それ自体は使い古されたネタだけど
gァ たとえば顎の突き出た一つ目小僧の顔のようにも見えるし、
gァ たとえばマイクをこっちに突きつけてるようにも見える
gァ 見ようによっては人が手広げて跳んでるようにも見える
理解した。いいセンスだ。
後ろめたいことでもあるんじゃない?
しばしば黒い感情に苛まれることがある。
嫉妬だったり、不安だったり、あるいは色んな感情が複合しすぎていて何を悩んでいるか分からない時もあるが、
とにかくそういった幸福ではない感情が渦巻いてる時、胸のあたりに重くつっかえるような感覚がする。
これをどう解消するか。
人に聞いてもらうというのは手っ取り早くかなり効率的な方法だと思う。
言語化することによって自然悩んでいる内容を整理して原因を再確認できるし、相手の反応も悩み解決の判断材料にできる。
共感してもらえたりアドバイスをしてもらえるだけで、ずいぶんすっきりするものだ。
しかし愚痴を聞いてもらうという行為は、聞き手にこの黒い感情を分け持ってもらうことでもある。
こう思うのは、自分が聞き手の立場に回ったときそう感じるからだ。
相手の話に人事とはいえ少なからず心は痛めるし、コンディションによって受け流しきれない時もある。
最終的に、話し手がすこし気が楽になった分、今度は聞き手がすこし心を病む。黒い感情をもつ。まどか☆マギカの魔法少女システムの小規模版ぽい。
ツイッターでもTLに結構な頻度でネガティブツイートが現れるので、それらを目にしては自分の心が疲れるのを感じる。
こう思うこともあって、自分はなかなか人に気軽に愚痴を言ったりできないし、ツイッターでもネガティブツイートはしないことにしている。
だからこそ、胸のあたりがもやもやっとしたとき、これをどうしたものかなと考える。
愚痴るより手っ取り早い解消方法で人様に迷惑をかけない方法はないものだろうか。こう書きながら、匿名での発散はひとつの手段かもしれないと思った。この日記にしかり、某掲示板にしかり。誰かに不快な思いはさせるかもしれないけど、そのことに大して自分が責任を負わなきゃいけないというプレッシャーを持たなくていいから、それがいいかどうかは別として、まあそりゃあ気は楽だ。
この文章を打ちながらもとりたてて他にいい解消方法が考えつかなかったので、やっぱり、愚痴を聞いてくれる相手に感謝し、最後に聞いてくれてありがとうと伝えることが一番建設的かもしれない。
愚痴を聞かされて多少嫌な気持ちになっても、最後にありがとうと言ってもらえれば、まあいいか、ひとついいことをした、と思えるような気がするから。
ぉぃぉぃ、せっかく肯定してあげたのにw
しかしだ。
「滅ぼす」じゃなくて「廃れる」って書いたんだけども、理解できなかった?
と自己突込み。
オウム返しのコピペ嫌味をバカにしているだけなのに、どうやったら文化の否定までいくのか、その発想になるのか過程がわからないから説明してくれ。
模写が悪いわけじゃない。
模写したものを「オリジナルですよ」と言っちゃうからまずい。さらにそれで金儲けまでしちゃう人がいるから問題になる。
模写を模写として、○○を模写しました、って明言しておけば何も問題はない。もちろんそれを商売なんかに使わないという前提で。
今まで生きてきて思うのだけど、結局のところ、他人がしてくれることといったら、
安全な上のほうから「かわいそうだね」って顔で同情してくれるだけ。
増田は甘えん坊だなぁ
他人が助けてくれるとか何期待してんだよ
それはおいといて、他人からされることは今まで自分がしてきたことの積み重ねの結果だよ。
つまり、今まで他人を誰も助けてこなかったから他人が自分を助けてくれない。
今まで他人に頼った事が無いから、誰も頼ってこない。
世の中にはお金じゃない、見えない貨幣が流通していると思ってくれ。
上にもあったように「情けは人のためならず」ってやつだ。