はてなキーワード: 天皇とは
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まあ、どのくらいの数の歴史オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない歴史の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、日本の歴史を紹介するために
見せるべき10人を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に「明治天皇紀」を布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う近代以前の歴史は避けたい。
あと、いくら歴史的に基礎といっても基礎的すぎるものは避けたい。
歴史好きが国会図書館憲政資料室の文書群は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「明治以前」を濃縮しきっていて、「明治以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。天皇だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この伝説過多な人物について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の立憲君主的成長を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな薩長のリーダー(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「歴史オタとしては維新以後の木戸の存在が“空気”にされていると思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種の歴史法律オタが持ってる西洋法への憧憬と、ボアソナード監修のオタ的な考証へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも井上毅な
「天皇による国家統治権の正当性」を歴史性によって担保するという憲法義解
の二つをはじめとして、オタ好きのする法を歴史にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「千円札の人」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この人物がその後暗殺されたこと、それが韓国では大人気になったこと、
韓国で暗殺犯が実写テレビドラマになったけれど、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
日本国内でそういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり戦時経済は国家総動員法だよね」という話になったときに、そこで選ぶのは近衛文麿
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この人物にかける東条英機の思いが好きだから。
断腸の思いで満州に渡って人脈築いた、っていう経歴が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「統制経済」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
産業合理化運動を俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
小林一三や石橋湛山だったらきっちり自由経済にしてしまうだろうとも思う。
なのに、軍需次官に降格人事を自分でかけながらも無任所大臣に就任してしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ岸がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。戦後首相になった際の評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層で『国家衛生原理』を読んだことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
蒋介石よりも前の段階で、台湾の統治とか統制とかはこの人物で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの人物が東京市長で大正時代にいたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく歴史好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆる改軌論争でしか後藤を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
原の「政党政治」あるいは「護憲運動」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「選挙対策としての地元への利益誘導」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ田中角栄『日本列島改造論』はストロー効果以外ではあり得なかったとも思う。
「箱物行政」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源は原敬にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう統制派風味の軍人をこういうかたちで総理大臣にして、それが連合国に受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9人まではあっさり決まったんだけど10人目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に昭和天皇を選んだ。
明治天皇から始まって昭和天皇で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、人間宣言以降の象徴天皇制の先駆けと
なった人物でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい人物がいそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10人目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
山縣・桂・西園寺あたりも入れたかったが、無理だった。
というか、ネタとして何番煎じなんだろう
マスゴミは腐っとる。秋葉じゃ被害者の親戚友人にフラッシュ焚き付けて、八王子じゃ遺族にすこし静かにしてくれと言われる。
正義ぶった報道で(さほど)罪の無い人々を地の底へ叩き付ければ、芸人は内輪ネタで笑う。
モラルも何もない。平気で不倫はするわ、薬は打つわ、人の不幸を笑うわ。
それでも、まだ、日本のマスコミが正常であると言うに足る、たったひとつの理由。
韓国の一部団体が竹島問題に感極まって、天皇陛下の写真を燃やしたらしい。
痛いニュースではこの壮大なネタにつられた2ちゃんねらー達が戦争だとはやし立て、この事を報道しないマスコミを駄目だと言う。
日本の自衛隊は強いから、ソウルなんてすぐに火の海にできる。などと言って。
もし、日本のマスコミがこの事を報道したら、冗談ではなく、日本は戦争ムード一色になる。
みのもんたに簡単にだまされてスーパに殺到する主婦を見れば一目瞭然だろう。
そんな寝言は戦時中の報道を見てから言ってほしい。あの新聞は、ただインテリ層に迎合しているだけだ。
まぁ戦争したとしたら余裕で勝つだろう。
だからといって、戦争して何になる。
戦争で、一番強いのは、戦わずして勝つ事ができる国だ。
アメリカが常に最強の軍隊であり続けるのは、相手の国に戦う気を起こさせないためだ。
だからオバマも、核を含めて、あらゆる手段を講じることを辞さないと演説で述べる。
まぁ、たまにキチガイが上に立って、落とすつもりの無かった原爆を落とす事もあるけどな。
その強さは、韓国で兵役を終えた男たちだったら誰でも分かっている。
でも、それが通用したのは、国同士の戦争が主だった、テロ以前の話だ。
相手がテロを起こすに足る理由を作った方が負けであり、それをサポートする感情を世界の一部に作らせた方の負けである。
それに負けじと、大量の使い捨て芸人を投入し、高級外車を壊し、なんとか数字を確保しようとしている。
そのようなマスコミにとって、韓国の過激派の行動の絵なんて、涎が出る程欲しいに決まっているではないか。
所詮私企業であるマスコミが、左翼思想とやらに流されて、高視聴率間違い無しの、過激派デモを流さないはずがない。
それでも、この天皇写真焼き払いデモが大きく報道されなかった事実。日本人を63年ぶりの災禍へ陥れなかった勇気。
これがアメリカだったら、どうなっていただろうか。
それこそが、まだマスコミが捨てたもんじゃない、たった一つの理由である。
議論、反論大結構。是非この場でやり合おうではないか。
半生というには人生短く見積もりすぎか。しかし「四半生」なんて単語もないだろうからこのタイトルで行こう。
基本的にはとてもparticularな話ではあるんだけど、この世代がみな避けられなかった共通体験的なものも入っているはずだから、そこは誰かのなんかの役に立つかもと期待して筆を進める。
幼稚園時代、声が大きかったという理由で劇の主役に抜擢され、市民会館のホールで大声で叫んでたことが真っ先に思い出される。
(親から言わせると元気さだけがとりえで役者としては・・・だったらしい)
家から歩いて3分のその幼稚園は仏教系だったので、春になるとお釈迦様の誕生日を盛大に祝ったりしてたが、そもそも「お釈迦様」が誰なのかその頃はわからなかったし、ほとんど毎日あった正座がつらかった。
年長の最後の頃に、天皇が死んだということで園児全員を集めて黙祷だかなんだかやっていたけれど、その意味もあまりわからなかった。
小学校に入ると、学区の端だったので、40分近く歩くことになり、慣れるのに苦労した。そもそも通学路が遠回りのルートだったので、よく「通学路破り(つうやぶと呼んでいた)」をしたものだった。
その小学校はクラス替えが2年ごとだった。最初の2年間一緒のクラスだったSは問題児で、いつも喧嘩を仕掛け、何度か巻き込まれたし、ある時には彫刻刀を向けてきたりもした。漏れ聞くところによると彼の家庭状況は悲惨だったらしい。ただ担任の女性教師は毎回教室全体に響き渡るような声で彼を叱りつけていた。ある時彼女が「これがストレス発散の方法なの」と漏らしたとき、小学生にありがちな先生への絶対的な信仰を打ち捨てるに至った。結局彼は3年の途中でいなくなり、その後の消息は知らない。
ドラクエ4は初めてリアルタイムの発売日に買えたドラクエで、喜びのあまりお腹が痛くなって、市民病院に担ぎ込まれるほどだった。
だけどやってみると「3のがおもしろかったかな」とか思った。
3,4年の頃の記憶はあまりない。そもそもその頃年子の妹ができて、母の代わりに家事やらなにやらを手伝わなければならず、てんてこ舞いだったことくらいしか覚えていない。
小学校最終学年、それも年が明けてから。夜中に大きい地震があった。部屋に飾っていたガンプラが何体か自殺した。当初は兵庫県淡路地震とか呼ばれていた気がする。朝テレビを家族で注視していたが、「箪笥が倒れてきて老人が怪我をした」とか微笑ましい(と言っては不謹慎か)レベルの被害しか聞こえてこなかったので、それほどひどくなかったのだと安心していた。しかし時間が経つに連れて死者数は増え、瓦礫の映像や崩れた高速道路の映像を見るにつけ、その深刻さに目を覆うしかなかった。
そして卒業式の頃に、地下鉄サリン事件が起こる。鳥山明の似顔絵みたいな人たちがたくさんいるのを見て、逆になんだか現実味を感じなかった。
でもって中学。またも学区の端だったが、今度はさらに遠くて、多分4kmくらいあったと思う。だけど中学は念願のチャリ通で、ヘルメットが蒸れる以外は快適だった。
クラブ活動の上下関係はかなり理不尽で、しかもスポーツが苦手なほうだったから、かなり耐えがたかった。夏暑いし。3年間で褒められたのが「お前はパスがうまい」だけっていうのも今思えばどうかと思う。「○○君ってやさしいよねー」くらいの意味だろう。
中3のとき、サカキバラ事件。犯人は中年の男だとか医師じゃないか(殺害方法から)とか、南京錠の謎だとか、収拾が付かない方向へ向かっていた。
だけど声明文の「SHOOL KILL」のスペルを見て父は「仮にも医学部へ行った奴がこんなミスはしないだろう。中学生か高校生じゃないか」と言ったが、まさか自分と同学年とは思わなかった。同じ年にてるくはのる事件というのもあったんだけど、こちらは警察のヘマで犯人(浪人生)に自殺されてしまったので今では誰も知らない。当時は暗号解読とかで話題になったんだけどね。
高校は学区トップ校へ。加藤君と一緒ですねー。まあでも国際科に落ちてスライドで普通科に通ったから屈折してると言えば屈折してるんだけど。
そういえばこの高校、最近やたら進学実績伸ばしてて、進路指導のN先生はホクホク顔だと思うんだけど、驚いたことに今年のT大合格者十数名全員が国際科だった。
なんつーか、重点的に資源配分してるのかねー。あからさまなのは嫌なんだけど。
最初のテストで下から少し数えたらたどりつく順位をとって、ショックだった。しかも成績上位者を張り出すとかどんな嫌がらせ。
そう言えば毎回1位をとっていたY君は地元の帝大に行ったんだけど、進路指導的には痛恨事だっただろうなあと思う。(だけどそのエピソードに自分の受験校をちゃんと自己決定できるリベラルさが凝縮されてると思う。2番手校以下は結構介入が激しかったらしい)
懲りずに運動部に入るけど、かわいがってくれた先輩がいなくなったら居づらくなって辞めた。友達に誘われて別の部に入るけど、マネージャーが××だったのと手が小さくてボールがつかめないのを気に病んで辞めた。やることないので生徒会長に立候補したけど落選した。
