はてなキーワード: アナロジーとは
1.「限りなく透明に近いブルー」 村上龍
5.「国のない男」 カート・ヴォネガット
7.「夢渓筆談」 沈活
8.「神は妄想である―宗教との決別」 リチャード・ドーキンス
11.「冬の夜ひとりの旅人が」 イタロ・カルヴィーノ
12.「高い城の男」 フィリップ・K・ディック
13.「しあわせの理由」 グレッグ・イーガン
16.「きつねものがたり」 ヨセフ・ラダ
20.「フェルマータ」 ニコルソン・ベイカー
21.「四十七人目の男」 S・ハンター
22.「逆転世界」 クリストファー・プリースト
24.「謎の女」 福田恆存
28.「神秘の島~ミステリアスアイランド~」 J・ヴェルヌ
29.「連射王」 川上稔
34.「ほとんど無害」 ダグラス・アダムス
35.「黄落」 佐江 衆一
38.「リレイヤーⅢ」 鴻上 尚史
39.「糞尿大全」 柳内伸作
40.「十六の話」 司馬遼太郎
45.「穴」 ルイス・サッカー
46.「宇宙の戦士」 ロバート・A・ハインライン
47.「ギャシュリークラムのちびっ子たち」 エドワード・ゴーリー
50.「伊平次とわらわ」 坂田靖子
51.「食肉の帝王―巨富をつかんだ男 浅田満」 溝口敦
52.「だれも知らない小さな国」 佐藤さとる
55.「楽園の知恵」 牧野修
56.「鳩どもの家」 中上健次
57.「古事記」 倉野憲司
60.「魔獣戦士ルナ・ヴァルガー」 秋津透
66.「モルグ街の殺人」 エドガー・アラン・ポー
67.「世界の中心で、愛をさけぶ」 片山恭一
69.「百頭女」 M・エルンスト
74.「不可能性の時代」 大澤真幸
79.「他人をほめる人、けなす人」 フランチェスコ・アルベローニ
80.「星虫」 岩本隆雄
83.「おとなもブルブルようかい話」 木暮正夫
84.「ヨーロッパ文学講義」 ウラジミール・ナボコフ
85.「サマー/タイム/トラベラー」 新城カズマ
87.「死の蔵書」 ジョン・ダニング
88.「死のロングウォーク」 リチャード・バックマン
91.「フロイト先生のウソ」 ロルフ・ゲーデン
92.「ライ麦畑でつかまえて」 J・D・サリンジャー/野崎孝訳
94.「針の上で天使は何人踊れるか」 ダレン・オルドリッジ
95.「歴史」(上・中・下) ヘロドトス
97.「愛はさだめ、さだめは死」 ジェイムズ・ディプトリー・ジュニア
98.「幾千の夜を越えて」 神月摩由璃
100.「アルジャーノンに花束を」 ダニエル・キイス
スパコン関連の騒動を見ていて思ったんだが、コンピュータの処理能力が客観的に測れると思ってる人が多いんだね。確かにCPUの命令の処理能力等のハードウェア面の性能はかなり客観的に測定できる。しかしコンピュータの処理能力というのは命令セットや命令の処理方式によっても影響を受ける。さらに人間に理解できるプログラミング言語によってかかれたソースから最適な機械語を生成するコンパイラなんかも重要だ。極端な話、こうしたものが駄目ならいくらハードウェアの性能がよくても、処理能力が低くなる。コンピュータの性能はハードウェアの性能だけでは決まらず、客観的に測定することは原理的には困難なのだ。それなのに「スパコンでNo.1」というそれだけ聞いてもよくわからないフレーズに共感する人たちが多い。きちんとした知識があれば、具体的にはどういう点でNo.1を目指すのか疑問に思うはずだ。単にISCで発表されるランキング上でNo.1を目指すだけなのか、極端な話ランキングを無視して本当に今必要とされている用途向けに最適化されたものを目指すのか、そういったことが「スパコンNo.1」というフレーズでは見えてこない。それなのにやたら共感する人たちが多く不思議だ。多分これはパーソナルコンピュータとのアナロジーで考えているのだと思う。パーソナルコンピュータの場合、大体CPUはIntel製で、OSはWindowsだ。だからCPUのクロック数やメモリの容量などハードウェアの性能で、ほとんど客観的に処理能力を比較することができる。このパソコンとのアナロジーでコンピュータの性能を考えてる人が多いから、「スパコンでNo.1」を目指すというわかりやすそうでわかりにくいことに共感する人たちが多いのだろうなと思う。
個人的な意見としてはランキングなんて気にしなければいいのにと思ってるんだけどな。宣伝にはなるだろうけど、スパコン使うような学者・技術者ならあのランキングがあまり当てにならないことぐらいわかるでしょ。正直文科省の実績作りにしか思えないんだけど。
ここしばらくの女子力に関する話題を見ていて、一分のスキもなく完璧にセットされて男からの評価を得ることに特化した女性って、文字通り『武装』(これは所謂スイーツ的な人であるか、それともヲタ受けしそうなタイプか、は問わない)してる感じがするよなーってのをとりとめもなく思った(この人なんかレオパルト2っぽいなー、的な。)
そういえば、そういう人と身近に接すると、なんか射爆場で戦車砲の標的にされてるような気分になる。すんげえ速度で機動して、車体がめっちゃ揺れて見えても、砲身は完璧にスタビライジング。一ミリのブレなく、秒速1700mの熱視線で、あなた如きはいつ何時でも赤子の手を捻るみたいに殺せるんだよ、という本気が伝わってきて。
なんていうか、装甲系女子?
