はてなキーワード: ブロガーとは
古いゲームについて語るブログがある。過去の有名作品について紹介したり、解説したり。エントリが大手のニュースサイトに取り上げられることもあり、知名度は高いらしい。特徴を詳しく書くとすぐに特定されてしまいそうだ。
私はそのブログが嫌いだ。
その記事のいい加減さが。記述内容の浅さが嫌いだ。
有名作品を取り上げることが多いが、プレイ経験が無い作品についてもさぞ見てきたように書いているのがまるわかり。wikipedia等に記載された内容をそのまま鵜呑みにしてるように見えることもあり、そもそも記載内容に間違いも多い。見ていると腹が立つ。腹が立つなら見なけりゃ良いのにという説もあるが、自分もオタクのはしくれ。出鱈目な内容をしたり顔で書いているのを見つけると、どうにも我慢できない。ツッコミ入れずにいられない。
かといってケンカ売っても仕方が無いので、結果的にやんわりと訂正したり補足するような内容をコメントに残すことになる。
今やmixiやTwitterを含むネットの各地には、レトロゲームの猛者が大勢いる。
そもそも実際にプレイした経験が無くても、彼ら猛者がアウトプットしている資料を元に裏を取るだけで、例のブログの適当さはわかるのに。
なんであんなヌルいブログが人気なのか私には分からない。
適当なくせに人気うらやましいうざい腹立つ嫉妬嫉妬嫉妬嫉妬
そんなどす黒い情念を抱きながらも、私は今日もコメントを書き込んでしまう。
……そっか。これが「釣られてる」ってことなんだな。
無意識にしろ意識的にしろ、最初から考察内容に穴のある記事を上げておくことによって、それを見てもにょもにょした連中が訂正コメントを残す。その結果エントリにはまともな情報が集まり、傍目には賑やかなブログと映るようになる。
ホッテントリの常連みたいなブロガー様は皆知識も経験も豊かで、自身の豊富な引き出しを活かした鋭い考察によって人気を博すものかと思っていたが、必ずしもそうではないのだ。知識の持ち合わせがなくとも、あえてアホのふりをする。そんな方法論もあるわけだ。
あのブログは嫌いだ。
嫌いだけど、これからも通うだろう。
荒らすつもりはないし、そんなことは望まない。末永く続いて欲しいと思う。
固定読者さんも多いブログのようだし、あのブログがレトロゲームに触れたり楽しんだりするきっかけになるのなら、私だって嬉しい。
はじめに
ログのすなどりに嫌気がさし、大半の人は「水伝」との係わりを渋ります。折りしも「●かな●さん(他称?のため)」のコメ欄で騒動が再開されました。予備知識がなく二の足を踏むのはもっともですが、人物が整理され、構図も実相も鮮明となっています。臆することなくフリーハンドで結び目を解く新人が参入して良い頃、読者にとっても良い機会ではないでしょうか。
人物(A・B・C・D)
!現在「共感派」を構成するのは、二年前の不用意な記事がやり玉となったブロガー同盟ではなく、Cを起点にはじけた「連座制が嫌で黙っていたけど、心中は穏やかではなかったです」タイプの中間層の繰り上げ。
四人には「蜜月時代が嘘のような」という紋切り型は相応しません。不即不離、木箱(親和的ではないサークルに向けるあなたの呼びかけは、共感、論理派以前の分岐点となります)に居心地良く収まった当時の様子はたやすく思い描くことができるでしょう。論理派(世間知を蔑ろにするトラブルメーカー!)が、数多のブログから応答が困難な共感派(反知性主義の擁護者!)の文章を今もこぞって俎上にのせるのは、私怨だけで説明がつくものではありません。
