はてなキーワード: 北畠顕家とは
北条時行9歳 足利尊氏に攻め入られ、父と親族ら数百人が自害or虐殺。一人だけ逃げ延び、信濃の諏訪氏に匿われる
10歳 北条の残党など5万騎を従えて鎌倉に帰還、「中先代の乱」によって足利直義に勝利し鎌倉奪還。
その際に時行を擁護していた諏訪頼重らが自害、集団心中した遺体らは「先祖に顔向けできない」として自ら顔の皮を剝いでおり、その中の死体の一つが時行とされたが、実際には別の子供だった。
11歳 足利尊氏と後醍醐天皇が決裂、尊氏が光明天皇を立て、南北朝時代へ。
時行は南朝後醍醐天皇につき、父や親族らが後醍醐天皇のもとで死んだ件について父の自業自得であるとの文書を送る。
12歳 南朝公卿の北畠顕家を味方にし、再び鎌倉に帰還、「杉本城の戦い」によって足利家長を討ち鎌倉奪還。
翌月の「般若坂の戦い」で形勢逆転し敗走。
数か月後の「石津の戦い」で北畠顕家が死亡。時行はしばらく消息が途絶える。
信濃には「時行が巫女にお手付けして子を産ませた」と称する時行の末裔が多くおり、事実であれば失踪時期に大量に子を作っている。
28歳 足利氏が揉めている間に時行が三度目の鎌倉奪還。翌月に足利尊氏に再び奪われる。
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例えば、
・しかも戦国みたいにほとんどの期間が小物同士の争いというわけでなく、二大勢力対決かせいぜい三つ巴で理解しやすい
・京の都を争奪すること八度。しかもほぼ毎度、奪取奪回の伯仲の攻防で、都の主が入れ替わる事十数度のシーソーゲーム
・「二条城で信忠が守り切る」方がありえそうな、兵力差100倍の籠城戦勝利
といった、「ちょっと盛りすぎじゃね?」というド派手エピソード多数
こんな、ラノベファンタジーであっても「ドラマチックにしようとしすぎて、ご都合主義でリアリティがない」と、怒られそうな、波乱万丈な筋書きとエピ満載の史実、
「元弘の変~南北朝」が戦国、維新どころか源平に比べても今一つ人気がないのはたぶんそのせい。
実績・人気・年齢の三つから考える。
実績については、史実よりも、(講談なども含めた)後世の評価を重視する。
没年齢については諸説あることが多いが、
義平。候補中では最も若いが、人気が無い。せめて為朝クラスの伝説があれば。
正成。実績・人気は抜群だが、歳を取りすぎている。
顕家。実績・年齢は文句なし。知名度が低いのが難点だが、有力候補。
盛安。戦国武将枠として入れてみたが如何せん知名度が低すぎる。
幸盛。実績・人気ともに十分。年齢はやや苦しいか。有力候補。
幸村。戦国武将では最も人気のある一人。だが候補中では最年長であり、選出には無理がある。
総司。人気は抜群だが、武将ではないのが痛い。「夭折の天才剣士」であれば当確なのだが。
晋作。人気があり、年齢も問題ない。維新前に死んだので実績面で弱い。有力候補。
引き続き貴公の意見を求む。