名前を隠して楽しく日記。
デリヘルは警察管轄下だし、その知能指数が低下しない形をしてからいかないと、デブを出す暗黙の決まりになってるから散々考えた末にそうしただけであって、経験則で、
平成28年に発表された、立花洸殺法は、延岡の、稲泉健一には全く効力がないし、 消防3階のもりわきの息子の自演であることがばれて使い物にならない
真犯人は一見関係ない場所に潜伏しており、お前は、その存在が見えないようにしているだけ この系から、 平日みんなが命令に従い仕事をしているときに運営にそれをやったらそれ相応の
3アカは最低持っとるやろなぁ
真似して返すってことは効いてたんやね
みゃくみゃくデザインについてアカウントがあることで集中砲火的にクレームまがいの意見がぶつけられてて本当にかわいそう
ぶつけることのできる窓口から攻めて万博を潰したろという印象しかない
デザイナーとしてはちゃんと誠意を持って意見に対応したいんだろうけどあんなのただの因縁付けの悪質クレームだよ
延々と角度を変えてクソリプが出てくるだけ
代替財ってやつやね
全面的に共感。妻がよく見るので仕方なく付き合っているが、「虎に翼」は本当に見ているのがきつい。
あれがいい、という人はジェンダー差別とか真剣に考えたことあるのかな、と本当に思ってしまう。というか、真剣に考えている人が共感しているとしたら、そもそも間違っていると思う。差別というのはああいうものではない。
元増田の言う通り、差別というのは当時の「常識」に即して行われる。どんな人間でも、その常識に寄りかかっている生きている。ほとんどの人は、それが差別と気付くことはない。だから、あんな直情的な反差別のセリフが瞬時に出てくることは絶対にない。戦後ならまだしも、戦前の段階で。
1960年代以前の昔の映画を見ている人にはわかると思うけど、わかりやすい女性蔑視の発言が直接出てくることはほとんどない。女性を差別的に取り扱うことが大きな常識だった時代は、社会に広く深く溶け込んでおり、そういう女性蔑視の言葉自体が不要だからだ。逆に女性が丁寧に扱われている、という印象すら受けると思う。
いずれにしても、女性差別をテーマに映画やドラマをつくるなら、以下のプロセスを時間をかけて丁寧に描くことを求めたい。
何とは言わない人を純化し、斎藤秀司とか、深谷賢治の数学が好きなところを純化してそこに雷撃したら超絶仲良しと言う定理が成立するので
もりわきーconjectureというのは、 もりわきのままが、マンション5階に住んでいて、そこから演繹されているらしいが、証明はされていない。
何言ってんだお前、どうせマンションの同じ位置に住んでいて寝てんだろカス、今日は祝日で学校がないから活動がないだけ。
ときわ台メリーガーデンでも、広島駅周辺のマンションでも、同じような構造になってんだろうが、 15階に石村智がいて、
2階に、任介がいて、一番左の6階に篠原直樹が住んでいる。普通の人は知らないだろう。
延岡の北大路の一戸建てとマンションもそうなっている可能性が高いが、 北小路、北大路付近でやったことがないから反応を見たこともないし、あの辺はどうなっているか分からない