はてなキーワード: 物理屋とは
おれはわりと素直な性格で、支離滅裂と言われれば「ああおれの発言は支離滅裂なんだー人前で言うのは恥ずかしいからやめよう」と思う程度には小心者なのだが、たとえばどこらへんに論理的欠陥があるのか。
てかスーツそのものはどうでもよくて、スーツを着るという行為が暗黙に示す、その会への関わり方のスタンスが嫌なんだよね。
要するに「上下関係や組織内外の政治的関係や利害関係を高度に重視したビジネスライクなスタンスをとります」という表明に見える。
というのは、化学の研究者は物理に比べて政治的であり、利害関係に敏感であり、それは学会にスーツ着用が習慣化していることからもうかがえる、という主張を内包しているように思える。
研究者Aが、学会発表をしたとする。それはいろいろ突っ込みどころのある内容だったとする。それを別な研究者Bが聞いており、AとBのあいだには、なんらかの利害関係があるとする。このとき、
Bが「上下関係や組織内外の政治的関係や利害関係を高度に重視したビジネスライクなスタンス」だとしたら黙ってスルーするという形を取る、ということになるのではないか。
むろん物理屋はそのようではなく、そんな立場なんて知ったこっちゃないぜおれが従うのは真理だけだぜベイビー、というスタンスなのであろう。だが化学屋だってそれは同じだ。まあ従うのは真理というよりは自分のつかんでいる実験結果かもしれないが。どうしてスーツを着ただけでそこまで疑われなきゃならないのか。
あるいは、http://anond.hatelabo.jp/20120920223722の記事はそういう状況を想定しているのではないのかもしれないが、具体的にどういうケースを想定しているのか想像がつかねえ。
なんとなく適当にまとめてみたってことか?
線量計は論外として、個人用途のサーベイメータ持って乗り込んでもまず正しい値は取れないから。
でもって、モバイルのモニタリングポストは福島行く為だけのために個人が買うような代物じゃない。
しかも、安いソフト無しの機材だと出てくる単位はKeVだから、そっからSvまでの計算とロギングできるソフト/知識が必要。
そこに、福島でスタンドアローンの活動ができる装備があるとなると、もはや個人で活動って範囲を超えてるわ。
研究室ぐらいの規模は要る。
そういった、物理屋なり疫学屋同士で値が違っちゃったら、誰を信じるのさ。
現状、幾つかの組織が値を発表してるが特に大きなズレも無いだろ。
「美しいプログラム」とは、処理に無駄も不足もないプログラムのことで、
見た目が(一般的な意味で)美しいことは必ずしも必要ではない。
極端な話、見た目だけばっちり整ってる「美しくないプログラム」もあれば
一般の人が見て「全然わかんない、なにこれ?」的な「美しいプログラム」もある。
「一般人に」美しいプログラムかどうかを「見て」判断しろというのは、
すごく乱暴な論であって、ちゃんと経験を積んでるプログラマの発言とは到底思えない。
プログラムが動くことを教えて、動かないことを教えない理由は、
動かない理由なんて、それこそ星の数よりもたくさんある。
それをいちいち教えるなんて、「1+1=2」を教える必要があるときに
「1+1≠3で1+1≠4で1+1≠5で…だから1+1=2」と教えるのと同じことだ。
そんなことやってたら100年経っても実践に移れないし、移ったところで
もちろん、誤解しやすいところはいくつか取り上げるくらいはあるだろうけど、
動くコードを書くには、正しい書き方を教えるほうが断然効率がいい。
村の寄り合いに哲学者が来る。村は腐ったところで、ひとりが科挙にうかるとそれにみんながたかって食っている。俺もそんなひとりだが、村を出たくてなにかを勉強していた。
哲学者は若かった。俺は話を切り出せず、愚劣な連中に囲まれている哲学者に話がしたくてじりじりしていたが、ようやくチャンスが来た。
俺は口火を切った。「あのですね、ベルグソンがわからんのです」
「すげー基本的なことなんですけどね」「ベルグソンの空間てのは同時期のポアンカレとか物理屋、数学者のものと大体同じものについて語ってるんでしょう?」
村の連中は「意気さかんな若者が質問をするのはいいことだ」と内容もわからずに互いに酒なぞを飲んでいる。
言ってることがよくわからんが…
いや、だからそういう経験積んだ上で専門教育も受けてる東大ISって結構すごいよねー、って話でないの? 言ってることがよくわからんが…学部を否定してたんじゃないの?笑
(他の分野は)一人前になるのに最低10年はかかる
まあそれはそうだとして、情報系は一人前になるのに10年かからないと言ってる?あなたはどの分野の人?情報系を貶める発言は興味深いな。そういう風に見えているのだね。
で、情報系が 10年もかからずマスターできることは、東大IS学部卒をコキおろす理由にはならなんよな。あんまりかばってもしょうがないが…
で、彼らはdemand drivenで技術を身につけるわけで、どれを取ってもという発言は理解不明だ。あんまプログラム書かん人もおるよ。ホントに知ってるの?
で、必要であればそれくらいできなきゃむしろヤバいんじゃない? 学部卒と助手比べられてもなあ。
ギークにはプログラム書く能力も求められるけど、それを満たしてるだけでもT大IS学部卒はたいしたもんだよね、という話でそ?
