いいとこ引用したなあ。
その最初の文と最後の文に答えが出てる。「繰り返し繰り返し」と「私と同じ」のとこ。
最近の批評の主流だけど、「こころ」は「反復のテキスト」なんだよ。
「先生と私」の反転反復が「両親と私」で、その二つを合わせた物の反復が「先生の遺書」で。
この文章の中は類似、模倣、反復、正反対の一対で満ちている。キャラクターの行為は心理的な物ではなく、テキスト上の要請によって動いている。
先生の模倣をする私。父親の正反対をしようとする私。「私はその人を常に先生と言っていました。だからここでも先生とだけ書きます」の冒頭に対し、遺書の冒頭で「私はその未亡人を奥さんと言っていたからここでも奥さんとだけ書きます」。
親類にだまされる自分→親友をだます自分。自殺する親友→自殺する自分(しかも死に対して死で報いるという方法論が乃木大将の模倣)。
死にかけている天皇、死にかけている父親。等々、注意して読めば、とにかく至る所に反復模倣正反対の一対(1と−1みたいな)満載で、そういう構造上の要請に従ってキャラクターが行動してるのがわかる。
「こころ」をエロゲ化してみようと考えた 主人公とKは東大文三の学生 お嬢さんはどこにしようかなあ、品女あたりにしようかな で、エロゲ的に考えて、Kを女の子にしてみよう ついでに...
海外じゃゲイ小説扱いしてるとこもあるらしいね、「こころ」って。 どうでもいいけど。
最初に読んだときから疑問だったんだけど、Kって本当にお嬢さんの事好きだったんだろうか? だからと言って先生が好きだとかそういう事を言いたいわけじゃなくて、なんか唐突過ぎて...
「好き」というより「色香に迷った」って感じじゃね? Kが死んだのは、 ・女に惚れるような凡人であった自分 ・そのせいで親友に裏切らせた自分 ・しかもそのことを打ち明け...
いいとこ引用したなあ。 その最初の文と最後の文に答えが出てる。「繰り返し繰り返し」と「私と同じ」のとこ。 最近の批評の主流だけど、「こころ」は「反復のテキスト」なんだよ。 ...
日本でもその筋の人にそういう意味で大人気だけどね 明治の小説はゲイっぽいものがやたら多いけど。 男性同性愛が許容されている(むしろ女性との恋愛より高尚とされていた)時代...
Kanonの秋子さんみたいなキャラでよくね?
Kを女性化したらKがお嬢さんに惚れていると言う元々の設定が成り立たなくなるような。 バイセクシャルの設定にするとか?