何度かツイートで似たような言葉を使っているみたいなので、間違って使っているわけではないとは思うのだけど。
だからこそ「行き過ぎたジェンダー論」と言わず、「不当な圧力、クレームやバッシング」といった呼び方をしてほしいなあと思う。
俺が解決してほしいと思っていることと、赤松先生のいう「行き過ぎたジェンダー論」が同じものを指してるとは思っているので。
何が「行き過ぎ」かって話をするとどうしてもその人の主観的な判断になるため、そこで議論が別れてしまうから良くないと思ってる。
これまで萌え絵につけられてる難癖を見るとこう言いたくなる気持ちはわかるけど、つけてる側はアレが「行き過ぎてない」って思ってるんだよなあ。
「不当」でも同じことが言えるけど、正当か不当かはまだ客観的に議論できる言い方かなと思うし、
何より「その意見は不当であるから賛同できない」って表明できたほうが意図が伝わりやすくて良いと思うんだよね。
たわわを例にすると、キモいだのなんだのいうのは自由。ただ新聞社の広告に対して国連機関が出張ってきたら政治家の出番かなと。
戸定梨香も、彼女が支持される/されないはファンと市場の結果でしかないが、議連がお気持ちクレームをつけて取り下げになるのはおかしな動きだと思う。
こういうのは「不当な圧力」だと思うんだよな。
何が「行き過ぎ」かの話をすると、それこそ昔の男尊女卑の価値観からすると今の世の中は「行き過ぎた配慮」なんだろうっていうように。
主観的な話だから余計なところまで混ざってこないかとちょっと心配しているんだよな。
もしかしたら幅広い支持が取れそうなワードを選んだつもりなのかもしれないけど、俺個人としてはそういうのと一緒にされるのはちょっと…みたいには思う。
個人的には「行き過ぎたジェンダー論」と聞いても具体例はあまり思い浮かばないんだよなあ。
自称フェミニストがつけてくる難癖は、ジェンダー論というよりミソジニスト/ミサンドリスト/萌え絵ヘイターのヘイトからくるものだと認識してるからかもしれない。
俺個人としては、現実のジェンダー平等は否定してないつもりなんだよ。作品に対して好き嫌いを述べることも自由。ただそれを盾に難癖つけてくるのからコンテンツ、表現の自由を守ってほしい。それは政治的な話になるから、赤松先生のようなコンテンツ制作者の方が政治家を志すことは応援したい。
しかし難しいのはそのラインを引くのがそれぞれの常識、主観的な話になってしまう点で。
既存価値観に対する補正的な面もあるから、相対的には「行き過ぎ」に感じてしまうところもあるし、難しいと思うんだよ。
難癖つけてくる厄介をまとめて「ジェンダークレーマー」って呼称する向きもあるので、「行き過ぎたジェンダー論」って表現でも間違いではないのかもだけど、範囲が広くなるような気がして賛同しづらいなあとは思うんだ。
行き過ぎというか、方向がおかしいんだよね。 え?そっち?って感じな。 その方向でホントに迫害されている女性はシアワセになれるの? みたいな活動が多い。
「不当かどうか」も人によって程度のばらつきが大きいし 不当な圧力という言い方をすることこそ「批判は自由ではない」という立場の表れだ、みたいな反論の仕方もできちゃうし あん...
確かに「不当かどうか」の判断も主観が混ざることは否定できないから増田の言ってることもわかる。 ただ「正当か不当か」という問いかけであれば、「行き過ぎてるかどうか」よりも...
正当か不当かを決める権限が自分だけにあると思っている そんな集団とは話し合いも何もあったものじゃない
決める権限がどうとかみたいな話はしてなくない? 「不当だ」と主張することはおかしなことでもないでしょ。これに限らず。
anond:20220628112156
つうかそもそもヘイトクレームとかコンテンツへの批判とか差別とか正当とか不当とか外圧とか、その辺の民草にこれは差別これは差別じゃないって安易に判断できるような事柄じゃな...
「判断できるのは私達だけだ」って言ってる?
少なくとも司法資格か法学者で差別についての大学教育をパスしてるくらいは必要やろう。 高卒中卒のIT起業家や漫画家には無理やろう