てか、俺、死ぬの?みたいな。ええ。死ぬんですけど。精神的に。
もちろん、そう感じるのは、受け手側たる自分の貧しい女性経験・アワレな心象が大いに投影されてるだけなんで、真面目に我が身を振り返ると割と虚しいんだけど、まあそこに両目をつぶってぼーっと見ていると、その手の「女子力」を理解し(意識する・せざるは問わない)使いこなして男どもを蹂躙していく人って、なんか「戦争」っぽいなーと思う。恋は戦争(笑)とか手垢つきまくったワードだなーとか思うけど、特に「宣戦布告」「交戦対象」がなくても、そういう人達からは無言の存在感・プレゼンスみたいなもんが感じられるのだよな。簡単に蔑ろには出来ない何か。そう考えると、女子力というのは一種の武力・暴力・抑止力の類推で考えるとしっくり来るというか、自分の中で妄想がもりあがってくる音が!音が!モリモリと!するわけです!!!
所謂「女子力の高い人」が火力・装甲・機動力の三位一体でどっか遠くの男を蹂躙・突破・包囲殲滅していくのは小気味よいし、面白い。けど、自分の近くでドンパチが始まったり、お隣さんが急激に女子力を高めたりすると、なんかバランスオブパワー的な意味で自分も軍拡を求められる感じの圧力を感じて、すげーやだなー、みたいな。ウチの近所で戦争やらないでください!みたいな。だいたいどう俺を強化しても真正面からレオ2A6みたいな気合入った異性とがっぷり四つに組んで戦うような戦闘力はねーよ!!みたいな。どう頑張ってもソマリア民兵レベル。ブラックホークダウンよりも悲惨なことに!!!みたいな。早く増田を和平に導く政治的枠組みを整えるべくはてな首脳会談開催しろ!!!!はやくしろーッ!間に合わなくなってもしらんぞーッ!!!みたいな。おお!いいじゃないか!!!(何が)
収拾付かなくなってきたんでその話は捨て置くけど、そういう「女子力の高い理想の女」像を冒頭のような「戦車部隊の理想」像っぽいアナロジーとして考えると、そういう理想像が常識みたいに求められるのは、完璧超人になれない多くの女性にとっては、確かに頭が痛い問題だろうなーってこともぼんやり実感出来て楽しい。ボヤいてた増田の人は、そういう『近代的な機械化部隊の存続・維持』に求められるコストが微妙に重荷なんだけど、だからって非武装にはなれねえし、コスタリカとかスイスとか持ち出したりして中立・非武装・軍縮を称揚してる人は何なの?死ぬの?防衛力の議論の歪な状況マジつらいんですけど!自衛官だって人間なんだぞ!!!的な状況に追い込まれてるのかな、という。『女子力の高い女』でいようとすることのランニングコストの高さと、それにまつわる議論の渦中で色々と心をすり減らしているんだね!という理解になり、意味もなく共感した(たぶんただの妄想)。
そんなことを考えていたら、そこはかとなく女子力の話題が楽しくなってきて困るなあと思いました。なんだかきょうも俺の脳内はてなウォーズはさいこうに盛り上がっているぜ、こんもりとな!(CV:堀川りょう)という心境になってきて凄く幸せ。
増田のみんなも、しあわせになろうよ!!!!!!!!!
いや、なにが「いわゆる」でなにがおかしいのか、さっぱりわからない。
だが株主としては、無料化は会社の収益構造を破壊する行為以外のなにものでもなく、不適切なことに思える。
それにせっかく道路建設費の返済費が国家財政からはずれた(株式会社の負債になった)のに、それをまた付け戻して国債やら増税やらに付け替えるのは端的に言って愚策だろう。
たとえば新房作品が古人の糟粕嘗めまくりで陳腐である、と正岡子規ばりの批判を展開するとして、
我々の感じる作品の陳腐さ(洗練度合い)のうまい指標はあるか、と考えると、エンディングテーマに
カバー曲を使っているか否かというのは有力な候補に思えるし、ましてエンディングテーマをカラオケ
大会にするとかいうのはそれこそ糟粕の糟粕の糟粕ばかりに御座候、と切り捨てることができる。
たとえば「ぱにょデジ」はでじこ本編よりも陳腐さが高い、という判断ができる。
作品のテーマが陳腐、とか、ドラマツルギーが安易である、というのは古今を否、万葉を是とする立場から
すれば問題とはならないのであって、同工異曲といわれても新規に書き起こし意識的に何か固有の著者を
もつ作品からの引用を行っていないことが重要となる。最悪、誰か他人の作品を丸コピーしたとしても
そこに原著者のクレジットが一切なければこれは万葉型の表現ということになる。
マーケティングの結果最終的に選ばれる表現が万葉型になるのか古今型になるのか、というのは
主に対象年齢層と作業(典拠の確認や権利処理等)のコスト、企画者のリスク回避度によって
決まってくる(おっさんにウケる作品すべてが必ずしもおっさんホイホイではないけれども、
リスク回避的な企画者は当然おっさんホイホイを選好する)。ただ、「ゆとりに伝統を教えてやる」と
いうことで意図的に古今型の表現が選択される事例も多い。これはアーカイブの権利者に近いほど
やりたくなる戦略でもある。
いや、とくに結論というのがあるわけではなく。
追記:ええ、一連の「歌よみに与ふる書」をちゃんと読んでいませんが、日本酒の醸造工程の
アナロジーで、現代でいうところの「劣化コピー」に相当する語であることは理解しています。
楽曲の再利用のさらに再利用をしているわけではないので確かにあまり的確な表現ではないのですが。
追記:たとえば『トレインスポッティング』でキルケゴールが言及されている(記憶によれば)
アルコール依存症は、アルコールを飲む→失敗する→後悔→ストレス→アルコールを飲む、という悪循環にはまる病気。悪循環を止めるには、アルコールを飲むのをやめるしかない。
アナロジーで考えると、うつも、未来を考える→悲観する→「このままじゃダメだ」(焦燥感)→現状を打破しなきゃ→未来を考える、という悪循環にはまる病気なのかもしれない。そう考えると、悪循環をとめるには、未来を考えることをやめるしかない、ということになる。そして、これは、自分の経験では割と有効。