!水伝には「的確な人物評は罵倒と見分けがつかない」という魔法の言葉が存在する。
o A 「軽はずみな謝罪を行い、軽はずみに謝罪を求める」人物とされる。「怒りの表明と記事の削除、言明(反省)を促す行為は、謝罪要求にあたらない」といった理屈を受け止めることができるならば、あなたはこちらのグループ(論理派)に入る。
o B そのパートナー。踊り子の軽快なステップ、武道家の重厚なさばきを併せ持つ論客を自負する。まるで組み手上等の伊東富士子だが、場に響くのはきしみ、無理強いした関節の悲痛。
o C その友人。職業スキルに信頼を置く千の衆望を担った元メルマガ発行人。耳目をそばだてるフレーズを多用し、自身への火の粉を振り払うためでも、育成したスキルのネット社会での応用を頑なに拒む。
o D その崇拝者。コピペブロガーの上位にあたる引用ブロガー。三行を超えたコメントの通読が苦痛をもたらすのは、選択と長短が不適切だから。「違和感は読者を立ち止まらせるための文章術」という評判は拾えず。
人物(E・F)
先の四人とは趣が異なり、リアルで交流を楽しむ情景(たとえばBとEのテーブルを挟んでの談笑)は、どれほど想像をたくましくしても浮かびません。
左翼的言論を活発に展開していた四人は異質を迂回できず、受容か拒絶の択一を自身に課しました。Eグループが騎士団と呼ばれ、Fグループがカルト(信者)に喩えられたのは、EとFがシンボルに祭り上げられた(落とし込まれた)からです。二人への直接批判は無益と下部が了解している節があり、強い批判が引き受けた支持者らへ向きます(沈黙は肯定か逃亡とみなされます)。
E・Fにカリスマ性は露も認められませんが、サークルクラッシャーの資質は備えます。隙が多いのも特徴的で、Eはそれを「観測気球」、Fは「無頼」とする演出が見え隠れしますが、今に至るまでその効能は明らかになっていません。
背景
水伝一幕は、科学リテラシーを感情で語る者と品格を論理で語る者との争いでした。ネットの論争で前者に勝ち目はありません。その「論理」で科学を語り、ほころびが露になる前に敵失によりステージが一気に変動したのです(トラバ論争)。qed「水に脳はないから水伝はいんちき」は、外野の「理系」にも含みを招いたことでしょう(一人が対話を試みましたが、Eの「謝罪認定」で終了します。そのブロガーはようやく「事情」を悟り、取るに足りない汚名と引き換えに撤収できました)
前者が退いた後もネットリテラシー、主観論、運動論を引きずり、メンバーの参入と離合が劇的に行われます。グループ分け終了後の大きな対立軸としては、Eの「邪推が成り立つ」、Fの「ハラスメント」問題があります。語りつくされた疲弊感も漂いますが、「謝罪論争」直前のBの失言など踊る余地も残されています。
渦中へ
G(A)のコメ欄に向かう前に、読者は論点に対する見解を用意します。
o「双方論争」から引いた「卑怯者論争」は正当か?
o Gの回答(ハラスメント)はなぜ無効とされるのか?
o グループ内で発せられた嘲り、暴言に論理派が倫理の判定を「忌避」した理由は何か?(流れを読め、発言者本人に尋ねよ、罵倒芸だ、訴えればどうかと回答した人々の真意は何か?)
o 過去ログから相手側への謝罪が提出された場合、論理派は詰みではないか?
o 論理派の張った狭義(「双方」は頻度と深刻をデータ化し、等量である事を明示)、予防線(性的言辞は最大値、蔑称は最小値をとる)は妥当か?
o 一般認識、文脈大問題は「邪推が成り立つ」を問われた場合、詰みではないか?
o 「嘲笑」目的以外の、コメント削除を行いながら投稿禁止の処置をとらない理由は何か?
