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はてなキーワード: 情報アーキテクチャとは

2023-02-13

[]情報意味とは

宇宙について、情報意味を重視しない方法論がある。ビッグバンからまり量子場が形成される。それぞれの場は量子粒子と関連している。宇宙が膨張し冷えるにつれて、これらの粒子は結合したりしなかったりして、陽子中性子電子光子が残る。そして銀河、星、惑星といったより大きな物理構造へとつながっていく。そのうちの少なくとも地球では、生物進化している。そしてその世界とある種の生物の頭の中で、神経活動が行われ、思考可能になる。思考可能になった時点で意味が出現した、とこの方法論は言いたいのである

情報記述について明確に欠落しているのは、意味である。シャノンは、記号の列がどのように通信路を伝わっていくのかを理解するという目的のために、意図的目的論を排除した。しかし、生活経験では、情報直感的に意味と結びつけている。情報重要なのは、何かを意味するからである

意味情報とは一体何か。意味情報定量化できる数学的な基礎とはなにか。どういう状況にどれだけの意味情報存在し、それがどのように発生し、システム使用するためにどれだけのコストがかかるかを理解することはできるだろうか。

システム環境区別する」という発想がある。システムとは、細胞であったり、動物であったり、あるいは動物社会的集団であったり都市国家と考えることもできる。環境は、システムの存続を維持するために資源が引き出される「場」である。定式化するにあたって、意味情報システム環境区別関係するだろうか。生命起源を探る場合創発を引き起こすなにかがある。

細胞化学物質区別が生じるのは、細胞膜が情報を使って、何を入れて、何を入れないかを決めているからではないか。そうやって自己と外界を区別しているのでは。細胞化学物質の中で生きるなら、細胞システムで、化学物質環境ということになるのか。そしてシステム環境の出現を可能にするために、何かが存在しなければならない。

科学する世界は、決して人間から切り離すことはできない、とするならば、科学の背後のシステム環境理解することが肝心なのではないか

生命が他の物理システムと異なるのは、時間を超えて情報を利用することかもしれない。この情報アーキテクチャは発展し続け、進化における淘汰が機能した結果である。「生物においては、経路依存性と歴史の混在が新しい形態を生み出す。進化はそれぞれ、それ以前のものを基礎としており、しばしばこ時間を超えて相互作用し、より古い形態とより現代的なものとが相互作用する」 といったことを言う人もいる。

物質から生命に至るまで、創造物は私たち一人ひとりの中にあり、その構造に関与しているのかもしれない。物質の中に潜む意味は、それを支えているのではないか

2014-06-21

2chという"フラット"になりきれなかったサービス

私は2chというサービスが前時代であると繰り返し主張してきた。そもそも2ch設立当初から別段新しいサービスではなかった。ただの掲示板。規模が大きいだけ。

規模の点で他に代わるサービスがなく人が多いから続いてるだけ。

まあひろゆき運営理念が優れていたというのも多少はあるんだけど。それも最近ひろゆきを見ていると迷走している感がぬぐえない。2ch.scを作ってサーバー攻撃したり、なんだかなあと。

ひろゆき2ch本には2chフラット情報提供するサービスと書いてある。ハッキングから夜のおかずまでというキャッチフレーズ便所の落書きという2つ名のとおり

何でもありの投稿スペースなわけだが、それはあくまで建前であるということに注意が必要である


ピットクルーを始めとするプロ工作員の暗躍によりスレの流れが決まっている事実を挙げるまでもない。そもそもあのようなコミュニケーション形態自体とてつもなく閉鎖的で限界があることに

私たちSNSマイクロブログといった新時代コミュニケーション形態を目の当たりにする中で繰り返し気づかされてきたのである


何らかのテーマスレを覗いてみると立ち所にそのことが再確認できる。スレの「総意」という名のノイジーマイノリティ跋扈しており、決して「フラット」とは言えない代物であることが分かる。

しかも、その原因が単に日本特有同調圧力といったものには帰着できないことも言う迄も無い。そもそもが、「閉鎖的になるしかない」ようにわざわざ作られているのではないかと勘ぐりたくなるほどに

閉鎖的なコミュニケーションアーキテクチャなのである


"コミュニケーションアーキテクチャ"という言葉はこれからITサービスを語る上で欠かせない新しい専門用語である。旧来の「情報アーキテクチャ」という概念はもっぱら情報をいかに整理して伝えるか、

という表現者視点が暗黙の前提となっていたが、コミュニケーションアーキテクチャでは表現者をも超越したメタ視点ものを見る。言うなれば合コンのセッティングのように

いかに場を用意するかという視点とも言えよう。


実は同様の概念芸術分野において1990年前後から存在した。"アートプランニング"という概念である。いかに芸術家たちが意匠に沿って気持ち良く表現やす展覧会を開催するかという超越的視点

その開催者の視点に立って戦略指向を練るのがアートプランニングなのだよ。日本では大阪芸術大学芸術計画学科が有名で多数の人材が輩出されているな。


ひろゆきも昔はアートプランニング視点では群を抜くものがあった。少なくとも1冊目の2ch本を出した頃のひろゆきは高い視点で捉えていたし「フラット」などという建前を掲げて理想を語っていた。

それが2冊目ではゴーストライター使うわ、近年では2chというサービス自体を古いとみなしている節があるわで、これじゃもう2ch終わったなとしか言いようが無いわけです。

古いなら変えよう、あるいはゼロから新しいものを作ろうとすればいいのに、気にくわないことをやりだした現2ch運営嫌がらせしたりと肝心な部分で悪い意味保守的なっちゃってるのね。


2chの衰退の直接な原因はこうしたひろゆきの衰えであるが、もっと抽象化してみると誰一人としてコミュニケーションアーキテクチャを考えようとしない、そこに根本問題があるわけです。

技術者デザインを考えない」「使いやすさを考えない」という言い古された批判がある。ITアーキテクト重要性が叫ばれて久しいが「使いやすさ」に配慮した製品がいかに稀少かは周知の通り。

でもこれはもっと高い視点を要する問題なんですよ。UXなんて言ってますけどそういうことばかり新しがって言ってる人はもう脳みそが古いの。

 
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