専門卒とか目が潰れるとかいう短慮な発言には目を瞑る。
>今、「期限までに目標のインフレを達成できなかったら、中央銀行の総裁は死刑になる」というえげつないルールを作ろう。そして、期限はあと一回の売買にかかっているとする。このとき国債を持っている国民はどうするだろうか。中央銀行は総裁の命がかかっているのだから、いくら高くても国債を買うはずだ。だとすれば国債の価格は無限大になってしまう。価格が無限大になる、ということは、ぼくの理解では、資産にハイパーインフレが起きたことではなく、モデルが破綻している、ということだ。つまり、均衡動学経路が存在しない、ということになる。
たぶん「モデルが破綻してる」という背景にあるのは、横断性条件。でも横断性条件が動学的最適化を解くときに必要かというと、必ずしもそうでもない。
横断性条件で目覚しい業績を上げている日本人が、明治学院大学の上東隆志。彼の"Simple Proof of Necessity of Transversality Condition"は動学的最適化を用いるマクロ理論家にとっては、一応読んでは置かないといけないリストに数えられる。まあ、証明自体がとても読みやすい。というかこれが読めない人はマクロ理論を理解する数学的能力に欠ける。リフレ派がほんとうにRBCだのSDGEだのを理解できるかはこれを踏み絵にすればよい。まあ、マニアックなんで、マクロについてきちんとした教育を受けてなければ知らなくても仕方ないが。日本語でも西村・福田編『非線形均衡動学』(東大出版会)に収められている。
ともかく、邦訳版で上東がまとめるところによると、横断性条件が必要になる十分条件としては
1)最適経路(*)全体を比例的に押し下げたときに、目的函数が-∞にならない
というのが挙げられるという。あくまで、上東自身の研究で分かってる十分条件に過ぎない。(つまり、横断性条件の必要性にとって必ずしも必要とも限らない。ややこしいな。)
しかし、少なくとも、児島さんの考えている「期限までに目標のインフレを達成できなかったら、中央銀行の総裁は死刑になる」というルールは1)を満たしていない。(実際、目的函数が-∞になるからこそ、中銀がいくらでも国債を買うのだろうし。)2)はまあモデルによるのだろうけど、大概利益函数が1次同次なら、簡単に静学的な均衡stationary eqm(つまり最適動学下でのrest point)までは明示的に求められそうな気がする。あとはそのrest pointの安定性くらいが問題か。
どうでもいいのだけど、ハリ・セルダンが「その乖離した地点から、均衡へ収束する経路」のことなら、通常それはsaddle pathと呼ばれており、日本では多くの場合「鞍点経路」という訳語を割り当てると思います。」というのは情報操作が過ぎるのじゃないか。たしかに数学的には「鞍点経路」が定訳で、またsaddle pathが決まった用語だけど、必ずしもそのsaddle pathが動学的最大化を満たす経路とは限らないので、別に「最適成長経路」だのなんだの言うときも十分にある。(場合によっては発散するような経路でも最適経路になることはある。資産の量kや価格\lambdaが無限大に発散しても、それが割引率で抑えられる限りは標準的な横断性条件exp(-\beta t) k_t \lambda_t =0を満たす。)
そして、「成長論」でなければ「最適成長経路」なんていうのは気持ち悪いから、他の用語、そう動学的な均衡ということで、「均衡動学経路」って言ったっていいだろう。(ハリ・セルダンのいう「均衡というのは通常、無時間だと矢野は理解している」というのもSDGEの文脈では意味がわからない。stationary equilibriumに絞るという意味か?よく物理屋がstationary eqmでないと「均衡」でないと経済学を非難するけど、経済学での均衡はrest pointというよりも、モデルの全式(需要=供給とか)がconsistentである、つまりモデルに出てくる方程式の解になっているという意味で使われる。だから、その方程式が動学的なもので、「未知数」が経路(時間tの函数)であるなら、「均衡」は当然に時間を含むものだが。stationaryだって、経路が時間tに対して一定というだけだし。えーと、マルコフにしたって同じように範囲を狭めてるだけだし。)
児島さんの最初の指摘である、バーナンキの背理法ではリフレ派の言いたい「国債買う⇒どっかで物価上がるさ」という命題を証明できない、というかそういうのに気づかないあいつらは馬鹿というのは賛同する。(つまり背理法で出てくる、「仮定された命題が偽である」っていったときに、「仮定された命題」をcompletely graspできないやつ。)
ただ、その「仮定された命題」としては、「均衡の存在」よりも、quantifierに重きを置いたほうが反証しやすいし、彼のひきつけたかったゲーム理論(複数均衡)に持っていけたんじゃないだろうか。つまり、こういうふうに言えばよかったと思う:
あたかもリフレ派はすべての解(均衡)で「国債買う⇒どっかで物価上がるさ」という命題が言えるとしてる。しかし、横断性条件も必要でないかもしれず、(経済学的には非現実的だけど)「物価上がらず無税国家が存在する」というのが均衡として否定できない。つまり矛盾は導けない。なので、国債を買い続けても物価が上がらないことだってあるかもしれない。
唯一の均衡が横断性条件を満たさない(つまり「すげえ」発散する解)なら、それはモデルがまずすぎるけど、複数均衡でならそういうのがあっても認められるだろう。
いずれにせよ、今回の「騒動」とやら(所詮はリフレ派ブログと崩れいちごで騒いでいるだけだと思うけど)は、背理法の論理もわからない馬鹿を挑発しすぎて、彼らの土壌に引っ張り込まれて、結果として自分の言いたいところと違うところで勝負させられて墓穴を掘ったように思える。そもそも児島自身もマクロ経済学者じゃないから、日本の現状がどうかなんていわれても困るだろうな。すげえマニアックなゲーム理論家というイメージがする。(どこかのSE崩れのブログで、「確率・統計」ではすごいなんて言ってたけど、それは教科書しか本当に知らないかわいそうな子。)今回言いたかったのはそれ以前の論理構造のことだろう。
まあ、マクロ経済学者が誰も出てこないあたりでこの議論は先が見えているのではないかと。ってか、加藤涼くらいしかいちごとかブロガーリフレ派にかまってるやつなんていないし。