過去へ
ひと続きの古い結び目から解きたいと希望する読者は、出典をみずから発掘し、不明な部分の詳細を確認することが条件になります。引用を避けたのは、騒動の教訓に「人は埋め込まれたリンク先すら読まない」とあるからです。
関連を訪ね、水伝以前までログを遡ることで「神の視点」を体感し、デッドエンドの憂鬱な記録を「ハッピーな」団欒シーンで読み終えることができます。
「春樹受賞の弁」を踏み台にするのは良い考えではありません(デッドエンド)。会話はA・B・C・Dに限ること。他と応答する義務はなく、価値も認められません。四人は確かに傷を負い、自分に借りを作りました。伝言ゲームの応酬では勘定が合わないはずです。
おわりに
嘲笑や恫喝は慣れっこだが、家族への言及には耐えられない、尽力する保護事業に累が及ぶのは不当だと考えるなら、goo。
※劣勢の共感派への疑問を追加(しかしAE混成チームに痛み分け以上の戦績を残せる者が何人いることか)。
共感派は論理の不備を質されている訳ではなく、誰かのそれに乗じて済ました過去を見咎められている(みんなで笑ってやろう)。その「論理」が牙を向いたとき、なすすべもなく動転し、次に誰かの当てこすり、空騒ぎに乗った。以前の踊り場がどれだけ狭量なものであったかに目を背け、遥かに刺々しい場所を臨んだのではないか。
個人がインターネットで振る舞うとき、どう振る舞うべきか。
ニコニコ動画、はてブコメ、2chを見ていて、いろいろと考えた。
大多数はお前がどういう生まれで、どういう考えを持っているかということに、別段興味はない。
お前はなんら特別な存在でもない。大多数の中の一部であり、一期一会で、視界を通過する文字列だ。
だけど、それらを自覚出来ず、自分が「特別な存在」だと思っているバカが、いかに多いことか。
もう本当にうんざりする。
ニコニコのcyan big(青の大文字)を使う人間で、まともなことを言ってるヤツを見たことがあるか?
ブコメで「もてはやされてるみたいだけど、俺の思想と違うから糞!」って言ってるヤツを見たことがないか?
2chで何の文脈もなく関西弁で自分語りされて、不快になったことがないか?
そういうヤツは、自分を、そういう特別な行為を許されるような、人目を引くに足る価値ある存在だと思っていたり、あるいは自分の行為がどれだけ場違いかと言うことに気づいていない。
「全体の中の自分」という想像力が足りてない。つまりは空気が読めない!だからその空気の読めなさから考えるに、そのほとんどは全く価値がない糞みたいなユーザーだ。
ニコニコなんては、やっぱ平均年齢が低いからか、ガキっぽい論争が多くて、しかしちょっとメタな立場から見ると凄く馬鹿らしいだろう?
行為の主体としての自分を客観的に捉えるには、Enterキーを押すときにちょっと冷静になればいい。
それができないから、すぐ頭に血が上って想像力を失うから、画面の向こう側の敵意を買ったりしてしまうんだ。
おまえのちっぽけな個性なんざ、誰も求めちゃいない。
まずは自覚しろ。何のバックグラウンドもないテメエは、まだ何の価値もない
個性を得たければ、それが許される空間を、お前自身の手で作り出せ。ブログなりpixivなり、なんでもいい。
お前の行動が価値あるコンテンツなら、その言動が重みを持ち、個性のような何かを発揮することが許される。
そして初めて、そのコミュニティが属するコミュニティ内だけで、お前の言葉は重みを持つ。
その上で賛否を受け入れる覚悟を持て。
アルファブロガーみたいな連中が放言できるのはそういうこった。
それが出来ないんなら、大多数の一部として振る舞うしかない。
そうでなけりゃお前の行動はインターネット空間のノイズだ。どうしようもないクズだ。
もちろん、全てのユーザーが糞だというつもりはない。そのような中でも、「味がある」人は自然に淘汰されて目立つものだ。
その判断をするのは、本人ではなく、周囲の人間だ。「俺たち」は面白いヤツがいるなら勝手に持ち上げるし、そうでなけりゃ見向きもしない。そうだろう?
