昔、オタ友からあるビデオテープを貸してほしいといわれたことがある。彼のオタ友がどうしても見たがっているビデオなのだという。私はそれを承諾した。本当をいうと、友達の友達という名の他人にそのビデオテープを貸すことに抵抗が無かった訳ではない。そのビデオテープはそれなりに貴重なものだったからだ。しかしだからこそ、顔も名前も知らないその他人がそのビデオテープを本当に観たがっているだろうということもよくわかった。だからビデオテープを貸すことにした。そのビデオテープには、カウボーイビバップSessionXX、よせあつめブルースが収録されていた。よせあつめブルースという話はカウボーイビバップがテレ東に打ち切りにされた際に一度だけ放映され、その後はセルビデオやDVDに収録されることは一切無かった、いわゆる幻の一話というやつだ。
昔のオタクネットワークは本当にこうした草の根レベルの人脈によるものが細々と各地に散らばっていたのだろう。翻って今はどうだ?先ほどよせあつめブルースをネットで検索したら簡単に見つかった。Youtubeに投稿されていたのだ。ヤシガニだって検索すれば簡単に見つかる。
こんな世界に暮らす今のオタクにとって、同じオタクの人脈というのがどれほど必要なのだろう?
見知らぬ他人との人を介したやり取りが、ネットを介したやり取りになっただけ、そう考えることもできる。しかしやはり、よせあつめブルースを投稿した人とそれを見た人の間には人脈があるとはいえないと思う。
だが、変な話だとは思うが人脈はなくともコミュニティはあるのではないか?
あまり詳しいニュースは知らないが、先日Winnyに週刊漫画雑誌をアップロードしていた人が捕まったという。そのアップロードしていた動機は、ネット内で神と呼んでもらえるからだという話を小耳に挟んだ。彼を神と呼んだ人たちと、彼の間に人脈があったとは思えない。しかし彼を神と呼ぶコミュニティはあった。そのコミュニティからのフィードバックが彼の動機になったようだ。Youtubeに貴重な映像を投稿する人とそれを見る人の間にも同様の関係があるのではないか?
私はこのわずかな状況証拠から、次のようなことを夢想する。
人と人を個としてみるネットワークは旧時代のものなのだ。インターネットは人を群として扱うネットワークの成長を加速させている。
すでに個人対個人のつながりよりも、個人対群の関係性が主流なのだ。個人がコミュニティからの影響を受け、それをコミュニティにフィードバックさせる。そのフィードバックを受け取る側は、それを個人からのものとは受け取らず、コミュニティからのものとして受け止める。それを受けて自分がコミュニティにさらにフィードバックをさせ…。
そんな今までに無かった情報のやり取りは、必ず世界に大きな影響を及ぼす。既にそれは現れているはずだ。しかしそれを観測出来る人間はどれだけ居るのだろう?
神様だけが、高みから私たちを見下ろして微笑んでいるのかもしれない。
たぶん、「神様」はどこか別のところにいるんじゃなくて、群そのものが「神様」なんだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20070521144122 昔のオタクネットワークは帯域が狭かったので、オタク同士の係わり合い・関係性がUUCPのようなプロトコルで転送されていた。 フォワーディングが正常にい...
それを「スタンド・アローン・コンプレックス」と呼ぶ
http://anond.hatelabo.jp/20070521144122 の記事を書いてから7年が経った。 個対群のネットワークは何をもたらしたのか考察してみたが、つまらない結論に達してしまった。順を追って説明しよう...
ちょアーーーーーッ!クソワロタンゴwwwwwwwwwww これはいけませんなァ!我笑わせ罪!懲役28年でスゾッ