond.hatelabo.jp/20080830031705

それはあなたが見てないだけでは?新聞雑誌天皇の特集なんかでたまに取り上げられたりしてたはず。単に少数意見だから見る機会が少ないだけ。逆に戦前みたいな天皇制にしろという人も一部に射るがめったとテレビで見ることないし。

http://anond.hatelabo.jp/20080830034445

そもそも積極的に廃止するメリットが無い。せっかく奇跡的にも千年以上続いてる王族なんだもん。どこの国に行ったってそんな家系は滅多にお目にかかれんよ。

一応つっこんでおくが、「家系図が歴史的検証に完全に堪えるか/ずっと直系血族で続いているかどうか」は疑問。

参考:万世一系wikiディアhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E4%B8%96%E4%B8%80%E7%B3%BB

まあ万世一系を宣伝することメリットやらもあるんだろうから否定はしないけど、万世一系を信じ込むのは信仰の領域の問題で科学ではない。

あと

何で天皇不要論とかテレビマスメディア意見されることがないの?

そういう報道をすると『うるさい人たち』が来て面倒だから。

でもそんなくだらない理由で意見を取り上げないような許されない真似をしてるから、今のマスコミは信用を失ってるんだけどね。

http://anond.hatelabo.jp/20080830034445

うーん、言ってることはもっともなんだが、それが報道をしない理由になるかって言ったらならないよな

よくわからない、という印象。

あとある程度何でも言えるような2chとかで天皇いらなくねっていうレス三国人扱いってのも気持ち悪い。

経済効果的にどんなもんなのか概算する経済学者とかいないのかな。

そういうことを計算することすら不敬とみられるんだろうか。それもそれで気持ち悪いよなと思う

何で天皇不要論とかテレビマスメディア意見されることがないの?

天皇はいらないとはおもわないけど、そういう風に一定数いるであろう言論を撲殺してることに違和感を感じる。

2008-08-19

若さって何だろう

オリンピック体操銀メダルを取った内村さんは1989年生まれ、19歳らしいです。

卓球愛ちゃんは1988年生まれ、20歳です。

どっちも俺より少し下なんですが、それにしても若いですよねぇ。

ここ読んでる人の中には、同い年の人も結構多そうじゃないですか。


こう、同い年くらいの人が活躍してるのを見ると、焦ります。俺は焦ります。

高校三年生くらいのとき、甲子園で応援しているチアガールを見て、

俺は今まで何を……と思ったことは皆あるはずです。

子供のころから卓球を始めていれば……とか、

子供のころからチアリーディングを始めていれば……とか夢想しますよね。

同じ年の奴が会社を起こしていたり、年収1000万貰ってたり、

賞を取って NHKニュースになったりすると、

同じ時間生きてきた俺は何をしていたんだ、と思います。


生まれてきた環境に違いがあるってのは、すごい分かります。

顔が良くて、品行方正で親が天皇だったりすると、

何とか団地で育った4人兄弟の真ん中なんて棒にも箸にもかからないでしょう、ちくしょう

でも、江戸時代紀元前なんて、今よりもっともっと格差は激しくて、

農民に生まれたが最後、一生決まって終わり、が普通だったと思います。

そんな時代の偉人たちが、3歳で余裕とか10歳でプロ契約とか、

何歳で何したってことだけが伝わって、それと俺らは比べられるわけです。


昨日の夜寝るときに、ピューと吹く!ジャガー映画を見ました。

漫画原作映画なので、読んでない人にはピンと来なくてイマイチすんません。

ピヨ彦がふえ科にいるジャガーさんと出会って、

ふえ科の存続のためにすごい高い珍笛を手に入れる、って内容です。

漫画ギャグの1つ1つを、小さなシーンごとに拾っていっているだけなんですが、

最後の方で高菜が、というか高橋真唯が、

何の前触れもなく膨らんだスカートPV 風に一曲歌ってるとこがあって、

そこ以外全部糞映画でした。

2008-08-08

http://anond.hatelabo.jp/20080808161552

表現の自由が徹底されているというか、宗教的、文化的な道徳観念が発達しなかっただけだとおもうがね。

別の言い方をすれば、イスラムキリスト教のような抑圧的な文化背景がなかったとも言える。

だから、他国と比較すれば比較的タブーは少ないため、やれるネタ自然と多くなってくるのは確かに増田の言うとおりだと思う。

しかし、それは日本がたまたまそういう文化的背景にいるおかげであって、表現の自由が徹底されていると考えるのは他国から見たら違和感覚えると思うぞ。

韓国人が、

ウリナラ表現の自由を徹底しているから日王(天皇)批判もできるニダ! 日本猿哀れwww」

とか言ってたらなんとなく腹立つでしょ?

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん