実家を離れたからこそ、家族の問題が見えてくる。父がモラハラ気味に母を縛ろうとしているように感じる。自分になにかできないだろうか。
正月で一年ぶりに帰省した。不満は多いけれど、両親のおかげで自分は人並みに幸せな学生時代を過ごさせてもらったと思っている。就職して5年近く経ったが、この短いやすみで実家に帰ったときだけは、自分が子供時代に帰ったような安心感を感じる。それと同時に人は誰もが必ず年老いていくということをふと思い出すと、この家族もいずれバラバラになって自分が一人になるのだろうという不安感も感じる。
母は比較的自由人である。しかし、子供だった自分を精一杯育ててくれた。(変な味付けの)ご飯をつくり、(埃が積もってきた頃に)掃除をし、洗濯をしてくれた。そして母自身が些細な趣味を持ち楽しんでいるように見えた。月に1−2度趣味の集まりに出かけ、飲み会に行った。そんな日は帰りが日付を回ることもあったが、夕飯を用意していってくれた。子供が一人で食べる夕食はちょっぴり大人になったようで、自由に食べたいだけ食べられるという点で楽しくもあった。なによりも一軒家の中でたった一人という開放感が新鮮で嬉しかった。
父は平凡な会社員だったが幸運にもほとんど残業をしないで済む生活をしていた(これがどれほど幸運なものか、自分が就職をして初めて知ることになる)。 父自身もちょっとした趣味を持っていて、今考えると結構な額を趣味に突っ込んでいたが、それで家計が苦しいということは(少なくとも私は)感じなかった。だから、父も自由人だと言いたいところだが自分にはどうしても理解できない点がある。
母が趣味のために出かけて飲み会から帰ってくると、父はいつも母を責めた。その理由は、「普通のカミさんはそんなに飲んだりしない!」というものだった。母はその責めに対して、父だって飲み会に行っているじゃないかと子供の喧嘩のように応戦していた。自分が小さな子供だったころ、このような喧嘩が度々起きると母は泣き出し、父は怒鳴り散らし、自分にとってこの世が終わってしまうというような恐怖を感じていた。この対立は今にも続いているが、ボルテージはだいぶ下がり、私も成長して夫婦喧嘩を冷静に見ることができるようになった。
自分には、父の主張が全く共感も理解もできない。母が飲み会に出かけていたのは月にたった一回か二回程度である。それ以外の日は家に居て専業主婦の役割を全うしていた。だから、母は家族の誰にも迷惑を掛けていない。月に数度の母不在の日で仕事帰りにご飯が食べたいなら、母の作りおきの夕食を食べたらいい。家の掃除はキチンとされているし、風呂に入りたければボタン一つで温めることだってできる。毎日洗濯しているので、明日着る服に困ったことはない。そんな十分すぎる環境があって、何が不満なのだ。どうして、月に一二度の母の楽しみを糾弾するのだ。母は映画の中の貞淑な妻のように、「旦那様お帰りなさいませ」と三指ついて出迎えるべきとでも思っているのだろうか。自分には、父が母を『家庭に縛り付けたいというおぞましい欲望』を持っているように感じる。
私は、少なくとも家族に(金銭的、家庭内業務の分担で)迷惑を掛けずに楽しむ母を誰も糾弾することができないと思っている。父が母を家庭に縛り付けようとする試みに、自分はできる限りで反論しようとしてきた。父に対し私は、「母は家庭の仕事を全うして、その上で自分の楽しみをやっているんだから、誰にも迷惑かけてないよね? そっとしておいてあげようよ」と説得を試みたが、「カミさんがこんなに出かけているのはおかしい! 普通の家のカミさんはこんなに飲んだりしない!!!」の一点張りで、まったく議論にならなかった。最近は、飲み会へ行った翌日(休日)で疲れた母を父が朝早く理由もなく起こすという嫌がらが始まっている。
結局自分は、今のところ自分の信じる(家族の)自由を履行できずに居る。いつか父と母が分かり合えるのだろうか。そのような夢物語が実現しなくとも、なんらかの現実的な妥協点を見出してある程度の不干渉を引き出せないだろうか。
こんな面倒くさい家族だから、自分は実家へ帰るのを渋っているんだぞ!
勘弁してくれ!!!
(追記)
ああ、みんな反応をしてくれたんだね。嬉しいです。
ちなみに、父は酒は付き合いで飲む程度でほとんど飲まない。
おう。アスペ夫とADHD妻の典型的な例だな アスペはステレオタイプを指標にしてしまうからね…
お父上はお酒を召し上がりますか?下戸ですか? 酒を飲まない人間は、酔って普段出ない性格が出るということを非常に嫌います。 人格の統一性が損なわれることに恐怖を感じます。 ...