しかし帰宅部ではあまりにもアレすぎるので友人たちと会合を何回か開いてそれを同好会に昇格させた。
会長から一人では手が足りないと請われたので予算委員長代理として予算折衝やイベントの運営に当たった。
次の期で会長になったけどやりたいことはあまりできなかった。むしろ黒幕のときのほうが好き放題できた気がする。
豊川主婦殺人とかネオむぎ茶とかみんな同学年だった。「キレる17歳」と連日言われて、ナイフ事件とかが全国各地で多発してた。
大学受験したけど結局一つも受からなかった。仕方がないので代ゼミに通った。
代ゼミではほとんど友達ができず、言葉をしゃべるのも忘れそうになった。おまけに衛星授業で黒板端の文字見えないし。
唯一できた友達がS価高校出身の子。
「やっぱりS価高校の人って全員S価信じてるの?」
「いや、そういうわけじゃないよ」
どんな会話だ。
そういえば代ゼミで私立中高に通っていた小学校時代の友人に再会したが、彼の言うことが支離滅裂で面白かった。
「俺は株でもうけて大金持ちになるんだ」
「じゃあなんで医学部行くんだよ」
「元手を稼ぐためだよ」
とか、
「そんな大学あったっけ?」
「医科歯科大だよ」
「(お前絶対御茶ノ水行ったことないだろ・・・)」
テレビ見てたらビルに飛行機が突っ込んで、「世界は核の炎に包まれた」ってなるのかと心配した。
で、再度の受験。なんかセンター試験でいい点が取れてしまってセンター利用でおもしろいくらい合格が出た。
話したこともないのにルックスだけでぼんぼこ告白されるようなそんな感じ。
「中身見なくて大丈夫なんですか?」と皮肉の一つも言いたくなる。
続く・・かも。(でもその世代の雰囲気は伝わるでしょ)
誇大妄想が言説の前提としてあるんだから、だからトリアージからいきなりホロコーストに飛躍しても飛躍じゃないと信じることができる。権力の脅威だって言って。何でこれがわからんのかね。現実考えたら、天皇による国家幻想より(だいたいどの国も国家幻想を必要とするし、日本なんかはまだ穏やかなほうだ)、テレビみて納豆を買いあさる日本人の底の浅さのほうが、天皇よりもよほど危険なのに。
反日分子乙。メディアにあおられてホロコーストおきるのはナチスドイツやルワンダやらでもあったこと。中国の文化大革命や最近のアメリカのイラク戦争だってメディアが加担してるだろ。にもかかわらず何で日本人の底の浅さの話になるんだよ。「外国はさぞかし底が深いんでしょうね」といやみ言いたくなるわ。
しかも納豆買いあさるという行動だって日本人の多くがやってたわけでもなく、マスコミが面白おかしく切り取って誇張してるだけ。それを真に受けて日本人論語っちゃう奴の底の深さは何ミクロン?とりーあー時からホロコーストまで飛躍する人と納豆貝アサリ報道から日本人の危険性に飛躍するのにどの程度差異があるんかと。
さらに、誇大妄想を前提とした議論しかないから「左翼全体がトンデモ」認定されてしまうし、誇大妄想を共有する人間にしか通用しないことを言いあうしかないんだよ。右翼と同じようにね。
右翼左翼が自分たちの主張を誇大妄想と思ってないようにあなたも納豆貝アサリから飛躍するのはとんでも誇大妄想じゃないと思ってるだろうね。
右翼が異国・異分子に対しては過度の恐怖心・警戒心、左翼が天皇の権力に対する過度の恐怖心・警戒心、あなたは日本人に対して過度の恐怖心・警戒心ということですね。わかります。
一刻も早く底の深い人々の住む外国に移住したほうがいいんじゃねーの?
極論すると、権力にずぶずぶでやくざみたいな右翼と、本当は体制とツーツーだった癖に反体制を気取って大衆を欺瞞し続けたエセ権力童貞な左翼しかない日本って、どうにもつまらなすぎるでしょ。
民主主義下で権力とぶずぶずにならない政治勢力って極右や極左のような過激派になるしかないだろうね。いやいや外国では右翼左翼が権力とずぶずぶになることもなく、大衆を欺瞞することもない面白い政治をやってるんだよってことだろうけど。
与党が少数派にも配慮して野党もある程度主張をとおすため妥協するのは議会制ならあるべき姿。妥協したら「反体制の癖に体制側とずぶずぶだ、大衆を欺瞞した」とみなすって事なら野党と与党は折り合わず与党が一方的に意見を押し通すのが理想なのかも知れんけど。
左翼のもともとの心性が反天皇権力なんだから、何を扱っても必ずそこにつながってるってのが読めない人間がいるんだね。戦争の話も人権の話も国旗国歌の話も、全部そこにつながってるじゃないか。右翼が国家権力に対する過度の信頼と誇りが心性だから、異国・異分子の脅威に対しては誇大妄想を根拠にわいわいやってるのと、ちょうど裏返しが日本の左翼で、天皇の権力に対する過度の恐怖心・警戒心とそれによる誇大妄想を根拠にして議論やってるから。誇大妄想が言説の前提としてあるんだから、だからトリアージからいきなりホロコーストに飛躍しても飛躍じゃないと信じることができる。権力の脅威だって言って。何でこれがわからんのかね。現実考えたら、天皇による国家幻想より(だいたいどの国も国家幻想を必要とするし、日本なんかはまだ穏やかなほうだ)、テレビみて納豆を買いあさる日本人の底の浅さのほうが、天皇よりもよほど危険なのに。
ようは彼らは人々のために人権を守ろうとしてるわけでなくて、単に権力に対する反発心だけで人権を旗印にしているだけで、それがまさに「ニセの正義」と書かれる理由でしょ。左翼にとって都合のいい人権しか云々されなくて、都合の悪い人間に対しては人権なんて話題にもならない。
さらに、誇大妄想を前提とした議論しかないから「左翼全体がトンデモ」認定されてしまうし、誇大妄想を共有する人間にしか通用しないことを言いあうしかないんだよ。右翼と同じようにね。
HALTAN氏はこの手の誇大妄想からさめた人だから、だからhokusyu氏・Apeman氏たちにはついていけないとはっきり言っているんだよ。逆に、誇大妄想についてこないからHALTAN氏をバカだという。
こういうことを書くのも、いい加減に左翼自体、この手の下らん誇大妄想からさめてもらいたいから、あるいはもうちょっと別の左が出てこないものかと期待しているから。極論すると、権力にずぶずぶでやくざみたいな右翼と、本当は体制とツーツーだった癖に反体制を気取って大衆を欺瞞し続けたエセ権力童貞な左翼しかない日本って、どうにもつまらなすぎるでしょ。
そうでもないよ。そんなに気にならないのなら、女性天皇の話題であんなに揉めるわけがない。過去と伝統を重んじる人にとっては天皇は拠り所の一つなんだよ。
明治維新から太平洋戦争の敗戦まで八十年ちかく(百年もないのか、ちょっと意外)、
少なくともタテマエは天皇中心、かなり多くの人のホンネでも、天皇は非常に大事な存在だったわけだから、
「国体が護持された」以上、まぁよかった、って気持ちは、相当、あったんじゃないだろうか。
仮に、GHQが天皇制廃止したところで、結果は同じだったかもしれないが、
天皇が伝統を象徴し過去との継続性を代表しているからこそ、明治維新やGHQ改革のような大変革に際しても心理的に受け入れやすく、社会混乱を最小限に抑えられた、という側面があったそうな。
どうも分からんのだが、あの流れのどこから天皇の話が湧いて出たんだ?
今、日本の言論やマスコミが天皇や皇室に遠慮してるのって、畏敬の念を持ってるからじゃなくて、単に右翼が怖いからだろ?
右翼の暴力がどう機能しているか、ってのは結構重要な議題な気がするけど、天皇の政治的もしくは思想的な機能なんて、今更真面目に取り合わなきゃならん問題とは思えんけど。
なんかすごい行き違いがあるんだよね。
Apeman氏らのほうは、HALTAN氏の立ち位置をまったく読み違えているから、中立を装っているとか神の目とかいう言葉まで出てくる。あまりにもな言いようじゃないか。
HALTAN氏はもともとそういう左側の運動に熱心だった人なはずで、だけど途中で見限ってしまったらしい。そういう人らしいことは、全体を通読してみれば分かる。だから、シンパシーを感じるのは今でも基本は左側なはずだ。だからこそ、左側に余計に厳しくて、左側には変な連中がたくさんいるといつも書いている。ましてや右側はかすかすだし。これは、中立性を保とうとしているのではない。
そういう人が、Apeman氏らのような議論をみて「お勉強されているのはよく分かりました」が現実はどうなんだ、ただの誇大妄想でしょ飛躍があるんじゃないのという世間知頼りの床屋政談になるのは当たり前だ。
他方、HALTAN氏が完全に間違えたのはこういう見当だったはずだ。
http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20080526/p2
id:Apeman氏はこの程度のこと(そんなに簡単にサヨクが説くような階級闘争史観の通りに世間は動かせねえよ!)(当の弱者や貧乏人も「俺だけはクレクレ弱者じゃない」と思いたいから、税制の逆進性の緩和や累進課税の強化などには必ずしも賛成しない)(「今は違う!」と言うかもしれないが、風向きはまた反対側に簡単に変わり得る)は分かっている人だと思っていたのだけれどなあ・・・。
実際、Apeman氏のブログを仔細に読めば、こういう見当付けはできないはずだ。彼の文章は、天皇の権力に対する嫌悪を前提にしていないと読めないものが多い。つまり、従来の日本の左翼の枠から一歩もでてない。したがって、金持ちから分どりゃいいとかも平気で書ける。ご高説が過ぎて現実性が完全に欠如する部分がでてくる。とはいえ「お勉強がお好きですね」というところで、こういう文章群もあっていいし、読んでるほうも勉強になる。そういうもんだと思って読めば済む。(むしろ、現実を変えるためにもっとがんばれと言いたいくらいなんだが)
だから、Apeman氏らからすれば「俺の文章をちゃんと読め」とか「頭を使え」とかそういう反論にならざるをえないのだが、しかしHALTAN氏はそもそもそういうところから出発してものを言っているのではないので「接点がない」とぼやくしかない。当たり前だ。
個人的にはHALTAN氏に共感するけどね。
日本の左翼が諸外国と比べて独特なのは、ただ反権力なのではなくて、天皇の権力に対する憎悪(とそれに伴う誇大妄想)があるからだ。だから必ずしも人民を守るためというわけではなくて、反「天皇の権力」が自己目的化している部分が大いにある(国旗・国歌問題なんかはそうだ)。たぶん、HALTAN氏が見限ったのは、こういうところなんじゃないか。にもかかわらず、屁理屈つけて憎悪感情を糊塗してもっともらしく見せるから。言い過ぎかもしれないけれど、でもHALTAN氏が感じているのはそういうことだと思うよ。で、ご高説が的を得るときもあれば、外すときもある。誇大妄想が根本にあるからね。それだけの話でしょ。HALTANさんは、手を引いて床屋政談やっとくほうがいい。絡む場所と人を間違えた。
この人バカなんだろうか。
「かわいそうなぞう」はなぜ「かわいそう」か - 過ぎ去ろうとしない過去
そのとき、いちばん後ろで拍手が起こります。そうです、あれは我らが経営学者様です。「すばらしい!参謀本部も飼育員もトリアージを理解している!かわいそうと言うだけでは何も解決しない!」
筆者がトリアージを理解してないせいで文中の人もトリアージを理解できてない。その誤った認識を前提にしているので結論も誤っているのは然りだが、その過程においても誤っている。
戦争がお好きなようなのでそのたとえでいえば、負けが確定しているにも関わらず、負けたら天皇が(あるいは国民、あるいは戦死者が)かわいそうだからという理由でだらだらと戦争を続けるようなものです。負けが決まった段階で降伏していれば戦死者はそこでゼロになりますし、手持ちの資源を復興や福祉にまわせたのに、なんとかしようと悪あがきした結果が神風特攻隊です。
快復の見込みがまったくない(例えば両手足が損壊し腹部を柱が貫通し出血を止めようがない、といったような)患者に投薬を続け医師をアサインしたところで、得られるものはその患者の満足だけですが、失うものは救える可能性があった患者の命です。
平時の大病院であれば見捨てるなど言語道断だとする意見にも一理ありますが、大災害時に平時の大病院と同等の対応をするべきだと主張するのは、気合を用いて竹槍でB29を落とせという指示と大差ありません。