まあ大体は嘲笑の対象なんだけどな、そういうのってさ。ヲチ対象ってやつ。
増田やら、2ch、ニコニコのような匿名文化は、基本的に誰に付加価値を与えることも許していなくて、その意味ですごく平等だ。
というわけで、ネット上で何の価値もない俺が、「増田」っていう超人気ブロガーに自分の考えを委託して、糞みたいな意見を書いた。
なんら特別な存在でもない、一期一会で、視界を通過する文字列でしか過ぎない増田がこんなこと書いたってこと、ほんの少しだけ覚えていてほしいんだ。
皆がちょっと冷静になるだけで、インターネットが少し楽しくなるかもしれない。あ、スルースキルも磨こうな。
よりよいインターネットを。
JASRACが憎いのは分かるけど、今回の公取委の排除命令に関しては、冷静な議論を見かけない。ネットの上では。
テレビなら効果音だとかBGMで分単位だか秒単位だかで著作権の絡む楽曲を使ってるのだから、全曲管理するコストというのは相当なものだと思うけど。そして包括契約自体でもって独占禁止法違反、というか反競争的行為とみなすと言うのは訴訟まで持っていった場合勝てないんじゃないかなあ。まず「包括契約」=使い放題が実質的に値段を下げていると言う面で見ても、それが原価割れでもなければ「不当廉売」として反競争的とは認められないのは公取委自体がわかってるはず。(「不当廉売」は告発はたくさん出るけど排除命令の数がそこまで出てないのは、原価割れ基準を達成してない、単なるイチャモンだと公取委自体が判断してるからだろう。)あと、競合他社を締め出すと言う面からは、市場の囲い込みとして攻めるつもりかもしれないけど、これも直接に(つまり金銭的利益を経ずに)競合他社との契約を禁止するものでない限りは「参入排除」とは言えない。(「実質的」ていうのは危うい。競争ってもの自体が、「実質的には」ライバルを締め出して客を取るものなわけだから。)で、そしてこの件に関しては、そもそもの全曲管理のコストを考えると、それなりに包括契約はコストを節約するものだし、むしろ経済厚生を高めるものとして(あとはせいぜい分配上の問題があるけど)余裕で勝てそうだと思う。(まあ審判はともかく、日本の裁判官は競争法も経済自体も知らないからわかんないけど。公取委が排除命令で他の例としてあげているNTTとの訴訟がどうなるかによるのか知らん。音楽関連として挙げているものは、むしろ遠い例。これらは明け透けな参入排除っぽいじゃないか。というかこの補足がJASRACのお馬鹿さんにはヒントを与えないようによく出来ている。)
言ってみればJASRACの役割は(公取委の排除命令の補足の図で意識されているように)、権利者と利用者を仲介するプラットフォームなわけで、それ自体が音楽利用の「市場」になってるわけだ。で、コスト面だけで考えるなら「市場」は大きいほど効率的(楽曲管理や支払いの手間が減る)なので、単純に小さく分割すればいいとは限らない。もちろんシェアが拡大するほど価格を吊り上げようとするので、それが結果的に音楽利用を減らすことにもなりうる。ここらへんの綱引きは難しくて、じゃあどういう手立てがありうるのかってのは単純に解答が出るものじゃないけど、いずれにせよJASRAC自身も確かにバカでそこらへんをきちんと理論立てて言えてない(所詮は文化庁の役人が、競争法に弱い、たぶん知財専門の弁護士を頼っただけの理屈。というか日本の独禁法だけ見てもあまり経済的合理性でどう守れるかは分からないだろうけど。)
ましてブロガーwは感情論ばかりで経済的な理屈も独禁法自体もわかってない(というか同じ文章でJASRAC以外のものを当てはめてみれば、どれだけ独禁法を無闇に振りかざすことがあぶないかわかりそうなのに。)まあ公取委のほうは、どうせ裁判所も法律バカだと思ってるんだろうし、イケイケドンドンなんだろうけど。(どうもセブンイレブンのやつにしても、ビミョウなラインなのに社会的注目浴びそうなやつを攻めてる感じがする。景表法違反とか談合とかそういうので飽き足らず。)
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20090227_jasrac/
「また、以下のような主張も展開しています。しかし、どれもこれも的はずれでおかしいものばかりです。ド素人ならだませるのかもしれませんが、インターネット上では通じないでしょう。よほどJASRAC寄りの解釈をしない限り、擁護することすらできません。」
この次に続くGIGAZINEの議論が、独禁法の条文さえもなしってのはド素人が単に大声でわめていているだけにしか見えない。(まあ所詮GIGAZINE...だからこそ、「お前が言うな」と思ったんだけど。)そもそもなんでインターネット上には、競争法に関することでド素人が少ないのかが意味不明だし。(まあ実際、あれを読んでもわからなくて、ゴニョゴニョゴニョってのを読まないと何が具体的に反競争的行為として定められてるかわかんないんだけど。それくらいはわかるよなあ。ド素人でなければ。)
まあJASRAC憎し痒しで目がかすむんではなくて、これを気に少しでも法律(ってかお役人)に規律されなければならないような競争とは何かとか、公正な競争というのは具体的には何を指すのか、どうやって実現するのか、(あるいは実現する上でどんな限界があるのか)とか、もうちっと関心が高まればいいんだけど。単に公取委good jobというだけでなくて。(かくいう自分もそういう関心高まっても良さそうなところを攻めてること自体はgood jobだと思う。残念なのはアメリカでのマイクロソフトvsDOJの訴訟みたいに本格的な議論がなさそうなことで。)
メンヘル気味の高学歴男子がネットで吹き上がるためのツールとしてしか機能しない昨今の左翼思想とは何なのだろうか?
