今回のテーマは斎藤修「プロト工業化の時代」。刊行は1985年と私が4才のころ。結構前の本だが、興味がある比較工業化というトピックを扱っていることと、サントリー学芸賞受賞作ということで読んでみた。
まずはじめに、「プロト工業化」についての定義が与えられる(p52)。一言で述べると、
つまりそれは単なる農村工業化の話ではなく、農村部での分業形成のプロセスに関する議論ともいえる。農村工業に対して、現在の資本主義社会のオリジンとしての性格にスポットを当てるのが、プロト工業化の理論なのだと見てよいだろう。
プロト工業化論を提唱したメンデルスは1970年代の研究で、18世紀フランドル地方においての次のような事実を指摘した。フランドル地方を沿岸部と内陸部とに区別すると、人口の稠密度合いは明らかに内陸部の方が高かった。一方でフランドル地方でリンネルの工業が発達していったのは、(沿岸部よりも土地が痩せていた)内陸部だった。
ここからメンデルスは、フランドル地域間で比較優位の法則のようなものが働いていたと議論する。沿岸部で農村工業が発達したなかったのは相対的に肥沃な土地だったため農業から転換する理由がなかったためである。一方、農業に向いていない内陸部は、(相対的に人口稠密で)、低賃金労働力が利用できるため工業が発達するインセンティブがあった、と。
工業に産業構造を移転させることができる多くの人員と、地質的に従来型農業への比較劣位をもっていたことが、フランドル地域内陸部で農村工業を発展させるドライバーとなったのである。
ヨーロッパ全体を見渡しても、農村工業がある特定の地域に集中して発展していったという事実は観測できる(p26)。それでは、なぜ農村型工業は特定の地域に定着して、他の地域に根付かなかったのか。プロト工業化論を敷衍すると、偶然にしろ必然にしろ、(人口の多寡や土地の肥沃さなどの)初期パラメータがそうなっていたからだ、ということになる。環境決定論スレスレだが、そうなる。
こうした議論を読んで、すぐに思い出したのは市場の勃興を経済学的なインセンティブの原理から説明したジョン・ヒックスの「経済史の理論」だった。プロト工業化の理論もまた同様、インセンティブに従って動く人々や、既存産業へのロックイン効果が働いている状況といったような、経済学的な議論がかなり下敷きになっているように見える。実際、メンデルス自身、「プロト工業化」を初めてタイトルに用いた1972年の論文をジョン・ヒックスの引用からはじめている。
だから、本書の後半で著者が展開したプロト工業化論の解釈と反論は、私にはやや奇異にうつった。著者は19世紀日本における出生率や結婚、人口成長などを用いた分析にかなりのページ数を割き、日本の人口成長は農村工業の盛んな地域で特に高いわけではなく、(従来産業の)穀物生産が人口成長の主因であったことを示し、日本の場合はプロト工業化論は当てはまらないと強調している。そうだろうか。著者自身が上述の通りに定義したようにプロト工業化とは、工業化の前提条件と工業化のプロセスを経済学の知見を借りながら説明する議論である。人口パターンが先行研究に整合的でないからといって、日本ではプロト工業化は当てはまらないと主張するならば、おそらく人口動態に議論を引きつけすぎて考えすぎなのである。
確かに人口データは、当時においては珍しくアベイラビリティのある定量データで、それが重みのある議論を可能にしている。しかし、「プロト工業化」を論じる上で本当に議論の中心に据えるべきは人口学ではなく経済学的の理論だったような気がしてならない。本書を読んで決定的に惜しいと感じたのはそこだった。
最後に、著者が提示した、非常に興味深いが本書では語りつくされなかった課題を紹介しておく。それはどのようにして農村工業の局面から工場製工業の局面へと移行したか、という点である。プロト工業化は農村工業の発達に関しては雄弁だが、そこから事業者達が設備投資して機械を導入し、工場制度へと移行するプロセスについては上手く説明してくれない。「本格的工業化の開始を説明する理論としてみた場合、プロト工業化論は決定的なところでその資格に欠ける」(p269)という著者の指摘はまっとうだ。この移行を説明することは、産業革命を経験する地域があった一方で工業が衰退した地域があったのはなぜかを説明することにもつながる、非常に有望な論点でもある。
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