では大災害時などの非常時にどうすればいいか、という考えのうちのひとつがトリアージです。全員を救うのは無理だ、なら可能な限り多くの人を救えるように手配すべきだ、という考えです。そのトリアージを「かわいそうだから」という理由で無責任に批判するのは、戦争に協力的でない人を「非国民」と罵るのとどう違いますかね。
あるいは、トリアージがダメなら他にどうすべきですかね。「かわいそう」と言って足を引っ張るだけならどんなバカにでもできます。
このトリアージという概念が戦争における技術的価値観から生じたものであり、トリアージはけしてその矛盾から逃れることは出来ないということは忘れてはなりません。
たとえば暗号学も戦争の必要によって爆発的に発展しましたが、今ではインターネットの基盤技術になっています。Amazonで買い物するたびにエニグマやそれ以前にまで思いを馳せるのは個人の自由ですが、現実にそんなことをするのは軍事オタクか暗号オタクが趣味的にやるくらいでしょう。
それを全体主義的に要請されても困ります。大多数のテクノロジーは再帰的にルーツをたどれますから、目覚まし時計で起こされたら、蛇口をひねって水を出したら、靴を履いたら、ドアを開けそれが自動的に閉まったら、施錠したら、その都度原始時代まで意識を飛ばすことになります。朝っぱらからウホウホするのはモンハンの中だけにしてください。
そういえばインターネット自体が軍事研究の成果物ですが、そんな血塗られた技術を使って四方山話をする気分はどうですか?
「かわいそう」の一言は、その全体主義にたいする、プリミティブな異議申し立てに他なりません。
単なる感傷に過ぎません。また、感情で動く人や集団とは話はできません。
「かわいそうだ」「じゃあどうすればいいんだ」「助けろ」「だから助けるのが無理だっつってんだろ」「でも助けろ」「……それによって救える患者が救えなくなるがいいのか」「ダメだ」「じゃあどうすればいいんだ」「助けろ」
一点だけ、「助けるのが無理」という判断が間違っているかもしれないというリスクについて触れておきますと、何せ非常時ですから大地震が起きた現場でCTを撮るなどの悠長な検査はしていられません。必然的に誤診の確率は平時よりも高くなります。それによって、助かる可能性のある人が、助かる見込みがないと判断されて治療が受けられないことも起こり得ます。
しかしこの問題も戦略的にしか判断できません。八方丸く収めるのは無理です。(近視的に見て)より人道的な考えは、誤診の確率を減らすことです。すなわち、検診により時間を掛けることです。それによって、検診待ちのあいだに間に合わなくなる人が出てくるので助かる人数は減りますが、「かわいそう」といちゃもんつけられるリスクも低減します。これを押し進めて、トリアージをやめて全員に平等に治療を施せば、助かる人数は1桁2桁下がりますが、「かわいそう」と言われるリスクも最低にできます。
周りを見ると、どう見ても軽症の人は包帯だけ手渡されて、自分で頭に巻いています。どう見ても助からなさそうな人の周りで知人とおぼしき人が泣いていますが、そこに医師の姿は見当たりません。医師はいかにも仮設といった手術室で、両足を複雑骨折した人の執刀にあたっています。他の医師は注射器を渡して使用法を説明していましたが、それが終わると駆け足で他の負傷者のところへ行ってしまいました。
さて、この見捨てられた人が自分の友人や配偶者であった場合、誰でも抗議するかと思います。いかにトリアージを支持し、その効果を認めていたとしてもです。自分が医師であったなら、仕事をほっぽり出して友人なり配偶者なりの治療にあたるかもしれません。あるいは自分が重傷者なら、せめてちゃんと診断してくれ、痛み止めをくれ、などと思うかもしれません(意識があれば)。
これらはすべて、限られた薬、限られた医師を自分によこせという感情的な主張です。これがまかり通るような医療現場は果たしてあるべき姿、正しい姿でしょうか。いかに訴えられても、それによって助かる人が助からなくなるのであれば、現場の指揮者や担当者は訴えを退けるしかありません。実際の被害者が言うならまだしも、門外漢が「かわいそうだ」と現場の人間を責めるのは、いったいどういう了見なのか、ぜひとも聞かせていただきたいものです。
で、市民革命とギリシャ思想の必然的な関係とやらを見せてほしいのだが。俺が思うに、過去の伝統の影響を過剰に持ち上げるのは当時暗中模索でことを進めていった人たちに失礼だと思うんだけどね。
うーん、まあそういう意見はそれでもいいよ。でも日本でそれを主張することが、あまつさえ天皇とか引き合いに出すことが、どんだけ危険なのか、ってことくらいは自覚して欲しいな。
ディベートのネタに使っていいような話題じゃねーぞ。アホにでしゃばる隙を与えないためにも。
で、ほんとに蛇足なんだけどなんだかなあ。
だから、あなたの言っている「普通の現場」が別に「普通」じゃないと言ってるわけですが。あなたの挙げた例で言うと「携帯ゲーム機のプログラマーみたいな仕事」を「普通」の範疇に入れないのはなぜ?