そんなことをはてサと呼ばれる人たちのブログを読んでいると感じないではいられない。観測範囲をもっと広くとれば、左翼思想というのがそんなものではないことがわかるのだが。
はてサで多少健康的な社会生活送ってるらしいのって、id:inumashとid:mojimojiくらいでしょ。id:hokusyuとかid:tikani_nemuru_Mとかid:toledとかid:y_arimとか、どうみても正気じゃないじゃん。
別に一般的にメンヘが悪いとは言わない。心の風邪みたいなもんでしょ、という意見がもっともだと思う。でも、大は村上春樹、橋下徹から、小は零細ウヨブロガーから地方のしょぼい大学講師まで、限りなく電波に近い晦渋な文章で煽り気味に難癖つけていくさまは、インフルエンザにかかっているのにマスクなしで山手線に一日中乗り続けてるようなもんでしょ。メンヘになることは悪くないけど、メンヘが他人に攻撃的になることの免罪符にはならないというのは、当たり前なんじゃないか。
ガジェット買ったりエロゲ買ったりする以外はあまり外に出ない。
しかし大学では誰とも話さない。後ろの方の席の奴には小声で「キモ」といわれてる。
初対面の人間と話すことは大嫌いで、クラスメイトであっても自分と共通の話題が無いような人間からは積極的に離れる。
必要に迫られて話す羽目になった時は「あ、あ、」しか言えない。
そんな非コミュの癖に、仲のいい奴とはべらべらしゃべりまくる。オタサーでは無敵の内弁慶ぶりを発揮。実はうざがられていることに気づいていない。
増田でいつの間にか有名になった気になるのが上手い。そんなやつらばかりだから、それで困ることもない。
だから調子に乗って元増田とかトラバ、追記ばんばん書いちゃう。
トラバしまくって「俺弱小ブロガーじゃねぇw」とか喜んでるけど、実態はただの非コミュ。
就活では筆記は通るものの面接でテンパって落とされる。仕方が無いので研究室でオタ臭い何の役にも立たないゲームを作ったりする。
アホ。
個人的にもいろんな理由でブクマしてるよ。どれか一つの理由だけってことはないね。
この記事にこのタグが付いてないのはおかしいだろっていう理由でブクマすることもあるし。
もしあなたがホッテントリしか見てないんだったら、
「タグ○○を含む新着エントリー」(http://b.hatena.ne.jp/t/%E5%A2%97%E7%94%B0とか)を、
RSSリーダーで購読してみることを勧める。
そのブクマコメントは,多くのブックマーカーの方からはスターで高く評価していただいたし,ブクマコメントの正しさも間もなくブログの信用低下という結果を伴って証明された。それでよかったといえばよかったのだが,ブログ読者の中でも著者の意見に同意する方,さらにはブログ著者の方からは猛烈な反発を浴びた。「バカ」とか「死ね」といったコメントを許すのかどうかについてはてなの事務局に質問状を送られたし,「ネット右翼のメッカが2ちゃんねるだったとすれば、ネットイナゴが集まるのは「はてなブックマーク」だ」と露骨に言われもした。
実は知り合いのあるブロガーからもこのブックマークコメントのおかげでこっぴどく怒られたのである。ブログ業界の成長に水を差すというのが,その理由だった。「ブックマーカーたちには良識のあるコメントを残してブログ産業を育成する責務がある。このようなネガティブなブクマコメントはせっかく加熱してきたブロガーの意欲を削ぐものだ」と。
そのブロガーは,ブックマーカーは行為者であるべきで,観察者ではダメなのだという。「目の前に弱小ブロガーがいるとするだろ。見ると,どうも読者の獲得を諦めようとしている。それを見て『どうも何を言おうとしているのかさっぱりわからないですねぇ』なんて書いてどんな意味があるんだ。何とか読者を増やそうとするのがブックマーカーの仕事じゃないか」と説教されたものである。
「行為者か観察者か」という問題に関しては,あまりにブロガー,ブックマーカーの意見が違うので,機会あるごとにブロガー,ブックマーカーの方にこの話題を吹っかけてみた。けれど,どちらかが圧倒的多数ということでもなく,「そんなこと考えてみたこともない」という方も少なからずおられ,結局は自分で決めるしかないことなのかと考えるに至った。
だから,勝手に「観察者」の方に決めた。いろいろ怖いことがあるけれど,ブックマークコメントには「本当のことを書こう」と決心したのである。まあそれは外向きの体裁のよい言い方,実は小心ものなので,ブロガー達からの視線より,行為者になるということの方が怖かったのかもしれない。行為には責任が伴う。その恐怖を乗り越えさせる力が「正義」などというものにはあるのだと思う。けれど,その正しさは,当人にとっては明々白々であっても,ほかの者にとってはまったくそうではない。
(改変元)本当のことを言う:ITpro
……と、ふと思ったんだった。それ、ほんとに有効なんだっけか、と。
というのは、そういや集合知の有効性の客観的な調査結果とか、見たことないよなぁ、と思ったからだ。相も変わらずちまたにはつまらないブログはあふれているし、くだらない本はベストセラー上位に入るし、その他もろもろ、使ってない人ももろもろ。見ていて特に、以前と比べて面白いエントリーの類が増えたような印象は受けないのだ(むしろつまらない物が増えているのではないか?)。
とはいえ、それも個人的な印象の話に過ぎないのだけど、では印象でなくて実際のところはどうなんだろう……というと、これがわからないのだった。ぼくが知らないだけかもしれないが、そういったことに関する調査というのは聞いたことがないので。
まぁ、仮に集合知が世間的にはまったく有効でないとしても(または、ほぼ無効とか、たいして有効でないとか、それほどには有効ではなかったとかだったとしても)、技術者やブロガーやブックマーカーのひとたちの心の安定には有効であり必要なのだ、ということであれば、別にあれこれ言うようなことではないのかも知れないなぁ―――と言いたいのだけど、そう言い切れない事象もときおり目にするんだった。
たとえば、はてブの新着エントリーをチェックしていると、アメブロやヤフーやgooあたりで「無断リンクが」とか「定額給付金が」とか「セクハラが」とかうっかり書いてしまっているエントリに対して、“これはひどい”のタグが付けられて容赦ないことばが浴びせられている、ということがある。そういうのを目にするといつもぼくは、うーん、と唸ってしまう。いい、とは思えないから。はてブの存在すら気づいてないような人たちに対してブコメで見下したような言葉を吐く、という行為。こういうのって、
のうちのどれに当たるんだろうか。ぼくにはわからないのだ。
増田ができてからうつ病についていろいろと体験というか思いを書いてきた。ちょっとまとめてもよいかと思って今までのエントリをまとめてみた。まあ、統一性はない。切羽詰まって書いたような物もあるし。
未だうつ病は治らない。早く寛解したい。ドクターを変えたいのだけれど、自立支援法の自己負担の関連で病院を変えると再申請せねばならず、そうすると多額の治療費が必要になるのでちょっと薬を貯めておこうかなとか思う。
今年になって、この病気に対してどう対応していこう、どう社会復帰していこうか考えている。思い切って小学校教育へ戻ってみたら案外辛いけれども続くかも知れない。しかし、教員は自分には向いていないと思う。非コミュだしなぁ。
しかし、子供がもうすぐ一歳となる。妻は育児で働けない。何とかせねばと焦る。
私が敬愛するブロガーであるid:finalvent氏にはいくつかのエントリを取り上げて貰っている。匿名で書いているからだろうとは思うが、有り難い。しかし、言われていることがなかなか実践できない。実践するものというとらえ方が間違っているかも知れない。そうせざるを得ないでしょうみたいなものかも知れないな。