2008-11-05

アメリカ裁判所

アメリカ大統領選に関する新聞の記事を読んでいてふと思った。

アメリカ政治体制というのはダイナミックであり、国民主権なのだなと。

かえって日本というのは裁判所に限ればスタティックなのかもしれない。

その記事によると大統領が変わると、

アメリカ原理原則と憲法解釈は脅威にさらされるとのCMがあったとのことだ。

最高裁判事大統領が指名し、上院が認証することとなっている。

そのため、最高裁大統領思想がある程度反映されるということになる。

国家国民の権利・義務関係はこの判事に委ねられている。

たとえば、銃所持の自由、中絶の自由、これらの判断は彼らが握る。

そのためにアメリカの「原理原則」が揺さぶられるということなのだ。

そのことの理解は別としてアメリカ国民は彼らの意思で

国家原理原則を変えることができる。

判事任期は決まっていないためにそのスパンは10-20年となるのだろうが。

日本最高裁判事は総理の指名に基づき、天皇が認証するということとなっている。

判事の出身母体は慣例によっておおむね決まっている。法曹界学会、官界だ。

さらに言うと判事の7割は、裁判官検事官僚の出身者によって占められている。

つまり、官僚機構の出身者ということだ。

首相は誰であれ慣例に従い、7割は官僚機構から選ばれる。

こう考えると、日本アメリカに比べ静的なのかもしれないと思った。

これは職階制と年功序列制の違いに帰するのかもしれない。

また、国民の意思はそう大きくは反映されないだろう。

慣例を変えるには相当な政治的労力を要することは考えるにたやすい。

また最高裁判事の信任投票によって罷免された事例はかつてない。

司法府国民の統治から少し遠いのかもしれない。

裁判員制度はそういった観点からは意味を持ちうるだろう。

個人的には今、考えたような日本の体制であってもよいと思っている。

どう頑張っても過渡な人権論者によって最高裁の席が占められるということがないからだ。

保守。いい響きだ。

  • また最高裁判事の信任投票によって罷免された事例はかつてない。 比較憲法学的にみて最高裁裁判官の国民審査制度は由来が不明なんだよな。 日本国憲法の事実上のモデルになったア...

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