携帯ゲーム機のプログラミングでアセンブラもどきのC言語が使われるのは、CPUもメモリも貧弱でC++のコストが高くつくからだ。必然性がある。あと、携帯ゲーム機のプログラムは一人でもやれる規模だし、誰かのソースを引き継いでサポート、みたいなこともあまりないからな。
10年前ならともかく、今だとゲームでも、普通のゲーム機や特にパソコンのゲームだと、さすがにほとんどがC++で開発されてるんじゃないかな。
業務用アプリ作ろうってのならともかく(まあ、オブジェクト指向を使う目的は普通はそっちだが)、そうじゃない人間にとってはややこしいライブラリの癖をあれこれ覚える必要はないわけで。
そんなお遊びプログラムの話をされてもー。
ていうか、STLとか標準的なライブラリの使い方は、もう癖というレベルじゃなく、標準語として覚えるべきだと思うが。
君の仕事を引き継ぐプログラマに、君オリジナルのライブラリの癖に適応する手間を掛けさせるよりは、標準的なものに準拠しておいたほうがいいよね。
本筋にはレスしないの?もう打ち切るよ。
まず、ここ自体が脱線なのだが、
明治維新と民主主義の関係なんて誰が言った?(五箇条のご誓文の第一条見ればわかるけど、イデオロギー的には取り入れられてるんだけどね、まあいいや)そういう話じゃない。あなたの言い方なら「かこつけて」というところを問題にしてるだけ。権威に対抗するのに別の権威を持ち出すのは実に普通だという話をしてるの。
で、市民革命とギリシャ思想の必然的な関係とやらを見せてほしいのだが。俺が思うに、過去の伝統の影響を過剰に持ち上げるのは当時暗中模索でことを進めていった人たちに失礼だと思うんだけどね。
で、以下は完全に蛇足。
だから、あなたの言っている「普通の現場」が別に「普通」じゃないと言ってるわけですが。あなたの挙げた例で言うと「携帯ゲーム機のプログラマーみたいな仕事」を「普通」の範疇に入れないのはなぜ?
あと、C++やJavaはちゃんとやろうとするとむしろアセンブラよかずっと難しい(というか「ややこしい」)ので、そう舐めてかかるのはいかがか。
業務用アプリ作ろうってのならともかく(まあ、オブジェクト指向を使う目的は普通はそっちだが)、そうじゃない人間にとってはややこしいライブラリの癖をあれこれ覚える必要はないわけで。
「情報工学」全般の話をしているのに企業社会だけを想定する必要などなかろう。大雑把な言い方をすれば、大規模情報システムだけがITの全てではないということだ。
そりゃ携帯ゲーム機のプログラマーみたいな仕事もあるから、そういうのでアセンブラもどきのCソースが出てきてもおかしいとは言わないけど、一般の感覚としてはちょっと外れてると俺は思う。
だいたい、Cやアセンブラが使える人間がJavaやらC++を覚えて標準的な書法で書くことは、好き嫌いはともかく本質的には難しいことではないわけで。道具の使い方を覚えるということに対して「必要があればやるけれど、必要がなければやらない」というのは非常に当たり前の立場だと思うがね。
あと、C++やJavaはちゃんとやろうとするとむしろアセンブラよかずっと難しい(というか「ややこしい」)ので、そう舐めてかかるのはいかがか。
どっちでもいいよ。だいいち、数値解析の専門家がC++で書いたコードと普通の数値実験屋がCで書いたコードの性能の比較なんて問題は非常に枝葉末節じゃないか?そもそも、「普通の数値実験屋」がどういう奴かという範囲の取り方でいくらでも恣意的な結論が出てくる話だから、議論して実になるとも思えない。
やー、C++をいまだに重い重い言う人が多いからなあ。確かに枝葉末節なんだが、スルーしきれない。
そりゃ数値計算ではFORTRANに負ける部分が確かにまだあるが、Cと比べてなら、そこまで酷いってことはないはずなんだがね。
CでSTLよりも高速なコレクション処理を書ける人にはそういうことを言う権利があるいはあるのかもしれんが、俺はそれでもSTL使えって言うね。後々を考えて。
俺も論旨を混乱させた責任はあるが、そもそも話がずれすぎている。俺が言っているのは、「速いコードを書くことが理論的に可能かどうか」ではなく、「速いコードを書くために本人が持っているべき素養」の話をしているわけで。
うーん、個人的には、自力でアセンブラレベルからコレクション処理を書き起こすなんてばかげてると思うけどね。
やっと言いたいことがわかったのでまともに話ができるかもしれん。
俺はその反論1の質にしか興味がない、というか、その例1を引き出すための挑発として最初の質問を仕掛けてる、という側面があるんだよね。で、案の定真っ先に例1で応じてんだから世話がない。
だったら釣られた俺が馬鹿だったし、あんたも相手を間違えた。それだけのことだな。
あと、興味はないとはいえ一応指摘しておくと、その例1例2例3といくつも用意するやり方においては、例1と例2と例3が矛盾対立するようなものであってはならないはずだろう。でなければ、ためにする議論になってしまう。話者に一貫したスタンスというものがなくなってしまうからね。
