「俗情との結託」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 俗情との結託とは

2023-05-06

anond:20230506074203

差別問題に限らず、なんらかの問題社会規模で対処しようとしたら「利権」が生じるのは当り前のことだ。

原発問題もそうだ。コロナ問題もそうだ。防災問題もそうだ。途方もない規模のカネと権力が動く世界だ。なぜなら、社会問題解決にはまとまった予算必要からだ。

自助」で原発事故コロナ禍や大震災大津波や大噴火対処できるかといえば、それは無理である

したがって「利権」の存在自体ただちに悪いとは言えない。利権が悪いのではなく、利権悪用した犯罪行為が悪い。

コラボ会計問題では今のところ誰ひとり逮捕起訴されていないし有罪判決を受けていない。今後も多分そこまでは行かないんじゃないか

コラボ同和団体は「刑事罰対象となったかどうか」という点で根本的に違う。


鳥取ループあたりは「コラボ問題ネオ同和だ」と喧伝しているが、それは単なるセンセーショナリズムに過ぎない。

物事本質がよく見えていない有象無象イメージでワーワー騒いでいるだけだ。

鳥取ループや暇空あたりが何故そうやって騒ぐかといえば、彼らはそれで儲けている立場からだ。

いうなれば「反利権」を掲げた営利活動だ。「利権イコール悪」という表面的なイメージに便乗した金儲けだ。

そんな活動に利用されて鳥取ループや暇空の小遣い稼ぎに協力するのは愚の骨頂だ。


同じ商売の仕方で儲けていたのが立花孝志だ。

NHK放送利権をぶっ潰す」。そんなスローガンを掲げれば情弱からカネががばがば入ってくることに気づいたのは立花孝志の慧眼だ。

これぞ俗情との結託利権たたきはカネになるのだ。

このビジネスモデル嚆矢は「郵政利権をぶっ潰す」の小泉純一郎だったかもしれない。

勇ましいスローガンで胸がスカッとしたが、小泉改革の結果、本当に暮らしは良くなったか


いわゆる貧困ビジネスも「利権」の巣窟になっている。

生活困窮者アパートに住まわせて生活保護費を着服する行為では、たびたび逮捕起訴され有罪判決を受ける者が出ている。

しかし、こういう本物の社会悪としての「利権」には鳥取ループ(示現舎)は関心を持たない。なぜなのか?


なぜかといえば、彼らネオリベは貧困ビジネスで公金チューチューしている輩と同じ穴のムジナだから、というのが正解だろう。

彼らの行動の動機は、どんな立派そうな大義名分を掲げていようと「自分個人が儲けること」であって「社会を良くすること」ではないのだ。

良心の欠如

自分個人が儲けることにしか関心がない

社会のことはどうでもいい

その点で彼らは竹中平蔵とも話が合いそうだ。鳥取ループ、暇空茜、立花孝志、小泉純一郎竹中平蔵、みんな同じニオイがするだろう?


皮肉なのはこの「利権イコール悪」という思考停止的な図式の流布に一役買ったのが日本共産党ライター一ノ宮美成と寺園敦史)による『同和利権の真相シリーズだったことだ(※)。

かつて日本共産党解放同盟との縄張りいか俗情と結託して広めた図式が、回り回って日本共産党自身に跳ね返ってきたとも言える。

因果応報とはこのことだろう。


もっと解放同盟場合は本当に利権悪用して暗黒面に転落したのである

2021-07-27

人権」のバージョンヒストリー

最近、「人権感覚アップデート」とか言われることが多い。しかし、人権思想は短く見積もっても200年~300年以上の歴史があるので、過去アップデートがあったのは間違いない。

そこで、人権バージョンヒストリーを眺めていこう。

人権β~RC

人権思想の走りと言うべきもの。いわゆるマグナ・カルタ権利の章典などで人権思想の基本となる考えが整備されていった。

人権1.0

いわゆる「国家から自由」と平等政府が令状なしに逮捕したり、法律規定裁判なしに刑罰を与えたり、特権階級をもうけたりすることを禁じた。

18世紀末のアメリカ独立フランス革命人権宣言)

人権1.5

いわゆる「国家への自由」。要するに参政権必然的にこれもついてきた。

人権2.0

人権における画期的アップデートである国家による自由」が実装された。19世紀末~20世紀前半に成立し、これにより近代的な人権制度が一応の完成を見たといってよいだろう。

単に自由なだけでは恵まれない人が割を食うばかりになるので、生存権教育を受ける権利などのように最低限保障すべき権利規定し、政府施策により実現することを義務とした。もちろん、これが特権であり平等性に反するという主張もあったが、現実に劣位に置かれている人を、平等な水準にするということで理論的な解決を見た。

人権3.0

今まさに、問題になっているのがこの人権3.0。

「かわいそうな人」の権利を守るために、そうではない人の権利を制約しようと言う思想

アンチファによるヘイトスピーチ規制の主張や、フェミニストによる表現規制の主張、性犯罪に対する要件の緩和や厳罰化などが人権3.0。

しかし、これは当然に、権利の制約になるので、人権1.0と真っ向からぶつかることになる。

もちろん、人権1.0でも、他人人権侵害する行為禁止する(=政府処罰する)ことはできる。殺人を行う自由という人権は認められない。

しかし、これは同時に、他人人権侵害したことが明確に立証できないことは禁止(=処罰)できない、ということと等価である。これを問題視する向きが人権3.0を主張し、人権1.0を攻撃している。

本多議員の離党に寄せて

今日の、立憲民主党本多議員の離党騒動はまさに、この人権1.0vs人権3.0という問題である人権1.0の立場に立てば、明白な権利侵害があることに対して「のみ」規制されるべきと考える。だから、様々な限界事例を例示して、規制問題点を指摘する。対して、人権3.0の立場に立てば、明白な権利侵害があるかどうかはっきりしない事例でも、加害者処罰漏れることが到底許し難い。これに対して人権1.0の立場からは「十人の真犯人を逃すとも 一人の無辜を罰する勿れ」「刑法典はならず者権利章典である」といった原則が掲げられ、被害者やその周辺の感情に寄り添わないことが美徳とされる。

増田は、この人権3.0へのアップデートを、バグが多く、危険ものだと考えている。罪刑法定主義や法の適正手続きといった手法権利の衝突の解決手段としての公共の福祉明白かつ現在の危険、こういったさまざまな近代的な人権法制度に基づく道具立てとコンフリクトをする思想は、最早、人権とは呼べないだろう。単なる魔女狩り裁判正当化し、フォークデビルを火あぶりにする、俗情との結託である。こんなものは、全く「立憲主義」などではない。

2007-02-19

知的障害者云々

確かに、それ自体としてはなかなかに大変なことだったろう。しかし政策立案者は、この程度のことでオタオタするべきではなく、このような俗情との結託こそが、最も回避さるべきだ。しかし、はてな匿名ダイアリーを読み書きする者の中にはそのような立場の者などいようもないのであってみれば、まぁ好き勝手なことを述べ散らかしていればよかろうとも思われるし、かえってそのような短絡を遠慮なく発信することは、我々庶民の特権であるだろうし、また、特権を保持しているとなれば、それを行使することは義務であるとすらいえるだろう。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん