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2018-04-16

安室透は『テオレマ』である

ゼロ執行人」を観てきた。

思いついたことを書き殴ります

前提

劇場版ネタバレが含まれます。 

・多分な妄想偏見を含みます

・私はコナンマニアというわけではなく、小さい頃TVアニメを観ていたり、思い立ったら新刊を買ったり本誌を読んだり、金ローや年イチの映画を観る程度の知識です。

はじめに~各者の「彼」への認識

我々読者は、公安警察官・降谷零がトリプルフェイスを持つことを知っている。

  1. 警察庁警備局警備企画所属警察官・降谷零(本名および本職)
  2. 黒の組織メンバーバーボン(潜入先におけるコードネーム
  3. 毛利小五郎弟子かつ探偵であり喫茶ポアロ」のウェイター・安室


では、作中のキャラクターは、彼をどう認識しているだろうか。

安室透=降谷零=バーボンと知っている、つまり読者と同じ視点人間は主要人物に限られている。

大多数、つまりモブは、「彼のなりきるキャラクター」にしか知らないのではないのだろうか。

「降谷零」は、幼くは零くん・ゼロと呼ばれ、公安警察として働く生身の人間

バーボン」は、潜入捜査の命を与えられた、降谷零の別の顔。

では「安室透」は?

バーボンと同じく潜入捜査のための身分であるが、一般社会に溶け込んでいるという点で、異質である

任務の一環として」サンドイッチを作り、笑顔を貼り付け、店の前を掃き、コストコらしき店へ行き、そしてJKを魅了してしまう。

そこにいるのは「造られた、空虚存在である

バーボンのほうが、なまじ目的組織内の身分明確化されているために、よっぽど解りやす存在である

安室透」の空虚さへの既視感

彼はある時突然米花町へやってきて居付き、仕事をし交流を持ち、周囲に慕われている。

いつか「安室透」としての彼はいなくなるはずだが、彼を「私立探偵でウエイター安室さん」だと思っている人々は、そんなことは知る由もない。

この状況と似た映画がある。

1968年イタリア映画パゾリーニ監督の『テオレマ』である

ミラノ郊外に住む、工場経営者であるブルジョワ家庭(主人、妻、娘、息子、家政婦)に一人の男が姿を現わし、なぜか男と一家との共同生活が始まる。

そのうち家族全員は男の謎めいた魅力の虜となってゆくが、男が家族の前から立ち去ると、残された家族は奇妙な行動を取り始め、家庭は崩壊してゆく。

テオレマ - Wikipediaより



作中で「男」が何者かは一切語られない。

この物語、まさに「安室透の別の顔を知らぬ者」、米花町の人々の視点である

この視点人物は、梓さんかもしれない。安室透を慕うJKかもしれない。マスターかも知れないし、ピンチを助けてもらっている少年探偵団かも知れない。

周囲の人物に、「素敵でかっこいいお兄さん」として振る舞い、優しく触れて期待させていったあげく、忽然と姿を消すのである

安室透」と「江戸川コナン」の関係

ここまで「安室透」について述べてきたが、彼の空虚さと取り巻く関係は、そのままある少年に当てはまる。

主人公江戸川コナンである

しろ毛利家に深く関わり、数々の困難を共にするうちに断ちがたい絆を得ているという点では、コナンのほうがよっぽど『テオレマ』らしい。

コナンを失った少年探偵団はどうなる?毛利家は?園子は?蘭は?

高木刑事や目暮警部も、耐え難い喪失感に襲われるのではないのではないだろうか。

コナンも造られた存在である。異なるのは、安室透は任務のためであり、コナンは元に戻る方法を探るためであるという点。

目的を持って、仮の身分を演じている。

今後、米花町の残された人々はどうなるのか

私が興味深く感じるのは、いわゆるモブの今後である

そこにポアロウエイトレス安室透の同僚、梓さんを加えてもいい。

まり蚊帳の外」がどう感じるのか、ということである

青山先生は、主要人物の心がうまくまとまっていく様子はきっと描いてくれるだろう。

ただ、数え切れないほどの事件で登場した人々の心情の機微までは描かれないはずである

【参考:コナン事件の数】

2日に一度は殺人事件!?『名探偵コナン』のコナンは、あまりにも事件に遭遇しすぎではないか? | ダ・ヴィンチニュース

「『眠りの小五郎』さんと一緒にいた坊や、どうしているかしら…」「どうやら、行方不明みたいです」

こんな会話が交わされているかもしれない。そして、入れ替わりに新一が戻ってくるわけである

果たして、皆が「コナン」に感じていた魅力を「新一」が埋められるのだろうか。

安室透」に至っては、かけがえのない魅力を持った青年が忽然と消えるわけだからポジションを埋められる人間存在しない。

彼に憧れを抱いていた人間は、永遠に彼の幻影を追い続けるわけである

そこには、崩壊が待っているのかもしれない。

少なくとも、灰原を含め3人が確実にいなくなることが決まっている米花町は、異常な街なのである

おわりに~なぜ「ゼロ執行人」を観て『テオレマ』を思い出したのか~

新一への伝書鳩…という役目もあろうが、新一は声以外登場しない。コナンが頼られている。そして、安室透は自然生活をしながら、「自分恋人」を護る。

新一が元に戻っていれば?安室透がただの公安警察のひとりとして、警備任務につくだけだったら?生まれ得ないシナリオだった。

この映画で描かれた人間模様はすべて嘘の上に成り立っている。

「いつか壊れる日常」だと改めて認識させられた。待っているのは『テオレマ』のような結末ではないかと感じたのだ。

そして、二人のコンビネーション

一般的には、「正義か、真実か。」コナン安室透の対比と対決と共闘が、テーマであり見所とされていたが…。

共通した「造られた存在」を生きるもの。周りを偽る空虚存在。そして周りを虜にする存在

目的が終わればこの姿を捨てるが、その目的は限られた人間しか知らないため、周りを切り捨てるしかない運命

そんなもの共通しているからこそ、分かり合えたものがあったのではないかと考えた。

そんな感情のぶつかり合いが、エピソード緋色真相」での

ウソつき…」

「君に言われたくはないさ…」

セリフに集約されているのではないだろうか。

おわりに

勝手に感じたあむあず(安室透×榎本梓)みについて語って締めくくりたい。

「卵と小麦粉お願いね!」

「梓さんはいいお嫁さんになりますね」



テキパキした手際にそう感じたのかもしれないが、実に唐突な会話である

世辞を言うべき相手でもない。

本音ポロリと出た場面だと解釈すべきであろう。

普段の接し方を見ていても、どちらかの不毛片想い…という感じでもなく、平等に良好な関係を築いているようである

梓さんも、前述のセリフに照れるでもなく、風評被害を恐れて警戒するのみであった。

「降谷零」として、梓さんに好意があるかもしれない。

安室透」によって抑えられているから、あの程度の露見で済んでいるのだ。

「降谷零」は、装わないといけない人間なのだ

そんなふうに感じられた。

若い男女が親しく働いているのだから、そんな関係になる機会もあるかもしれない。

けれども、梓さんが「降谷零」を知る日は来るのだろうか。

「僕の恋人は…この国さ!」と言い切っていた。

【僕】とは、誰のことだったのだろうか。バーボンではなかろう。降谷零として、そのままの意味で言ったのであろうか。

安室透」としては、“恋人”を作るわけにはいかなかったのであろうか。

僕の日本。僕の恋人。どことなく、右翼的ではない。

ひとつひとつを愛せないから、まるごと愛するしかない不器用さと取るのは、曲解になるだろうか。

一人の女をだめにした 一人の男の日暮れ時

日本せまいぞ ラリパッパ タンタラリヤ ラリパッパ

長谷川きよし「心ノ中ノ日本



この歌詞のように、和製『テオレマ』的別れを与え、「安室透」は消えていくのかもしれない。

二人の間にこんなしこりが残るのは、哀しいようで、官能的でもある。






※この散文はフィクションです。オチはありません。随時編集するかもです。

 
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