言いたいことはわかる。ただし、俺のスタンスはいわばメタなもので、「この前提は絶対に正しいからまず認めろ」というのがまず嫌なんだよ。むしろ、「あんたが絶対と信奉している価値観は別に万人が無条件に認めるような絶対的なものではない。あんたと相対立する価値観にもそれなりの合理性があるはずだ、例1、例2、例3など。さて、どこを議論の出発点にしようか?」ということを誰に対してもまずやる。逆に言うと、俺が信奉している価値観を正しいと押し切る根拠なんてどこにもないと思っているから、価値判断の源泉については「見せろ」と言われなければ見せない。宗教論争になるのがいやだからね。
ちなみに、こんな話もある。細部は違ったかもしれん。
釈迦が人に「神はいるのか」と問われて、「いない」と答えた。ところが、次に人が来てまた同じことを問うたとき、「いる」と答えた。これを見ていた弟子が「どうして矛盾する答えをするのか」と問うと、釈迦は「あの二人が『神』という言葉のもとに思い描いていたものは違うではないか」と答えた。
別に自分を釈迦と並べているんじゃなくて、「神」の定義が違う人間が二人で言い争うのは嫌だということね。相手の土俵を推定して、相手の土俵でものを言わないといかんだろうと。
あんたに納得してもらいやすい話を選んだつもりが裏目に出たというだけだよ。正直、あんたのことを当初の言動から「学校の勉強なんか役に立たん、英語とコミュニケーション能力だけがあればよいのだ!」的な反知性主義者だと想定したもんでね。さすがにそれが釣りだとは想像できなかったが。
俺が言いたいのは、あなたのように公平性を重んじる価値観からは、英語を採用する理由は全く出てこないだろうということ。言語の性能(性能というより習得の容易さだな)はその中の例示の一つにすぎない。
廃止と言わぬまでも、量を減らせとは言っただろう?なし崩し的にゼロになってしまう論法だから反対したわけだ。正直、「上を下に合わせさせる」というのは暴力的だと思う。
「情報工学」全般の話をしているのに企業社会だけを想定する必要などなかろう。大雑把な言い方をすれば、大規模情報システムだけがITの全てではないということだ。
だいたい、Cやアセンブラが使える人間がJavaやらC++を覚えて標準的な書法で書くことは、好き嫌いはともかく本質的には難しいことではないわけで。道具の使い方を覚えるということに対して「必要があればやるけれど、必要がなければやらない」というのは非常に当たり前の立場だと思うがね。
で、どのC++のクラスライブラリが重いというのか、とか、C++とFORTRANについての議論については、君は全面撤退ってことでいいのかな? 具体的に質問に答えなくなっちゃったからなあ。
どっちでもいいよ。だいいち、数値解析の専門家がC++で書いたコードと普通の数値実験屋がCで書いたコードの性能の比較なんて問題は非常に枝葉末節じゃないか?そもそも、「普通の数値実験屋」がどういう奴かという範囲の取り方でいくらでも恣意的な結論が出てくる話だから、議論して実になるとも思えない。
そもそもそんなことを言えば、FizzBuzzすら書けない奴がCで書いたコードより速いコードをPerlなんかで書くことさえできてしまうかもしれないが、そんなの別に自慢にもならないし、(たとえば)数値計算でPerlを使っていい理由になんてならんだろ。俺も論旨を混乱させた責任はあるが、そもそも話がずれすぎている。俺が言っているのは、「速いコードを書くことが理論的に可能かどうか」ではなく、「速いコードを書くために本人が持っているべき素養」の話をしているわけで。
そしてそもそもこの話自体「素養」というものが必要か否かという点から分岐したものだから、その意味でもこの話は必要なかろう。
以下蛇足。
あと、ギリシャの民主主義については明確に誤解。ギリシャに伝統を引いてくるのは反王権主義者が持ち出した大義名分的なものであって、明治維新で倒幕派が天皇を担ぎ出したのと同じこと。
それ相当偏った歴史観じゃね? ためにする反論なのか、それとも本気なのか、どっち?
俺はむしろ君の方が相当偏ってると思うけどね。だって古代ギリシャの民主政が途絶えてから一体何年経ってたわけ?それに、市民革命の基盤になったのはむしろ封建議会の方なわけで(これもいちゃもんはつけられるけど)、これはむしろゲルマン文化のはずだよ。それをどうギリシャ文化の伝統と理解するのかかなり不思議。明治維新だって王政復古を唱えていたが、どう考えてもあの政体は西洋からの輸入品でしょ。同じことだよ。あんな政体が歴史上日本に存在したことはなかった。なんで戦前、あんなに後醍醐天皇があんなに高く評価されたと思う?
いや、貴族階級は言いすぎだろ。市民階級でいいと思うんだが、そこは。元々民主制って始まりはそういうもんだろ。惣とか寄合から近代民主主義を導けるというならやってみてくれよとしか。
ちょっと調べてみたが、貴族階級は余り適切でなかったようだ。そこは撤回。
導けるわけがないから聞いてるんだよ。ただし、始まりはそういうもんに決まっているが、それが本当に現代と連続性があるのか、と俺は聞いているわけなんだが。
そもそも、都市が自治を行うのはギリシャのポリスじゃなくても歴史的に普遍的な話なわけで(英語版Wikipediaを引いたら戦国時代の堺が挙げられていてびっくりした。さすがに思いつかなかった)、誤解してるかも知れないけど日本の江戸時代でさえ町役人って町人階級だからね。つまり、民主主義にとってはギリシャ思想が必要不可欠なものであるという根拠はますます疑わしいと思うんだ。だいたい、それを言い出したらアメリカはなんなの?あれこそ、草の根民主主義たる植民地自治政府の発展じゃない?