うつとアルコール依存症を比較するのは適切ではないが、悪い状態が続くということは、結局、何かの悪循環にはまっているということになる。悪い現象が偶然何度も続く、ということはあり得ないからだ。その悪循環をとめないと、結局、再発する。
これを読むと一応納得できる。バカとかいう表現には少し問題はあるような気もするけど、主な内容としてはd:id:Apemanが、d:id:HALTANのホロコースト批判を認めているということだから。せっかく認めているんだから、もう少し素直に書けばいいと思うけど、これは個人の勝手というかそういう芸風なのかもしれないのでまあしょうがない。
いやバカだねぇ…。私は5月の時点から、「ホロコースト」だけを特別扱いせずに「ポル・ポト」その他についても同じ基準を採用する主張なのであれば理解できる、ってずっと言ってるわけよ。にもかかわらず、「ホロコースト」が出てキルト「恐ろしい」とか「声高に連呼」などと言いがかりをつけるくせに、「ポル・ポト」とか「関東軍」についてはマンガのようなダブスタを披露してるのがHALタンなのよ。私は一度たりとも「左翼批判のためにポル・ポトを引き合いに出すのはけしからん」とか「官僚機構批判のために関東軍を引き合いに出すのはけしからん」なんて言ったことないんだから。ちゃんと首尾一貫してるだろ? 首尾一貫してないのは、なぜだか「ホロコースト」だけ」が許せないと言うお歴々なんだよ。
おおよそはこれで納得したけれども、わずかな疑問が「たとえ」に関すること。つまり「ホロコースト」はたとえでは無いということは何度も強調して主張されていたこと。
「ポル・ポト」や「関東軍」はたとえ、d:id:hokusyu風に厳密に言うとアナロジーとしてのたとえとして使われているもの。だから「たとえ」として使われたものと、「たとえではない」と発言者によって主張されたものを 別の物として扱うことが首尾一貫してないとはならないのではということ。
これは「ホロコーストとポルポトと関東軍 」にも書いてあるけど。
ホロコーストの参照が、ポルポトや関東軍呼ばわりと違うのが「たとえ」であるかどうかという点。後者はたとえとして使われているもの。別の言い方をすれば比喩やアナロジー。ホロコーストに関してが「たとえ」ではないというのは、そういった主張が本人によってなされているから。それがたとえの意味としてはおかしいという批判が一部にあるにしろ、本人の主張は尊重すべき。
d:id:hokusyuはアナロジーとしてのたとえでは少なくとも無い、と限定した意味で使用していることを説明しているのがさすがに頭が良いところ。とはいっても、○○では無いということは言っても、それでな「何である」のかについては書かないのが不親切。まあこれも頭の良い行動ではあるんだけど。
最後にもう一度。
d:id:Apemanが、ホロコースト批判を受け入れたということは、評価すべき。
理解するつもりは無いと言われたd:id:Apemanと理解できないと言ったd:id:HALTANの間のやり取りが面白い。
なにごとかを批判する際に「ホロコースト」を参照することが許せないらしい id:HALTANとか id:Sokalian のような潔癖な方々(しかしその割には「ポル・ポト呼ばわり」はスルーするんだよね)には、日銀や大阪府下の市町村教委と関東軍の間にどれほどの接点があるものなのか、ぜひともご高説をうかがいたいところだ。
これに対してd:id:HALTANは「汚いぞ(怒) - HALTANの日記」(http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20080915/p2)で怒っているみたいですが、怒るところがコミニュケーションの不成立なのか。確かに皮肉めいた部分は多分にあるとしても、関東軍呼ばわりについての意見を聞きたいというのは、それに対する批判的な意見を良しとしている、少なくとも悪いとは思っていないと判断できる。これはポルポト呼ばわりについても同じ。
それを「ホロコースト」の参照にも適用すれば、これもまた批判を期待しているということ。実際には批判はすでになされているので、批判を認めるというように解釈できる。
だから、これをもってホロコースト批判を正当な物として暗黙に認めたとも解釈可能。
とするのは詭弁がすぎるかもしれないけれど、これはもともとが詭弁だから。「詭弁倫理学」に書かれている「相殺法」で、さらに細かく言えば「公平の原則」というもの。具体的な例を出せば、悪いことをして怒られた子供が「自分だけじゃない」と言ったり、交通違反で捕まったドライバーが「他にも違反している人がいる」と弁解するようなこと。自分の行動や主張が正しいということを言いたいのならば、それを言えばいい。他を持ち出してのいいわけは、自分の非を認めていることになるのは自明なんだけれども気がつかない人は多そう。
自分が『「声高に」「連呼」して悲劇を「見世物」にしているああ恐ろしい……』のような非難をされたから、他の人もそうされるべきというようなことを書くのは、率直に言って良くないこと。皮肉として言ってるとしても、たとえでは無いと主張されているものと、たとえとして使われているものではまったく別だとかd:id:HALTANに言われたら困るんじゃ。
ホロコーストの参照が、ポルポトや関東軍呼ばわりと違うのが「たとえ」であるかどうかという点。後者はたとえとして使われているもの。別の言い方をすれば比喩やアナロジー。ホロコーストに関してが「たとえ」ではないというのは、そういった主張が本人によってなされているから。それがたとえの意味としてはおかしいという批判が一部にあるにしろ、本人の主張は尊重すべき。
d:id:hokusyuはアナロジーとしてのたとえでは少なくとも無い、と限定した意味で使用していることを説明しているのがさすがに頭が良いところ。とはいっても、○○では無いということは言っても、それでな「何である」のかについては書かないのが不親切。まあこれも頭の良い行動ではあるんだけど。
d:id:Apemanの「ポルポト呼ばわり」や「関東軍というたとえ」の是非に関する意見や、それらと関連した「ホロコーストの参照」の、それぞれの類似点や相違点についてまとめて書かれた物を読んでみたいと思うけど、あまり期待はできないかな。
それよりは「捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!」(http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/)の「俺が見たトリアージ論争」の続きでホロコースト論争についても言及されることや、「ARTIFACT@ハテナ系」(http://d.hatena.ne.jp/kanose/)で意外と知られていない有用なエントリーが紹介される方が可能性が高そう。
それ以外の人だとd:id:sk-44あたりがもし「ポルポト」や「関東軍」のたとえと、「ホロコースト」の参照に関することを書いたら興味深い内容になるのではと勝手に期待。
(追記)
d:id:Sokalianはhttp://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080915/p2のコメント欄で「知るか。」と書いているから、関東軍とポルポトとホロコーストについては書いてくれないかな。でも、d:id:Sokalianの立場なら全部良くないと言っても整合性がとれてしまうのが面白くない。ホロコーストの使用に肯定的で、ポルポトと関東軍のどちらかにでも否定的な意見の人の見解の方が興味深い。
http://anond.hatelabo.jp/20080809155536
横槍だが。hokusyu氏やApeman氏の考えとは違うかもしれないが、俺の考え。
「トリアージ概念の不用意な援用」を「ホロコースト」に喩える のと、「売れない百貨店の切捨て」を「トリアージ」で喩えることの違いの話だな。
これは、命の選別を命の選別で喩えるのと、命の選別を経営上のリストラ正当化で喩えることの違いじゃねえ? あまりに軽いもので喩えてしまったんだよ。お嬢さん相手のカルチャースクールで飛ばしたヨタだっけ?
とある本にあった例なんだけどな。
テトリスと同じルールで、人間を効率よくガス室にぎゅうぎゅうづめにしていくゲームを作って売ったら、そりゃ絶対批判を浴びるよな? そこに、ルールは同じじゃないか、ゲームなんて喩え話なんだから怒るなよ、というのは無理筋じゃないかなあ。
「仮に」アナロジーとして論理的に正当な部分があったとしても、喩えの倫理性ってのは問われうるし、不謹慎ってのはあるわけで。表現の自由に関する議論は当然可能だろうが、そういう倫理的な理解のその上でなお主張されるものとしてあるべきだ。
好き好んでなるもんじゃないからなあ…。そんな覚悟を求められても。未来がどうなるか確実には分からないのなんて非モテかどうか関係なくみんな同じだし。
障害とか重い病気のアナロジーで考えればわかりやすいんじゃない?もちろんイコールではないけど。「未来永劫回復をあきらめる決心をつけたの?それとも、何か治療法が見つかれば治すの?」みたいな感じで。
あと、「いるよね。」「あるよね。」とやけに強気だが、物語世界以外でそういう感じの人は見たことも聞いたこともないや(なのでこの長い例示に何のリアリティも感じない)。増田のまわりにはうようよいるみたいだけど。
俺の周囲ではなんかモテないっぽい感じの人はそのまま40代50代になっていってあーあって感じだし、女と縁があるっぽい感じの人は普通に浮名を流したり20代30代で結婚したりしてるよ。突然転向とかそんなムシのいい話なんてないんだなーってのが実感。
精子(というか精液)は目に見えるけど、卵子は顕微鏡を使わなきゃ見えない。だから卵子の方が実態感が薄いせいなんじゃないかと。とはいっても、精子自体は普通の人はまず見たことがないわけだが…。
生殖の仕組みが理解されてなかった時代は、人間を作るのに必要な材料は全部精子の中に入ってるなんて考えられたりしてたしね。精子のホムンクルスってヤツ。
「種つけ」なんて言葉があるけど、受精の仕組みを実際考えてみると、どう考えても「種」は卵子の方なんだよね。精子はあれだ、「水」みたいなもん。大豆に水分を与えて適当な環境に置くと発芽する。精子の役割はそうした「引き金としての環境要因」という方がアナロジーとしてはより適切。
ここらへんをさらに踏み込んで文化論的に考えると生殖における男性優位、男性主導の意識なんて問題が当然出てくるけどとりあえずそれはパス。
そっか。
無学で頭よくないから、心理学を駆使した君のアナロジーは良くわからんけど
そういうことで良いよ。
元々君には話してないし。
ということで、この話は終わり。
女教師ブログさんの「頭のいい人は、難しい概念も簡単に説明できるはずだ」問題という記事がはてブで話題になっていて、その大元はせつないエントリ群という増田の記事らしい。消されてて見れないが。
頭がいい | 頭が悪い | |
易しい説明が出来る | 1 | 3 |
易しい説明をしない | 2 | 4 |
割り算の「100÷30」を教える場合とする。
1は割り算を知らない人にも分かりやすいが、答えは出せないし、教えた相手を割り算が出来るところまで引き上げる物ではない。
2は割り算の計算方法や算数的意味も過不足無く説明しており、また掛け算と足し算が出来る人ならばこれにより割り算も出来るようになるであろうが、掛け算も足し算も理解していない人には何の事やら解らない。
3と4は説明不要。
上記の例で言う1をやってくれる人。さらに言えばそれを教えているときに相手をバカにした態度をしない人。また2の様な基礎部分は一切触れずに、割り算が社会のどのような場面で役立っているかという物語を語れる人。
「簡単に説明して欲しい人」は割り算を出来るようになりたいと思ってるわけではない。あくまで概要を知りたいだけなので、そもそも2の様な説明は必要ないし、やったところで足し算・引き算・掛け算を理解してない場合も多いので意味が分からない。
ただしこれが出来る人だけを「頭のいい人」と定義して良いかどうかは難しいところだろう。概要を説明する能力、割り算を出来る能力、人をバカにしない人格、物語を語れる能力は明らかに全て別の物だ。この様な言葉を発する状況はほとんどの場合は合理化だと思われる。また一部、物語を語ることが専門(企画や営業など)の人が物語を語れない相手を見下している場合も見受けられる。
割り算を習得する前程として足し算・引き算・掛け算が必要なのは自明だが、相手は必ずしも自分が割り算を出来るようになりたいと求めているわけではない。
割り算の概要を知りたいという人にはその概要の解説を、答えを知りたいという人には答えだけを、自分も習得したいという人には足し算からの学習方法を教えるべきだろう。
世の中には様々な知識や学問があるが、どの知識も学問も世の中全ての人に必要なわけではない。必要と便利は違うもので、皆自分の人生や職業に必要な物は専門知識として蓄えていく。便利な物は意欲がある人は覚えればよいし、それにより人生の深みが増したり職業選択の幅が広がったりすることは多々あるだろうが、意欲が無い人に押しつけるべき物ではない。
なお、概要だけを知ることは無意味だという議論は間違いだ。ほとんどの人はよく分からないブラックボックスの上に現在の専門知識を成り立たせている様に、概要からさらに別の何かに役立てられることも多い。これは証明の仕方が解らない定理でも利用できることに似ている。定理を使って別のことをやりたい人に、本人が望んでいないのに定理の証明方法を教える必要はないだろう。(プログラマなら、定理=関数やクラス、証明方法=実装と読み替えると感覚的に解りやすいかも)
あなたがどのぐらいの内容の回答を欲しがっているのかは「・・・ってどういう事ですか?」という様な単純な質問からではなかなか解らない。自分がその問題の概要だけを知りたいのか、前程となる部分からの仕組みを知りたいのか、習得したいのかなどはきちんと相手に伝えなければならない。
そして概要を説明するのも、専門家なら誰でも簡単に、という物ではない。面接の質問などがこれに近く、例えば「あなたの在学中の活動やそこで得た物を簡潔に教えてください」という質問に、自分の人生の専門家であるあなたであっても、事前に何の準備もせずあなたを全く知らない人が感心し納得してくれるような話をするのは難しいのと同じだ。
今の時代は様々な、苦心してまとめた結果が保存されている便利なサイトがあるのだから、可能であればそのようなサイトを見る方が手っ取り早い上に、内容的にもそちらの方が得策であることも多い。
また世の中には概要を説明しづらいものも多く、さらに「・・・はどう凄いのか」という様な感覚実感も含めた問は、前程知識など無しに説明するにはせいぜい例え話が限界である場合がほとんどだ。これは小説の面白さをネタバレ無しに他人に語るのが難しいのと同じだ。(そしてこの例え自体がそうだ)
なお、知的好奇心を満たすだけであればそれほど完成度が高くない概要でも事足りるが、その概要を別の物事(例えばプレゼンや記事など)に利用する場合は完成度の高い「商品としての概要」が必要になる。しかしそのような物を作るのは先の面接の質問の例でもあるようになかなか難しい。専門家と言っても商品としての概要を作ることが専門ではないため、この様な場合は、あなた自身が前程知識の概要を理解し最終的に必要な商品としての概要を自分で組み立てるべきだろう。
色々な人の意見を参考にすれば私が気付いていなかった箇所なども考えることが出来ると思いますので、はてブなどに回答してみます。出来る限りひねくれずに答えたいと思います。「書いていただけませんか?」というフレーズを使いますが、特にこれに関しては嫌みの意味を一切込めないで書くつもりです。
また念のため、追記より上の部分は文章の間違いの修正以上の修正はしないことを誓います。単語間違いレベル以上をもし修正する場合はdelタグを使います。信用できない人は魚拓なりローカルなりに取っておいてください。
なお、以下に一つだけ私が定義した言葉を使いますので説明しておきます。(ネット上ではそれなりに使われていますが正式な言葉ではありませんので)
※ 「オレ定義」とは… 辞書的意味ではなく、「この言葉はオレの中ではこういう意味だ」という意味・定義。人それぞれなので議論するだけ時間の無駄。
追記を書いていたら案外多いのでまとめます。
「頭がいい」をどう定義するかはここでは問題にしません。
理由は追記4に詳しく書きましたが、「本当に頭がいい」という言葉は人によって定義が違いすぎるからです。なお「よく言われる・・・」という項目は、Googleで「頭がいい」「本当に頭がいい」など、適当に思いつく言葉で検索した先を20-30件ほど読んだ結果と、とつげき東風氏の本当の頭の良さという記事から私なりにまとめたものです。もちろん「定義」ではありません。
ここで一番問題としたい核の部分は、どのようにすれば良い質問と回答が出来るかです。伝わってなければ私の文章力の欠如が問題でしょう。大変申し訳ないと思います。
これらの理由により「本当に頭のいい人は…」で始まるような記事はコメントは結構ですのでご理解ください。
以下、既に書いた部分に関しては残しますが、以降「頭がいい人」のオレ定義に関するような部分は追記しません。
2007年10月07日 penkun はてな, ブログ 頭がいい悪いは別として、正しいことを適切に簡単に教えてほしいと願うのが教わる側です。
それはそうでしょう。私も現在受験しようとしているとある資格が一発で取れるぐらいの試験の要点などを簡潔でしかも眠くならないよう教えてくれる講師がいれば、月額20万ぐらいなら本当に支払ってもいいから受講したいと思います。しかし世の中にはそんな便利な物はありませんから受験勉強しています。
また、あなたが適切と思うラインは質問文に盛り込まれていますか? あなたの現在の知識は伝えてありますか? ジャンルは解りませんが、例えば学問的内容であれば、高校レベルはもう解らないとか、中学レベルなら解るとか、そう言うことは書いていますか?
質問とその答えというのは、会話や応答文である以上お互いの共同作業によって成り立つものです。片方の発言に足りてない部分があれば質問意図は相手に伝わりきらず、あなたが適切と感じる回答は得られないでしょう。責任は説明する側と質問する側、両方にあります。
2chの自作板にはエスパースレといわれるスレッドがあります。不十分な質問からその人の質問意図を出来る限り読み取り、出来る限りそれに答えてあげようというスレッドです。もちろん質問意図を読み違えることも多々あります。あなたの質問はエスパーに頼らないといけないような質問になっていませんか? エスパーに頼らずに済む質問にしたければ事前調査が必要ですが、質問の前に調査していますか? 2chであればテンプレは読んでいますか?
249 Socket774 :2006/04/08(土) 22:08:10 ID:B56/Hai2
わからない五大理由
読まない
調べない
試さない
理解力が足りない
人を利用することしか頭にない
乱暴ではありますが真実だと思います。少なくとも他人の疑問に山ほど答えて疲れ果てた人の心の叫びだと、私は感じます。
2007年10月07日 zonia コミュニケーション, 教育, イメージの齟齬 あー、100÷30のアナロジーは不適切だなあ。「頭がいい=割り算を理解している」というのは飛躍しすぎだ。頭がいいって何だ? 割り算を「理解」しているって何だ? 「理解」してないと説明できないのか?
仰るとおりで、適切な例を誰もが解る例で出せなかったのは私の解説力の無さです。未だに思いつきません。本当に嫌みではなく、もし可能であれば適切な例で解説記事をお願いできればと思います。
なお、「頭のいい」や「理解している」は所詮オレ定義になってしまうので、こちらに関しては結構です。
2007年10月07日 hebomegane はてな 僕が腑に落ちる説明の仕方してくれる人がやっぱスゲーなと思います。
同じく凄いと感心します。私もそのような理由で尊敬している人もいます。しかしそれは次の状況を満たしていたんだろうと思います。
私はとあるローカル局の番組でコメンテーターをしている方の解説能力を尊敬していて、その人で帯番組を持って欲しいと常々思っているのですが、私が既に勉強している分野の事に関しての解説は不満を感じることが多いです。その人は説明の前程として中学程度の知識などを前程にしているから、既に知っている人間には冗長な部分が多く突っ込みが足りないんだと、自分がある程度詳しい分野の事を解説しているときに見えてきますね。
2007年10月07日 SiroKuro 教育 それは「頭のいい人」じゃなくて「良いプレゼンター」。ところで、その簡単な説明だけであなたは難しい概念を理解できるのですか?
仰るとおり、「良いプレゼンター」だと私も感じます。ただし「頭のいい人」という言葉の意味は所詮誰しもオレ定義ですので、別に気にしていません。今回はググってある程度色々な人のオレ定義の「頭のいい人」を読みつつ、とつげき東風氏の本当の頭の良さという記事も参考にしました。なお追記2及びこれらの理由より、「頭のいい人」論は結構です。もし適切な質問方法と適切な回答方法に関する記事を書いていただけるのなら是非お願いしたいと思います。
後半、「その簡単な説明だけで・・・」ですが、結論だけ言えば誰かの概念の説明だけでは理解できません。それを取っ掛かりにして調べたり書物を読んだり、数式が出てくることなら解いて、プログラムなら車輪の再発明をして、そこまでやって初めて、当該項目が仕事に利用できるぐらい本当に理解できると思っています。この様な手間が掛かったとしても、指針があるだけ自分で一から勉強するよりも早く勉強できるので回答していただけることはかなり有用だと思っています。
2007年10月07日 ululun はてブ米に入りきらないのでエントリを起こす
お待ちしております。
2007年10月07日 REV あたまのいい、が未定義
はい、意図的に未定義です。理由は前述の通り、どうやってもオレ定義になるだろうと考えられるからで、文中の「よく言われる・・・」はググった結果と前述のページから私なりにまとめたものです。
またこれも重複してしまいますが、オレ定義の乱発になりますので「頭のいい」に関する定義問題は結構です。
2007年10月07日 mmasuda mmasuda 「説明させる」と「理解させる」の間には困難な道のりがあることを忘れている人ほど「簡単に説明しろ」と言いがちのような気がする。
同感です。実感まで含めて理解するには、浅くでいいので前程知識の部分などを一通り、実際になぞってみる必要があると感じています。
少し見ない間にブックマークがかなり増えていて驚いています。
2007年10月08日 monnet 教育, 考え方 「難しい概念も簡単に説明できる頭のいい人」とは物語を語れる人。なるほど。でも具体例は1つの解釈とは思うが、もとの算数の例では、易しい説明で、概要理解→計算習得まで教えるプロセスが含まれているのでは?
元の算数の例というのがなにを指しているのか不明瞭なのですが、「切ないエントリ群」の事であれば、元が読めないので私には解りません。
私の割り算の例を指しているのであれば、もし足し算すら知らない人に割り算まで理解させるとなると、教育方法としてはある程度のラインであると考えられる義務教育ですら、割り算を教える所まで到達するのに270時間程掛けています(参考:会津若松市立一箕小学校)。「易しい説明」という言葉の語感にこれだけの時間が詰まっているとは私には考えられないのですが…
本題とは関係ないのですが、私も書く前に少し考えたことなので。
2007年10月08日 tokoroten999 「「本当に頭のいい人は・・・」で始まるような記事はコメントは結構です」こういう他者との意見交換をしたいならブログや日記でやればいいのに。なぜ増田?
自分のブログや日記を持つ気がないからです。ちまたに溢れるブログサービスに捨て垢で、ということは考えましたが、はてなのアカウントを持っていれば増田が使えるからいいか、とこちらにしました。多少意見交換が面倒ではありますが、運用で何とかなる範囲だと思っています。
2007年10月08日 kokokubeta ヒント この種の問題でいつも悩むのは、「相手がどこまで理解していて理解してないのか」を把握するのが難しいのと、「どこまで理解したいのか(知るだけか、理解したいのか、できるようになりたいのか)」だなあ。
同感ですね。文中にも書きましたが、教える側はこれを感じ取る・聞き出すことが胆だと思います。
2007年10月08日 petem 増田, 教育, *思考法 私は説明する前に「すごくわかりやすく説明するけど7割くらいしか正確じゃないから」といって例外部分をはしょります。深く理解したい人はその後も質問してくるのでそのとき対応。
私も教育においてまず例外部分を削るのは良いことだと思います。例外は見方によって何段階にも分けられますが、小学校3年生で割り算を習う際に分数や小数はまだ教えないのも、整数以外を例外と見なして単純化だろうと私は考えています。
ただ概要の説明だけの場合は例外を省略するのは当然として、枝葉は省略しつつも幹だけでなく全体の形や他の物との関係性の説明も必要であったりと、省略の仕方がなかなか難しいところです。
2007年10月08日 cappin 剰余「30円商品は100円なら3つで10円余り」きっちり「100Lの水を30人は一人3.3L」余らす^o^「100万を30人で割勘なら一人3.4万で余り2万」一般に、使う場面での役に立ち方を言うと納得されやすいと思っている。
そのような説明も良いですね。私が使用した説明は、元々小数や分数での割り算の意味が分からないという話の際の説明から来ているので、今回の例としては不適切ではないかとも思いますが、記事を書いていた際には他に思いつきませんでしたのでこれを使用しました。
2007年10月08日 terracao 言及された 「解説」書いてもらったのに難癖をつけるのは申し訳ないんだが、増田主にとって「割り算」は難しい概念なのかな。私は現代思想とか社会理論とかを想定していたんだけど。/増田にあるまじき丁寧なレスに感動!!!
ご本人様からお返事を戴き有り難うございます。
割り算が難しい概念かどうかという事ですが、「難しい」というのは相対的な感覚なので例として使えないことは無いと考えました。義務教育を受けていることが当然の現代の日本人からすれば全く難しくない問題でしょうが、中世の「読み書きそろばん」を習わずに一生を過ごした人からすればある程度難しい問題だと思います。難しさの実感も含めてとなれば、例えば高校レベルの問題を例にすれば難しく感じる人も増えてくるかと考えましたが、そうすると「難しい概念を簡単に説明するとは何か」という私が本質としたい部分から議論が離れていきそうだと思い、こちらにしておきました。
最近生まれた造語である「ガチホモ」のイメージにぴったりな、30代、ボウズ、髭、バルク系筋肉質なホモである自分が、「ガチホモ」の一サンプルとしての自分の情報を10の質問にまとめたよ。
自分一人のすごく偏った例でしかないんだけど、みんなの持ってる「ガチホモ」のイメージと、どこが違って、どこが当たってるかを見てみてね!