あと書き忘れ補足
あと、ギリシャの民主主義については明確に誤解。ギリシャに伝統を引いてくるのは反王権主義者が持ち出した大義名分的なものであって、明治維新で倒幕派が天皇を担ぎ出したのと同じこと。
それ相当偏った歴史観じゃね? ためにする反論なのか、それとも本気なのか、どっち?
ギリシャの民主政というのは市民階級(貴族階級と言おうか)だけのものであって、そんなことを言えば日本の惣とか寄合の方がよほど民主的かもしれない。
いや、貴族階級は言いすぎだろ。市民階級でいいと思うんだが、そこは。元々民主制って始まりはそういうもんだろ。
惣とか寄合から近代民主主義を導けるというならやってみてくれよとしか。
宗教なんて馬鹿馬鹿しい、堅苦しい、うさんくさいと思っている人間でも、努力や気合、根性、やる気という言葉を否定する人は少ないと思う。小さい頃から大抵の人は、その言葉を執拗に投げかけられ、特に疑問もなく受け入れ、信じている。
神はいない。と公言する人でも、自分には気合も根性もやる気も無いし、努力するつもりなんてさらさら無い。という人はいないように思う。もし、その発言をしたら、叩かれ、好ましい人物ではないという評価を受ける事になる。
高校生の部活動の練習などがテレビで放映される事がある。そこでは大抵、教師が「努力、気合、根性、やる気」の言葉を生徒に厳しく伝える。点数が低い、勝てないのは、それらが足りないからだという訳だ。生徒は涙してそれを受け入れ、練習に打ち込む。練習が実って、全国大会に優勝するところもあれば、優勝を逃したり、予選敗退という結果になる所もある。
練習した結果が、最終的にはハッキリする。「努力、気合、根性、やる気」をどれだけ出せたかによって良い結果、悪い結果になるという事になっている。それで優勝すれば最高であるけど、そうではなかった場合、結果は悪かったかもしれないけど、「努力、気合、根性、やる気」は充分だった、お前らは頑張った。頑張れたからいいじゃないか。来年頑張ろうという結論に落ち着く。
これってかなり不幸ではないだろうか。優勝した場合、どんな競技や芸術的競争でも、「努力、気合、根性、やる気」が優れていたから勝利したという事にされてしまう。そして、「努力、気合、根性、やる気」で上り詰めたのであるから、社会に出てもなんでも出来るよみたいな話になる。優勝できなくても、頑張れたお前達は、社会に出てもきっと別の一等賞を取れるよみたいな話になる。
文がまとまらない。
・そればっかりだと個人個人の能力は伸びないんじゃね?
・つまり集団で何かをやるのに適しているけど、強い個性で何かをやるのによくないんじゃね?
・それって農耕民族ぬんぬん 軍国主義うんぬん 大量生産時代には適していたうんぬん
・会社で「努力、気合、根性、やる気」って言ってるやつはバカじゃね?
・中国や韓国には、日本語でいうところのチョメチョメに該当する言葉が無いんだってさwwwww
・って事は、「努力、気合、根性、やる気」って「wwwww」だったりするんじゃね?
・じゃあ変わりになるものって何?
・「努力、気合、根性、やる気」を強制する連中って、世の中の支配層じゃね?
・じゃあ受け入れる側はなんなんだろうね。それが嫌いなら他の何かが欲しいね。拠り所として。
・何かが欲しい、拠り所が欲しい、それって宗教を欲しているんじゃね?
・「努力、気合、根性、やる気」はなんとなく否定したいけど、禅とかワビサビ、武士道は否定したくないね。
・でも、高齢のジイさんが屈強な若者をひらひらと倒していく変な武道は明らかにウソだよね。
・あれはファンタジーとしてアリだ。日本列島だって天皇の先祖の体で出来てるって事になってるんだ。
・そういう事になってる。という事に疑問を持たないのが日本人かも
・そういう事から突き抜けた人達だけが、華々しい活躍をしているように思える
・その活躍している人たちの心情には、「努力、気合、根性、やる気」は無いっぽいね
・近い言葉はあるけど、それそのものが必要って事はなさそう
・優れた人間(正直、鼻持ちならないやつ)が、横文字並べて解説したりするのは横文字じゃないと表現できないのかも
・血液型占いとか大安仏滅とか科学的どころか、理論も無いのに、否定する人もわりと少ない
・いろいろ言ったけど「努力、気合、根性、やる気」はそう嫌いでも無い それでも小さい小さい幸せを手に入れたから
・じゃあさして能力も無い人間にはそう悪い宗教じゃないじゃね?
・ねこ大好き
これらがまとまった先にどっかで見た、仕組み仕事術に近いようなものがあるような気がする。
似たようなエントリもどっかにあるはず。似たようなエントリ、これらをまとめたエントリがあれば教えてください。
自分の頭の中で、なんとなくまとまっているものが出力できない。頭の中ではそこそこまとまっているのに出力すると陳腐になってしまうのはなぜかも教えてください。