同性愛の話になると、こういう反応をする人いますが、残念ながら、、、ご安心ください。
ガチホモどうしの間でさえ、自分のタイプに遭遇することは難しいので、たまたま目の前にいるあなたがかわいいと思われている確率は限りなく低いです。
例えて言うなら、虎子レベルの女が、「やだー、○○君、私に気があるみたい〜」と言っているかのような滑稽さがあります。
ラグビー部とか柔道部とか陸上部(投擲系限定)とかなら間違いではない。でもこういう反応しないほうがもっとかわいいよ。
しません。二丁目とかそういう系のバーの多いエリアに通いつめる人には多いのかもしれないけど、そこ以外ではそんなに主流ではないと思う。
自分の交友関係は偏っているんだけど、自分の友達にはそういうの大嫌いな人ばかりです。
「オネエMANS」に出てるような頭の芯からおばさんみたいな人たちとは、同じ空気を吸う事すらつらいよ。
どちらも外来語であまり実感ない。別にって感じ。
「『ニグロ』は差別用語だから『アフロアメリカン』って言うべきですよね。」っていう感じの情報と同じで、知識として知っていても実感はない。
ふだんの友達同士の会話でも「ホモ」って言うしね。
「ザ・ゲイ」というどぎついゲイ雑誌が昔存在していたので、「ゲイ」っていう用語のほうが自分としては気持ち悪い感がある。
全くの迷信だと思います。ゲイの服飾評論家、映画評論家、その他芸術家も多数いますが、たまたま目立ってるだけじゃないかと。
ゲイ自身にもこういうことを口走る人々が多数存在する。あたかも「自分もそうだ」と言わんばかりに。恥ずかしい事だと思う。
そういう人に限って、その舌の根も乾かぬうちに、血液型性格診断のような全く繊細さに欠けた会話を本気で楽しんだりしてるものです。
そんな単純な感覚で芸術の価値とか、ほんとにわかってんのかよ、、、と個人的には思います。(自分はそうとうに人を見下した性格ですね。)
会社には最近ばれてきてるんじゃないかと思う。でも、ばれつつあっても、あまりプライベートにつっこんでこない良い環境です。感謝してます。
基本的にしません。
兄弟だけには言ってる。兄に「お前は彼女いないのか?」としょっちゅう聞かれてて、めんどくさくなってバラしてしまった。
最初はびびってたけど、数年かけて今は大丈夫になったみたい。
親に言うつもりはない。自分は10代の頃の10年間を悩んで過ごした。同じ苦しみを、老い先短い両親に強いるわけにはいかない。
全くない。無理。
おっぱいとかほんとうにどうでもいい。ただの「皮膚と肉」っていう感じ。
女性器とかさらに無理。稲中で女性生殖器を「内臓?」って表現してたけど、まさにそういう感覚しか持てない。もしくはエイリアン。
人格的にすばらしいと思う事とか、話が合って楽しいという感覚はある。
でも宴会で「あまり近寄ったり、酔ってもたれかかったりしないでくれー!」と思うよ。「髪長っ!うざっ!」とかね。
思わない。最初はかわいかった。ある時期に自分のかわいさを彼らが自覚した頃から魅力がなくなった。
これは例えて言うなら、クラスの眼鏡っ娘で黒髪で図書委員の激萌な女子が、自分が眼鏡で図書委員であることが自分の魅力にとってプラスであることを自覚し、ある時期から「わたし眼鏡だし、図書委員だし、、、」などとあからさまに吹聴しだしたら、萌えるだろうか?ということのアナロジーで理解していただきたい。(この例えがいいのかも自信ないけど、通じるだろうか?)
今はケンドーコバヤシがかわいい。頼むからこのまま自覚しないでくれと思うよ。
一言で言うなら暗黒時代。自分は数万人に一人のレベルの異常者だと思っていました。
中学の性教育で「異性を好きになるのは自然なこと」という教育が追い打ちをかけた。あの性教育は自分にとってただの害悪。
親友(もちろん俺がホモとは知らない)と雑談中に目の前で「ホモなんか全員殺すべき」と言われたこともあって、きつかった。
今の若い連中はネットで情報が入るからこういう悩みはないだろうけど。
どうなるんだろうね?
子供は作れないし、妻がいるわけでもないし、そんなに財力があるほうでもないし。
いい男と同棲できて、長年連れ添えたとしても、どちらか片方は先に死に、もう片方が一人になってしまうんだし。
体力も衰えて、孤独死まっしぐらかもしれない。
ただ、ノンケに生まれて、妻がいて、子供がいて、財力があれば幸せかというと、じつはそれは十分条件ではないというのは、いろんなノンケ家族の話を聞いたり見たりで明らかになった。
なんらかの種類の、「前向きなあきらめ」が必要なんだろうと思います。それが何かはわからないけど。
どういう形であろうと、たとえ孤独になっても、ホームレスになっても、一人で死を迎えようとも、「それでもいい人生でした」と思えるかどうかが鍵なんだろうなあ。
読んでいただき、ありがとうございました。
http://anond.hatelabo.jp/20070312104158
別に論点をずらしたわけではないです。
女性の権利とか言っていたので、そのことについて極端だと思ってアナロジー的な発言をしました。
A君のような発言は、20代前半のちょっと知恵のついたころに言いたがる発言なので、無視しておけばよいと思うなぁ
そういう思考は、一度は通る道のような気もするし・・・特に危険とも思えません。
そのうち、間違っていたことに気がつくと思いますよ。
ほかの方が言っているように、痴漢と衣装の関連がないのならそれを言えば終わりの気がするし、
それでも屁理屈を言ってくるようでしたら、顔を思い切りぶん殴って
「ごめん、ふざけたこと言っているから頭来てぶん殴っちゃった。でもしょうがないよね、殴られるような発言しているもん」
でOKだと思いますよ。
・・・論破じゃないか。
まあ、なんとはない。
の本日付朝日新聞の巽孝之による書評を読んだらば、これは久しぶりな「必」読書かと思って、近くのショッピングモール内紀ノ国屋に行ったらば、「カルチュラルスタディー」も「言語学」のコーナーもないので、あるはずもなく、とりあえず出て行ってタワレコ入ってみれば、
を見っけたので、何とはなしに購入。
でうろとろして帰宅せばいと徒歩すれば、突然老人が「○○○○はあとどれ位かかるのかねぇ」と徒歩では数時間かかる場所を尋ねてきて、「実家は誰もいーへん」だとか「100円玉が入っとる思ったら数十円しかなかった」とか言いやがって、どうしたいんだろうともわからず、この場から離れるために300円をこの老人のために渡してしまった。
故に、金銭感覚の非境界性、なのだ。